柴田勝家、明智光秀の居場所がわからず右往左往と判明 専門家「なぜ秀吉は素早く動けたんだ…?」
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「本能寺の変」後の柴田勝家直筆の書状見つかる
明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」の8日後に、信長の重臣として知られる柴田勝家が織田方に
宛てた直筆の書状が新潟県新発田市で見つかりました。光秀の討伐に出遅れた勝家が、当時、京都から
大阪に展開していた光秀の居場所を正確に把握できていなかったことがうかがえる内容で、専門家は
「本能寺の変直後の勝家の情報収集の水準がわかる貴重な記録だ」と指摘しています。
今回見つかった書状は、本能寺の変の8日後の天正10年6月10日、今の福井市の居城にいた柴田勝家が、
織田方の武将、溝口半左衛門に宛てて書いたものです。
郷土史に詳しい新潟大学の冨澤信明名誉教授が新発田市の溝口家に残る歴史資料の中から見つけました。
書状の冒頭には、「天下の形勢は致し方ないことで言語に絶するばかりだ」と、本能寺の変について勝家の
驚きのことばが記されています。そして明智光秀が、拠点としていた江州、今の滋賀県にいるとみて、当時の
大坂にいた織田方の重臣、丹羽長秀と連携して光秀を討伐する計画を明らかにしています。
調査にあたった専門家によると、本能寺の変のあと勝家が光秀の居場所に言及したものが見つかったのは
初めてで、光秀討伐に出遅れた勝家が当時、京都から大阪に展開していた光秀の動きを把握できていなかったことが
うかがえます。
調査にあたった三重大学の藤田達生教授は「本能寺の変のあとの勝家の情報収集の水準がわかる貴重な記録だ。
今後は、そうした状況のなかでなぜ、豊臣秀吉が光秀討伐に素早く動けたのかという点に関心が高まるのではないか」
と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181116/k10011712961000.html そら毛利に放った使者が秀吉勢にとっつかまったからだろ むしろ京都に急いで行くのが柴田の役割でしょ
情報収集は行軍中に出来る 本能寺の変の時点で勝家は魚津城を落した直後
変を知って全力で引き返したけど近江辺りで山崎の合戦の結果を知ったんだったろ 新発田市は城下町のくせにまともな歴史資料館が一つも無い 官兵衛の「天下が取れるよ!やったね秀ちゃん!」が無ければ秀吉も似たようなもんだったと思う 家康も怪しいしなこの件
しかも家康には信長をやる理由はある
どっちかが黒幕だ
で、どっちが黒幕かで歴史解釈はかなり変わってくる 北陸と瀬戸内ってのも大きいんだろうな
郵便とEmailくらい伝達速度に差があるだろ 勝家ほどの重臣がお市を貰う前まで独身とかガチホモなの? 光秀「やったよ秀吉くん!え。。。秀吉くん。。。?嘘だろ?。。。」 秀吉の当時の居城は姫路だから上方の情報は北の庄の勝家とは比較にならんぐらい有利 でも居場所が掴めようが掴めまいが、それなりの軍容を整えるのにそりゃ時間はかかるよ
秀吉が異常だっただけで 秀吉「光秀いいぞー!じゃあ手筈通り俺が討ち取った事にするからしばらく隠れててねー」
光秀「はーい」
光秀「と、言うわけで全ては計画通りで御座います家康様...」 秀吉は小早川か吉川毛利勢に行くはずだった書状をゲットしてるから場所も状況も分かったんだよ
まさに天運 >>24
陰謀論がウソだとして
その書状が予定通り毛利に届いて
秀吉が挟み撃ちされてたら歴史がどう変わったか実に興味深い 頭が悪いくせにセオリーのみ重視して考えすぎて動かなかったのが裏目に出まくった人だよな もう室町以前の史料なんか新しく見つからんと思ってたが、色々出てくるんだな
家康が伊賀越にビビってたのとか、"ビビってる"ってことにしとかなきゃいけない理由があったとしか思えん
古参の服部保俊いるし、長男が伊賀治めてるしでほぼ自分の領地通るに等しいやんけ >>25
そもそも毛利は動かんでしょ
先に秀吉が同盟結んでるだろ?
あと、機内より九州の方が彼らにとって魅力的だったのは間違いない
後方の脅威が無くなれば、北側から九州制圧できるからな >>16
命がけで鬼のような織田信長を撃ったのに、
秀吉に裏切られたので、西軍を根絶やしにしようとした天海(明智光秀)。
そういう事だろうな >>30
小早川隆景の存在が
秀吉に勇気が足りないって言われてたが
彼に勇気があったら秀吉の命はない 明智光秀は色々有るよね
バックに天皇家がいた説(信長が飢饉の責任とって代替わりしろって迫ってた)
キリシタン説、秀吉説、公家説など盛りだくさん
普通に信長に着いて行けず謀反の可能性が高いけどな 当時の公家の日記にも「信長は殺されちゃうよ」ってのが色々残ってる
信長はそこら中で恨みかってたから当時色々噂が立ってたんだよ
まぁ面と向かって信長に「あんた殺されるって噂されてるよ」と言える人間はいないから、信長は知らなかったんだろうけど秀吉は知ってただろうな。 別に秀吉が本能寺の黒幕なんて話じゃなくて、秀吉ほどの諜報と、先読みに長けた人間なら「滝川は関東、柴田は北陸にそれぞれ織田家から大人数を割いて、自分の所にも
何万、さらに、光秀が大軍団を擁して、近畿に。で上様親子は少人数の護衛だけで京都にいる」って情勢下でさらに「光秀が上様に対して非常な憤りをもっている」という情勢を分析すれば「あっ、上様、王手だ。光秀がその気になれば親子ともどもお陀仏だ」
ぐらいの結論は出ていただろう。
秀吉にすれば光秀が信長討伐の決断をしないならそれはそれで良し、自分は粛々と毛利攻めを続けるだけ。ただ、万一、光秀が決断した場合(実際そうなった)は、即時対応できるように準備をしておけばいい。って事だったんじゃないかあ。
柴田勝家という人は諜報活動も政治活動も情勢分析も苦手だから、本能寺の変はね耳に水で本当にパニックになっただけでしょうね。
要するに本能寺の変は、秀吉にすれば「想定内」勝家にすれば「想定外」だったということね [ ::━◎]ノ 新発田駅前の定食屋の焼売がめちゃめちゃデカかった. >>31
普通はそうだよな
どんな手柄を挙げても、全領地取られ
「じゃ次アッチな」
の無限ループに耐えられる人間なんていないよ
「結局どこまやらねばならないのですか?」の疑問に
地球儀見せられたて
「生涯だぎゃ!」って言われたら普通はおかしくもなるよ
実際、占領政策とか面倒なこと全部部下にさせて、
美味しいところは全部、織田一族がもらってる
そういうとこは信長は思ったより古いタイプの大名なんだよな >>37
記録では発狂しかかってたからそれは無いだろ
官兵衛の「あーもうすぐのぶーの天下かー・・・え?あいつが死んだ?ふーん、おーい秀吉、天下取れるぞー」って発想がぶっ飛んでる
勝家と秀吉の差は人間じゃない思考パターン持ってるナンバー2を手に入れたかどうかの差だわ >>12
最近じゃ信康がとんでもないバカ息子で家康が信康に困って
新で貰ったとテレビでやってた。
んで新でもらう前に信長に相談したら、そうか好きにしろと言われただけとの話らしいぞ? >>21
上杉とやりあってたとこだから大軍率いてたよ
情報が取れてなくて遅れたのが主因 毛利と和睦折衝で仲介役の安国寺恵は先見力が凄まじく
信長終了と秀吉の躍進を予言してた
だからこそ毛利との和睦もスムーズに終え大返しも出来た
のちのち大名まで取立てたことでも安国寺恵瓊の秀吉与力は大きい >>45
その割には後の関ヶ原や大坂の陣の時に「(アホの秀忠じゃなく)信康が生きていれば
この老骨にムチを打ってわざわざ戦になんか行かなくてもいいのに」と愚痴ってたって記録が
あるらしいよ >今後は、そうした状況のなかでなぜ、豊臣秀吉が光秀討伐に素早く動けたのかという点に関心が高まるのではないか
秀吉陣営が、明智光秀の謀叛を予め知っていたから
秀吉はおそらくは知らなかっただろうが、確実に黒田官兵衛は知っていた
秀吉の中国大返しも、裁量したのは官兵衛で予め知っていたからこそ、不測の事態ではあるが、黒田官兵衛にとっては予測できていただろう事態に備える事が、可能だった
故に、秀吉は官兵衛を警戒し九州に飛ばした どこにいようがとりあえず姫路や尼崎ぐらいまでは帰ってくるだろ こういう資料ってまだまだあるもんだねえ。
戦災で焼けたりしなきゃもっとたくさん残ってたんだろうな 織田軍団は、信長直轄の将兵を、方面軍団長が寄騎として借りていくってシステムだったから
北陸や関東、四国方面、山陽・山陰地方などにあちこちに貸し出したら、信長・信忠親子を守る為の
将兵がほとんどいなくなった。信長という人はひどくケチで、将兵を遊ばせておくのを嫌ったから、
そうなったわけで、本能寺の変の三ヶ月前に、長年の敵だった武田を滅ぼして多少気が抜けていたのか・・ >>48
愚痴るのは仕方ないけど
当時の信康は自惚れてしまい、とんでもなかったらしい。
罪のない人を頃してしまったりとかそんなことしたら親はみっともなくてたまったもんじゃない。 >>35
知ってただろ。
信長は生涯で50回も暗殺されかけてるのに 信長の死によって甲斐信濃を獲れた家康も怪しいわ
まさに変の起こる前後、京大坂にいたわけだしな >>1
マジレスすると帰京ルートの問題。
北陸に展開する柴田勝家からすれば、明智光秀が京都にいるか本拠地坂本にいるか、あるいは安土城にいるかで進軍ルートは出発点から変わってしまう。
しかもそのルート全てが山道。抜け道は無いので途中で「やっぱ違いました」と言っても簡単にコース変更は出来ない。
例えルート変更出来ても、それは先行させている情報収集部隊と連絡が出来なくなるという事、
つまりルート変更すると益々正確な最新情報が手に入らなくなってしまうワケだ。
一方の秀吉はとりあえず自分の本拠地である姫路城までは同じルートで構わない。
秀吉のルート上は味方も多く兵が集めやすい状況で、わざわざ情報収集の為の部隊を先行させなくても、周辺の味方から勝手にドンドン情報が入ってくる。
それらの情報をシッカリ管理すれば明智光秀の現在地など簡単に分析できてしまうワケだ。
そもそも、彼らの戦っていた敵勢力、秀吉は毛利、柴田の相手は上杉景勝。
この二勢力からしても、その情報収集能力には大きな差があったハズ。
毛利側は以前同盟を結んでいた本願寺や京都に派遣していた政治僧・安国寺恵瓊、その他瀬戸内の海開運業者から織田家の正確な戦力を把握できていただろう。
だからこそ、本能寺の変をキッカケに一気に和平に舵を切ろうと思えたのだ。
このまま戦い続けてもいつか力負け、経済力負けするのはかなり前から判っていて、
何らかのキッカケで織田と和平し、その軍門に降るのもやむ無しとタイミングを計っていたのだろう。
一方の上杉は柴田軍の戦力は判っていただろうが、その後ろの織田家の総戦力は正確には把握していなかっただろう。
柴田勝家がかなり陰湿な陰謀戦を仕掛けてきたせいもあり徹底抗戦、勝たなければ武田家同様玉砕。
これが上杉の方針だったハズ。
実際、本能寺の変後、滝川一益が撤退すると対柴田戦線を放ったらかしてスグに北関東に進出している。
織田(柴田勝家)と和平という選択肢は全く考えていない動きだ。
当時の日本では西と東、海沿いと山向こうでは情報収集能力に大きな差があったというのが真相だろう。 家康、秀吉、光秀のコラボ
信長がなぜ本能寺にいたのか?
秀吉早すぎ、家康お忍びで堺?
光秀何者かに殺害で天海登場、家光の乳母にお福とおかしなことばかり
唯一の誤算は淀が秀頼ご懐妊で秀吉〜家康へのバトンが狂った。 突き詰めると「光秀の悩乱による単独犯行説」と「綿密な計画に裏付けされた光秀と協力者による複数犯行説」
って事に集約されるのかなあ。 戦国時代は資料が少ないからな
一級史料の信長公記も秀吉が作らせた物だし秀吉の意図を反映して書かせてるはず
こんな感じでどこかで眠ってる手紙やらを見つけていけば正確な歴史がわかるかも知れない >>48>>45
どっちも間違ってない。
秀忠は関ヶ原21歳で初陣という当時としてはあり得ないぐらいの戦争オンチ、しかも小勢の真田に負けた挙句に大遅刻。
記録には残っていないが、近年調べられた秀忠の遺骨には大腿骨にまで達する傷があったそうだ。
おそらく生死に関わる重傷だったハズ。しかし秀忠が参加した戦争は関ヶ原と大阪冬の陣夏の陣の3つのみ。
つまりそのどらかでその傷を負ったワケで、怪しいのは大遅刻した挙句に1ヶ月以上家康に面会謝絶された関ヶ原だろう。
遅刻も面会謝絶も怪我の治療期間だったワケだ。
真田昌幸が許されなかった理由もソレだと考えれば納得がいく。
家康がボヤく理由もわかるだろう。
一方の信康は気が強すぎてよく家康に逆らった。
ある時、信康に与えていた岡崎城内で家康と信康は大ゲンカをした。
信康は怒って城を出て行ってしまい、家康は慌てて自分の城から大軍勢を呼び寄せて岡崎城を警備させた。
つまり信康が急襲してくる可能性があったワケだ。
それぐらい家康と長男・信康との関係は悪化していた。
しかも親子の不仲の原因、信康の母・築山殿は既に武田に内通済み。
信康は織田信長との同盟を維持するには邪魔な存在になっていたのは事実だろう。
それでも家康は信康を死なせなくはなかった。
信康切腹の最終的な原因になった酒井忠次が、晩年家康に
「自分もそろそろ寿命で、子供達に財産を残したいので領地を増やして欲しい」
と願いでたトコロ
「オマエでも子は可愛いか」と家康に恨み言を言われたという。 勝家はどの創作物でも脳筋なせいで情報戦に疎いイメージしかない >>68
秀忠は1579年生まれだから
戦争がなかった
朝鮮は徳川戦ってないし >>51
しかも信長を呼んだ理由は「敵城の水攻め」を見せたいから。
この意味と価値を一番理解していたのは明智光秀だっただろう。
明智光秀は信長から「秀吉の水攻め見に行くわ。オマエも来い」と言われた時、
『織田家中における秀吉との出世争いに完敗した』コトを確信した事だろう。 光秀が実行犯で、秀吉がサウジの王子でって感じですか? まあ今みたいに電話があるわけじゃないから
人に聞くしかなかったわけだよな >>25
宇喜多直家が抑えに居たからそれなりに時間は掛かると思う >>73
>>74
グルなら直接対決のときにでも、明智光秀が裏切者と責めてると思うんだけど
それに、細川らを味方につけるとき、秀吉も仲間だと言いふらすと思うんだけど
何で柴田と秀吉の能力・勢力の差だと思えないの? 柴田勝家…脳筋、勇猛だが突撃馬鹿
羽柴秀吉…情報戦に強い
そんなわけでゴリラのような男に力ずくで蹂躙されるのが夢だったお市の方は
勝家の嫁になり、初めて性の悦びを知ったという そもそもの話、仮に間に合ったとして柴田勝家って明智光秀に勝てたの? 秀吉黒幕なら同時代でもっと世相に反映されるだろう
それにちょっとでも疑いがあったのなら大義名分にこだわる家康がそれを利用しない手はない
方広寺みたいないいがかりこさえるよかよっぽど宣伝になる >>81
多少の時間があれば勝てたよ。上杉への抑えを残しても3万は自力で動員出来たし畿内の織田方を動かせば5万は動員できたはず。明智は動員してもせいぜい2万足らず。秀吉の中国大返しは当時の動員や補給の常識を覆したから可能だった >秀吉の大返し
秀吉は若い時からそういう人がびっくりすることをやってのけるのが
好きだったからな・・だからそんなに驚かない・・ なんだかんだで柴田勝家は古いタイプだよな、本能寺が突発的すぎるのと秀吉が柔軟すぎたのかもしれんけど。 信忠がいた 二条新御所に皇太子誠仁親王がいたのも逃げるタイミングを無くしたと思うが >>81
「間に合う」の前提をどこにおくか?によるけど
秀吉の前に勝家が光秀と対峙したとすれば 織田軍vs明智軍の構図になるから万が一にも光秀に勝ち目はないかと… >>33
天下を取りたかっただけだと思う
チャンスだったし >>23
面白いけど官兵衛がいてそこまで自由に動けるかな?その可能性踏まえて自由を奪いそうだけど
そこ見越して官兵衛を隠居させたなら家康の勝ちだけど 信長は天皇制を廃止しようとしてたからな。秀吉も家康も天皇制廃止は一切考えていなかった。全員グルだった。 >>93
天皇にはかなり気を使ってる信長
足利義満なんてどうなるんだw 黒幕が秀吉というのはあり得ないよ
当時光秀は秀吉の最大のライバルで、もし光秀の謀反が成功して権力を掌握できていたとしたら、もっとも窮地に陥るのは他ならぬ秀吉だから
しかも光秀は秀吉の織田家中におけるライバルだったけど、信長が常に傍に置いて重要な内政事業を任せていた光秀に対し、実力を評価してはいたが常に遠隔地の遠征に出されていた秀吉では、
力量の評価はともかく信長の信頼という点では光秀のほうがより信長から信頼されていたことは間違いない
その光秀を秀吉がコントロールできるわけが無い
秀吉にとってはリスクが大きすぎるし、光秀には何のメリットも無いのだから 本能寺が京都で勝家が福井、長秀が大阪
こいつらすぐ行けるのになんで秀吉に先越されてんの
勝家は上杉と対峙してたのかもしれんが長秀フリーじゃん ただたんに秀吉のほうが勝家よりは情報収集能力に優れていたってだけでしょ
勝家は猛将タイプだし仕方ない
秀吉も京に近づくにしたがって行進速度が極端に遅くなってたはずだが
秀吉とて情報収集しながら進んでいたんだよ この資料をもって秀吉が黒幕だと疑うような論調にもって行こうとするのは強引過ぎるし明らかにわざとやってるレベルのミスリードだわ
秀吉を黒幕に仕立て上げたい勢力が居るとしか思えないな つーか、よく信長がやられたことを同じタイミングで知ることができたよな
当時光秀が遺体確保できなかったから疑心暗鬼じゃなかったっけ? >>103
死体が上がろうが、どちらにせよ謀反者を討つ事に変わりはない。 まあ、秀吉ほどの情勢分析力があれば、信長親子の滞在場所がアブナイなんてのは見抜いていただろうに
「上様!京都に滞在するのは危のうございます」と注進しなかった事も怪しいし、本当は自分だけで終わらせられる
毛利戦を「上様にご出馬願わねば、ダメでござる」と信長親子を呼び出し、京都に滞在させたもの
信長に不満がありそうな光秀が、一番信長を討ちやすい位置におびき出したのかもしれない。
秀吉・光秀の連携説ってのはなさそうだけど、光秀が謀反に走りやすいお膳立てをしたのは秀吉かもしれないね 勝家との差はいざって時にどれだけ早く自己判断で動きだせたかどうかの差だと思う
官兵衛の一言が本当に時代を動かした
織田家という信長のワンマン経営で中方針以下は考えれたけど大方針についてはほとんど考えて来なかった織田家臣連中に自分で考えて行動するのが難しかったんじゃね? >>106
要するに柴田勝家はモーレツサラリーマンタイプ:社長の命令に忠実、猪突猛進に業績を拡大するが
基本的に知恵に乏しく、自分で判断するのが苦手だから、会社が巨大化していく過程で閑職に回される典型。
明智光秀は官僚タイプかな、後の石田三成と似て、上に偉大なカリスマがいればこそ仕事ができる型
そう思うと、信長を含む織田軍団に「政治家タイプ」ってのは信長と秀吉しかいなかったのかもね 秀吉黒幕説はあり得ないけど、家康黒幕説は十分あり得るからな
当時の光秀からすれば、京で信長を討つまでは確実に計算できるけど、その後権力を掌握できるかどうかが不透明な点
そのときに家康がたまたま安土を訪問中で、直前まで光秀が接待役をやってたんだから、事が成ったときには協力をしてくれるかどうか光秀が家康に相談していたとしても何ら不思議では無い
むしろ家康の協力の約束を取り付けられたから、光秀が謀反に踏み切ったまであり得る
家康が急いで三河まで帰って兵を動かしたのは、光秀を援助するためだと考えるほうが合理的だよ 中国地方攻略の秀吉に信長暗殺なんてなんのメリットもないし
どうせ朝廷・光秀・家康の策謀っしょ
光秀は格式バカだから信長をけむたぐる朝廷の意向を重視し
家康はそれをさっちしその後の天下取りの事を考えてた
家康が命からがな京の都からわずかな手勢で自国領に戻ったなんて普通むりっしょw
計画通り家康は自国に戻ってから盟友信長の敵を討つってつもりだったけど
秀吉がありえないスピードで光秀と戦って討って天下人になった
そんな感じ 天海説に明智平に明智の家紋
家康と光秀のコラボとしか思えん 柴田勝家って何かゲームや漫画だといまいち扱い悪いけど、すげー武将なんだけどなあ
強さだけでなく仁義に溢れてて 家康黒幕説ってのもやっぱり無理があるでしょ。もし家康が黒幕なら、本能寺の変勃発当時
ノンキに堺に滞在なんかしてないだろうし、しかも、根拠地の三河は、先年、後継者だった
松平信康が処刑されたばかりで、最悪の場合、三河で土豪一揆でも起きて、家康の帰国が不可能になるリスクもあった。
堺から大慌てで逃げ出す家康だって、何度も襲撃されて殺されかけている。事実、家康と一緒に逃げて
途中で別れた、旧武田家の、穴山梅雪は年格好が似ていたのか「家康」として殺害され、
「家康の首が届いた」として首実検をした光秀は「梅雪ではないか!」と罵倒したという。
変が勃発した際に、根拠地から離れた場所にいる。逃避行は命がけ、しかも国を乗っ取られるリスクもある。
これで黒幕と言われては、家康が気の毒だよ。 安国寺恵瓊は凄いよな
信長がそのうちたか転びする、秀吉はさりとてはの者だ、って予言していて、ちゃんとそれが書状で残ってるからな
官兵衛も同じようなこと思ってただろうけど >>117
安国寺恵瓊も黒田官兵衛も、最後の最後で判断を誤るけどね。恵瓊は「豊臣が徳川に負けるわけない!」で
コケて、官兵衛も「関ヶ原の合戦(当時はそんな言い方なかったろうが)は、応仁の乱の如く長引き
日本の国中で大戦乱が起きる」と読んで「まさか、関ヶ原の合戦が一日で終わる」とは想像できなかったからね >>115
家康が命からがら逃げ延びたなんて話は、すべて家康が自分に疑いをかけられることから言い逃れるためのブラフだよ
そもそも本能寺で謀反が起きてもその情報が遠隔地までそんなに早く伝わるわけが無いでしょ
少なくとも家康が三河に急行するよりも早く伝わるわけが無い
家康は謀反がおきた直後に三河に急いで帰ってるんだから
当時の情報拡散速度や通信技術考えればわかるでしょ
穴山梅雪が一揆に殺されたってのも家康の捏造の可能性のほうがはるかに高い
おおかた家康の行動を怪しんだ梅雪に光秀との密約を問いただされたor疑われることを恐れて家康が殺したんだろ 筒井、丹羽、信孝がうろちょろしてるだけだったのが一番
信孝なんかは秀吉なんかよりはるかに近かったし、毛利と比べると長曾我部や三好は楽なのに
大阪で津田を殺して威張ってるだけだという >>120
当時の情報伝達力の速さをなめてはいけないよ。手元に資料はないが、乱の勃発から数日で
山陽の最前線の秀吉まで情報は伝わっていた。まして光秀は、各地の有力武士や大名、公家、
大商人に至るまで書状を出しまくった。書状以外にも、京都で起きた事件が大坂・堺まで伝わるなどあっという間だろう。
ぶっちゃけ秀吉黒幕説も家康黒幕説も天下とったから言ってるだけだろ
結果から考えてるからそうなんの そら黒幕が猿やからや
猿は死ぬ前毎晩のように信長の悪夢にうなされてた
つまりはそういうことや 織田信長を殺したのは俺だけどな
時効だからゆうけど >>81
そら勝てたろう
北陸からの南下で兵を消耗せず、背後に控える上杉を抑えておければ、という条件つきだが
光秀はほとんど誰も味方してくれなくて事実上孤立無援だったから 柴田勝家の密書を新発田で見つけたのに運命感じる
新発田藩になった溝口家は丹羽長秀の与力だったんだっけ 信長の指示通りに動くだけで自分で考えれない人やったんやろう >>122
それでも謀反の直後大急ぎで三河に帰った家康よりも早く、一般の農民や賊たちに情報が伝わるわけが無いでしょ
農民や賊が常に天下の情勢に気を配ってるわけが無いんだから
それに家康は本能寺の変が起こることを事前に知っていた可能性が高いんだから
家康は本能寺の変の直前、信長の招きで安土城を訪問していた
そのときに家康を接待していたのは他でもない光秀
家康は安土城訪問のあと、信長が本能寺で開催するはずだった茶会に出席する予定で、それまでのあいだ堺を見物してまわる予定だった
安土城を出た家康は京に立ち寄って、茶屋四郎次郎という商人の自宅に宿泊している
茶屋四郎次郎の自宅は本能寺のすぐ近く
そして茶屋四郎次郎と一緒に堺に見物に向かったのに、本能寺の直前になって突然茶屋四郎次郎だけ京に引き返している
そして、本能寺の変があったその日に、家康に変の事実を伝えたのは茶屋四郎次郎
家康は茶屋四郎次郎と落ち合ってそのまま三河に向かってる
家康が三河に急行するよりも早く、そのへんの民や賊に本能寺の変の情報が伝わって、そのことの意味を民や賊が理解して一揆や落ち武者狩り起きて、それに家康が脅かされたなんて、よく考えれば考えにくいだろ
家康の伊賀越えのエピソードは家康のアリバイ工作だよ 草履取りの時から主人に先回りして準備万端整えて置くのが秀吉の処世術だから
そりゃ信長の行動を逐一把握しててもおかしくない NHK大河の「秀吉」が当たらずと言えど遠からずなんじゃないかな。
秀吉本人はともかく、黒田とか三成は何となく不穏なものを感じとって
いつでも引き返せる準備をしてたみたいな >>93
天皇になんかしたか?
義昭を追放したのはアイツの散財がものすごかったからだぞ。別にすべての既存権力を否定していたわけじゃない。 >>33
そもそも信長が重用していた家臣は平気で主君に謀反するタイプが多数なんだよ
それくらい気概がある人間じゃないと役に立たないと信長は思っていたんじゃないかな
松永久秀、荒木村重は言うまでもなく柴田勝家も若い頃信長に謀反してるし、秀吉も後日織田家を奪った
そんな中で光秀だけが聖人のように筋を通すタイプだったと思うかい?
むしろ光秀の根は野心旺盛なタイプで、謀反するにもっともらしい理由など必要としない人間であり
そういう光秀だからこそ信長に重用されていたと見るべきでは? 織田信忠の動きを見ても京の都中で流言が飛び交ってたのが分かる
本能寺の変の前にすでに信長の跡取りは信忠って決まってたし京都から
信長亡き後の織田家当主として脱出する機会はやまほどあったのに
あえて死中に出て行って信忠も戦死ほんとは有りない
まぁ朝廷公家は信長暗殺に関わってたと思うわ >>140
そう、信長は斯波義銀も土岐頼芸も殺さず
守護職というか高家の権威はきちんと利用してる 勝家と秀吉の差ってやっぱ格式どうこうのぞいて
畿内その周辺をを全国土と考える勝家と
日本全国を国土と捉えるれる秀吉の器量の差は感じる そりゃ姫路に帰ったら情報は既に入ってきてるだろ
勝家は遠隔地で情報待ってたんだから速さはないわな 朝廷「なんか信長政権うぜーな、光秀どうよ?」
光秀「なら天に歯向かう信長の首とっとぞー」
勝家「ええぇええ?」
家康「こうなったか」
秀吉「光秀コロス!」 >>138
渡信長死んだの聞いた竹中秀吉がうわぁーって泣き狂ってたのが子供の俺にも嘘くさいなぁと思った >>68
信康って信長の娘が嫁いでなかった?
それなのに同盟の邪魔になる? >>29
戦国時代だからな。ちょっとでも下に辛い思いさせたら下克上があり得る。
武将が弱って少ない手勢なら、農民が竹槍持って首刈りに来るぞ。 なんでうちの県の偉人は誰もかれもが勝ち組にいるのに最終的に負けるの? >>149
叔母が城ごと武田に寝返ったトラウマが蘇ったのかもしれない
武田絶対滅ぼすマンに変身した信長は、戦闘力が上がるかわりに理性が下がるのだ >>13
朝鮮のGPS職人達を連れ去ったからニダ! >>68
秀忠の遅参説も眉唾モノらしいけどな
そもそもが真田討伐というか上田釘付けが本命という説もあるし
関ヶ原へ急行せよという伝書が木曽川の増水で数日遅れたという話もある >>38
それ考えたの本人じゃなくて側近の腹黒いので有名な軍師じゃないかと思う 秀吉黒幕は十分あり得る話だと思うけど
もし信忠が生き残ってたら秀吉はどうするつもりだったのかね?
いくら何でも信忠相手に戦するとは思えないし
朝鮮出兵して他国の王様にでもなるつもりだったのかな? >>158
元々外様同士戦わせて戦力と金子を疲弊させようって魂胆だったと思われる >>160
信忠は秀吉嫌ってたって話があるから
生き残ってたらまあヤルでしょう いやだからやっぱり秀吉と光秀で計画して信長討ち取って
罪をすべて光秀に擦り付けたんだよ
極悪人だよ秀吉は 信忠の治世を見たかった
武田征伐は信長がストップかけたくらいの猛将ぶりだったんだろ >>135
信長は人望あったよ
光秀が暴走したとしか思えん
ただの座興で本気になって勝ちに行ってドン引きされるほどだからな
勝利の宴に俺のお陰だとかいって信長から激怒されるし
よく左遷されなかったよなってエピソードが多い >>163
会うたびに貢ぎ物してたのに猿嫌われてたのかよw
信忠親父より人を見る目あるな >>166
明智にまつわるエピソードを並べるとアスペルガーな感じがするんだよな
秀吉はサイコパス >>23
口封じしない理由を最初に考えてくれ
まずはそこからだ >>92
官兵衛も信長恨んでたら有り得る
荒木の時黒田を見捨てかけたからな >>96
丹羽さんは腰が重い
秀吉治世下身の振り方後悔して秀吉に自分の臓物送りつけた人だぞ 信長が家康殺すためにわざと少ない人数で油断させた説好き
家康にバレて光秀と組んで信長殺した
家康はその時の恩で光秀を天海として匿った >>148
千宗易の仲代と
高嶋政伸の秀長のブラックな感じがよかった 秀吉も家康も知ってたし、光秀の三つ巴の出来レースだろ。
もちろん光秀は死んでない。 光秀が信長の遺骨が見つかっていないのに、生存している可能性を1ミリ足りとも考えていない事が不思議でなりませんなぁ。 この頃から家康は調略を得意としていたから、家康の暗殺があったなら情報を入手していただろうな。 そもそも信忠の息子がいるのに秀吉相手に戦争をした柴田サイドと徳川みても
信忠が生きてても結果は変わらんだろう
秀吉柴田は織田に忠義はないそして信忠にもない 光秀の首実検を秀吉はテキトーだったから裏で何かあっまたのは確実なんだろうし家康を攻めずに妹や母親を人質にだしたりしたのも大老の筆頭にしたのも密約があったからだと思うわ 百姓の子が光秀さんと共謀してたんじゃないのかな
百姓の子はやっぱり天下独り占めしたくなって…
光秀さんは百姓の子を見下して…と思う
光秀はのお家は名家
お互いに信長を討つことだけ共感できたがその後はって流れかと思います いつぞやの大河では光秀に関して仲代演ずる利休が西村まさ彦演ずる家康の事を
わーこの人そそのかしてはるわ〜 ってつぶやいてたっけw 俺が光秀の部下だったら信長殺すとかいわれたらたぶん全力で逃げる >>121
丹羽長秀は重臣とはいえ側近や奉行役なので固有の兵力をさほど持って居らず
信孝に至っては神戸とかいう北伊勢の小勢力の領主でしかなかった
四国遠征軍は数こそ多いもののただの寄せ集めでしかなかったので変を聞くや離散した >>182 百姓、百姓というが、秀吉は織田に仕える以前に、今川家の武家にも仕えているが
帳簿付けくらいまでは出世した。また弟の秀長にしてものちに武家貴族や公家とつきあっても
無学を嗤われてはいない。つまり、この兄弟は初等中等教育程度の教養は持っていたって事。
当時の尾張の農村で、寺子屋に通えたってのは相当、生活レベルが高い層に限られる。
すると秀吉の「俺は貧しい百姓の出で」ってのは、百姓町人を味方につけるための作戦。
逆に「俺のおふくろ様は若い頃朝廷の女官で、帝の寵愛を得て俺を産んだ」ってのは公家や武家を従わせる方便。
実態は、尾張の中級から上の下程度の富農の子だったのだろう >>178
信忠は信長生前から織田家当主だから全然違うよ
清州会議も起きないし秀吉も勝家も従うしかないよ 光秀が秀吉や家康と共謀してたら細川や筒井仲間にするときに言いふらすはず 正直物心ついた時からずっとナベツネが君臨してたしもう10年くらいこいついつ死ぬんやって言い続けてきて愛着もわいたし
ナベツネがいなくなった球界とか想像つかんからせめて俺が死ぬまでは君臨し続けてほしい ストレスマックスで見るからに様子がおかしい光秀のことを秀吉は見張ってたんだろ
『こいつ、なにかやらかすんじゃないか?』と
それが信長殺害であると予想してたかどうかはわからないけど 秀吉が、
光ちゃん、やっちゃった事はしょうがないし、俺もすぐ帰るから勝家討つために山崎で合流しようぜ!
って手紙を送ったんじゃね? 百姓と光秀さんが共謀
勝家さんをヌッコロそう
百姓はやっぱり天下独り占めしたいなぁ
光秀さんは名家の出身
百姓を見下していた
お互いに裏切りました >>30
秀吉が毛利と同盟結んだのは本能寺の変を知ったからじゃなかったか
もしも明智光秀の使者が毛利方に到達できて訳も分からないまま毛利と明智に挟撃されたら秀吉でも無理だったと思う
まあ明智光秀は変後に畿内の勢力を味方につけようとして難航してるし、すぐに秀吉を討ちに向かうのは無理だったとは思うけども 織田家次男ながら光秀討伐もせずにウロウロした挙句、安土城を燃やすという愚行に出た信雄が1番無能。挙句の果てには清洲会議直前まで当主になれると信じていた。 秀吉が黒幕のワケがない。
暗殺しかけるような人間は、所詮、天下は取れない。
多分、相当動揺したはず。
「これは、運の開きはじめですぞ」なんて直言した天才軍師、黒田勘兵衛。
秀吉に妙に理解のあった毛利の小早川、安国寺恵瓊。
丹羽や池田のような織田の重臣が味方についたこと。
何より、魅力があり、決断力があり、政治力があった秀吉によるものだけど。
地震さえなければ徳川も滅ぼせたんだろうけれど。 実は書状には毛利家に届いていたが秀吉の武将としての実力と発想力をまざまざと見せつけられ敵に回すより恩を売っておこうと言う考えに至ったんじゃないかな?
書状を秀吉に見せ秀吉と光秀戦わせて両方傷ついたなら天下も狙えるし秀吉が勝っても優遇されるだろうから得しかない。
偶然毛利に送られるはずの書状を秀吉方が捉えてってより信憑性あるような気もすらがどうだ? >>68
徳川家の菩提寺が引っ越しするから歴代将軍の遺骨を調べた本か
読んだの昔だから秀忠が大怪我してたっていうのは覚えてないけど、戦下手とはいえ重い鎧着て戦場に出てただけあって秀忠が筋肉ムキムキだったってのは覚えてる 秀吉が光秀利用して信長を討伐させて梯子外した
もしくは、光秀側に秀吉のスパイがいて謀反を事前に知ってたけど泳がせてた >>17
姫路⇔京都は東日本の人が思うより近い
ソースは京都から姫路に行ったらあっと言う間で驚いた俺 この時期は勝家は中越にいて、秀吉は大返しで尼崎にいたんだっけ?
陰謀論とか色々あるけど、単純に戦場に近いから秀吉の方が情報を多く集めれただけじゃないかな >>197
光秀「やったるわwww」
秀吉家康「どうぞどうぞ」
元親輝元氏政景勝「ドッワハハ」 >>37
間者みたいなのいっぱい放ってたんじゃねえの秀吉のことだし >>68
いくら戦争音痴で生涯コンプ丸出しでも、秀忠は超一流の政治家だったからな。
二代目の宿命「政治的粛清」という大役を、まったくボロを出さずに完全試合で見事にやり遂げた。
ほんとうにボロが一つもない。不満を持つ外様を、誰一人1塁にすら出してない。
もやや世界史レベルの名政治家。
ほんと、世界を見渡してもこれをうまくやった支配者ってほとんどいない。
そしてそれを正確に見抜いて二代目に据えながら、彼のコンプを一切癒やさなかった家康はまさに鬼親だわ…w
結城秀康をはじめ、家康の子どもや孫たちには信康タイプが多く、
そしてこれが頭痛の種になっていて、のきなみ粛清の憂き目にあってる。
戦国へのノスタルジーが残る重臣たちは、こういう殿様を褒め称えるしな。 >>184
部下は家康殺してると思ってたって日記残してなかった?
少なくとも信長殺してると思ってなかったのは確実 >>180
おまけに朝鮮出兵で家康は行かなくていいという破格の待遇。朝鮮出兵で秀吉派の武将はボロボロになったのに。 >>208
小早川にはある程度話していたんじゃないかと思う >>207
秀吉が早すぎるだけで勝家の動きも十分早いよ
高速進軍は織田家のお家芸で秀吉一人のものじゃないし
中国大返しは信長を出迎えるために街道を整備して準備していたのを利用できたとも言われてる
>天正10年(1582年)3月から上杉氏方の越中国の魚津城・松倉城(富山県魚津市)を攻囲していた。
>6月2日未明、本能寺の変があって信長が横死するが、これを知らぬまま6月3日に魚津城は陥落した。
>事件を知り6日の夜からただちに全軍撤退して北ノ庄城へ戻った。6月10日付の溝口半左衛門への書状では、
>勝家は光秀が近江に駐屯していると認識し(実際には8日に近江・安土を発ち、9日には山城の京都にいた)、
>大坂にいた丹羽長秀と連携して、光秀を討つ計画を伝えている。
>しかし上杉側が変を知り、失地回復に越中・能登の国衆を煽り動けず、やっと18日に近江に出動するが、
>すでに中国大返しを行った秀吉の軍が光秀を討っていた >>218
光秀相手すんのに足利義昭遊ばせとくのはいかんでしょ
清水宗治殺したのはしゃーないとしても >>180
>>215
家康は、信長の「系列子会社の社長」みたいなものだからなあ。
「直属の社員」じゃないので、乗っ取った秀吉としても処遇に大変に困った。
このポジションは家康が唯一無二なので、他の事例を使えない。
ポンコツ弱小ではあったが、それでも信長家臣団に完全に組み込まれるのではなく、
あくまで系列の外注先のような関係(実効的には同盟とは言い難い)で、武田の猛攻撃をしのいだことが、
あとになって圧倒的ポジションの源泉として効いてくる。
まあ、石高の点では天正壬午の乱の火事場泥棒のおかげですけどねw >>222
空白地になった甲斐、信濃切り取りは信雄、信孝双方から許可得てる 家康は本国に戻るなりすぐに反明智の兵を挙げて熱田神宮まで進んだところで山崎の合戦を知った
清洲会議への参加は織田宿将の方が断ってる >>48
それは孫世代と合戦なんてぐちもでるさ。
「信康が(まともな出来で)生きていたら…」 >>42
身内に甘い織田と身内に厳しい徳川。
差がつくわな。 >>226
嫡男の信忠とそれ以外との待遇の差が明確に付けられていて
信孝の四国遠征が初めての事例だろ
特に四男以下至っては冷遇されてる >直筆の書状が新潟県新発田市で見つかりました。
こういうのってなんで今更、新発見みたいに見つかるん?
ピラミッドとか古墳とか発掘して新発見だったら分かるけど
書状なんてどっかの建物にずっとあったわけでしょ?なんで今更?400年何してたんって思ってまう >>227
信長って、エマニュエル・トッドの分類で言う「直系家族」(長男が全部相続する)の発想ガチガチだよな。
直系家族といえばドイツと日本だが、この2つの国がいかに制度設計において硬直的かということに鑑みれば、
信長のイメージとは異なり、実は制度設計という点では、意外に頭の固い人だったように思える。
信長IFは定番妄想ネタだけど、
案外、本当にシミュを走らせたら、徳川幕府より硬直的な制度ができたりしてw
家康はそこまで直系家族的じゃない。直系家族ゴリゴリだったら、信康亡き後、2代目は自動的に結城秀康のはず。
実際は、子どもたちの能力を吟味した上で、秀忠を指名してる。どっちかというとアングロ・サクソン的。 利休と秀吉が殺った。へうげもの読んだから俺は詳しいんだ( ・`ω・´) ちなみに、徳川幕府の相続発想が硬直化するのは、8代将軍吉宗が、家重に継がせることにした時。
この理由が「(障害を持ってても)長男だから仕方ない」で、ここではじめて徳川宗家においてゴリゴリ直系家族発想が確定する。
吉宗以降は、血統のみならず、制度的にも「和歌山幕府」とでもいうべき別の幕府に変わったのかもしれない。 >>229
実際に家康の臣下にはアングロサクソンが居たからねぇ >>222
あの時点でボロボロの上杉はともかく北条を抑えてきっちり(一部揉めたが)甲斐信濃を吸収して百万石オーバーになったのはさすが
ここで固めた地盤こそが後の天下に繋がったわけで、柴田も上杉にトドメさしておけば良かったのかも? ひでちゃん は元から みっちゃん の居場所を知ってたけど、かっちゃん は知らなかったと…
のぶちゃん殺しの黒幕説は本当なのか 忍者たくさん飼ってたのって秀吉だっけ?家康だっけ? 秀吉「(信長の命日を予め知ってたからさ・・ニヤリ)」 秀吉、家康、そして光秀(後の天海僧正)、そして毛利もみんなグル
なぜ秀吉がそんなに素早いのか、毛利との和議も速すぎるしあまりに不自然
その後は織田の子飼いを全員潰し、そして4者は裏に表に全員生き残り家康と毛利は秀吉の5大老に収まった
秀吉亡き後は徳川は豊臣を江戸の直近の水戸藩(千葉・茨城)に高待遇で迎えるつもりだった
秀頼を殺す事になったのは家康には不本意
織田の系列の淀や元豊臣の家臣たちが言う事聞かずに大阪城を明け渡さなかったからな
これは秀吉との約束違反だからな 皇居の奥深くにこういう情報が記された書状がたくさん眠っているんだろうな
雅子さんが鬱になったのも知らなくていいことを沢山知っちゃったからかもね 黒幕はルイス・フロイス
信長と出会ってたころの初期は
信長が興味本位で西洋かぶれになってたが
そのうち信長が天下取って現人神になろうとしたから信長を殺すように
家康と秀吉と光秀をそそのかした >>113 お墓も近いんじゃなかったかな。光秀は完全に裏担当だと思う。いかにも狸の家康っぽい >>242
面白いけど、当時のルイス・フロイスにどのくらいの発言権があって、どのくらいの影響力があったのかな? >>241
当時の草書読めるなんて雅子様流石だね! >>237
家康。秀吉には直属の忍者はいなかったが蜂須賀の傘下の忍者を使っていた。この時代はどの武将も忍者(あるいは間者)を雇っていた。 家康が黒幕なら当日堺でヘラヘラお買い物なんかしてないだろ 柴田勝家は織田信長の弟に仕えて信長を討ち取る寸前まで攻めたことがあるからな
けど信長の弟がホモで無能な部下を優遇したので裏切って信長に仕えた >>5
と言われてるが、、、あまりにも都合よすぎね?
そもそも光秀がこんだけの大事、事前にだれとも連携せずやるほど後先考えない人間には思えんのだが。松の廊下の刃傷事件並に不可解。 前田利家「柴田の親父さま」
前田利家「秀吉はマジ親友」 戦の強さが勝利に直結しないのは信長様が証明して見せてるやろ
勝家が幾ら戦上手でも、調略、工作に長けた秀吉と比べたら最早勝負にならない域 戦中に水の入った甕を割ってしまうドジっ子ちゃんのイメージ。 >>242
それをいうなら、信長をキリスト教で飼えないと判断したと考えるべきなんじゃないか。 本能寺黒幕説
本命 朝廷
対抗 足利義昭
穴 羽柴秀吉
大穴 徳川家康 いや黒幕が居るとすれば本命は余裕で家康だろ
論理的に考えればそれしか考えられないよ 黒幕説で最初に消えるのが家康
なんで命かけてまで伊賀越しなきゃならんのだという理由で >>252
だが利家の遺書には信長への恩や思い出については記述されていたが秀吉については1文字も記述されてなかったという
明智が味方になると踏んでいた細川親子の動きといい、明智が味方になると期待してた畿内衆が悉く秀吉方についてるのをみると秀吉が黒幕で事前に細川を抱え込んでたと思う
スレの最初の方で信康の件で家康が信長に恨みをってのがあるけど、信長が娘の徳姫を可愛がっていたしその娘の婿である信康も気にかけていたのを示唆する書状があるんだよね
信長が信康を気にかけていたからこそ行状を確かめたくて酒井・大久保を呼び寄せて行状を聞いたら二人とも信康を庇わなかった。東三河と西三河家臣の争いがあり東三河の旗手酒井とその寄手の大久保からすれば信康は争い相手だから
信長から家康に信康切腹を指示した書状も口頭で命令したのを示す文書もない。あったのは家康から信長に「牢人せしめ給ふ」と信長殿の娘婿信康へこんな処遇しましたが宜しいですかとの書状
それに対し「さように父と臣下に見限られたうえは、是非におよばず、家康の存分次第」との信長の返信で、娘婿だが父と臣下に見限られるような状況ではかばいようもなく家康の思うような処置に任せるって事のみ
築山殿を斬らせた件、岡崎臣下が信康救出に動かないようにあちこちに幽閉場所を移動させた点をみても家康の意志で処遇してる
信長からしたらあの時期にはまだ徳川を敵に回せる状況ではなかったし、家康よりも行状よろしくない信康が徳川の跡を継いだ方が織田にとってはプラスなので信康を殺す意味がない
徳姫と信康の間に嫡子が生まれたら織田の血をひく外孫になり親族大名になるわけだしさ
だから家康が信康の件で信長に恨みを持ち本能寺の件にかかわったはないかと 明智光秀に味方がほとんど現れなかったことで光秀の勇み足ってのが見えるよね。家康が黒幕ならこんな手落ちは無いと思いたい。 家康の伊賀越えなんて危険でも何でもない
ちょっと考えればわかるだろ
命からがら云々なんて家康が自分の共謀を疑われないために流した情報操作だよ 別に黒幕なんていないんじゃないの?
きんかん頭の単独犯でしょ。
何かやるときはそりゃああちこちの支援(朝廷とか元将軍とか)は受けようとするだろうし。
なんで日本人はそんなに陰謀が好きなんだろう。
歴史学としてはここで誰が背後にいようがあんまり気にしないんでないの?
そういう論文見ないからさ。これって町の歴史家とか作家の題材だよね。 >>263
全員可能性0だよ
というか黒幕などいないよ 黒幕の可能性があるとすれば家康しか無いってだけの話
つかむしろ家康は光秀と共謀してた可能性はかなり高いよ
自分が共謀してたとバレないように細心の注意を払ってアリバイ工作(堺遊覧)と言い訳作り(伊賀越え)をやってたが、茶屋四郎次郎の動きや穴山梅雪の死などの伊賀越えエピソードの不自然さは家康が計画にかかわってることを示してる >>273
(ヾノ・∀・`)ナイナイ
直前に信長の甲州巡航から徳川接待があって
そこで返礼の会で光秀が吊るし上げられわけだが、そもそも徳川からすれば光秀と共謀する動機がない
それどころか空前の接待で信長を持ち上げた直後の本能寺 もともと信長が光秀を使って本能寺で家康を謀殺しようとしてたところで、光秀が虚をついて信長を討ったという説もあるよな。 >>275
それはないな
直前に平定した甲州の巡航があって徳川はそれこそ超接待して信長を出迎えてる
別に失態もないので、信長からすれば徳川を誅する動機がない
この徳川接待の返礼の会で問題の光秀の失態があり本能寺に続く流れ >>274
信長が討たれれば家康にも利益がある
たとえ光秀が権力の掌握に失敗したとしても、信長が討たれて織田家が弱体化しただけでも十分
それだけでも動機は十分だろ 光秀の失態とか言ってるけど、そんなの作り話のエピソードで史実じゃ無いよ >>277
しかしその理屈で決定的に疑問なのは
信長の甲州巡航から富士見物の接待は全て徳川主導
つまり徳川からすれば、本能寺の直前にメチャメチャ金をかけて接待しまくってるわけで
殺ろうと思えばぶっちゃけいくらでも殺れた状態
武田を滅ぼし、甲州を平定し、富士を見物し、全て徳川が接待して、戻ってくる
その返礼の会で光秀の失態、左遷発表、本能寺の流れ
出来過ぎではあるが、筋は通っている 明智光秀、徳川家康、羽柴秀吉の三人の計画と思われる。光秀は秀吉に裏切られ、それを察した家康は、とにかく信長亡き者になったことだけで満足し身を引いた。策士秀吉の一人勝ちになっただけの話だと思う。いつの時代も、一番得した人間が黒幕なのは通説だよな。 江戸村で見た飛び出す映画だと最後家康と坊主が平和にお茶飲んでたな >>280
何言ってんの
自分で信長殺すのと、光秀がやってくれるのじゃリスクの大きさがまったく違うだろ
自分で信長やっちゃったらその後権力の掌握に失敗した場合家康が光秀のようになってた可能性のほうが高いんだから
家康からすれば、自分でやるのはリスク高すぎるけど、光秀がやってくれるなら協力する、でも失敗したときのこと考えて自分がかかわってることは絶対にバレないようにってことだろ >>277
基本的な知識がなくのぶやぼ感覚で語っているだけだね 答えのない推理ごっこてのは楽しいと思う反面、学問として理屈を積み上げて
いくのはたいへんだよね。
科学なら実験してしまう手があるけど歴史なんて無理だもんね。
タイムマシンができてインタビューに行ければともかく。 >>283
光秀からすれば
信長と徳川が仲良し小好しで富士見物から戻ってきて、返礼の会で大失態
そこから徳川に話を持ちかけ信長妥当の算段するとは筋が通らない
となるとそのはるか以前から徳川と内々の謀議があったことになるが
そうなるとそれこそ富士見物中に暗殺でも可能ということになる
そもそも謀議前提なら光秀からすれば徳川に討ってもらえば一番早い
自分が手を汚す動機すら無い >>10
旧図書館をそういう感じにしていくっぽいぞ 信長が寝タバコで失火、本能寺が全焼したところに駆けつけた光秀なんだけどなかなか見つけ出せずに信長様を探せー!なんて騒いでたら状況証拠のみで犯人にされた説
(ヾノ・∀・`) ないか 秀吉黒幕論やら騎馬隊は無かった―とか
似非学者の売名行為程害悪な物は無いわ
朝鮮人の大きな声の嘘みたくある程度の馬鹿は信じちゃうんだから >>286
いやまず安土での家康接待での光秀の失態なんて作り話で史実じゃ無いって
それに光秀が家康と相談したことが筋が通らないことなんてまったく無い
むしろあの状況下なら光秀は家康に相談して協力する約束を得た可能性のほうがはるかに高い
何故なら光秀からすれば信長を京の本能寺で討つことまでは確実に計算できるが、問題なのはその後の権力掌握のほうだからだ
謀反の後に急いで引き返してくることが確実な秀吉と勝家を返り討ちにするのに、諸将に援軍を頼まなければいけないが、諸将が協力してくれるかどうかはこの時点の光秀には見通しが立たない
そんなときにたまたま家康が安土を訪問していて、直前まで自分が接待役をやっていたんだから、光秀が家康に相談して協力の約束を取り付けたとしても何らおかしくは無い
むしろ家康が協力してくれるという密約を得たから謀反に踏み切ったまで考えられるよ >>290
よく分かるが疑問があるな
本能寺で信長を討っても徳川の勢力を当てにできない
なぜなら本隊は三河にあって家康の単身とも言える状況で戦力にならない
それでことを起こしてもそれこそ「その後の権力掌握」が不安定
それよりも富士見物時に徳川に暗殺してもらえれば戦力そのままで対応可能 今更なのか未だにと言うべきか分からんが、
こう言う書状が見つかるから歴史は面白いわな。
黒幕なんていないと思うが、「信長に仕えるのも大変だね。何かあったら力になるよ。」って社交辞令が飛び交ってたろうし。 爺様なんで後生大事に古いiPhoneを古いiosのまま使ってたからマップが残念だったんだろ
明智金柑頭陣がいっぱい表示されて右往左往 >>291
いやまず光秀が家康に信長を討たせるなんてことはできないよ
家康が自分で信長を討つなんてリスクが大きすぎて家康がそんなことするわけが無い
家康が協力したと仮定するなら、それは光秀が信長を討ってくれるからだ
しかも失敗したときに自分も共謀してたことは絶対にバレないように手を打った上で
光秀からすれば権力の掌握は不透明だが、うまく行かなくて諸将に援軍を要請してもまったく相手にしてもらえないと読んでたというわけでも無い
そう読んでたなら謀反に踏み切らないだろう
不透明だけどどうなるかはわからないって状況で、家康の協力を得られたから謀反を決断したと見るのが妥当だろ >>294
家康の協力の効果が全く存在しないのが問題
戦力を持って大阪に滞在していたならともかく、単身状態
謀議があったならそもそも戦力を持って上京すればよい
名目は「上様護衛」でも何でも良い
君の理屈で言えば、その先に光秀に事を起こさせれば良い
が、現実は戦力がないので役に立っていない >>25
毛利軍は信長軍(明智軍)が合流する事を想定した防衛体制を敷いていたため、攻撃編成を取るには時間が必要だった。
また、高松城の堰を切って一帯を水浸しとし、毛利軍が追撃できない状況を作りあげた。
このため、秀吉軍が道幅3.6メーターと言われる狭路地帯を抜けるまでの時間が最初から確保されていた。
ここを抜けられた場合、追撃隊がここを通過しなくてはならないが、これをやった場合、殿の黒田軍が行く手を遮り、宇喜多軍が狭路に横槍を入れられる配置になっており、さらに、ここで手間取ると南条元続軍が毛利領に侵入して挟撃できる手はずになっていた。
大返しも全体も含めて官兵衛の策と言われ、秀吉が後年、官兵衛を冷遇する要因にもなってる。(やべえ奴) >>292
その位はあっただろうなあそれを真に受けてやっちゃって
細川さえドン引きで皆に相手にされず自滅とかの方有りそうだ
光秀程の者がと思うが人間歳とると部族の長老みたいな賢者は意外と稀で
短気で短絡的になる場合多いこれ介護の実体験 >>295
あのさ、信長天下のこの時に信長の招きで安土に赴いてるのに、兵連れて行けるわけ無いだろ
それこそ信長にあらぬ疑いかけられて敵にまわされることは確実だろうが
信長天下のこの時世でそんなことになれば滅亡したも同然だろ
それに家康が本能寺の変が起きてから大急ぎで三河に戻って兵を動かそうとしてること考えれば、それは光秀を討つためじゃなくて光秀との密約があって光秀を援助するためだと考えたほうが自然だよ
秀吉や勝家が引き返してくることが確実だと言っても、彼らは遠隔地で戦争の真っ最中なので、引き返してくるまでにはある程度の日数がかかることも想定できるんだから
ちなみに家康は兵を動かそうとしたが、光秀の権力掌握状況を見極めた上で、名目を光秀援助とするか、謀反人光秀を討つとするかを見極めていたんだろうな 秀吉に協力者光秀をあっという間に滅ぼされた家康は、関が原で如水ら皆が長引くと踏んでいた争いをあっという間に終わらせてやりかえしたんだな >>296
とは言え結構変ってはいたろう
ジリ貧の毛利としては千載一遇と言うか唯一の好機なんだし全力で行くでしょ
となれば秀吉のあれほどの華麗な結果は難しいし長期化の可能性はあったんでね >>298
思い込みでそこまで強気に出れるのもなかなか凄いな
ただそこまで証拠のない自分の意見が正しいと思ってるなら他人と会話するべきじゃないなw >>302
毛利軍が信長の悲報を知った後に追撃するかどうかを協議してるんだけど、上の状況から泥濘地を進撃して秀吉を追撃しても、狭路で黒田軍と宇喜多軍と南条軍に挟まれて停滞するのが見えてて秀吉に意地悪する位の得しかない。
それ位なら秀吉に恩を売った形で領地安堵の方が美味しいってのが合議になってるさ。
タラレバで織田信長が息災だったら(信さんの性格的に)毛利は滅亡してたかもしれないんで、領地安堵は最高の結果とも言える。 信長を暗殺したものの仇討ちにビビった光秀が秀吉にこっそり援軍を要請したから >>304
まあ実際恩売って豊臣政権では良い地位だったしな
ともあれ明智と連携して乾坤一擲の追撃挟撃策とぅてたらと考えると興味は出る
もっと早くに徳川の世になったのか明智政権になったらどうなっていたのかとか お家安泰が第一の毛利が約定破りしてまで追撃なんてするわけ無いわな
関が原だって家康を欺いて袋叩きにするおいしいチャンスだったのにやらんし 格下の秀吉の寄騎に成ったり、知行を毛利領にされたりで危機感はあっただろう ノブさんが筆まめな性格だったのは有名だが感状を贈った数は秀吉と光秀がツートップだったみたいだな 秀吉・家康とか朝廷黒幕説とかいろいろあるけどやっぱり、光秀の発作的な単独犯行だったんじゃないかなあ。
冷静な判断力があれば信長を殺害したところで「上様(信長)のかたき」を大義名分にして
攻めてくる、羽柴、柴田、丹羽、滝川の軍団長や、信雄などの織田家一党を全部敵に回して、
すべてに打ち勝つなんてのはどう考えてもむりでしょ? やっぱ、秀吉には説明責任があるよな
証人喚問しないと! 圧倒的なフィクションでドラマ化したら面白い
て言うか通説通りの奴飽きたよってのが本音
表の顔、裏の顔、やってもおかしく無い筋の通った動機などがあればまた面白い
作る側の頭の良さも必要
トンデモ時代劇見たいよなおまいらも? 光秀はただ天下取りをやってみたかっただけ
信長は戦国を終わらせたかっただけ
やることやったら、あとは秀吉に任せ
2人で海外ツアー
日本に帰ってきて光秀は名を変え坊主に
信長は小さな神社の神主になったとさ >>314
年齢による焦り説があるね。
光秀55才の時点で豊かな領地を没収され、毛利領に自領を切り取れは流石にキツい。
その葛藤の中、大軍を与えられて信長も信忠も無防備のワンチャン。
ここからは発作説支持。
ちな、この時点で信長49歳、秀吉47歳、家康41歳。 安土城の縄張り見ても朝廷軽視は明白
光秀の将軍宣下の速さから言って、朝廷がクサイ 少なくとも織田の家臣で黒幕ってのはちょっとありえないと思う。
もし黒幕がいるとすればまた桶狭間の戦い以前の状態に戻ってもお構い無しな人。
朝廷とか織田以外の大名とか。 >>4
なるほど久本は東京にいて光秀がどこにいるかわからなかったからか >>318 確かに、昭和の初期ごろでさえ日本人の平均寿命は50歳程度だからね。
400年前の感覚として55歳なら完全に老人でしょうね。 >>322
>日本人の平均寿命は50歳程度
乳幼児の死亡率がとても高かったからだよ >>255
鉄甲船作ったみたいに欧米に先んじて次々に近代兵器を発達させて
死後もその影響で貢献しつつ 後々には大東亜共栄圏樹立成功?とかかな >>320
どう考えても織田信長が、黒幕だったという説は?
つまり、戦国時代を統治するということは
かなりの恨みをかっていたはずで
そのまま、将軍職について引き継ぎとかであれば
末代まで恨まれ内乱も起きるし可能性だって高いし、
暗殺されたっていうことで
大義名分をとって、折角の天下統一を反故にさせない
天下取り、海外で学習した光秀でないとい天海の地位は
気づけないはず、なにせ光秀が天海であれば
そもそも親殺しを家康が側近には置けないと考えます
仮にも天下をとったんだし、バカじゃないと思うよ
先の先までよまないと戦国を江戸の天下泰平までは
導けなかったはず >>323
成人まで行けば長生きした人も多いとは言え、やはり55歳は高齢。
歯や眼の健康状態が武将としては致命傷だったりする。 >>323
乳幼児の死亡率が高かったのは状況からして明らかだろうけれども
それによる平均寿命の引き下げとかな無いじゃろ今みたいに死亡診断書やらの記録残さんし
寺の過去帳とかで家長とかの平均寿命は推し量れるとは思うが >>255
天下統一の後、国は信忠に任せ、信さん世界一周旅行。
そんな手記がある。 秀吉、織田信長誘い出した本人→結果は光秀謀反で暗殺
秀吉、織田家乗っ取り→歯向かうものは殺してもいる
秀吉の権力と地位→信長超え
結果だけ見ると真っ黒な 現代、もしくは未来で歴史を学んでから死んだ人の魂がうんたらかんたら >>327
そう言えば戦国時代の戸籍ってどーなってたんだろ?
太閤検地で農地面積とそれに関係する農民と年齢を記録したのは知ってる。 >>328
そうは思えんなぁ
正親町天皇への譲位要求みても明らかで平清盛習って朝廷に介入するつもりじゃないのかね
天皇家の一族として大院政 >>325
信長本人が黒幕?つまり自作自演?さすがに突拍子もないと思う。思うが
何と言うかな・・あまりにも本能寺襲撃が簡単にことが運んだなと。さらに秀吉は
確かに弱くはないが、かと言って光秀の敗退もあっけなさすぎなのも
引っかかるし、だから絶対無いとは言えなくなってくるね、あなたの説。 >>332
天皇家抑えてからだね。
そもそも天下統一が成功した後は天皇が無事だったかどうか。 >>331
俺も寺の過去帳とかその位しか知らないなあ
まあ余程の家以外は曖昧な筈だよね >>331
江戸時代ほど精密ではないだろうけど、寺やその地区の領主なんかが管理していたみたいよ
だいたい、戸籍をちゃんとしておかないと戦時の動員も、年貢の徴税もできないじゃない。
また、管理される農民の側にしても、どの村の何兵衛か明確にしておいたほうが、仕事もできるし
身の安全もはかれるでしょう。あと、秀吉・秀長の異父兄弟が、極貧の出ってのも怪しいよね。
二人とも、文字の読み書き、数字の計算ができたんだから、少なくとも初等・中等教育程度は受けているから
ある程度の富農の出だよね。 >>333
戦国の世の中を泰平の世にするためには
二転三転して、大衆をごまかさないと
織田家も明智家も豊臣家もまるごと
無くなって、徳川家が泰平を築けた
つまり、黒幕がいなけりゃ戦国に
逆戻りしてもおかしくないはずだと感じました 黒幕は信長
天下統一を目前に部下に裏切られ「是非もなし」と言い残して人生五十年〜♪と舞って炎のなかに消える
これで信長は伝説的存在になれる
本能寺の変で誰が最高に得したかってそれは信長以外にいないだろ >>337
本能寺の時点というのは武田滅亡の直後なわけで
天下の体制はほぼ確定してる状態
あとは惰性といってよい
中国の戦国時代と同様で秦が圧倒的に抜けていても統一までにはそれなりかかる
しかし天下の体制がひっくり返ることはない >>266
酒井忠次率いる東三河系の動向って、隠れがちだけど重要よな。
信康問題は、父の浜松(遠州)と息子の岡崎(西三河)の対立だけで語られるが、
間に吉田(豊橋)があって、ここがキーになってる。
吉田は北側が川で背水の陣になり、家康が地理的に根拠地とすることを嫌がったため、酒井を置くことになったのだが、
ここは中央構造線の谷が三河湾に出るポイントで、対武田防衛の軍事的要衝だから、重要でないわけがない。
武田がもし三河湾への港を確保したら、濃尾伊勢方面も直接の脅威にさらされるわけで、信長としても大変な事態。 京で討たれたんだから普通に京に行こうってなったんじゃないの そりゃ信長も光秀も秀吉のところに向かうはずだったんだから
両者の動向や京都から自分のところまでの行程に目を配ってて当然だろ
しかも秀吉だから家臣任せじゃなく自身で完璧に把握していたはず 電話もまともな地図も無い時代にピンポイントで伝える伝令とか凄いよね 真っ暗闇でまともに道も整備されてないのに 絵に描いた餅を信長がついて
絵に描いた餅を秀吉がこねて
絵に描いた餅を家康が食べた
めでたしめでたし >>336
そこらあたりが良く分からなくて、信長が台頭した頃の農村は独自に軍事力を持ってて、村毎に自治をしてたさ。
なので、領主はリーダー(庄屋以外もある)と掛け合って、何人寄越せ、その代わりこう便宜してやるってのをやってたさ。
落ち武者狩りなんぞで兵力集めるのもその単位でやってた。
でも、秀吉の時代になると、農村の力がなくなり、トドメが刀狩り。
そうなる中間がわからないw 実際、理解しがたいのは、本能寺の変の際に、光秀の軍勢数万が、誰にも見つかることなく
本能寺を急襲できたことなんだよね。かんがえてみれば、現代じゃなくて、何の工場も自動車の
騒音が一切無い、戦国時代の真夜中を数万の軍隊が行軍すれば、ある程度抑えても人馬の足音も
鎧の音もするだろうし、相当響き渡っただろうにね。また武田が滅亡して残党による襲撃もありえる情勢下で
信長が本能寺の警備以外に、街道などになんの見張りも立てずにグースカ寝てたってのもありえるか? >>348
ありえる
昼間に公家呼んで大宴会
夜はグッスリ
そこに急襲
どうにもならない >>348
お前がなにひとつ解説本を読んだことないのは伝わった
その疑問点は解説されているよ。証拠があるものも無いものもあるけど >>346
信長の代になると職業軍人ができ始めて、敗残兵といえどもそう簡単に狩れなくなった。
本拠地移すのが当たり前で領主の管理が徹底できてなかったとかじゃね >>348
信長がそのまま秀吉のとこへ行くのではなく
まず自分の所へ来るよう命令した説もあるけどな
最近、光秀謀反で信長が「余は自ら死を招いたな…」と
語ったという資料が出てきたというのをBSで紹介されてた
確か現場を脱出した侍女の証言の記録 >>348
光秀は自軍に「信長さまの閲兵を受けるため京都に向かう」と伝え、近隣村々には大軍の行軍がある事と、そのルートは流動的である事を伝えてた。
明らかにおかしなルートになるのは亀山城からだけど、こここら本能寺までは20キロしかない。 家康からしたら信長に死んで欲しいけど自分でやるのはリスク大きいから不満持ってそうなやつをそそのかしたとかそういう感じなんじゃないかな。
あんた苦労しとるけどこのままでええの?今度わしが答礼で行くときとかチャンスなんじゃないの?みたいな感じで。
共犯とかではなく単純に徳川の陰謀 >>348
本能寺は秀吉のところ行く通り道だしちょっと顔見せろって言われてるって言えば本能寺に寄るのもなにも不自然じゃないと思うけど >>354
史実からして徳川は無くね?
京都に居たのはせいぜい30人でしょ?
陰謀の主犯だとしても簡単に殺せる。 >>357
京都閲兵が早朝にある場合、夜通し走って朝に間に合わせる位は普通にやる。 >>358
なるほど
自軍に対する説明としてはあるな >>358
20キロしかないというが、20キロと言えば、現在の皇居から北にいけば埼玉の川口市。
西にいけば新宿をはるかにこえて、三鷹の先、小金井市。東にいけば船橋。南なら川崎まで行ってしまう。
船橋-皇居間を、大勢の武者が音もたてずに隠密行動・・しかも誰にも気づかれませんでした。
ってのはどーしても無理があるような・・ >>360
警戒してなければ気づきようがないな
昼間は大宴会してるわけで >>360
電話や無線がある時代じゃないから行軍と似た速度でしか連絡できないw
あからさまに早馬だせば追撃される。 光秀が呼ばれて詰めかけたら信長が持病の発作で急死して光秀のせいにされた説 >>365
信忠が生きてれば織田政権は盤石のまま。
信忠はかなり優秀。
優秀すぎて他が伸びなかったのが織田家の悲劇でもある。 飼い慣らした鳥を通信手段として利用出来なかったの?あの時代でも、余裕で出来るだろう >>366
松姫と添い遂げられたのだろうかだけ気になる >>360
何万もの軍勢が一度に押し寄せるわけじゃない。
本隊に先行して急襲した部隊だっているでしょ >>368
松姫呼んで待ってる間に本能寺の変が起きたって考えたらすごく悲劇(´・ω・`) 大河ドラマ「明智光秀」
第1話 本能寺の変(怨恨説)
第2話 本能寺の変(黒幕秀吉説)
第3話 本能寺の変(黒幕家康説)
第4話 本能寺の変(黒幕朝廷説)
第5話 本能寺の変(黒幕斉藤利三説)
て感じで50話までいけそう 最近の定説では信忠と松姫は一緒になってただっけか? >>367
鳩使ったとしても、到着するのは日が昇ってからじゃね?
そう言えば伝書鳩の歴史って知らないなw
軍事的に便利そうだけど。 >>371
最後の方ネタ切れで信長糖尿病死説とか訳解らん事になりそうだけどな 鷹狩りみたいのはあったけど鳥を通信手段として軍事利用すら発想力にはいたらなかったのかな? >>376
伝書鳩でググッたらローマ軍が使ってたそうなので歴史はあるんだが、日本で使われだしたのは江戸時代みたいだね。
まあ、夜じゃ使えないけどw 伝書鳩は江戸位から使われたらしい
欧米ではローマ辺りから結構盛んだったらしいしノブ辺りが活用しなかったのは不思議じゃの >>378
カワラバト自体は古くからいたみたいだけど、特性がわからなかったんだろね。
これ、知ってたら各地からの連絡に便利だったろなー。
例えば、本能寺の変を毛利に伝えるとかw >>360
気付かれなかった訳でも無い
みんな知ってたけど気にしなかっただけ
「明智軍が移動してるなあ、何処行くんだろ?」ってな感じ
周辺全域が織田家の領土だから明智軍の軍事行動とか何の問題も無い
それに機密作戦とかも普段からやってるしワザワザ注進しに行ったら逆に
起こされて機嫌の悪い信長に首チョンパされかねない
信長が人の意見とかよく聞く人だったら作戦は成功して無いだろうな >>375
第50話 本能寺の変(異世界転移説)
で完結ね 陰謀説はよくあるけど、現実的に陰謀が広いほど露見しやすい、リスクが高いと言う矛盾が起きるし
光秀の思い付きで深い思慮無しに襲った方が成功率は上がるだろうなぁ
一番防ぎ辛いのは通り魔的犯行だから 主殺しだから、配下の武将説得が肝心
裏切りが無かったって事は、信長殺しに正当性があった証拠にはなるな >>35
謀反も何度もあったから光秀いなくても殺されてただろうな >>55
確かに近衛軍がほとんどいなかったよな
油断しきっていたのか軍団長を各地に置いてるから問題ないと思ってたのか >>93
信長はもともと神官の役職貰ってたから天皇滅ぼすのは懐疑的なんだよな >>107
そうか?弟の信行について一度裏切ってるじゃん
この頃の部下はいつ寝首かくかわからない存在だよ
だから信長は身内で固めてた 家康は100パーそんなことしないだろ
強い恨みもないだろうし 俺は呉座勇一のことを信じる
明智憲三郎と井沢元彦の説は信じない なぜと考えれば考えるほど、秀吉が本能寺の黒幕とまではいかなくとも、予見していたのでは?準備ができていたのでは?と疑ってしまうな >>390
いうて武家の遊び感はあるけどな
天皇と将軍家を掌握できたら勝ちも同然だし >>394
秀吉は高松城を湖に浮かべて対岸に毛利軍を置いた絶景を信さんに見せたかった。
そのため、姫路から高松城に至るルートの整備を行い、拠点拠点に休息所や補給所を設置して道すがらの接待に備えた。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/8e/9d340b88de27a78fa2d85ce1a19f1601.jpg
そのルートを戻ったって言うラッキーがある。 >>1
また大坂を大阪表記かよ これだからカッぺは困る 秀吉が黒幕なら光秀は動かんだろ
光秀はめちゃくちゃえらい身分だぞ >>398
丹羽が居た歴史的名称の「大坂」と
地理的名称としての「大阪」の
使い分けが分からんのだなぁ >>386
ヨイッチー「お手透きならば羽根をむしり候へ」 >>392
通説ではあるが、実は信長を恨んでた説はあるにはある
史料は出てないが、そう疑う人はいる
理由は色々あるが、幼少期の信長とアッーを強要されて恨んでた、なんてのも 秀吉って昔はヒーロー的な扱いが多かったのに
最近はマイナスイメージの創作が増えてきたように感じる 本能寺の変って徳川蒼が織田信長殺したんじゃなかったっけ? >>402
信長を倒そうと考えるほどの恨みはないでしょ
だいいち本能寺の時に護衛数人と京にいる時点でありえなくない? 秀吉が本能寺行って信長を真っ二つにしたんだろ
なんか凄そうな文献に書いてあった >>406
だからこその光秀家康共謀説なのではないだろうか >>407
で、真っ二つにされながらも一旦身体を整えて、秀吉に茶を一席設けてから死んだんだっけ? >>402
ホモ行為(衆道)は当時は不思議でもナンでもなくね?
家康が愛でたのは井伊直政が著名。
信長さんの相手は(ゴツそうな)前田利家と柴田勝家だったので、森蘭丸もゴリラだったかもしれないw >>408
共謀しとらんやんけ!
光秀と家康が兵を挙げたら流石の秀吉もただじゃすまない
家康光秀毛利から挟み込まれたらたちまち終わりだわ
むしろ共謀しとけって案件 >>408
仮に家康が共謀してたとして、あの慎重な家康が少人数で京都にいる時にはやらんわな。
主人を裏切ろうって言う光秀だぜw >>413
お家を残すことが第1だから天下を取るって考えたのは最後だけだと思うわ >>397
家康がやった大接待旅行を自分もやってみたかったのかも
まさか、そんな形で生きる事になるとは思わなかったろうが・・・ >>403
秀吉は、指が6つある奇形で、高麗系の技術職の人間だろ。
石積みの親方で陰謀に長けているが、弟の補助無しでは上に這いあがれなかった人間。
光秀をけしかける事は巧くいったが、つめがあまく、最後は根絶やしにされた >>412
そこは家康が囮役というか家康が兵を伴わないで信長と会うことで信長の戦力を緩める役割を果たすというか…
積極的に兵を出さないけど手ェ貸しますぜ的な関係も考えたりしたのよ
家康視点からすれば光秀の思惑が外れても手勢を連れてない家康が早い段階で疑われる可能性はまず無いから、その方がやりやすいだろ >>415
1615年12月に大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼし、翌1616年4月死去。
豊臣家への無理難題と攻撃は慎重な家康らしくないけど、死期を予感してたと考えると納得がいく。 >>418
光秀が信長を殺った後に自分を狙うと考えると手勢20名はヤバくね?
信長と会った事と戦力は無関係だし、どーせやるなら地元にいる時でしょ。 >>420
まあ確かに光秀が家康を裏切るリスクは充分あるから、それに備えない訳にもいかんか… 本能寺襲撃、信長殺しという一大イベント見ようと、明智軍とともに家康がそこにいたとかあると思います 光秀は当時織田の親衛軍を率いる立場
光秀は武功を立てて佐久間信盛の後釜としてこの地位を与えられた
親衛軍は織田の寵愛を受けた裏切らない将兵たちで固めた織田信長を守る為の軍だから
光秀が個人で主君を打ち取ろうとしても部下は付いてこない
実際当時の部下たちは「ついに殿(信長)が家康を討ち取るのか」と思いこんで本能寺を攻めた
本能寺に家康が居ると思いこんでいたが、実際には主君の信長を殺してしまったと後から知って物凄く動揺した
だから信長亡き後の光秀には手勢しか残らなかった
本当に光秀が信長を討つ大義と支持を得ていたなら秀吉とは互角以上の戦いができた 家康が伊賀越えをするときに従っていた家臣は34名
日記によると落ち武者狩りをしてきた農民200名以上を斬って乗り切ったらしい
命からがらで岡崎へ帰っていて共謀してたとはとても言いがたい 早馬を使って本能寺の変を家康に知らせたのは茶屋四郎次郎
京都で呉服商をしていた
秀吉へ知らせたのも同じ呉服商仲間じゃないかな
角倉了以とか >>428
凶暴説は無理がありすぎだね。
家康本人の命が危ないわけで。 光秀が家康を殺してなんになるんだ?事が成った後の協力者として生かしといたほうが良いじゃない >>6
俺は、包丁を使って、テレビ朝日男性アナウンサーの眼球を食べる。
俺は、包丁を使って、テレビ朝日女性アナウンサーの眼球を食べる。
俺は、包丁を使って、香月サエコの眼球を食べる。
俺は、包丁を使って、林misakiの眼球を食べる。 明智光秀ってキリスト教に寛容だった信長ぶっ殺したのは正直GJだよな
最高の忠義といっていいと思うんだが >>428
酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政、と、戦国無双に出てきそうなメンバーですからなw >>419
面白いのは家康は慶長19年(1614年)に豊臣家を滅亡させて元和2年(1616)に駿府で亡くなるまで
約2年間、戦後処理も、その後の政策もほとんど部下や秀忠に丸投げして「大御所様は駿府で楽しく隠居していました」
という記録になっているって事だね。あれだけ仕事人間で、人に仕事を任せるのを嫌う人で
しかも、後継者の秀忠はアホではないが、平民に生まれていればせいぜい足軽大将程度の器量の男で、大坂の陣の際も
家康にまったく信用されず、家康自身が端々までの戦争指導をとったというのにね。
やっぱり、大坂の陣で家康は実は亡くなっていたってのは本当かもね。若干レス違い失礼 >>366
死地であっさり死ぬあたり、太平の君主になりすぎていたのかもねー 秀忠とどこで違ったやら >>437
信忠は武将としての人格と威厳を備えたリーダーとして尊敬される人物だった(そう育てられた)が、それがアダになった。
脱出できる可能性はほとんど無かったかとしれないが、これが信長なら雑兵にやられたとしても脱出を試みていたに相違ない。
つか、家康も「もうダメ!切腹しよう」タイプだよねw 信忠と一緒にいた有楽斎は逃げられてるから
信忠は早まったと言われても仕方ないな >>439
結局、戦国真っ最中に成人した織田有楽と、だいぶ後に生まれた信忠ではやっぱり死生観が違ったんだろうね。
有楽のように「「織田の源五(長益のこと)は人ではないよ お腹召せ召せ 召させておいて われは安土へ逃げるは源五 むつき二日に大水出て おた(織田)の原なる名を流す」
と世間の笑い物にされてまで生きるのはできなかったんだろうよ >>346
惣村自治といったって、中身は共同体単位の徴税請負だよ。村単位で年貢を集めて庄屋が領主に納めた。
そしてこれは江戸期でもずっと続いてるし、考え方によっては、小作料の村請として戦後農地改革までずっと続いてる。
ただ、それとは別に、戦国時代の場合、司法警察権(検断)自体を自力救済的に惣村が請け負うことがあった。
これは荘園制が崩壊してカオス化し、かつ兵農一体で武装できる豪農がいたから可能だった。
これは農民にとってはむしろ負担なので、国人層が軒並み家臣として農村から離れると、本来の領主の権限に戻ることになる。
農民としては、領主が治安を維持してくれて農耕に専念できたほうがいいので、自然とそうなる。 >>436
秀忠をあまりにも舐めすぎw
>>211に既に書いたけど、秀忠は軍事司令官としてはポンコツだが、政治家としては超有能だぞ。
家康は秀忠のその政治的才能を正確に見抜いた上で、わざわざ秀忠を二代目に据えた。
二代目の宿命である「粛清」を、全くボロを見せずパーフェクトに遂行した。本当にいの一度も謀反らしきことが起きてない。
もう日本史どころか、世界史的名政治家といっていい。こんな例は世界史でも滅多にない。
家康の息子たち・孫たちは、軍事司令官としては有能かもしれないが、
血気盛んなばかりの政治音痴が多すぎて、家康は内心困っていた。
典型例が結城秀康だが、その息子忠直はもっと極端だった。
松平忠直が三代将軍だったら、そこで徳川政権は終わり、伊達政宗かだれかに滅ぼされていただろう。 情報網の差だろう。秀吉は機内に信頼できる情報筋をいっぱい持ってた >>444
秀吉は社交的な人物で、織田家の被官だった頃も、武家だけではなく、商人や百姓、芸人とまで
付き合いがあったという。対比して柴田勝家という人は、武人としては一流だが威がありすぎて
あまり社交的ではなかったようだ。まして、武家以外の人間と胸襟を開いて話すなんてのはむずかったようで
その点が明暗をわけて「京都、本能寺で信長公が明智光秀に討たれました」っていう最新情報を、京都在住の武士だけでなく
商人や大百姓までが秀吉に速報でおくったが、勝家に送る人が皆無だったってことでしょうね。 >>439
完全にこれ
捕虜にされたって殺されなくて逆転する可能性もあった
帝王学に染まりすぎ、若かった 日本史に、超詳しい奴がタイムスリップしたら天下取れると思う? >>447
国中、背が伸びなくなるほど身体鍛えすぎている肉ダルマで、もう100年も戦争していて
エネルギーが有り余って、東南アジアぐらいまで平気で進出しちゃう、戦闘民族を従えさせる事ができればね >>447
出現した場所のローカル歴史郷土史家レベルに詳しいとかじゃないと
教科書とかセンターレベルの歴史知ってても意味がない
その前に抗生物質がないから病気でやられる危険性が高いけどw >>447
相当詳しくないと「へー、本当はこうだったんだ」で終わるかもしれないねw
醤油や砂糖や消毒や麻酔と言った知識の方が金になりそう。 >>447
鹿児島とか行きたくねぇw
ワープする地方が選べないとね >>453
ワープではありません
タイムスリップです >>7
直前の魚津城攻略の時にかなりあくどい手法をつかったので
必要以上に上杉家の恨みを買っていて、その対策のために数日要したのも痛い。 >>48
信康は軍事能力は確かに高かったんだが、粗暴すぎて統治者として・・・という意味な。 >>182
光秀が本当に土岐源氏系統の明智一族かどうかいうのは現在でも不明。
明智家の郎党の一人にすぎない説もある。 >>436
家康は死んだんだよ
大阪以降は影武者だよ >>447
メキシコ人かシリア人になったらメキシコとかシリアで天下取れると思う?っていってるようなもんだろ
自分の手駒集めて無事にひと勢力立ち上げることすら厳しい >>447
作戦変更すればそれに合わせて相手もやり方を変えるだけなので無理やで
日本の最高クラスに頭が良くて度胸もある連中に凡人じゃ先が読めたとしても勝てない >>461
桶狭間のような奇跡が再現されるとは思えんね
危機を回避した瞬間、今川の勝ち 越中には日本初のアルピニスト、佐々成政もいたのにな >>447
史実と事実は違うだろうからな
史実に基づく作戦を実行したらトンチンカンな作でフルボッコにされそうだな >>458
光秀の能力が、個人技としては銃の達人、軍の駆け引きも抜群で織田に被官して数年で軍団長。
教養としては公家や将軍から尊敬されるレベルで、諸国の言語や事情につうじて
領国経営でも民にしたわれる善政をしける・・
つまり、一人で「学者」「武士」「軍団長」「経営者」「殿様」「コメンテーター」
ができる万能超人みたいな人でこれだけの人間が、40手前ぐらいまで流浪していて・・
生まれはともかく、何者だったんだろうとは思う。 >>462
桶狭間は結構な確率で再現できるんでないかな?
今川軍は近隣集落の乱取りを開始していた。
そのために選んだ拠点であるため、場所が限られる。
軍団を小分けにして各村に送っていた。
そのため拠点は義元と親衛隊のみ。
信長は全てを読んだ上で、乱取りから兵が戻り始める少し前の時間を選び、タイミングを合わせて正面攻撃をしかけた。
義元拠点は手薄な上、信長軍を乱取りから戻る兵と勘違いした。
この作戦は(乱取りを前提とすると)雨でも晴れでも成功する。 >>459
輿で移動中に槍で突かれたってやつかい?
んで秀忠も家光も、家康が死んだとされる場所を訪問してるとかなんとかっていうんだっけ >>467
それが本当だとすると本物の家康の遺体は、大阪の普通の寺にあり、影武者家康の遺体が
日光東照宮にあるって事になってしまうね。DNA検査でもしてみたらいいのにね >>466
信長の面白いのは、少人数での奇襲のような賭博性の高い戦を桶狭間以外で生涯やってない事ですね。
普通の人間は、若い頃の成功体験にとらわれてしまうが、信長は敵の数倍の兵が集まるまで待って
大軍で押しつぶすように進む戦を好んだ。桶狭間は信長にすれば万に一つの奇跡的成功で、
二度はないってのを知っていたのだろう >>466
見通しが効かず、しかも地理感の無い丘陵地帯で、兵力を分散して乱取りを始めたというのが、今川の決定的な気の緩みだよな。
今の地理学では、あのへんは「丘陵地であって平野じゃない」という理屈で、濃尾平野に入れてもらえないらしい。
俺も最近知った。「大阪平野の面積≒濃尾平野の面積」と言い張る奴がいて、
ひと目見ておかしいとわかるだろ?頭湧いてんのか?と思って調べ直してたら、愛知丘陵を除いた面積だった。 >>469
用兵家としては突出してないの理解してたんだろうな
カエサルのアレシア攻防戦とか
ナポレオンのアウステルリッツみたいな
芸術的な采配みせる人ではないから信長は >>471
信長という人は、戦も手堅く攻めて、無理となれば以外とさっぱり兵を引く、要するに
もう無理なところで未練たらしく戦を続けないんだよね。
あと、独創の天才には違いないが、それ以外にも他国の領国経営や戦法、兵器なんかも
冷静に観察していて「良い」(=この人の場合は「合理的」って事だろうが)と思えば
どんどん取り入れる(例えば、楽市楽座なんかは美濃の斉藤道三が先にやってる)のもすごい所 >>466
戦も終わってないのに乱取りとかトンデモ説レベルにしか思えないわ >>464
兵站を知ってる人間なら天下獲れるんじゃねーか 戦車1台持っていったら天下取れるかな(´・ω・`) >>472
手堅いっていうのはたしかにある
戦争の天才タイプの謙信には徹底して下手に出てるし
居城何度も変えて消費活動活発化させるとか
経済面での天才ぶりが際立つ >>436みたいな秀忠ディスをしているかぎり、家康の偉大さは決して理解できないんだよな。
本当の独創性は、信長ではなく家康にある。
そしてその最大の白眉は、実は秀忠をわざわざ選んだというその相続にある。
この自由な相続発想に裏付けされる柔軟性が、徳川幕府初期の本当の実力だった。
これが、室町以来の胡乱な社会状態を完全に止めてしまい、
その後の寒冷化と飢饉頻発に際しても、本来寒冷化に弱い東国政権であるにもかかわらず、
社会不安を最小限に留めて260年乗り切る根源となった。
もし家康が信長レベルだったら、繰り返すが、松平忠直が3代将軍として失政崩壊し、確実に滅亡していた。
信長は、社会政策に関しては言うほど大したことをしていないし、
統治構造の構築に関してはポンコツの部類だ。
特に後半は宣教師の入れ知恵まで得てあの程度というのは、むしろポンコツというか頭カチンコチンのレベルに属する。
その愚かしさが最も前面に出てきた点が、直系家族ゴリゴリの息子たちへの待遇だった。
まさにここを明智に突かれて滅んだわけだから、自業自得というか能力相応だったというほかはない。 桶狭間は戦後処理まで含めて十分軍事的に天才的な采配だけど信長は戦争で決着を付ける事の
リスクというか負担を合理的に判断するとやっぱり損じゃねーかという結論に達したんだろう
その後は勝てる戦いしかしなかった、というか儀礼的に勝つ必要のある戦争しかしなくて済む程相手を絡め手で籠絡していった >>476
個人的には信玄の死後、武田の実権を握った(正確には後継者ではない)勝頼が一時的に
織田・徳川に勝って、信玄でさえ落せなかった高天神城が武田に奪われたが、アレら一連の
勝頼の「大活躍」は信長がワザとやらせたんじゃないかなあと・・
実際、これらの成功で「俺は偉大な父、信玄を超えた!」思いこんだ勝頼は増長し、
父の代からいる老臣たちの意見を聞かなくなり・・だったからね 秀吉の行動に不審点があれば、徳川が喧伝するだろ
それがないってことは、おかしい事はないってこと >>478
>桶狭間は戦後処理まで含めて十分軍事的に天才的な采配だけど
なにもかも後付の結果論としか思えんね 行動見ると、どの武将もスタートラインは一緒
知った日はほとんど一緒で秀吉より早い武将も沢山居た
早く帰ったら得だと気づいたのが秀吉だったってことだろ
早いもの勝ち競争だったわけだし >>476
根拠地移動は、別に合目的に移動してるだけで経済云々はほとんど関係ないよ。
これは考古学的にみるとよくわかる。信長の城下町って、村の市場に毛が生えた程度のへっぽこばかり。設計思想もないし。
都市計画の真の天才は豊臣秀次。秀次の近江八幡は宇宙人が作ったかと思うほどの独創性。
これを、徳川家康が柔軟に吸収していくんだな。 >>482
本来の嫡子である義信が切腹させられたので
お鉢が回ってきたことを言っていると思われる >>484
秀次の家老田中吉政と共同じゃなかったっけ
秀次より田中の方が興味ある >>486
田中に関しては、後の三河岡崎城下町を見る限り、あの近江八幡の実質的計画策定者とは思えないんだよ。
岡崎城は、軍事的には確かによくできた巨大城郭だが、
城下町は異様に戦国風だし、そもそもあの時期のあの情勢で、あそこにあんな城を作る意義もよくわからない。 明智と戦ってヘロヘロの羽柴軍に襲いかかればよかったんじゃないか
文句言える奴はもういなくなってるわけだし >>489
主君の仇討ちしたやつに理由なくいきなり襲いかかる馬鹿がどこにいる >>490
しかし信長の首もみつからず死体もない
死亡確認が不可能な時点で、仇討ちなのかどうかは疑問
裏切りの家臣への征伐、これなら正しいが
当時、信長が生き残っている可能性をどれほど排除できたのかは、光秀秀吉双方で疑心暗鬼では? 信長が行きていて、出てきても言い訳ができるような行動を取る必要がある
秀吉は信孝を立てて言い訳ができるようにしている >>110
それ
家康が信長にチクらないことが前提だよね?
20年間も律儀に同盟を守り通すしてきた家康に
「親方様をうち取ろうかと、、、どうだろう徳川殿?」
なんて言えるはずないと思うが
一瞬で明智家が潰れる覚悟か? >>472
大良河原とか稲生の合戦とか初期は結構危ないことやってるよ >>493
実は信長から徳川を暗殺せよと言われてるんだけど、俺それはできんから逆に信長やろうと思うんよね?って持ちかければええんでないかい?
実際徳川を堺で殺すよう命じられてた説もあるし 光秀は信長の遺骨が見つからなかったというのに、生存の可能性を微塵も思っていない行動を取っているが、これいかに? 信長って野戦には強くないよな?
姉川の戦いだって徳川がいなかったらどうなっていたかわからない。
秀吉も信長の死後の山崎や賤ヶ岳が神がかっているだけでそれほど強くはない。
小牧、長久手の戦いでは明らかに負けてるし。 >>473
黒田日出男って言う歴史学者の説で、わりに信じられてる説ですね。
黒田氏が注目したのは甲陽軍鑑で、当時今川の同盟国であった武田がまとめた敗戦の反省書きに、>>473のおっしゃる通りの一文があります。
すなわち「今川は圧倒的な戦力差と当日の戦況から勝利を確信し、焦って乱取りを始めた事が敗因である」としたためてます。
↑
乱取りのタイミングは難しく、完全勝利まで放置すると女や兵糧を山に運ばれちゃうのです。 >>497
やたら伊賀越えを喧伝してるのもなぁ、影武者にやらせて自分は海路とかかも? >>493
家康とて戦国に生まれ辛酸を舐めた人生だから義理人情だけで信長に盲酔する事はないだろう
信長が天下を固めつつある状況で、今後を考えれば次に待っているのは天下取りの功労武将の粛清が世の常
生かしておいては織田の天下も長く続かんからな
狡兎死して、走狗煮らる訳だ
これには秀吉も光秀も家康も恐々としていたはずだ 事実かつて優秀さを買われた光秀が信長に潰されかかっていた
いきなりの領地換えとか本能寺前での光秀の扱いは散々だった 俺も家康が黒幕だと思うよ。桶狭間の戦いといい信長を利用してのし上がったのが家康
桶狭間の戦い→今川から独立
信康殺害→信長のせいにした岡崎派を粛清→結局石川数正は出奔
本能寺の変→これで、信濃甲斐を手に入れる
家康は信長を利用してのし上がった でも当時の家康からしたらまだ天下なんて遠すぎると思うんだが、そんなに遠大なこと考えるかね。博打を打つには早すぎると思うんだが。 速攻で明智光秀に味方し秀吉の長浜城に攻撃を加えた
京極高次という即断武将 信長の存在が邪魔だったのは家康だよ。苦労して信濃や、甲斐の国人衆を調略したのに全部奪っていったのが信長。 武田が滅べばもう信長にとって徳川は用済みだからな。家康にも危機感は相当あっただろう
だからこそ表向きは丁寧に安土や堺に出向き、裏では明智に根回ししてたと思う。
で、秀吉もなんとなくその空気を察してて、毛利攻めしつつ中央の動向にも目を向けてたんじゃないかな。だからすぐに戻れた。 >>1
主君が討たれて「天下の形勢は致し方ないことで言語に絶するばかりだ」ってそれより言うことないのかい!って思うが
信長公記にも本能寺の変が知れ渡ると安土城下の住民は信長を弔いもせず一目散に故郷に逃げ帰っていったと記述されてるんだよな
信長はあまり人望というものがなかったのではないか… もし秀吉が黒幕だったら山崎の合戦前に光秀は秀吉に騙された旨の書状を各地に送って猛アピールしただろうしそれがないのなら秀吉黒幕は有り得ないな >>487
葦かススキの中のゲリラ戦は怖かったね
勝てそうな描写が全くなかった記憶がある >>512
防弾チョッキでは矢とか槍は防げなかったんだっけ。
いくらつよい兵器もってても数が足りなければねえ。
それにさらにいうと近代兵器は後方があってちゃんとしないとダメだよね。
牟田口みたいに精神だけでなんとかなる世界ではないし 秀吉はに日本史上最高の武将だからw
しょうがない
敵うヤツなど、1人も居ないわ 北陸での上杉謙信との掛け合いで
秀吉は、信長の勝家の指示・意向に逆らってまで安土に帰ってくるくらいだからな
打首覚悟で主君の意向に逆らってでも
薄い安土廻りの防衛を重視するその、戦略眼と度胸
その目は既に独立大名が天下を見据える視点
所詮、織田家一軒の家老意識しか無い勝家では秀吉相手でて勝負にならない >>475
落とし穴に誘い込んで落として、油流し込んで燃やして蒸し焼き。 かつては黒幕説信じてたが、
本能寺後の明智光秀の段取りの悪さ見ると黒幕も協力者もいないだろ
血迷った明智光秀の単独犯説に一票 >>211
ただ後継者選びには親(家康)とお福のちょっかいで失敗してる >>510
そりゃ明智軍がくれば城下丸焼けにされるか楽市楽土なんて廃止されるにきまってるから、逃げるでしょ マジな話すると戦国時代の三河ら石高は異常に高い
それこそ近畿並み
つまり徳川家康が弱いなんてのはありえない
めちゃくちゃな戦上手じゃないけど、信長からしても切れない"要"のポジションではあった >>522
土井利勝と松平信綱がいれば
家光でもそれなりの評価になったって感じ
家光単体で凄い人だとは全く思わない 意外と徳川家康って伝来のめちゃくちゃ綺麗な刀上杉に渡したりしてたんだよな
多分北条や上杉、公家あたりを押さえとく役目だったんだろう >>1
馬鹿だなぁw
たまたま感でも秀吉が明智光秀を討伐したから、それが歴史に残っただけwww ぶっちゃけ信長討った!って言われても当時の武将とか信じられないだろうな
報復怖いから様子見する勢力多すぎる >>528
すぐ論破しちゃうのってつまんなくない?
たまたまや偶然には理由があった方が面白い
事実は小説よりも奇なりって言うじゃん? >>529
本当ソレだよな
ってかそう考えると家康って一目散に三河に帰ってるからなぁ 山崎の合戦が秀吉のブック破りだとしたら、それに関する資料も沢山残ってなきゃおかしいよな 若いころに憧れてたけど手が届かなかった女
その女の娘とやりまくって子供を産ませる
秀吉って男のロマンを実現させたよね >>535
しかも、淀の方が産んだ子供(鶴松・秀頼)がまず間違いなく自分の種ではないのに
悩乱するレベルで愛するってのもすごいよね。 >>529
光秀にしてみれば、娘婿の細川忠興が動かなかったのは大誤算 秀吉みたいに中出ししまくりたい
種があるから無理だけど >>110
>>503
ただ、領地の位置がな。>>524は誤りで、三河・遠江・駿河の3国って、石高はそれほどでもない。
三河と遠州には平野があるが、極端な高台だったり大氾濫原だったり治水が難しく、当時の技術では石高が伸び悩んだ。
16世紀後半で本当にチートなのは、尾張・美濃・伊勢・近江の4国。だから信長が頭一つ抜けたのは経済的に当然。
そして、信長が東方は家康に預けて自分は全力で西へ向かったのも当然。
家康説は後付にしか見えない。
家康が天下人の布石を固めたのは、天正壬午の乱で石高が確変したから。
いくら山岳地帯でも、あれだけの面積を抑えればさすがに稼げる。
この壬午の乱は、信長がコヒんだからこそ発生したものではあるが、
まさか、家康が、「旧武田領が欲しくて明智を教唆した」なんて仮説を建てられますかね?
迂遠だしリスク大杉だし、さすがに無理。 >>316
歴史書なんかも一次資料でも怪しいのに
二次資料以下になると創作だらけなんだろうな >>319
本能寺に限らず過去も未来も朝廷は目の付け所は良いんだよな >>325 >>333
家康が黒幕でFA
だから秀吉は家康を警戒した 今はそういう単純な話は流布されてないだろうけど、先に上洛したものが天下をとる、みたいなあの話なんだったの?
京都の隣にいる大名なんて一瞬じゃん、って子供心に思ったものだが。 >>544
秀吉が警戒したのは官兵衛だが、家康はまったく警戒してないな。
秀吉、常に世に怖しきものは徳川と黒田なり。然れども、徳川は温和なる人なり。黒田の瘡天窓は何にとも心を許し難きものなりと言はれしとぞ。 >>546
近江の六角なんて分家筋の京極とか
延暦寺とかの寺社勢力なんかと抗争が
将軍自ら攻め込んでこられるし >>177
自分で調略して自分で殺されて自分で情報入手かすごいな 秀吉もこれくらいの狡猾さで朝鮮半島を殲滅していれば今の憂は無かったのに・・・。 陰謀説は自分は裏切るけど、仲間は裏切らないと言う都合のよい結果を知ったうえでの考えだからな
秀吉なら毛利が裏切らない、徳川なら明智が裏切らないと言う絶対条件が無いと成り立たない
特に徳川は、信長と一緒にターゲットにされたらまず手勢が居ないから助からない >>541
司馬遼太郎の小説を後生の歴史学者が資料とするような感じだろうなw >>316
既に石川賢が「魔空八犬伝」でやってる
何気に上杉謙信女性説も盛り込んでるw >>540
そうかぁ?
根拠もなしに陰謀論唱えてるだけやで >>546
権威という甘い匂いで強い大名(大内上杉織田など)を誘い込み、
その武力を養分にして生きてきた朝廷や室町将軍は食虫花のようだと思う 謙信は御所で子供達と遊ぶのが好きだったとか、毎月決まった日に体調が悪くなるというやつか >>445
あなたのお話は大変面白い
ただ頼むからアンカーだけ小文字で打ってくれ 中国地方の秀吉と北陸の勝家では
交通網の発達具合もかなり違いがあったのではないかな
情報伝達速度や情報量に差がでても仕方ない あとね、新幹線はあるけど
北陸新幹線はまだ京都にこれないだろ、そういうことだ >>558
上杉謙信女人説
上越市の上杉謙信祭る神社行ったら、
男性的オーラではなく女性的オーラ感じたから女人説は事実かも知れない >>563
上杉謙信は割とマジで躁鬱病だと思うわw
躁状態「ワシは毘沙門天の生まれ変わりじゃーっ!(`・ω・´)」
鬱状態「私はダメ人間です・・・お坊さんになります・・・捜さないでください('A`)」 光秀が切れただけ
後は成り行き
陰謀密約ナシ
俺はそう思う >>559
ありがとうございます。あと気を付けます。 >>565
秀吉や家康が黒幕説とか、朝廷による教唆説とか突飛なところではキリスト教宣教師による
扇動説とかいろいろあるけど、実際は光秀の発作的犯行ってのが一番有力かもしれないね。
あと、人間というのは歴史が進んで教養時代(日本なら江戸時代ぐらい)に入ると、
自分の感情を抑える訓練をするので、直情で行動することは減ってくるが(秀吉に至っては
何かに激怒した際に、あまりの憤りの為に気絶したという逸話もある)戦国の真っ最中に育った
光秀にしても、怒りを抑えきれない何かがあったのかもしれないね
>>546
それ簡単やで、大名も「俺は源氏の血筋じゃっw」「俺は平氏の血筋じゃw」「ひれ伏せ平民どもww」
って言って偉ぶってるから。
そして源氏や平氏って元をたどれば大昔の天皇。
だから天子さまを奉じてれば誰も逆らえない。
一撃で京都を奪取出来れば別だけど、失敗するとGYAKUZOKU >>560 それもあるかもしれませんけど、上でも書いたけど「本能寺の信長公親子が明智光秀に襲われました」
って最新のニュースを、知った京都在住の公家や武士、大商人などが「大変だ!(平時つきあいのある)秀吉殿に
伝えなければ!」それぞれ使者を飛ばしただろうが、平時、あまり社交的ではない勝家に
高いカネを払って使者を飛ばしてくれる人が少なかった(もしくはいなかった)んじゃないか?
仮に1人2人の使者が北陸に走っても、明智の哨戒に引っかかって殺害されたり事故にあったりして
それは秀吉の方に走る使者も同じ危険性はあったろうが、北陸方面に比べて、人数が多ければ
秀吉の元に使者が無事に届く確率は跳ね上がるでしょ?
あと、秀吉ぐらい先読みに長けて、情報分析の天才なら織田の被官だった平時から
京都の有力武家や商人などに「私はこれから山陽地方に向かうが京都で何か変事が発生した際には
真っ先に使者を飛ばしてください」ぐらいの渡りはつけていたかもしれませんよ。 本能寺の変直後の史料も出てるけど
秀吉が情報ネットワークを持ってたという事実は出てるよ
翌日にはもう第一報が入ってるし。
たまたま紛れ込んだ間者というのは創作だけどw たまたま毛利討伐の総仕上げとして信長様ご出陣の要請を出してて
たまたま交戦中の毛利と和睦の話があって
たまたま信長が通るために道路整備してて
たまたま中継地点に官兵衛の本拠地があっただけでしょ? >>572
すべて必然的じゃん。当時の毛利は降伏寸前。毛利攻めの総仕上げに信長を呼んで華を持たせたかったんだろ >>568
実際はそれほど単純なものじゃなくて、応仁の乱で京都が荒廃してからこっち、諸国で
自主独立、群雄割拠の時代になってから位から、幕府と朝廷の武力も権威も権力も失楽して
諸国の大名は、幕府と朝廷を官位の申請と許認可機関程度としかみてなかったみたいだよ。
その状態が何十年も続き、公家はもちろん、帝でさえ食うや食わずの極貧生活をしていた。
将軍に至っては臣下に殺害されたり、諸国の大名の間を放浪して食いつないでいた有様。
その情勢下で「将軍を担ぎ出して俺が黒幕になって天下を裏から握ろう!」と考えたのが織田信長。
ただ実行してみたら、将軍がやれ御所をつくれ!俺の言うことを聞け!女を連れてこい!とあまりに愚劣だったので
追放し、次は帝の権威を使って天下統一を目論んだのね。要は、織田の軍事・経済力があって
帝が100年ぶりに輝きだしたわけで、帝の権威だけで天下がとれるわけではないんだよ >>574
>>幕府と朝廷の武力も権威も権力も失楽
失墜と言いたいんだろうか 主殺し画策の片手間にボコられ降伏寸前扱いされる中国王毛利w >>537
親戚だから動くだろうみたいな曖昧な希望的観測しか無いんだよな… >>541
歴史板だと信長公記でも馬鹿にされまくる上に後出し設定ガイジ多くてストレスしかたまらんかった てか、秀吉と明智が示し合わせたように決戦にすぐ移れたのは、やや不思議よな。やはりお互い何かしらの密約あって、秀吉が明智を嵌めたとみるのが自然。 >>5
>>251
まさに幸運だったな〜
ドラマだと秀吉はこれはヤバイと動揺して
軍師黒田官兵衛がさっそうと 天下を取るチャンスですな〜 と言い放つんだよなw >>582
実は迂闊なシーンでもある
本性を出してしまい秀吉に警戒される事になった 信忠さえ生きていれば、歴史はだいぶ変わったろ。
すんなり秀吉が実権握れたとは思えない。 >>583
隙を見せたら天下取られると見抜いた秀吉もさすがだよねw
信長は本能寺からの脱出は無理そうだけど
信忠が落ち延びて、信孝の四国平定軍を?き集めてたら
秀吉は信忠に顎で使われる羽目にw 家督は信忠に譲ってあったからね
信忠にどれだけの器量があったのかは未知数だけどね〜 器量にうるさい信長が認めた跡取りだから、それなりだろ。 まぁ柴田さん
裏切ってたり古株という事だけでプライド高かったり戦バカだったり
兎にも角にも人望がない…
まぁ本能寺の変後真っ先に戦ってたのが秀吉の配下とか秀長とかで
情報網の差はあれど
人望の差で連絡連携取れなかったのはあるんだろうなぁ 柴田勝家は清洲会議といい、頭が少々悪うございますな。
この人は天下は無理。 清須会議で秀吉の拠点だった長浜をゲットしたのに生かせなかったな 当時、その場に居なかったからだけど…俺は未だに信じられないんだよね…
あれだけ上様に心酔していた光秀、秀吉、徳川が暗殺を企てるなんて有り得ないんだけどなぁ…
秀吉と徳川が黒幕なんて絶対に無いと思うぞ? >>593
上様謀反です! って家臣が伝えに来たら
信長が信忠が謀反を起こしたのか? と聞き返したというデマも流れてたとか 信長から希望してた茶器貰えなかったから切れて殺害。 >>593
自分もそう思います。もし秀吉が黒幕なら、そういう人間っだったら徳川にも
負けないと思うし二代目でひっくり返されないように手を打つと思う。ああいう
人柄だから天下を取れたし、また同じ理由で二代目で滅んだという気がする。 近衛前久が怪しい説って今はあんまり云われないのかね >>584
せやで
光秀の謀反計画もガバガバで信忠に逃げられたお仕舞い。
成功したのはたまたまやで。 >>578
毛利は大友と織田への2正面作戦中で高松城救援に出せた兵力も2万だけ。
織田の1方面軍に過ぎない秀吉軍の2万5千よりも少ない。
そんなわけで勝ち目がないから本能寺の変前から講話交渉してたんやで。
条件さえ折り合えばいつでも織田の軍門に下っても良い状態だった。 >>604
信忠の実際の力量は発揮されないまま亡くなったが、ただ、次男の信雄や三男の信孝。
信長の弟の有楽斎や信包などの、軍事。政治能力の低さとか考えると果たして
「父は歴史に残る位の天才だが、弟もオジ達も無能ぞろいの中で、果たして信忠だけ
卓越して優れていたか?」って疑問は残るね 徳川は北は織田に東は北条でどちらも同盟関係だから領地拡大に行き詰まってたのは確かだけど織田を混乱させるには不確定要素が大き過ぎてやらない 信忠の能力と言っても信長のような優秀さは要らない、むしろ邪魔なのでは?
信長の時点で天下統一は間違いなかっただろうし、もうあんな乱世の英雄なんざ次の世代には必要ない、と言う以上に邪魔になってくるだけだろ
次世代に求められるのは荒廃した日本を立て直していく英雄ではなく名宰相だろうし こういう直筆のなんやらが見つかることは現代でも珍しくないけども
保管してる人はそれが重要な資料かどうかわからず所持してるってことだよな
その感じがどうも俺には信じられん。いや自分の所持品くらいそれが何か疑問に思うだろと >>608
人間には定命があるから、仮に本能寺の変が無くても信長の寿命は、あの時点からせいぜい
10年、長くても20年で69歳といったところだろうけど、信長の最終的な政権構想は、日本中から
有力大名をすりつぶして、秦の始皇帝のように郡県制をひくことだったようだが、そのためには
中国の毛利も、薩摩の島津、他にも、上杉や北条を滅亡させなければいけなかった。
これを後代の秀吉は「上様(信長公)のやり方では、天下統一まで100年かかってしまう!」と
「とにかく俺に従え!黙って従う者は領地も安堵もするし、厚遇もしてやる」で仮に戦になっても
徹底的な殲滅やお家の滅亡までは追い込まず(北条家でさえ生き残りはいてほそぼそと血脈を現代まで伝えている)
「領地の削減はするが、家名の存続は許す」と多くの場合は寛大に扱った。
だから敵対者は絶対に許さない信長の場合、仮にあと20年生きて定命を全うしたとして、
織田家が豊臣や後世の徳川のように、天下統一ができたかどうかは疑問。 >>610
いや、言うて信長ってそこまで徹底したのは既得権益の排除であって、一番弾圧した本願寺も最終的には和解してるし、残りの有力者の島津や北条も従う意思を見せてたし、残りは上杉と東北の伊達の坊ちゃんだが、
東北連合組んだところで残り全部敵なら、もうどうこうできる状況でもなくない? 信長は謝れば本領安堵してくれるし郡県制なんて考えてないぞ >>610
自分の家臣を大名に取り立てている時点でその妄想は終了や >>593
特に秀吉は信長の実子を養子に迎えて羽柴家を
織田一門並みにして、お家安泰確定だったしな
だから黒幕になる理由が薄い
確実に天下を取れる算段があったなら話は別だが
そんな感じには思えないんだよな >>613
だよな、信長は郡県制なんて考えてないだろうな
与力という目付を付けて中央集権体制的だが
基本的に封建制のままって感じだし
戦国時代で郡県制まで考えていた感じがするのは
大内義隆だけだと思う
(大内義隆は直臣の領地の税の徴収も大内家役人にやらせるほどの
中国風の強力な中央集権体制に移行させていたそうな。その直後に
陶隆房の謀反で倒れた。たぶん、利権を失った武断派の反発を買ったのだろう) 当時の街道、特に峠越えなんて今の登山道みたいなものだぞ
何万の軍勢が動こうとすれば、渋滞した行列がのろのろ一日中続いてた
一日10kmも動ければ御の字
北ノ庄の勝家とか、京都まで速攻出てこいと言われてもそもそも無理だろ >>317
なにそのエンディングで二人がダンスしてそうな話w >>17
そうなのか、めっちゃ遠くにいたイメージだったわ >>11
信頼できる部下を何人揃えられるかが
その人が成功するかどうかの差だな! 中国大返しの速さを見れば秀吉は最初から知ってたと考えるのが自然なんだよなあ >>623
つまり、秀吉は未来から転生してきた異世界人か!? 秀吉は確かに腹黒そうだけど、
あれだけ自分を引き立ててくれた信長を討つかな? >>615
信長死ななかったら北畠みたいに
秀吉強制隠居後の暗殺ルートになるぞ >>626
いや北九州に転封されて唐入りの総司令官じゃろ あそこで明智が一人で謀反起こして天下平定するルートってあるか?
少なくとも毛利か長宗我部、大友あたりと話ついてないと無理だろ
事前の打ち合わせもなしに織田集が集まる前に反織田が立ち上がるとは思えない >>614さん
>>616さん
そこで「織田の被官だった時代の羽柴秀吉、明智光秀などの織田家の軍団長達は厳密な
意味での`大名`だったのか?」という根本的問題に突き当たる。例えば土佐の長宗我部元親や、
中国地方の毛利元就は土地と領民を支配し兵力を持ち、徴税権や行政権を持っていた、これは疑いなく`大名`であろう。
ただ、織田につかえていた時代の秀吉や光秀は、織田の代官に過ぎず、厳密な意味での`大名`ではないのだ。
始皇帝の時代の郡県制とは、皇帝が鎮座まします中央政府から代官・行政官(王ではない)が
派遣され地方を支配し、徴税や皇帝の代わりに行政権や司法権を行使する体制だった。
光秀は`大名`ではなく、単なる`代官・行政官`だから丹後を信長に没収され、佐久間信盛なども領地を没収された上追放された。
>>614さんは、信長が家臣を大名に取り立てているというが、厳密には`大名`には取り立てていないということ。
そういう事から推察するに、信長の日本支配の最終的な理想は、始皇帝に始まる中国皇帝の体制をベースにした郡県制で、中央集権体制を作り
自らが皇帝もしくは天皇を`皇帝`にして、各地の地生え大名を滅ぼし、自分の部下や子息たちを`代官`として送り込む支配体制だったんじゃないかなと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています