官庁街にほど近い東京・日比谷公園の一角。塔時計と茶褐色のタイル張りの外壁をもつ築89年の市政会館はひときわ異彩を放つ。その地下1階に今
年1月25日、「領土・主権展示館」が開館した。屋外に案内の表示もなく、会館正面の入り口を入ると張り紙で地下1階へと促す表示があるのみ。表を歩く人にはその存在すらうかがいしれない。
約100平方メートルのスペースに竹島(島根県隠岐の島町)や尖閣諸島(沖縄県石垣市)に関する資料を展示している。3月の昼下がりに訪ねると、
約30分間の滞在中の訪問者は初老の男性ら5人程度だった。
それでも政府が領土関連の常設展示施設を設けたのは初めてで、画期的なことだった。開館時は当時の江崎鉄磨領土問題担当相も視察した。しかし報
道の扱いは小さく、「韓国が抗議」がメーンのニュースもあった。
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「独島(トクト、竹島の韓国での呼称)は日本の半島侵奪の過程で最初に占領された私たちの土地です。わが国固有の領土です。今、日本がその事実
を否定するのは帝国主義による侵略に対する反省を拒否することにほかなりません」
日本による朝鮮半島統治下の1919年に韓国で起きた「3・1独立運動」の記念式典が行われた3月1日、文在寅大統領は演説でこう熱弁をふるった。しかし、竹島を奪ったのは戦後の韓国だった。
竹島は明治38年に「日本」となった。軍事力を背景に強奪したわけではない。漁師が拠点としていた島を島根県が編入し、各国の異論もなかった。竹島に限らず、明治政府は国際慣習を重視し、少しずつ離島を日本としてきた。今年返還50年を迎えた小笠原諸島(東京都)もそうだった。
東海大の山田吉彦教授は3月に6日間、小笠原諸島を訪れた。どこか牧歌的で温厚な住民たち。欧米から帰化した人々の子孫もいるためか、自分のことを「ミー」、相手を「ユー」と表現する文化も残っている。
一方で島には神社などもあり、山田教授は「日本の歴史と伝統を重んじながら歩んできた島の歴史を感じることができた」と語る。
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小笠原諸島は1670年に日本人が発見し、個々の島に命名した。無人島のままだったところ、1820年代に英海軍調査船が探検し、英領にすると宣言。米国のペリーも浦賀来港1カ月前の1853年に訪れ開拓したが、日本人も一時移住した雑居地の帰属はあいまいだった。
http://www.sankei.com/politics/news/180404/plt1804040003-n2.html