下村脩さん死去 ノーベル化学賞を受賞
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紫外線をあてると緑色に光るたんぱく質をクラゲから発見し、2008年にノーベル化学賞を受賞した生物化学者、
下村脩(しもむら・おさむ)さんが19日、長崎市内で死去した。
21日、出身校の長崎大が明らかにした。90歳だった。
1928年京都府生まれ。
長崎医科大付属薬学専門部(現長崎大薬学部)を卒業、名古屋大などで研究生活を送ったあと60年に渡米し、
米プリンストン大、ウッズホール海洋生物学研究所で生物の発光機構を研究した。
プリンストン大時代にオワンクラゲの抽出物から発光たんぱく質のイクオリンと緑色蛍光たんぱく質(GFP)を発見。
特にGFPはその後、医学やバイオテクノロジーの研究に広く使われるようになり、ノーベル賞の受賞業績となった。
2008年のノーベル化学賞は日本人としては5人目。
同じ年には物理学賞を小林誠、益川敏英、南部陽一郎の3氏が受賞し、日本からのノーベル賞ラッシュと話題になった。08年文化勲章。
下村脩さんが死去 ノーベル化学賞受賞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36743670R21C18A0MM8000/ え!早すぎだろ
人のいいおっちゃんなイメージが今でもある すべての原発の電気代の売上累計は10兆円で、
原発の廃炉費用や事故収束費用は
70兆円だそうだ。
つまり原発の収支はプラスマイナスすると
60兆円の赤字になる。
こんなものは早く見切りをつけて
辞めたほうがいいのはバカでもわかる。 名前は聞いたことあるけど同姓同名の別人のような気もするが
とりあえずご冥福をお祈りします クラゲの爺ちゃんか
クラゲ追いに熱中して幸せな人生だっただろうな 日本人のノーベル賞受賞者って結構長生きさんが多いよね ノーベル賞もらった人って後で絶対に死ぬよね?呪いかな 2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩(おさむ)さんが死去した。90歳だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181021-00000020-asahi-soci
人生残酷だな
生まれてきた時から貧富の差があったりして将来がほぼ決まってしまうから勝ち組過ぎる
勝ちに恵まれるのも恵まれないのも結局その人の運命
人生にもクライマックスシリーズがあればいいな。
70過ぎてから、とんでもない勝ち組に短期間で逆転!
もっとも人生のAクラスに入れないと仕方ないが他力も要する中で結果が出るのはやはり生まれ持ったものがあるということ
結果出すから才能以上に努力をしているさ
じゃあそこから何を理由に差がつくかと言われたら
運がいいか悪いかじゃない? 結果論だが道を間違えないんだな
運がいい人はいいし、悪い人は本当に悪いって人がいるからな
2つ言えることがある
1つは凄く運がいいしチャンスを生かす
要所要所で自分のいい所に持ってこれるタイミングをコントロールできる能力がある
もう1つは精神力が強いこと
精神力は間違いなく強い
当たり前のプレッシャーがあるがそれに屈せず結果を出せるのは精神的な強さが具わってこそだよ
そういうものを持ってないと成功者にはなれないな
チャンスが巡ってくる一歩手前の所までキャリアを積んでいるもんな
地道に活動していてもタイミングに左右されるものなのになれた時点で完全に勝ち組だな
そういう星の下に生まれてしまったんだろうな
人間生まれながら持っているものがある
努力で道を切り開く、力をつける、のし上がる
確かにそれはあるんだが結局人生はその人に課せられた運命によるところが大きいわ
自分自身努力して確実に実績を積み上げてきたのと巡ってくる運がいい
両方を持ち合わせていないとね
個人の努力、鍛錬も大事だが周りも恵まれていないとそうならないからな
自分がいくら気を吐いても限界があるものだし経験が長いのもあったが酸いも甘いも経験しているそんな人
そういう経験ですら全部プラスに捉えられる人としての強さがある
謙虚な姿勢を持ち続けるのも努力の一つ
いくら栄光を勝ち取っても謙虚さがあってそれが輝きを放つ アメリカで研究してたんだろ
ノーベル賞は兄の国に返上すべき >>18
下村さん「いい学校に行かなかったから良い研究ができなかった、そんな考え方はやめてほしいね」
心に刻み付けとけ 2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩(おさむ)さんが死去した。90歳だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181021-00000020-asahi-soci
下村脩さん死去 2008年にノーベル化学賞
最終更新:10/21(日) 18:33
朝日新聞デジタル
10/21(日) 17:25配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181021-00000020-asahi-soci
2008年にノーベル化学賞を受賞した名古屋大学特別教授で、米ウッズホール海洋生物学研究所・元上席研究員の
下村脩(しもむら・おさむ)さんが19日、長崎市内で死去した。90歳だった。故人の遺志で葬儀は近親者だけで行った。
親族や関係者によると、昨年末から体調を崩し、米国から帰国して長崎市内で療養していたという。
米プリンストン大学の研究員だった1960年代、クラゲの一種オワンクラゲが光る仕組みを解き明かし、
緑色に光る蛍光たんぱく質(GFP)を発見。それから30年たって、別の研究者が細胞内で動く分子にくっつけて
追跡する「目印」としての利用法を開発し、GFPは病気や生命の仕組みを解き明かすのに欠かせない道具になった。
06年度の朝日賞を受賞。80歳でノーベル賞を受賞した。
1928年、京都府福知山市で生まれた。51年、長崎医科大付属薬学専門部(現長崎大学薬学部)を卒業後、
名古屋大理学部の故平田義正名誉教授の研究室に入り、生物発光の研究をはじめた。
57年にウミホタルの発光物質の精製・結晶化に世界で初めて成功。この業績が評価され、フルブライト奨学生として渡米した。
その後、米プリンストン大上席研究員やボストン大学名誉教授になった。
終戦を疎開先の長崎県諫早市で迎え、原爆投下時は、海軍の軍需工場に動員されていて、黒い雨を浴びた。
ノーベル賞の受賞講演では、原爆投下や終戦時の話をするなど多くを戦中や戦争直後の体験に割いた。
折に触れ、原爆投下を厳しく批判するなど、核兵器廃絶を強く訴えたことでも知られる。
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朝日新聞社 日本人ノーベル賞受賞者でパヨクっぽい発言してた人いたけど、その人じゃないよね? 反戦派の人間は信用できない
故にこの人も信用できない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています