400人以上が死亡し、戦後最悪の炭鉱事故となった大牟田市の三池炭鉱の爆発事故から55年の9日、炭鉱で働いていた人などが事故があった場所を訪れて犠牲者に祈りをささ
げました。
昭和38年11月9日、大牟田市の三池炭鉱三川坑で起きた炭じん爆発事故は作業員458人が死亡し、839人が一酸化炭素中毒になって、戦後最悪の炭鉱事故となりました。
事故から55年の9日、事故をまぬがれた作業員や一酸化炭素中毒の患者の家族などおよそ30人が三川坑に集まり、かつて石炭を掘るため地下につながっていたトンネルの前に
花を手向けました。
そして炭鉱の労働者を励ます歌、「炭掘る仲間」を歌って巻き込まれた多くの同僚たちを追悼しました。
犠牲者の家族などで作る被災者の会によりますと、現在も一酸化炭素中毒の後遺症で入院したり通院したりして治療を受けている人が大牟田市を中心にあわせておよそ50人いる
ということです。
夫が入院中の80歳の女性は「労働者を大事にしないのは許されないことです」と話しています。
また、三川坑で働いていた70代の男性は「事故から55年たった今も患者や家族が苦しんでいることを多くの人に知ってほしい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20181109/0002799.html