日本のポピュラー・カルチャーが描く女性

マンガ、アニメが描く女性の姿は、それ自体で自立している存在で、現実の女性の反映ではない、だから女性差別というのはおかしい――
パリで漫画に関する国際学会が開催された際、総括討論で一部の参加者からこうした立場が表明された。

日本のポピュラー・カルチャーが海外で人気を博し、それが海外の若者への日本文化や社会への関心に結びついている現象は、
文化による国際交流としては喜ばしいことであり、日本の「ソフト・パワー」として高く評価されている。

ただし、かわいらしさや未熟な少女らしさを特徴にした姿が海外で主流化するのは、
日本女性を性的対象とみなす古い「ゲイシャ」イメージの焼き直しになりかねないのではないか。

私の疑問に、男性参加者はむしろ批判的であったが、終了後、パリ在住の日本の女性傍聴者から、
私もアニメやマンガの女性像には常々違和感を抱いてきたので、同感であると言われ、同意見の方もいらっしゃると、励まされたのであった。

アニメが描く女性像は現実の反映なのか、それとも現実とは無関係な独自の存在なのか――
これは広い意味での認識論にゆきついてしまうため、その次元での立場が違えば議論は永遠に平行線である。

ただ、研究者や評論家、作り手側がいかに、バーチャルなキャラクターは現実の日本女性の反映ではないと主張しても、受け手側がそう認識するとは限らない。

目や髪の色、体型やファッションから、受け手が現実の日本女性を連想することは否定できないのであり、
かわいい女性キャラクターに憬れて、コスプレをする外国人女性も少なくない。

送り手側の意思をこえ、現実の女性と表象された女性のイメージを重ねる受容があるのは厳然たる事実である。

炎上した「キズナアイ」問題…日本文化が描いてきた女性像から考える
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57987
https://i.imgur.com/rESFaq9.jpg