「オダノミクス」信長が放った“3本の矢”
黒田日銀総裁の再任が正式に決まった。「異次元の金融緩和」にはさまざまな副作用を指摘する声もあるが、政府・日銀は「2%の物価目標
」の旗印を下ろさず、引き続きデフレ脱却を目指すことになる。
日本経済は過去に何度かデフレに見舞われている。織田信長(1534〜82)が天下統一に乗り出した戦国時代末期も貨幣(通貨)不足
によるデフレのただ中にあった。当時使われていた貨幣は中国(明みん、宋そう)から輸入された永楽通宝などの銅銭だったが、明が輸出
を禁じたことで銅銭の流通量が急減した。モノやサ
ービスより貨幣の価値が上がるデフレ下では貨幣は使わず貯ため込む方が得だから、消費が鈍り、不況になりやすい。
天下統一には巨額の軍資金が必要だが、デフレ下で増税すればますます消費が鈍り、デフレスパイラル(悪循環)に陥りかねない。そこ
で信長は、足利義昭を奉じて上洛した1568年(永禄11年)以降、大胆なデフレ脱却策を矢継ぎ早に打ち出した。今の日本経済とは規
模も仕組みも異なるが、オダノミクスと勝手に名づけてアベノミクスと比べてみると、重なる政策が多いことに気づく。
第1の矢は「大胆な金融緩和」。その柱は〈1〉明銭の永楽通宝を「基準通貨」とし、国内で鋳造されたり、割れたり欠けたりした質
が悪い銅銭(悪銭)との交換レートを定める〈2〉金貨、銀貨、銅銭の交換レートを定め、高額な輸入品の取引で金貨と銀貨の使用を認
める〈3〉米を通貨として使用することを禁じる――の3点だ。
「鳴かぬなら…」非情な男のソフトな施策
室町幕府や各地の戦国大名はたびたび撰銭令えりぜにれいを出して悪銭の使用を禁じたが、信長は交換レートを定め、悪銭の使用を
幅広く認めた。これまでとは逆の“不撰銭令”で貨幣の流通量を増やそうとしたわけだ。私的に鋳造された銘(文字)がない「無文銭」
まで使用を認めたのは信長が初めてだ。
信長は交換レートを当時の商取引の実勢レートに基づいて決めた。悪銭の流通が拡大し、商取引の現場で特に質が悪い悪銭「ビタ」
が貨幣の最小単位になると、それも追認している。「ビタ1文」という言葉は今も使うが、配下の兵の宿泊費を「ビタ5文」と定めた軍
令が残っている。「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」のイメージとは異なり、信長は経済政策では「市場との対話」を心がけ、鳴
かせてみたり、鳴くまで待ったりしていたようだ。
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180315-OYT8T50013.html?from=ytop_os1