日本人ってよろいに首ぶら下げて白い刀振り回して戦地走り回ってるからモンゴル人から見たら恐怖だな
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馬庭の末に生首絶やすな切り懸けよ。此の門外通らん乞食・修行者めらは、益ある物ぞ、蟇目鏑にて、駆け立て追物射にせよ ヽ、 /ニニヽ /
ヽ_ / o o l /
\\. く u_'_ ゝ ,'
\\_/ '——‐' |_ l 真剣は切れ味がある分あつかいやすいし
,k´ \l ̄ ̄ ̄/::::::::l`ヽ、 i 素人から玄人まで幅広く使われている武士の基本武器
/| ↑、 /\_.ノ:::::::::::ヽ ヽ | 対して研無刀は見た目なんかは真剣とほとんど変わらねぇが
. / | /:::::::::\/ヽ:::::::::::::::::::', ! `、 | あえて斬れない様に鋭く研がない分
/ l/:::::::::::::::::::`ヽニ=::::::::::::::V i < 硬度と重量をかなり増加させて
. / /::::::::::::::::::::::::::::::\\:::::::::::::ヽ | | 斬るより破壊を目的とした
/ i:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\\:::::::::::i ! | 玄人好みのあつかいにくすぎる刀
/ |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\\:::l´ \ .| 使いこなせねぇとナマクラ刀より弱い
. / -、 |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ 刃—、-゙ | ただの鉄クズみてぇなもんだってのに
´/ Y:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`メ, ヽ、| 何であのガキは?
/ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| | ', 義経が朝鮮を瞬殺する光栄のジンギスカンゲームまた出ないかね 元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究)
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた >>10
残念ながら日本でもうんこを食ってた地域があったんだがな 高師直「首持つとスタミナこ切れて不利になるんで禁止します。別のチェック体制作ります」
足利尊氏「おま!天才かよ!!!」
高師直「いえいえ殿それほどでも 孕めぇ!(宮中の女に種付プレス)」 >>1
(玉音放送)ってなってるけど、(秋田)だろ、お前w >>8
ジンギスカンの日本は国土が異常に小さすぎて恐ろしく不利だよな、海という壁も機能しないし
あの国土の狭さから世界の上位になったのはやばすぎる 首ぶら下げないで替わりに生首の口に笹突っ込んでた人もいるんですよ! また日本人最強伝説に新たな1ページが追加されたのか >>14
最新の研究じゃなくてチョンモメンの妄想だろ >>30
人質逃げないように手の平に穴あけてロープで繋いでたからな モンゴル人「大将首とったぞ!首を晒して奴らの戦意を喪失させてやれ!」
鎌倉武士「首を取り戻すぞー!全軍突撃ィィィ!」
モンゴル人「!??!!?!?!?!?!!?」
モンゴル人「大損害出てるよマジで意味がわからない」 アンゴルモアのアニメこないだ観たけど
1話ごとに絶望感や無力感がひたひたと迫ってくる感じで
観ていて本当に辛かったなぁ 今年は忠臣蔵やらなかったな。あれ吉良上野介の首を槍にぶら下げて帰るんだろう?
あの首どこに持って行くのか分からんケド。 歴史の教科書に載ってる躍動感溢れる騎馬武者とモンゴル弓兵の絵がめっちゃ好き >>17
しかも新鮮な奴でなくて、肥溜めにためてアンモニウム発生する目がつんつんするやつだろうというw 俺の先祖が、前田利家に仕えた人物で、20年くらい前(俺が小学生の頃)に
父と祖父が蔵を整理したら、蔵から色々な物が出てきた。
紙に書かれた 【前田様が、いき(一揆)を生け捕りにし、ご成敗は釜に入れて炙られ候】
とか、
藁(わら)に包まれた人間の皮膚とか髪の毛が出てきたり凄かった。
昔は首実検とかしてたんだから凄いわw
俺なら気絶するw >>41
子供の時の教科書であの一部分だけ切り取って日本一方的にやられたと教えられ、大人になって全体では日本勝ってる絵だと知って自信取り戻した 鎌倉時代の日本人と今の日本人は最早別物だからな
鎌倉武士はまんまリアルサイヤ人 >>43
大和の乗組員と有名武士の子孫がよく現れる掲示板健在だな >>43
どこかで発掘された戦国時代の「瓦」の裏側に、こんな文章が刻まれていたそうだ。
「もし未来の人間が、この瓦を見つけたならば、このことを心に留めてほしい。
前田利家は滅茶苦茶残虐で、我々庶民を大量虐殺した極悪人だ、と」 モンゴル軍も対馬島民の首を船にぶら下げてたじゃん。 チョンばっかだから
ベビーメタルとか本気の歌手は世界へ行ってるし 日本人は元々首狩り族だからな。
晒し首とか首実検とか普通にやってだからな。 >>45
ほんの数十年前の日本人も似たようなもんやで >>44
自分がどれだけ功績を挙げたかを上に報告するための絵なんだからそりゃね >>55
首狩りは東南アジアから東アジア全域に見られる風習で中国の影響ではないよ。 モンゴル人も野蛮だったんだろ
ヨーロッパに侵略していったとき 頭に懐中電灯挿してゲートルにショットガンってどこから着想を得たスタイルなのか謎 >>25
島津は秦の始皇帝の秦氏の一族
島氏は三国志の司馬遷、司馬炎と同族。
斯摩、志摩、司馬は島と記す。 >>59
そこいら中でレイプしまくったしな
ロシアを含めた欧州の白人はかなりの確率でモンゴルの血が入ってるって聞いた >>59
モンゴル人のやり方は、逆らった国は住民も皆殺しやで。赤ん坊まで根絶やしにする
日本みたいに生易しくはない >>59
モンゴルでは最初の降伏勧告を受け入れないで敗北したら皆殺しが常識
>>58
ガリア人は敵の首を油に漬けておいて客が来たらそれを見せるのが歓迎の証という風習もあったし
世界全土にあるものだろ >>59
バトゥウルスとかムチャクチャやってるからな、キエフの虐殺とかワールシュタットの戦いとか
最近のドイツの教科書はワールシュタット(ドイツ語で死体の山)と呼ばずにリーグニッツ(ポーランド語でレグニッツァ)
の戦いと表記してるらしい、そもそもあの戦いってバトゥの本隊はハンガリー攻略中で別働隊だし
欧州側は神聖ローマ帝国軍・ポーランド軍・テンプル騎士団・聖ヨハネ騎士団・ドイツ騎士団の欧州オールスターで
ボロくそにやられてるからな、殺した白人の耳を切り取って集めたら「大きな袋9袋になった」とかいう記録がモンゴル側の
文献にも残ってる、ナポレオンやヒトラーも負けたロシアを征服したからな、しかも真冬にキエフ攻め落としてるキエフ側は冬が来て
安心してたらいきなり夜中に攻め込んでキエフの人口3分の1になったとか、モンゴル側は馬で攻めたいからドニエプル川の凍結まってただけで
サンクトペテルブルグよりウランバートルのほうが寒い、キエフ衰退させて当時村だったモスクワにルーシの拠点を移したのもモンゴル
クレムリンもモンゴル語のクレム(砦)からきている説が有力、バトゥウルスが立てたキプチャクハン国が後に欧州と中国でペストを流行させた
主因とも言われてる、日本はペストを免れたので元寇で開国せずに徹底抗戦したのは結果として正解だった。 >>46
菊水作戦の時に将来のある若い水兵は船から下ろしたので生き残りが多数居てもおかしくない 元寇の斥候が、瀬戸内海を進んで大坂辺りまで行ったらしいんだけど、詳細を知らない? ヨーロッパで伝統的なのが敵の首や四肢を槍先に突き刺して行進ってのな
何人のローマ皇帝がやられたやら
フランス革命でも王宮に乱入した民衆に惨殺されたスイス傭兵がやられてる 勝ち目のない戦で最期を悟った対馬だか壱岐の数百の侍が、
蒙古の数万の大軍めがけて微笑みながら突撃して来たのを見て、
あまりの不気味さに蒙古軍がチビッたらしいよね。 日本人は首が好きだからな。
今でも会社辞めさす時に首にするとかいうしな。英語だとFree!(自由)なのにな。他の国は解雇の表現どうなってんだろ? 元寇の時代から江戸時代まで残ってた大名って島津氏くらい?
モンゴルのひゃっはーと戦って家康の本陣に突撃退却してって凄いよな >>76
解雇はFireだろ・・・
敵の遺体を辱める事が多い海外より、首塚作って供養する日本の方がよっぽど文明的なんだが 青山繁晴は日本兵は首斬りなんてしない、「日本人がそんな野蛮な事しますか?」
ってテレビで言ってた。 >>70
今もシベリア高気圧で大寒波とか言ってるけど
その冷気の発生源はモンゴル高原だからな
日本の比じゃない寒さ >>82
戦国時代も攻城側がやったらしいね、中世ヨーロッパでもカタパルトで死体投げ込んでたとか
目的はご指摘の通り疫病流行らせるため >>78
大英帝国ともやってるからなw
そもそもあの時代日英戦争でも無謀なのに薩英戦争ってw
薩英という言葉だけで笑えてくる、活字で併記するような間柄とも思えない、薩摩恐るべし。 >>84
シベリアより厳しい気候だったんだwそりゃキエフなんてモンゴルにとっては暖冬だわな。 >>75
微笑んで仲間に手を振りながら特攻に出撃する民族だからな
日中戦争では中国軍が10倍くらいの兵力があっても、日本軍が鬨の声上げて突撃かますと中国軍は戦わないで一目散に逃げて行ったとさ >>70
「…開国せず」って別に日本は鎖国してた訳じゃないぞ
むしろ民間レベルの交流はかなり活発にやってた
その利益欲しさに日本侵略を企てたなんて説もあるくらい
政府レベルでは交流がなかっただけ 日本人は昔から武器が大好き
刀は凄いの作るし、鉄砲伝来では一億以上払って直ぐコピーしてしまった >>91
「娘好きにしていいんでネジの作り方教えてください!!」 >>90
すまない長文で面倒だった、モンゴルの通商を拒んで正解だったと書くのが面倒だったから
適当な2文字にしてしまった、それ以前も南宋やらとも貿易してたよね。 >>94
人員の交流は普通に有ったんだからペストまぬがれたのと関係なくね?と思った次第 >>14
二月騒動で裏切り者を一網打尽にして挙国一致体制を作ったのが大事だと思うの >>82
ジジイなんで経験あるんだけど、夏場のぼっとん便所はすごくて息止めてうんこしないととても耐えられないのがあったわ
苦しくなったら、仕方ないからちょっとだけ1/3くらい呼吸して耐える
1,2分でうんこ終わらないと耐えられないw
冬場は大丈夫なんだけどね アメリカGDP2020兆円 北朝鮮1.8兆円
そりゃトランプに「斬首作戦」とか言われたらシンガポール飛んでいきたくなるわなw >>95
当時の航海日数からいって日本に来る前に発病するから広まらない
西洋船が来る様になってからはあっという間だったからな >>100
じゃあ上記の文の中で、マジでペスト云々は関係なくね?
交流が盛んだったとしても航海日数的に広まらないんだったら >>95
ペストに関してだけど、もともとチベットだったかネパールだったかあの辺りの風土病説があって
大流行前にモンゴル帝国が成立して、関所と通行税を廃止して、モンゴル発行のパイザって通行証を持ってるだけで
モンゴル帝国内を自由に往来できてまさに現代でいうグローバル化時代に行きなりなって中国商人イスラム商人ヨーロッパ商人の
交流が活発化して最初のパンデミックとも言われてるんだよ、当時中国でも流行してる記録もあるだけに、日本がもしモンゴルと
通商をやっていたら、狭い国土だけに大流行した可能性があるから、怪我の功名で徹底抗戦して正解だったと思うというかそういう
レポートの受け売りなんだけどね。 >>39
事あるごとに姫が頬を赤らめて発情してるのに違和感 >>102
いやだから日元間でも民間レベルでの交流はあるんだってば >>90
中国大陸の王朝と日本が正式な取り決めを交わしたのは明治維新以降なんだっけ
あそことは基本的に関わらないほうが良い、って歴史が教えてくれるな >>105
交流はしてたのか、それはすまない
ペストの件でいま調べたらこんなのがでてきた、日本はラッキーだったのかもね。
14世紀の「黒死病」 wikiより
ペストは、1320年頃から1330年頃にかけては中国で大流行し、ヨーロッパへ上陸する前後には
マムルーク朝などイスラム世界でも猛威をふるっている。この病気が14世紀のヨーロッパ全体に
拡大したのは、モンゴル帝国によってユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが背景になっている。 >>106
日明貿易では普通に国交結んでる
同行した坊さんの日記とか見るとニンポーの港についてから大運河遡って朝廷に謁見してから帰ってる
暴行事件起こしてしまって謝りに行ったりもしてる >>74
忠臣蔵でも吉良の首を槍に付けて行進してたような >>106
逆じゃね?
中国とは政府レベルで貿易あったんじゃね?
琉球も中国とはべったりというか二重国籍みたいなもんだったし >>107
いや別にペスト流行の背景にモンゴルによる世界の一体化があったことは否定しないよ
ただ民間レベルの交流と政府間の交流とを分けて考えるべきだよと言いたかっただけ
そもそも国民の隅々に至るまで貿易統制するとか分権的な中世国家には厳しいと思われるし… >>108
それ日本国王足利義満と明朝との国交だろ >>111
モンゴルと通商した国は積荷にネズミが乗っていて、ネズミのノミを媒介してるから
時期がどんぴしゃだったら日本の民間の船にネズミが乗ったらやっぱり危ないでしょ。
多分俺がよんだレポート20年位前の本だし、中国の流行期と微妙なズレがあったり
流行も内陸部だったとか荒い部分あるからもう許して。m(__)m モンゴル帝国が英国や地中海を制圧して定着してたら黄色人種が一番偉いって風潮になったのに >>112
いや、上記であげた例は笑雲って言う人の日記なんだがこれは1450年くらいのもの
大名連合と幕府で船だして貿易がてら代表者数十名が北京まで謁見に行ってる
北京まで謁見に行っててそれでもなお国交がないと言うならもう何も言うことはないけど… >>113
20年くらい前って言うと既に村井章介が民間交流関係の本をバンバンだしてただろ >>116
中国が朝貢以外の関係を結ぶことを認めてないから
足利義満が朝廷無視して日本国王に封じられることで成り立つ関係 >>115
サムネだけでガンタンクだろと決め付けて申し訳ない >>118
こうなってくるとどこを重要視する説を取り上げるかの違いになるから、場末の議論じゃどうにもならんね
俺はあれは国交だと考えてる
ただそれだけ >>118
あと最近じゃ義満は日本国王号は朝廷に配慮して国内じゃあまり使わなかったって説が有力らしいから
朝廷を無視したってのは言い過ぎかもしれん >>121
後に江戸幕府が同様の方法で清との貿易求めた際に
我が国はその国の国王以外との交渉はしない(天皇が皇帝の臣下になる以外認めない)として拒否されてる >>122
江戸期はあんまり詳しくないんだが、本音と建前の文化は東アジア共通だと思う
まあでも江戸期は国交ないね、朝貢の体をとって北京まで謁見行くみたいな事も無いし
唐人屋敷で交流はしてるけど 遊牧騎馬民族の残虐性を知らないからそんな事が言える
過酷な痩せた土地で遊牧で生きる為には名誉もなにもない
殺すか殺されるかだけ 恐ろしい程シンプルな残虐性がそこにある >>89
日本軍の分析によれば中国軍1個師団の砲兵火力は日本軍1個大隊と同程度だった
だから日本軍は1個大隊で中国軍1個師団に対抗出来ると判断していた >>37
近代でも中国は日本人に同じような事をしてたけどな >>44
あの一部分を切り取って「モンゴルの火薬兵器に苦戦しました」って教えるのは誰得だったんだろうね >>130
あの教科書覚えてる
今で言うパヨクみたいな社会科教師がドヤ顔で「日本は呑気に自己紹介してる間にやられたんだねー」とか紹介してたわ
大人になってググって真実を知ったわ 歌番組が末期には毎日ベストテン番組がやってる飽和状態だったからな
さすがに飽きるだろ
今の韓国で猫も杓子もチキン屋やって飽和状態に達してバタバタ辞めて規模が縮小しているのに似てるわ あの強大で残虐なモンゴル兵を打ち破ったんだから
我が大和民族を誇りに思う!
鎌倉武士よ! 永遠に! >>133
後、イギリス軍と互角に戦った薩摩藩士と
ロシア軍を倒した明治陸海軍もね >>139
室町武士は対馬だけで朝鮮を撃退しただろ 全く逆だろw
モンゴル人は対馬で虐殺した日本人達の死体を?げて
軍船の飾りにして進軍してきたんだぞ
それを見て日本人が、国内ではありえないあまりの残酷さに
「蒙古い(むごい)」という言葉が出来てしまったほどなのに >>138
むしろモンゴル人の残酷さは人類史でも比類ないw
女子供まで虐殺しまくって街中が死体の腐臭で臭くなって嫌だから街ごと捨てた、
さあ次いこ次ーみたいな、いい加減な侵略だらけだしな >>142
蒙古=むごいではないぞ
蒙古高句麗(高麗=朝鮮半島)ムクリコクリ
ムクリコクリが短くなってムゴイだぞ 現在進行形で犬猫の首手に持って旨そうアル言ってるシナチクも大概だよな >>143
徹底抗戦出来たのは日本人とベトナム人だけか
調べたらベトナムは元に三度侵略され全て撃退したんだな >>146
日本も実は三度撃退している
元は凍結した間宮海峡をイヌゾリで渡って樺太に攻め込んだのだが、樺太アイヌの援軍要請を受けて北海道アイヌが元の撃退に参加した
元は北海道アイヌの拠点を攻撃しようとして奥尻島へ攻めてきたのだが、青森から援軍を送り込んで奥尻島沖で元軍を破った >>146
さすがベトナム。あの頃からジャングルだったのかな、元の連中は戸惑ったかもしれんな。 >>146
潮の満ち引き利用して誘い込んだ元軍の船を動けなくして囲んで殴るとかあの頃からジャングルでのゲリラ戦慣れすぎてて怖すぎる >>146
元は征服した現地人を前面に出して戦ってたから、ベトナムを攻めたのは宋人だな >>14
あんまり史実としては紹介されないけど
弘安の役で最終的に嵐で船がやられた元軍が立て籠もった(というか逃げこんだ)鷹島で、
十数万人ほぼ皆殺しという壮絶な掃蕩戦やってるんだよな
川が血で染まったとか、首で山が出来たとか壮絶な言い伝えがある
で、それを知って興味を持って鷹島にドライブ旅行に行ったら
「楽しいモンゴル村」みたいなテーマパークが有った
なんか違う… 勇猛果敢な鎌倉武士のルーツは、東北地方の先住民だった蝦夷と言う説があるね
大和朝廷の軍を数世紀にも渡って撃退した武勇に優れた民族だったから、
後に服従した蝦夷の戦士達を関東の豪族たちが用心棒として雇ったのが始まりっぽい >>15
残念ながら朝鮮人みたいに日常的に皆で食ってた訳じゃ無いんだな >>14
鎌倉武士団は間に合わなかったんやで
九州勢だけで撃退したから鎌倉は神風のせいにした まあ日本防衛!朝廷と幕府の為に!なんてのではない
武将たちは恩賞目当てに欲深さで頑張っただけだな
あと裏には朝廷vs幕府の駆け引きがある
元を手引きして外患誘致で幕府を苦しめたのは朝廷
朝廷は承久の乱で幕府に負けて以来70年以上煮え湯を飲まされてきたから反撃の機をうかがっていた
元と幕府を戦わせ弱体化させる算段はかなり上手く行ったな 何が問題なのかわからない
恩賞はどういう敵を何人殺したかで決まるから証言してくれる人がいないような場合は首を切り落として腰からぶら下げて走った
3つもぶら下げると重くて走れないそうだが
それで耳鼻を切り落とした数で褒美を決めた事もあったようだが殺さないで耳鼻だけ切り落とすインチキがあったそうな しゃーない殺るかw
みたいなノリはあるんだろうな、DNAに >>163
本質的に内面にそういう抑えきれない殺人衝動があるから
厳格な規律や武士道やらで体面たもってたのかもしれんな >>131
日本は「やあやあ我こそは〜」と呑気に名乗りをあげてるとこを攻撃された
火薬爆弾マジ凄かった
でも台風のおかげで元は帰っていった
こう教えられたよな?
中国に配慮した共産主義の洗脳だったんかな? 「夜に小舟で乗り込んできて大船の兵を皆殺しにされた、怖い」
「海に突き落としたのに鎧着たまま泳いでた、なにあれ」 モンゴルと戦って圧勝したのは北条家だけなんだよな
対外的にも外人と戦った武士は鎌倉武士だけ >>61
当時は写真もないし指紋もない。討ち取ったっていう動かぬ証拠がそれしか無かったんだよ >>14
9できっちり分別して始末してる辺りが流石だよなw >>162
耳や鼻だと相手の身分が分からないから評価が低くなる
ましてや非戦闘員殺して水増ししてばれたら打ち首もの 色んな国に占領されてる腰抜け小心者チョンとは大違い >>166
朝鮮の民のおかげも追加で
わざと手を抜いて船を造ってくれたと教えられた、感謝しろと。 >>14
鎌倉武士つええ
この頃のチョンは韓国刀ごと両断されてたんだよな
日本人で良かった >>160
一行目はそうかもしれんがテキトーぬかすなよ
対外戦争を一枚岩で戦わない結果が二次大戦なんだよ >>158
その九州勢ってのは東夷由来の薩摩隼人だろ
所謂防人 >>154
言い伝えなんか真面目に信じるなよw
大抵作り話で1の話を千倍万倍に誇張してるだけだぞ >>182
第一次世界大戦の海軍の特務艦隊地中海派遣、陸軍の独領青島攻略までは
国家戦略がシンプルで上手く行ったんだよな
この100年どこから歯車が狂ったんだ? >>183
佐賀には8世紀後半に防人が残した神奈川と同じ遺跡があるそうだな、関東からも九州に防人として人が徒歩で行ったとは凄いな Gemas Lihat Yupi & Shinta Naomi di JKT48 7th Anniversary
https://youtu.be/qk7Cwc9u6PI モンゴル人に捕まると生きたまま生皮剥がれる
ソースは村上春樹の小説 坂東武者って言葉があるぐらい昔の関東の武士って狂戦士だったんだよなぁ >>190
その関東武士(戦国時代)に
その文献のヒャッハーぶりで
マジで引かれてた鎌倉武士団
朝倉宗滴の
犬畜生と言われても武士は勝つのが本分だ
ってのは逆に武士階級にかなり倫理感が
あった反証とも取れる
普通群雄割拠の時代は倫理崩壊する
筈なんだか倫理文化が熟成する変な国日本 平野でのモンゴル騎兵本体以外は雑魚ってのが分かってたからな
欧州攻めたのはいいが少しデカイ都市の城なんか落とせてないぞ >>186
奈良だか京都が都だった時代に武蔵国(今の埼玉・東京・神奈川一部)を中心とした地域から抜擢されて国防に当たらせたらしい 元寇で日本に襲来したのは蒙古人ではなく蒙古に支配されていた漢民族や朝鮮民族
「なんでウリたちがこんなことしなきゃいけないニダ」「さっさと終わらせて帰りたいアルヨ」と士気はドン底
一方で日本側は武士団が一致団結して外敵を討ち払った
幸運でもなく当然の成り行きであってこれを奇跡だと崇めてしまったのが戦争の過ちにつながった >>196
対馬の惨状知らないのか
調子に乗ったのは日露での戦いからだ、知ったかもいい加減にしろ >>197
はいわかりました
なんて従う他人様がいると思うかバ〜〜カww
もう少し自分自身の影響力を考えてから書き込みをしろよ
お前の書いたことは何も正しくない、分かったら自殺しろよヴォケww >>200
自分の思い通りにならない他人様をすべてキチガイと言うのならお前にとって世の中はキチガイだらけだなw
それに本来の意味でのキチガイはお前だから、分かる? 分からないよね、キチガイだからww >>202
はいわかりました
なんて従う他人様がいると思うかバ〜〜カww
もう少し自分自身の影響力を考えてから書き込みをしろよw >>205
で?
それでどうなるの?
お前に何ができるの?お前ごときにww
それに教唆の意味をもっと勉強してから書き込めよバカw >>201
だったらお前の言うことも何の影響もないな 室町時代は武器(日本刀)輸出大国
禁輸されると海賊となって大暴れ
どこの蛮族だよ >>208
そうだけど、何?
別に俺はお前のように他人を従わせようとはしてないしw
自殺しろと言われても無視すれば済むけど、反応してるのはお前だからねw >>212
反論できなくて悔しいんだ
そして「可哀想」と言って逃げるとw >>213
スマホってww
何と戦ってんだよw 気持ち悪っww >>210
>従わせようとはしてないし
どこのレスが?
お前の自殺しろの方がよっぽど従わせようとしてるだろ
勿論お前のような雑魚の言うことなんて微塵も聞かないがな >>193
それ仕方なくね
略奪されまくったのは事実だし >>45
>>54
骨格から算出されるパワーやスタミナの平均値は、日本の歴史上で平安末期から鎌倉時代が最高値。江戸時代辺りが最低値らしいが、下手したら近年は更新の可能性もあるな
別に武士に限らずあの時代は強かったんよ。主に生活様式と栄養の差だな。江戸時代とかは農業もいくらか楽になった上に、肉や魚を食わなさすぎたんだろう ここはアダルトマンゴキウヨどもが日本人強いと思いこむスレやな >>182
当時鎌倉幕府が日本を一枚岩で統一統治していたなんてあり得ないね
実際朝廷との中は険悪で京都を武力制圧・脅迫してたし
鎌倉府府は奉公と恩賞の契約社会だった 武士は忠誠では無く損得で動いた
元寇を撃退したが元から賠償が獲れる訳でもない幕府が身を切るしか無かった
元寇撃退の後急速に権勢が衰えて滅亡してる
元寇の日本攻略の失敗原因は脆弱な補給計画だよ 日本側がどうであれあれは勝手に壊滅しただけだ >>225
で
朝廷がモンゴルと組んでたってソースは?
仲が悪かろうがさ
対外戦争で日本が消えるかもって時に馬鹿な真似するか
有り得ないってのはお前の想像でしかない >>160
すげー脳内妄想だな
幕府側が元とつるんでたとかならまだしも
何で朝廷が自分の国を売るんだよw
パヨ思想こじらせるとこうなるんだな 自力で倒せない政治的ライバルがいた時に外国勢力の介入を利用するのは歴史上の常だろ
このまま屈辱に耐えるか、それとも外国におもねって一発逆転を狙うか
誰しも自分の身が可愛い 国なんてそのついでだ
薩長だって江戸幕府を倒すためにイギリスに国を売った訳だし >>228
朝廷が売国はやらないが、鎌倉に対してマウント取りたいくらいの欲は大いに持ってるわな。
そもそも神風言い出したのは朝廷の側の記録だろ?国の一大事に「鎌倉の恩賞目当てに頑張った武士によって蒙古を撃退しました」なんて現実は、朝廷にとったらつまらない話だからな。当然のように事後に盛りに盛った事書くわ >>230
だからソース出せ
後薩長がイギリスに国を売ったなんてのは
まさにパヨクの陰謀論
なら何で日英同盟なんて「対等」の同盟を結んだんだ?
イギリスが
ロシアと戦わせる為と言いたいんだろうが、どっちにしろロシアの南下は防げなかっただろ >>231
別に幕府と朝廷が仲が悪いこと
朝廷が幕府にマウント取りたいって思惑を否定している訳じゃないよ
朝廷とモンゴルが組んで日本を潰そうとしてるとか
明らかにおかしいことに対して突っ込んでいるだけ >>231
神々の働きによる人智を超えた現象が起こって蒙古が撃退できたなんてのは
武士と同じく幕府に恩賞を請求する立場の寺社だよ
実際加持祈祷による恩賞を得ることに成功している
寺社は恩賞を争う立場だから八幡愚童訓などは当然武士の力では
蒙古を撃退できなかったものとして描いている
朝廷は別に関係ない 関幸彦『神風の武士像』(吉川弘文館)
・真夜中に箱崎宮から八幡大菩薩の使である白装束の者三千人が突如立ち現れ、おびただしい
矢を蒙古軍に放ったという。その光景は「身ノ毛モ竪テ怖シク」なるほどで、「波ノ中ヨリ猛火」が
あって、これがために蒙古軍は肝を潰し敗走したという(『八幡愚童訓』)。まさしく「神軍ノ威勢」だった。
同様の報告は各地から届けられた。紀伊国高野山金剛峯寺の鎮守丹生明神の場合もそうだった。
弘安合戦に際し、日本国の神々も蒙古に発向することになった。天野明神(丹生明神)は第一陣として
四月二十八日丑刻(午前二時)と決し、それにむけて不動火界呪を修して神の威光を増すべし、
そうすれば、六・七月中には本朝安全なるべし、との霊托の旨が報ぜられた(『紀伊興山寺文書』
正応六年三月二十八日「太政官牒」)。
・この異国との戦争で神慮なり神威なりが、いやがうえにも高められた。日本国中の神仏を総動員しての
異国撃退の祈願、それはあたかも武士達の警護番役に対応するかのようであった。春日・住吉・日吉・
祇園の各社が、各月を分担し異国降伏の祈祷をした。
神や仏も動員され、加持祈祷という世界で戦った。当然ながら、諸国でのこうした神々の
軍忠状に対し、武士と同様に恩賞の要求も激しかった。
・肥前国武雄社の場合もそうであった。(中略)文永合戦のときには神殿から発せられた鏑矢が賊船を射ぬき、
これがために敵は撤退したこと、弘安合戦では紫の幟が異国の船の方向に飛び去り、大風を起こしたこと、
などが述べられていた。こうした神の軍忠にもかかわらず行賞に漏れたことは、堪え難しとするものであった。
・異国合戦での神々の参陣は神の戦争を演出することで、神威を高めることにつながった。
すでにふれた弘安七年(一二八四)の神領興行令を含め、以後の三度にわたる神領の復興運動は、神の戦争と
その軍忠に対しての当然の恩賞だった。 >>195
>>223
超有名な週間少年ジャンプの連載マンガの一節なんだが あのタルタル人追い払ったんだから相当なもんよ
島立地最高やな >>199
1000kmもないからすぐです
いたる所が関所が有って、領国大名が頑張ってた戦国時代の距離感覚で考えると間違う >>134
当時は土地くらいしか恩賞はなかったからな。
戦国時代は壺などに価値を付けて代わりに恩賞にした。いい発明だw 秀吉の朝鮮出征のときの中国側の記録見る限り、めっちゃビビリまくってたらしいなwww
派手な鎧来て化物みたいな仮面つけて大将が目立つ格好してて
それみた雑兵共が戦意喪失しまくってたらしい
挙げ句に恐ろしい勢いで全員で奇声あげて突っ込んできてスパスパ斬り殺されるからやべーわこれってなってたらしい
戦も途中からは慣れてきたらしいが >>154
中学生の頃モンゴル村泊まったわ。
月が真っ赤で怖かった >>180
その頃のチョン(いまのチョンとは別種)は、知らん間に親分(中華)が倒されてモンゴル遊牧民がやってきて手下にされ
船作らされたうえに日本攻めるのにも突合され
逆らえばモンゴル人に殺され、従えば台風で死ぬか日本で鎌倉武者に殺されるとかいう詰みゲー中やぞ
>>148
どんなに攻めても密林籠もってゲリラ戦されたら一生勝てない
きちんとした戦略目標定めないと現代兵器を駆使したアメリカ軍ですらそれで事実上の敗北・撤退したからなw
元の時代じゃ無理、お得意の騎馬戦法もジャングルと泥沼まみれのベトナムじゃうまく機能しないしな
元的には当時の日本はバリバリの戦闘民族真っ最中だったのもツイてなかったよなw
少しでも平和・暇になったら親兄弟で殺し合い始めるくらいやべーやつらだったし >>237
なんでわざわざ欧州での呼称をwローマ法王インノケンティウス4世がカルピニを使者に送った時
タルタルの王よ心を入れ替えてカトリックに改宗しろ、みたいな事を国号も違う上にラテン語で親書送りつけたら
ラテン語とモンゴル語の2通の返書をグユクハーンが返したとかwモンゴルは既にラテン語に精通した者も家来に
していたらしい、俺はお前にモンゴルの神を押し付けるつもりもないのになんでお前の神をあがめなければならないのか?
汝を絶対滅ぼしてやるみたいな事が書いてあったとか、カルピニの回想録に世界中の馬を集めても
モンゴルより少ないと思うとか、モンゴル人同士めちゃくちゃ仲が良くて粗食に耐える人達と評してる、遠征向きだよねモンゴル人は 以前みたNHKのチンギスハーンの特集が、耶律阿海のテムジンの回想録みたいな感じのナレーションで
番組が進行してたんだけど、実在の回想録かわからないけど、チンギスハーンがサマルカンドを占領した時に
ここはどこなんだ?ハーンに従ってついてきてとんどもなく遠い所まできてしまった、早く故郷に帰りたいみたいに
テムジンに対してドン引きしてる阿海のナレーションが面白かった >>225
こういうソース抜きでまるで見てきたかの如くレスする奴は総じて嘘八百ばかりが よろいに首ぶら下げるって何、自分の首? デュラハン? 日本人と違って中国人には人肉は二足羊とに現地調達の食用
城が落ちると洗城といって金目のものは略奪、人間は食糧
目を潰して抵抗できない奴隷にするとかいろんなバリエーションが >>76
Your “Fire” じゃなかったっけ? >>196
朝鮮人ノリノリでしょ!
出兵唆してたじゃんよ 討ち取った証として敵の大将のクビなら持っていくけど
そこらの雑兵なら耳や鼻を削いで持ってたんだけどな
文禄慶長の役で朝鮮兵の耳や鼻を削いだ話は聞くけど
国内(日本人同士)ではあまり例がないよな スレタイと>>1が全然違っててみんなスレタイの話しかしない・・・
なんという5チャンネルクオリティ >>242
明は倭冦対策でなれてなかったのか?
少なくとも前期は日本人主体だろ? 元の兵站計画が脆弱だったって、捕まえた日本人食うつもりだったろ... >>209
我々、大和民族は周囲を海に囲まれて暮らす民族だから
元来、海賊の素質がある
室町時代、倭寇が東アジア一帯を恐怖のどん底に陥れたなw
家康の臆病者が海外進出禁止令を発布してなけりゃ〜
今頃、タイ、ベトナム、フィリピン、中国沿岸部、朝鮮は広く日本語が通じる
日本語圏になっていただろうよ >>245
当時の日本人の獰猛さについては元寇の前に
日本に来た元の使者が調べて報告してるから
元も日本人が大人しいとか気弱だとは思ってなかったはず
ちなみにその使者は元寇反対だった
理由は他にも山や川が多いとかメリット内とか海の風が不定期とか色々あるけど >>154
一応、南宋人は助命されたらしい
人数は知らないけど
>>196
『蒙古人だけ』ではないけど、蒙古人もいたよ
将軍も兵士も多国籍 >>265
モンゴル人、女真族、朝鮮人、漢人、南宋人の部隊だよな。 これな
おーぷんのスレからだけど
1 名無しさん@おーぷん ▼ 2018/10/06(土)22:05:20 ID:Y4y [1回目]
一年ほど日本に居た第五回&第六回使節の趙良弼さんの報告より
・獰猛で殺を嗜む
・親孝行を知らない
・上下の礼も知らない
・土地は山水が多くて耕作に利がない
・日本人を得ても役に立たない
・日本の土地を得ても富まない
・舟で海を渡るのも風は不定期で、損害を測ることもできない。
・日本征服なんて有用な民力で底なしの巨大の谷を埋めるようなもの
・結論、(元寇)反対
ここまで言われてなんで攻めてきたんや… モンゴル帝国が世界の半分を支配できたのは騎馬の機動力あってこそだったので
馬なしのモンゴル兵が日本に渡って来たところで何の脅威でもなかった >>160
負けたら朝廷だって危ういのにそれはないだろう
そもそも、元寇の前の頃の院(当時は院政)は
幕府に息子を鎌倉将軍として送ったこともあったり(色々あって送り帰された)、
承久の乱には関与していない皇子の子孫から選ばれたりで、
(流罪になったのは本人の申し出で幕府も後鳥羽上皇とかとは違う対応してた)
当時の朝廷と幕府の仲はそこまで険悪じゃないよ
承久の乱の時や、後醍醐天皇の頃とは事情が違う >>268 遠征してきたのはモンゴル軍じゃなくてモンゴルに降伏した諸地方の軍隊 >>271
上にも書いたけど、モンゴル軍『だけ』じゃないけど、モンゴル軍もいるよ 以前NHKでワールシュタットの戦いのさらっと10分程で紹介してたけど、蒙古騎兵とか実写(モンゴル人?)で
蒙古騎兵が弓射掛けて逃げるを繰り返して、追撃したら1〜1.5m位の草が生えてる場所に蒙古騎兵が馬の両目に
手を当てて馬を寝かせて蒙古騎兵が草むらに潜んでて、正面に少数(でもそいつらはラメラーアーマー来た重装騎兵)の騎兵が
陣形組んでて、軽騎兵の伏兵に気づかずに追撃してきた欧州軍が少数のモンゴル軍に責めかかった瞬間
伏兵の騎兵が弓射掛けたり騎士に投げ縄引っ掛けてから馬に乗って引きずり倒したりとかやりたい放題やってたわ
蒙古馬って木曽駒みたいな小さい馬らしいけど、騎兵で伏兵やるモンゴル兵と大陸の平原でやりあったら武士でも危なかったかもね >>268
>>269
南宋との戦いは攻城戦と船の戦中心で進めなければならないので馬関係なく滅ぼされてる
というか中華王朝となった大元ウルスは徒歩化が進んでいたので騎兵にそこまで依存してない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています