長谷川利行展 放浪の画家の奔放に生きた美の証し
https://www.sankei.com/smp/life/news/180527/lif1805270013-s1.html
素早く勢いのあるタッチと激しく強烈な色彩は見る者を圧倒する。
アカデミックな教育を受けることなく純度の高い絵画を生み出した画家、長谷川利行。
鬼才の画業を振り返る展覧会「長谷川利行展 七色の東京」が、東京の府中市美術館で開かれ、代表作など140点が公開されている。
大正末から昭和初期の東京を放浪し、街やそこに生きる人たちを活写した。変電所や機関車の車庫、遊園地やカフェ、人物や花など、彼が目にしたあらゆるものが題材となった。
特に酒場はお気に入りだった。「酒売場」は、しばしば顔を出した浅草の酒場の店内を描写した。飲食する人の姿を荒々しいタッチで描き留めた。まるで絵の中からざわめきが聞こえてくるかのようだ。
定住することなく友人宅や簡易宿泊所などを転々とした。酒場に入り浸り、たばこやマッチの空き箱の裏に簡単な絵を描き客に売りつけ酒代にした。
ときには無銭飲食で酔っ払い、警察のお世話になったこともあった。生活は破綻し切羽詰まった生活の中で紡ぎ出していた。
京都に生まれた長谷川は文学に傾倒して青春時代を過ごし、自費出版するほど短歌にものめり込んだ。
30歳のころに上京し作画を開始した。美術学校で学んだこともなく、ほぼ独学だった。大正15年、二科展に初入選。
翌年には「酒売場」などを出品し、新人賞とされる樗牛(ちょぎゅう)賞を受賞し、画家としての才能を開花させた。以後、昭和12年まで出品し入選を重ねた。実力は高く評価されたにもかかわらず、型破りの言動のせいで会員に推されることはなかった。
同時期に二科展に出品していた画家の熊谷守一(1880〜1977年)は長谷川についてこんな文章を寄せている。
「酒が入らないとまともに人の顔が見られず、何時までもうつむいているような内気な男であった。(中略)人間としても画家としてもまことに個性的な存在である」(「長谷川利行展」図録から、昭和51年、日本橋三越)
今回の展覧会では近年、再発見された油彩画が公開されている
。東京の隅田公園内に作られたプールで水遊びを楽しむ人たちを生き生きと描いた「水泳場」は、昭和7年の二科展に出品されて以後、行方不明だったが、10年前に都内のギャラリーで公開された。幅1メートルを超える大作だが、画家仲間のアトリエで30分で描いたという逸話も残っている。
また喫茶店内を描いた「カフェ・パウリスタ」は、平成21年、長谷川が下宿していた東京・谷中の家から見つかり、東京国立近代美術館に収蔵された。ともにピーク時の代表作だ。
長谷川はこんな歌を残した。
<人知れずくちも果つべき身一つの今かいとほし涙拭はず>
https://www.sankei.com/images/news/180527/lif1805270013-p1.jpg