(前略)
 今回も歯舞諸島と色丹島の2島返還が近づいたと見る向きがある。しかし、日本には「4島一括返還」の根強い世論もある。「2島先行返還」と「4島一括返還」、
どちらに分があるのか。
 2年前、新党大地の鈴木宗男代表は弊誌のインタビューで「4島一括返還はない」ときっぱり言っていた。
「そもそも『4島一括返還』という言葉はない。確かに、ソ連時代に日本政府はそう言っていたし、返還の上にさらに『即時』まで付けていた。それは、旧ソ連が
『領土問題はない』と言っていたからだ。しかし、1991年のソ連崩壊後、日本は段階的な解決論に方針転換した。だから、日本政府は91年以降、『4島』なんて言ったことがない」
 歴史を振り返れば、日本は1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約で、千島列島を放棄した。西村熊雄外務省条約局長(当時)は、その千島列島に国後・
択捉が含まれると国会で答弁した。歯舞と色丹は北海道の一部という説明だった。
 1956年の日ソ共同宣言とは、当時の鳩山一郎首相とソ連のフルシチョフ第一書記との間で結ばれた条約で、そこには、「平和条約締結後に、歯舞群島と色丹島を
日本に引き渡す」と明記されている。ソ連はサンフランシスコ講和条約に署名していなかったため、日ソ国交正常化はこの共同宣言でなされた。
 「2006年に国会で、西村熊雄の答弁が今も有効なのかどうか質問したが、政府は有効だと言っている。日本の政治家の中にも、サンフランシスコ講和条約は
ソ連が署名していないので、日本は放棄していないことになると、すり替えの答弁をしていた人もいた。また、1956年にアメリカは『ソ連と平和条約を結ぶのなら沖縄は
還さない』と恫喝してきた事実もある」(鈴木代表)

(続く)
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