中国の歴史の本って2200年位前のが緻密に書いてて時代若くなればなるほどだらしなくなるよな
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そりゃ俺が一生懸命当事者にインタビューしたからな
呂布とかいきなり斬りかかってくるから死ぬかと思った 教科書の話か?
歴史書なら別にだらしなくなってないと思うぞ 中国の歴史なんて三国志から始まって全て妄想だろ
今の泥棒中国人を見てみろよ、あいつらにその当時武器になり得るハガネなんて作れる筈もないだろう
何が一騎当千だよ、中国鋼なんて聞いた事もないわ >>16
お前の主張はいくらでもしろ
俺の書き込みと関係の無い話ならレスつけんな泥棒 晋で終了
五胡十六国からは異民族侵入ガイジ君主オンパレード それよりも手書きなのに活字みたいな字をビッシリ書いてあることにビビる 日本だって昔の方がしゃんとしてただろ
特攻隊の手紙とか20以下とは思えんくらい文章がしっかりしてるし字も綺麗だし >>25
石勒優秀だぞ。
奴隷から皇帝になったんだぞ。 文革で全部壊しちゃって、今の中共が持ってるものって、全部日本からのもらい物なんじゃ… 征服王朝も中国史の一部ってのはなかなか日本人には理解しがたい 人類史上初めてやる事ってのは「うおお!たのしー!」っと熱中して入れ込むもんだ
過去に既にやられてる物や皆がやってる事ってのはついつい面倒くさく感じ、俺がやらなくてもいいだろ?ってなる
子育ても最初の一人は頑張るけど2番目以降はだんだんテキトーになる
そんなもんだ 民族が入れ替わってるから
古代中国の良さを引き継いでるのは日本 >>14
字はかっこいいけど意味は水の畔の物語だぜ >>15
いや、その前からだけど
春秋戦国時代は紀元前だよ >>15
鋼なら大躍進で何万トンも作ってるだろ
なお品質 >>2
日本は2680年の歴史があるのに対して中国は60年くらいの歴史しかないんだっけ? 数字に関してはすべて1/10以下のスケールだと考えとけばいい >>39
正確には「歴史の流れはあるけど統治者の出身国が変わるたびに歴史と国を跡形もなく滅ぼしてきた」かな
商→周の易姓革命からずっとその繰り返し >>39
アホか。為政者が変わる度に国民も総入れ替えになるのか?
少なくとも、夏から続く文明があったで良いじゃないか それじゃダメなのか? だよな
民族大移動で入れ替わってるならまだしも
〇〇の子孫もちゃんと現在のこってるんだし
その系譜が本物かどうかは別として >>41
衛と宗に遺民集めたし紂王の親族を君主にもしたったやんけ 中国に限らず、東洋文明は記録に対する執着が薄いんだよなあ
近代以降西洋に圧倒されてしまったのは
この差がでかすぎたからだ >>44
中国の歴史は遊牧民が北部に進出して南下して全国統一、
このパターンを延々と繰り返してる。
先住民は大半が新しい遊牧民に吸収されて消滅してる。
孔子の子孫とか名乗ってる奴いるけどぶっちゃけ家系図を偽造してるよ。 安能務版の封神演義読んでると、歴史を記録し始める前の中国人の想像力はすごいなあと思う >>41
>>45の言う通り商の遺民を衛や宋に封じて商の祭祀を継がせてるよ
商の典礼等は楚や呉越にも引き継がれてる、呉の季札などの賢人や楚の官職名等いろいろ
秦の20等級や郡県制度など様々なものは漢が引き継いでるし、王莽の新が否定した前漢のものは後漢に引き継がれてるなど引き継がれてるものは多い
前王朝や国の祭祀については時代を遡るほど遺民や後嗣に継がせるようにしてる 中国のおかしなところって、
歴史は繰り返すから記録をすると後で役立つと考えたのはいいけど、
人為的に悪い結果になったことまで繰り返すから
文明は進化しても民族としての進歩が無かったんだよね 毎回分裂するけど、いつのまにか以前のサイズに収まる不思議 滅ぼさずに社稷を守らせるのが本来の伝統だ
怨霊思想だ
相手を完全に滅ぼすと自分達も滅ぶ
これは源頼朝も豊臣秀吉にも起こったことだ 異民族に負けて征服されてしまう黒歴史ばかりだし
それでも台湾には紫禁城から避難させた満州語で書かれた
清の皇帝が集めた資料が大量に残っているんじゃないか 中国って4000年前から武術が盛んじゃなかったのか?列海王は嘘つきなん? 蒙古にやられて、更にその後にエベンキ朝鮮人を大量流入させたあたりから
中国の劣化が激しくなったんだろうな >>53
天下って概念がつよいのだろうな。
なんとなくユーラシア東部の平原地帯は一人の皇帝が治めないといけないっていう謎の価値観のせいで、
ユーラシア東部の全部の国を亡ぼすまで戦争しなきゃって使命感が生まれる。 客観的に中国中華ってどうみても南朝までだからな。
中華的連続性、伝統性は南朝まであるけど以降は駄目。
所詮隋とうは北朝の鮮卑朝
宋はただの権力乗っ取り政権
明はカルト教団の出身者政権
清は正しい政権だが遊牧ーオルドス縁石貴族朝
中国貴族ってのは
周部族首長
漢系ー南朝まで
鮮卑
オルドス朝
以外に貴族的な系譜、系統ないからな >>58
その遠因は遊牧の糞が平等的な体制ぶっ壊したのが理由
遊牧北朝がクズすぎた
で最後は遊牧貴族以外そんざいしなくなって清朝が生まれるの
で袁世凱チンパンが死んだら、レイプ国民党が乱を起こして日本軍が処刑したが
日本軍は米軍に負けたので共産党支援して勝たせたのが事実 >>53
少しちがう
何故か異民族の居住地まで肥大化する
が正しい
だからあの暗黒大陸に日本が覇を唱えたら
数百年ないし数千年後には確実に
ヤマト民族自治州列島になってる
だからあの大陸は権益以外は関わらない だって、隋から清までずっと北方民族に支配されてたんだもんw というか時代が下ると官僚の履歴書みたいになって読み物として詰まらない
宋以降になると正史以外の史料もアホ程増えるしな >>12
趙翼さんとか
宮崎市定なんかは正史全部読んだと聞いた >>49
総人口100万程度の遊牧民が1億の漢族を吸収消滅できるわけないだろ
逆だ
支配者になった異民族が言語も風俗も漢化されて民族のアイデンティティを失って
漢族に吸収されるの繰り返し
モンゴルが例外。満州族は辮髪強制で頑張ったけど三代目でもう中国語使うようになってる >>59
良く言われる朝鮮は通り道って
実際は日本が求めたのは南朝の漢文明だから
東シナ海特攻ルートで交流して朝鮮は通り道にもなってないんだよな 帝を倒すことに成功したらそれは天命を受け
新しく中国人となった正統な帝なんです
いや中国に侵攻しようと思った時点で
中国人なのかもしれない >>66
圧倒的多数の農民支配するのに漢族の官僚使わないといけないし
既存の法制度もそのまま運用しないといけない
漢族の女をハーレムに連れ込むせいで生まれてきた子供は
後宮で漢族の母親と漢族の宦官に育てられるから中国語しか話せないんで
二代目三代目の皇帝は漢族の官僚と親しんで直ぐに漢族化してしまう すごい素朴な疑問なんだけど、南蛮の王の孟獲ってゲームや漫画とかで変な感じで描かれてるけど、現代ではどの辺の地域の人になるの? >>70
局地的に見れば少数の支配民族が被支配民族の漢族に大きな影響を与えた例もあるよ
元代に雲南省を治めたペルシャ系のサイイド・アジャッルは誰もが認める善政を敷いたから住民が続々とイスラムに帰依した
今も雲南省の沙甸一帯は回族だらけで、文革時代には共産党と宗教勢力の衝突まで起きた 日本も日本書紀では野見宿禰が古代相撲で相手蹴り殺すとか濃厚な描写してたけど
今の時代のバトルシーンなんてキンキンキンキンキンキン!だぞ >>71
あの辺はタイ系の民族だったと考えられてる
タイ語族も雲南あたりが発祥で、そこから長江下流にまで広がっていったらしい
今でも湖南省や広東広西にいろんなタイ系民族が残ってる
この民族がタイに渡ったのはせいぜい12世紀ごろの話だ 安禄山はロクサーヌとかいうトルコ系だったってなんかで読んだけどマジ? >>75
詳しい解説サンクス!
三国志を最近になって少しずつ興味持ち始めた人なので、勉強になります。 インドも復興した古い建物とタージマハルみたいなあたらしめのインド建築ではかなり違ったりするんだよな
やっぱ古い奴はチベットやネパールに似た感じがある >>80
そんなわけないやん
根拠もない戯言信じるなよ
とはいえ12億にまで膨れ上がったのは最近の話で、日中戦争期で6億ぐらいだったと思う
昔の方が民族総入れ替えのチャンスが大きかったのは確かだけど 陳寿が書いた古国史読みたかったな
倭についての記述もあったかもな 後の時代で都合のいいように書き直すからな。
勝てばいいように書き直し、負ければいいように書直される。
辻褄合わせなのはしょうがないんだろ。 >>77
ソグド人じゃなかったか
当時の唐にはソグド人が沢山住んでいた >>65
漢の最盛期が5000万じゃろ?
三国志の時代の後、
晋の人口が1000万くらいじゃろ?
100万人くらいの異民族が5部族も来て華北を占領して居座ったのだから、人種代わってるんじゃね? >>88
100万人の部族が5族も侵入したのっていつの時代?
そのころの中華の人口はどれぐらいだったんだろう
あと一般論として、そこまで大きい民族集団になるとわざわざ他民族と通婚する必要がなくなるから却って混血しにくいよ
台湾に入植した漢人なんかも原住民の嫁を取ったのは初期のうちだけで、入植者が増えるにつれて漢族同士でしか結婚しなくなってる 人種は確実に入れ替わってると思う
が、それは中国に限らず、ローマやギリシャ、中央アジア一帯でもそう
だから、入れ替わってるからなんだって感じではある 日本人って唐ぐらいまでしか認めないのに、明以降の中華料理は認めてるのはなぜだ?
日本の改造中華料理も調理法やレシピの土台は明以降の料理だ >>91
混ざってるんだろ
入れ替わるってなんだよ 区切りもないし。 >>92
唐以降の支那王朝も日本に大きな影響与えてるだろ
鎌倉幕府の日明貿易とか
鎌倉新仏教は基本明の仏教思想が土台になってる >>95遣隋使を廃止してからは影響受けてないとか、
日本の中華料理は古代中国のアレンジで清は関係ないとかいうレスをたまに見かける だが、
日本のお陰で、史書も半分残ってるようなものだしw >>96
とんでもない間違いだな
鎖国で有名な江戸時代でさえ出島と琉球を通じて明清と交易してる
行灯(あんどん)とか外郎(ういろう)みたいな唐宋音で読む単語はこの時期に入ってきたものだよ
料理には詳しくないけど黄檗宗の精進料理とか長崎の卓袱(しっぽく)料理は江戸期に伝わったものだ 王朝も人も移り変わっていくのに、なぜか一つの文化を継承し続けていく不思議な国 >>95
沖縄県には申し訳ない話題だけど、明帝国の文化の受け入れ方が、大和は東アジアの中でも独特なんだよね。
かなり厳しいスクリーニングがされている。結論からいうと、儒教的宗族の普及を完全遮断した。
多分、仏僧の活躍だと思う。道教風味の葬式は導入しても、儒教的宗族は断固拒否した。
沖縄はこの点東アジア標準なんだよなあ。明清の文化にどっぷり浸かってる。
男系の門中でまとまり、バカでかい墓を作って、ほぼ儒教のむき出しの祖先崇拝を行う。 先進国だったのは唐だったんだろうけど、自分は清のセンスが好きだからどうも邪険に出来ない
江戸後期〜明治期のそれの影響を受けたメロディとか好みだわ 中国史スレもいいがワンボーロンで立てるなよ
ワンボーロンも面白いニュースだろ >>101
別に申し訳なくないだろ
琉球が明清の影響を受けたのは事実だしそれは何も恥ずかしいことではない
でも沖縄の墓はみんなが思ってるより複雑で面白いんだよ
見た目は完全に福建省の亀甲墓だけど、中身は日本式の〇〇家先祖代々の墓なんだ
中国の墓は個人か夫婦単位で、一族が同じ墓に入ることは無い
ちなみに琉球で儒教思想のもとに建てられた学校の明倫堂は日本にも伝わって普及してるんだよ
日本が儒教を遮断してたとは言えないはず
朱子学は江戸武士の一般教養だったし ファーストネームのことをイミナとかいって言いたがらないから
ごく一握りの人以外後世に名が残らないアホな国 結局北方民族が壊してったからな
そこら辺は中世の西ヨーロッパとヴァイキングの攻防に似てる
違うのはキリスト教を受容して12世紀ごろまでにはある意味まとまったヨーロッパと
中国は19世紀までそれが続いたってこと >>106インドなんかも似てるけど滅茶苦茶時機が早いな
紀元前とかでもはや古代の出来事 >>104
決定的なのは、「男系宗族の存否」と、「祖先祭祀への仏僧の全面介入の可否」だよ。
この2点で、大和は東アジアの中でもかなり特殊。そして沖縄は完全に中華寄り。
この問題、死生観の根本と社会構造の根幹に関わる重大な話なので、
沖縄は大和とはかなり違うということになる。 史記と漢書を書いた人の名前は試験にでてもその後のは出ないからな
てか、正史の編纂が制度化される前でこいつら勝手に書いてたからな >>108
確かに日本の家制度は琉球には無かったね。琉球は門中制度だ
でもそれそんなに重要かな?日本だって御成敗式目以降は直系男子が家督相続するんだから社会構造はそんなに変わらないような
死生観でいうなら琉球の信仰の下地は鎌倉新仏教と古神道に近い御嶽信仰で、信仰の面では支那の影響は少ないよ
琉球文化って根本は日本のそれで、中華的な要素は後から加わっただけだ >>106
地政学的には、中国は亜大陸でヨーロッパは半島なんだけど、
「ヨーロッパ半島」は東西縦深が深すぎて、侵略者が西端まで抜けないんだよね。
ところが、中国は侵略者が簡単に北京から広東まで抜いてしまう。
南北移動で、南半分はわりと険しい山岳地帯と、北方民族には不快かつ不健康な蒸し暑い湿地帯ばかりなのに、
なぜ何度も簡単に抜かれてしまうのか、そのほうが不思議。 >>111
兵力をぶつける事が難しくなるからじゃね?
戦略的に田畑とか水源とか農村とか守る範囲が広すぎるから王の防御が薄くなる(´・ω・`) 焚書や文革で真実味のある歴史書の類は消えてるからな >>80
戦争で植民地支配して、支配力が弱まったらまた別の国に植民地支配されて
ということが繰り返されているイメージ 孟子とかそんな偉人と今の中国人が結びつかない
遺伝子学でも言われているように、長城を越えてきた野蛮人に置き換わったのだろう
中国人は改変された歴史を習っているのだろうが、「もしかして俺たちが野蛮人の子孫?」という疑問が浮かばないのだろうか 中原から楚人が周人に追いやられ
周人は周から下放された秦の祖の末裔秦人に敗れ
三者が徐々に一体化したが
晉末に外敵の侵入をゆるす
こんな感じっすかね? >>95
鎌倉時代は宋だな
江戸幕府の八州廻の役職は明の総督順撫を参考にしてるし
市井の庶民の娘を大奥に上げるのも外戚の影響を排除するための明の後宮制度が元になってる
武家諸法度を制定するときに明律を参考にしたけどこの時に明の書物が大量に入ってきて
落語や大岡政談の元ネタになったりもしてる
>>101
只、位牌は儒教の要素だって加地伸行の本に書いてた 王朝が代わる度に知識層が殺されたり亡命したりするから
今の中国人は残りカス >>119
明と交易してたのは室町幕府だな
なんか基本的な間違いしてた
どっちにしても唐以降の支那王朝とも交流が続いてて影響を受け続けたのは間違いないね
江戸時代の南総里見八犬伝は中国の伝説が元ネタだったはず
もっというと江戸期は一般庶民でさえ水滸伝とか三国志とかを読んでたみたいだね >>110
宗族の有無は決定的だよ。厳格な男系の「生物学的血統」で一族がまとまるかどうか?という問題。
大和は、宗族が「イエ制度」の形で、血統から家業にピントをずらされ、
「祖先への崇拝」が「先祖霊への供養」に宗教的にすり替えられている。
そして、ピントを外された残り部分が、「ムラへの地縁結合」という形で神社神道(氏神儀礼)によってまとめられている。
「氏」神という言葉だけ残っているが、血縁としての意味は大和では完全に消えた。
本土の人は意外に思うのだが、沖縄は、那覇都市圏なんかだと地域単位の祭礼がほとんど残っていない。
これは伝統儀礼が血族で完結するからで、
東京23区の住宅地で普通に行われるような、新住民も力を合わせておみこし担いでわっしょいというような
氏神の祭礼を行う余地が、「世間」として残っていない。 中国の歴史書は誰それがこんな歌を歌ったとか誰と誰かがこんな密談してたとか訳のわからんことだけ細かく書いていて
肝心なところがボヤかされてたりするからな なんか沖縄と本土は違うといってる人がいるけど
本題ともずれてるし
そもそも真意は何よ?離間工作?
だとしたら誰も聞く気にならないから失敗だね >>121
同じ沖縄県で言うのもなんだが、あんた教養あるな
すごい 素直にすごいなとは思うけどな
中国の文明がなけりゃ日本の発展もなかった訳だし 夏より前の王朝にロマンを感じる
それらしい遺跡はよ そもそも中国の歴史って中国の歴史として認識していいの?
その土地の歴史でしかなくね? 匈奴とか鮮卑とかの万里の長城の向こうにあった国の方が興味ある >>127
遼河文明とか三皇五帝のどれかに当たりそうでワクワクする
>>128
縄文弥生や天孫降臨以前の日本本土がOKなら
あちらもありでいいと思っちゃう
中国は中国で結構古代の血も残ってるし 何の知識も無く、いつも他人様におうかがいスレを立てる女みたいな池沼>>1(笑)
コイツ何かと被ってると思ったら、糞ダサい菅野とダブるわー
チョソ犯罪者集団に便所盗撮サイト乱立依頼して飛ばされた某荒木先生(笑)は目立ちたがり前川とダブるし、パヨちんや在チョソは画一的でキモいと言う特徴以外無いな
チョソ犯罪者集団に便所盗撮サイト乱立依頼して飛ばされた某荒木先生(笑)はやっぱ、在チョソ達からゆすられてんのか?
ガチで便所盗撮サイト乱立してるシナチ●ン犯罪者のスレタテ
by 宅/\朗←カネに困ってる奴ら注目 ID:3A3iPxqf0 は、何してる人なの?教えて! >>130
チンギスハンがレイプしまくって血はほとんどない 中途半端に古いと加筆し放題だからじゃない?
聖書みたいなもんよ >>122
ごめん祖先崇拝と先祖霊供養の違いがあんまり分からん
面白い話なんだけどイマイチ理解できない
那覇の地域単位のお祭りはむしろ多い方だよ
秋の那覇祭りの旗頭ガーエーは各地域を代表する旗を掲げて練り歩く、祇園祭やだんじり祭りみたいな行事だ
しかも地域区分は王朝時代から変わってない
エイサーも盆踊りと同じ由来で、各地域の青年会主体でやってる
でこれに加えて中華由来のハーリーなんかもある
内地の人が沖縄に来ると地域の活動が活発で驚くよ
内地目線で見ると清明節みたいな日本とは違う祭祀が目につくけど、冷静に眺めるとやはり日本と変わらない要素が大元だ >>122
あと中華文化でも道教のお寺のお祭りを地域単位でやってるんだから、宗族を重視すると地域の祭礼が無くなるっていうのは違うと思う そもそもわざわざ専門的なスレに来て義務教育受けてるかも怪しい認識で色々主張する方がおかしいんだけどな >>132
俺?俺はただ大学院で中国を研究してただけだよ
しかも政治が専門だから歴史と文化は趣味の範囲だw >>113
要するに邪馬台国なんてデタラメってことだな >>136
なかなか説明は難しいんだけど、デフォルメをかければ、基本はこんな感じだと思う。
・遺族が、故人の霊を哀れんで救おうと思うのが先祖供養
・遺族が、故人の霊にひれ伏して拝むのが祖先崇拝
意外なんだけど、少なくとも大和の仏教徒は、別に抽象的な祖先霊にひれ伏しているわけじゃない。
施餓鬼の宗教観念はずいぶん薄れたけど、それでも具体的な故人がイメージされる点は変わらない。
「あの世に行った具体的な故人」に、仏前や墓前で思いを馳せている。
だから、大和の年忌は基本的に死後34年(三十三回忌)で終わる。
これは、34年も経つと、普通の場合、故人の生前をよく知る遺族がいなくなってくるから。
「偲べなくなったら終わり」この意味で生者優先。
ただ、沖縄がどうかはわからない。
というのは、沖縄の祖先崇拝にどれだけ(儒教ではなく)道教が関わっているか俺はよくわからないから。
具体的な故人の「個別の行く末」にフォーカスを当てるのは、
儒教とはまったく異なるが、道教では普通に行われる。
道教を排斥した朝鮮では死者儀礼はすべて世俗でやるが、中華では葬儀や年忌に道士が呼ばれるのはこのため。
というか、東アジア仏教そのものが道教と混淆している。この点は全く否定しない。 中国の昔の戦争が多かった時期は人口めちゃんこ減ってるから入れ替わってるって言ってもいいと思う。 >>9
晋の董弧の筆(趙盾 君を弑する、と書いた)も崔杼弑君と共に文天祥の正気の歌に載ってるね。 >>10
呂布は臧洪と一緒に伝を建てられる小物に過ぎない >>12
全訳が出ててしかも文庫化されてるのは春秋左氏伝、史記、漢書、三国志くらい。一八史略はアンチョコ本でラストが酷い小説になってるので、評価しない。 >>84
詩経やら春秋やら漢書やらに諸夏や中国と記載されてるのはどう解釈してるのかね? 日本は天皇制が維持されているので
文化は一貫して積み上げられているが
中国や韓国はアホなので、王朝が変わる度に
それまでの文化を全否定して破壊し尽くし
また一から馬鹿みたいにやり直している
「同じところをグルグル芸」の悲しい歴史 黄帝の子孫を名乗り九鼎持ってるのが
正統な天子だろ
周王朝までで、中国は終わり
皇帝名乗った支那からは別の国 >>143
その日本仏教の話、沖縄と何一つ変わらんよ
沖縄の仏教も神道も日本由来なんだから当たり前だ
先祖に関することで唯一日本と違うのは清明節の風習だけだろ
あれだって死生観とかそんな深遠な話じゃなくて単に二十四節句の一つとして定着しただけだ
そして沖縄に道教の影響なんか皆無に等しいよ
道教的な神様といえば土地公を祀る風習があるけど、祀るやり方は完全に日本の神社方式だw
内地の人が沖縄を見るとどうしても特異な部分が目立って共通する部分を見落としてしまうんだよ
実際には中華的な部分はあくまでも日本的な基層の上に乗っかっているだけだ 呂布が弱いってことはないだろ
あ、もちろん正史基準でね >>151
ほんとかなあ?
かなり明確な特定の宗教観念がないと、「供養」という概念は成立しないよ。
死後の世界が良いところから悪いところまで階層化されていて、
生前の行いによってどこに行けるか、個人レベルで決まる(裁かれる)という死後観念。
道教と混交した東アジア仏教の根幹の一つといってもいい。
大和でも、神道プロパー(神葬祭を挙げる場合)と、仏教でも浄土真宗は、
供養という概念を明確に否定する。
沖縄は、仏教をほぼ完全拒絶する宗教圏なので、
供養という概念は、道教のエッセンスが導入されない限り理解できないはず。 >>153
琉球が仏教を拒絶?
何を言っとるんだどこの世界の琉球だ
まじめに相手して損した 文革如きの焚書坑儒はずっとやって来た事だ
王朝が変わるとその前の王朝の官僚は家族親戚含めて全員死刑、書物は全て燃やされるのがデフォ
生ぬるいレベルであの国土は治められない
だがそれでも奇跡的に場所を移されて破壊を免れた書物が少数存在するだけの事 >>154
大和からみたら、あれはほぼ拒絶やぞw
5ch(2ch)住民はやたら嫌うが、
大和の日常に、どれだけ仏教が浸透してると思ってるんだ…
大和の場合、死者儀礼すべてにおいて「坊主が主役」なんだからな。
喪主・施主すら脇役。坊主の指示に従い所作を行うだけ。
墓も、寺の敷地内にワンルームのアパートみたいな形で割り当てられる。
管理者はあくまで寺。
あまりにも寺が介入しすぎなので、公営墓地が作られたりするけれど、
結局、公営墓地だって寺ごとにエリアを決めるところすらあって、寺の支配権は絶対。 >>154
この一度はちょっとずれているが
恐らくは部落開放同盟の人
沖縄に2000年頃に部落開放同盟那覇支部が出来てからこんな分断工作ばかりしている(´・ω・`) アウグスティヌスの著作とか翻訳が堅いのか元々難解なのか理解にすごい手間取る
そしてすぐ忘れる 電脳化はよ 部落開放同盟が沖縄に来てからグダグダだよな(´・ω・`) >>1
宝島社あたりの中国史のムック本を読んで何やら触発された俄馬鹿
言う事言う事が、薄っぺらいんだよ糞秋田 いやいや、K認定は、東京五輪反対のレスを繰り返した時にさんざっぱらされたから慣れてるが、
(でも俺のほうが正しいという絶対の自信があった。俺の反対理由は「開催期間の気候」ただ1つだったから)
そっちに認定されたのは初めてだわww
笑っちまったわい。
つうかさ、沖縄社会には家制度も檀家制度もないんだぜ?宗教的枠組みが全く違う。
葬式には、もし必要ならその時だけ任意で好きな坊主を呼んでくればいい。呼んでこなくても良い。
普通は懇意の坊主なんていないから、都市部では葬儀屋が手配してくれると思うけど。
これは台湾や中国の葬儀と同じ。
大和と沖縄が不可分に日本なのは、宗教ではなく言語が完全に同系統だから。
いくら琉球語の独立性ガーという言語学者でも、日本語と完全同系を否定する人はいない。 >>153
供養という言葉自体の意味の理解が分かっていない
養うという言葉で分かるだろうが
御世話をするというのが本来の意味だ
死んだ後にするようなものじゃないぞ
経典をそこそこかじってればすぐに分かる >>164
日本の檀家制度は戸籍管理を寺がやったからで宗教的意味は無いよ
中学辺りで習うだろ(´・ω・`) 中国史を理解せずに明治以前の日本史を勉強したところで何も見えてこない
そして今後三十年はアメリカと中国の歴史が現代史の中心 >>165
>>166
もうそんな奴に構うなよ
まともな議論ができる相手じゃない
それよりスレタイに合った中国史の話しようや
中国では時の権力者が書く正史っていうものが近現代でもかなり重要だったりする
中華民国政府が命じて編纂させた清史稿は何故か清朝が正統で民国を賊軍として書いたから発禁処分になった
で満州国を独立させたい日本が満州民族意識を鼓舞するために発禁になった清史稿を流布させる工作もやってる >>169
中国では権力で歪まずに正しく書こうとした史書が出てくるからその影響だろうね >>168
民族性では無くて中国は共産主義だから共産党が詐欺師なんだよ(´・ω・`) >>15
楚鉄が有名だった2400年前は
楚は海沿いだから海路から鉄器が楚国に入ったんだよね
或いは楚国の王族が中東から逃れた技術者集団だったかだな
楚国ではヨーロッパ系白人のミイラ化した遺体が出ている
因みに鉄器の国の楚国を滅ぼした秦国は青銅器の国(´・ω・`) 先進国の世界史で良く言う鉄器の出現で鉄器の国が青銅器の国を滅ぼしたと言うのは嘘なんだよね
実際は後進国の青銅器の国が先進国である鉄器の国を滅ぼしたのが本当の話
だがテストで書くとXになる不思議な世界(´・ω・`) >>164
部落開放同盟の大阪は反撃しろよ
沖縄の部落開放同盟那覇支部も大阪人だろ
大阪の為に反撃しろよ >>164
散々沖縄バッシングをしてきた
部落開放同盟の疑似右翼の人間の屑は反論も無く消えるのか?(´・ω・`) >>164
それとも沖縄のマスコミは朝日新聞と北朝鮮寄り共同通信が情報を検閲していると言うおごりがあるのか部落開放同盟は(´・ω・`) >>171
清朝を持ち上げることが正しいとも思わんけどw
それはそうと歴史上ほかにそんな正義漢がいたの? >>178
いや暇だから
釣ろうかと思って(´・ω・`) >>179
君は知っているだろうが
史記がそうだろ
権力に寄って歪まない様に書いたと最初に書かれている >>179
今の中国共産党は歴史では嘘を多く言い過ぎだな(´・ω・`) >>185
まあ文革で学校を襲って校長や教師を殺して食ったのが中国だからな(´・ω・`) >>179
大阪の部落開放同盟系沖縄バッシングの否定をしてくれよ(´・ω・`) >>179
お前もふざけるなよ
もっと書き込めよ(´・ω・`) >>179
お前は大阪出身の部落開放同盟の人間じゃないのか?(´・ω・`) >>182
文化大革命でみんなぶっ壊しちゃったからなw
焚書も盛大にやらかしてたし マスコミは沖縄に対する部落開放同盟の浸透を報道しろよ
何も報道していないだろ(´・ω・`) >>179
お前は部落開放同盟が沖縄に支部を作り活動したのを認めるべきでは?(´・ω・`) 嘗ては当然の嗜みであった和歌や漢詩がここ100年で完全に廃れた日本も他人事じゃないけどね >>179
お前ら二人は大阪の人間で部落開放同盟だろ
本当にふざけるなよ(´・ω・`) >>179
返事がないのはyesなの?(´・ω・`) 知恵の館もそうだけど昔の文献って都合悪いのが多いんだろうな >>199
権力に左右されずに書いた史書でも本人の思想で歪むのが確認されているからトータルで研究するしか無いよね(´・ω・`) 日本なんか性別もぐちゃぐちゃにされてるからな
なんで織田ノブナガが男やねん >>15
いまでもお前より頭のいい人間なんて腐るほどいるだろ、お前は日本にも居場所ないじゃん 中国に良いことわざが沢山あるけど、現代で活用されてるように見えない >>68
まあ実際そういうスタンスでやってきて、それが見事に成立してたからなあ >>181
春秋時代にこういうエピソードがあるな
董狐の筆
権勢を恐れずに真実を書くこと。
ありのままの歴史を書き記すこと。
出典は春秋左氏伝の宣公二年。
主君の霊公を殺した趙穿ちょうせんを正卿である趙盾ちょうとんが取り締まらなかったので、
史官であった董狐は趙盾を以て「其の君を弑しいす」と記述した故事。
ちなみに趙盾は当初「自分が殺したわけではない」と反論したが、董狐の記述した理由を聞
くと自分の罪として受け入れたという。
これを評して孔子は「董狐こそ古の良史であり、趙盾こそ古の良大夫である」と述べている。
http://www.kokin.rr-livelife.net/koto/koto_to/koto_to_8.html
「崔杼弑君」[編集]
「弑」は逆臣が王を殺すことを意味する。『春秋左氏伝』には崔杼が荘公を殺害したのち、斉
国の太史(歴史記録官)と崔杼の間にあった出来事についての簡潔な記述がある[1]。
太史書曰 崔杼弑其君 崔子殺之 其弟嗣書 而死者二人 其弟又書 乃舎之 南史氏聞太史
盡死 執簡以往 聞既書矣 乃還
— 春秋左氏伝 襄公二十五年
(太史が『崔杼、其の君を弑す』と事実を史書に書いたので、崔杼はこれを殺した。後をついだ
太史の弟も同じことを書いたので、二人目も殺された。しかし彼らの弟はまた同じことを書き、
とうとうこれを舎(ゆる)した。太史兄弟が殺されたことを聞いた別の史官は『崔杼其の君を弑す』
と書いた竹簡を持って駆けつけたが、すでに事実が記録されたと聞いて帰った)
崔杼と太史たちの故事は中国人が歴史を記すという行為にかける執念を表す例としてしばしば
引き合いに出され、また荘公が殺された後の晏嬰の行動が、これも晏嬰の義に対する一途さの
逸話として良く語られるために、崔杼は単なる逆臣とされるにとどまらず、一層悪名が強調され
後々まで語られることになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%94%E6%9D%BC >>179
学者連中が政治の中枢と闘った事件だと
三国志直前の党錮の禁なんかもあるで 中国を中国たらしめるのは中つ国を収める者こそこの世界の覇者という中華思想
先代の文化を幾ら滅ぼそうがこの思想だけは数千年変わらない
名前が変わろうが民族が変わろうが全部飲み込んできたんだからこれはこれで脈々と続く一つの国なんだよ >>208
だとすると時代遅れも甚だしいクソ迷惑な国ということになるな
今どき世界の覇者とか正気を疑うワードだろ >>208
宋代から中華思想って存在するけど元はその辺特に影響受けなかったみたいよ
モンゴルはシナ制服以前に西域のイスラム国家を支配したから
シナ文化にさほど影響されなかったのだろう。 中華思想を打ち破った人
武霊王(ぶれいおう、? - 紀元前295年、在位紀元前326年 - 紀元前298年)は、中国戦国時代の趙の君主。
姓は嬴。氏は趙。諱は雍(『史記索隠』に拠る)。粛侯の子。胡服騎射を取り入れて趙を軍事大国とした。
紀元前307年、野望を達成するための準備として胡服騎射を取り入れることを考える。それまでの中華世界
の貴族戦士の伝統的な戦術は、3人の戦士が御者と弓射、戈による白兵戦を分担する戦車戦だった。それ
に対して北方遊牧民族は戦車を使わず、戦士が直接1頭の馬に乗って弓を放っていた。胡服騎射とは、この
遊牧民族の戦法を真似ようというものであった。当時の大夫たちは裾が長く、下部がスカート状の服を着て
いた。乗馬のためにはこれは非常に邪魔であり、胡服騎射には遊牧民の乗馬に適したズボン式の服装(胡
服)を着る必要がある。
これを下問した所、肥義はすぐに賛成したが、武霊王の叔父の公子成はこれに反対した。中華思想が強く、
遊牧民を「蛮夷」と呼んで見下し、直接馬に乗る事を蛮行と見なしていた当時では、肥義のように賛成する者
の方が珍しく、公子成が反対したのも無理はなかった。しかし、武霊王は「かつて舜は有苗に舞ひ、禹は裸
国に袒ぐ」(舜は有苗の風習にあわせて踊り、禹は裸国の風習にあわせて服を脱いだ)と粘り強く説得を続け、
胡服騎射を取り入れることに成功した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E9%9C%8A%E7%8E%8B ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています