武士の起源は
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「武士の発生地を地方とするか都とするかで、武士の起源についての学説は2つに大別できます。
例えば、地方の荘園の富裕な農民が自衛のために武士になったという説がありますが、
まったく実証されていません。また、都の貴族が国司として赴任した先で土着化したり、
国司が動員した武人の中から武士が生まれたという説もありますが、史料を読むと、
ある時期までの国司は赴任先でたびたび襲撃されるような無力な存在です。
国司であることが武士を生み出す足場になるとは考えられません。
武士の起源を今でも探究しているのは、昨年『武士の日本史』を上梓された橋昌明さんぐらいで、
その他の歴史学者は答えを出すのを諦めてしまったようです」
桃崎さんは本書で武士を(1)領主階級、(2)貴種、(3)弓馬の使い手と定義し、
その発生の淵源を743年に朝廷が出した墾田永年私財法に求める。この法律により、
土地を開墾すれば、自分のものにできることになったため、
日本全土で激しい農地の奪い合いが始まった。その争奪戦で勝つには武力が必要だ。
地方豪族は弓馬術を磨き、武力を高めていった。
しかし、これだけでは武士は発生しない。著者は「王臣子孫」に注目した。
「王臣子孫とは源氏や平氏を名乗った天皇の子孫や、藤原氏など上級貴族の子孫のことです。
彼らは平安時代に入ると、どんどん増えたのですが、就ける官職の数が追いつかず、
十分な財産も相続できなかったので、都で食いっぱぐれていきます。
そこで王臣子孫は地方で始まっていた苛烈な農地の奪い合いに参戦して、
自分たちの貴種というブランドや都の権力者とのパイプを地方豪族に提供することで、
彼ら経由で都にいながら富を吸い上げていました。しかし、そのうち王臣子孫はさらに増えて、
都でも居場所がなくなっていきます。そんな彼らが地方に進出して、地方豪族と血縁を結び、
ギブアンドテイクの関係をさらに深めていくうちに出現したのが、王臣子孫をトップに担ぎ、
地方豪族が家臣として仕える形態の武士団だと考えられます。
つまり、武士を発生させた原動力は人間の際限のない欲望です」
日本史の長年の謎――武士はいつ、どこで、どのように発生したのか?
2019年1月31日号
http://bunshun.jp/articles/-/10535 武富士から富を取った残りだよ
だから喰わねど高楊枝なんて言ってるわけ 徒然草には僧兵から転じた破戒僧が集まって
ボロとかボロボロといわれる武装宗教をやってるって記載があったが >>武士を発生させた原動力は人間の際限のない欲望です
つまりブラカワニからオーズが生まれたってことだな ,.
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`¨¨´ <_____ノ もののふとは「ものをふるう」ということで
古代において武力は霊力と同じ神秘的な力であった
とか折口信夫の本で読んだ気がする
うろ覚え 子供作りすぎた天皇が息子を地方に行かせて「ぶんどった土地自分のにしていーよ」って言ったのがスタートじゃね? 農民が武装したのが武士なんじゃないの?
