駿の凄さというのはこういうところだと思うね。
こういうのが引き出しの広さとなって現れている。
宮崎駿監督が流した涙の意味 「もののけ姫」で描いた”ある病”との出会い
ひとりの男性との出会い、そして大切にしている場所。
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宮崎駿監督が1月27日、国立ハンセン病資料館で初めて講演を開き、映画「もののけ姫」でも描かれていたハンセン病との関わりを語った。
時折流した涙には、どのような思いが込められていたのか。
「ここは、本当にいろんな人に出会える場所。僕は、訪ねてきてよかったなと思っています」
宮崎監督がそう話す場所とは、多摩全生園。東京都東村山市にある、ハンセン病の療養所だ。
ハンセン病。日本には、たった20年前の1996年まで存在した「らい予防法」に基づき、この病にかかった患者たちを、無理やりに社会から隔離した歴史がある。
多くは家族の元を引き離され、塀に囲まれた隔離施設に収容された。死ぬまでその中で暮らし続けないといけない運命を、国に決められた。病を理由に中絶や断種をさせられる夫婦たちもいた。
国の「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告書によると、1949年から96年までハンセン病を理由に不妊手術をされた男女は1551人。堕胎手術の数は、7696件に及ぶ。
きっかけは「もののけ姫」だった
全生園には、いまも150人以上の人たちが暮らす。平均年齢は約85歳と、高齢化も進んでいる。ここに、宮崎監督は足繁く通っていたという。
「子どもを送り迎えするときに通っていた頃から全生園のことは知っていた。でも、ずいぶん長く、30年以上この中に入ってくることはなかった。自分がどういう態度をとって良いのかわからなくて、ためらっていたんです」
宮崎監督がハンセン病と向き合うきっかけになったのは、「もののけ姫」だった。劇中では、製鉄に携わる「たたら者」が、ハンセン病の人たちと思しき包帯姿で描かれている。
「侍と百姓だけの時代劇が取りこぼした人を描こうとした。もっとたくさんの人たちがこの国で生きてきたのに、あいかわらず武士と百姓だけで物語をつくるのは間違いだろうと思ったんです」