>>8
うむ。だが>>1のリンクにも書かれている通り、賤ヶ岳の敗因が佐久間盛政のせいにされているのは納得いかない。
俺も以前から賤ヶ岳の秀吉勝利の原因は前田利家の敵前逃亡のせいだと言い続けていた。
同じ考えの人がいるのを知って嬉しいが、真面目に賤ヶ岳の戦いを検証すればスグに判る事。
むしろ敗因とされる佐久間盛政の賤ヶ岳横撃作戦以外に柴田側の勝利はあり得なかった。
それまで秀吉に政治的にも戦略的にも良いようにやられていた柴田は、アレで初めて秀吉陣営と互角の状態で対戦する状態が出来上がったんだ。
そうして「さあ決戦」となった瞬間、前田隊が撤退。
これで戦線は崩壊。これが賤ヶ岳の敗因で間違いない。

実はもう一人、賤ヶ岳の敗因になった人物がいる。
それは柴田勝家本人。
佐久間盛政が賤ヶ岳横撃を成功させた時、呼応して正面を攻撃したのは柴田勝家の本隊なんだが、
名人・久太郎こと堀秀政の少数部隊に弾き返されてる。
この時、柴田勝家が損害を恐れずに全力で正面突破を行なっていれば、秀吉が帰ってくる前に戦いは決着がついていて、
秀吉の弟・秀長は戦死。
秀吉の天下統一戦略も大いに狂った事だろう。
結局、勝家が頭脳だけでなく度胸でも秀吉に負けたって事なんだろうな。