サムネで片岡鶴太郎に見えた奴ちょっとこい。退職警官「震災、語り継ぐのが使命」
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「語り継ぐのが使命」 阪神大震災で「下敷き」経験の退職警察官 兵庫署
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190111-00000018-mai-soci
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190111-00000018-mai-000-1-view.jpg
阪神大震災当日、兵庫県警兵庫署の当直責任者だった山崎保(やす)さん(60)=同県西宮市=は昨年9月の退官後、初めての1月17日を迎える。倒壊した署の下敷きとなって仲間に救助され、多数の犠牲者を検視した。「生と死」に向き合った警察官人生に終止符を打ち「あの日のことを語り継ぐのが使命かもしれない」と新たな一歩を踏み出した。
署の刑事2課長だった山崎さんは1995年1月17日午前5時46分、1階の宿直室で仮眠中、地響きのような音で目覚めた。4階建ての庁舎は全壊、60センチほどの隙間(すきま)に閉じ込められた。両足は挟まれ、頭からは流血。ガスの臭いも漂い余震も続く。
がれきの隙間から懐中電灯の光が差した。「地震で1階がぺちゃんこになっています」。同僚の言葉に初めて状況がのみ込めた。若手の署員らが県警本部に無線で連絡、午前9時半ごろ救出された。
病院で頭を10針縫ってもらい、検視にあたった。別棟の道場や駐車場に遺体が並び、次々運ばれてくる。まるで戦場だった。今にも目を覚ましそうな若い男性や、火事で骨だけになり性別も分からない人も。「圧死」「焼死」と判断して書類を作り、遺族に引き渡した。
小学校低学年くらいだろうか。ジャンパー姿の少女が、姉と思われる遺体をじっと見つめていた。同じ年ごろの我が娘の姿と重なる。声を上げて泣くわけでもなく、静かに立ちすくむ様子に胸が締めつけられ、かける言葉もなかった。「あれほどつらい経験は後にも先にもなかった」と振り返る。 俳人の長谷川櫂さんは、東日本大震災の直後、湧き上がる真情を俳句ではなく、和歌に
託した。「かかるとき かかる首相を いただきて かかる目に遭ふ 日本の不幸」。
▼歴史に「もしも」は禁句だが、もし民主党政権ではなく、菅直人氏が首相でなかった
ら、という悔悟の念はいまも消えない。20年前のあの日も同じ思いをした。▼平成7
年1月17日午前5時46分、大地震が兵庫県南部を襲い、神戸の中心部は一瞬にして
ガレキと化した。前年、総選挙を経ずして自民党と社会党、さきがけが野合した結果、
村山富市氏が首相の座に就いていたが、首相官邸の初動は、信じられぬほど鈍かった。
▼当日は、社会党内の「反村山」派が、新党を旗揚げする予定だった。被害の甚大さを
物語る情報がぽつぽつと入り始めていた午前8時過ぎでも与党幹部の関心がそちらに向
いていたのを、抄子はよく覚えている。閣議が開かれたのは、午前10時をまわってい
た。▼自衛隊が本格的に出動したのは地震発生から4時間以上もたってからだった。当
時、自衛隊の災害派遣要請は、都道府県知事にしかできなかったという法律の不備もあ
ったが、首相と知事に一刻も早く住民を救おうという気概と実行力が欠けていた。国会
で初動の遅れを追及された村山首相は「なにぶん初めての経験で…」という迷答弁を残
した。東日本大震災直後、菅氏や東京電力が「想定外」という言い逃れを連発したのと、
驚くほど似ている。▼阪神大震災の反省から危機管理の重要性が叫ばれるようになった。
防災対策も大いに向上したはずだったが、3・11で幻想は崩れた。村山、菅の両元首
相には、「震災責任」をもっと感じてもらわないと、亡くなった人々が浮かばれない。
http://www.sankei.com/column/news/150117/clm1501170002-n1.html ヨガに嵌りすぎたんだよ内臓を外す運動とか言ってて引いたわ >>かかるとき かかる首相を いただきて かかる目に遭ふ 日本の不幸
これ的を射てて凄いわ、後世に語り継がれる作品だな。 文化人を気取る鶴太郎、ドラマでボソボソしゃべる鶴太郎が嫌い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています