選挙での惨敗が麻原彰晃を凶行へ… 背景に幼少時代のトラウマ <麻原彰晃の真実(2)>
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 90年2月の衆院選には麻原を始め25人が立候補した。億単位のカネをつぎ込んだが、いかんせん素人選挙だ。全員が落選し、麻原の得票はわずか1783票だった。
 麻原は衝撃を受けた。教団内で絶対者としてあがめられてきた権威の失墜。選挙に出ては負けた少年時代の屈辱の再来。
「もう(教団を)やめようか」
 と、珍しく弱音を吐いた。
 ここで麻原が、教団の内外で自分への評価がいかに違うか、世間からオウムがどれだけ冷ややかな目で見られているのかに気づいて踏みとどまっていれば、後の凶行は防げたかもしれない。
ただ、この時点で信徒は7千人まで増えていた。
 広範の宗教の知識とカリスマ性を身にまとった「尊師」であり続けようとすれば、もう止まれない。麻原はすぐに思い直し、こう説いたのだ。
「私は6万票は取れるはずだった。選挙管理委員会絡みの大きなトリックがあった可能性がある。国家権力による妨害だ」


裁判でも続いた麻原劇場 殺人を正当化した教祖の狂気 <麻原彰晃の真実(3)>
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■テロリスト誕生
 89年4月と9月の説法で麻原は言った。
「悪業を積むであろう人の命を絶ち、高い世界に生まれ変わらせることは、凡夫が見れば殺人だが、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、立派なポアだ」
 仏教の高い教義を曲解し、すでに犯したものも含め、殺人を正当化していく。
 94年3月、麻原は仙台市内での公演で、ついに「対国家戦争」について言及する。
「もともと私は修行者であり、じっと耐え、いままで国家に対する対決の姿勢を示したことはない。しかし、示さなければ私と私の弟子たちは滅んでしまう」
「もう一度言おう。オウム真理教がこのままでは存続しない可能性がある。信徒は立ち上がる必要がある」
 こうして、女の子とままごとばかりしていた少年はテロリストと化した。最盛期は出家信徒が1400人、在家信徒は1万4千人まで膨らんでいた。