「嵐」というグループの原型は1997年に結成されたジャニーズJr内のユニット
「ジャニーズJr Boys」に遡る。
メンバーは松本潤、相葉雅紀(36)、生田斗真(34)、二宮和也(35)の4人。
ジャニー喜多川社長の肝いりで結成されたユニットだったため、すぐに4人は舞台「Stand by Me」
などの大きな仕事を任され、先輩の男闘呼組がヒットさせた楽曲「Midnight Train」を劇中で揃って歌った。
そして、最終的にユニット名はそれぞれの頭文字を取った「MAIN」となるのだが、
ジャニー氏の期待とは裏腹に、人気は伸び悩み、98年夏に事実上の解散となった。
しかし、ジャニー氏には“松潤をセンターにして、もう一度やり直せないか……”という強い思いがあったらしく、
1年後に「MAIN」のメンバーを中心に、「嵐」として華々しくハワイでデビューを果たす。
“中心に”というのは、「MAIN」から生田が抜け、事務所に入ったばかりの櫻井翔(37)と、
95年に「Junichi&JJr」というグループですでにCDデビューしていた大野が合流することとなったためだ。
ここまで読めば分かると思うが、嵐は松本・二宮・相葉のプロパー3人と、櫻井・大野という途中合流コンビに分けられる。
「MAIN」から続くプロパーのメンバーたちはグループに対する愛着は強く、逆に言えば、
リーダーにもかかわらず、大野が解散を言いだすことができたのは、それほどこだわりのない“外様”だったから……と言えなくもない。
自由が欲しくてたまらない大野に、松潤らプロパー組は今後20年のグループの可能性に言及して説得したものの、
最後まで外様との溝を埋められなかったという。
だったら、なぜ“外様”の大野がグループのリーダーとなったのか? という疑問が浮かぶが、
これは「“まとめ役は彼が適任だ”とジャニー氏が現場に指示を出したから」(関係者)といわれている。
このジャニー氏の読みは、ある意味で正解だったが、最終的にグループに破綻を来す遠因になったとも言えそうだ。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/246810/
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