国司なんてほとんど遥任だったんじゃないの 武装豪族が存在しない世界なんてこの地球上に存在しないわ 端折って言うと9世紀から国司と郡司ら旧来の富裕百姓との間で抗争が多発するようになった
そこで朝廷は「殺人上手」と言われた武芸に長けた貴族を優先的に国司として派遣するのだが
どうせ都に帰っても出世できないしということでそのまま現地の富裕百姓らを郎党として取り込んで土着化していった
この成れの果てが武士 元々はゴロツキの山賊みたいな奴らを用心棒で召し抱えたのが始まりだろ
そいつらは農奴を恐怖で監督する役割だった
だから定期的に領民を虐殺し死体を門の前に飾りつけて腐るにまかせ恐怖を抱かせたという 古代豪族の物部氏が武士の起源だろ
もののふと言う語源も物部氏から来てるという説もあるし まず>>1のソースをきちんと読むと
頭の悪い若者を文春が持ち上げただけだとわかる
武士の起源は>>32の言う通りに地方の豪族だが
源氏・平家という力をもった勢力を模範として自らをたしなめていた
そうしなければ朝敵として日本中から攻撃されたからね
そういうふうに行動するうちに段々と武士道ってものが構築されてきたんだが
ソースの若い馬鹿は「武士道」がまず先にあってそういう行動をとる者が
日本にいつ現れたのか?と思ってるみたいだな 人類史における武装組織の起源を一つに求めるぐらい無理な話し。
各地で色々な発生の仕方があったと思うの。 日本の戦士には外敵が少なく、国同士の戦いはほぼなかったから、武士はただの内弁慶のチンピラだったんじゃないの。
現代での日本国やブラック企業の支配方法(無力化、抑圧、搾取構造)に爪痕が多く見られる。
封建制の社会でじっくりと繰り返された支配ノウハウの集積が、少子化・好景気という嘘が罷り通る程の同調圧力下で生きている地獄。
高い自殺変死率にも関わらず恒常的な海外からの資源収奪を可能にする…それを支える脅しのプロが武士。 武士の子孫の教師達は明らかにコネで入って外車を乗り回す奴らだったな。
そんな田舎にはもう住んでいない。 >>49
完全自説で草
葛城氏の朝鮮討伐、物部と蘇我の王位継承争い、白村江の戦い、源平合戦...
数え切れない程の内外戦あるんだが 武士の定義がちゃんとできてないといかんと思うのだけど
武士ってどう考えればいいの?
戦う人(兵士)ってわけじゃないよね。 >>54
戦うことを家業としていて弓と馬を操るという専門技術を持つのが武士 徳川家の起源とかまさに山賊そのものという感じだよな。
一方で、上杉家とか土佐一条家、北畠家のお公家さんが武士化している例もあるし。 >>56
>弓と馬を操るという専門技術
そこなのね。経済的基盤とか、農民とのつながりとかそのへんについては
定義されないのかなあ 武士というのは詰まるところ、職業軍人の事だから逆上れば物部氏・大伴氏・葛城氏などが起源とわかる >>60
歴史の研究なんて仮説のかたまりを残っている文献などからいかにして
論理的に他の人に納得させるかなんでないの? 「職業軍人」という表現は語弊があるかも
武士は武官や朝鮮の武臣とは違うわけだし ハゲ
ハゲを隠すためにバーコード的に発明されたのがチョンマゲ
つまり起源はチョン(ハゲ) >>61
その通りだね
そして本文からはそういう姿勢がまったく読み取れないということさ >>63
そうそう、なんかそこがひっかかってるのです。
土地との結びつきというか封建的なところがあるんでないのかと思っているのです。 >>63
武士から派生した武官、武臣を日本では「侍」と呼ぶようになる。
ので狭義での「武士」は職業軍人で語弊はないと思う
まあ、これらは確定的な事ではないけどね 俺んちは先祖代々続く下級の農民だ
文句あるのかボケども 製鉄業者と鍛冶屋がいれば武器は出来るけどな
でも、個人が武器持ったってたかが知れてる
元は物部氏じゃないの
もののべ → もののふ >>69
物部氏は天皇直下で製鉄・武器製造から軍政まで任されてたからね
氏・姓(かばね)の由来からしても、「もののふ」は物部氏であることは納得いく
海部→かいふ
物部→もののふ、もののべ
物→武器 >>58
本で読んだがこういう説らしい
朝廷の財政難で軍隊を維持できない
↓
賊や反乱が頻発して地方の治安悪化(賊は俘囚が多い)&地方への支配力がなくなる
↓
軍隊を縮小して戦闘技術の高い俘囚を中心とする少数精鋭部隊を地方に配置して軍隊をスリム化&地方統治を在地の有力者に任せることで管理コスト削減
↓
中央でポストのない貴族がチャンスを求めて地方に移住
↓
中央へのコネ(朝廷に権益を認めてもらったり紛争で有利な裁定してもらう)を求めた上記の精鋭部隊や有力者が移住してきた貴族の配下に入る
↓
武士の誕生 >>72
俘囚は鎌倉時代に入ってからだろ
弓術や馬術に長けた俘囚が鎌倉武士に重宝がられ武士に受け継がれた、言うから武士は既に存在する前提だよ >>74
前九年の役で九州に流配になった安倍氏とか居たけど?
