井伊、本多、酒井、榊原の四人を「徳川四天王」と呼ぶ。そのひとり、榊原康政が慶長11年(1606)5月に癌にかかったときいて、徳川家康が見舞いの使いをよこした。
が、普通なら、主人からの見舞いを受けた大名は、どんなに苦しくても床の上に起き上がって、かしこまって見舞いの口上を承るのが常であったが、
康政は寝たままだった。辛かったからではない。意識してそうしたのである。見舞いの口上をきいたあと、康政はこういった。
「よくわかりました。が、康政の病気は、ハラワタの腐る病気で、間もなく死にますと、そうお伝えください」
見舞いの使いは変な顔をした。というのは、見舞いの口上に対して、榊原康政がひと言も「ありがとうございます」といわなかったからである。
しかし、この使者をはじめ、この康政のことばをきいた者たちは、康政が何をいいたいのかよくわかった。康政が「おれのハラワタが腐ってきた」というのには
深い意味があった。彼は、普段からこう公言していた。
「家康様のおそば近くで、ナンバー2面をしている本多正信という奴は、槍や刀の道はなんにも知らないくせに、読み書きソロバンばかり達者だ。あいつのそばにいると、こっちのハラワタが腐る」
榊原康政のいう本多正信というのは、徳川四天王のひとりに数えられている本多家ではない。その本多は本多忠勝といって、同じ本多でも正信とは違う系列の人物だ。
榊原康政が、
「読み書きソロバンの達者な奴ばかり出世する」
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