小説で冷酷にされたから、冷酷なイメージの土方歳三だか、本当はそんなでもないらしいな。
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すごくひょうきんで下寝たとかも連発してたらしいな
得意技は下段からの算段握りッ屁 昔某掲示板で土方歳三の話をしていたら、横から唐突に
「土方(ドカタ)は差別用語なので正しく土木作業員と言ってください!」
てすごい勢いで噛み付かれて、全員 …えっ?(・∀・)てなりつつも
その後スレ終了まで土木作業員歳三と呼んでいた toshiの最期は尻に弾が当たって死亡と言うが本当だろうか 山南敬助の切腹場に現れた土方歳三に山南が「出たな九尾の狐め」
と言ったのは有名な話 毎年全国からバレンタインチョコが届き、仏壇がチョコで埋まるという噂 日本三大トシといえば
Xのトシ
タカアンドトシ
佐藤寿也
だから、土方歳三はもうちょっとがんばってほしい 新撰組って超ゲス集団だったのに創作でやたら格好良くされてそのイメージが定着しちゃったんでしょ >>21
狭い町内で刀振り回す若い男集団なんて恐怖でしかないわ しれば迷いしなければ迷わぬ恋の道
これ土方の詠んだ句な、鬼の副長らしからぬなw 京都でイキッてたら鳥羽伏見の戦いでボコられて敗走した雑魚狩り集団 土方歳三最期の地って現在はごく普通の公園の片隅なんだよな
25年以上前に初の北海道ツーリングでたまたま立ち寄ったコインランドリーの横の公園、暇つぶしに散歩してたらまさにそこだったわ
当時はドマイナーで誰も知らない場所だったけど、今は聖地巡礼の場所になっとるらしいな ちなみに土方歳三の墓は西部地区の称名寺という菩提寺にある
確か魚見坂と言う坂を登り切ったところにあったと思う、お寺の門からは結構奥の方だったような
お参りに行った時はワンカップ大関を墓前に供えて、往時に思いを馳せたなあ >>21
銀魂の影響で海外アニオタも侍の中の侍扱い >>31
もう北海道ツーリングっていう単語だけでキュンキュンするわ
スレ違いだけど >>21
相手の反幕府勢力も御所に筒先向けるテロリストだし毒をもって毒を制すだな 函館まえ逃げた後は、自分がトップになったからこれじゃイカンと心を入れ替えて、部下に酒注いだりもしたけど
新選組でバリバリやってたころはすぐに仲間を切り捨てる冷血漢であってるだろ 合宿所に男を連れ込み愛欲に溺れライバルを強姦させるようなNGTの連中をみると
局中法度のような厳しい規律が必要なのかと思った。
そういう事も分かっていた土方歳三はやはり優秀だったのだな 司馬さんはこいつはこういうキャラ、と断定するのが好悪含めた作風だからな
それが一番はまったのが近藤土方沖田 尊皇攘夷で朝廷警護してた会津藩と新撰組が
風見鶏で裏切り孝明天皇と偽りの尊皇攘夷で
下級武士を動かした薩長に朝敵にされてしまう明治維新 新撰組が京の街に行くたびに女の子が鈴なりになって、土方に嬌声をあげてたとか…
全盛期のキムタク並みにモテていたらしい 幕末の写真が残ってる人物の中で一番のイケメンであることは間違いない 漫画的なはっぴーまんで土方は吉田松陰が処刑された後サディストEDになってたな
ファッション新撰組オタがガチギレいてたわw >>13
道歩いているだけでラブレター渡されていたらしいね >>31
地元が勝手に言い出しただけで土方がどこで死んだかはよく分かってないからね 宇都宮城攻略時、逃げる味方を斬り捨てて戦線を維持したらしい ドラマで弟だけ可愛がって、政宗を蔑ろにしていたイメージのある義姫だが、政宗と仲良かったらしいな 別にルールに厳格だったってだけだろ。
これを温情とかいう抽象的なものでまげちゃいかん。
あくまで法治主義をつらぬいたという意味で冷酷でもなんでもないじゃん。
堀北をつれさったのは冷酷だがw 育ての親に大量の手紙が届いたかと思ったらほとんど全部土方宛ての恋文で
「俺、京都でこんなモテるんだぞスゲーだろ!」という自慢する手紙だったってエピソードが好きです >>56
高杉だって、高杉だって・・・うぇぇぇぇん
村田蔵六であり〼 歳三は、ズボンをはいた。
長靴に足を入れながら、窓を見た。
遠く、旗が揚がっている。
薩長が来た事を告げる時のみ、
掲げられる旗であった。
「お雪、来たよ」
「何がでございます」
「敵がさ」
・・・・・ >>31
ずいぶん前に池田屋跡もケンタッキーフライドチキンになってるって聞いたが
今はどうなんだろう、、、? >>4
そろそろ現場の神として土方さんを祭り上げてもいいのではw 当時の京都の人達の評価
大人「見ちゃいけません!」
若い女「素敵。抱いて」
こんな感じか。 土方の地元なんだけど歳三は甘いマスクでも、怒るとすぐ刀を抜いて殺すんで、
かえって強面より恐れられていたって話しは昔聞いたことがある。 >>56
木戸孝允のほうがかっこいい
甲乙つけがたいけど >>10
実は愛刀はノサダじゃありませんでした、って知った時は
ちょっとガッカリした >>68
うちは都内なのにプロパンガスだって、なんで分かった?? >>41
沖田の超絶過大評価
近藤の超絶過小評価
土方の人間像の誤解
司馬史観が悪いんじゃなくて
司馬が書いた娯楽作品をあたかも学術書みたいな扱いしてるやつが悪いんだけどねえ モテたといえば人斬り半次郎こと桐野利秋
写真は土方の方がイケメンかな >>77
桐野の写真残ってるんだ?警視総監(だっけ?)なら
あって当たり前か。ググッてみよう。 >>74
ほんとそれ
司馬の小説を偉大な歴史書みたいに勘違いしてるやつなんなんだろう
大河ヲタに多いんだよな やたら切腹の御法度を守らせるんだから
内面は知らんが相当に冷酷で厳しい態度だったんだろ >>82
いわゆる「士道不覚悟」で腹切ったのは3人だけ
後は脱走者(山南敬助含む)の切腹とか造反者の粛清だし
それも土方が率先してやっていたという資料があるわけでもない
つか「局中法度」という呼称自体が子母澤寛の創作だという 百姓上がりのトンキンで雪国でぶちころされたんだっけ 幾ら侍とは言え刀を抜いた相手と対峙した時に逃げるなと言う方が無茶。
戦国末期でさえある程度距離を取れる槍が主流だったのに、
刀で近接戦闘やる方がおかしい。
そりゃ、規則として逃げたら切腹と言わないと皆逃げる。 >>85
農民集団だったから、サムライはこうだ!ってのが先行しすぎてたんだろ >>85
士道不覚悟で腹切らされた3人は敵前逃亡じゃなくて
女絡みで下手打ったやつばっかだったしな 坂本龍馬だと司馬遼太郎全面否定するくせに
土方だとスルー
要は自分の好みに合うかどうかってだけなんだよな どうしてもマカロニほうれん荘のトシちゃんを思い出してしまう。 >>85
幕末はおそらく日本史上最も刀で斬り合いやった時期なんじゃなかろうか。
剣豪はやはり必要なところに出来上がってくるという 政府軍は、土方の部隊が突然総崩れになって後に土方は戦死したらしいと判断しただけで確認はしていないと聞いた 京都旅行するとやたら新撰組女子に出くわしたが
洋装の写真一枚でキャーキャー言ってるだけのような気が。
京都を二条城の城下町だと語ってるのを仄聞して、土方ヲタの歴史認識にアゴが外れかけた。 近藤「本当はこの人とても優しいんですよ ねえドカタさん?」
土方「誰がドカタじゃ! いい加減にしなさい!」
近藤・土方「どうも ありがとうございました〜」 壬生義士伝で一番格好いいのは斉藤一
冷酷な殺し屋だが、最早これまでという時に松平容保に「余の家臣ではない、去れ、落ちのびろ」と温情をかけられるも、いきなり土下座
「ならばこの場でお召し抱えくださりませ 老人子供まで闘う中なぜ拙者一人生き残れましょう」 >>109
浅田の小説の中では、残党狩りのなかでも斉藤が生き延びたのは「会津の連中が誰一人斉藤を売らなかったから」てことになってた
斉藤の人間性も垣間見えて面白い >>67
権力のある武士の子弟でもあるまいし
地元では薬屋の丁稚なんだから町人風情がそんな事したら
普通に下手人(打首)だわな 勤王の志士というのははっきり言っちまえばテロリスト
新撰組はSWAT部隊みたいなもの 欧米でこれに類するのってあるんだろうか
物語としては洋の東西を問わず好きそうなパターン
だけど、実在したものとして。
お話なら三銃士とかだろうか >>110
天誅組の変で殺された、地元思いの代官とか可哀想過ぎる 土方歳三って今市の戦いで宇都宮藩にコテンパンにやられて日光山に立てこもっているときに
大隈重信に「東照宮に火をつけるとか馬鹿なことしないで山から降りてらっしゃい、知らないだろうけどそれ家康が祀ってあって幕府にとってとても大切な場所だから…。
何もしなければ逃げていいからさっさとどっか行って」と言われて会津に逃げ出した後はボロボロだよな。 めっちゃモテたらしいな
モテすぎて仕事も出来ないわみたいな手紙が残ってるとか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています