戦時中の人って何を食べてたの?
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>>35
妹の死因は主に病気によるもの
兄は妹の死で生きる気がなくなっただけ 川魚、ウナギやスッポンを獲っても売って金にして、
鯉、鮒、タイワンドジョウ食ってたと聞いたな 戦時中ではないが戦後すぐ、学校から帰ると俺の可愛がっていた犬が近所の借家に皮だけぶら下がって乾かされていた
家にあった刀持って殴り込んだが追いかけてきた爺ちゃんに『こんなご時世だからしょうがない、人の家についてはいったあいつがわるい」って諭された
四年生の俺には刀が重すぎてそのままやっていてら俺が殺されていただろうな >>11
今なら低糖質ダイエットとしてまんさんに流行りそう >>49
ええええええええええええええええええええ 芋と大根じゃね?火垂るの墓でどっちか盗んでなかったか? 【1日のアルコール摂取量の目安】
・清酒:1合
・ビール:500ml缶1本
・ワイン:1/4本
・焼酎:0.6合(110ml)
・チューハイ:1.5缶(520ml)
・ウイスキー:ダブル1杯
↑これ絶対合計する奴がいる おいもはたいせつな主食物!
これまで おかずやおやつとしてたべて来たおいもは、お米にまけない大切な主食物です 戦時中:小麦や芋なんて貧乏人の飯!米食いたい!
現代:パンウマー、ラーメンウマー、蒸かし芋ウマー、米飽きたわ 祖母の話では
「戦時中は配給きちんとあるからまだよかった
弱ったのは戦後の欠配(多分片山政権)」 >>43
あの妹って栄養失調で亡くなったんじゃなかったの?ずっとそう思ってたわ あのアメリカですら砂糖不足だったんだぜい
その反動で戦後にシリアルにめちゃめちゃ砂糖かけて食っちゃってたしw 彼岸花の根っこを毒抜きしてデンプンにして食ってたとかも聞いたな 疎開先の田舎ではマクドナルドで三食を済ますなど劣悪な食糧事情が マジレスすると、米はもう戦地の兵隊さんに送る為、なかなか配給でしか手に入らなかったらしい。芋とかひえとかとうもろこしの粉とかを
主食とするときこれを「代用食」といった。かぼちゃなんかは畑で出来るつるの2番目の実いわゆる”うらなり”までありがたく
食べた。子供は川や山で食べられるカエルや希にウナギ等もとって食卓に上ったらしい。(今だと密漁だな)
父から聞いた話だけど ビーフストロガノフだって
死んだじいちゃんの友達の親戚の隣の家の娘のお婿さんがOBに聞いたって ちょっとの米に食える雑草混ぜて増やして食ってたんだろうな、ってのは想像出来るけど
魚とかタンパク源はどうしてたんだろう 農家なら庭に鶏小屋があるけど市内はどうしてたんだろうな 祖母の話では
「戦時中は配給はひとり当たり二合三勺(しゃく)
少ないけどきちんとあった」
3人家族だと一日7合(!)もあったが昔はおかずが少なくそれでも足りなかったそうだ >>43
ラストシーンでビルが浮き上がってくる演出は、「こういう悲しみを乗り越えた人たちによって日本は再生した」ってことの暗示だから兄貴のほうは生きてそれなりに大成したのだとオレは解釈してたが。。
野坂昭如の自伝的作品だし >>63
確か、どこかの工場からのガスだか化学物質だかでやられてたとか検証なかったっけ?
にげてるシーンで目が痒いみたいなとこあってそれがどうこう…みたいな… 太平洋戦争始まった頃はみんな普通に暮らしてたのに、ほんの数年で極貧生活に叩きこまれるんやで >>63
下痢してたし赤痢かなんかの感染症かと思ったけど。 爺さん婆さんの話だと食料自体よりも、煮炊きの燃料となる薪の確保が大変だったらしい
田舎だから山へ行けば調達可能だったそうだが、運搬するのに苦労したとの事だ 戦後の片山内閣は配給を一人当たり3合にすると息巻いて
それならやらしてみようと内閣作らせたが
遅配・欠配が相次ぎ玉蜀黍の粉、豆滓、が主食として配給される始末
いまも昔もヒダリは人を餓えさせる
「何を食べてたの?」はむしろこの時期だろう
祖母の父親もこの時期に始めて闇市に買い出しに出た
違法だから闇やらずに判事が飢え死にしたのもこの時期 >>24
茂吉の実家だか親戚だかの山形の農家で(かみのやま?)
北杜夫が白米の飯がうますぎてうますぎて、
それをしつこく日記に書いてるのを
後の北杜夫自身が「よほどうまかったものと見える」
と書いてたな
青春期だったかな バッタとかセミは焼くだけで今食っても結構美味いぞ
野草とかもあるだろうし、戦時中に餓死しそうになってる描写とか見てもあまり理解出来ない >>73
野坂昭如「ウソだと思うだろうけど、全部本当の作り話」 93年ぐらいの米騒動のときも年寄りほど白米に執着してた印象だな イモだろ
死んだうちの婆ちゃんがもう食べたくない言ってた気がするわ 冬は厳しいんじゃね
夏は獲って食うもんは幾らでもあるだろって感じ ばーちゃん干し柿大好きだけど多分戦時中にあんだけ甘いのは貴重だったから 戦後はピーマン食ってたって。
チコちゃんでやってた。 結局日本は、小さな島国で輸出入が止まればこうなることは今も同じ。
だから、よほどの覚悟がないと「戦争」に踏み切れない。兵隊だけでなく国全体が戦うことになるのだ。
だからこそ「戦争しないため」には、武器を持たないのではなく、敵がこちらを攻められない状況を常に作り出す必要がある。
こちらから仕掛けるようなことは愚の極みだって昔の人だってわかってたのさ >>22
ウチの1945年ギリギリ戦中生まれのジジィも豆芋類を貧乏くさいと言って異様に嫌ってたな
子供の頃、何で芋が貧乏くさいのか謎すぎたがそういうトラウマ的な理由もあるのかね
今は健康の為に仕方なく食っている感じだが >>1
よおこの手の話で昭和天皇は天ぷら食べてたゆうてイキッてる子おるけど天ぷらぐらい士族のじいさん家庭でもたべたはったからwwwwwww
さすがに今みたいなエビカニ魚シラコメインちごて野菜中心 やったみたいやけどwwwwwwwウケルwwwwwww 当時のサツマイモって農林1号とかいう品種で、生産効率優先で味は非常に不味く
戦後に普及した甘くてホクホクしてる優良品種とはまるで別物だったそうだね ほとんど芋ばっか食ってるアフリカの原住民もいるんだから大丈夫じゃね 米なんか大事にしても緊急時には役に立たない
植えて半年待たなければ食料にならん
日本人はそういう時はいつもサツマイモ
米なんか全部輸入でいい
農地は太陽光発電にして
いざとなったらそれどけてイモ植える >>87
親父の実家がその近所だけど
都会の人間が高級な反物とかを持ってきて米と交換を要求されたんだけど
みんな価値がわからなくて、とりあえず米俵持って行って貰ってたみたい
結構みんな無造作に反物を使いまくってたら、後で金持ち達から「貴重品をモンペにすんじゃねー」とか罵られたそうだよ >>99
麦飯も貧乏くさいと言って嫌うな
牛タンには麦トロだろうが >>90
今と違って情報ないからなあ
何が食べられて何が食べられないのかなんて
地域に伝わってるとか新聞ラジオで教えてもらわないとわからないだろ
食べられる虫かとか食べられるキノコかとか >>73
野坂昭如の娘が学校で火垂るの墓の感想文で「作者はどういう気持でこの作品を
書いたのでしょう?」という宿題を貰って父親に聞いたら「締め切りに追われてヒイヒイ
言いながら書いた」というのでその通りに書いたら先生に?を貰った。
これは野坂本人がテレビ番組で語ったことだけど野坂の性格を考えると真意は・・・w >>24
それな
東京山の手に住んでた大正生まれの祖母は、着物と物々交換しに汽車に何度も乗った、って言ってたわ
父親が海軍省の軍医だったけど、配給じゃ全然足りなかつたって
だから、戦前戦中戦後生まれの娘いたけど、戦中生まれが一番身体小さかった そういえば、藤村俊二の疎開の話が面白かった
親父は徴兵検査の度に引きつけ起こして、返って来ちゃうし
金持ちだったから疎開先でT型フォード乗り回しちゃうしでかなり非国民だったんだよねーとかいってた >>109
キリスト教徒だとローマ法王に褒められる
魂が肉にインカネーション(託身)してるだけだから
魂が昇天すればただの肉だという思想 マジレスすると、食糧難は戦後がやばい
大量の兵隊上がり、中国からの引揚者、ベビーブームだったから
復員兵ですらろくな配給や手当なかった
都会にいた戦災孤児は本当に悲惨だったと思うよ 戦前生まれのばぁちゃんは、さつまいものつるを甘じょっぱく煮付けていたな。
あれは美味しかった。 インパールとかパプアニューギニアに出征した兵士は人肉食って生き延びてた 明治になってから戦争で負けるまで70年くらい
戦争で負けてから今までも70年くらい
思えば大日本帝国の時代ってそんなに長くはなかったよな 貧農出で、口減らしで奉公出された戦前生まれの祖母(父方)は、ふかし芋ですら有難がって食ってたよ
苦労したんだろうね・・・
おっさんみたいなごつい指してたし、漢字もろくに書けなかった 中には山賊化した部隊もあって同じ日本の部隊を襲って皆殺しにして食料を奪い、殺した兵隊の肉も食った >>109
陸軍には「兵站」の概念なかったからね
基本的に食糧は「現地調達」
食糧も補給してやれば、あんな大量には死ななかっただろうよ 皆んながお腹いっぱい食えるようになったのは割と最近の話
戦前だって飢饉とかあったし 死んだ婆ちゃんの口癖は「腹は空かせないで一杯食え」だった
戦時中は何食ってたのかな すいとん、お麩
と思われがちだが、田舎(疎開先)ではしっかり野菜食ってたと言ってたよ(´・ω・`) 戦時中から戦後の物資不足の悲惨さは東京視点でしか語らない
ガード下の闇市とか高価な着物を米と交換とかな
うちの実家は内陸部の田舎だけど毎日刺身食って白飯にも困らなかった
砂糖もふんだんに有って和菓子やが繁盛 >>129
集団疎開だとまともに食わせて貰えなくて、お手玉の中の小豆や大豆かじってたって話聞いたことがある
集団疎開した子が戦災孤児になるケースが多かった
都市は焼け野原にされたからね… ぶっちゃけると、
戦時中徴兵された諸君は毎日、鮭缶を
もう食えん。ぐらい食わされていたんだよ
そして、太った奴は駆り出される。そんな感じ。
兵隊の食生活は飽きるだろうけど、クソ不味いものは食っていなかった
親父が言ってたよ うちのじいさんは「小麦なんて貧乏人の食うもの」ってバカにしてんな
その割に朝はお気に入りの店のデニッシュとカフェオレがないと始まらないが
グランパ、パンは粉モンやで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています