NYTは「1919年春に韓国の独立運動が起きた時、16歳の少女柳寛順は民族の自由を渇望する象徴になった」と伝えた。
続けて柳寛順が梨花(イファ)学堂でデモに参加して「万歳」を叫び、崔南善(チェ・ナムソン)と民族代表33人によって作成された独立宣言文を故郷の忠清南道天安(チュンチョンナムド・チョナン)に運び入れ、万歳運動を導いたと紹介した。

また、柳寛順は西大門(ソデムン)刑務所に収監され、拷問されながらも収監者の釈放と韓国の独立を要求する勇気を持っていたと伝えた。NYTは「私の爪がはがれ、私の耳と鼻が切られ、
私の手と足が折れてもその苦痛には打ち勝つことができるが、国を失ったその苦痛にだけは耐えることができない」という発言も紹介した。1920年9月28日に柳寛順烈士が殉国直前に「日本は崩壊するだろう」という言葉を残したという事実も付け加えた。

また、媒体は潘基文(パン・ギムン)元国連事務総長が2015年に梨花女子大学で名誉博士学位を受けた際に柳寛順烈士について言及した事実を紹介した。当時潘基文元総長は「暴力がひとりの人を殺すことはできても、
彼らの記憶と理想を殺すことはできないという点を教えてくれる」とし、「柳寛順烈士は獄中で過酷な拷問を受け、その傷のために命を落とした。
それでも自身の信念を絶対にあきらめず、今日まで烈士の名前は忘れられずにいる」と言った発言を紹介し、潘基文元総長が彼をジャンヌ・ダルクに喩えたと伝えた。

NYTは「『忘れられてはならない』女性たちを世界中から探し、後世からその人生に光を当てる」とし、1週間に1人ずつ紹介している。「もう見て見ぬふりはしない(Overlooked No More)」がこのシリーズのタイトルだ。

2週間前には『ジェーン・エア』の小説家シャーロット・ブロンテ(1816〜1855)の記事が掲載され、その前は悲劇的米国詩人シルビア・プラス(1932〜1963)を載せた。

柳寛順の追慕記事はNYTニュース・デスク・エディターのイニョン・カン(INYOUNGKANG)が書いた。

http://japanese.joins.com/article/121/240121.html?servcode=400&;sectcode=400