昔の日本人はどのくらい肉を食ってたの?(´・ω・`)
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ビバ肉食!お肉LOVERに教えたい肉雑学 〜肉汁したたるイイ情報〜
2019.01.25 12:00
(中略)
【肉雑学04】 軍鶏(シャモ)の語源は…
肉と言えば鶏!という事で鶏にまつわる情報を。
坂本龍馬と中岡慎太郎が京都近江屋で暗殺された日の夜、
2人は軍鶏(シャモ)鍋を食べようとしていたと言われているが、
そんなシャモはタイ原産で、江戸時代に日本に渡って来たと言われているそう。
そして、タイが『シャムの国』と呼ばれていたことから
『シャモ』と言われるようになったとされているそうです。
【肉雑学05】 近年の肉食文化を構築したのはあの人物だった…
歴史的に著名な指導者で肉食を避けた人物は多く、特に肉を目の敵にしたのは
天武天皇、北条政子、徳川綱吉の3人だそう。
仏教に帰依していた天武天皇は「肉食禁止令」「放生令」を相次いで布告した。
肉食禁止は、牛、馬、犬、猿、鶏の「5畜」が対象。
「放生」とは捕った魚や鳥を自然に返す行為を指す。いずれも仏教の「殺生戒」の教えに基づき、
殺生を避けて現世での徳を積むという狙いがあったといい、鎌倉幕府も1203年、
北条政子の指示で諸国に狩猟禁止令を発布。狩猟好きの武士の政権が不殺生を呼びかけることで、
肉食はさらに日本社会で片隅に追いやられ、後ろめたいものになっていったそうです。
馬肉が「さくら」、鹿肉が「もみじ」、イノシシが「ぼたん」、鶏肉が「かしわ」などと呼ばれるのは、
このころから肉食忌避のなかでこっそり肉を食べたい人たちが使った隠語が
そのまま定着したものであると言われているとか。
そして近代において肉食は福沢諭吉が勧めたと言われているそう。
東京・築地に設立された牛肉販売会社『牛馬会社』の求めで1870(明治3)年、
肉食を勧める『肉食之説』を書き、こんな主張を唱えている様子。
「今我國民肉食を缺て不養生を爲し、其生力を落す者少なからず。即ち一國の損亡なり」
要するに肉を食わない日本は元気がなく損をしている、それではだめだから、もっと肉を食べようということ。
福沢諭吉の近代化=欧米化に対する信念が多分に投影されている様です。
(後略)
https://getnews.jp/archives/2116226 >>1
昔の権力って凄いよな
肉食を禁止するとか、今の時代には無理だわな >>1少し前までは直接批判はせず遠まわしに総理批判日本sageタイトルばかり巧妙に立ててたが、
最近はあからさまだなwこの腐れ反日サイコパス金玉!
毎日毎日捏造スレと反日スレと釣りスレしか立てないクソ金玉マジでニュー速で一番いらない存在
>>1のBe焼きたいんだけど、どうすればいい。
F9や岡くんみたいに炎上させるしかないのか?
紹介文の「うー☆うー☆」とかこいつの醜悪な人間性を考えると反吐が出るわw >>1 こう言わしたいんだろ
焼き肉は韓国が起源って 江戸時代は肉食わなさすぎて男も女もチビしかいなかった 飛脚に肉食わせたら体が重くて走れないって言われたらしいぞ 江戸の人間とバーベキューする時は気をつけろよってコピペができるくらい 水戸光國公が夜な夜な一人焼き肉してた記述があるらしいな 肉食わなきゃ力でねーだろ
野菜食って戦国時代とか笑わせんなや 正月休みにA5和牛食べたけどおいしかったなあ。
ぶりかまとか甘エビの昆布締めもおいしかった。 >>12
力を出すのはエネルギーになる炭水化物なんで
肉はあんまり関係ない >>12
西洋人がそう言う事言って飛脚に勧めたら全然走れなくなって米に戻しちくりーと言う話しをどっかで見た
西洋人の言う健康的食生活は日本人には明後日の方向のようだ 四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、
草木から動物生れると申してあろう、
神民の食物は五穀野菜の類であるぞ。
日月神示 徳川慶喜がイノシシ肉を好むので、周囲から嫌われていたという >>4
当時は、今では想像もつかんほど仏教がイケてるかっこいいものだったのと
殿様と坊さんは、俺らの知らんことをなんでも知ってる偉い人
っていう観念があったからだと思う 日本橋の蒲鉾は溺死人を喰ひし鱶の肉にて製したるなり。黒鯛の潮汁旨しと雖ども、大船の艫に附て人の糞を喰ひし魚なり。春の青菜香しと雖ども、一昨日かけし小便は深く其葉に浸込たらん。或は牛肉牛乳に臭氣あるといはん乎。 松魚の鹽辛くさからざるにあらず、くさやの干物最も甚し。先祖傳來の糠味噌樽へ螂蛆と一處にかきまぜたる茄子大根の新漬は如何。 慣れたる物を善といひ、慣れざる物を惡しといふ。自分勝手の手前味噌だに嘗る其口へ、肉の「ソップ」が通らぬとは、あまり不通の論ならずや。 日本人は肉食わないから少子化なんじゃね?
アメリカ出張してたら毎朝ビンビンになる 豚が入って来たのって明治以降だって言ってたから、結構それ聞くとびっくりだよねw 江戸時代に肉食を自粛してたのは読書階級だけだろ
百姓達にとっては貴重なタンパク質だからバンバン狩って喰ってた筈 >>27
抑も其肉食を嫌ふは豚牛の大なるを殺すに忍びざる乎。牛と鯨と何れか大なる。鯨を捕て其肉を喰へば人これを怪まず。
魚だろ まあ、たしかに毎日寝る前の100円カルバス続けてたら朝来るようになったわ >>27
そもそも日本人がクジラを哺乳動物だって認識したのは
明治になってからなんじゃない? 薬食いで味噌漬けの肉を闇で喰っていた。四つ足の解体は賎民の専業 ももんじ屋で獣害起こしてるイノシシや鹿や熊をたまに食べてた
江戸時代後期
それ以前は知らない 干支が中国から入ってきた時に豚って何だ?という話になって日本は猪に替えちゃったんだろ 豚を食うと豚みたいな顔になるとか豚に生まれ変わるとか言われてりゃ食わないようになるべ >>15
ベルツ博士かな
草津温泉だかの記念館か何かで見た 肉食ってない江戸時代の人の方が俺らより体力あるんだぜ。何キロも歩く駕籠かきとか米俵を背負うおばちゃんとか俺は見てきたから。 食用に飼育されてないからまずそう
ジビエは臭みがとか言うし 遺跡には貝をどっさり食べていた痕跡がたくさん残ってる 昭和中期は貧乏人が多くて肉買えなくて
当時安価だった鯨を食べてた
とんかつとかステーキとか高級品だったからな
タンパク質は主に魚から摂ってた >>36
まあ煮てはいたけど小口サイズに切ってグツグツするだけなんで
今のすき焼きとは、あんまり似てないかも >>42
江戸時代なんて飯食う時間も決まってなかっただろ 江戸時代は大量の米に少しの漬物に味噌汁程度
魚ですらときたま食べれる程度だったのに肉とか無理 日露戦争で日本人の体格の貧弱さを痛感した軍部は
兵食に肉メニューをドカドカ入れたらしいが
あんまり効果はなかったらしいな 確か来日した外人が殆ど肉食わない飛脚に感動して肉食べたらどんな力が出せるのか期待して食べさせたらすぐバテて話にならなかったって話がある 戦中生まれの家族の話だけど、アメリカに負けた後は本当に食い物が無かったらしい。
もちろん肉も食えないから池でカルガモ見つけたら、ご馳走だから必ず狩ってたって言ってたな。
後、田舎では狸や赤犬まで何でも食ってたらしい >>54
戦中は配給制が量は少ないながらも機能していたからまだよかった
敗戦でその指揮系統に混乱が起きたのと
戦地から引き上げてきた若い男の元兵隊が急増したおかげで
敗戦後数年たってから食糧不足のピークがやってきた
ソースは荷風の日記 徳川家は鶴を食べていたというけど
あんまりうまそうに見えないな 昔はウサギ肉やイノシシ肉、鹿肉が出回ってた
レアモノだと熊の心臓とか
今の人間よりも肉食ったんじゃないかな? >>24
幕末に豚を食ってた例は一応あるね
そんなにポピュラーじゃなかったんだろうけど
徳川慶喜が豚肉好きだったのは有名だし
あと医者が病人に食わせてた話もある >>48
すき焼きは牛鍋つって、文明開化の産物しょ >>59
すき焼きと牛鍋はルーツが別らしいよ
細かい話になるんで興味あったらぐぐって
ただ、この界隈にはデマが多いので注意 イノシシや熊を狩ってもそんなに保存できないからな
食べ尽くすまで村全員が胃に入るだけ食ってたぞ 落語で獅子鍋(いのしし)とか出てくるから肉食ってはいたんだろうな >>61
すき焼きは牛鍋がルーツじゃないんだ?
確か「お江戸でござる」とか杉浦日向子先生経由の話だったけな、
だから確実だと思ったけど
NHK の別の番組だったかな…
まあ、すき焼きは西と東で根強く違うから、さらに歴史古いかもね 牛は農耕の大きな助けになっていたから本当の意味で家族の一員だった
殺して食べたら村八分だ イノシシを山くじらとか言って食ってたんだろ
なかなかのセンス 平坦で草の生えたいわゆる牧草地が多ければ米なんて植えないで牛だの羊だのを
飼って食う習慣になっただろうけど、日本の地形から米で精一杯。海や川が多いから
魚獲って食ったほうが早かった。仏教とか江戸幕府の御触れとか理由もあるが、
家畜が多ければそれ食ったほうが楽だよね。イノシシだの鹿だのは山間部では
獲って食ってたかもしれないけど、大人数は養えない。それだけ期待して食ってる
わけにもいかない。てな感じで今でも酪農は厳しい状況だし、昔ならやっぱ
米と魚と野菜が向いてたんだろうね。 まず、どの程度「昔」を想定するのか決めてくれ
旧石器時代か縄文時代か弥生平安か昨日か 武士の献立って映画面白かった。
日本人の食文化がよく分かる。 >>53
持久系の飛脚に肉を食わせても、な。
相撲取りに食わせたら効果覿面だったろうに。 江戸時代の庶民の食事ってのは基本、「一汁一菜」ですよ。よく聞くと思うけど
ご飯、みそ汁、漬物が基本。たまに魚もあったりする。肉はほとんどない
それにご飯と言っても玄米や麦や雑穀がメインだったしな
江戸庶民なんかは白米が多かったらしいが、その分脚気も多かったとか つうか炭水化物などの糖質は運動エネルギー用だよな。
蛋白質はむしろ身体の再構築に使われる。筋肉や毛髪やら
身体全体の新陳代謝。だから蛋白質摂取が少ないとそれに
合わせて身体も小型になるが、糖質が入れば運動の持続性は上がる。 ささくれ食って45年
まだ10kg分も食ってないと思う 肉じゃがはいつの時代からのものかな?
海軍カレーってのが肉じゃがをアレンジしたってのを聞くとそれ以前なのは確かか >>81
wikipediaによると
「肉じゃが」って呼ばれるようになったのは1970年代以降だってさ 朝鮮半島から盗んで食べたのが最初だけどそれまでは滅多に食べられなかった 昔の人は鶏卵は食べてたのか?
昔の日本にゆで卵、目玉焼きのイメージが無いから
食べてなかったのかな >>87江戸時代の時点でプリンみたいなものやメレンゲみたいのとか卵かけごはんとかあったよ 日本人は昔から野菜中心だから背が低い
今でもババアが車の運転してても後ろから見たらヘッドレストしか見えない。
無人運転車がと思ってしまう >>12
戦の後は肉料理ばっかりじゃないの?
何の肉かは気にしないことにして。 >>87
江戸期の流通は生鮮食品の輸送に向いていなかった
安定的な受給を満たすことができなかったので、新鮮なうちしか食べられない卵は高級品 >>87
絶対的な流通量は少なかったろうと思う
採卵ベースの養鶏の発達が江戸中期〜後期
それに従い、江戸方では天ぷらの衣に卵を使うようになる >>55
永井も憚って本当の事書いてないわ
敗戦後間もない頃の日本の流通をグチャグチャにしたのはGHQだよ
この国のGDPを発展途上国もしくはそれ以下に下げるつもりで統制経済を敷く軍政やってた
根底にあったのはマッカーサー個人の日本に対する悪意
フィリピンを一回追われてるからね
なんと奴は半島で大騒動が起こるその日まで、世界地図を日本を中心に見た試しがなかった程の無能だった
まぁ半島で苦労して人間的な成長もあったようだが、、 意外と食ってた
でも臭かったし禁忌もあるから薬という建前で
徳川四天王の井伊彦根藩の名物は牛肉の味噌漬で将軍家や大名に配りまくってたし
福翁自伝にも牛鍋のことは書いてるんでしょ? 獣肉禁止の糞坊主どもが兎の肉食って
兎は鳥だとか抜かしたせいで
兎は一羽二羽と数えないといけなくなったんだよな
当時の坊主どもは百回死んで償え! でも、本当に昔の日本人が肉を日常的に食べてたのなら
なんで胡椒求めて出て行かずに鎖国なんかしちゃったん?
て疑問が >>98
鎖国してても庶民が手を出せる程度には輸入していたよ。江戸時代のレシピ本を見ると豆腐やご飯に使うなど山椒や山葵のような使い方をしていて結構馴染んでいる
それに西洋が肉の臭さを消すために求めていたスパイスが胡椒だったってだけで臭さを紛らわせる調味料やスパイスは日本にも色々あっただろう
なにより胡椒の原産地・大産地であるインドだって胡椒を使ってない肉料理は沢山あるしね >>99
なるほどね
いや、どっかで
肉を食べるヨーロッパ人は胡椒を求めて大航海
肉を食べない日本人は胡椒要らないから鎖国
肉を食べる朝鮮人はと言うと
そもそも船が作れない
ての聞いたから >>100滅茶苦茶だなw
肉を食べてる民族が胡椒ばかり使うわけじゃないし、
日本はかなり胡椒輸入してたし朝鮮と貿易してたってのに ももんじい坊主も化けて買いにいく
※ももんじいは猪のこと >>97
それ言ったら中世ヨーロッパの修道士だって
ヨーロッパビーバーを尾ヒレがあるから魚だと言って、絶滅寸前になる勢いで食い尽くした前例がある。
生臭坊主の考える事は何処も同じw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています