日本の戦国時代は家が滅びるまで戦うって滅多になくて大抵はコロコロ寝返っていたらしいよ
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まあ、死が美しいって概念はおおよそ江戸時代からだからな ν速民は決してサイドを変えたり裏切ったりしないよね 儒教の教えが定着したのは江戸時代から
お家のために命を捨てた最初は忠臣蔵 カッペ農夫秋田には関係の無い話しだろ
黙って鋤と鍬持って仕事してろレス乞食 戦場で討ち死にした戦国大名は今川義元と龍造寺隆信の2人だけ、豆知識な >>10
嘘乙
武田信玄と上杉謙信は巌流島で決闘して相打ちしたとラノベに書いてあった 徳川と言うか
家康と家臣団が異常で
それが勝者になったからスタンダードになったんだよな 日本の戦は調略で決まるからな、国堺の国人衆とか手首千切れるほどコロコロ調略で踊ってた 藤堂高虎なんて変節漢と言われてたがな。
同じように主君をコロコロ変えた可児才蔵はあまりに強すぎてほとんど悪口は言われなかった。 戦国時代は家を滅ぼさないために寝返って
江戸時代は家を滅ぼさないために死ぬんだよ >>1
奉公構いが機能してなかったからな
兵隊の需要は山ほどあったし 農民を兵士にって無理あるよな
こいつら根絶やしにしたら米できへん 戦は嫌でございますという姫は絶対いないと思う。じゃあお前なにで飯食っているんだと言われ切られるわ 源平の頃は家を残すために、それぞれの勢力に兄弟を分けたりもしたな いわゆる街道被官って奴やな
真田安房守とかがその典型例w >>17
高虎は運悪く仕えた大名家が次々につぶれただけ >>13
家康のオカンとかな。
弟は織田方の野武士の息子やからな。
アナウンサーや愛媛の殿様の先祖な。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています