邪馬台国と今の天皇家は少しは繋がりはあるの?
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中央公論新社は17日、20日発売の「日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで」で、
中公新書の刊行点数が2500に達すると発表した。創刊は岩波新書の方が早いが、
青版、黄版などがあったため、通巻番号が2500に至ったのは新書では初という。
新刊は5人の日本史の専門家が「江戸時代は『鎖国』だったのか」など、
注目されている日本史の論点を解説する内容となっている。
中公新書、刊行点数2500に…新書初
2018年08月18日 07時20分
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20180817-OYT1T50107.html マキムクがそうなら初期ヤマト政権=邪馬台国だろうな 古事記にも日本書紀にも卑弥呼の名前がない時点で都合の悪い存在なのは確か 富士山が活火山だとはいえあんなに目立つ存在の下に王朝が無かったなんて怪しい 記紀でなぜ九州を祖先の地としたのかだなあ
九州出身なら卑弥呼と血縁があった可能性はある アマテラスが岩に引きこもったのは
琉球です(確実に >>10
卑弥呼稜を発掘して遺伝子採取すればいけるけど
いろいろ制約や邪魔が入るだろうな >>6
日本書紀に魏志倭人伝について触れられとるぞ
どうも卑弥呼=神功皇后ということにしたかったみたいだが >>15
卑弥呼陵がまず見つかってないし
見つかっても遺伝子とれるような遺体があるとも限らん >>8
高尾山古墳から邪馬台国の時代に沼津に大国があったのは確かだろ あると思うよ。どう考えても邪馬台国=ヤマトなのに、本居宣長がそれじゃ皇室が魏に朝貢してたことになるからと別といいはった。 主な著者は、以下らしい
清水唯一朗
今谷明
大石学 すると天皇はハニワ幻人の生き残りという事でよろしいのでしょうか? 邪馬台国とかいろんな国を統一したのが天皇じゃないの? >>6
卑弥呼と名前と思うか?姫巫女だろ。どう考えても。 つながりが血縁という意味なら無いだろうなあ
というのは筑紫の磐井だからおれしってる >>6
つーか、中国でさえ三国志以外に邪馬台国の記述無し。卑弥呼の記述も無い。 インディアンの大集落ぐらいの文明レベルだろ
そこまで明確に世襲される王権はまだなかったはず 少しどころか普通に身内だぞ
卑弥呼は孝霊天皇の子の倭迹迹日百襲媛命だよ そりゃ、血、遺伝子でいえば
日本中みんなが、皇室とつながってるわ >>37
中国の歴史書の記述を信用すると狗奴国が大和政権になった可能性もある >>27
それだって記紀に無理やり結び付けているだけじゃないの? 日本史板のキチガイは死ぬまで言い争いしてる
邪馬台国が本当にあったのか分からないのに >>38
つーか、100代ぐらいさかのぼっただけで人間は全部親戚になるって何かで読んだ 日本人生口を外国に売っていた卑弥呼チームを倒したのが天皇チーム >>19
祟り神となった魂の封印施設が宇佐八幡宮
>>37
地震と火山噴火で穢れた九州を捨て大和に逃げてきたんだよ 午後のロードショーでこないだやってた大魔人て天皇関係あるの? 欠史八代は神話の世界の天皇
継体天皇からは実在するらしいけど、今の天皇家と繋がりがあるかは難しい所 最近日本史に興味持った俺にタイムリーなスレ
勉強してると皇族に尊敬の念なんか持てなくなるわ
あいつら汚い事しかしてねー 神武天皇の、高天原への天孫降臨以来、万世一系で連綿と繋がっているのが、我が日本国天皇家。
だそうだ。
元来日本国だった、韓半島南部を奪還して、本来の帝国に戻しましょう。
全ての支那の古文書には、韓半島南部は倭国成り。
と、記述してあるのを、世界で知らないのは、
10世紀の白頭山大噴火後の焼け跡にフラフラと彷徨って来た、
劣等民族の朝鮮人だけ。 普通に考えて中国が勝手に付けたヤマトの当て字が邪馬台だろ 邪馬台国の卑弥呼が天皇の母。一家は吉野ヶ里に住んでいたが、元寇により京都に引っ越した。以上。 トトロでサツキとメイの親父の机の上に纒向遺跡の本があったね 南からきた たくましい男と深窓のお姫様が 恋仲になって 和合して成立したのが大和朝廷で NO2の出雲の大国主さんが 間を取り持って 仲人になった。 普通に邪馬台国=大和=日本だと思うけどなぜかこれを認めちゃいけない風潮あるよね >>6
卑弥呼に関しては
卑弥呼縁のの神社が無いことも不自然だよな
確か、全く無いわけではないらしいが
少なくとも皇族との関係は薄いことを示唆しているのではないか >>29
常識的に考えたらそう
魏志倭人伝でも卑弥呼は周辺の30数カ国の共同代表みたいな感じだし 遣唐使やそれ以前から倭へ野蛮なまじない政治やめろと言われてたからな
当時は卑弥呼等は時代遅れの恥ずかしいものだったんだろうね
で、いつのまにか記憶からいなくなったと >>39
中国の歴史書からすれば、大和朝廷が邪馬台国だよ。
都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也 こういうスレになると必ず
卑弥呼 = 姫巫女だとか言う知的障害が湧くが
やまとことばとか知らないのかね 繋がりのある根拠がないなら繋がっていないでいい。
かの国のようなコリエイトはしなくていいよ。 >>73
唐の歴史書には「倭国」と「日本国」は別の国って書いてあるんだよな >>70
もとは一つの大きな国で男王が治めていたけど
内乱が起きて互いに何十年も相争う状態になって
それを小国の一国の邪馬台国の卑弥呼を担いで各国が連合して再統一したんだよな >>72
神功皇后=卑弥呼説は否定されてるよ
年代が合わないらしい >>69
たぶん卑弥呼って固有名詞じゃないんだと思う
皇族関係の人物ではあるけど日本側は卑弥呼とは呼んでなかった アマテラス神は
琉球の神のちで、ひきこもったんやぞ…
(たぶん >>59
GHQの日本弱体化政策で日本国民に尊敬されるような天皇家のエピソードや記述は全て消された。
戦後の教科書だとそう思うのは当然。いろいろ見聞して勉強しなはれ。 どのみち、俺の祖先はずっと関東だから
大和政権も邪馬台国もあんま関わりがない
野毛王国の方が気になるわ >>60
九州にあった倭国は畿内の日本国とは別だから >>80
かいてねーよ。別種というのはそういう意味じゃない。別の呼び方で同じという意味だ。
百済や高句麗も扶余の別種とあるが、これは百済王族や高句麗は扶余ということだ >>76
中国の国書には
倭国と日本国は別と書いてある >>82
詳しくないけど全く同じ時代じゃね?
どっちも3世紀前半に数十年に渡って政権を持ってた人物だし >>91
だから別種というのはそういう意味ではない。
中国の史書ならもっとストレートに
隋書にこう書いてある
都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也
奈良の都の大和は魏書にかいてある邪馬台国である。 卑弥呼や壱与が日本神話の誰に相当するのか分かれば繋がりは分かるんじゃねーの >>84
卑はないよな
当時の日本語はフィーマコゥとかで表現してたのを当て字にされたんだと思うよ >>91
それって奈良時代に日本という国号を初めて名乗った後の時代の記録でしょ
邪馬台国と大和が別だという理由にはなってない 高麗者、出自扶餘之別種也
これも高句麗は扶余であるという意味。
別種というのを別の違うものも訳すのはおかしい >>92
3世紀というのは同じだけど、日本書紀と中国の書物に神功皇后の事について書かれている一文が西暦266年の事らしく、卑弥呼が生きていた年代とは違う 卑弥呼=姫巫女
祭祀を司る
天皇家の祖神が天照(女神)
天皇は祭祀を司る
そのままじゃん 日本書紀自体が「九州から攻め上った」と書いてる以上お察しだろw 普通にあるやろ
・黒塚古墳の33枚の三角縁神獣鏡(景初三年は卑弥呼が鏡を送られた年)
・当時最大級の宮殿と都市整備された巨大な纏向遺跡(日本各地の土器も大量に出土)
・卑弥呼の死と年代が一致する箸墓古墳(放射性炭素年代測定と年輪年代学で一致)
・邪馬台国の7万戸の人口(20万人以上は奈良なら可能) 卑弥呼の死は247〜8年
250年頃に日食が起こる
(247年3月24日と248年9月5日の2回)
日巫女(日皇女)=天照大神
(岩戸隠れ) >>93
だから
魏書曰わく邪馬台の者なり
倭と日本は別種なり
別だよ
邪馬台国だとは言ってない >>109
別種は「違うもの」という意味じゃないんだよ。「同じものだけど、呼び方が違うもの」だ。 >>11
神武天皇は九州出身だけどなにか女王の治める大きな国があるらしいぐらいしか知らなかったのでは
で俺たちの村もあんなに立派になればいいなと子孫に伝えた
それで子孫が九州に来た時、卑弥呼の末裔を土蜘蛛呼ばわりして滅ぼしちゃうわけだ
以下コピペ
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) この時代から前方後円墳が始まったし、普通に邪馬台国=ヤマト国=大和朝廷でしょ 神武ってそれまで日本を支配してた皇族みたいなのの遠戚なんでしょ。
ナガスネヒコ倒してニギハヤヒに認められて日本を支配しましたって流れ。 >>110
違うよ。呼び名の違いではない。
同じ血筋だけれど、場所・系統の違う集団の事を別種というんだよ >>89
旧唐書には「或云日本舊小國、併倭國之地」として
別の小国であった日本が倭国を併合したという説も載せている 天皇の東征の途中に寄ったとされる地名や伝承があるから、やっぱ九州から移動したんだろ >>114
違う。「呼び名が違うが同じもの」という意味だ。
でないと、百済も高句麗も扶余でないことになる。 >>101
神功皇后の名前は日本でも中国でもかなり後の時代にしか出てこないからその記述が確実だとは言い難い
神功皇后、卑弥呼、臺與の3名の実績がごちゃまぜになってる可能性はある >>117
高句麗も百済も扶余の系統だけど
中国で扶余と呼ばれる集団とは別離している
だから別種という。 >>115
壬申の乱ってご存知?w
それただ単なる兄弟喧嘩
その使者が中国の皇帝の前でも同じことやったから、そうかいただけw >>115
壬申の乱
天智天皇と天武天皇の兄弟喧嘩
天智の近江朝(日本を名乗り始める)→天武の逆襲(倭国)→和解→政治闘争(皇女持統天皇が皇位につく)→改めて日本国を正式に名乗る
こんな流れ >>120
そんな意味で書いてないよ。
百済も高句麗も扶余の出自だという意味。同じ新唐書だ。 大和大国の姫巫女です
生意気なお前は「邪馬台国の卑弥呼」だ! >>33
これ今重要事項されてるよな
ドキュメントみたいなのやってほしいな >>125
扶余の出自というのはそういう意味だろ
分家集団ともいう。 こうやって自称賢い馬鹿がいっぱい現れて歴史はねじ曲がっていくんだろうなぁ
今までもこれからも >>126
別の名前だけど、同じものをさすという意味。
百済の場合も高句麗の場合も日本の場合も「〜とは違うもの」と説明しようとしてるわけではなく、「同じもの」であると説明するための記述 歴史の始まりは全てオカルト
神が舞い降りて国が出来ました。 台与→「ト」ヨ
邪馬台国→ヤマ「タイ」コク
普通は
邪馬台国→ヤマ「ト」コク
だよね?
バカ学者の皆さん、説明して! 卑弥呼は日本人生口を外国に輸出してたから、天皇チームが成敗してから東へ東へ行ったの 天皇家の卑弥呼だっけかな、読んだよ
う〜ん、まぁ細かいところは史料が出てこないと断定は出来ないけどね
今まで積み上げられてきた幻想を捨てれば、順当な解釈なのかもね
あっちの使者が発音まで完璧に記録出来たはずもないもんね >>130
高麗者、出自扶餘之別種也
高句麗は扶余と同じ出自である。出自というのは別種と別にかいてある 邪馬台国
卑弥呼
オールドチャイナの性格の悪さがよくわかるネーミングだな >>108
その頃の津波遺構と火山灰も有るし祟られてるから九州を捨てたんだろうな >>123
邪馬台国があった当時の記録として残ってるから実在はしたんだと思うよ
もし邪馬台国の存在を否定するならその根拠と相当秀逸なロジックが必要になるだろうな 日本国者倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。或曰:倭国自惡其名不雅、改為日本。或云:日本舊小國、併倭国之地。
(日本国は倭国の別種なり。その国日の辺にあるをもって、故に日本をもって名となす。
或いは曰く倭国自からその名の雅ならざるを憎み、改めて日本となす。或はいう日本もと小国、倭国の地を併わすなり)。
この「日本国は倭国の別種なり」とは、「倭国の別の呼称が日本国である」という意味。
その証拠に、続けて日本という呼称になった経緯を述べている。
日本国という呼称は、中国がつけた倭国を倭人の意志で改称したものである。
日がのぼる東の辺に在ることから、日本を以って国名にした。
これが中国の認識だと断言している。 事実、これに続けて今度は日本国の使者がいう日本国号の成り立ちを並べている。
「あるいはいう、倭の文字が好ましくないから、これを改めて日本とした」。
明らかに倭の文字を嫌って日本に改めたと述べている。
「あるいはいう、日本はもともと小国で、倭国の地を統合した」。
はじめから大国だった国などはない。
倭国はもともと100余国に分かれていたものが、3世紀には30余国になり、それが日本国として一つになったのだから、
国の成り立ちとしてはごくあたり前の話。 >>37
まあその可能性もあるよね
当時旧倭国は邪馬台国を中心とする諸国連合と狗奴国が対立してて
狗奴国が統一して邪馬台国があった大和の地を都とした 卑弥呼の時代に皆既日食があったらしい
岩戸隠れ=日食
つまり >>111
「高天原は関東にあった」に天孫降臨の新説が書いてあるよ。 愛子さまが卑弥呼になって新生邪馬台国として独立すれば俺はそっちに付くぜ! 魏略で卑弥呼の使者の難升米が言ってたっていう
呉の太伯の末裔っていうのは難升米の一族のことなの?
それとも卑弥呼も含めてなの? 日がでるとこ、日本、常陸。
日が向かうとこ、日向。 >>144
だから倭国は卑弥呼より前に一つの大国だったんだよ
それが倭国大乱で分裂して卑弥呼で再統一した
もとは一つの国よ
魏志倭人伝
其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼
後漢書東夷伝
桓靈 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主 有一女子 名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼神道 能以妖惑衆 於是共立爲王 >>150
それ野毛王国じゃないの?
なんか無理矢理資料を曲解して話をこじらせてるだけのような >>141
俺は畿内説だけどね
でアマテラス=卑弥呼
弟が初代天皇で崇神天皇
その前の天皇が九州から東夷したって言うのは勝手に想像すべればって立ち位置
崇神天皇まではクニで中央集権国家じゃないって考え >>6
卑弥呼って個人の名前じゃなくて代々受け継がれる位の名称だぞ。 歴史なんて捏造ばっかりやろ
調べても無駄や
ここ100年未満でも慰安婦とか南京とか捏造の歴史ばっかり >>155
>>144は今までの歴史を総括してるんだよ。邪馬台国時代も含めた歴史ね。
だって、隋書倭国伝で大和は邪馬台国だと断言してるじゃん。 九州の倭国っつーのは縄文人の国ですわ
畿内の日本国っつーのは倭の別種つまり渡来して来たという意味の別種ですわ
日本列島のド真ん中に高低アクセントで喋り、その言葉の中に「ヤ」というヘブライの神を意味するものを多用する倭とは別種ですわ、そう旧約の民ヘブライ関西人ですわ 継体以降はまあ万世一系で良いんじゃないの
継体天皇も正真正銘8世の孫?かもしらん
明治天皇は替え玉だとかいう人もいるけど >>143
新唐書だと「或云日本乃小國,爲倭所并,故冒其號」とあって
旧唐書とは逆に倭国が日本を併合して、その名前を奪ったように書かれているけど
いずれにしろ倭国と日本は別の国と見るべきだと思うが >>8
正気?
世界的に見ても活火山の麓に都市が在るのは稀だぞ >>149
魏略だと倭人全体が言ってるように読めるね
自帯方至女國万二千余里 其俗男子皆黥而文 聞其旧語 自謂太伯之後 昔夏后小康之子 封於会稽 断髪文身 以避蛟龍之害 今倭人亦文身 邪馬台国=ヤマト王権(後の大和朝廷)ってのは定説だわな
魏志倭人伝が客観的に証明している 有ると云えば有る無いと云えば無い
オオキミ政権(連合政権)成立期に卑弥呼的な諸女王を頂く諸国が加わって居たのは間違い無い
卑弥呼をを天皇の男系直系の祖先とするのはオカルト >>166
だからそれは壬申の乱
単なる兄弟喧嘩
天智の近江朝(日本を名乗り始める)→天武の逆襲(倭国)→和解→政治闘争(皇女持統天皇が皇位につく)→改めて日本国を正式に名乗る
こんな流れ いいかげん古墳調査しちゃえよ
地震とか災害多いお国柄なんだから
いつまでもそこにあるとは限らんぞ >>166
それが、「倭という名前が雅ならざるを」という意味じゃん。
実際、とおとおみとか地方の名前まで二文字とか三文字になっただろ。 鋼鉄ジーグとか、やはりこの板の年齢層は高いんだな。 記紀が卑弥呼のことを書いていないのは、知らないから以外に考えられん。
九州から来た皇室は、邪馬台国のことを知らない。それだけのことだ。
連続した政権とは思えないな。巻向は当時いちばん豊かだったんだろう。 仮に全ての陵墓、古墳を発掘したとしても
卑弥呼ですとは書いてないからな
永遠に謎だよ 比定されてないだけで何代めかの天皇が卑弥呼じゃね? 卑弥呼って本当に日本のことなのかな台湾とか他の島の可能性はないのか 仁徳天皇陵はホホデミノミコトですわ
仁徳天皇から人の世ですわ
仁徳天皇は記紀のため、辻褄合わせのためこさえられた存在と思いますわ
応神天皇までが神世、つまり神と人が混在する世ですわ
「神」の字がつく天皇はその名の通り神ですわ、しかも同じ神ですわ、おそらくホホデミノミコトですわ >>6
古代に〇〇子なんて女の子の名前があるわけないだろ >>166
倭が日本になったのと同じように、天武期に、「好字令」が出されるの。
木国→紀伊国 津国→摂津
別に木国が占領されたり別の国を表すのではない。名前がかえられた。日本と同じように。
わかったかな? >>180
金印は中国に返すやろ
例え金印が機内で見つかっても、後に大和朝廷が奪ったって九州の人間は言うやろw >>180
金印は中国に返すやろ
例え金印が畿内で見つかっても、後に大和朝廷が奪ったって九州の人間は言うやろw てかお前ら沼津の高尾山古墳はどう評価するのよ?
造年が纏向より少し前のAC230前後
大規模な土木工事行う動員力
鍛造鉄製で実用向き槍や剣の埋葬品
渡来の銅鏡、四国産の玉、北陸近江、東海、南関東産の土器
ただし纏向の奈良王朝とは共通品無し で、あったから何でなかったら何なの?
そもそも考古学的な物証もないのに支那の資料を重視して記紀を軽んじて論議するのがおかしい 中国が勝手に記録してるだけで
邪馬台国が日本のことなのか確定してるのかね >>178
金印以外にも親魏倭王宛の品があるかもしれんぞ 畿内と七道諸国の郡(こおり)・郷(さと)の名に好字を付けるように命じた。上毛野国・下毛野国・木国・粟国の国名が漢字2文字に統一された
つまり「紀伊国は木国の別種である」ということ。 >>187
中国の当て字だし
卑弥呼=日巫女(日皇女)でしょ 開化天皇の娘、御真津姫命が卑弥呼
初代斎宮のトヨ(イヨ)と目されている豊鍬入姫命が姪におり、卑弥呼の宗女トヨってのもクリア 邪馬台国=ヤマト王権だとすると
神武東征や日本武尊の征戦が繋がらなくなるよな
更に遡ると卑弥呼=天照大神だとすると出雲の国譲りのスサノオは何だったのか
ここら辺がグチャグチャやな >>195
神武東征は紀元前1世紀ぐらいじゃね?
ヤマトタケルは4世紀ぐらい >>195
そもそも欠史八代も怪しいんだから、崇神天皇以前は神話でしょ
実際居たとしても、後付で初代は崇神天皇でそれ以前は中央集権国家じゃなかったと考えるべき
つまりその時に神武東征とかあった可能性もあるって事でしょ >>193
日巫女ならアマテラスと同じでも違和感はないか >>196
神武東征は紀元前660年頃でないかな? >>158
そーなん
そういやクレオパトラもたくさんいるんだっけ >>197
その考察程度なら立証にならないな
あくまでも神話と歴史的事実の繋がりがあることを前提に考えないと
全否定なら戦後の歴史学者とレベルが同じ なんか色々歴史が消されてる感はあるよな
焚書なんて何処でもやってたんだろうが 卑弥呼はんはそら綺麗やったで
ミス日本の東京代表で、日本のトレイシーローズ言われてな
気持ち良さそうに笛吹いたりフライパン叩いとったのう 高々150年前の明治維新のことだって諸説あるんだから、卑弥呼の頃のことなんて誰が言うことをどこまで信じればいいのやら 無えだろうな
継体天皇が今の皇室の先祖でそっから先は繋がってない >>206
そら天皇家が現存するし無理やろ
発掘したいから、オタクの先祖の墓荒らしていいですか?言って許可するか? >>6
卑弥呼=日巫女=天照大神
天岩戸神話=245年代皆既日食=卑弥呼死亡 >>184
うん、わかった
その辺りの時代のごたごたが中国にもわかりづらくて
あんな書き方になったんだね つまり邪馬台国が九州の高天原から近畿に進出
途中出雲を滅ぼし一族を出雲大社の宮司とする 皇室なんかより筑紫の磐井のほうが邪馬台国と関係があると思うんだが。
同じ石の文化だし。 >>30
ひのみこ(日の巫女)という説もある。
中国人は馬鹿なので、外国の者には嫌な漢字を当てる。
卑とか邪とか >>202
クレオパトラなんて実はギリシャ人だしな 推古天皇で、Y遺伝子が途絶えたので、
今の皇族は、なんにも関係ない、ただのシンボル。
ニッポンの……ミナサマ…
一字幾らだよ。
コスパ悪りぃんだよ、にせ天皇。 皇室が三種の神器を持ってる時点で、
無関係とは言いがたい。
書紀によれば、皇室は伊都国いとで から神器を引き継いだことになっている。
平原遺跡の主が卑弥呼の可能性が高い。
そうすると、次の壱与の時に畿内に移ったのだろう。 >>200
それ根拠は古事記とかなん?
あれ絶対古さ盛ってるやろ
考古学的には弥生時代後期後半の紀元1世紀頃、東海、北陸を含む西日本各地で広域地域勢力が形成されてるのよ
それか考古学的な弥生時代の始まりの紀元前10世紀を始まりと見るか
あるいは太伯の末裔の呉国が越王勾践に滅ぼされ滅亡した紀元前440年以降に渡来した人達か >>212
邪馬台国を滅ぼしたのは出雲王朝で
(スサノオのヤマタノオロチ退治)
出雲王朝を併合したのが大和王朝
(出雲の国譲り) >>215
九州説には宇佐八幡神託事件が有るから確定だよね 卑弥呼はアマテラスで狗奴国がスサノオ。
狗奴国王が王になり出雲のオオクニヌシになるが、
邪馬台国残党と同盟した日向国の天孫氏(新羅からの渡来系)に倒されて天孫氏が天皇家になる。
日本書紀には天孫氏の人物の名前にはアメと付くがアメノヒボコという人物は新羅出身の王族と書いてある。
ただ王族がわざわざ海を渡って他国を征服するとは思えないのでおそらく流民なのだろうと思う。
その後、天皇家は故郷の新羅を攻め新羅王の位を狙うが男子は絶え(仲哀が男系最後)、神功皇后を百済貴族に嫁がせ生まれた子(応神天皇)を倭王にした。 >>224
神話をもとに検証すると660年だよね
だけども昔の天皇が長寿過ぎるなのが昔は一年が2回あった説をとると天皇年齢もまともになるし、神武東征の年代も紀元前100年代になるかもね 今の天皇家の血筋って大和朝廷のミカドから数えたら絶対何回かは途絶えてるよね。まあ江戸時代以降くらいからは大丈夫だろうが。国民はそんなこと分かった上で天皇制を維持してる。 >>228
周王朝時代は春秋って言葉にもあるように
春が来たら一年、秋が来たらまた一年って数えてたから
渡来人が歴史を記してたらあり得る >>33
要するに当時の日本人は文字すらない文盲国家だったわけで、中華帝国からすればゴミみたいな存在
卑弥呼が天皇と繋がっていようがいまいが、劣等民族であることには変わりがない 堆積物解析によると2000年前の紀元前後に
過去最大の宝永大津波を遥かに上回る大津波が太平洋岸で発生してるんだよな
沖積平野で稲作始めてた人々は沢山呑まれて死んで稲作壊滅してるんじゃね?
当時でもまだ縄文的に山で暮らしてた人々が生き残る
そこから日本人の意識構造が更に変わったと見た >>229
大和朝廷はオオキミだから
無知なのがバレちゃったなこの低学歴めがww そもそも卑弥呼や邪馬台国って大陸からの蔑称じゃないの?
卑とか邪とか高貴な人にや存在につける文字じゃない
日本の歴史を改ざんしたい奴らが作ったのでは なんで日本記についてあまり語られないの?
あれが残ってたら日本の歴史全部覆るんちゃうの? >>236
中華思想では周辺国や王に蔑称になる漢字をあてるのは基本 >>236
自分達で歴史を記せなかったんだから仕方ない >>235
考古学的には九州説の可能性は薄い
既に3世紀以前に北九州から東海北陸まで頻繁な交易が行われていて
共通の文化様式を持つ人々だったとうかがえるから >>237
間違えた
国記だったわ
あと天皇記の内容も気になるのは まず関係ないでしょう 皇室から邪馬台国を言及したことは今までにない >>241
でも倭についての記述は九州を思わせるようなものばかりだけど 三王朝交代説ってのを聞いた
神武・崇神・応神がそれぞれの王朝の始祖で、応神からは万世一系 >>235
九州説は観光誘致
九州という広範囲で大雑把な括り見てもわかるとおり、
場所の断定すらできないし候補地自身が断定する気もない
断定してしようとすれは他の観光名所になってる九州の候補地から反発が来て潰され、
敵が畿内だけじゃなくなってしまう
その程度の説 こんな日本が何だかよく分かってない
時代のときが三国志の時代で
さらにその600年だか700年前に
孫子とか孔子がいたと思うと
中国すげーと思う >>244
やまと についてはいくつも風土記や史書にでてくるだろ。 日本書紀や古事記に普通だったら魏志にも載った女王の末裔を名乗る筈
しかも親魏倭王の金印までもらってる
歴史的に継続性のない王朝であってもそんなレジェンドな王朝の末裔である事を公言する方が利があるように思える
しかしながらそんな記述が一切出て来ない所にロジックが隠されてる。それをしたくない理由は日本書紀が編纂された当時の情勢が背景にある
当時の日本は白村江の戦い以降中華圏からの完全独立を目指していた
対等な関係である事を内外に宣伝する為には過去に朝貢した王がいては困る
だから歴史の闇に葬ったと見ると整合性が出てくる
つまり逆説的に考えると邪馬台国は大和王権との間に累々たる関係がある事の証明でないかなと考えるわけです 邪馬台国は九州福岡
奈良はパクリ泥棒、奈良の地名も福岡県のパクリだらけ いいじゃん、記紀のまんまで
モーゼだって海を割ったんだしさー >>229
イギリスの王室の骨調べたら途絶えてたらしいしな
DNA調べたら旦那じゃない男の子供を産んでたとかで >>229
桓武平氏、清和源氏
細川護煕がそうであるように傍系が繁栄してるから、かなりの確率で元に戻ってそうだけど よこヤリ
武寧王と加唐島 朝鮮と関係地名に痕跡
http://www.saga-s.co.jp/sp/news/saga/10105/377443
百済21代王の加須利君(かすりのきし)(蓋鹵王(がいろおう))が弟の軍君昆伎(こにきしこにき)を倭国に貢(たてまつ)る際、自分の子をすでに孕(はら)んだ側室を与え、途中で子が生まれれば送り返せと命じた。
一行が筑紫の各羅嶋(かからのしま)(加唐島)まで来た時、一児が生まれたので嶋君(せまきし)と名付けて百済に送り返した。これが百済25代王・武寧王(ムリョンワン)である。
この「日本書紀」の武寧王の出生譚は、1971年に韓国忠清南道公州市宋山里で武寧王陵が発見され、出土した墓碑銘からその正当性が認められている。 >>203
氾濫で流れ変える河川を
蛇に見立てたって説もあるけど
櫛名田比目賣なんてもろ稲作関係だし 資料が少なすぎるよな
時間的に近い中国の記録にはそれほど多くは書かれてないし字も当て字だろうし
日本の記述は大昔の伝聞を収集して政治的な味付けをした古事記と日本書紀しかないんだから
無くなったもう一つがあればだいぶ違うんだろうけどもな >>118
魏志倭人伝を読むと卑弥呼の時代は二倍歴を使っているらしいから
時代の差は年代計算がずれているんだろうね >>243
それ「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条じゃない
「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条は 「邪馬壹國」
つまりヤマト国 卑弥呼から数百年間も記録の無い時代が続くから、繋がりのアカデミックな合理性は無いよね。
ロマンとして想像するのが一番楽しい。 応神天皇は名前交換した。
これは、体を交換したら名前が逆になったという意味。
百済・枕流王と応神天皇は体を交換し、結果、名前が交換された。
つまり、枕流王となる人は応神天皇となり、
応神天皇となるはずだった人は枕流王となった。
ちなみに、その枕流王が仁徳天皇である。即位後暗殺され、大騒動ののち(百済自身が暗殺後の王を殺し)、息子アシン王が即位した。
応神天皇の名前交換は、書紀に記載されている事実である。 >>272
この件に関連して、
応神天皇が生まれたとき、
仲哀天皇が死んでいる。
応神天皇の名前交換と仲哀天皇の死、
どういうことなのかよくよく考えねばならない問題である。 ちなみに「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の部分のことを「魏志倭人伝」と通称で読んでるだけね >>273
仲哀天皇の死、
死を偽装して応神天皇と入れ代わり百済・枕流王へ。
枕流王として即位後、すぐに暗殺される。
百済、暗殺後の王を殺し、
枕流王の息子をアシン王に。
この枕流王が仁徳帝。
仁徳天皇も名前交換してるため。 継体とか持統とあえて諡を付けているんだから空気読んでさぐっちゃダメ 哲学ニュースのたてるスレで未だに
卑弥呼=姫巫女だとか日の巫女だとか書く人がいる件
巫女て 繋がりなんかねえよ。
卑弥呼の代から王族は世襲じゃねえし
そもそも倭国は邑から成る氏族連合体で
干支に有る様な単位で豪族を括り順に王を専任していたんだよ 天皇記国記にはおそらく、
応神天皇は百済の王で、
百済の王は倭国の王が入れ替わっており、
推古天皇は北魏の王統に連なる高句麗女帝と書いてあった。 畿内説を採ると、邪馬台国→大和政権と考えるの自然だよなぁ
でも神武東征との整合性がおかしくなってくる >>236
普通に考えたら日の巫女とか大和国だろうね ネトウヨロジックなら
朝鮮移入は
検問してたらしいで(あらそー
かわいそうに >>181
邪馬台国を畿内とか北九州のどこかとする説が相変わらず根強いが魏志倭人伝を文字通り
に読めば九州〜台湾間の島のどこかに比定した方が合理的だと思う。
琉球、奄美大島、徳之島あたりの方が書かれている風俗からは合致するように思う。
はるか後の琉球王朝も日本とは独立に中国に朝貢していたくらいだし。仮に琉球にいた
卑弥呼が魏に使いをするというのはむしろ自然だと思う。 ここだけの話
天皇=スメラミコト=シュメール人
だよ
内緒だよ 宮内庁が発掘を許さない皇室墳墓がいくつもある。
謎が解明される事は無いので議論するだけ無駄 >>5
そのままヤマトコクだからな そりゃそうだろ否定する方がおかしいよね >>30
外国に紹介するときにヒメミコですとかいわんだろ
名前で示したはず
よって卑弥呼はヒメミコの変形ではない
日本語で考えるなよバカが ヤマトと周辺国の連合だったんだろう、ローマ帝国と属州みたいな関係
宗教的に見ても、ローマの宗教は周辺国の宗教の集合体だからな
日本の神話とか東征もその辺で説明つくやろ >>293
外国人は地元民が呼んでいる言い方で覚える。
ひよっとして、当時の人が自分の会社の社長を名前で呼ぶような感じで話してたとでも?
実際スペイン人は秀吉をTaiko-sama 家康をOoGosho-sama と書いてる なんで「卑弥呼」なんだろうな?
幼い頃から「卑って漢字、あんまり良いイメージないけどなぁ」って思ってた。
日巫女とか妃御子とかなら分かるけど。 >>299
中国人が作った、異民族を見下してつけた、ただの当て字だからだよ。 >>299
向こうの連中が文字も解らねえ土人に付けた当て字だもの >>265
今BSでやってた諸説ありで
金印の「漢委奴國王」は「かんのわのなのこくおう」ではなく
伊都国を指す「かんのいとこくおう」方が自然ではないかって言ってる
倭国の人偏が省略された説は不自然ってさ >>280
おそらく、「蘇我氏」こそ正統な王の血筋だったという事実、が記されていたと推測する >>297
ルイスフロイスとかその辺の呼び方の説明まで書いてるしな 蘇我氏が正当な王家というより、天皇家、蘇我氏、物部氏の三頭政治体制だった可能性は高いな >>304
スペインの東洋艦隊ひきいた、フィリピンのスペイン政庁の副総督が書いた歴史本では大御所さま、太閤さまとしかかいていない。実際に賄賂とか手紙交換や交渉もしてるのにね。
ロドリゴとかは、家康を皇帝とおもっていたらしい。 >>306
十七条憲法に空気読んで話し合え的な事書いてあるし
その後近代に至るまで基本法律になった御成敗式目にも空気読め的な事書いてあるし
現代の日本人の空気読まないと生きていけない感じはヤマトが作ったのは間違いねぇわ
きっとそんな感じだった筈 名前交換で半島の王となった倭国の王が、
蘇我氏だと思うんだよな。
で、列島に戻ってきたと。
高句麗が頂点にあるんだよ。
そして、北魏も道武帝のときから
高句麗の入り婿なんだよな。
で、高句麗を頂点にして、
倭国と百済の王を入れ替えさせてるんだよ。
が、推古天皇の代ともなると、
推古天皇自身が北魏の王統にして高句麗女帝という立場になってる。
そして、蘇我氏がそれを補佐し、
半島・大陸に影響を及ぼすという感じになってる。 正直不明だけどこれだけ多くの人が邪馬台国で飯食ってるんだから古代のロマンのままでいいよなと思うわw >>68
それを認めると日本書紀、古事記との整合性が取れなくなるからだろ >>6
卑弥呼は奈良に出雲系の王朝を建てたが
大和系(皇室の祖先)に滅ぼされたのではないか
という話を岩波新書で読んだ 古代は朝鮮半島との関わりが強いね。
神武の兄も新羅の王となったみたいな話もあんでしょ。 邪馬壹国は魏に対しヤマト政権を僭称したもの。
天皇との関わりはない。 縄文人が狩猟、弥生人が農耕で共生してたところに古墳人の騎馬民族がやってきて支配層になったのかな 邪馬台国を滅ぼした勢力のてっぺんが天皇って意味では繋がりあるよ >>6
ヒミコ➡ヒメミコ
漢字は宗主国の音に対する嫌がらせ当て字
と思う >>302
後漢書
「倭は韓の東南大海の中に在り〜...武帝(紀元前2世紀)、
朝鮮を滅ぼしてより、使訳漢に通ずるもの、三十許国なり。」
魏志倭人伝
「倭人は帯方の東南大海の中に在り〜...、漢の時朝見する者有り、
今、使訳通ずるところ三十国。」
旧唐書
「倭国は古の倭奴国なり。京師を去ること一万四千里〜...、
世世中国と通ず。」
中国側の視点では、紀元前2世紀の漢の時代から、3世紀の邪馬壹国、
7世紀の倭国までは連続した王朝で、ずっと中国と通じてきたとある。
・紀元前2世紀の王墓があるのは日本で福岡だけ。(吉武高木遺跡)
・bc57年の漢委奴国王(伊都国)の金印が出たのは福岡の志賀島(安曇族の根拠地)
・全国でもぶっちぎり巨大な福岡の都市遺跡「弥生銀座」
九州説で決まりです LUCAとかいう全人類の共通の祖先が居るから、
繋がりはあるだろ ああ天皇家との繋がりだったな。
伊都国から農地を求めてヤマトに入ったのが神武だろ。
卑弥呼の王墓と目される平原で5枚見つかった超大型内行花文鏡が畿内でも
一枚見つかってるから、東征の時に持たせたんだろ。 それらくろうかいちゅうにわじんありー
って歌ったなあ
中学んときか 結局
卑弥呼は九州説か畿内説かどっちに決着ついたんだ? >>109
別称 別名 別読 別の言い方 別の呼び名 アホが多いけど、日本書紀や古事記はほぼウソだからな。 >>331
最近のニュースだと奈良で決着したらしい 日本書紀や古事記より前に竹内文書がある
それには歴代の天皇が記されている
2万年ほどの歴史がある
さかのぼるにつれて人間から神になる、要するに天皇は神の子、地球外生命体のDNAが入ってる >>184
いずるみずは泉になって語呂合わせにもならない和泉だもんな。
倭は大和になって大和国で総称を日の本の国にしたんだと思うよ >>1
今のご時世、邪馬台国九州説を唱えるなんて時代に逆行しててありえないけど
驚くなかれ、この本の著者の一人で古代部門を担当している倉本一宏は九州説を唱えている
コンサバな教科書でさえ中立記述を止めて畿内説が有力という表現に変えてきてるというのに、
今さら九州説の本を出すとは出版社の担当はかなりのチャレンジャーと言える >>187
邪だっていい文字ではないし馬とか動物だし他の国の名前も悪い字を当ててる。
昔の中国は印象で勝手に一文字二文字にしてしまうよね。
倭の五王とかも中国表記だと一文字だしな。 案外中国の人間が日本に逃げてきて西日本を制圧しヲホドを名乗り
ヤマト王権の暴君を処刑して征服完了したとかそんな感じだったりしてな 朝鮮から来た養子の昭仁天皇の親戚 アベ最強伝説!
公安は天皇の下部組織。
天皇の側近に侍従がいる。
この侍従は警察OBで警察トップと常時連絡をとる。
天皇には侍従という秘書が5人、少なくとも警察OBが5人以上はいる。 警察OBは警察トップとの連絡役。
他にも、参与というのも居る。
天皇家の重要事項の相談役も複数名いるらしい。5人はいる。
宮内庁元長官、元侍従長、元最高裁長官、元警察庁長官、元検事総長など。。
公表されているごく一部の職員だけでも、これだけの元官僚トップが、宮内庁にそろっているのです。
国民が知らない、闇の政府です。
今の警視庁は予算が6500億円という超高額な予算。
この高額予算で国民監視をしている
そして創価学会への団体依頼。これは平成になってからすぐだ。最近になってからではない。
自殺対策は天皇制を廃止しないと無理です。
わかりずらいだろうけど、警察が暗殺しているのです。
天皇の側近は元警視庁警視総監や元公安トップ、警察学校のトップの人物が多数。
この警察OBが警察トップに指令して暗殺。その後自殺発表。
反抗する官僚、議員もこれらの手口で殺しています。逆らう元総理大臣も。
これらはアメリカがやっているのではない。
日本は国連に人権侵害を何度も指摘され批判されている国で、そのトップは天皇。 あるかないかは多分わからんしもしできても影の力が働くだろうな…
しかし雅子が皇后とかとりあえずないわ
小室もいい加減にしろよ >>166
白村江の戦いで王の筑紫君薩耶麻が唐の捕虜になったことで
倭国は滅んで、大和(日本国)に併合されたのだろうけど、
そこで問題になるのが正統性の問題で、
日本は倭国から連続した王朝だと主張したんだろう。
唐側の人間は日本側の説明は嘘くさくて
全く信用できないと思ってみたいだけど。 >>346 実はマサコの種は大作だと w 小室はチョンさん 朝鮮半島は紀元前12世紀に北部に箕子朝鮮王朝があり
紀元前2世紀頃には南部にも辰国が登場してたんだろ?
その頃倭人は一体何してたんだよ?? >>293
長ったらしいその当時の日本語の本名を中国人が把握できるとは思えないよ。
姫巫女様と呼んでいて様は敬称と理解できれば蛮族に敬称つけない中国の習慣からかんがえると、、、 正直宮内庁が無くならない限り日本の古代史はなーんもわかんないよ >>299
日本鬼子 リーベングーズーみたいな蔑称だよ。 卑弥呼は中華思想に基づく当て字だっていうけどその割には壱与(台与)の字は普通だよな >>344
台与ってなんてよむ??
「タイ」??
普通は
邪馬台国でヤマ「ト」コク
これが素直な読み方じゃない? シュメール人とかユダヤ人だとかいうのはわからなくはないが
それも確定してないからな
竹内文書なんてインチキだろあれはw >>347
それだとすると防人は実は東国からの進駐軍で太宰府や水城は大和征服王朝の現地司令本部ってことかな 邪馬台国を、ヤマタイコクと読んだは、江戸中期の国学者の本居宣長です。
素直に読めば、邪馬台国はヤマトコクです。
魏志倭人伝を読んだ本居宣長は、尊崇する朝廷の先祖が、顔と全身に入れ墨を行っていたことを信じられなくて、
「それは熊襲じゃ」となり、邪馬台国論争とは、そこが出発点なのです。
邪馬台国論争の元凶が本居宣長の天皇に対する尊崇の念からなのですから、
事実は小説よりも奇なりです。 魏志倭人伝で
自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
「女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り」
とあるから大和朝廷が糸島に総督府置いて西国中に睨み聞かせていたんだよな? >>356
唐の進駐軍2000人が来て筑紫都督府を設置した記録があるから、
大和が来たのはその後だろうな。
ただ大宰府の役人には筑紫公の名前も見られることから、
筑紫倭国の人間を置いた可能性もある。
長官とかは大和から来たんだろうが。
防人は防衛のための兵士だろ。 宮内庁が発掘許可出さない墳墓調べればほとんどの疑問が解決されるかもしれないのに・・・
勿体ない >>359
そもそも後漢書にある「邪馬臺国」を邪馬台国と当て字したのは
日本人。
後漢書では「臺」を「ト」と読まない。 ヤマトコクと話したのを、シナ人が聞き間違えて邪馬台国と当て字で表したんだろ?
全身入れ墨のくだりは、熊襲の奴隷を連れてたから。 >>360
肝心の畿内に鉄器(軍事力)が無いから、邪馬壹国が畿内だとしたら
全く睨みがきかない 三国志全巻で「䑓」は魏朝の王宮またはそれに準ずる王宮にしか使われない「至高の文字」だった。「邪」「馬」「卑」などの卑字をあてられる蛮族の国名に、至高の文字を割り当てることは、三国志筆者の思想からして有りえない。
『後漢書』などには邪馬台国とあるものの、『梁書』の例もある通り「魏志倭人伝」以外の全てが邪馬台国というわけではなく、邪馬台国が正しいとする根拠にはならない。 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
≒ 卑弥呼 説 >>367
魏と倭は親戚だったんだよ。
字も似てるし。 卑弥呼の日本語読みヒミコから「巫女」なんて漢字を想像しちゃて
巫女がー巫女がーって書いちゃう人は
卑弥弓呼ってオッサンはどんな巫女だと考えているのか このスレ読んでみても俺たち畿内説の根拠って
ヤマタイ→ヤマトゥ→ヤマト
の付合だけだな。
しかし、この付合さえあれば俺たち畿内説は
あと20年は闘える! さあ皆さんもご一緒に!
ヤマタイ
ヤマトゥ
ヤマト 勘(感覚)というのは良く出来ている
自分が必要な事が良く整理されて分かっている
それは文面の羅列のように整理されているのではなく、三次元的、
立体的、生物的に複合的に優先順位もよく整理されている
電波幻聴の相談は5~10分程で頭の奥、深層心理でよく整理される >>132
それなら倭国が古の倭奴国と記されているのがおかしい。
俺は畿内説だけど。 邪馬台国の読みは「やまたい」じゃなくて「やまと」だろ
これを認めちゃうと明治以来延々とありもしない幻の国があった論争が終わっちゃうって事 >>380
そうそう!
さあ皆さんもご一緒に!
ヤマタイ
ヤマトゥ
ヤマト 魏志倭人伝には卑弥呼の宮殿には楼閣と城柵があると記されているのに、全く楼閣城柵の痕跡のない纒向を卑弥呼の宮殿と主張している畿内説の自称学者は博士号持ってるの?
俺は畿内説だけど。 後漢王墓や魏朝皇族墓(最大径60m位)よりも
遥かに大きな箸墓古墳を冊封国女王の卑弥呼のために作って、魏の役人に見せたと主張している畿内説の自称学者は博士号持ってるの? 和の姫巫女の使いと使者が名乗ったら
向こうは音で漢字に起こすから倭の卑弥呼になったんじゃないの 大陸の文化
天皇家 大和朝廷と邪馬台国は別もんだわ 邪馬台国も卑弥呼の墓も九州だと思うけどな
だいたい卑弥呼の墓は円墳って魏志倭人伝にはあるのに、箸墓は前方後円墳じゃん
近畿説派は強引すぎ >>292
でもなんで中国の文献なのにそこだけ日本語読みなんだろうな
当時の中国語で読んだら発音違うらしいけど >>239
あったけど大化の改新で全部焼けたから仕方ない 初代天皇 神武天皇より現代まで125代一貫して 男系で継承
初代天皇 神武天皇より現代まで
125代一貫して男系で継承
皇統はあくまで男系継承であり、
神武天皇より現代まで125代一貫して
男系で継承されてきている。
神武天皇の血を父親系統、
男系で引き継いで いることであり、
それが万世一系である。
__ __
|. ● | |. ● |
 ̄ ̄| | ̄ ̄
ヽ(・∀・)ノ 日本は鎌倉時代
家父長制まで
母系社会だったが
天皇家は
初代から現在まで
男系の
大陸文化 左翼が男系天皇
潰したいから
発狂してる
だけだったなw ちなみに天照大神(大日女尊おおひるめのみこと)=卑弥呼(日巫女・日女子ひみこ、ひめこ)だろ
伝説上はBC660建国だが、
実際は2世紀あたりに倭の主要国が統一され天皇家統治が外国に認知されたと思ってよさそう 左翼が脳内妄想しても
意味ないから
左翼が男系天皇
潰したいから
発狂してる
だけだったなw >>322
>騎馬民族がやってきて
考古学的には否定されてる まあ認めるわけにはいかんよな
魏の金印もらって臣従した卑弥呼の子孫が天皇家なんて
だから日本書紀やら古事記で改竄
日本のお家芸である文書捏造はこの頃から既にあるw 初代天皇 神武天皇より現代まで125代一貫して 男系で継承
初代天皇 神武天皇より現代まで
125代一貫して男系で継承
皇統はあくまで男系継承であり、
神武天皇より現代まで125代一貫して
男系で継承されてきている。
神武天皇の血を父親系統、
男系で引き継いで いることであり、
それが万世一系である。
__ __
|. ● | |. ● |
 ̄ ̄| | ̄ ̄
ヽ(・∀・)ノ >>396
豊を台与と言ってんだから
邪馬台国=ヤマト国だろうなぁ >>413
そんな理由ならわざわざ日本書記に魏志伝のことを書かないってのw >>413
その改竄されたであろう歴史を馬鹿正直に信じて糞真面目な顔で、伝統伝統と触れ回っている人たちって何なんだろうね
皇族芸人さんなんかその筆頭っぽいけど あのー、日本書紀とか古事記ってかなり改竄されてるのですかね?
俺らだって歴史を書く時、改竄とかするだろうから、昔の人だってそのくらいはやったんじゃないかなぁ
天皇家だって、もしかしたらどこかで托卵されてて全く別の系統になっている可能性はあるだろうし
一体、何が真実なんだろう?
弥生時代から古墳時代に何があったのか?実は何もなくて書く事があまりにもなかったのか?
それとも三国志あたりの中国に攻められて乗っ取られて現在に至るのか?
どうなってんだろう? 卑弥呼って良く当たる占い師みたいなもんだろ
大昔の奴らは馬鹿だから良く当たる占い師的なのがいたら神の使いだの使者だのなるからなっ
火巫女説もあるなっ
ま、巫女なんてのは生け贄みたいなものだからな 金持ちが道楽で、AIに古代の文献やら遺跡(物証)やらを総合的に学習させて
ポジショントーク抜きの古代史研究してくれんかのう 日本の空白のうん百年って何があったかわかる方法はないのでしょうか?
中国の歴史は王朝が変わるたびに火で燃やしたりしてわからなくしたようですが、何故に良くわかっているでしょうか?文献が隠し持っていた人がいたのですかね? 古の倭奴国
倭の奴の国は博多
なの津があるから間違いない 倭の国は九州だろう
畿内説って根拠あるだろうけど、倭の国に仕えていたかアイヌのように元々そこにあった国なのかもしれない >>427
日本に渡ってきた文献が残ってるから コレ重要 >>430
という事は、日本に渡ってきた文献頼みなんですね
実は中国より日本の方が中国の歴史を正しく知る事が出来たりするかもしれない
4000年前も天安門事件も まったくないな
>>4
それは無い
藤原鎌足が あ、こら何をするgsdrfsdりぇろ
な、だけだ 邪馬台 は当時の中国でヤマドって発音したらしいけど、大和王権と関係ないの? 書紀にも記載されている
名前交換の事実が、
百済と倭国の王の交換を物語っている。
応神天皇と枕流王。
それをさせたのは誰だろうと考えれば、
高句麗と分かる。
百済の王が高句麗の命令であっちにやられたりこっちにやられたりは史書にあること。
そのとき、百済の王と交換され、
海を渡って王となり、帰って来たのが蘇我氏。
やがて、北魏王統に連なる高句麗女帝・推古天皇を手に入れる。
(北魏は道武帝の時から、高句麗の入り婿だった) 天皇家の血統については
邪馬台国より継体天皇について詳しく調べたほうがよくないか 6親等まで親戚ってのは武烈天皇と継体天皇が6親等離れているのがルーツなのかなぁ?そんなわけないか
武烈天皇と継体天皇って血は繋がってるんだよね?
関係ないけど、崇光天皇の男系男子で竹田恒泰氏がいるけど相当今の天皇と離れてるか 継体天皇は出自に謎な部分があるからな
父親は応神天皇の子孫らしいが、なぜ天皇を決めるのにそこまで離れた血統を持ってこなければならなかったのか >>365
入墨は呉の風習にもあったよ
あと九州の土井ヶ浜の弥生人の抜歯は
古代中国式の上顎側切歯の抜歯
ここは頭蓋骨とかDNAとか調べて
春秋戦国頃の呉の人と類似してるって言われてる
>>426
面白そう 弥生時代にあれだけ銅鐸大好きで北九州から静岡や北陸まで
銅鐸が流行りまくってて400年以上作り続けて大事にしてたのに
卑弥呼の時代を境にぱたっと銅鐸を作るのを止め
破壊したりまとめて埋めたりして以後無かったことにしちゃったのは何故なんだぜ?
その数百年後の奈良時代に銅鐸が発掘された時に誰もそれが何なのか判らなかったという恐ろしい断絶ぶり つまり、名前交換を踏まえれば、
古来からの王統を継いでいるのは蘇我氏の方で、
応神系は百済王の系統となる。 卑弥呼は公孫氏・・・つまり燕王の娘だから、
燕王の系譜を継いだ高句麗女帝が卑弥呼の系統といえる。
推古天皇は、北魏の系統に連なる高句麗女帝だから、
まさに卑弥呼の再来といえる。 魏:あんたらどこから来たアルカ?
倭:ヤマトたい!
魏:やまたい?
めんどくせー邪馬台国にしとこ。 渡来人には呉から船で直接来た集団と
斉から山東半島〜朝鮮半島南部経由で来た集団がいたと思う
斉を北に回ると朝鮮北部には元中国人の国があるので
そのルートでは日本まで来る必要性が薄れそう >>445
名前交換で、倭国の王と百済の王が国替えした。
本来、応神天皇となるべき人は百済・枕流王に。
本来、枕流王となるべき人は応神天皇に。
その枕流王の系統がアシン王でまた王となったがそれ以後、
傍系となり王となれなくなった。
それが蘇我氏。
高句麗と結びつき、幾人もの高句麗女王を貰い受け、
やがて北魏王統にも連なる推古天皇を手に入れた。 ぶっちゃけここ200年程度より前の書物なんてほぼ嘘や政治的に書き換えられたもんばかりだろ。たかだか70年前の戦争記述すら怪しいのに(戦争の実際の姿だけは俺らのじいちゃんたちが生きてる、生きてたから正しいとわかるが) >>441
銅鐸は風鈴みたいな中の棒で音を出すもの
銅鐸だけ出ても何をするものかは分からないだろう >>449
じいちゃんだって見てたのは一部分でしょ
全てを見てたわけじゃない >>449
まあ歴史とは勝者の歴史、という格言がよくわかるな >>440
ごめん間違えた
抜歯は山口の土井ヶ浜遺跡で
呉との類似が指摘されてるのは九州の隈西小田遺跡でした
そんで土井ヶ浜遺跡が斉の臨淄と類似を指摘されてたりする >>444
紀元前2-1世紀に登場した燕の末裔の衛氏朝鮮と親類なん? 卑弥呼の時代から奈良時代までの間に民族浄化とかなんかあった?
当時の中国が当時の日本に攻めてきて住んでた人を殺しまくって犯しまくったとか?
それやったら、さすがに文献になにかしら残るか
当時の文献がその時代だけ抜けてるのですか?中国が日本に攻めたよーとか書いてないのかな? なんで邪馬台国の話になると吉備はハブられるんだろう… >>427
中国は文字を書ける人が大勢いて、複製本がいっぱい作られてたから、
焚書しても取りこぼしが出る >>455
朝廷ができてから蝦夷とか熊襲とか討伐してたけど、
それ以前の話では、先に日本に来た弥生人が
後から来た弥生人に殺されたんじゃないのって感じの
殺人事件遺骨が多いらしい
あと中国はその頃戦乱で日本どころじゃない時代が結構続いてた 卑弥呼の末裔を天皇家の一族集団が滅ぼし日本統一へ一歩近づいたんだから
直接の関係はなかろう >>456
吉備津彦命の吉備国平定あたりまで空気だし…
未発掘の造山古墳、作山古墳があるから、発掘されれば何か出るかもね >>441
銅鐸を用いた集団祭祀から、
鏡や鉾を用いた首長祭祀に変わったという説がある。
つまり身分制度の発達した先進地域から順に銅鐸が消えていった。 銅鐸ってどうやって使うの?
溶かして剣にしたほうが強くね >>454
まず、卑弥呼が公孫氏の係累とは、
普書・四夷伝に書いてあること。
また、公孫淵が魏に反旗を翻した時、燕王を名乗った。
卑弥呼が死んだのは、結局のところ、
公孫氏の娘というのがバレたせいかもしれない。
燕王は、中国東北部を支配する者が代々引き継いで名乗っていたが、
慕容氏が引き継ぎ、やがていくつもの燕国や高句麗がその地位を受け継いでいった。 >>465
それから、倭人が燕王に従っている とは、
山海経などに書かれていること。
卑弥呼も燕王を名乗った公孫氏に使者を送っている。 >>439
i一応
そこまで辿らねば男系男子が居なくなったって説明だけど
ホントかなって気はするよね
ただ
現代の天皇家を見ても
男系男子でツナグのは
とても難しいことだって気がする
だいたい男子は生まれにくい育ちにくいこともあるし 卑弥呼はアマテラスだろう
天皇家の始祖だわ
始祖が朝貢したのはマズイから無かったことにしただけで そもそも卑弥呼もただの人間だろ
それを担ぎ上げ讃えるってただの宗教じゃん
大山ねずの命と何ら変わらない 今の天皇は新しい神である天津神の子孫
卑弥呼は古い神である国津神の系譜だと思うがな >>318
日本書紀も古事記も創作物だろ?
それでええやないか 全体主義者の先兵である警察・消防は町のチンピラや暴走族、中学生ら、つまり犬っころのような連中を
使って集団ストーカーを行い、騒音を立てさせ町を荒らしています。また、消防自らも患者を搬送するた
めではなく、いやがらせだけのためにサイレン走行をして騒音を立て町を荒らしています。
私は富山の田舎町に住んでいますが2015年以降に深夜〜早朝に私が目覚め直後(1分〜15分後)に自宅
前を救急車がサイレン走行した回数は記録しただけでも実に47回以上に登ります。実際はもっとです。
このいやがらせにはこういった効果があります→あいつがいるから町がうるさくなった→近隣住民による
ターゲットの排除→ターゲットの孤立化→ターゲットを精神病院へ誘導・ターゲットを自殺に追いやる
日本人というのは弱いですから近隣住民のいらだちは国家権力(強い者)に向かわず、被害者(弱い者)に向
かいます。国家権力によって被害者が精神病院へ誘導された、あるいは自殺に追いやられた例は無数にあ
ります。 >>427
宮内庁をなんとかすること。
発掘許可出さない皇族関連墳墓が沢山ある 一度許可したら古墳内部の壁画を学者連中に滅茶苦茶にされたんじゃなかったかな
それで許可しなくなった >>474
イヨ説
『三国志』魏書東夷傳の倭人之条、(通称魏志倭人伝、陳寿編纂、3世紀・晋代)では2写本系統とも「壹與」と記載されている。発音は「い(ゐ)よ」か?。新字体では「壱与」
トヨ説
『梁書』諸夷伝 倭(姚思廉編纂、636年・唐代)、『北史』東夷伝(李延寿編纂・唐代)などに記述。新字体では「台与」 元々高千穂辺りにいた部族が、福岡まで出張ってきて邪馬台国を作って、
卑弥呼の死後、畿内にまで勢力を拡大し、成立したのがヤマト王権。
後に高千穂は天孫光臨の地、卑弥呼は天照大神、日食は天の岩戸神話、
畿内への遷移は神武東征と呼ばれるようになった。
タイムマシンでもないと史実なんて分からんのだから、もう自分の中ではこれでいい 他にも多くのクニがあったし、大陸の歴史書に残ってるのが邪馬台国ってなだけで、その後どーなったかは分からん
トロイア発掘みたいなロマンはあるだろうが 邪馬台国と大和朝廷は別な物と考えた方が自然なんじゃないの? >>477
>古墳内部の壁画を学者連中に滅茶苦茶にされた
そりゃなかろう >>472
そそ。
古事記が出来たのは712年
邪馬台国は200年頃500年も前。
今からだと戦国時代くらい大昔。
文字による記録も少なく、現代みたいな学術的な発掘調査が出来る時代でもない。
爺ちゃんや婆ちゃんに聞いたところで知るわけもない。
そんな無理ゲーみたいな状況でわずかな記録を元に作られたもんに正確性なんて期待できるわけもない。 >>464
中に火薬詰めて砲弾を発射するのよ
砲は剣より強し >>456
数十年ごとに大洪水が来て
「こんなに高くまで水が来るとは思わなかった。昔の人の言うことをちゃんと聞いとけば良かった」
というのをずっと繰り返してただけなんじゃね? 単に朝廷が自分達より前に権威があった所に繋げようとしているだけだろ 同一と考えるにも、別物と考えるにも、繋げるブツが何もないので「不明」としか言い様がない 史書をよく読めば、おのずと
分かること。
名前交換。倭国の王と百済の王の交換のこと。
それを命ずることが出来るもの、高句麗しかない。
列島は百済出自の応神天皇の系統となったが、
半島に渡った倭国の王の方は、
枕流王はすぐ暗殺され(それが仁徳天皇)、
大騒動のすえ息子アシン王が即位したものの、
その後は傍系として王にはなれず。それが蘇我氏。
その蘇我氏が高句麗と結びつつ帰ってきて、
やがて高句麗の女帝・推古天皇を擁して、
半島・大陸へも影響力を持つにいたる・・・。
それが大まかな歴史の流れ。 徹底的に調査して都合の悪い事が見つかるのを恐れてる説があるとかないとか聞いたが
仮に天皇が侵略者だと確定したりしたら現代でも排除する流れになるのかしら >>492
そいつはトンデモだから
触らない方が良いかと >>492
いや、最初の倭王・讃の大陸への朝貢のとき、
高句麗が手引きしていることが
史書をよく読めば分かるはずだ。
高句麗が、倭国と百済の上に立っていて、
倭国の王と百済の王に国替えを命ずる力を持っていたのが分かる。
それから、好太王碑は60年ずらして立てられている。
たぶん、高句麗を実際に牛耳っていたのは蘇我氏の血筋のものだろう。
のちの淵蓋蘇文を考えてみれば、理解出来るはずだ。 >>494
お前がどんなに頑張っても、
真実はもうバレてんだよ。 >>493
なるわけないでしょw
日本人の大半は天皇の祖先がホントは誰かなんて興味ない。 >>496
真実はチョンは日本様の子分ってことだよなっ♪
ゲラゲラ >>6
卑弥呼とか邪馬台国とか
ネガティブなネーミングを
自ら名乗る訳ないだろ >>493
なんで侵略者になるんだ?
要するに、高句麗、百済、新羅、そして倭国で、
一つの大きな勢力圏なんだよ。
(高句麗入り婿の北魏・道武帝も入れるべきかも)
そのなかで、一時、高句麗がトップを占めて、
倭国の王と百済の王を交換したということはあった。(名前交換)
けれど、半島に渡った倭国王、
つまり蘇我氏は帰ってきて推古天皇を擁し、半島・大陸にも力をふるった。
のちに蘇我氏はまた高句麗に帰っていった。(淵蓋蘇文)
まあ、そんな感じ。 九州北部と近畿の地名方位の類似がな
九州東部の邪馬台国とは微妙にズレてる気がするけど
記紀の扱いからして全く繋がりがなかったとは思えない。それは吉野ヶ里も一緒だな
つか久米氏が熊襲な時点でなぁ >>501
卑弥呼の邪馬台国の流れってこれによって終了させられたんでないの? >>503
そもそも、卑弥呼の魂の継承は、
三種の神器ということだと思うよ。
巫女なんだからさ。
子孫をいうなら、子がないんだから無意味だし。
また、実際には燕王たる公孫氏の娘だったと思う。
それは、普書・四夷伝にも公孫氏の娘と書いてある。
卑弥呼の死は、
公孫氏の娘とバレた点にあったかもしれないと思う。
三種の神器は、書紀では伊都国いとで が朝廷に引き渡したことになっている。
そうすると、卑弥呼の墓は伊都国の位置にある平原遺跡である可能性が高い。
壱与の代に畿内に移ったものだろう。
ヤマイとヤマトと両方あったはずだ。
伊都国中心に考えるとき、ヤマイと呼ばれ、
熊本うてな遺跡中心に考えるとき、ヤマト やまたい と呼ばれたんだとおもう。 天皇家や物部氏の傍流の家系のY染色体がD系統っていう話が本当なら、
天皇家はインドネシアか、中国より遥か西側から来た可能性もあるな
>>502
実は関東の地名もそれらに似てる >>500
オレもおかしいと思う
中国が勝手にそう呼んでたんだろ? 九州説って否定されればされるほど意固地になってて逆に可哀そうに思えてきた >>59
そのまま行くと共産党万歳の方向に行きそうだから気を付けてな >>505
みんなが忘れているのは、いわゆる
やまたい国というのは、
連合国だということ。
だから、
連合国の中心は変わり得るわけ。
熊本にうてな遺跡があり、
うてな の漢字は台なの。
だから、連合国、
伊都国中心だと ヤマイ やまいち。
うてな 台 遺跡中心だと ヤマタイ やまと さ。
卑弥呼と卑弥弓呼の関係だよ。
夫婦か兄弟か分かんないけど、
両者が北と南で張り合ってる。
連合国の中心は、どっちが強いかで入れ替わる。 >>501
百済大井宮なんて本当に百済にあったのかもしれないよね。 >>118
神功皇后が卑弥呼よりも後の時代なら魏志倭人伝のクヤ韓国は倭国である
という部分がおかしくなる
魏志倭人伝は三韓征伐後の伽耶=任那日本府を経由して倭国に入っているのだから 宋書に
使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍倭王に除す
なんて記述が有るとおり、半島の南側は白村江の戦いで完全に支配権を失うまで倭の勢力圏だよ 神功皇后は燕王の娘なんだ。
倭人は燕王に従う。山海経。
燕王はもちろん中国東北部かその近辺の王が代々ついでいる。
公孫氏、その後は慕容氏、
さらにいくつかの燕国、高句麗などが受け継いでいった。
北魏・道武帝の妻も燕王の娘に当たる。
そして、実は百済王の血筋の応神天皇の母。
総合的に考えて、慕容の娘のことだろう。 お前らなんでそんなに詳しいんだよ
変態レベルじゃねーか >>516
慌ててGoogleで調べてインスタント教授化してるから 魏志倭人伝には卑弥呼の宮殿には楼閣と城柵があると記されているのに、全く楼閣城柵の痕跡のない纒向を卑弥呼の宮殿と主張している畿内説の自称学者は博士号持ってるの?
俺は畿内説だけど畿内説は万世一系カルトだと
思ってる。 後漢王墓や魏朝皇族墓(最大径60m位)よりも
遥かに大きな箸墓古墳を冊封国女王の卑弥呼のために作って、魏の役人に見せたと主張している畿内説の自称学者は博士号持ってるの?
古代中国の冊封体制を理解してる?
畿内説は万世一系カルトだと思ってる。
俺は畿内説だけど。 丹後籠神社の宮司海部氏が投馬国は丹波言うてるから邪馬台国は丹波よりやや九州寄りに位置してるんかなと。
魏志倭人伝によると投馬国は水行20日、邪馬台国は水行10日、九州から投馬国に到達する時間の約半分で邪馬台国に到着。
ってことでやっぱ吉備がぁゃしぃぉ。
桃太郎さんの腰には吉備丹後がついてるし籠神社宮司が言ってるように吉備と丹後は同盟関係にあったん違うかと。卑弥呼の鬼道は吉備の鬼温羅で実は神。んで道教から日本の神道になると。丹後の浦島太郎と乙姫、吉備の桃太郎(鬼温羅)と卑弥呼。
つまり邪馬台国吉備の卑弥呼前の男王は鬼温羅。 >>518
縄文時代から半島南部には倭人テリトリーがあった >>507
中華思想から辺境には野卑な字を使うんだよ
常識ですが >>520
「邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月」
だぜ?陸行一月も掛るんか?
ちなみに尾畠春夫さんは鹿児島の佐多岬から北海道の宗谷岬まで徒歩3ヶ月で縦断してる >>518
巻向には大型の楼観城柵に当たる遺跡が出てるけど? >>523
どやろかw
陸で行くと1ヶ月かかるくらい支那人がドンくさいんちゃうかと >>59
世界史勉強して外国行ったら日本て良い国だと思うよ。そういう時期。 >>507
当て字やな
「夜露死苦」みたいなもんやろ >>479
高千穂町は神話とは無関係だよ
なんといっても名所が高い峰ではなく高千穂峡つまり渓谷というところがふざけてるよね
信じる奴は馬鹿と言ってるようさ
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>124
壬申の乱は兄弟げんかじゃないぞ、甥っ子と叔父の後継者争い
遠因は兄弟げんかにあるかもしれないけど >>1
卑弥呼は名前からもわかるように巫女さんのことを意味してる。
物部神道と卑弥呼こ関係を調べてみればいろいろわかるぞ >>520
天皇陵以外では国内最大の造山古墳の調査が、やっとこさ始まったから何かしらの発見があると思うけど
邪馬台国に関わるもん無かったけど、なんかオモシレーなこの古墳!ていどで片付きそうな気がする >>535
吉備は古い遺構は多いけど遺跡となるとけっこう新しくなってくる(造山古墳も推定5世紀)ので
おそらくは3〜4世紀までは出雲それ以降はヤマト王権の勢力下にあったってのが
今のところのだいたいの判断じゃないかな
古くから水田があって農業生産力は大きかったはずだけど3世紀までは
北九州〜出雲が大陸交易の表玄関で経済的にはそっちが栄えてたりとかなり事情がややこしいんだよな 邪馬台国 → 大和
卑弥呼 → 姫巫女
なまりって怖いわ 邪馬台国、卑弥呼は、中国の書である魏志倭人伝に記載されているわけだが、
日本についての記述で最古であることが、最大の価値になっている
そして魏志倭人伝に出てくる地名は、対馬、壱岐、唐津、前原、博多、春日、須恵とか
北部九州のローカル地名ばかり、どう考えても九州でしかない
ここで戦前の価値観を考えれば、天皇は「万世一系の皇祖を践祚する」存在でなければならないとする
バイアスが歴史学会、歴史家、世間一般においてとても強かったから、
九州などのに天皇家と無関係な勢力が存在したなんて事は、押しつぶされてしまった
邪馬台国の近畿説なんて、未だに唱えてる人が居るが、裸の王様としか言いようがない >>534
さらのその後できた三国遺事にようやく取り上げられた檀君神話を
本当の神話だと信じている始末 まあ
神武東遷を考えると
邪馬台国
というか
倭国の主権は九州から畿内に遷ったンだろうね >>526
こういうド素人が証拠を捏造して作ったトンデモ説を信じてしまうやついるんだろうな
韓国ウリジナルの日本版 戦後史学はマルクス史学の遊び場だったからなぁ
古代史なんか記紀否定のためにやってるのが多数だった
いろいろ読んだけど、結局折口信夫なんだよなぁ、歴史学なんざ筆法でどうにでもなるのは中華を見りゃわかる
真っ当に古代史を探求するなら折口みたいに古代人の思考が直感できないと >>547
ん?なんか都合でも悪いんか?w
韓国人がひたすら隠してることなんだがw
https://youtu.be/HsDDzE5Gao4 >>550
こんな胡散臭い動画で「真実を知った!」とか思えるのはすげーなぁ
学問じゃなく政治の話ばっかしてるじゃん >>524
やれやれ、そんなことだから俺たち畿内説は
ウソツキナイセツと揶揄されるんだぜ。
纒向からは宮殿跡は見つかったが、
それに伴った城柵、楼閣跡は見つかってない。 そういや高句麗語と日本語の数詞が似てるやらなんたらかんたらってのがあったな。 少なくとも今の多くの韓国人と今の多くの日本人は遺伝的に全く違うのですかね?
日本人は少なくとも邪馬台国と騎馬民族の遺伝子で韓国人はエベンキ族の遺伝的ですかね? あった
上代日本語 高句麗語 新羅語 高麗語 中期朝鮮語 現代朝鮮語
1 pito" −− hっtっn hっtっn hΛnah hana
(一等) (河屯)
2 puta −− tu"pっ"r tuβっr turh tu:r
(二尸) (途孛)
3 mi mil −− sei s∂ih se:s
(密) (洒)
4 'jo" −− −− nei n∂ih ne:s
(廼)
5 'itu 'utu −− ta∫us tasΛs tasっs
(于次) (打戍)
6 mu −− −− 'jur∫us 'jっsΛs 'jっsっs
(逸戍)
7 nana nanun −− 'irkup nirgub 'irgob
(難隠) (一急)
8 'ja −− −− 'jurtap 'jっdщrp 'jっdっ 9 ko"ko"no" −− −− 'ahop 'ahob 'ahob
(鴉好)
10 to"'wo" tek −− 'jっr 'jっrh 'jっ:r
(徳) (噎) 「邪」なんて字が使われてるのはヤマト即ち神の国ではない >>553
http://www.makimukugaku.jp/info/katsudou-h27.html
本フォーラムは、今回からテーマを「「卑弥呼」発見!」に一新し、『魏志倭人伝』に記された女王卑弥呼に関する記述から、その人物像に迫る内容で開催することとなりました。
その第1回目となる今回は、「宮室、楼観、城柵、厳かに設け… 卑弥呼の居処」と題し、卑弥呼がいた場所について、考古学や文献史学、建築学の分野で第一線で活躍される先生方を講師としてお招きし、ご講演いただいた後にシンポジウムを行いました。
纏向で決定だね >>554
オハイオ州は日本語の「お早う」から来ている
レベル 半島南部に多羅て国があって
多羅人がたくさん住む→大多羅→大田原→太田とかになったらしいね >>555
母系のミトコンドリアDNAは正直日本と朝鮮と中国東北部は変わらない
父系のY染色体は、日本はD系が多く、朝鮮は中国モンゴル譲りのNO系が多い感じ
よく言われるエベンキは北部ツングース語族なんだけど朝鮮は北部の母系DNAは少ないから、
エベンキの文化が伝わったとしたら南部ツングースかモンゴル経由だと思う 北部九州から近畿までの瀬戸内圏が邪馬台国=大和政権の版図だったのだろう
卑弥呼の時代にどちらが政権の中心地だったかは分からんが、元々北部九州の奴国のあたりが
本拠だったのが、畿内まで勢力を拡大してヤマト(タイ)を名乗ったのだろうか 邪馬台国論争を明確にするために、朝ナマテレビで両論者の学者を集めて行っていた。
京大でのことですが、教授が学生に大和説と九州説とに別れてというと、九州説を支持する学生は
誰もいなくて、それでは模擬論争の形にならないから、九州出身の学生に向かって教授が
お前、九州説を唱えろと言ったことが"九州説"の始まりであると暴露しておりました。
学会がこれで"繁盛"することになり、"九州説"の”価値"は認められました。
その限りにおいての九州説です。 ヤマト王権が出来る前の日本は複数の国で構成された比較的緩やかな連合体で、九州にあった倭国(邪馬台国)もその構成国の1つだったという説は考えられないのかね >>566
イヤ正に倭人伝ではそう言ってるよ
ただ
卑弥呼が共立されてからは
緩やかに集権化されていったろうな 563名無しさん@涙目です。(庭) [US]2018/08/19(日) 18:47:38.22ID://WJxBOq0
>>555
母系のミトコンドリアDNAは正直日本と朝鮮と中国東北部は変わらない
父系のY染色体は、日本はD系が多く、朝鮮は中国モンゴル譲りのNO系が多い感じ
よく言われるエベンキは北部ツングース語族なんだけど朝鮮は北部の母系DNAは少ないから、
エベンキの文化が伝わったとしたら南部ツングースかモンゴル経由だと思う
↑↑
日本人女性のミトコンドリアDNAと韓国人女性のミトコンドリアDNAとは類似している。
しかし、日本人男性のY染色体と、韓国人男性のY染色体とは似ておりません。
この事実から判明することは、九州から朝鮮半島に渡った縄文人は、
北からの者たちに侵攻されて、男はほぼ全て虐殺、女はセックスの対象になったとの痕跡が
生物レベルで残っているのです。
この動きは日本列島にも及びますが、日本列島は自然生産力が高く、
この結果、縄文人の人口が多く、"北からの者たち"に飲み込まれることにはなりませんでした。
よって、日本人男性のY染色体と韓国人男性のY染色体との類似性は低いのです。
超巨視的に見ますと、侵略能力が文化的に高い北からの民たちの"圧"に日本列島の縄文人は耐えました。
もちろん、アイヌも縄文人の系譜です。 九州の一豪族だと思うけどね
日本の中央よりも大陸との繋がりの方が多かったみたいだし 誰も聞いてないのに無理矢理半島を絡めて来る
この時代に全く関係ない民族がうざい >>550
そもそもこの長浜ってのは学者でも何でもない古代史マニア
つまり素人 >>560
フォーラムの議題を倭人伝の一節からとってきている
だけで、城柵、楼閣跡が見つかったとは一言も書いてない。
発掘結果を示すようなもっと具体的な資料はないの? わずかでも繋がりあれば日本書紀に書かれているはずだな >>319
大和系というより天孫系というほうが正確ではないか?
同じ意見なので、その岩波新書の著者を知りたいな。 >>523
街が整備されてる近現代とは比べものにならんだろ
橋もトンネルも基本的になんも無いんだぜ?
しかも当時の中国の史書に倭国の広さは東西5月南北3月って書かれてる >>523
「一月」には、雨で足止めされたり、
接待で足止めされた日も含まれる >>568
他のスレで同じことを書いた
核DNAでも日本は他のアジア系と違う縄文系の特質を残してる
以前サイエンスZEROでもやってた >>560
邪馬台国が畿内にあったとすると、なんで魏史倭人伝は松浦で上陸したのだろう?
自分ならそのまま船で瀬戸内海まで行ってそこに船を着けるけどな?
食料やら荷物やらいろいろ運ぶものもあったろうし、山賊やら非友好国のテリトリーを横切るリスクもあるだろうし不思議。 >>568
自分のY染色体がどっちとか調べたことあるんだろうか
2人に1人はD2以外だがそうだったらどうすんだろ >>573
シンポジウムでは、卑弥呼が活躍した時代とされる3世紀前半に建てられた纒向遺跡の大形建物群を巡って様々な見解が示され、卑弥呼の居処との関係性について議論がなされました。
纏向で決定だね 韓国の外国語大学の教授が、韓国・朝鮮人はエベンキワイ族の子孫と言っております。
トーテムポールの習慣、これは、今では慰安婦像を立てることにも残っております。
昔に、日本へ、いわゆる渡来人として来た人々と、そのエベンキワイ族とは文化的、生物学的に大きく異なるのです。
その開きは、ウクライナ人とロシア人との差よりも大きいと思われます。
日本という特徴は、縄文文化が基層文化としてあることです。
その縄文文化の担い手が縄文人です。
縄文人の遺伝子で判明していることは、東アジア人でもなく、東南アジア人でもないことです。
いわゆるモンゴル斑も、昔のアイヌと同じく、縄文人にはなかっと推定されております。
縄文人は、古いユダヤ人や古いアラブ人に生物的に近い存在ということです。
語弊がありますが、白人が黒人と分離して誕生した、その時の古い白人に縄文人やアイヌは近いのです。
原始的といえば原始的です。よって、昔の大阪万博時に、外国人から、「日本人女性の足はどうして曲がっているのだ」と
卒直なことを言われておりました。その理由の答えは、畳の上の生活にあるのではなく、
日本人が原始的な縄文人の遺伝子を持っている存在だからなのです。 エベンキワイ族は、寒冷地対応で、身体が大きく変化した人類となっております。
それを進化といえば、韓国・朝鮮人は最も進化した人間なのです。
その、いわゆる進化した韓国・朝鮮人から日本人を見ますと、
日本人は古い々人間ですから、"猿"という感じを、韓国・朝鮮人は、日本人に対してもつのです。 >>581
城柵、楼閣見つかったとは一言も書いてない。
実際、見つかったという調査結果は今まで
無い。
君が次にやるべきことは、
纒向の発掘調査報告書を探してくることだ。
期待している。 残念! 昭仁天皇は朝鮮から来た養子
公安は天皇の下部組織。
天皇の側近に侍従がいる。
この侍従は警察OBで警察トップと常時連絡をとる。
天皇には侍従という秘書が5人、少なくとも警察OBが5人以上はいる。 警察OBは警察トップとの連絡役。
他にも、参与というのも居る。
天皇家の重要事項の相談役も複数名いるらしい。5人はいる。
宮内庁元長官、元侍従長、元最高裁長官、元警察庁長官、元検事総長など。。
公表されているごく一部の職員だけでも、これだけの元官僚トップが、宮内庁にそろっているのです。
国民が知らない、闇の政府です。
今の警視庁は予算が6500億円という超高額な予算。
この高額予算で国民監視をしている
そして創価学会への団体依頼。これは平成になってからすぐだ。最近になってからではない。
自殺対策は天皇制を廃止しないと無理です。
わかりずらいだろうけど、警察が暗殺しているのです。
天皇の側近は元警視庁警視総監や元公安トップ、警察学校のトップの人物が多数。
この警察OBが警察トップに指令して暗殺。その後自殺発表。
反抗する官僚、議員もこれらの手口で殺しています。逆らう元総理大臣も。
これらはアメリカがやっているのではない。
日本は国連に人権侵害を何度も指摘され批判されている国で、そのトップは天皇。 皇紀2600年というのが本当なら邪馬台国以前
天皇がΣ(゚Д゚ υ) イタ!!はずだよね >>586
それは「皇国史観」の平泉澄先生ですら否定しているよ実証的な話としては
神話としてなら2600年で良いんだけど 纏向はムリに卑弥呼と結び付けなくても崇神天皇からで良いと思うけどね
ハツクニシラススメラミコトでしょ
神武東征とも絡んで面白い。出雲との関係や三輪山伝説 奈良の纏向から、中国大陸から送られてきた物の封泥(ふうでい)が発見できれば、
邪馬台国論争は終わると日本の考古学者は言っております。 >>576でも書いたけど、倭国の南北が3月なんだから南に1月移動しても十分倭国内ってことなんだよ
だから邪馬台国は中南部九州、熊本とか宮崎、鹿児島でなんの問題もない >>588
日本史最重要ポイントのうちのひとつだよな
変にヒミコやらヤマタイコクやらでなんか影うすいのがどうもな 邪馬台国が纒向というのは余りにも強引すぎる。魏志倭人伝による
邪馬台国の風俗の説明は不可能。それに方角を勝手に南と東を読み
変えたりアホの妄言としか思えない。もう少し文献に忠実に比定しては
どうか。北九州説でも無理がある。どう考えても南九州以南。 ttp://www.tomaatlas.com/lib645.htm >>590
もう20年くらい前にほぼ完全否定されてて今やどんなとんでもライターでも口に出さんぞ
それにどっちかというとロマンというより安易だと思うな >>584
アホ?
建物群は庄内式期の前半頃(3世紀前半)に建てられたとみられますが、庄内3式期(3世紀中頃)を含めてそれ以前には柱材の抜き取りが行われ、廃絶したと考えられています。
このうち、中心的な位置を占める大型の掘立柱建物は4間(約19.2m)×4間(約12.4m)の規模に復元できるもので、当時としては国内最大の規模を誇ります。
http://www.makimukugaku.jp/hp/029.jpg 邪馬台なんてヤマトだし卑弥呼は倭姫命だろ、普通に考えれば >>593
魏志倭人伝を魏志邪馬台国伝だと勘違いしてる人? >>597
あほ?
纒向の発掘調査報告書探してくれば
瞬殺なのに、また楼閣城柵の証拠にならない
文章貼り付けて。 >>1
このスレ建てた人はもう畿内説で決着してる前提で、議論は次のステップに移ってるからこういうスレタイにしたんだろう
まあ実際そうなんだけど
で、面白いのがこのスレで紹介してる日本史の論点という本の著者が実は九州説だということ
学者ではもう数人(割合では0.1%程度)しか残ってない中の一人が倉本一宏氏
そういう意味ではこのスレタイは勇み足だったと思うわ ヤマトが畿内にあったということは
神武は日向から東征したというのはなかったということだね
ヒメミコことアマテラスの子孫というのも嘘
結局は朝鮮半島から海を渡って、橿原に来た
そこを征服してヤマトと名付けたということなのか 繋がりねえから。
室町前期で入れ替わってるし
邪馬台の時代は天王も世襲じゃねえし
全く関係ねえから
後ろ百済系だし 三種の神器を持っていればとか関係ないな
南北朝の時どうなんだよ >>602
纏向って居住の痕跡なさすぎじゃね?
世界的に見て異例な「無人都市・纏向」って感じ?
畿内説は「纏向ありき」で暴走してきて、現実を無視し過ぎだよ >>606
まだ全体の2%しか発掘されてないらしいからな ?がりなんて継体天皇でもう疑わしい
王朝が変更されている
桓武も怪しいし、南北朝、明治も入れ代わってる
4回は王朝が代わってるから
万世一系なんてあり得ない >>607
そんな言い訳で暴走を正当化できるわけもないし
学者が「信者」になって現実が見えなさすぎだよ >>610
現実が見えてないのは九州説
まだほんの一部しか発掘していない
纏向遺跡のあの規模あの遺構
倭の中心は纏向しか有り得まい 纒向は土器とか桃の種みたいなものしか見つかってないからな。
一方筑紫を中心とする北部九州は、
・全国の青銅器鋳型の8割を所持する
・日本で唯一絹織物文化があった
・筑紫では奈良の100倍の鉄器(軍事力)が出土
・超豪華な副葬品をもつ王墓群
・硯が複数出土したことから読み書きできた人もいた
・数百ヘクタールの規模をもつ弥生都市遺跡
・庶民の家から銅鏡
・庶民の墓から絹織物 一応、崇神天皇までは史実として考古学によって証明されてるわけだ
問題はそれより前だろ >>603
九州にあった邪馬台国が畿内に移ったでいいんじゃないの? >>609
疑わしいので言ったら
開化→崇神も怪しいぞ
国譲り神話はこの部分の神話化かもしれないし
なぜなら欠史八代は出雲の神々が元ネタという説もあるからな >>601
記紀では天皇家は九州出身としてるけどなんで>>1が畿内説を前提としてると思った? 新たに7代加えるやり方は国津神や天津神の神代でもあり
事績が皆無なので捏造したのは明らかだろうな >>614
神武東征は皇国史観だから左翼が支配している歴史学界では無理。
何が事実とか関係ない 神武と崇神は同じ
和風諡号ハツクニシラススメラミコトは共に同じ >>601
必死に「畿内説ですでに決着ついてる」とわめなよ
絶滅前に勝利宣言したゲバ棒君みたいw
アンケートだと九州説支持者の方が圧倒的に多かったよね。
左翼学会は学者の意見を封じても一般人にはそれができない >>616
考古学が進歩してヤマト政権の成立過程がかなり解明されてきてる現状で
神武東征の神話を持ち出してくる理由がないから 神武東征って、九州を支配下に置くための方便やろ
考古学的には何も証拠ないやろ >>630
王墓クラスの墓に鏡等の副葬品を伴う文化が九州から
畿内に伝わった。
これだけ大量の鏡を副葬する文化は中国にも無い。
支配階級の九州から畿内への移動だと思われる。 神武東征は紀元前1世紀ぐらいやろ
倭国大乱の前に既に九州から東海北陸まで同一様式を持つ文化圏だった
卑弥呼は再統合しただけよ >>633
畿内の副葬文化の始まりはホケノからでそれまではなかった
また土器の移動も一方通行で、九州から畿内へはない
物証面からは初期ヤマト政権の誕生に九州勢の関与は見られない
土器からは東海伊勢、祭祀からは吉備の関与が大きい >>574
これよく言われるが、日本書紀作ってる時には知らんかったわけではないん?
魏志倭人伝も >>635
ホケノは4世紀とも比定される遺跡
それに対して三雲南小路や須玖岡本は1,2世紀の遺跡
九州から副葬品文化が伝わったと見るのが自然 紀元前後ぐらいに愛知の3重の防御壕を備える当時最大の要塞都市の朝日遺跡が終了してる
ここの造りは明らかに西から攻めてくる大軍へ対向するために作られてる
国造本紀によると神武天皇の御代に美志印命が素賀国造(静岡県掛川市)に任命されていてこれが当時の倭国の東端
神武は紀元前1世紀〜0世紀の間に畿内侵攻し愛知を攻略して朝日遺跡を武装解除し掛川ぐらいまで平定したってことじゃね
その後の東方の戦の伝承は日本武命による駿河の国以東の話だけが伝えられているし 神武当時に国造が置かれたのは
豊前宇佐、対馬津島、紀伊、河内、山城、葛城、大倭(大和)、伊勢、遠江素賀 >>637
ホケノは3世紀中頃
三雲南小路や須玖岡本が2世紀はありえない
考古学者の支持してない、古代史マニアか誰かの年代推定には興味ない
3世紀前半に畿内勢が北部九州に進出した際に九州の文化を吸収したとみなすのが妥当
そもそも副葬品は何でもごちゃ混ぜ葬制である前方後円墳の一要素に過ぎない
祭祀の影響度が強い吉備の東遷を言うならまだ理解できるが、人的移動のない九州はありえない >>640
布留T式が見つかったホケノは4世紀以降と見るのが妥当
遺跡の年代は最も新しい土器で決まるのが通例
>3世紀前半に畿内勢が北部九州に進出した際に九州の文化を吸収したとみなすのが妥当
まず鉄器のない畿内勢が九州を制圧することが不可能
>人的移動のない九州はありえない
九州の土器が畿内で出ないことを言ってるんだろうけど、
支配階級や戦闘構成員主体の移動なら土器なんかでない >>641
>布留T式が見つかったホケノは4世紀以降と見るのが妥当
それ纒向旧編年での話
いまだにそんなこと言ってる考古学者はいない
旧編年をまとめた本人だけはいまだに固執してるかもしれんが
>支配階級や戦闘構成員主体の移動なら土器なんかでない
そういう根拠のない説には興味ない
この時代、人の移動は土器が伴ってるのに、唯一の例外が九州からの東征だなんて無理筋の話
そもそも纒向には戦闘の痕跡もない
首都だったんだから平和で当たり前
一方、北部九州は3世紀中頃以降は畿内文化に飲み込まれる
生活土器が畿内系土器に変わり、首長層の墓も前方後円墳に変わり、三角縁神獣鏡が副葬される
物証から言えることは西征とまでは言わないが、西への進出 >>642
纒向(新)編年を調べてみたら、
古式新羅加耶土器を同伴する布留0式を3世紀後半と
するのは恣意的であるとの批判があるとのこと。
4世紀以降とするのが妥当であり、学会でも必ずしも
定説になっていない。
>そういう根拠のない説には興味ない
民俗学的に、土器の移動には女性の移動を伴うことが
世界的共通とされている。
当時の日本だけが例外というのが無理筋の話。
そもそも畿内の前方後円墳自体が独自に発生したものでなく
九州と吉備の影響を受けたもの。
塗りつぶされたのは畿内が先。 ホケノは堂ノ後(どうのうしろ)の周濠を踏み潰している。
堂の後は480〜510年頃。ホケノはこの後に築造された。
堂の後の件を無視する奴は学者の資格のないただのクズ。 >>642
あと首都だから平和とか意味不明。
魏志倭人伝にも卑弥呼の宮殿の物々しい警備の
様子が記されている。
ほんの数十年前まで国内で血みどろの戦争して、
今現在狗奴国と敵対してるのに、
そんな平和ボケしてるのは邪馬壹国じゃない。 ホケノ山から出土したとされる画紋帯同向式神獣鏡の同型鏡は
全て500年前後の古墳から出土している。
いまだにホケノ山を3世紀とか言っている連中は恥知らず >>643
>批判があるとのこと
誰が批判してる?
公式に発表されてる年代は3世紀中頃
纒向のHPで確認してくれ
>当時の日本だけが例外というのが無理筋の話。
当時の日本に例がなきゃダメでしょ
>そもそも畿内の前方後円墳自体が独自に発生したものでなく
>九州と吉備の影響を受けたもの。
はい、トンデモ確定
・実際にある物証は認めない
・根拠のない、証拠のないオレ様の妄想が正しい
・オレ様の妄想が物証と矛盾していようがどうでもいい
こういう人とは議論できんのでもう終わりにする 前方後円墳は新しくなるほど前方部が大きくなる傾向がある。
ホケノ山は前方部が大きすぎて最古の部類には入らない。
それで前方部を小さくしようとする輩もいる。
これも恥知らず 三角縁神獣鏡の舶載説とかただの基地外だろ
日本で600面、中国で0面だよ
それが批判できない学会は学問の自由がない
北朝鮮と同じ ホケノ山古墳には6世紀であることが確定している追葬(横穴式)がある。
追葬は通常は主たる被葬者の家族が葬られる。
普通に考えれば、この点でもホケノ山が6世紀なのは確定できる。
それに対して主たる被葬者が250年に埋葬されて、その家族が6世紀に埋葬されたとする
連中は基地外レベルの馬鹿か、恥知らずのいずれか 歴史を志す学生にとって歴史学会は、日大アメフト部や
アマチュアボクシング協会よりもはるかに大きな壁だよ
学問の自由を根本から否定している ホケノ山を250年頃として、三角縁を239年に魏でもらった舶載としている
連中は、「なぜホケノ山から三角縁が出ないのか」に答えない奴が多い。
水野みたく「もらってすぐに渡さずに王の蔵で保管してから分配した」と説明するのが
恥ずかしいからか?そんな話を信じていないなら、学者としての良心に従って
行動すれば良いのに、その勇気がない。
学会から総括されるのがそんなに怖いのか?
学者としての生きざまができないなら、学者なんてやめろ 三角縁を出土した古墳を総じて300年より前に持ってくる奴もいる。
地方でそれをやると、その古墳と次の古墳の間に100年以上の空白が生じる。
それを批判しない連中は何考えてんの?
素人が見ても、「学者は自由がない」と分かるよ。
権力を持った学者が日大の内田のような横暴を繰り返して、他の学者はみんなダンマリ ものすごく単純に考えて、畿内だと来るのだるくない?
九州でしょ ホケノ山から出土した銅鏃は古墳時代前期終わり〜中期のもの
なぜか、これさえも必死に無視してホケノを古墳時代初頭に持ってくるバカが多い
それを批判しない奴は何をやってる?
学者は本当に学問の自由があるのだろうか? >>657
畿内説がやってることはゴッドハンド藤村と
変わらんな http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo97.htm
「邪馬台国畿内説」は、科学的方法によっているだろうか。
あまりにも事実を無視し、推論が恣意的である。
関係のない考古学的事実を、「畿内説」に結びつけ、
マスコミ報道にもちこめば成功、という方法をくりかえしている。
「検証」がぬけている。
この方法は「旧石器捏造事件」で懲りたはずではなかったか。
事実を、冷厳に直視すれば、邪馬台国時代の畿内は、
なお「扁平鈕式銅鐸」の時代である。
「邪馬台国畿内説」は「はじめに畿内説ありき」
の思いこみにもとづく共同幻想である。 確実に邪馬台国時代のものといえる奈良県の遺跡・遺物は、あまりにも乏しい。
奈良県は、大和朝廷の成立ののち、数百年にわたって王城の地であった。
のちの時代の遺跡・遺物は、豊富である。
大学の師や先輩のことばを、そのままうけつぎ、「はじめに大和説ありき」
で物を見ることによって大和説は成立している。
のちの時代の遺跡・遺物を古い時代に位置づけ、年代をくりあげ、
マスコミでの大宣伝をくりかえすことによって邪馬台国論争に決着
がつくと思いこんでいる。
しかし、事実は、頑固である。まちがいだらけのマスコミ報道。
畿内説は、旧石器摸造と同じ種類の共同幻想である。事実を見ていない。
このやり方は、いつかは破綻がくる。 いま、マスコミ便乗派の考古学のリーダーたちは、不確実な根拠、
あるいは、容易に反証のあげられるような根拠にもとづき、
卑弥呼の墓、卑弥呼の宮殿などを、どんどん創りあげていっている。
それを、マスコミ宣伝している。
なんという安易さであろう。ありあわせのものなどで、
適当にまにあわせて、どんどん、古代史のストーリーや観光名所を
作って行くことなど、和田喜八郎によく似てきている。
この人たちは、なにも感じなくなっているのか。
学問的な自己規制や自浄作用が、働かなくなっている。
宣伝が、証明にかわりうると思いこんでいる。
マスコミのご要望にあわせていれば、考古学がどこに行くか、考古学のリーダーたちにはわからないのだろうか。 巻向自体は吉備(もしくは吉備以前の何か)の影響を受けているわけでさ
西の影響は無い的な話はトンデモじゃないかい? >>59
三島由紀夫は「歴史や文化を勉強すればするほど天皇の重要性が理解できる」と言ったけど君は一体何を勉強しているの?
まさかマルクス史観の歴史書ばっかり読んでるんじゃないよね? 邪馬台国を纒向と比定するのは余りにも根拠が希薄すぎ。まるで韓国人が妄想で古代を
語っているのと変わりない。日本の研究者なら文証、実証をあげ科学的に纒向と結論すべき。
しかし魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の風俗と纒向は余りにも合致がない。
既に、文証の時点で纒向説はおかしい。現実的にはこの時代の文証は中国側の書物を
信用するのが科学的態度だろうと思う。 新たな文字資料でも出てこない限り邪馬台国はどこか永遠に解らないんだろうね 馬も文字も使えなかったのに畿内の勢力が九州まで及んだとか荒唐無稽すぎる どっちにしろ南北朝の時に訳のわからんのが天皇になったりしてるから今の皇族は天皇の直系では無いよ。 邪馬台国研究の始まりは新井白石
1700年頃、今から300年前、江戸中期
たった一人で九州説vs.畿内説を構築、偉人その@
次が本居宣長、新井白石死後その研究を継承した形
当時解読不能だった古事記を35年かけ研究
その後魏志倭人伝を掘り下げる、偉人そのA
上記二人がいなければ邪馬台国は歴史の闇に沈んでいた
幕末動乱期を経て、上記二人の研究から200年後
明治後半に東大教授白鳥と京大教授内藤のバトル勃発
東大(九州)vs.京大(畿内)の学閥論争に発展
大正時代には東遷説誕生、戦後は放射説誕生
ここまでは研究者間のみでのやりとり
1967年「まぼろしの邪馬台国」出版
この本が日本中に空前の邪馬台国ブームを巻き起こす
以降邪馬台国論争は庶民レベルにまで拡散
町おこし・村おこしのために記紀すら知らない老人まで参戦
超時空女帝卑弥呼が超能力で魔物を倒したりメチャクチャ
オラが説は正しいなんて論争は300年前から続いている >>655
>ものすごく単純に考えて、畿内だと来るのだるくない?
よく読めば分かるが
邪馬台国に中国の使者は行っていない
邪馬台国と卑弥呼に関する事柄は伝聞 畿内で決まり?学者は皆畿内支持wwww
金と権力でものを言わせないだけじゃん そんな事より、暴力団対策本部が威力員相手に罰金刑をかけきれずにいる。個人というのは社会において点で、
360度いつも名前出し(お前らが好きな特定)強烈な脅威に晒されきっている、緊張感がずっと半端無い。
威力員に本気で罰金刑をかけたい。
いつも5ちゃんねるにスレを立ててくれ。一般人からの突き上げでやりたい。 神武天皇から始まる系譜と照らせばいいんじゃねーの?
年代的に、仲哀天皇をヌッ殺した熊襲が卑弥呼の国だろ 三角縁神獣鏡が輸入品という説は本気で信じている人がいなさそう。
強制されて裸踊りしている感がハンパない。 >>675
奈良かどこかで大量に発掘されたのは同じ所に同じ傷があったので日本で複製されたものってなったんじゃなかったっけ? 考古学で畿内説に軍配上がっちゃってるからなあ
もう論争の対象じゃない 九州にも大和にも大国とその周辺国があったのは間違いないんだから
どっちが「邪馬台国」かなんて些細な(名前だけの)な問題だ
偽僭説が真実に近いだろうがだからといって
九州大国の影響力や価値が下がることもない >>677
どこの考古学?学問に終わりはないよ
都合の悪い議論を封じようとするのは恥ずかしいこと >>678
実際にどれほどの支配地域だったかは別にして
卑弥呼は親魏倭王だから居た位置はわりと重要なんじゃないの?
対外的に認められた倭王だからね
畿内説を主張する人の中には某系統の万世一系に対する信仰のような拘りを持つ人も少なくなくて
その人らの邪馬台国についての考察に密接に関わっていたりする
まぁその場所が未だ良く分からないのは皮肉なもんなんだけどね 当時市町村レベルのサイズの国が近畿まで広がっていたら、
邪馬台国の勢力圏は30国程度じゃ済まんだろw たいして出土品もないのにほとんど学者が畿内説であること自体、考古学は学問ではなく政治的な領域ですよと宣言してるようなもんだわなw
毎日新聞がスクープ狙ってるからくれぐれもゴッドハンドがバレないように気をつけましょうw >>681
素人意見なんだけど
外交担当の日本王国は九州が正統で、内部管理担当の日本王国は大和地域だったんだろ
(王国と言うのはあくまで規模論)
天皇家の元は九州王国出身(高天原)、
それが東征して出雲属や三輪族や色々を巻き込んで(嫁取り)合体したのが大和朝廷
というイメージ 論衡「周の時倭人が暢草を貢ず」
山海経「倭は燕に属す」
魏略「倭人は太伯の後裔」
前漢書「楽浪海中に倭人あり」
後漢書&北史「倭奴国朝貢する」
三国志「卑弥呼」
旧唐書「倭国は古の倭奴国のこと」
「日本国は倭国の別種。日辺に在るので日本。
あるいは倭国自らその名の雅ならざるが嫌で改めて日本とした。
あるいは日本は倭国の地を合併した」
新唐書「日本という小国を倭が合併しその日本を名のる」
宋書「朝貢した倭王・武に朝鮮半島の支配を認めた」 金印の頃に中国が相手にしていたのは九州大国だろ、
誰がどう見たって陸路で畿内は無駄に遠すぎる
邪馬台国の命題が国内で定義されるなら畿内かもしれないが
名前なんてどうでもいいこと 何でこういうスレで連投してる人ってみんな否定から入るの? 三角縁神獣鏡がすべて中国製だと考えてる人は畿内説でも少数派だろうな
すべてが国産だと考えてる人の方が多いだろう
だが重要なことは以下の5つ
・魏の年号と中国の文字を畿内勢が知っていたこと
・九州にはない神獣鏡を作る技術が畿内に伝えられたこと
・デザインの変化と副葬時期からその製作開始時期は卑弥呼の朝貢直後くらいと考えるのが妥当
・鏡を周辺の国々にばらまいたのは魏からの指示に一致する
・三国志が公になるのはどんなに早くても3世紀末なので、それ以前に魏との交渉内容を知りえるのは当事者のみ >>688
神獣鏡って福岡でも見っかってなかったっけ? >>689
日本語おかしかったかな?
神獣鏡を作るという、九州にはない技術と書けば誤解はないか
で、九州から出てる三角縁神獣鏡はもちらん畿内からの配布 九州説は近畿ヤマト政権を詐称した熊襲しかありえない状況
卑弥呼の時代に近畿に全国レベルの政権があったのは確定 >>688
魏から貰った鏡が無いから、
開き直って国産鏡が魏志倭人伝に合致する
との珍説w
妄想も大概にしましょうw >>668
なんで?
日本の狭い国土だと騎兵は不利だよ >>692
1レス目から飛ばしてるな
時系列が逆で成り立つ可能性がゼロの東遷説を頑張ってゴリ押ししてくれ >>3
どうせ鋼鉄ジーグの書き込みするやついるんだろな、って思ってたら、
さっそく現れたよ〜
ダメだごちゃんねらは。 恋人が蛇だったからまんこに箸刺して自殺する女と卑弥呼様がどこをどうしたら繋がるんだよ
失礼にもほどがあるだろバーローが恥を知れ >>694
あんた名護屋港から東南に歩いても伊都国に
は辿り着かないって珍説唱えて毎回論破されてる人だろw >>700
じゃあ末盧國では天然の良港である名護屋港で下船すれば
魏志倭人伝に矛盾なく伊都国へ辿りつけるってことに
異論はない? >>685
旧唐書と新唐書が混じってるな
旧唐書は日本は小国だったが倭を併合した
新唐書では倭が小国だった日本を吸収して、日本と名乗るようになった
旧唐書は事実なんだろ。倭と別の国が倭を滅ぼして乗っ取った
でも、後から考えると都合が悪いので、伝統のある倭が日本を吸収したことにして、権威付けした結果が新唐書だろ
ところで邪馬台国畿内説派は新唐書の
其俗多女少男 有文字 尚浮屠法 其官十有二等 其王姓阿毎氏 自言初主號天御中主 至彦瀲 凡三十二世 皆以「尊」為號 居筑紫城 彦瀲子神武立 更以「天皇」為號 徙治大和州
をどんな解釈してんの? >>669
持明院統でも、大覚寺統でもない人が、天皇になった事あるの?
南北朝の時は どちらも傍流が継承してたけど 結局、称光天皇の後
後花園天皇が即位して、持明院統嫡流に戻った分けだが。 >>688
三角縁の全てが国産と考えてる畿内説の学者の例を挙げられるの?
疑問に思っているけど声に出せない状況なの?
国産だとすると4世紀以降が確定するよ。
魏の神獣鏡をわざと大きくしたのは抱朴子(317年)の影響。
9寸の鏡により死者の霊を守ろうとした。
その道教が隆盛を迎えるのは360年ころでその頃に抱朴子が伝わって
三角縁神獣鏡が作られ始めたのであろう。 >>684
魏志によると一大率なる各国王より偉い監察担当者を伊都国に特置してたらしいね
人口僅か1000戸の伊都国に一大率を置いてた理由は伊都国が大陸への窓口だったからと思われ >>688
三角縁のデザインの変化からは、年号鏡は三角縁の中でも後記から終末期のデザインに
なるから、年号は偽年号と確定する。よって、239年に近づける根拠はない。
三角縁を出土する古墳は地方の古墳群では1世代〜1.5世代分の年代幅しかない。
三角縁の次の世代の古墳が400年前後になるので、三角縁の生産・副葬の時期は
370〜390年ころに集中していると見られる。 魏志倭人伝の魏って、三国志の曹操の魏?
中国人が、げえっ、関羽!とかやってた時に、わいらのご先祖様は卑弥呼様へへーってしてたんか
すげえな昔の中国人 関係ない
卑弥呼は古事記に出てこない
要するに日本の正史にはどうでもよい存在 >>706
寺沢氏は国産と言い切ってる
3世紀の古墳に副葬されているので製作が4世紀というのはありえない
椿井大塚山古墳、黒塚古墳、那珂八幡古墳など
九州説論者が鏡の製作を4世紀以降にしたいためにあれこれ理由付けしてくるが
根拠に乏しい推測に過ぎない >>710
その魏だね。まさに劉備や曹操、諸葛亮と同じ時代。
横山三国志のラストは日本から使者が来るところが描かれてた気がする。
日本で文字すらろくになく、占いやってた時代に
中国ではあんな高度な知略戦やってたなんて凄いよね。 >>713
本当に凄いよな当時の中国は
なんと言っても後漢後期黄巾の乱直前の人口5600万人が
魏呉蜀の三国時代の三国合計人口750万人ほどに激減する凄さ
日本にはとてもまねできん >>710
そりゃ秦の始皇帝の時代に中国が青銅器で大戦争してた頃、日本はまだ石器時代でウホウホやってたぐらいだし そもそも卑弥呼 邪馬台国って字を見れば分かるが
当時の中国の魏が日本を見下して付けた名前だからな >>716
青銅器も鉄器も自力で生産できないショボくて小さい後進国なんて、対等に見る理由がなくね? >>708
>三角縁のデザインの変化からは、年号鏡は三角縁の中でも後記から終末期のデザインに
>なるから、年号は偽年号と確定する。よって、239年に近づける根拠はない。
誰の説? そもそも「魏史倭人伝」自体が「三国志」の一節だしな >>716
当時の文明レベルの差からみれば当然だろな >>715
金印という最高レベル、強国の評価だから
君が言うほど日本のレベルは低くないだろな
朝鮮は金印なんて貰えないレベルだがw >>715
日本から海を渡り都まで行っていた
普通にコミニュニケーションとれるレベルにある
ウホウホは言いすぎだろな
そもそも今も日本人は中国語なんて話してないぞw >>717
っていうか有史以来、支那が周りを
対等なんて思ったことないだろw
今も中華思想だからw
文明云々ではなく支那人の侮蔑意識w 邪馬台国(九州≒出雲系) →国譲り→ 大和系(=現皇統) >>721
琉球ですら銀印貰えるんだぜ?
日本が金印貰えたからって、そこまで大した感じはしないが >>724
ここの連中はアホだから、
書紀に国譲り が書いてあることなんて知らないし、
意味が分かんないだろうよ。 >>725
日本?
日本の一地方にすぎない奴国だが
琉球の銀印は1300年w
日本の金印は57年 >>23
邪馬台国を当時の中国の発音で読むとヤマトに近い音になるらしいね >>49
和気清麻呂も派遣されたの、宇佐八幡だし天皇は九州出身だと思うわ >>5
↑
猿がいつまでも言うけどこれは消えてからね。
畿内説はSTAP細胞みたいなもんな。
あれもいつまでもいつまでもブログとかで小保方擁護してるキチガイ沢山いたろ?
邪馬台畿内説は纏向学と名前を変えて、邪馬台論争からは退却、消滅しつつある。
「邪馬台なんてどうでもいい」とほざきながらw >>711
出て来るよ。
アマテラスオオミカミだよアホ。 >>727
国譲りしたから出雲が九州に組み込まれたんだろがアホが >>732
卑弥呼が天照なら、大した矛盾だな
時代を考えなよ
人をアホ呼ばわりする前にさ >>733
神武の兄が新羅建国王の稲氷(稲飯)
父親は上伽耶葺合津の神 大和朝廷は邪馬台国とは関係ありません。高天原から天下った神々の子孫から
発しています。とネトウヨ達は申しております。 天皇家の正当性を持たすために、
記紀は捏造されてるだろうから、
700年以前の歴史は、
いくつかの地方王朝のごちゃまぜなんでないの?
邪馬台国は四国説だと、
記述の位置的におかしくないそうな。 >>651
>ホケノ山古墳には6世紀であることが確定している追葬(横穴式)がある。
>追葬は通常は主たる被葬者の家族が葬られる。
>普通に考えれば、この点でもホケノ山が6世紀なのは確定できる。
追葬の横穴式埋葬施設は6世紀のものだが、
もともとの後円部中央の埋葬主体は竪穴式石槨
これを6世紀のものというのは、無理
こういうところで九州説論者はインチキを入れ込んでくる >>741
四国だけじゃなく、
畿内にも九州にも、
コレだという遺跡は無いんでないの?
あるなら確定してるだろうに、、、 >>742
竪穴と横穴の移行期だったんだろ
日本語が理解できないのか? >>731
>邪馬台畿内説は纏向学と名前を変えて、邪馬台論争からは退却、消滅しつつある。
>「邪馬台なんてどうでもいい」とほざきながらw
これも悪意のインチキ書き込みだな
纏向学は畿内説そのものだよ
ただ、町おこし的な商業展開にも使いたいので、よそに迷惑がかからない限定した名称として
纏向学を商標登録して使っているってだけ
あと、邪馬台国論争に積極的に参加しないのは>>731のような人に絡まれないようにするためw >>744
>竪穴と横穴の移行期だったんだろ
またインチキの上にインチキを重ねるw
6世紀の、竪穴式石槨の例があったら挙げてくれw >>743
いやクニと呼べる規模の集落あとは九州にも畿内にもあるだろ?
四国にそんなもんあるか? 漢の霊帝が魏の曹丕へ皇帝の位を禅譲した時
銅雀台という受禅台を築いて儀式を行ったのと同じように
出雲大社に嘗てあった高さ40mの高台で国譲りの儀式が行われたのだろうな 神社の社殿が築かれるようになったのは仏教伝来のあと 邪馬台国が北九州だと朝鮮系確定なんだよな
出雲で朝鮮系確定
兄の国を悪く言えなくなるからネトウヨには都合が悪い >>751
>兄の国を悪く言えなくなるから
日本人には、こういう発想はない!ww >>753
チョンの末裔だった気分はどうwwwwwww そもそもの古事記がホラッチョ日記なのに
藤原氏のファンタジー小説だよ
大学デビューが武勇伝を脳内で作っただけ 出雲は漢(楽浪郡)と交流あったのは出土品でも分かって日中ではね
南北朝鮮とだけこのあたりの歴史はまったく合わない
朝鮮半島が独立してたと言い張るから >>751
なんで?
中国と日本の話を多少なりとも理解してたら
そんな話しにならんけど? >>753
>チョンの末裔だった気分はどうwwwwwww
実際問題、末裔じゃないからどうでもいい
こういう絡み方するやつは、お里が知れるよなww >>747
なるほど、
若干調べたが、
四国説の場合、人口の問題が出てくると言う事?
それって、平野部が少なく有効活用できる土地が少ないなら、
昔から都市造成を繰り返して、
遺構をすり潰した可能性はないの?
要は畿内説と九州説は、
平野と遺構があるけど、
距離と位置が曖昧。
四国説は、
距離と位置が合ってるけど、
平野と遺構が足りない。
どっちもどっちって話なんじゃ?
魏志倭人伝の邪馬台国の人口というか、
戸数は7万
それに耐えられる様な遺跡や遺構は、
畿内、九州にあるのか?
7万って多い=八百万etcの概算値じゃないの?
そうなると、
邪馬台国を四国とする根拠の
距離も位置も適当なんじゃないのか?という、
身も蓋もない話になるわけか。 >>759
少なくともそれなりの遺跡が見つからんと話にもならんよ
四国に邪馬台国に比定できそうな候補遺跡あるわけ?
古墳すら少ないってイメージなんだけど 四国説だと邪馬台国が倭国の盟主の国だという点が説明できない
一番大事なポイントでしょ 九州説の人がよく挙げる項目は、邪馬台国と関係ない倭人一般、倭国一般の風習風土ばかり
倭人伝なので、倭国の範囲にそういう風習風土があれば済むこと
重要なのは邪馬台国固有の記述
・邪馬台国の発音に近い地名
・戸数7万戸
・30近くの国々の盟主
・宮室、楼観、城柵
・卑弥呼の墓径百歩
・徇葬百人 魏志倭人伝における、
戸数の表記の情報元はどうなってるのか?
おそらく、伝聞情報だろう。
例えば現代においても、
自分の住んでる都市の戸数を知ってるか?
と言えば普通は知らない。
となれば、
恐らく、当時の為政者経由で伝えられた、
かさ増しされた数字が7万という数だろう。
自分の国の影響力の大きさを示すために、
他の国より大きい数字を言っとけという話だろう。 >>760
剣山は実はピラミッドで失われたアークかあるらしいから 現代においても、
経済状況を示す指標は、
どこの国も上方修正して、
ウチの国は凄いんですよというアピールをする訳だけど、
まして、情報が限られてる昔においては、
情報の真偽を確認のしようもないから、
かなりサバを読みまくってるだろう。
ただ、距離と位置は、
サバを読みまくると、
あらぬところにたどり着いてしまうから、
多少は正確性が求められるだろう。
ただし、
道に迷って、
あらぬ方向にさまよって、
違う国にたどり着いても、
そこが邪馬台国だと言い張れば、
その真偽も確かめようがないか。
ただ、魏志倭人伝は魏に朝貢してるって話だっけ?
大陸から日本に来たって話じゃなく、
日本からの使者の情報がソースになってるなら、
距離と方角はある程度は正確なんじゃね? >>763
>自分の国の影響力の大きさを示すために、
>他の国より大きい数字を言っとけという話だろう。
まあ、7万戸が実際の戸数だとは思わないけれど、
奴国 2万戸 北部九州
投馬国 5万戸 出雲
邪馬台国7万戸 大和
というのは、国力の比率の想定だと思えば、それなりに信用していいんじゃないかな >>768
とりあえずありがとう
ただ、ざっと見たところ、6世紀とされているのは、古墳時代の始まりを4世紀半ば以降とした、
東遷説がまだ生き生きしてた頃に相対編年で6世紀として、そのまんまになっている小さな古墳ばかりだと
思うんだが? 世界的にみても日本社会の圧倒的な安定感は、大和の最初の王の出身地である三河の安定感によるものに他ならない
日本を三河を牛耳っているから、日本は変革しないんだよ
大神神社と伊勢神宮(伊勢と三輪の神。一体分身の御事。)の主祭神、大物主(ニギハヤヒ?)
豊橋市にある石巻山は三輪山の奥の院であると大神神社の社伝に書いてある
昔は石巻山を神山(ミワヤマ)と呼んでいて、そこから三輪山になったらしい
神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥の院、豊橋の石巻山(神山)に向いているわけだな >>770の追加
それで、>>768はこのうちのどれが、ホケノ山第一埋葬主体6世紀節の根拠に
なると主張するんだい 古代日本に数多ある集落の一つで有力だったのが邪馬台国
古墳時代以降に台頭し古代日本を支配していたのがヤマト王権
飛鳥時代にそのヤマト王権の地方、越前から台頭して王位簒奪したのが今の天皇家 倭人伝を含む「魏志全体」を読むと、1000里の大きさが小さいことがわかる。
直前の三韓伝では半島の幅が何千里とか書いてあってそれから逆算すると、
韓国南岸→対馬→壱岐→マツラの各1000里が比較的正確と分かる。
つまり単里説が正しい。
マツラからは渡海をしないで数千里なので、九州中央部くらいが妥当な位置となる。
他の記述「東に渡海すると倭人の国がたくさんある」
「南側に陸続きでない支配下の国がたくさんある」
などから、東と南が海岸でなくてはならないこともわかる。
すると、旧・日向の国(日向+薩摩)が妥当となる。
東と南が海岸で、九州中央部に達したあたりで女王国に至ったことになる。
そして古事記・日本書紀に鏡を象徴とする女性のリーダーがいたと書いてある。
すべて辻褄が合う。 >>769
実際の力関係が、
2:5:7なのか、
使者が希望する力関係が
2:5:7なのか?
という話なら、
使者の希望する力関係が、
2:5:7になってるだけだと思うよ。
実際は、
投馬国と邪馬台国のパワーバランスは、
微妙だったり逆だったりしても、
大陸からのお墨付きをもらった方が、
優位に立てるだろうという
腹づもりでの朝貢だろうしね。 774名無しさん@涙目です。(dion軍) [IN]2018/08/20(月) 18:34:40.21ID:UWW9jpUY0
古代日本に数多ある集落の一つで有力だったのが邪馬台国
古墳時代以降に台頭し古代日本を支配していたのがヤマト王権
飛鳥時代にそのヤマト王権の地方、越前から台頭して王位簒奪したのが今の天皇家
↑↑
継体天皇のことは、色々と解釈できるが、いわゆる正史では、
近親に天皇になれる者がいなかったから、遠縁の者を天皇にしたとのことです。
明治天皇の玄孫の、あの竹田氏を天皇にした感じです。 畿内説に対する怨嗟が渦巻いてるな
九州説を信じてた爺さんにとって今までの人生を否定されたようなもんだから分からんでもないが >>751
邪馬台国の指導層は、中国の使者に対して
「自分たちは中国江南地区出身だ」と言っている。
それに対して、中国の使者は、
「確かにそのゲイメンモンシン(刺青)はその地区のだよね」
と認めている。
そして日本の水稲のDNAは中国江南産(陸稲は半島産)
つまり、船に乗って稲穂をもってきた神様=古墳時代の支配者は、
中国の荒れた時代の、中国人貴族の亡命者ってところ。
下戸の遺伝子もこのころ持ち込まれた可能性がある。 封泥が奈良桜井の纏向から出てくれば、九州説を唱えていた者たちは基地外扱いになります。 入れ墨も、邪馬台国の者たちは、ハイブリッドです。
入れ墨は、北の民は顔、南の民は体との強い傾向があります。
邪馬台国の者たちは、顔と体、全身に入れ墨です。
文化が合流しているようです。 >>780
時代が下って九州から奈良に首都が移ったってだけの可能性もあるやろ
ていうか歴史論争で論敵を基地外扱いする人達って何なの 畿内説は暴言とか蔑みとかで戦うしかないんだよ。
冷静に考えると苦しいから。 >>751
古代の話持ち出したら半島南部は日本領だな 京大でのディベート、ただそのためだけに、便宜的に作られた九州説、
この経過をしらないで、九州説を唱えている者は、歴史学会の商業主義に踊らされているだけのことです。
そもそも、元々、九州説なんてありません。 >>782
>時代が下って九州から奈良に首都が移ったってだけの可能性もあるやろ
編年研究が進んでいなかった1970年代には、その考え方=いわゆる東遷説も人気があったよ
でも、近年の研究成果から導かれる標準編年では、卑弥呼の時代と古墳時代の開始が重なる
古墳時代になれば、畿内が倭国の中心なのは明確だから、邪馬台国も畿内と考えられるようになっている 半島南部が日本領とか同じ日本人として恥ずかしいからやめてくれ 邪馬台国は九州、ヤマト政権は邪馬台国を滅ぼして近畿に根を張った >>783
>畿内説は暴言とか蔑みとかで戦うしかないんだよ。
>冷静に考えると苦しいから。
日本史板の邪馬台国畿内説スレを覗いて見てきてごらん
九州説と畿内説の、どちらがおかしなことをやってるかは一目瞭然だと思うよ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1534525564/ 最新の学説では邪馬台国は宮崎の西都原にあったというのがFAなの知らんのお前ら? >>786
>吉野ヶ里遺跡は?
吉野ヶ里遺跡は、もともと工業団地造成でつぶされるところを、
邪馬台国ブームを煽ることで保存の世論を高めて、遺跡公園にするのに成功したんだよ
年代的に邪馬台国じゃないのははっきりしているのに、「吉野ヶ里から邪馬台国が見える」って
いうフレーズで、キャンペーンを打った
そういう遺跡 >>792
その学説を唱えてる学者の名前を言ってごらん >>792
>最新の学説では邪馬台国は宮崎の西都原にあったというのがFAなの知らんのお前ら?
そう思うなら、このスレ死んでるからなにか書き込んできてやったら?
↓
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1486869070/
もうあきらめろよ邪馬台国は西都原 古事記・日本書紀と倭人伝の接点を考えて見ると、
古事記・日本書紀では出雲勢力は九州勢力より強大だけど、
(一定の立場を認めさせた上で)下ったと読める。理不尽のように読めるが、
倭人伝では中国は黄色い旗や鏡をたくさん与えて統一に役立てろと言っている。
つまり、九州勢力は中華皇帝のお墨付きを持って交渉していた。
出雲が最強でも中国には敵わない。よって古事記・日本書紀の交渉が成立した。
このように辻褄があう。 >>776
>使者の希望する力関係が、
>2:5:7になってるだけだと思うよ。
魏から、皇帝の詔書を持った除正使が来て、投馬国(出雲)経由で邪馬台国(大和)まで
出向いて実際に、奴国、投馬国、邪馬台国をその目で見てるから、その国の賑わいとして、
2:5:7くらいに感じられたんじゃないかな >>795
いや、それがFA なんだから、そりゃあスレも盛り上がらんだろ。「日本で人口が最大な都道府県は東京都!」なんてスレがあっても盛り上がらんだろ。それと同じ。 >>792
惜しいけど、うてな遺跡の方が本命じゃないか?
うてな の漢字は 台(の旧字)。文字通りってやつかなと。 >>799
>いや、それがFA なんだから、そりゃあスレも盛り上がらんだろ。「日本で人口が最大な都道府県は東京都!」なんてスレがあっても盛り上がらんだろ。それと同じ。
いや、高校の日本史の教科書にも、邪馬台国畿内説が優勢と書かれていても
畿内説スレは活発な書き込みがあるよ
西都原説には、興味のある人がほとんどいないだけ >>800
>惜しいけど、うてな遺跡の方が本命じゃないか?
もともとの地名(倭国の呼び方)が「うてな」だったら、
大陸の人が音訳で「邪馬台」とは書かないんじゃないかな? >>798
現代でもそうだけど、
人口20万都市と、
50万都市と
70万都市を徒歩に近いペースで移動した場合、
そんなに違いは無いはずだけど、
実際は、
2万人とか5万人とか7万人とか、
そんな程度の集落しかないなら、
ほとんど違いはないだろうから、
案内人の情報をそのまま鵜呑みにするしかないと思うけどね。
この当時の大陸からの外交使節は、
目的国と敵対関係にある勢力を通過する場合は、
敵対勢力の指導者の話もキチンと聞いていたのか?
それともあまり勢力圏に近づかず、
迂回してたのか、どうなんだろう? 西都原はねえ、そりゃ、掘れないよね。
やばいもんが出てくるの確実だから wwwww 金印も偽物説出てたな
元はラクダの飾りだろうって推測 >>805
残飯の桃の種がリーサルウェポンの畿内説www 三世紀頃の畿内なんて葉っぱでチンコ隠してたレベルの土人地域だろw
クニなんてレベルじゃねぇよw
集落とか部落とかの表現が相応しい。 秦が中国を統一したとき
秦は中国の最も西にあったから
東にあった6つの国の住民はみんな押し出されたんだろうな
紀元前2百年くらい まあ畿内土人も縄文人並みに土器を作るのだけだは上手かったから、部落民として九州に連れてきたかもしれんな。 秦はねえ、
ペルシャから押し出されて、
東へ東へ。 そうだなあ
興味深く読ませてもらってるけど
畿内説はなんか余裕がないように見える
淡々と語る人がほとんど居なくて
学会では決まってる
議論の余地もない
九州説涙目
みたいな畳みかけて逃げる姿勢の印象が強いな >>811
>畿内説はなんか余裕がないように見える
こういうの読んでる?
↓
>>806、>>807、>>809
ああ、ごめん
自演だったかな? とりあえず全部おいといて、
250年壱与の使節派遣
怒涛の古墳建造
銅鐸の放棄
鉄器の使用
軍馬の使用
390年広開土王碑(倭国が半島を〜)
この間に史実としての神武即位、東遷、熊襲征伐、三韓征伐があったもよう。
あまりにも怒涛。 西都原は昔は斉殿原と書いていた
西都原となったのは江戸時代
ここでも宇佐神宮がいらんことをしている 西都原はありそうな話
行ってみればわかるが豊かな邑やクニがありそうなところ
最大級の古墳群なのに掘らせてもらえないというのも想像力を掻き立てる >>808
燕と趙と斉の民が朝鮮に数万人レベルで大量に逃げたってのは
中国の記述にも残ってるね >>817
>想像力を掻き立てる
av見ても修正が無ければ興奮しない変質者 >>817
西都原なんかとうの昔に調査は終わっている >>773
俺はホケノ山が作られたのは490年頃で埋葬されたのが510年ころ、
追葬が540年頃とみてる。
古墳は死んだ直後に作るものじゃないから、古墳の形状と埴輪とかの年代がずれる。
鏡も生前に入手してから埋葬されるまでにタイムラグがある。 >>822
>古墳は死んだ直後に作るものじゃないから、古墳の形状と埴輪とかの年代がずれる。
>鏡も生前に入手してから埋葬されるまでにタイムラグがある。
そういうことを聞いてるんじゃなくて、
合掌型の両側から石壁がせり出してくるタイプの竪穴式石槨で6世紀は考えにくい、
6世紀の実例はあるのかと聞いてるんだが? >>823
布留1式の土器が見つかった時点でホケノは4世紀以降の古墳で、
魏志倭人伝時点の邪馬壹国とは全く関係ないことわかってんだから、
細かいことでクヨクヨすんな 日向自体九州じゃねえし
神武の話は大陸から持ち込んだ渡来人の元ネタ。
現実は九州にできた邪馬台共同体が暫く半島を攻撃していたという事実。
記紀とは関係ないんだよ >>771
魏志倭人伝によると
家長は一人で嫁を三、四人持ち
倭人は長命で100または80.90歳まで生きるというから
一戸あたり20人ぐらいはいそうだね >>827
「大和国」と、元の「大倭国」から名を改めたのは奈良時代の757年
それまでは奈良地方は大倭国と文献にも書かれてた
ヤマト=大倭国=奈良・飛鳥・葛城・吉野ってこと 関係有るならなんか記録に残ってるでしょ。
時代も場所もぜんぜん関係無いところで邪馬台国は滅亡したと考えるのが普通じゃね? >>833
ここだけの話だが、
名前交換で百済から応神天皇がやってきた。
その時、倭国の方から入れ代わりに行って、百済・枕流王となったのが、
この木満致の血すじだ。
名前交換とは、体を交換したら名前が逆になったという話。
もともとの倭王の血すじで、
のちの蘇我氏。 いなばの白兎とかいう話あるけどなんであんな作り話作ったん?
ちゃんと史実として意味のある話だけにしとけよ
ワニなんて日本にいねぇし >>824
>魏志倭人伝時点の邪馬壹国とは全く関係ないことわかってんだから、
>細かいことでクヨクヨすんな
適当扱いたウソ間違いが暴かれて、さらにウソを重ねてごまかそうとする、
恥ずかしい九州説の人がこちらです >>829
>倭人は長命で100または80.90歳まで生きるというから
これを見ると、春秋年、二倍年暦が正しいと思えるんだよな 邪馬台は元々複数の邑が集まった連合国
元は九州北部が中心だったが半島侵攻の軍備を増強するため国内領地も西へ拡張されたと思う。
卑弥呼の様に王になる者は世襲ではなかったようなので邪馬台内で権力を持った氏が王となり王都も移動していたんだろう。
近畿圏に権力が移行しても時代による中心地は一箇所ではないからな >>835
>名前交換で百済から応神天皇がやってきた。
できの悪いデマゴーグはやめな
応神の名前交換に関しては、住吉十楽の「おもしろそう紀」が面白いぞ
景行天皇の三太子に五百城入彦皇子が入っている理由も説明できるし
http://omoshirosoki.com/wao/csoki2_4.html#as1_1 >>788
日本領があったのも事実で倭人が多く住んでいたのも事実 名前交換は、書紀に載っていることだ。
王子を取り替えた、ときちんと書いてある。
応神天皇と百済・枕流王は、
お互いが入れ替わったんだ。
その即位してすぐ暗殺された枕流王の流れ、それが蘇我氏であり、
古来からの倭王の血すじだ。 >>844
枕流王は即位してすぐ暗殺され、
別の百済王が立ち、倭国の軍が押し寄せ、
すると百済はみずから王を殺し、
枕流王の息子・アシン王を即位させた。
それはなぜなのか。
名前交換ではじめてよく理解出来る。 百済新羅伽耶とかあの辺はもう
タイムマシンでも無い限り
本当のことはわかんねーよw >>831
>おすすめの歴史の本とかある?
本じゃないけど、ネット上で読めるものとしておもしろいのは
>>842でも紹介した住吉十楽の「おもしろそう紀」
http://omoshirosoki.com/wao/soki2_0.html#a1
あと邪馬台国については「邪馬台国とは何だろうか?」
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/index1.html#top
紀年論では高城修三「紀年解読」
http://takiren.sub.jp/kodaisi02htm.htm
この辺は読んで損はないと思う
まあ、ここに挙げた文の内容が正しいとも言わないけれど、
いろいろ考える基礎にはなると思う >>844
>応神天皇と百済・枕流王は、
>お互いが入れ替わったんだ。
そこに半島の王が出てくる必要はないって言ってるんだよ
出来の悪いデマゴーグは止めな! >>829
最盛期の江戸の人口が100万人超で世界一だったというが、
それから更に1500年も前に人口100万人の巨大都市があったとは・・・
それと張り合っていた狗奴国ってのも同等規模だったとすると、古代日本半端ねぇw >>848
記紀に書いてある真実が認められないというのであれば、
消えろ。歴史を語る資格がない。
ツヌガアラシトというだけで、
応神天皇が半島から来たことは明らかだ。
それと同時に、名前は入れ代わりに向こうに行った者がいることを語っている。
読み取れないなら、
歴史を語るな! 先ず、韓国人は、『三国史記』を無視するな!!
大和国が大きく立派な国であり、尊崇する必要がありと、『三国史記』に書いてあるからと言って、
今では唯一の朝鮮半島の正史なのに、それを無視してはいけません。
新羅の第4代の王の脱解王も、日本列島の北陸辺りから来た倭人と言われております。 >>850
誤 それと同時に、名前は入れ代わりに
正 それと同時に、名前交換は >>834
記録は残っているといえば残っているんじゃないの?
古事記と日本書紀。
九州の日向に鏡好きの女性指導者がいて、
代替わりがあって、
畿内を攻めて倭人の国を統一したという。 古事記は口伝をまとめたものだから正確性が乏しい
日本書紀は都合がいいことしか書いてない
かなり書き換えてる
だから、信用は出来ない
魏志倭人伝の方がマシなレベル >>836
和邇(わに)氏を配下にしたことと対応している。 日本書紀の改竄は酷いからな
天智の正体なんてテロリスト並みだし
記紀信じてる奴は頭おかしい >>855
わにと大国主命って話中では絡んでなくね? >>839
何で古代人は寿命が短いと決めつけるのよ
同時代人の司馬仲達は実年で72歳(AC179-251)まで生きてるし
ローマ皇帝ゴルディアヌス1世も79歳(AC159-238)まで生きてる
その程度では別に特別に長命ではないのよ
そりゃ当時の平均寿命は若年死多いから低いだろうけど >>854
ってことは聖書も正確性乏しいってことな >>850
>記紀に書いてある真実が認められないというのであれば、
>消えろ。歴史を語る資格がない。
名前交換にあたることがなかったとは言ってないだろ?
倭国の皇族の間での立場の交換だよ
具体的には仁徳と応神の交換
仁徳と応神は親子ではない
そこに勝手に半島の王族を絡めるなと言っているんだよ >>858
>同時代人の司馬仲達は実年で72歳(AC179-251)まで生きてるし
それもどこまで信用できるか分からんよ
三国志の英雄たちはちょっと長生き過ぎる
人間の生物学的寿命から考えて、医学の発達していない時代に、80、90、100歳というのは
やはり信じがたい 問題は九州の縄文遺跡が「阿蘇の噴火」で壊滅してるところだろう
過去は過去として今後的な問題としてさ
なまねこなまねこ >>849
都市じゃなくて国だからな
奴国=筑紫豊前長門伊予
邪馬台国=大和河内山城美濃尾張播磨
投馬国=出雲因幡伯耆吉備
国
狗奴国=三河遠江駿河信濃
なら余裕でしょ
ちょうど1-2世紀頃の銅製品の文化圏がこんな別れ方してるし 大体天皇の系譜が縄文時代から存在してることからして怪しいだろ。 >>860
仁徳天皇の10代の子孫が、
一人もいない。新撰姓氏録に。どこにいった?
百済・枕流王こそが仁徳帝だと考えている。だから子孫がいない。
枕流王、アシン王、それから傍系となり王とはなれず、
木満致から列島へ。
だから、蘇我氏が倭国古来の王の血筋であろうといえる。
だいたい、応神天皇が海の向こうから来たというのは、
古代史の定説に近いだろう? >>861
いやいや
西晋の高祖たる司馬懿の年齢ははっきりしてるでしょ
そうしないといろいろな歴史的に事実が辻褄合わなくなり魏志倭人伝の紀年まで信用出来なくなってしまう
父の司馬防も71歳まで生きて後漢の要職についてた記録あるし
司馬懿が238年の遼隧の戦いで遼東の公孫氏を滅ぼしたから邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢したんでしょ >>866
>西晋の高祖たる司馬懿の年齢ははっきりしてるでしょ
死んだ年ははっきりしていても、生まれた年は案外はっきりしないんだよ
一応史書には書いてあるけれどね
兄の事跡と混ざったりすればそれだけ没年令が大きくなる
泉重千代氏の120歳も、兄の戸籍を引き継いだからと言われているし >>865
>仁徳天皇の10代の子孫が、
>一人もいない。新撰姓氏録に。どこにいった?
雄略天皇が殺しまくったからね
生き残ってたら、継体天皇を北陸から探してこなくて済むんだから 関係ないけど グーグルマップで上空写真を眺めていると
「あれ? これお墓(古墳跡)なんじゃね?」って小山を発見する
楽しいな
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄
( ´・ω・) < 旅行気分
( つ旦と) \____
と_)_) >>869
仲達次男だから兄は一人だな
長男 司馬伯達 171年生まれ 呉遠征中に熱病で戦没 47歳
次男 司馬仲達 179年9月17日生まれ 251年9月7日没 72歳
細かく記録に残ってる
三男 司馬叔達 180年生まれ
272年4月3日没 93歳 晋の武帝が哀悼し3日間の喪を行う >>865
なんで応神天皇が半島から来たことになるのか
結局さっぱり分からんw 九州と朝鮮半島に勢力を持ってたのが邪馬台国。近畿あたりのが日本。
神武以前にすでに近畿あたりに強い倭人の勢力があった。そのなかで九州の神武が東征して政権を奪った。大陸に近かった九州はそのあと勢力が強くなり独自の外交貿易をおこなった。それが邪馬台国。
戦国時代あたりでも独自の外交貿易やってた奴いたでしょ。
それと同じ。
九州と近畿、本家争いしてたんじゃないの。 ここまでのまとめ
・畿内説は万世一系カルトで嘘つき
・畿内説の根拠はヤマタイ→ヤマトゥ→ヤマトの付合だけ。その邪馬台国も日本人が勝手に当てた字
・纒向は魏志倭人伝の記述に全く合致しないが、畿内説カルト信者は自分に嘘をついてまで信じようとしている
・三世紀頃の畿内人は葉っぱでチンコを隠していた https://ja.wikipedia.org/wiki/邪馬壹国説
陛下留兵海外,欲殄滅高麗。百濟、高麗,舊相黨援,倭人雖遠,亦共爲影響,若無鎭兵,還成一國。 >>876
神武東征のまえにいた天火明は天照国照神とまつられるくらいだから
少なくとも強い勢力だったのは間違いないなw
そもそも日本は国津神の土地だし >>875
だから、応神天皇は
海の向こうの神さまと名前交換したっていうんだから。
一方で、名前交換とは体を取り替えたら名前反対になりました
という意味だと分かってるんだから。
赤子取り替えたとも書紀に書いてあるし。
応神天皇は海の向こうから来た。
それと同時に、こちらから海を超えていった倭国の王がいる。
それが百済・枕流王だというんだ。
大倭・木満致の流れだ。蘇我氏。 日本に出雲系がまず住んでました。
天孫系が日本に降り立ち増えました(近畿、東海中心)。
天孫系は出雲系から国を貰いました。
神武の先祖が九州に降り立ちました(天孫降臨)。
神武が東征して政権を取りました。
しばらくして大陸に近い九州の勢力が強くなりすぎて独自に色々やり過ぎました。
軍部が暴走しました。反省してます。新しく生まれかわった僕らの国は日本と言います。って感じじゃないの? >>883
その名前を交換した、赤子を交換したと言ってる部分が何処なのか全く思い当たらない。
角有人あたりからつらつらと書いてあるけれど一連の話しの流れ全体? だから、
倭国の王と百済の王は、
応神天皇と百済・枕流王のとき、
入れ替わってるの。
それが、名前交換。
そして、その倭王から百済の王に一度はなりながら傍系となって、
それから列島に戻ってきたのが蘇我氏。
我、よみがえり、て書いてあるじゃん。 >>886
書紀をよく読め。
応神天皇、仁徳天皇は名前交換してる。
名前交換したのは、この二人。 >>887
新羅の天日矛の血筋を引いて半島成敗した神功皇后と
東国成敗した日本武尊の系統だから
新田を広めた神としてまつられるので
応神が別の人と入れ替わると困るんだけど
流れとして倭から半島に人が移ってるし
半島から人が入ってるし
でも蘇我筋の話しとは直接の血統交換ではないとおもうけれど >>891
神功皇后はね、燕王たる慕容氏の娘だよ。
卑弥呼も燕王たる公孫氏の娘だった。それは普書・四夷伝に書いてある。
だから、神功皇后の猫写は卑弥呼の伝統を踏まえている。
倭人は燕王に従う、というのは山海経。
それとね、仲哀天皇のところよく読んでごらん。
天皇は死んだのは、半島に来なかったからだと。
神功皇后は大陸にいる。
御膳立てを整えたのに、百済との養子縁組、無駄にしやがって、
というところだろう。 卑弥呼の記述で気になるのは百人の殉死だな
やっぱ強制的に殺されたんだろうか?
どんな殺され方したんだろうか
卑弥呼の墓が見つかればなあ >>714
ローマ帝国とブリテン島みたいなもんだろ 豪族が天皇になるチャンスはなかったのかな。天皇の戦力とか財力がイマイチわからないからあれなんだけど、反逆するにはリスクが高すぎたのかな? 倭人伝」に記載されている事物などに焦点をおく場合、
おもに、邪馬台国時代、三世紀代の遺跡・遺物は、福岡県を中心に分布する。
ベイズ統計法によれば纒向を含む奈良県に
邪馬台国があった可能性は全くない(0.0%)
逆に福岡県にあった可能性は99.9%
繰り返す
奈良県に邪馬台国があった可能性は全くない(0.0%)
http://iup.2ch-library.com/i/i1929112-1534788053.jpeg 心の拠り所にしていた畿内説が、
統計的に完全に否定された畿内説信者が
発狂しそうでとっても心配 邪馬台国と百済国、年代が違うぞ。
奈良時代の日本の文献に、百済が平城京に朝貢していたと書いてあります。そして、新羅も日本の属国でした。 (´・ω・`)邪馬台国の邪って文字は邪悪な国って中華側からした蔑称であるとの説もあるんだろ
卑弥呼も卑しい者って意味だし。 >>898
普通に考えたら占いで河川の利用権分配してたわけだし筑後川流域だよな
機内から九州まで支配してて占いで国が保てるわけがないし http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-161/
大和朝廷がどういう経緯で畿内に誕生したか分からないが、
300〜600年の間、畿内の大和朝廷と九州の邪馬台国系王統は
別々に日本に併存していたようで、600年代まで中国に朝貢して
いた倭王とは九州の邪馬台国系の王で大和朝廷の大王ではない
と考えるのが自然。最終的に邪馬台国は大和朝廷に滅ぼされた。
650年は大化の改新の直後で孝徳天皇の時代である。 >>906
神籠石が瀬戸内海を監視できる場所に配置されてるの見る限り、機内と九州で争いがあったのは確実だろうな 九州説のやつって余裕がないというか罵詈雑言だけで理性的じゃないのがね
日本人を猿って言いだして笑ってる奴らが猿だったって言う半島キムチとそっくりな構図
すこしは知性感じさせてくれない? 茸表記とか特にそれ 畿内説は全然論理的じゃない。円墳なのに前方後円墳を持ち出したり、南を東と読んだりで
呆れるばかりの妄想。もう少し過去の文物に沿った推測をすべき。畿内説は妄想の産物。 >>895
>卑弥呼の記述で気になるのは百人の殉死だな
日本では大規模殉葬の遺跡は一つも見つかっていない
殉葬の習慣そのものが古代にはなかったのではないか
個人的な考えだが、吉野ヶ里にあるような甕棺墓列あるいは
方形周溝墓の家族墓に追葬される様子を見て、殉葬と勘違い
したんじゃないかと考えている >>714
>なんと言っても後漢後期黄巾の乱直前の人口5600万人が
>魏呉蜀の三国時代の三国合計人口750万人ほどに激減する凄さ
これ、実際の生きている人の人数が減ってるんじゃなくて、
税金の取れる戸籍に記載された人数が減っているってことらしいよ
減るときよりも増える(回復する)ときの速度が生物学的にあり得ないから >>897
>反逆するにはリスクが高すぎたのかな?
神の子孫だから、下手にさわると祟られるっていう感覚はあったみたいだよ
それがどこまで遡れるかは難しいけれど 国譲り神話ではなぜ、瓊瓊杵尊は出雲国を占領しないで日向国に降臨した
のかを疑問に思いませんか?神武天皇の東征の話はどう見ても九州の田舎
の一豪族が天下統一の旅に出たような話で、それも辛うじて本州の真ん中
の地?を取ってそこに都を造るところで話は終わり、彼一代では天下統一は
成し遂げられませんでした。
ひょっとしたら、ここのベストアンサーが国譲り神話の真相かもしれない。
葦原中国は日本列島ではなく九州北部で、日向も宮崎や鹿児島を含む一帯では
なく筑前海岸部の「日向」を指しているという指摘。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1370840238?__ysp=5Zu96K2y44KK56We6KmxIOWPsuWun%2BOBp%2BOBr%2BOBquOBhCDml6XlkJHjgafkuInku6M%3D >>905
>機内から九州まで支配してて占いで国が保てるわけがないし
九州説の人はすぐに「支配」って言葉を使うけれど、
卑弥呼の共立はヒメヒコ制の、ヒメ王=祭祀王の統一
邪馬台国は祭祀連合だと考えればよい
首長同士の個人的関係をもとにした連合であって、支配ー被支配の関係ではない >>913
関東にはアイヌ語の地名がたくさん残っているところをみると、
中部〜北陸くらいまで治めれば、
倭人の国を統一したと言ってよいんじゃないかな?
一部の倭人は関東や東北にも進出してたかもしれないけどさ。 >>906
>600年代まで中国に朝貢して
>いた倭王とは九州の邪馬台国系の王で大和朝廷の大王ではない
>と考えるのが自然。
これの根拠がない
逆に、倭王武の上表文の「東征毛人五十五國、西服衆夷六十六國、渡平海北九十五國」を
見れば、九州では「西服衆夷六十六國」が説明できないので、畿内の雄略天皇と見るのが定説
倭の五王が畿内なら、その前の親魏倭王も畿内で問題ない >>909
>円墳なのに前方後円墳を持ち出したり
円墳とする理由が径百歩の「径」一文字しかない
そして「径」は、さし渡しという意味で円形物以外にも使う
実際楕円の長径などの使い方は現代でもある
前方後円墳であれば墳丘長が「径」と呼ばれるだけだよ
残念ながら論理的思考ができていないのは>>909の方だ >>917
九州説にもいろいろあるけど、少なからずは
女王国は九州、そこから出雲らと連合、連合に抵抗する畿内のナガスネヒコを倒して、
そこに新・連合本部を立てたと考えているから、
出雲らと連合後の王権を畿内にあった証拠を挙げても、「そりゃそうだ」としか思わないんだよ。
このように畿内説有利だという証拠のほとんどは、九州説にとって全く困らないんだよね。
畿内に古い古墳がたくさんあるってのも、倭人伝に東に渡海した先に倭人の国がたくさんあるって話だし。
つまり女王時代は倭人の国は全然統一されていなかったんだよ。
中国の後ろ盾を得て、より強大な出雲らと連合に成功した。
本部を畿内に置かれるなど九州の思い通りになっていないところもあるだろうけど、
名目上は九州勢力が盟主になった。 >>917
しかもそれ倭王武がやったことではなくて
自分の先祖(自昔祖)がやったことを言ってるわけだから神武の代の話かもしれない >>913
>葦原中国
宇摩志阿斯訶備比古遅神って知ってるかい?
葦原のような半湿地の原野 水田に開拓していったような土地が
葦原中国のイメージ
斐伊川河口の潟湖が陸地化していった出雲や、河内湖の陸地化途上の河内
奈良湖の陸地化が終了していた大和がそのイメージの原郷として想定できる >>915
どういうことかな?倭人の支配領域と大和朝廷(天皇家)の
支配領域はまた別じゃないの? >>921
大分県中津市はどう?
トヨの国(豊前+豊後)のナカツという水田地帯だし。 >>914
租を徴収していたのに支配関係がないとはこれいかに >>917
倭王武のお手紙はヤマトタケルを彷彿とさせる
ヤマトタケルとなったのは女装して九州のクマソタケルを倒したことからだが >>922
倭人伝ベースの情報になるけど、女王の支配地の説明で、
東に渡海1000里(九州−四国間と矛盾なし)した先から
支配の及ばない倭人の国がたくさん挙げられている。
(南側には1国だけ。おそらく沖縄県)
女王の支配は倭人の国の大多数に及んでいない。
(この時点で西日本全体を支配しているというのは間違っている。)
だから、「黄色い旗と鏡あげるから統一に役立てろ」みたいなこと中国に言われる。
短い期間に倭人の国の大多数が大和朝廷に参加した形になったのは、
中国の後ろ盾を得たことが理由だと思う。 >>921
知ってるけど、宇摩志阿斯訶備比古遅神の意味の
解釈は、天地開闢上の話なんで、天地万物の根源神
みたいな意味じゃないの?
萌え上がる葦の芽のような創造の力とでもいうか。
この後に天(天之常立神)と地(国之常立神)が誕生し
湿潤な雲(豊雲野神)が地を潤すことで
泥から雌雄の性別を持った神々が生れ体や生殖器が作られ
恥じらうようになりイザナギとイザナミが完成するような
話の流れでしょう。
そういうことを言い出すと、豊雲野神でも「豊」かな
出「雲」の国の半湿地の原「野」の神みたいな意味にとれるね。 >>922 >>926
質問の意図と違うこと答えちゃったかな・・・
大王家の直轄地は畿内だけ、本家が九州の日向〜豊あたり。
後に分家である大王家が九州日向を叩く話になるけど。
来年の即位でも日向から即位に必要な物を調達するんじゃないかな? あと、あまり支持がもらえないんだけど、
トヨの国(豊前+豊後)は女王トヨ(台与)にちなんだ国名であり、
ヒムカの国(日向+薩摩)は女王ヒムカ(卑弥呼)にちなんだ国名である。
鏡好きの女性指導者の所在地は古事記・日本書紀の言うとおり日向で良い。 なんでも九州ありきなのは支持されないのは当然だね
そのようにどこにも書かれてないし >>930
畿内説は辻褄が合わないことが多い。
例えば、支配が倭人の国のほぼ全てになるが、
支配の及ばない倭人の国がたくさんあるという話と矛盾する。
なんでも九州ありきと言うけど、それで矛盾が出ないんだよね。
自分は最初、どっちの説にも与せず、両方の意見を見ていたけど、
畿内説は文献等と矛盾が多く、九州説は文献と合う。
そして、畿内説は遺跡を主張するけど、九州説にとってそれは全く痛手でない。
(九州の東には倭人の国がたくさんあるから。)
畿内説の論は九州説の立場に立って考えることができていない。
そういう結論になった。 >このように畿内説有利だという証拠のほとんどは、九州説にとって全く困らないんだよね。
邪馬台国問題は年代がキーになってるんだよ
3世紀前半にはヤマト政権のつながる政治連合が畿内を中心にすでにできていた(←これは教科書に書かれていること)
その政治連合は瀬戸内海勢力が中心だけど、北部九州まで到達していた(←これは専門書を読まないといけない)
3世紀前半の北部九州の状況としては、奴国があった博多湾地域は畿内勢の傘下に入っていて
伊都国があった糸島地域はまだそこまで行ってない状況
3世紀中ごろ以降は博多地域だけでなく他の北部九州も畿内文化に飲み込まれてしまうが、3世紀前半はその一歩手前の状況
そんな中で畿内勢以外の勢力を魏使が倭国の盟主の国だと勘違いする可能性はあっただろうか?
魏使の勘違いはないと考えるのが畿内説
魏使が勘違いしてたと考えるのが九州説
あと記紀神話を史実だと思わない方がいいよ >>932
そういう論が他の論の立場を全く理解できていない論なんだよ。
文献で重視しているのは倭人伝を含む魏志やその他の中国の文献だよ。
古事記・日本書紀も一致するよね程度の主張。
古事記・日本書紀は伝承に過ぎないけど、全く意味のない話ではなく、
何かあったことがベースになっていると考えても良いだろう。
トロイアだとか、中国の古代都市だとか、文献の通りに出てくる。
もちろん超常的な神様がいたわけではなく、中国文明を持ってきた人程度で考えるべきだと思うが。
学会が畿内説に牛耳られているせいか、九州説が不当な扱いを受けていると思う。
研究者は嘘だと思っても畿内説をとらなきゃ飯が食えない状況。 >>924
>租を徴収していたのに支配関係がないとはこれいかに
邪馬台国が租賦を集めていたとも書いてないだろ
ヒメヒコ制の、ヒメ王が統一されても、ヒコ王は各地の豪族として自立していて
それそれの支配地域で税を集め、それを収める建物があったと書いてるだけだろう
原文は「收租賦有邸閣。」國國有市。交易有無、使大倭監之。 >>926
>支配の及ばない倭人の国がたくさん挙げられている。
これ、侏儒國、有裸國、黒齒國のことか?
これが倭人の国だとは思わないぞ?
それにこのスレの上の方に書いてあるけれど、倭の別種というのは
同じ倭人、という程度の意味で、別の国を意味するわけじゃないぞ >>928
>来年の即位でも日向から即位に必要な物を調達
日向からじゃなくて、日本全国から、だよ
その中に朱鷺の羽を使ったお道具があって、
朱鷺が絶滅すると困るって話があったように思う
(もしかしたら、伊勢の式年遷宮のお道具だったかも知れない ちょっとうろ覚え) >>932
>魏使の勘違いはないと考えるのが畿内説
これはいいんだけれど
>魏使が勘違いしてたと考えるのが九州説
九州説は、畿内と九州は無関係って言い張るんだよ
考古学的状況を無視してね >>903
年代を含む客観的事実より神話が正しいと思いたければそれでいいよ
でもその神話の信ぴょう性に疑問があるし、年代についてはどこにも書いてない
年代までも自分で決めて歴史を作ってしまうならそれでいい >>933
>学会が畿内説に牛耳られているせいか、九州説が不当な扱いを受けていると思う。
そういう陰謀説的な考え方に頼らないと何も言えないのが九州説
>研究者は嘘だと思っても畿内説をとらなきゃ飯が食えない状況。
プロの研究者を馬鹿にしすぎ
もし大勢と違う説・理論が正しいと考えていたら、総取りできておいしいから
そっちで論立てする研究者が必ず出るよ
それが事実上一人もいないのが現状
文献史学でも考古学でも、研究者で九州説を支持する人は過去20年以上ほぼいない
専門外なのに、口を挟む人で九州説を唱える人はたまにいるけどね >>938
>九州説は、畿内と九州は無関係って言い張るんだよ
>考古学的状況を無視してね
確かに
九州説は考古学知識がないから魏使が勘違いしてたという言い方は適切ではないな たくさん返信をいただいて、全部に答え切れないかもしれないが、とりあえず返信。
倭人の国の統一度合いは低いという主張に対して、
一部を取り上げて高いという解釈が成り立つと主張される。
たしかにその一部では成り立つかもしれない。
しかしそうすると、中国は黄色い旗だの鏡だの渡して統一に役立てろとおせっかいするだろうか。
もしかしたらするかもしれないが、
その場合、東に1000里渡海するという位置関係をどう考えるべきか。
などなど積み上げて考えると、九州説の方が中国の文献に適合しているといえると思う。
そしてその結果が日本の伝承とも符合する。
考古学的状況は、畿内説にとって有利というのも誤解で、
考古学的状況で畿内説を立てることはできるかもしれないが、
九州説に困る要素が何も無いというのが正しい。
文献: 畿内 × 九州 ○
遺跡: 畿内 ○ 九州 ○
といった感じに見える。 >>943
× 九州説に困る要素が何も無いというのが正しい。
〇 九州説に致命的であるが、知識がないので自覚できていないだけ 九州説の前提に立ててないから致命傷に見えるだけど、
九州説の前提に立つと困らないと理解できる。 >九州説の前提に立つと困らないと理解できる。
客観的な物証の矛盾なんてどうでもいいと開き直ってるだけだな
無知こそ最強 >>946
そうなん?
何か決定的な物証あんの?
邪馬台国が九州に合って、それとは関係なく畿内に王朝が合ったのではないかという考えを否定できるやつな
大抵畿内説は畿内に王朝が合った証拠だけで九州に王朝があったことを否定するよね 平原1号墓は
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓の十分の一サイズ
平原1号墓が13×8メートルの方形周溝墓、
吉野ヶ里の北墳丘墓が南北約40m東西約27mの長方形に近い形態
その北墳丘墓では、墳丘の軸線に合わせて大柱を立てその先に祭祀用の小さな建物を建てており、
平原遺跡の5号墓、1号墓に同様の大柱があり、1号墓には祭祀用の小さな建物も確認できることから、
共通の墳墓祭祀文化であることが分かる
その上で、時代が先行する吉野ヶ里の首長家系墓より小さいという点で、
平原1号墓は倭国の王墓とは認められない
九州説の頼みの綱の平原1号墓もこんなものでしかない >>947
九州説の人は行程パズルにしか興味ないようだけど、最も重要なポイントは邪馬台国とは一言でいうと倭国の盟主の国
日本列島盟主の国が畿内にあって、3世紀前半には博多地域はその傘下に入っていた
それ以外の北部九州もその一歩手前の状況
九州に王朝があったと言い張りたいなら証拠を出せばいいだけ
その九州王朝を邪馬台国としたいなら伊都国や奴国もその傘下に入ってなければおかしい
だが伊都国や奴国が他の九州勢の傘下に入ってた痕跡は皆無 >>943
>その場合、東に1000里渡海するという位置関係をどう考えるべきか。
それ、魏略では「倭在帯方東南大海中 依山島爲國 度海千里復有國 皆倭種」となっていて、
対馬、壱岐と、渡海千里していく島々も皆倭種であるという意味
九州、四国、本州の周りの、渡海千里で行くような島にも皆倭種(倭人)が住んでいる
という程度の意味で理解すればよい
それに、九州から本州へ行く場合は、関門海峡は幅が600メートルしかないから
どうやっても渡海千里にはならないよ >>947
>それとは関係なく畿内に王朝が合ったのではないかという考えを否定できるやつ
「関係なく」が無理なんだよ
庄内土器の出土状況だけで否定できる
「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf >>950
んー
畿内から九州北部まで勢力圏で、その勢力圏は30ヶ国くらいで治まるかな >>953
30ヶ国がすべて小国という先入観があるからそういう疑問を抱くんだろう
だが邪馬台国は7万戸、投馬国は5万戸
当時の日本列島全体の人口が百数十万人だそうだからかなりの面積を想定しないといけない >>953
>畿内から九州北部まで勢力圏で、その勢力圏は30ヶ国くらいで治まるかな
伊都国と奴国の間の、吉武高木遺跡、野方遺跡のある早良平野に国があるという記載がないから
この時期には、平野ひとつでひとつの国、くらいに集約されているのだと思う
出雲などは、四隅突出墓を作る範囲でひとつの国とみなしてよいだろうし、
邪馬台国は、畿内第V様式土器を共通に使う「大和+河内〜環大阪湾地域」で
ひとつの国だろう
そして、小さな集落は国とは呼ばれないだろうし、案外、近畿東海から北部九州で
30ヶ国ぐらいになると思うよ >>952
交流のある別勢力ってこともあるだろアホ >>955
>伊都国と奴国の間の、吉武高木遺跡、野方遺跡のある早良平野に国があるという記載がないから
>この時期には、平野ひとつでひとつの国、くらいに集約されているのだと思う
分かりにくいな
早良平野の集団も福岡平野の奴国の一部として奴国に集約されていたと考えるということ >>956
>交流のある別勢力ってこともあるだろアホ
交流があるだけじゃなくて、庄内式土器は精製器種三種と呼ばれる鉢、壷、高坏を伴う
これらは、祭祀用の供献土器であり、これを北部九州が受け入れているということは
古代における政治そのものである祭祀・まつりごとにおいて、畿内様式を受け入れて
いることを意味する
単に交流があるだけではなく、畿内の祭祀文化の傘下に入っているんだよ
こういう、事実ベースの根拠を挙げられないから「アホ」とかいう文言を
つけずに書き込み一つできないのが九州説の現状 鉄器で武装した北部九州勢力が
新たな農地を求めて畿内に侵略(神武東征)
↓
支配階級の副葬品文化などが畿内に伝わる
↓
畿内の捕虜は部落民として九州に
連れてこられて庄内式土器を作る 九州説論者の言い分は説得力に欠ける
誰もが自分の国のルーツを知りたいと思うのは当然のことなので
根拠の乏しい決め付けで話されても邪魔なだけ >>952
4章の後半筑前のところとかそうだけど、土器の使い方云々言ってたのに結局大和とのつながりは最古期の前方後円墳あるからじゃん >>963
>結局大和とのつながりは最古期の前方後円墳あるからじゃん
最古期の前方後円墳よりも、庄内式土器の初期の方が古いし、
その前の畿内第X様式土器の時代から、九州で畿内様式甕が出ているよ 九州説の人に訊きたいんだが、
唐代にも東夷伝里あるいは短里があったと主張するのかしないのかどっちなんだい? >>966
>畿内説にも同じことが言えるだろ
畿内説は専門家の論文の引用などで確認できる形の根拠を付けてるだろ?
公平に見て、ただの決め付けを書いてるのは九州説の方だよ
それにしてもこの(茸) [DE]の人は、マナーが悪いな
まあ、匿名掲示板の住人だからしょうがないかな 前提として【邪馬台国に関して1000年以上論争が続いてる】ってことを理解しなきゃいけないよ
本居宣長からでも200年論争が続いてる
つまり、どちらの説をとっても【決定打がない】
それどころかどちらの説にも【決定的な弱点がある】
だからこそ、【どちらとも言えない】という状況が、続いてるんだよ
だから、【○○説が正しい!】ということは言えるはずがない
だって【消去法を取ればどちらも消える】のが邪馬台国論争なんだから >>959
仏教はインド文化
日本は飛鳥時代からインドの傘下だな >>964
952の論文の最初にも書いてあるけど、甕だの鉢だのは交易品として移動してる事もあるから、それらの移動は勢力の移動とは関係ないんだろ?
だから、煤の付き方から使い方の違いで人の流れを掴めないか調べたってんじゃないの? ど素人がこのスレのやり取り見て感じた事
九州説 畿内説の意見も取り敢えず聞いてみる
畿内説 他の意見は全て間違い畿内説が正しい 邪馬台国論争はジジイ達の健康法なんだよ
決定的な答えが出てもらっては困る 九州説の人は畿内系土器の拡散さえ否定するけど、九州説を裏付けるものは何かあるのかね?
邪馬台国の遺跡や墓が見つかってないだけだという言い訳はよく聞くけど
それだけでなく、九州説を前提にすると邪馬台国は”鎖国”をしていたという結論になってしまう
魏使が往来していたとされる伊都国や奴国に何も痕跡もないのだから
畿内系住人の痕跡は山ほどあるのに邪馬台国の痕跡だけはないっておかしいと思わんの? >>971
>952の論文の最初にも書いてあるけど、甕だの鉢だのは交易品として移動してる事もあるから、それらの移動は勢力の移動とは関係ないんだろ?
佐々木先生の論文は、権力の移動などは考察していない
もともと、
紀元前後から1世紀には九州に舶載鏡を多数副葬した厚葬墓が複数発掘されていて、
九州に大陸との九州の中心的な拠点があったのが明らか
そして、古墳時代に入れば倭国の中心は畿内の皇統にあるのが明らか わいの以前の予想では国津神が縄文系、天津神が弥生系だったんだけど
皇室の傍系も物部氏の子孫も古モンゴロイドのD系だというのでさっぱりわからなくなった
それともどっちも元は新モンゴロイド系で子孫を継げずにD系に取り換えられたんだろうか
出雲族はツングース系という話もある
卑弥呼の時代の邪馬台国は中国の記述から見て江南系だと思う
ただ日本でも朝鮮でも弥生時代の縄文人と弥生人は争うことなく共存してたようなので、
本来の邪馬台国は新旧モンゴロイドの混じった連合国で、
卑弥呼の時代のリーダーは九州の江南系、それから徐々に主権が畿内に移り
日本建国のころには歴史も含め完全に掌握されたのかなと思う >>977の続き
この状況下で、古墳時代の開始が4世紀の半ば過ぎと考えられていたから、
その間の3世紀の卑弥呼の時代の中心はどちらにあるのか、というのが
畿内説と九州説の論争の焦点だった訳だ
それでも、古墳時代以降は畿内に中心があるのが明らかだから、
3世紀の邪馬台国が九州だと主張する場合、ヤマト王権との関係を
1.無関係 九州には独自の王朝があった
九州王朝説・古田武彦が中心の「古田史学の会」
2.大和王権の前身 九州から王統が畿内に移った
東遷説・安本美典が中心の「邪馬台国の会」
のどちらかとするしかない
それが、編年研究の進展で、古墳時代の最初期が3世紀前半、邪馬台国の時代
そのものと考えられるようになって、学究の世界では既に決着済みとなっている >>969の
「だからこそ、【どちらとも言えない】という状況が、続いてるんだよ 」は
既に20年前に終わってるんだよ
それを認められない素人の自称研究家が、がんばっているだけの状態 >>981
>出雲人ワイ。話に交ぜてほしい…
出雲は、北部九州よりも古い硯も出ているし、間違いなく弥生時代の大国だよ
投馬国の上古音はdug-mag ヅマになる
出雲の最初の母音が弱声化すれば、ヅモであり、出雲が投馬国だと私は思ってるよ >>979
>それが、編年研究の進展で、古墳時代の最初期が3世紀前半、邪馬台国の時代そのものと考えられるようになって、学究の世界では既に決着済みとなっている
理論的飛躍があると思うけどなぁ
邪馬台国の時代に古墳文化が広がりだしてても何の矛盾も無いじゃん
古墳の時代の最盛期が畿内なのも誰も否定してない 畿内説だと...
大国主 そんな人はいません、ただの伝説です
アマテラス そんな人はいません、ただの伝説です
ニニギ そんな人はいません、ただの伝説です
木花咲耶姫 そんな人はいません、ただの伝説です
神武 そんな人はいません、ただの伝説です
卑弥呼 そんな人はいません、実は◯◯姫で、王宮は纒向4棟だけです
九州説だと...
大国主 筑紫の前の倭王です
ニニギ 倭国の王都を筑紫伊都に定めた倭王です
木花咲耶姫 三雲南小路遺跡にニニギとともに葬られた王妃です
神武 筑紫を出て大和に入りました
卑弥呼 筑紫の日向の伊都でクジフル山に高千穂宮の楼閣高くして千人の奴婢が使え、太陽を象徴する史上最大の「八咫鏡」を持ち、その墓は伊都国代々の王家と同じ方形周溝墓であり古代神道の成立を示す鳥居に守られていました
どっちを信じる? >>983
>理論的飛躍があると思うけどなぁ
>邪馬台国の時代に古墳文化が広がりだしてても何の矛盾も無いじゃん
広がりだす、というか、西日本の広い範囲でいっせいに古墳を作り始めるんだよ
それぞれの地域の首長が死ぬ順番で、一世代くらいの時間幅で一斉に
その広域での「首長が死んだら前方後円墳を作るという合意」をした秩序を
倭国とみなすのが畿内説の基本
その合意の範囲が、卑弥呼の共立に参加した主張連合だと考える
あまり言及する人がいないけれど、広瀬和雄先生の前方後円墳国家という考え方が
邪馬台国時代の倭国そのものと考えてよいと思う >>986
>卑弥呼 筑紫の日向の伊都でクジフル山に高千穂宮の楼閣高くして千人の奴婢が使え、太陽を象徴する史上最大の「八咫鏡」を持ち、その墓は伊都国代々の王家と同じ方形周溝墓であり
これにまったく根拠がない
よそで論破されたものを恥ずかしげもなく何度もコピペするのが九州説なんだよな >>972
逆だね
違う意見の人には頭ごなしにアホと言ってるのも九州説の人 >>984
>邪馬台国とヤマト政権は別のものだろ
同じものと考えた場合に、何か矛盾や不都合はあるかい?
あると考えるなら、具体的に指摘してみて
回答できるものには回答するから アホだのう
白村江の戦いで負けた倭国は
半島からの支配者が置かれて国名を日本に強制変更されたんだよ。
記紀も改編されて半島の口伝が上書きされただけだ >>972
そそ、気に食わない八咫鏡なんか畿内説によれば肥溜めの蓋らしいからねw ヤマト政権も初期のころの話は一つの国(政権)のものではないだろ後で朝廷に都合がいい様に 又は天皇の正統性を示すために編纂されたものだろ >>992
>アホだのう
>白村江の戦いで負けた倭国は
>半島からの支配者が置かれて国名を日本に強制変更されたんだよ。
>記紀も改編されて半島の口伝が上書きされただけだ
また根拠のない戯言を書き散らすだけ
恥ずかしくならないかね?
>半島からの支配者が置かれて
この辺りでお里が知れるけれど >>994
>ヤマト政権も初期のころの話は一つの国(政権)のものではないだろ後で朝廷に都合がいい様に 又は天皇の正統性を示すために編纂されたものだろ
記紀以前に、列島の広い範囲で、段築・葺き石・円筒埴輪という共通企画の古墳を作る共同体が
存在するのは明白
それを「一つの国(政権)」ではないとみなすかどうか、だけだよ
支配ー被支配の中央集権国家ではないことは確かだけれど、その共通規格の古墳を作る秩序があったのは明白
その秩序を倭国と呼ぶ、というのが畿内説の立場だよ >>993
また捏造している
こっちの主張は「平原1号墓の出土鏡は八咫鏡ではない」だ
勝手に皇室所縁の御神体の鏡に擦り寄るなってこと 捏造は日本書紀であり近畿
倭王は筑紫君薩夜馬が最後
全て天智が謀ったもの >>992
>国名を日本に強制変更されたんだよ。
唐会要に
咸享元年三月。遣使賀平高麗。爾後繼來朝貢。
「則天時」。自言其國近日所出。故號日本國。蓋惡其名不雅而改之。
とある
これは、粟田真人を執節使とした、「702年」出立の遣唐使のときの記録
白村江の敗戦は「663年」
時系列無視の戯言だって分かるな 九州説は、最後までウソごまかし捏造インチキ体質が露呈しているなw このスレッドは1000を超えました。
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