地表に窪み「竪穴住居跡」北海道で2万3千軒確認
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地表に窪くぼみとして残る先史時代の竪穴住居跡について、北海道教育委員会が2015年に始めた調査で、道内1335遺跡で約2万3000軒を確認したことがわかった。
道教委では、これらの竪穴群を「北海道・北東北の縄文遺跡群」に続く世界文化遺産候補とする想定で、21年度まで調査を続け、全容を把握する考えだ。
北海道は気候が寒冷なため、先史時代の竪穴住居跡が腐植土などで埋まり切らず、窪みとして今も地表に残っているケースが多い。
とくに、標津町の「標津遺跡群」と北見市の「常呂遺跡」は、それぞれ2000軒以上の竪穴群が残っており、国の史跡に指定されている。
道はこれらの竪穴群について、07年に世界文化遺産候補として文化庁に提案したことがある。同庁は「独特の考古学的遺跡だ」とは評価したが、普遍的価値の証明には課題があるとし、候補から漏れた。
これを受け、道教委は竪穴群の文化遺産としての価値を示すには、まず全体像の把握が不可欠と判断し、15年度から調査を開始した。
(以下略)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20190110-OYT1T50028.html 縄文ながすぎんよ…
いったい何万年縄文やってんよ… 北海道は縄文から弥生に移行せずに続縄文文化がずっと続いていたんだよな スレタイ見て2万3千円で竪穴住居を売り出したのかと思った [ ::━◎]ノ 横穴式→竪穴式で縦穴に住んだら水浸しになるやろwwて思てたわ. コロボックルの女性がアイヌの家にコッソリと贈り物をした時
家にいたアイヌの男は手を伸ばしコロボックルの女性の手を握った
これに激怒したコロボックル民族は「トカップチ!」と呪いの言葉を残して去って行った
トカップチの言葉は後に十勝に変わったとか
そしてコロボックル民族は妖精として語り継がれるが、酷い場合は妖怪にもなっている
果たしてアイヌの男は手を握っただけなのだろうか?それだけでコロボックルは激怒したのだろうか? 俺の親、団塊世代だけど樺太から帰還したときに北海道のど真ん中の森に住み始めたんだって
親(俺の祖父)は斧一本しか持っていなかったらしい
何もない森の中に住み始めるって、どういう思考だったんだろ 穴しか残ってないもんで竪穴式住居と聞いて思い浮かぶ
アレとはかけ離れたもんだろうというのが今時の説。
屋根を茅や藁で葺いてるとか殆ど空想。 >>17
寒さと熊の脅威で大変だったろうな
住み始めてまず最初に何をやったんだろうか 前から思ってたんだけども何で掘ったんだろうな
雨の時水入ってくるし利点無いんじゃねいの? 北海道で米作出来たのは明治頃だろ
年貢は昆布とか干したタラで納めてた
妄想だけど 地面を20pぐらい掘った上に住居作ると、年中一定の地温で暖かく快適とか聞いたな、表面は寒さ暑さで変動するらしいけど、どうなんだろう。 流石試される大地
今でもそんなスタイルの住居が分譲されるのか。羆とか怖いだろ。 【トヨ〜トヨ〜♪トヨトヨパー!】 モーニング宇宙ニュースの服部和枝さんが癌で急逝、まさかのMe Too
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1547088214/l50
高校で、教員同士のレイプ事件、発生!? アイヌがコロボックル追い出したのっていつなんだろうねえ >>10
弥生時代どころか平安〜鎌倉時代まで関東以東の庶民は竪穴式住居じゃなかったっけ 次は雨乞いに転職しよう。
何万年か後に、偉かったヤツと
伝えられるかもだし。 コロボックル民族は北海道から北方領土に移り住んだらしい
子孫は今もいるかも >>21
雨の時は知らんが
利点は土の温度が一定てのがあるらしい
夏涼しい冬暖かいタイプなんだとさ
昔の蔵みたいなもんだね 北海道で竪穴式とか寒すぎ
古代人はどれだけ寒さに強かったんだろ? >>33
第二次世界大戦のソ連侵攻のとき、
千島列島は民間人もみな軍に守られて引き揚げたから
それはない 腐葉土が積もらなくて剥き出しなのか
ということは年代推定も難しいのだろうな
先史時代っていうだけで、いつの頃なのか分からないんだろう 幕末や明治に北海道に国替えになった
藩士は絶望的だっただろうな
今では南極か北極圏に移住みたいな感じか? アイヌ人=縄文人
弥生人=朝鮮からの渡来人
だしなw 「文字がない」という意味での「先史時代」なら、江戸時代までほとんど先史時代だからな >>44
文字を持った和人が12、3世紀頃から蝦夷地に進出してるからそこからが歴史時代だろう
ちょうど大和と琉球の交流が始まったのと同じ時期だ >>43
いや違う。アイヌは縄文と全く関係ない。サラッと嘘ついて先住民化させようとするな。 >>46
アイヌが住み着く前に、既に神社があったしな。 カムイは神(カミ)の模倣。神道の影響を激しく受けている。 >>20
家を建てたらしい
大草原の小さな家レベルな感じ
>>45
わかるのかよw >>39
それモンゴルじゃね。モンゴルの居留民は日本軍に守られて退避に成功してる。
千島列島は戦後にソ連軍が進駐してきて住民を追放してるはず。もちろんアイヌもほかの少数民族も全員。 まあ日本史のタブーも徐々に薄れて来てるからな
そろそろ爆弾級の情報が来る予感はあったが
本命は北海道、と言う訳か・・フフフ
蝦夷、そして征夷大将軍として討伐すべき異民族、まつろわぬ民、しかしその実態は・・
おっとおしゃべりが過ぎたか >>49
お前はお前でちょっと違うぞ
アイヌ文化っていうのはもともと蝦夷地にいた縄文人が和人文化と接触した結果「成立」した文化
アイヌ文化はよそから来たわけではないし、もとからあったわけでもない
アイヌの「成立」は和人の進出と同時だとしか言いようがない この時期の北海道は
竪穴で火を絶やしたら死ぬイメージ
今もわりとそういうイメージ マイナス30℃のエスキモー達も竪穴式だしな
縄文式に比べれば物凄く小さいけどな
あれは少ない燃料で効率的に温度を維持する知恵なんだとよ >>60
そうそう。縄文時代は今よりもっと温暖な気候で、北海道も暮らしやすかった。
豊かな落葉広葉樹林からは栗などの木の実や野生動物もふんだんに採れたからね。
確か縄文人の九割が北海道や東北などの東日本に暮らしてたと言われている。
海水面も現在より高かったから内陸部まで海が入り込んでた。いわゆる縄文海進だね。 >>10
一番文化が進んでいた畿内ですら平安時代までは庶民は竪穴式住居 >>59
違う。縄文人とアイヌは別。関係ない。
アイヌたって六部族は居た。 断熱性のある家が作れないなら、穴掘ったほうが温かいんだろうな >>66
何言ってんの?
続縄文文化→擦文文化→アイヌ文化の順に発展してきたことなんか考古学の常識だぞ
土器で言うと縄文土器→須恵器に近い様式→自作を放棄して和人から輸入
食料で言うと雑穀耕作→雑穀+和人から輸入した米→完全に和人の米に依存
これを否定する資料なんか見たことないけど? >>17
団塊世代て戦後生まれじゃなかった?
団塊世代の親世代じゃね? 青森県で1万6千年前に作られた世界最古クラスの陶器が出土したが
青森県の発見から数ヶ月後に中国から1万8千年前に作られた陶器が出土したと発表された
なお、中国から出土した陶器は盗まれて今は無いそうだ 屯田兵と流人、食い詰め士族が来るまで縄文時代だったんだろ >>72
そうだよ
俺の親は戦後生まれの団塊世代
祖父たちが樺太から家族と共に帰還
帰還中、他の船が沈没したり飢えや寒さで亡くなった人もいたらしい
北海道に辿り着いてから祖父家族や他の家族たちが斧だけ支給されて森に住み始めた
なので俺の親はそのときまだ3歳くらいかな 竪穴式住居って雨対策どうしてたん?
あれが日本の茅葺き屋根住居の原型なんでそ? マジレスすると昭和45年位まで竪穴住居は一般的な住宅だった
新築の竪穴は安いし
電気も普及が遅かったから昭和50年代まで機関車が走っていた >>84
昭和で一般的だったとか土人過ぎるだろホラ吹き杉
両親とも結構田舎出身だったけど無いわ 昔ながらの茅葺き屋根住宅をトタンに葺き替えたやつは今でも田舎でたまに見かけるな
あれ、竪穴式住居の成れの果てだわな。 >>82
具体的にどこに入植したのさ
稚咲内とか引揚部落で有名だが 竪穴式は地面に掘った洞窟じゃねーぞw
家の壁と床が地下で、その上に木や草で組んだ屋根が乗ってる
家1軒を作る負担と時間を最小化するシステムだ
屋根まで地下に掘ると大変だし、壁や床を木や石組で作るとこれも大変 弥生時代までにムラが形成されていったのに平安末期(?)に惣村が生まれるまで家が点在してたのはなぜ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています