上杉謙信本人は無欲で良いんだがそれに家臣も巻き込まれると家臣は着いていけないってことだ
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上杉謙信ってウンコしながら脳卒中で気を失ってそのまま死んだんだろ
どう発見されたのか気になるわ 名誉を求める欲望はとてつもなく強かったと思う
本当に無欲なら黒田職隆みたいに早々に引退した上で
後継者のサポートに尽力しただろう
そうなりゃ御館の乱もなかった 小田原ではなく千葉まで遠征しに来て
なす術なく負けて帰った無能武将 野心はあったけど、国内情勢に不安があって
遠征がなかなかできないだけじゃなかったっけ >>14
まじ凄いレベルの戦歴だと思うわ
途中で何人か入れ替わってるんじゃないかと思うレベル 謀反を起こした家臣の領地をとりあげず許す。
また謀反起こされるの無限ループ。 まあ変わり者の上司の美学に付き合わされる普通の連中はストレス半端無いからな
しかも少しでも不満を態度で示すとへそ曲げちゃうしw 当時の人たちから見れば宇宙人よな
こんな奴にはついていけんわ、て反乱が続いて家中がまとまらなかったんやろ ホモセックがあれば何もいらない
ホモだけの国にすれば天下統一できた イナゴのように略奪して回ったやつ何を言ってるんだ? >>26
でも小姓の尻はガンガン突いてたんでしょ? サラディンもそうだな
行軍中に村に行き当たったら略奪が当たり前の時代に逆に金ばらまくから部下は自前で軍資金用意したり
自分は蓄財しないから死んだ時に葬式代がなかった話が残ってる 敵に塩を送るとかいうのが美談になってるけど、実際は金に困ってた上杉が武田の足下見て、相場の何倍もの金額で売っただけらしいね。 >>29
戦国大名で遠征が多い武将はそんなものだよ
今も昔も戦争には金が掛かる。何で稼ぐかってだけの話 >>33
信長の頃の津島ってそんなにすごかったのかね。いまの津島を見てるとちょっと想像できないんだが。 >>29
塩を売ってやらなかったら武田は行軍すらできなかったわけだが。
値を吊り上げられようが、塩を売ってもらえた方が武田は
何倍も有り難く、助かったわけで。 武田、北条のせいで上杉は上洛できなかった
でも反対に武田も上杉、北条のせいで上洛できなかった
まー、こんなん神経使って病気になるわ 略奪や人身売買で儲かるから家臣は大喜びだけどな
関東の土地貰っても守れないし困るだけ 謙信は普通に単独で上洛してる。そして関東は平定します〜で帰国。マジで野望なし。 景勝は姉ちゃんの息子。姉ちゃん、美人だったのかな?? いきなり卒中で死んでしまったというのもあるけど 後継ぎをきちんと決めていなかったのは当主として失格だよな
おかげで北条出身にもかかわらず景虎側につく者が多数現れて上杉家の家臣団が真っ二つに割れてしまった 建前がきっちりしないと動けない人
建前さえあれば中身は問わない >>12
その方が人が増える、人が増えれば競争になる、競争になれば生活水準が上がる
生活水準が上がれば、オチコボレの面倒を見る余裕も少しずつできる。
お前はオチオボレでタダ食いすることしか頭にない乞食。 無欲ってことはないだろ。
農閑期に他国に押し入って奴隷集めてくるようなのが義だの無欲だの言われてもな。
武田に塩を送ったって言われるが、実際は高値で売りつけてただけだし。
天下統一に特に興味なく自分の領地の経営に専念してた戦国一大名。 >>41
そもそも戦国時代だからって全員が天下人になりたがった訳じゃないぞ。 >>32
父親を一向一揆勢に殺されてるからな>落とし穴にひっかかり戦死 上杉謙信
武力100
そこまでは無いにしても猛者には違いない >>5
当時定番の暗殺に便所の下に潜んで目標が来たら槍で刺すって方法があって、謙信はそれで暗殺されたって説もあるな 戦国時代の有名武将がそうなれたのは、その親父が先ず凄かった事を
忘れてはいけないよ 当時の大名はホモるのも一つの嗜みだったから
ガチホモのこいつはガンホモ祭だったんだろ 北条氏政の評価が不当に低いのもコイツのせい
北関東で求心力失墜して連戦連敗の無能謙信が悔し紛れに「氏政は馬鹿だ無能だ」みたいな書状を大量に乱発
後世にそれが伝わり、小田原落城の歴史的事実と併せて「名将謙信もそう言ってるんだからそうなんだろ」って事になってしまった 美男子を送り込んで骨抜きにした北条はマジで凄いと思う 何度も関東に攻め込んで、
冬に入る前に金品持って引き上げる、盗賊みたいな奴。
青苧(あおそざ)生産でかなり儲けていたが、信長が京への流通を止めてジリ貧になった。
結局は、お山の大将。 >>38
その武田、北条を同盟で抑えて上洛しようとした今川
どうしてああなった? >>38
何で雑魚っぽい北陸に進出せずに
手強い北条・武田連合と泥沼の戦争を延々とやり続け、
その武田が弱体化すると西に行ったの? >>60
織田のラッキーパンチ
それでも氏真が即打って出てたら全然違ってたかもな 無欲?w 解ってね〜なあ
過剰なほどに、名誉欲が強過ぎた男だったのに 何で後継者決めてなかったのかが理解できん
周りも後継者を決めるように進言しなかったのだろうか
しかも養子が一人しかいないならまだしも姉の子と北条の子を同じような養子にしとくなんて >>61
武田も上杉も、ホモだったので仲が悪かった。 >>60 今川は敵の数を見誤ったんだ。
信長が3000としきりに吹聴したから1万の本隊で向かってしまった。
実際には6000ぐらいあったから正面決戦に近い。
>>61 北陸って一向宗と朝倉の力が強くてどの大名も手出しできなかったよ。 >>47
室町幕府の復権による天下再統一、秩序回復を理想としてたようだ >>7
私はぼくですって貫き通しててたら好感度上がったんだがなあ >>61
だいたい上杉憲政が管領譲るわってしたのが悪い
本人の性格もあるだろうけど >>61
北条に負けた関東管領上杉氏が泣きついてきて長尾から上杉にクラスチェンジ
関東管領として北条は許せんな〜と関東にちょっかい出す
その頃甲斐武田氏が信濃に侵攻、信濃の勢力が粉砕され泣きついてきたので北信濃進出して武田とガチンコ
その後武田北条と関係改善したのでようやくと越中や出羽に進出
勢力拡大するための戦略とかはほぼなくて、とにかく戦争できれば誰でもいいからと大義名分持って殴り込みに行ってた >>61
征夷大将軍に関東を任されたのでその仕事をしてただけ
謙信にとっては武田と北条は勝手に領地を奪い取る賊徒だから
退治しないといけないという思考
寺社に奉納した願文にも武田の悪行をつらつらと書き綴って
だから退治しないといけないと締めくくってた
他にも農閑期の極貧農民に仕事を与える上で関東遠征が
丁度いい公共事業となった 青苧交易は全体で3〜40万石の収益があったとされる、
石高が39万石ですから、その4割近い莫大な金銭収入があったわけです。金山がなくともこれなら武田や北条と互角に戦えますよね。
さらに蝋や塩の交易でも潤っていましたから、越後上杉家は戦国大名のうちでもかなり裕福な部類に入っていたのでしょう。
https://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/50256937.html
何度も関東に攻め込んで、
冬に入る前に金品持って引き上げる、盗賊みたいな奴。
上杉家は青苧(あおそ)、紙、蝋、塩などの生産・交易でかなり儲けていたので、領地を奪う意欲が薄かった。
しかし、近畿を抑えた織田信長が日本海の流通を止めると、一気にジリ貧になった。
自ら神を名乗ったり、結局は、カルト的な田舎モノ。 >>76
上洛の際に青苧の交易ルートも確保してたそうだな
それが上洛の主な目的とも言われてる
謙信は莫大な遺産を残してたことも戦国物の本に目録付きで載ってたわ 戦国時代って通貨量はふんだんに流通してたの?
上杉が特産物売りに行っても貨幣の価値と量がないと
結局物々交換か米との交換になってそう。 >>80
大内義隆が日明貿易で大量の銅銭を仕入れてた頃は
ふんだんとは言えないまでもそれなりの流通量はあったようだ
大内義隆が謀反で弑逆されてからは明がそのことに激怒して
後を継いだ大内義長には日明貿易を許さなかったから
拡大する経済に対して通貨供給量が追い付かなくなったようだ
それにより鐚銭という私鋳銭などの悪貨が蔓延り撰銭(良銭しか受け取らない)などの問題も発生
撰銭禁令などが出されたが、商人は対抗して商品を引っ込めるなど経済的混乱もあった
信長は鐚銭の価値を質によって良銭の2分の1から10分の1に定め問題を解決
楽市楽座などその他の経済政策も繰り出して経済を活性化させた 越後一国すら充分に統治できていないのに天下への野心なんか持てるわけ無いだろ 武田北条はこんなのとよく戦えたな。金持ちで乱暴者って手に負えないぜ >>61
雑魚な様で、武田と本願寺が暗躍してたから意外と厄介な所だったからな >>79
上杉家は青苧(あおそ)などの豊かな現金収入があったので、
謙信が死んだ後に、織田信長に恭順していれば、勝ち組になれた。
謙信の跡を継いだ景勝が、銀山のあった佐渡も手に入れている。
選択を間違わなければ、戦国最強の富豪になれただろう。
貧乏国だった武田に比べると雲泥の差.。 >>14
千葉でふらっと寄った城跡が
謙信公に攻め落とされたものだと
知って唖然とした思い出
越後からわざわざここまで来たのかって
軍隊を遠征させるのは大変なのにな >>54
へうげもの で加藤清正もそれで殺られてたな >>87
上杉家が上州でそこを継いだからな
館林から関宿て超近い 運は天にあり鎧は胸にあり手柄は足にあり
これかっけぇ 謙信ってすぐ家臣に反旗を掲げられるイメージしかない >>60
桶狭間で大雨が降ったから
あの雨がなければ織田家は滅んでた お客様の笑顔がどうのこうの言って薄給で長時間労働させる経営者 >>48
京都から遠い地方大名には天下なんて関心ない >>57
氏政は秀吉の力を見誤って滅んだからね
あまり才覚のある大名ではない >>61
本願寺と和解したから
上杉を包囲してたのは武田、北条、そして本願寺の一向衆よ >>62
信長の運の良さは異常
斉藤龍興
武田信玄
上杉謙信
ライバルが信長と戦う前に病死してる 謙信公への侮蔑は春日山城ふもとに住んでいる俺が許さんぞ
但し甲斐信濃の連中だけは許す 鉄砲は国産化したものの、火薬の原料となる硝石は国内では採れず、中国からの輸入に頼っていた。
鉄砲玉の鉛も国内生産では間に合わず、輸入に頼ることになる。
戦国時代の鉄砲玉を分析した結果、その大半が東南アジアのメコン川流域産であることが判明。
「堺の豪商たち」の交易が、戦国武将の合戦を支えていたことを如実に物語るものである。
https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/003.html
1568年、信長は将軍:足利義昭を奉じて上洛し、たちまち畿内を制圧。
将軍:足利義昭は、その労に報いるために、副将軍か畿内5カ国を治める管領職に就くように要請。
しかし、信長はこれを断り、海運が盛んな堺、大津、草津に代官を置く許可を貰った。
信長が京を抑えた理由は、貿易港:堺を抑えて
硝石や鉛などの流通ルートを支配し、火器を独占する事だった。
大量の銃を湯水の如く使えるのは、世界中でも信長の軍だけだった。
ぶっちぎりで世界最強だった。
>>38
武田や上杉が京を抑えても天下統一はムリだった。
信長の戦略があったからこそ、上洛は意味があった。 鉛もったいないから、戦終わったら死体から抜いてたんだっけか
そこらの原っぱに落ちたぶんとか、木にめり込んだのも可能なら回収してたんだってな >>97
龍興は病死してない戦死
義龍の間違いだろ >>102 鉄砲なんて戦力が拮抗してないと役に立たない。
信玄が生きてたら信長包囲網で壊滅してたよ。
最後まで甲斐に足止めした北条氏康の功績だな。 >>60
太原雪斎が生きてたらまず負けなかったろう。わからないものだ。 >>42
ラインハルトみたいなシスコンだったみたい >>91
戦に勝っても賞状一枚くれるだけで
領土を貰えず収入も一向に増えないので
家臣団がヒステリー起こして反乱するんで
長尾景虎も大名はもう嫌と言わんばかりに
大名自身が出奔するという前代未聞の事をやったんで
反乱してた家臣団がそれだけは勘弁してくださいと
もう逆らいませんと起請文書いて収めてからは
反乱も少なくなった >>92
騎兵による本陣襲撃だから
織田の軍を過小評価して
歩兵の混成軍でなおかつ
兵力分散してた時点で負け確定 戦上手=ロジスティクス上手だからな
織田や豊臣が他将より一歩抜きん出たのは当然の結果だな >>111
今川は大軍だけど大半は非戦闘要員だし
その戦闘要員も各地に分散してたから本陣はガラ空き
だから戦闘部隊オンリーの織田軍は正面突破の強襲で余裕で勝てた 戦国時代のホモセックスは就活生がリクルートスーツを着るが如し >>111
大軍は分散して叩くべし
孫氏の兵法だな 当時はほとんどの国が貧乏だったからな 自分だけ裕福にとはいかんだろ 安倍総理みたいにさ 桶狭間の戦いは信長にとって博打だった
あの戦い以降、2度と信長は奇襲作戦はしてない
今川の大軍の分散
大雨
これが勝因かな 同じ釜の飯を食った奴らは団結力が違う
三河武士が強かったのもそれ うーん、団結力ねぇ
武田の末路は悲惨だったな
次々に武田の家臣達は勝頼を裏切った
最後は十数人で山に籠もって自害した勝頼ちゃん 古い考えだな、謙信は何してかというと人狩り
敵地に攻めいって、人をさらって来て、それを奴隷商人達に売って
お金もうけてたんだよ、だから無欲でも何でもない
でもこれは謙信に限ったことじゃなくて、信玄もやってたし誰でもやってたこと
数少ない例外が信長
信長は人狩りせずに、皆殺しにするので、なんてもったいないことするんだ
と思われていた。 上杉謙信の戦績は43勝2敗25引き分け、勝率は95.6%。勝率だけは、圧倒的な1位。
https://www.joetsutj.com/articles/52020508
上杉家は青苧(あおそ)、紙、蝋、塩などの日本海貿易でかなり裕福だったので、領地を奪う意欲が薄かった。
領地を分捕るつもりが無いのだから、「勝てそうな戦い」だけしておけばよかった。
それで 「義に厚い」 とか有り得ない・・・むしろ趣味で戦争をやっていたフシがある。
実際、離反が非常に多い。 >>119
本当に団結してたのは徳川家康くらいかもな、狸じじいとか
ひどい言われようだけど、徳川は謀反とか食らってないだろ 団結して頭いいやつハブるよ
利口なだけで居場所なくなるから出奔に追い込まれる
家康も駿河で教育受けてたインテリだからね、利口なとこ見せるけどそれすると三河武士に睨まれるから
たまーーーに脳筋猪武者なところ見せないとあかん。そしてくそもらした >>126
そういう俗説があったのを作家が大胆に取り上げたら広まった
上杉に女の指導者がおる的なことがうわさされてたようだ
多分、謙信の姉の仙桃院のことでねーかなー。謙信、ねーちゃんの言うことよく聞いてたらしいし 上杉謙信は100回を超える戦を経験し、勝率は6割程度だが、4割近くは引き分け。
最も高い勝率を誇る毛利元就は、勝率は8割を優に超え、引き分けの数は謙信の1/3にも満たない。
http://ageofsengoku.net/pc/uesugi/201606101641.html
上杉家は青苧(あおそ)、紙、蝋、塩などの日本海貿易でかなり裕福だったので、領地を奪う意欲が薄かった。
領地を奪うつもりが無いのだから、「勝てそうな戦い」だけした。
自ら神を名乗り前線にでて、勝てそうな野戦だけやって、状況が不利だったり、冬が近くなったり、敵が籠城すると撤退する。
「趣味で不要な参戦をしていた」ので、「大義名分」をやたらと掲げた。
それで 「義に厚い」 とか有り得ない・・・実際、家臣の離反が非常に多い。 上杉謙信は元々上杉家に仕えていた長尾家
上杉謙信の父親の長尾為景が主君の上杉家を傀儡化させ、更には室町幕府にも手を回して上杉家と対等になる長尾家を作らせた
だが長尾為景の側室の子どもの長尾景虎が関東から北条に追い出された上杉憲政に上杉家当主を譲ると言われ即断して長尾から上杉に乗り換えて上杉謙信になった
ちなみに長尾為景の正室の孫が上杉景勝 >>98
昭和44年に放送された「天と地と」で上杉謙信が主役として取り上げられた >>130
この神奈川県民は嘘ついて謙信辱めてるね
謙信の関東遠征はむしろ冬季が圧倒的に多いわけだが
敵が籠城すると撤退するとか謙信の合戦の大半は攻城戦なわけだが >>133
謙信の関東遠征は農閑期の極貧農民に仕事を与えるためのものでもあるしな
だから冬季が圧倒的に多い。今で言う公共事業
極貧農兵の為に乱取り(人狩りも含む)苅田を認め、陣に人身売買市も設置していた
極貧農民は青苧生産に関われない山間部の小作農民などが多かったようだ
あまりの貧しさの為、毎年収穫前の数か月は飢え死にぎりぎりで飢えに耐えていたという
そんな極貧農兵が謙信軍の主力
逃げ帰れば飢えに苦しむ生活だから逃げる気など毛頭ないだろう
軍にとどまって戦えば米食い放題の乱取り苅田し放題だから士気はほぼ100%だったろう
これが謙信軍の強さの理由の一つ >>123
どんどん勢力が大きくなっていくわけだから
分配も継続的にされて、裏切る必要があまり無いよね >>13
ちなみにこいつ早々と何回も引退しようとしてるぞ >>134
まあ美談というより謙信の人柄だろ
金釣り上げは相場らしいしやすくはうってないだけ
普通に敵に塩を送るってことわざ通りだよ >>136
これも嘘つき
関東口減らし説は最新の専門書で否定された
陣に人身売買施設を設置なんて大嘘
謙信は人身売買を求めた商人に許可を出しただけ
しかも一回だけ許可を出した記録しか残ってないのに毎回やってるかのような印象操作をして誇張してる >最も高い勝率を誇る毛利元就
戦国BASARAだと日輪とかいう光学兵器使っていて吹いた
一方謙信は案の定性別不明なチートキャラ扱いだった >>87
千葉の城は謙信や道灌が攻めてきても
割と踏ん張る印象があるな
籠城に耐えていれば、佐倉の千葉宗家や北条・里見の援軍が期待出来るからか
上州は謙信・信玄が攻めてくるたび寝返って、北条が来たらまた寝返る印象が強い
忍の成田が有名だけど、あれは特殊だし >>140
その最新の専門書の書名と著者を教えてくれないか 結局何だかんだして明治には華族に列したんだから上手く世渡りした一族って印象 神を名乗った上杉謙信も、
宗教指導者を名乗った武田信玄も、フツーに人身売買をしていた。
上杉謙信は攻め落とした城の城下を、一時的に「人身売買の市場」として、生け捕った女、子供を二束三文で売買を許可した記録が残っている。
しかし、豊臣秀吉は生け捕った民たちを住んでいた場所に返し、人身売買を行うことを禁止した。
これはかなり例外的で、戦国では異例。 >>141
約300年後魅力極振りのボンクラ殿様で
大阪夏の陣の倍兵力差で勝つ毛利家臣団
それにチート謀略家が頭になれば
そりゃ強かろ 上越の人達の上杉謙信の扱いは酷いよね。
上杉家の転封がかあったにしても。
春日山城跡の謙信像なんて駐車場横だぜ。
仙台城跡が伊達政宗像で観光地として成り立ってるのとはえらい違い。 >>143
高志書院出版の福原圭一、前嶋敏が編者 上杉謙信 >>1
本当に無欲だったん?
ただのイメージじゃね >>120
誰でもやってたことなら、改めて言うことでもないんじゃね
無欲な大名でも常識としてやってたってことだろ 詳しい人に教えて欲しいんだけど、
信玄に塩を送ったのは史実なの?
信頼できる一次資料に載ってるの? >>153
それは嘘
信玄が遺言で
「謙信は義の者だから上杉と結べ
って言うぐらいは仁義の人
だったみたいだけど >>154
そうなんや
ありがとう
やっぱり有名な話ってだいたい嘘なんやな >>153
実際のところ
塩留めをしなかっただけで
積極的に贈った訳ではない
太平洋側の塩が来なければ、日本海側の塩が高く売れて儲かる 送ったろうが売ったろうがどうでもいいじゃん
当時の感覚なら領国=自国だからな
武田に塩を送るってのは現代でいう中国へのODA&技術移転くらいの美談 >>146
単なる謙信を辱めようとしてるだけの人
この人の話をまともに聞く必要なし
女、子供をなんて記述は一切ないのにまるで女、子供だけを売ったかのような印象操作してるね悪質 >>154
本当に義の人なら
武田なんて畜生山賊許せないと思うんだがなあ >>161
あの時代の義の人なんて
不可侵条約を結んだらきちんと守ってくれる人
ていどやろ
信玄本人は平然と踏みにじって謀殺とか侵略してたからこれと比較したらだいたいみんな義の人 >>157
確かに敵に塩を送るであったけど、周りからしたらヤバイやつだよな
みんな結束して塩売らんかったのに戦わんやつは卑怯やみたいな考えか知らんけど1人だけ相場で塩を売るなんて
つりあげるとかするならわかるけど
義の人か知らんけど、まともかヤバイ奴かは見当がつかない人だよね そもそも塩商人は流通を作った元祖みたいなもんだからな
海岸で塩作って内地に売りに行く、売れるトコならどこまでも手を伸ばす
大名が塩止めしたところで、そんなもん他地の塩商人が利するだけだから
謙信の塩を送るなんて信じてるのはピュアピュアちゃんかノータリンだけだろ 謙信は僧侶
仏や神に仕える身
周りから懇願されて仕方なく武将をしていた
信玄は武将だが僧侶の資格も持っていただけ そもそもあの時代の僧侶なんて
殺して奪ってショバ代とって酒飲んで肉食って女犯して
戦争して奪って気に入ら無い奴仏敵にして殺してとか
そんなのだし 上杉謙信は100回を超える戦を経験し、勝率は6割程度だが、4割近くは引き分け。
最も高い勝率を誇る毛利元就は、勝率は8割を優に超え、引き分けの数は謙信の1/3にも満たない。
http://ageofsengoku.net/pc/uesugi/201606101641.html
上杉家は青苧(あおそ)、紙、蝋、塩などの日本海貿易でかなり裕福だったので、領地を奪う意欲が薄かった。
領地を奪うつもりが無いのだから、「勝てそうな戦い」だけした。
自ら神を名乗り前線にでて、勝てそうな野戦だけやって、状況が不利だったり、春が近くなったり、敵が籠城すると撤退する。
「趣味で不要な参戦をしていた」ので、「大義名分」をやたらと掲げた。
それで 「義に厚い」 とか有り得ない・・・実際、家臣の離反が非常に多いし、人もさらって売っていた。 >>169
昨日からずっと謙信の嘘のネガキャンしてるじゃん
頭おかしいね >>54
上杉謙信はカウンターインテリジェンスの達人で、敵のスパイは全て捕まえて殺してきたんだから
その可能性は低そう >>171
だな。川中島の合戦の時も動き出す直前に武田方の物見が十数人いたのに
全員捕殺したそうだしな。これで武田軍は上杉軍の動きがつかめなくなった
手取川の戦いの時も織田方が繰り出す物見、間者をことごとく殺害
織田方は全く状況がまったく分からず、窮した柴田勝家は背水の陣を決行
秀吉は大反対し戦線離脱
孫子の兵法の「知りがたきこと影のごとし」の実践だった
武田の孫子の旗の「風林火山」の続きが「知り難きこと影の如し」
謙信は何が最も重要かよくわかっていたということかな 川中島で新潟と山梨の機動隊で旗取りでもしてくれないかな 今時、手取川合戦信じてる情弱がいるのかよw
あんなもん謙信が手紙で吹いて盛っただけのもんだ
本当にあんな大敗したら織田軍の編成は変わらなきゃおかしいし、将校クラスも複数戦死してるハズ
実際は物見の小競り合い程度があっただけ >>177
現在はあんな規模合戦など無かったってのが定説だ
少しは本読めよ情弱 >>178
規模の谷口克広、神田千里、平山優なんかは普通に大敗扱いしてるけど
で、あんな規模の合戦がなかったことを通説扱いしてる本は誰の何て著書なんだい? >>180
おいおい、谷口克弘は大敗など無かったと書いてるぞ
ホントに読んでんのか?
そもそも謙信の手紙以外には記述の無い合戦で、討ち死にした高級将校もいない、
その後の織田軍の再編成も無い、で、大敗があったと考えてるヤツの根拠は何だよ? >>181
織田信長家臣人名辞典の第2版の柴田勝家の項目で普通に大敗と書いてるが >>182
それ30年以上前の本やぞ
最近書かれた本を読めよ
で、大敗があった根拠は何だよ? 関東に攻め入って、結局押し戻されているのに、戦では無敗とか宣伝してるのは詐欺だよな
自分から逃げるのは、不戦敗だろう
あと、もっと酷いのは吉川元春
秀吉に城を落とされるのを見捨てて引き篭もり、ついには臣従しているのに、無敗とか
戦国武将の戦績は数字と実態が合わないインチキが多すぎる >>183
加筆修正された第2版が出版されたのは2010年なんだけど >>187
全文書き直すワケないだろw
話題のトピック追加して新版っぽく売るための常套手段だな
そんな事も知らんのか?
で、大敗があった根拠は何だよ?
それ以上のネタも知識が無えなら最新の本読んで出直してこい情弱 ってかこの分だと車懸りの陣とか謙信が一番信仰してたのは毘沙門天とか信じてそうだなw 著者が初版以来の十数年間の研究の蓄積を反映させ改定して新たに出版したのが第2版なんだけど >>190
じゃあ1版と2版を読み比べてみろよ情弱
俺が言ってる意味が解るから
で、大敗があった根拠は何だよ?
いい加減答えろよカス 手取川で討ち取られた鯰江貞利が新たに掲載されたり最新の研究の蓄積を反映させたものをそのまま載せてるんだから谷口氏は大敗って言ってるよね
手取川大敗の出典は歴代古案謙信書状と書いてあるね
そんでそっちのあれほどの規模の合戦は無かったことを通説としてる著書何なの? まあそこまで大規模な合戦あったんなら
戦場跡発掘すればなんか出てきそうだけどな 規模は諸説あるね
通説は織田軍が追撃を受けて敗走したというものだけど >>192
だから謙信の手紙にしか存在しないのが手取川合戦なんだとずっと書いてるだろアホか
それだけの大敗があるなら大勢の高級将校が討ち死にして、その後に織田軍の再編成があるのが当然だが、それすら無い
ちなみに鯰江は高級将校でもないからな、旧六角家臣団の一人
つーか、鯰江しか名のある兵士が死んでない事からも小競り合い程度だった証拠になるんだが
で、大敗があった根拠は何だよ?
謙信の手紙以外にあんのか? 谷口氏及び他の研究者は謙信書状を根拠にして大敗としてるんだけど
謙信の手紙一枚だから根拠にならないなら天王寺で信長が寡兵で大勝したことも信長公記にしか記述がないから根拠にならないね
そんで合戦が無かったことを通説としてる著書は何なのか早く教えてくれないか >>196
ホント、全然読んでないのな
谷口の最新の本読めよ、前に書いただろ
お前の言う通りで、大名の手紙一枚じゃ根拠にならないんだよ
奴らは功績をデカくみせるために吹きまくるからな
だから複数の史料に当たって、敵味方の記述、補給や編成の記録も読んで規模や兵数を推定するんだわ
歴史学の基礎も知らんのな情弱君はw
で、大敗があった根拠は何だよ?
謙信の手紙以外にあんのか? 織田信長合戦全録より織田信長家臣人名辞典第2版のほうが後に出版されてるから最新は家臣人名辞典
研究者たちが謙信書状だけで大敗としてると言ってるでしょ
あんたが個人的に思ってることと研究者は違うというだけの話
まだ合戦が無かったことを通説にしてる著書を紹介できないの? だから谷口の最新の本読めよ何度も書いてるだろ
お前の中では谷口の著書は「織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館、1995年)」が最新なのかよw
で、大敗があった根拠は何だよ?
謙信の手紙以外にあんのか? >>研究者たちが謙信書状だけで大敗としてると言ってるでしょ
昭和はともかく、今はそんなアホいないわ
だから最新の本読めよ情弱
理解してないようなので何度も書くが、手紙一枚じゃ根拠にならない
ウソが書いてある可能性があるからな
だから複数の史料に当たって、敵味方の記述、補給や編成の記録も読む
その複数のデータから推定していくのが歴史学だっつーの 手取川関連の記述も新たに増えて修正され初版とは内容が変わって新しく出したのが2010年だと言ったでしょ
合戦が無かったことを通説としてる著書は答えられないのね そんなアホいないも何もさっき紹介した研究者は織田軍大敗としてるじゃん うわ手取川合戦信じてる人が未だに居るんだな
根拠が謙信書状だけなのに 谷口の著書は織田信長家臣人名辞典しか無いと思ってんのか?
それ以降に何も書いてないと?
最新の本読めって書いてあるのに理解出来んの?池沼?
で、大敗があった根拠は何だよ?
謙信の手紙以外にあんのか? じゃあ読むから手取川について言及してる辞典第2版以降に出た谷口氏の著書を教えてもらえるか 情弱のお前は知らんだろうが、定説になってる事柄は複数にその記載があるから信憑性が高いんだよ
お前が書いた天王寺の戦いだって信長公記だけでなく、本願寺や毛利側にもその記述があるから信用度が高い
手紙一枚が確かな根拠になるなんて言ってるのはお前だけ
歴史学者は手紙一枚が確かな根拠になるなんて誰も言わん 谷口の本くらい何十冊もあるわけでなし、数冊なんだからそれくらい読め
つーかさっきから織田信長家臣人名辞典ばかり取り上げてるが、それしか読んだ事ないのか? あんたの個人的感想は分かったから谷口氏が手取川について言及してる最新著書って何? 人名辞典しか読んでないのにここまで言い張るのはスゴイ
手取川合戦はそんなにアホを惹きつけるものがあるのか… https://www.cmoa.jp/title/1101141477/
バカでも読めるように電子書籍で見つけてきてやったぞ感謝しろカス
つーか谷口の最新の本なんか直ぐに解るんだから、その数冊を買って読めばいいだけなのに
金と手間を惜しむから手取り川合戦信じるようなアホになるんだなw 人名辞典くんは谷口ファンなら「信長の政略」「信長と将軍義昭」「『織田信長の外交」くらい買って読めよ
最新の本なんて数冊しかないと言ってんのに、調べようとすらしないしな
アホはいつまでもアホのままなワケだ >>212
これ過去の歴史群像に載ってたものをそのまま抜粋して販売したもの
2010より前に出た物のようだね
その著書のどれが手取川について言及してるの? >>214
まずは教えて貰った礼を言えよ
ってかどれが、ってこれじゃん
そのものを教えてやってんのに何言ってんだ? 紹介してくれてありがとう
だがこの内容は2010以前に出た歴史群像上杉謙信の谷口氏の執筆した部分をそのまま切り売りしただけのものだから
だから辞典より以前の内容
以降に出された著書で手取川に言及してる著書はどれ? で、こっちはお前の要望は叶えた
今度はお前の番
で、大敗があった根拠は何だよ?
謙信の手紙以外にあんのか? 叶えてないじゃん
2010以降に執筆した谷口氏の著書で手取川に言及したものを答えてない これの発行は2014年10月で2010年以降
で、買って読んだのか?
こっちはお前の要望は叶えた
今度はお前の番
で、大敗があった根拠は何だよ?
謙信の手紙以外にあんのか? ってか通常書籍でも上にももう書いただろ
「信長の政略」「信長と将軍義昭」「『織田信長の外交」くらい買って読めよ
こっちはお前の要望は叶えた
今度はお前の番
で、大敗があった根拠は何だよ?
謙信の手紙以外にあんのか? てかその電子書籍持ってるから
この内容は2010年以前に執筆した歴史群像の内容を当時の表現、表示で電子化したものですと書いてあるからね だからその3つの中のどれに手取川について言及してんのかと聞いてんだけど 根拠なんて持ってるわけないじゃん
本すら読まない人にデータがあるわけないでしょw >>てかその電子書籍持ってるから
それならそれを読めば手取川が小競り合い程度で大敗なんてなかった事が解るじゃん
なんで読まないの?持ってんだろ?
>>だからその3つの中のどれに手取川について言及してんのかと聞いてんだけど
3冊くらい買って読めよ
たった3冊じゃん で、お前はなんでさっきから全然、答えないの?
それとも答えられないの?
こっちばっか答えてんじゃん
お前もたまには答えろ
で、大敗があった根拠は何だよ?
謙信の手紙以外にあんのか? 電子書籍は2010年以前の執筆内容だと言ってるでしょうが
2010年以降執筆で手取川について言及してる著書読んだんだよね?
ならそれを言えばいいだけでしょ
なんで答えられないの 結局、電子書籍持ってるのもウソなんだな
持ってりゃ読んでるハズだから手取り川のウソが解ってるハズだもんな
で結局、手紙以外根拠も無いんだろ?
自分が答えられないヤツって相手を質問攻めにするしかないもんなw
ホントに恥ずかしいヤツだよお前は
悔しかったら上記の本読んですこしは賢くなって来い はい?持ってますが?読んでないのはあなたでしょ
2010年以降執筆だと思って紹介してんだからね
辞典発売より以前の内容だからね
手取川は複数の研究者が大敗としてるからそれも根拠の1つだね
早くどれに書いてあるか教えてよ
読んでないんでしょ?全く言及できないもんね >>232
買って読むから教えてと言ってもいっこう言わないのはあんただろうがw ハイハイ何度も言うが持ってりゃ読んでるハズだから手取り川のウソが解ってるハズだもんな
で、結局毎回、複数の研究者(誰だよ?)だけが根拠かよw
ホントは読んでないのが丸わかりだよ
悔しかったら上記の本読んですこしは賢くなって来い
もうタイトルも何度も書いてあるんだから後は買って読むだけだぞ だから辞典発売以前の内容だと何回説明すれば理解できるのよw
最新の著書で手取川について書いてあるものをいいから早く教えてよ で、結局、謙信の手紙以外の根拠は無い、でおk?
それ以外の根拠上げてる研究者がもし居たら言ってみな >>236
ホントにレスすら読んでないんのな
>>213>>222
で2010以降の本を教えてやっただろ
何回同じ事書かせるんだ?あ?
で、結局、謙信の手紙以外の根拠は無い、でおk?
それ以外の根拠上げてる研究者がもし居たら言ってみな ってかムリに決まってるよなw
>>212をホントに読んでるなら、手取川の欺瞞について解ってるハズだもんな 谷口克広、矢田敏文、神田千里、石渡洋平、乃至政彦、佐伯哲也
この人たちは普通に織田軍が敗北としてるよね
はいじゃあ今度は手取川について書かれてる谷口氏の最新の著書教えて だからその中のどれに書いてあるのかと聞いてるでしょうが 横入だが手取川の戦いが最新の研究では小競り合い程度が定説とすると
手取川の歌「上杉に逢うては織田も手取川 はねる謙信逃げるとぶ長」って
いつ頃作られた落首なんだろうな じゃあまず「織田信長の外交」買って読め
で、結局、謙信の手紙以外の「根拠」は無い、でおk?
それ以外の「根拠」上げてる研究者がもし居たら言ってみな その研究者たちは謙信書状を根拠にして織田軍敗北としてるんだよ
文句あるなら研究者に言ってくれば?
こっちが答えたから今度は谷口氏の最新著書で手取川について書かれてるものをはっきりと明記して 織田信長の外交に手取川が無かったと書いてあるのね? 結局、手紙以外根拠ナシなんだな
それを言えば早かったのに何をそんなに粘ったのかw
だから、織田側に大被害を受けた痕跡がなく、その後も普通に軍を展開している事から、
手取川が小競り合い程度と言われてるし、一説では上杉軍ですらなく、
一向一揆軍と織田軍の衝突では、と言われてるくらいだからな
本については>>246で書いただろ
で、聞きたいんだが、ホントに>>212を読んでるなら、なんでそんなに手取川の知識が無いんだ?
ホントに読んだのか? 文句は研究者に言えと言ったでしょうがw
織田信長の外交に手取川は無かったと書いてあるのか、いないのかどっちなん? まあ謙信の手紙しか根拠が無いってのは有名だからね
未だに昭和脳は信じてるみたいだが、そんなのを信じる方も悪いので文句は研究者に言えと言われてもねw
つーか何度も書いてるが織田側の記録に大敗したって痕跡は無いんだよ
手取川は無かったと書いてあるのではなく、手取川合戦自体が無かったって事やな 俺に言っても意味ないでしょ
素人の感想を先生方に直訴してくりゃいいじゃないw
織田信長の外交にそう書いてあるんだね? つーか普通に史料を見れば、その後の織田の展開を見れば大敗したなんて有り得ないって解るのにな
だから、七尾城を囲まれてルートを遮断され、越後本土まで脅かされて次代の景勝がアップアップになるんだから
謙信が織田軍を蹴散らしてたら、こんな具合には行かない 無欲?
酒飲みでホモで男の取り合いで戦争までしてたたのに? 上杉家は関ケ原で30万石に減らされ、更に末期養子の禁に触れ、保科正之の尽力で取り潰しは免れたが、
ペナルティで半分の15万石になってしまった
この時に養子になったのが吉良上野介の息子、綱紀で、母親が上杉家の出身
で、この時に落ちた威信を回復するために、不識庵謙信の神格化を強めた
天下人の信長を破った軍神って箔を付けたいために手取川合戦を広めたんじゃないかと
武田旧家臣団が三方ヶ原を宣伝して信玄を神格化したのも似たようなもんだな
そういや三方ヶ原にもウソが多いな 歴史知らないと理解できないから心証に見えるって事だな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています