他人を愛するのは衝動だ、理屈は要らない
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福祉関係の職についている者です。昔から、人間関係をきちんと築けないという悩みがあります。そして、現在は30代半ばですが、
この年齢になっても恋人ができない自分の状況に、猛烈なむなしさと、生きていることが無駄ではないか、という思いにさいなまれています。
私は幼稚園の頃から、他の子どもの輪に入れず、一人で絵を描いて過ごしていました。わがままで、自宅では思い通りにならないと
かんしゃくを起こす一方、外では常に人目が気になりました。
学生時代から「場」に合った表情や発言ができず、仕事の能力も低いので、周りからは「どうでもいい人」と軽んじられているように思えます。
ただ、こんな私でも、年齢を重ねるごとに、少しずつ人と共に過ごす時間や友人、家族のありがたみを感じるようになってきました。ただ、
そうすると、恋人ができないことがとても寂しく思えるのです。
自分が他人を思いやらなければ、誰からも愛されないのだろう、ということは分かります。しかし、心から人を慈しみ、愛せる方法が、
私には分からないのです。何かいい方法があればお教えいただきたいと思っているのです。どうしたらいいですか? それとも、
「これは自分の性質だから」と、ある程度割り切って生きてゆくしかないのでしょうか。
https://www.asahi.com/articles/ASL4S5RM6L4SUCVL01G.html >>1
チョソ犯罪者集団に便所盗撮サイト乱立依頼して飛ばされた某荒木先生(笑)はやっぱ、在チョソ達からゆすられてんのか?
ガチで便所盗撮サイト乱立してるシナチ●ン犯罪者のスレタテ >>1
確かに
合コンとかで、趣味が合うとか話が合うとか
自分に都合のいい理由付けで交際するより
こいつだ!っていうのが燃えるよなあ 俺が「そろそろ行こうぜ」って言っても、みんな 「うんそうだねー」って感じで 全然動き出さないけど、他の誰かが「行くか」って言うと動き出す
俺がいなくても何事も無いかのように進むけど、他の誰かが欠けてると そいつに連絡取ったり待ったりする
俺以外の奴が財布を取りに行ったり便所行ったりするとみんなそれを待つけど、 俺が靴ひも結んでたりしてても完全無視でみんな先に行く
どの食堂に行くかという話で俺の案は採用されない
食べ始めるのはみんなが席につくまで待つのが基本だけど、俺が最後のときはみんな既に食べ始めている
食後、普通は食器を全員が片付けるのを待ってから食堂を出るのだが、 俺が最後のときはみんな先に帰り始めている
横に並んで歩いている時、俺の両隣りが徐々に迫ってきて遂には俺は後ろへ追いやられて、みんなの後ろをトボトボ歩く羽目になる
誰かが購買に寄るとみんなついていくが、俺が行くときは誰もついてこない
これらの行為は作為的なものではなく、無意識なものだと思う
みんなが特に俺への接し方に差をつけてるのではなく、ただ俺の存在や影響力が薄すぎるだけなのだろう
たぶん、俺だけこんな空気な扱いになってることにも気付いてない気がする
みんなのことは憎くないけど、自分の不甲斐無さが憎い
こういうことが続くと、一人が楽だなーって思う >>7
多分、合わせるだけで他人と一線を引く人だな
ぶつかるところはぶつかって
共感できるところは共感しないと でも、年を取れば取るほど本能で好きといえるのにあこがれる
なついてくる動物とか
喜びを素直に表現するからな だからって55歳・実家暮らし・年収300万、みたいな男が10歳以上下を恋愛対象に見て来たりしたら死ねと思うけどね >>7
楽な事をすればいい、楽に出来るようにしたらいい >>13
本当にそう。社会性失った獣は殺していい法律作ろう。山口達也とか即殺やわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています