戦時中の人って何を食べてたの?
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マジレスすると、食糧難は戦後がやばい
大量の兵隊上がり、中国からの引揚者、ベビーブームだったから
復員兵ですらろくな配給や手当なかった
都会にいた戦災孤児は本当に悲惨だったと思うよ 戦前生まれのばぁちゃんは、さつまいものつるを甘じょっぱく煮付けていたな。
あれは美味しかった。 インパールとかパプアニューギニアに出征した兵士は人肉食って生き延びてた 明治になってから戦争で負けるまで70年くらい
戦争で負けてから今までも70年くらい
思えば大日本帝国の時代ってそんなに長くはなかったよな 貧農出で、口減らしで奉公出された戦前生まれの祖母(父方)は、ふかし芋ですら有難がって食ってたよ
苦労したんだろうね・・・
おっさんみたいなごつい指してたし、漢字もろくに書けなかった 中には山賊化した部隊もあって同じ日本の部隊を襲って皆殺しにして食料を奪い、殺した兵隊の肉も食った >>109
陸軍には「兵站」の概念なかったからね
基本的に食糧は「現地調達」
食糧も補給してやれば、あんな大量には死ななかっただろうよ 皆んながお腹いっぱい食えるようになったのは割と最近の話
戦前だって飢饉とかあったし 死んだ婆ちゃんの口癖は「腹は空かせないで一杯食え」だった
戦時中は何食ってたのかな すいとん、お麩
と思われがちだが、田舎(疎開先)ではしっかり野菜食ってたと言ってたよ(´・ω・`) 戦時中から戦後の物資不足の悲惨さは東京視点でしか語らない
ガード下の闇市とか高価な着物を米と交換とかな
うちの実家は内陸部の田舎だけど毎日刺身食って白飯にも困らなかった
砂糖もふんだんに有って和菓子やが繁盛 >>129
集団疎開だとまともに食わせて貰えなくて、お手玉の中の小豆や大豆かじってたって話聞いたことがある
集団疎開した子が戦災孤児になるケースが多かった
都市は焼け野原にされたからね… ぶっちゃけると、
戦時中徴兵された諸君は毎日、鮭缶を
もう食えん。ぐらい食わされていたんだよ
そして、太った奴は駆り出される。そんな感じ。
兵隊の食生活は飽きるだろうけど、クソ不味いものは食っていなかった
親父が言ってたよ うちのじいさんは「小麦なんて貧乏人の食うもの」ってバカにしてんな
その割に朝はお気に入りの店のデニッシュとカフェオレがないと始まらないが
グランパ、パンは粉モンやで >>127
寒冷地でも育つ米の品質改良が効いてるとか >>63
医者の見立てでは栄養失調って言ってたけどな
疥癬が出来たのは体力も精も落ちて虫などからウイルスを貰った内臓疾患だろうか >>132
のらくろでよく食ってるのは牛の缶詰だな 空襲された都市部、港を機雷封鎖されたり空襲で鉄道とかのインフラ破壊された地方は飢餓やべえことに
それほどでもない地域は普通に飯食っていた
ある兄弟は別々の地域に疎開したが、片方はこの飢餓状態に陥り、もう片方は被害殆ど無くてふつうに食えた
戦後、かろうじて餓死せずに済んだけどがっりがりになったのと、疎開前より肥えて帰ってきた兄弟、当然関係は険悪になってしまったとか >>116
アンデスの聖餐のことを言ってるのならバチカンでは慎重な見解を表明してた
筈。 >>114
いつもじゃない時々、鰻が川で取れるらしいんだけど、おばあちゃんが獲った子供の前に
並べてくれても、家長のおじいの手が横から出てきて、父(子供)は一度も食べたことなかったって。 戦争の悲惨さを語るためにやたらと誇張されてる話が多い
WGIFによる操作でもあり本当に悲惨だった人たちのゴリゴリ感でもあろう
ウチのほうは平気だったよ
は日本人の感覚では大っぴらには言えない >>141
「楡家の人々」で、
ひもじい毎日の食うや食わずの「憂行」マンボウ、
片や出征して南方で米軍の捕虜になって以来、
米軍供出のリッチな食事を食べて肥えて戻ってきたモタさん
人相が一変、太ってしまった厳格な兄を見て
玄関で思わず笑うマンボウ氏の下りがあるね 都会の人は食料確保のために田舎に買い出しに行ってたけど当然現金では
売ってもらえず貴重な衣類と交換する「竹の子生活」をしていた。
その際に足元を見られて交換レートが悪かったことが多かったので田舎の
人に悪い印象を抱く都会人が多かった。 >>49
戦時中の話しありがとうございます
参考になります >>4
農村部でも引上げや住込み人で食べ物が豊富ってわけでもなかったらしいけどな
うちは麦とヤギ乳だったらしい >>150
でもあれやで
飢餓なら麦が金より高価になるのは当然のことだし、何とかの書とかどこそこの壺とか誰それの刀で腹がふくれるのかって話だもんなー 山田風太郎が戦前?戦後の日記を書籍化してるんだけどそれ読むといろいろ東京での日常が書いてあるよ アメリカ人のおじいちゃんは毎日肉が入ったサンドウィッチとアイスクリーム食べてたって。 日本兵に強奪されて餓死したよ
かんだばーって葉っぱを食べた 高価な着物や骨董品かついで汽車に乗り
田舎で二束三文で米と交換してもらって
帰りの汽車で闇物資だからと官憲に没収
戦後甘いものがなくて米兵にギブミーチョコレートとかいってアメ公が撒いた菓子を拾って帰ったらオヤジに死ぬほど殴られた
これ東京や横浜を代表とする都市住民のうらみつらみであってローカルな話でしかない >>22
沖縄ではかぼちゃが食えない人がいるらしい
戦闘が終わって畑の中に戦死者の死体があちこちに転がってる中で、
かぼちゃが今まで見たことがないくらい丸々と大きく実っていて吐き気がしたらしい 俺んとこの戦中を生きた爺さん婆さんは戦中のことはあんまり話したがらなかったな
ド田舎で米作ってて供出させられてたとは聞いた
鉄のものも出さないといけなかったとか このスレの平均年齢、歴代でも1、2を争いそうな勢いだな。 >>159
豊かと思われていた米国国内でも菓子用の砂糖が不足していたので砂糖を使わない
菓子ポテトチップスが作られた。 >>165
俺らがオヤジやジジイの戦争話を直接聴いた最後の世代だからな
本当は語りたがらなかった本人たちの書き込みがほしいところだが 戦時中のカロリー見たけど軍人が1500kcal
一般市民が1000kcalしかないよ
よくこれで戦えるほど日本人は頑張れたな 駅前でアコーデオン引いてた傷痍軍人ってほとんど偽物らしいな。
本当に戦争で障害残る怪我した人は十分生活できる給付金もらってたんだって。 皮膚や爪、チンカス耳カス鼻くそフケうんこ小便なんでも
シラミが沸いたらごちそう気分でルンルン ガ島などの最前線の島に行かされた兵隊は
動くものなら何でも口に入れたらしい。
アメリカ兵の死体は太もものみ食すことが許された。
もちろん同軍の死体を食料にする事は公式には不可。
とにかく餓えや下痢と病気で戦闘どころじゃない状態。 バッタの食べ方をばあちゃんから教えてもらったぞー。 >>62
そう食糧事情が悪くなったのは戦後
母方が旧華族なんだけど夕食にカレーライスを出した
こんな一皿の食事しか出来ない家になったのかと曾祖母が嘆いたそうだがw
むしろ、戦中でさえ。それなり嗜好品が手に入った >>15
タニシ、どじょうときて、なんでカエルだけ蛙じゃないんだよ
82歳とか嘘だろ http://mangadojyo.doorblog.jp/archives/11190195.html
どこかで読んだなと思って探したら、すぐ見つけた。
これだ。
節子の死因は栄養失調ではなく、軍需工場から出た有害物質 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f2c519fe5384e767e1c9e99abdcfc293) ウチの祖父母は芋を嫌がる。
戦時を思い出すからと言ってた。
芋しか食えないからイヤイヤ食ってたらしい。もう80過ぎだが好き嫌いが激しくて美味いモンしか食わない。孫を連れて都内中を食べ歩くもんだからガキの舌が肥えて困るわ すげー貧しい生活かと思ったら、あるとこにはあるんだよな おからはいつもあったらしい
爺さんはおからだけは金輪際いらんと言ってた >>187
まあゆるしてやれ
あと何回食えるかいつ医者からストップがかかるかとおもえば
今更昔の不味いもんなんか食いたくないんだよ 鰻を釣って食ってたと聞いたな
釣れる量が一晩にバケツ一杯ほどは釣れてたみたい >>189
てことはお豆腐も普通に売られてたって事か当時はおからはタダでもらえてただろうけど 配給でウイスキーが貰えたらしいが
ひいじいさんは下戸なので配給後に呼んでも居ないのに遊びに来る酒カスが多かったみたい 松茸なんか裏山で死ぬほど採れてたんで今そんなに食いたいと思わんていうてるうちのばっちゃ
海に行けば貝も沢山採れたし魚もようけ釣れたとか結構贅沢
芋のツルは去年か一昨年だったか農家の人にもらって「懐かしいわあ」て言いながら料理してた
思い出にも個人差があるもんだな 東京でも案外色々なもの食ってるよ
山田風太郎が日記に書いてる 大根めしはいつでも白いご飯が食べられる状況だからこそ美味そうに感じるのかな 酷かったのは東京大空襲とかの大規模無差別空襲後だろ
物流が絶たれれば流通が滞るのは当たり前の事
自然災害と一緒だよ アメリカ人に納豆や牛蒡を食べさせると、虐待の罪で絞首刑になるから、絶対食べさせてはいけない。
東京裁判で判例がある。 >>169
それを「よく頑張った」と言いたくねえな 嫌になるほど芋食ってたらしいな
戦前戦中世代の芋嫌いは以外と多い オーストラリア人やアメリカ人に食べさせてはいけないもの
牛蒡 オックステールまたは木の根を食べさた罪で絞首刑または銃殺刑
豆腐 ロットンビーン(腐った豆)を食べさた罪で絞首刑
鰹節 得たいの知れない木の屑の食べさた罪で銃殺刑
何れも戦犯裁判で判例がある。 >>198
横のつながり強い連中は、焼け野原でもなんとかかんとか釣ったりほったりして食料確保してみんなで酒盛りしてたらしいのう
お上に見つかったらどやされるの覚悟らしいが
配給しかあてのないのは悲惨この上ないっぽいな 親に「ヒエとかアワ食ってたの?」って聞いたら
「たまに麦飯はあったけど普通に米だった」と言ってた
麦飯は嫌だったらしい >>207
嫌になると言う事は、それ以前にそれ以外の味を知ってたって事だ
知らなきゃ苦にならんだろ うちのじいちゃんは躾のときは農家が頑張って作ったんだから残さず食べなさいだったけど
実際のところは百姓のことを死ぬほど嫌ってたわ
戦中・戦後に食料交換で散々ボラれたらしい >>109
それ有名な捏造放送な
台湾の人がネズミを食べたとインタビューに答えたら
字幕で人を食べた事になっていた
放送後にそれを知って本人が猛抗議してる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています