23日の「慰霊の日」を前に、広島の原爆で閃光(せんこう)を浴びて傷つき、修復された「被爆ピアノ」が2日、同じ73年前に「集団自決(強制集団死)」などで85人が犠牲になった沖縄県読谷村波平のチビチリガマ前で、初めて演奏された。
生存者や遺族を含む村内外約200人が戦火の記憶を刻んだ音色に聴き入り、ガマに眠る犠牲者の冥福を祈った。崖下にある会場に入りきれず、崖の上から耳を傾ける人もいた。
ピアノは1938年に作られたもので、ほぼ被爆当時のまま。被爆2世で広島市の調律師、矢川光則さん(66)の協力で実現した。
主催者で、母方の祖父母ら5人を亡くした遺族会の與那覇徳雄会長(63)は「ここは間違った戦争で家族や親族同士、自らで命を絶った犠牲者の遺骨が眠る墓だ。戦争で傷ついた被爆ピアノの音とつなぐことで、より平和を語り継ぐ機会にしたい」と願いを込めた。
村内の奏者が奏でるピアノに、読谷小と古堅小の児童が歌声を乗せた。
読谷小6年の城間紀尚(のりひさ)君は、ガマでの合唱を通し「県内外の人に、戦争は絶対いけないと知らせたい」と思ったという。
祖父らにも「戦争でどんなことがあったのか、聞いてみたい」と語った。
45年4月1日に読谷を含む本島西海岸に上陸した米軍は同2日、チビチリガマ周辺に侵攻。
ガマに避難していた住民約140人のうち21世帯83人が「集団自決」に追い込まれ、米兵による射殺で2人が亡くなった。
「集団自決」の犠牲者の約6割が18歳以下だった。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/261554
http://www.okinawatimes.co.jp/mwimgs/2/f/-/img_2ff672f755dc6e5a539ff499b92f62b0103961.jpg