つか源氏が武士の正統であることを喧伝するようになったのが前九年の役 俘囚って奈良、平安時代だろ
承久の乱以降上下関係入れ替わって概念が無くなるんだろ >>74
だから受け継がれた結果が鎌倉武士
中央集権の衰退が武士を生んで東国の自治権を確立したわけ >>76
自身のレスで「朝廷の軍隊」や「地方の軍隊」て書いてるだろ
その軍隊って何よ?
それが武士(団)でしょって話 そもそろ歴史って機会主義的シロモノなのに
歴史的事件を一つも上げずに語ろうって無茶ぶりも良いとこだわな
世界4大武士強国の一国であり、武士宗主国でもあるのはもちろん大韓
ちなみに日本の武士は秀吉軍に強制連行された武士技術者の韓人が強制労働させられナイトスレーブとして働かされてたものですね。
実際関ケ原の戦いで奴隷として殺し合いをさせられたのはほとんどが韓人武士のナイトスレーブだったということは
万葉集を韓語で読めば書いてある東大の教授も認める歴史的事実ですね。
アベは関ケ原の戦いでナイトスレーブとして殺し合いをさせられた韓人武士に謝罪すべきです
織田信長の家が元は北陸の神主だったとか、家康の何代か前は時宗の坊さんだったとか、
そんなの家によってだろ・・・と書こうと思ったけど、こう言う人たちは元々あった
武装集団の頭領の座を乗っ取っただけなんだよな。
元々地域ごとに組織だった武装集団がなければ、乗っ取ろうにも乗っ取る対象がない。
つまり、元々「武士と言う階級」が存在する必要がある。 >>75
中央政権(日本の場合朝廷)公認の領主が治める地方小政権と言う意味では世界史に共通する封建制度だな >>84
その理論だと
武士の起源→農民
だよ?
武家は皇族の派生だったから錦の御旗にだけは手を出さなかった、という定説を覆すけどいいの?
源平も元は農民だったのかな? >>87
だから徴兵を維持できなくなって国境防衛部隊以外の徴兵廃止
狩猟採集生活していた俘囚や武術なんかを学んでる役人の子弟やら農民でも腕のある連中を集めた精鋭部隊を新設(健児)
これが地方にやってきた貴族の配下に取り込まれたのが武士というのが今の説
だから武士の上位クラスは最初から貴族 概ね同意見だけどさ、この説て井沢元彦が昔言ってた説の簡略版やん
元の研究や説は、どっかの大学の先生なんだろうけど
うろ覚えだけど
墾田永年私財法
荘園の不輸不入の権
もいっこなんかあった気がするが忘れた
武士の誕生には、これらの法律がキーポイントじゃなかったか >>93
あー思い出した
国軍、朝廷軍の廃止だ
朝廷が軍事力を都の検非違使以外廃止したから、地方は軍備を備えなくてはならなくなった
だったな >>90
今の説、って言われてもある歴史家の一意見でしょ
否定はしないよ見方や仮説によって変わるから
物部氏や大伴氏などの職業軍人は初めから武官として地位を獲得してた訳だしその配下は武士ともいえる 存在するとは別の仕方で、の起源はその時代に位置付けられないもの
前者が反実存だとするなら後者は完全に虚構だ イザナギが剣士だから天之羽々斬剣(出雲族では神度剣)
出雲族の南関東国造家の菅原道真の子孫が徳川家剣術指南役、柳生新陰流の柳生家。 武士の起源は韓国だよ
ありとあらゆる物事の起源は韓国なんだよ 物部とかあそこら辺の時点で武装集団はあっただろうな
大化の改新が起こらなかった世界線が見てみたかった
実質皇族と藤原氏の支配になってんのクソつまんねえ古代豪族の役割もだいぶ捏造されてるみたいだし
斎部なんて中臣と役割被ってたから存在ごと抹消されかけてるし 韓国で「サウラビ」と呼ばれた武人
彼らが日本に渡り武士(サムライ)となった
証拠は2002年に公開された映画「サウラビ」 鎌倉武士の始まりは、武勇に優れた東北の蝦夷の戦士達を関東の豪族たちが用心棒として雇ったとどこかで読んだな >>94
>検非違使以外廃止
国軍廃止で治安悪化して検非違使創設って流れじゃなかったっけ?
そして地方は自衛農民(武士)の勃興 国軍廃止で治安悪化
都では貴族が私費で私設軍隊のようなものつくり館や荘園守らせる。由緒正しい連中しか雇いたくないので平氏や源氏がこれになる
地方は見捨てられたので豪族とかそれなりに蓋かな農民が武装して自衛。国侍みたいなのになる
これでいいんじゅねーの 嫁が韓国の時代劇見てたから横から覗いたら
高麗時代の兵士が武士を名乗って日本刀使ってててクソワロタわ ■■■■■■
■ KOREAN ■
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( _^) >>78
日本の「さむらい」元祖は
古代韓国の「サ ウ ラ ビ」
って書いてる。 >>78 なんも無いアホ民族は嫉妬で起源主張するよな。 >ある時期までの国司は赴任先でたびたび襲撃されるような無力な存在です。
>国司であることが武士を生み出す足場になるとは考えられません。
いや、だからそれがアカンから武士化するって話であって。。。
コイツ日本語大丈夫か? >>1
知ってた。ってか常識じゃね?
平将門の乱くわしく調べれば簡単に出る結論だろ。
王臣子孫でない地方武装勢力はどんなに正当な自警団でも簡単に野盗認定されてしまう。
それで手っ取り早いのは勝手に藤原を名乗ってしまう事。
平将門の乱時代、地方の武装勢力になんと藤原姓の多い事か。
この疑似野党勢力をどうやって味方に付けるかは、地方に任官したり下野してきた皇族達の手腕にかかっていた。
ぶっちゃけコレは戦国時代でも同じだよな。
武士の成立なんて1つじゃない。
現代の暴走族や半グレ集団みたいな連中は何時の時代もいて、そーゆー連中はガチの野盗集団になって村々を襲っていただろう。
それに対抗する自警団はどこの村でも作っただろうし、
ある地域ではある地域では自警団が野盗を制圧して本格的な武装勢力となり、
ある地域では自警団と野盗が同盟を結び、
別の地域では野盗が勝ってその地域は野盗の治める地帯となる。
そーゆー所にまた下野皇族が武装して任官してくる。
多くは皇族と結びその傘下となり、あるいは争って討伐され、あるいは逆に下野皇族を打倒して背乗りしたり、傀儡にしたりしていった。
これが武士の発祥だろ。
平将門の乱も、そういった流れの中で起きた混乱の1つにしか過ぎない。
わかっている事は、当時の朝廷は最終的な裁決は全て賄賂の量で決めていたって事。 日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平 <丶`∀´> また一つ真実が明らかになったニダw 「もののふ」っていうか「つわもの」って言い方もあるよね。
武士ってのものの定義と他の人がそう呼ぶようになったのか
貴族あたりがそう呼ぶようになったのか。
そのあたりは整理されてるんだろうか? つわものは兵だろ
武士と書いてつわものと読むとかやりたいんならお好きにどうぞ >>124
その違いはなんなのさってことなのですよ
平将門とかつわものって言ってなかったっけかと思って。 武士の起源いろいろ
・暗殺集団
・盗賊・海賊
・皇族や貴族の身辺警護請負人(主に出世の道がなくなった貴族)とその郎党
・自衛農民
・国司に自分の私兵になることで罪を許された罪人
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