第二次世界大戦後の日本の領土の問題では、カイロ宣言他で打ち出された領土不拡大の
原則がある。

それに沿って考えると、サンフランシスコ平和条約で、日本が放棄すべきであるとされた領土は、
日清戦争(1894)〜太平洋戦争終結(1945)までの半世紀間に、日本が戦争で獲得した領土。

その中に、なぜか戦争で獲得したのではない千島列島が入ってしまった。
千島列島は樺太千島交換条約(1875)では、全島が日本領。
日露和親条約では、択捉島以南の千島が日本領。

領土不拡大原則に沿ってサンフランシスコ条約を読むと、日露和親条約で日本領と
された択捉までの島(南千島)を除く千島列島だけを放棄したとしか、合理的な解釈は成り立た
ないことになる。

南千島は千島列島に入らないということだけでなく、日露和親条約+領土不拡大原則の
組み合わせから、南千島はサンフランシスコ条約の放棄領土からはずれるということだろう。

そもそもサンフランシスコ条約で、千島を放棄するという条文が入っていること自体が
不拡大原則に照らせば、不可解。
作った人たちが歴史的に無知だったのか、ソ連の横槍があったのか。
しかしそのソ連自身が、条約に調印していない。
ソ連としては、この条約に従えば、戦後処理の原則を破らないかぎり、ソ連領には
ならないことがわかっていたからだろう。