八重山毎日新聞 不連続線

年が明け、初詣で多くの県民は、平成に続く戦争のない平和な暮らしの構築を願ったのではないだろうか。友人、知人らから頂いた年賀状にも共通の思いが込められていた

▼新年早々、注目されるのが2月24日に迫った名護市辺野古の米軍基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票である。
石垣市は市民の権利が奪われ、実施できないのか、中山市長の最終判断が問われている

▼県民投票について市長は「5億5千万円の県民の税金を使って法的拘束力もない。無駄な5億5千万円を使うくらいなら、県民投票をする必要はない」と実施そのものを批判している。

市長らしいと言えばそれまでだが、そもそも県民の権利を総じてお金で判断できるものなのだろうか

▼石垣市民の権利を守ってこそ市民の代表である議員であり、市政トップの市長のあるべき姿ではないか。
お金や意に沿わないなどの理由によってつぶされるようでは、故翁長雄志前知事に倣えば地方自治の堕落である

▼本紙の新春インタビューで市長は、新年の思いを漢字一文字で「新」と表現。
新しい時代へ何かが始まると宣言したが、それが決して平和を脅かす道であってはならないはずだ

▼市民の権利を守る県民投票への参加こそ中山市政、八重山新時代の幕開けにふさわしいと思うが、どうだろう。(鬚川修)

http://www.y-mainichi.co.jp/news/34762/