「不機嫌な隣国」韓国に向き合うためにいまわれわれが考えるべきこと

1990年代半ば、サミュエル・P・ハンティントン(政治学者)が著書『文明の
衝突と世界秩序の再築』を通じて「文明の衝突」仮説を披露した際、彼が提示
したのは、「西洋」、「ギリシャ正教」、「ヒンドゥー教」、「イスラム教」といった
9つの「文明圏域」から成る世界のイメージであった。
この世界イメージの中では、日本は、「日本」として独立した文明圏域にあるとされ
ていたのに対して、朝鮮半島は、「中国」文明圏域の一部として位置付けられた。(略)
現下の日韓関係における極度の冷却を招いたのは、日本と韓国が互いに「異質な
文明世界」に位置しているにもかかわらず、日韓両国双方の人々が互いに「同質な
文明世界」にあると錯覚したことにある。
そして、日韓両国が「同質な文明世界」にあるという錯覚は、地勢上の距離の近さ
や歴史上の因縁の深さによって、日韓両国の人々の心理に抜き難く定着している
のであろう。日本も韓国も、互いに自らの「常識」が通用する相手と思っている
のが、そもそもの元凶なのである。(略)

「日本にとって、韓国は『異質な文明世界』であるけれども、韓国にとっても、
日本は『異質な文明世界』である」。この当然の前提を踏まえることでしか、日韓
関係の展望は開けまい。
たとえばイスラム世界という「異質な文明世界」の人々を宴席に招き、彼らが「豚肉
を食せない」という事実を突き付けられたところで、それに怒り出す日本の人々は
滅多にいない。
同じ理屈の下、韓国は「異質な文明世界」であると初めから割り切って接していれば、
その振る舞いは、考究の対象となりこそすれ、感情的な反発の対象にはならない。
現下の日本における対韓感情の悪化は、明治の世に朝鮮半島の「開化」に期待し
ながら、それが裏切られた後で一転して「脱亜論」を書いた福澤諭吉の姿を再現
しているところがある。
福澤が後世に遺す教訓とは、「朝鮮半島に関わらない」という半ば俗耳に入りやすい
主張ではなく、朝鮮半島という「異質な文明世界」に「勝手に期待して勝手に落胆
する」弊を避ける姿勢の意義である。朝鮮半島は「異質な文明世界」であればこそ、
それを深く知る努力は、続けられなければならないのである。(略)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59448