8時だョ!全員集合 vs. オレたちひょうきん族
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://image.tabi-labo.com/large/jp/149943/4514041565282304.jpg
土曜日の夜8時。
この時間帯は、かつて土8戦争と言われたほどに各テレビ局が最も力を入れた番組を放送してた枠だったんだよね。
ガキの頃、俺のお楽しみはザ・ドリフターズが出演していたTV番組『8時だョ!全員集合』だった。
ザ・ドリフターズとは、コント、ギャグ、コミックソングなどを武器にして、テレビを中心に活躍していた伝説的お笑いグループ。
ドリフの全盛期は、1970年代から1980年代中頃。ビートたけし、タモリ、明石家さんまが、お笑いタレント・ビッグ3と言われるちょっと前の話。
で、俺が土曜日の夜にテレビにかじりついていた頃のドリフのメンツは5人。
三代目リーダーのいかりや長介。「ちょっとだけよ」で人気者だった加藤茶、東村山音頭でブレイクした志村けん。
https://tabi-labo.com/286845/journey-culture-48-hachijidayozeiinsyugo 全員集合の方が面白かったわ。
基本、全員集合を見ていたけど、タケちゃんマンの時間になる時だけチャンネルをひょうきん族に変えたわ 今なら両方録画だけど当時はビデオデッキ持ってるのも少なかったからひょうきん族しか見れなかった マンネリ化してきた全員集合と新鮮味あったひょうきん族ては勝負にならなかった 地元の市民会館に見に行ったわ全員集合。今でも覚えてる。
あとはドバドバ大爆弾も見に行った。 当初ブラックデビルは高田純次だったろ
今のさんまがあるのは高田純次のおかげ お笑いタレント・ビッグ3って呼ばれてたのもう90年代近くじゃなかったっけ
ていうか正月の三人ゴルフぐらいでしか聞かなかったが 「吉原堀ノ内ってなに?」って親に聞いて変な空気になった(-_-) しーたきーりー、舌切り雀
カルーセル麻紀は、下切った リアルは全くわからないけど今見ても笑えるのはドリフ
親のBOX見て笑い転げた >>1
ニュース板でDJ気取りで語りだすこういう奴ってなんなのw 当時のさんまたけしは全然面白くなかった
元気が出るテレビは面白かったけどたけし関係ないんだよな 最初は任天堂のCM見たさに全員集合からひょうきん族を仕方なしに見るようになったが、全員集合みたいな派手さはないけど間だけで笑わせるコントは目からうろこで積極的にひょうきん族を見るようになった
年一でやるさんまの「心はロンリー」も大好きだった TBSとフジ以外は
この時間何やってたんだ?
全然わからん 年齢によるんだろうな
小学生なら全員集合、大学生ならひょうきん族
ひょうきん族は漫才ブームに乗っただけの感はあるけど 全員集合を見てたがひょうきん族見ようとしたら親から怒られてたわ
一番記憶に残ってるのはごっつええ感じ 中二のときにひょうきん族が始まったからな
その頃は漫才ブームでドリフの笑いはもう古いと言われる風潮があった
漫才ブームが終わったらまた再評価されるようになったわけだがね
しかしながら漫才ブームの頃からしばらくは志村けんなんかがお笑い審査員を
やれる雰囲気はなかった >>25
何となくわかる
ひょうきんもブルーレイでしか見たことないけどほぼ主軸っぽいのにたけしが何か浮いてた
たけしだけ何か入っていけてない的な感じで
よしもとになじめない感じが見てられなかった
話違うけどみなさんのおかげですも内輪受けっていうかスタッフ受け?みたいなのが嫌だった
フジの特徴なのかね >>18
たけしはオールナイトニッポンだろうな。
馬場や村田英雄をネタにしてて面白かった記憶がある。 >>8
タケちゃんマンの時間は8時40分か8時20分が多かったよな。
みんなその時間になると、ひょうきん族にチャンネル変えたもんだわ。 8時だよは毎週見てたな 他に見る物がなかったてのもある
NHKとTBS系列しかなかったから田舎で
ひょうきん俗のころにはふじけいも見れるように共同アンテナ発達してなったが
ほとんど見てない
その頃はもう仕事に遊びにであったからな
そもそもたけしとかさんまがすかんw >>12
中洲すすき野まではなんとか察した
ニューヨークが入浴にかけてあるって気がついたのは
つい最近の話 ドリフが好きすぎてひょうきん族は一度も見たことない
翌日のクラスの話題にはついていけなかったが
今も後悔はない >>25
当時は斬新だった
ひょうきん族がなんか最先端で
全員集合が古い感じがした >>33
見てたよ
司会の女子アナが毎回いろいろなところからハガキを出したり
ブラックデビルの歌を歌う山田太郎と美樹克彦だったかな? が水ぶっかけられてずぶ濡れになって
凄い番組ですねえって失笑してたり ドリフはキッチリとしたコントをやっていたからひょうきん族はそれを壊すのをやった
って当時関係者の誰かが言ったな
マンネリと思えるくらいドリフが浸透してたからこそ出来たカウンター 時々やればいいのに、無理にでも継続しなきゃない放送ルールがおかしい 当時は全員集合からひょうきん族の方が斬新だったけど
今見返してオモロイのは全国集合かな 全員集合は今見ても面白い
ひょうきん族は今見ると全然面白くない >>4
同じだな
黒ひげダンスのあたりだけ
少し全員集合に戻る 全員集合をリアルタイムで見ていない友人がドリフ大好き
ひょうきん族ってキリストのおっさんが手でバッテンするやつだっけ?? 今やひょうきんなんて言葉も死語だな
ひょうきん族の話で使われるだけで ドリフのほうが普遍性はあるな
ひょうきん族は文脈がないと何が面白かったのかわからない ひょうきん族なんてパロディとアンチテーゼじゃん
全員集合が無かったら生まれなかった番組 全員集合って停電したまま放送したことあったよね?
あれ原因なんだったんだろ? 内輪で盛り上がってるのが当時は斬新だったひょうきん族 全員集合の晩年はマンネリすぎてつまらなかったからひょうきんに寝返ったけど
今考えてみると自分が成長したから卒業しただけなんだな お笑いエリートである俺たち大分県人は
土曜の夜8時は全員集合を見てたな。
ひょうきん族?
ひょうきん族は土曜の昼3時からだろ!
ちなみに笑っていいともは昼3時50分からだから、
ダッシュで帰れば、コーナーには間に合ったな。
まあ、ビデオがあれば問題なかったんだろうけど・・・(´・ω・`) 土曜の夜といえば
まんが日本昔ばなし、8時だよ全員集合、土曜ワイド劇場 90年代半ばの稲中でドリフギャグが復権するまでは
ひょうきん族ギャグが席捲していた 「今日のご飯は何だ〜い?」
「お婆ちゃんの好きな、おでんですよ 〜♪」
「えぇぇぇーっ!!!」 土曜ワイド劇場で最後に毒カレーを食べて死ぬシーンがもの凄く印象に残ってたけど
調べたら北海道殺人日記・わたしの婚約日記ってタイトルらしい >>64
欽ドン?
つべか何かで見たことあると思うけど萩本欽一の奴でしょ
ドリフとは次元が全く違うくらいにつまらなかったけど
ひょうきん族の方がまだ笑える マンネリズムの美学を知って全員集合を見続けた
そもそもうちの地域はフジをネットしてなかったから、ひょうきん族は週遅れで別の時間帯に見た 子供の頃からいままで欽ちゃんで笑ったこと一切ない
なんであの人芸能界のトップに君臨できたん? 俺は全員集合
兄と姉はひょうきん族
ひょうきん族にタケちゃんマンロボが登場して俺もひょうきん族 懐かしのVTRでしか見たこと無いが若い頃の欽ちゃんは相方の二郎さんに舞台の端から走ってドロップキックで突っ込んでて頭おかしいと思った
オッサンになってからの家族コントは全く面白くなかったが >>68
アホか
欽ちゃんはおもろかったわ!
月曜 欽ドン
火曜 ぴったしカンカン
水曜 欽どこ
木曜
金曜 週刊欽曜日
土曜
日曜 家族対抗歌合戦・遊び座
めちゃめちゃ楽しみやったっちゅーねん 漫才ブームで大阪の芸人が全国放送で出して、何を勘違いしたのか関西の土人が2ちゃんでも方言丸出し
馬鹿丸出し
うざいから死ねよ 単純に優劣はつけられんと思うが、30年以上を経て
負けた全員集合は神格化、勝ったひょうきん族は「そんなのもあったね」という
立ち位置なのが興味深いな。 全員集合は、その辺の市民会館の舞台に車やバイク乗り入れたり大掛かりな
舞台装置組んだりして、それを生放送でやってたってのがね
金ダライ落とすにしたって、下手したら重大事故になりかねんし、もう今じゃ
あんな番組やれないだろうな >>78
今の外人ファンもいるしね、ドリフは
たけしは映画監督という位置づけで実際面白いさんまでも認知度ほとんどない 最後の方は身内ネタっていうか、あみだババァとか子供向けちゃうやろw 親父がドリフ見て、ひょうきん族の最後の懺悔のやつだけ見てたな
意味分かんなかった 今考えるとお互いに30分ずつずらせば両方見れたのにな、 ドリフに時事ネタや楽屋ネタ・内輪ネタがないわけじゃなかったけど
ひょうきん族の方が圧倒的にそういうもんの比率が高くて、同時代に消費されきって
後に何も残らなかった感じだな。
その後のフジのバラエティーに遺伝子が受け継がれはしたが、どんどん衰弱して
いよいよ放送局ごとくたばりかかってる。 懺悔室だの
吉田くんのお父さんだの
アダモちゃんだの
私は誰でしょう?だの
出オチの瞬間風速のインパクトが強烈過ぎて ひょうきんプロレスの、
フルハム三浦とかふるいだち伊知郎とか、
悪のりだけで盛り上がってたな。 確かに今見ても通用するのはドリフなんだろうけど、ねるとん紅鯨団とかひょうきん族みたいなフジの番組はその時大好きだった人には忘れられない思い出になってる気はするがね
ドラマなんかもフジのは本当に当時ははまった
どうしてこうなっちゃったのかな 「オンナにモテる、オンナとヤる」というのを
前面に押し出したのがひょうきん族だったな
日本人の価値観を変えたよ
素晴らしい仕事した横澤プロデューサー
死んでくれてほんとによかったけど
もっと早く死んでほしかった 初期ゆとりだからドリフしか見たことない
一番好きなのはテレ朝でやってたドリフ一家(森光子がお母さん) 大人になって両方みるとやはり一生懸命作り込んだ全員集合の方が断然面白い
ひょうきん族はサタデーナイトライブをやろうとしてたんだっけ あのメンツで さんざん低俗言われたドリフの方が今見返すと楽しいんだよな
ttps://youtu.be/aJeZVQd1_dM
最高にくだらないんだが、やっぱTVはこうでなくちゃと 全員集合はドタバタコメディだから、
後で見ても笑えるが、ひょうきん族は時事ネタを入れてるから、
後で見ると「そんな事もあったな」で全然笑えない。 最初全員集合見て歌や仲本工事のトランポリンの時は
ひょうきん族 ひょうきん族はレギュラー化する前に
単発で2、3回放送したんだけど
正直その時のが一番面白かったと思う ひょうきん族を食い殺してリベンジを果たした加トケンが、これまたあまり評価されんのも面白い。
敵を研究して導入したんだろうが、探偵物語コントのトレンディな雰囲気が今見ると不要成分。 何年か前にひょうきん族の再放送をCSで見てたけど
タケちゃんマンて時事ネタとか入れてて面白かったと思った >>105
俺は見てないけど、うんなんのやるやらの方が子供には向いてた気がする
被ってたっけ? 欽ちゃんの番組もひょうきん族とはベクトルは違うがその時にしか通用しない笑いだな
ただ55号のコントについては今見ても割と見れる ひょうきん族派と言うとおっとなー!と指刺されたりナウいよな!と言われたあの頃 >>109
やるやらが後から始まってカトケンを倒した
ただやるやらはその後すぐに勝手にこけて終わった 全員集合での後半コントで、坂道を登るのが好きだった。
急角度だから途中でズルズルと滑り落ちたりね。 ひょうきんベストテンは鶴ちゃん面白かった記憶がある >>112
やるやらはゲスト死なせたりしたからなあ
コンサート開いたりヒットしたのに
ただどりふもひょうきん族も、今のクイズ合戦3時間みたいなテレビよりはましなんだ… 山形では全員集合やってなかったから、見たことがない 初めてミュージシャンを好きになったのがエンディングのEPOだった
アルバム(レコード)も毎回かったしラジカセでラジオ録音したし
まだ小学生だったのでコンサートに行けなかったのが残念だ ひょうきん族なんて、笑いをこらえた顔のたけしがピコピコハンマーでさんまの頭を叩いてるだけのつまらないもの。 ひょうきん族はOPとEDのセンスが良かった。
特にEDはエポ、ユーミン、山下達郎などのお洒落ポップスだったから
本編がどんなに下品でも爽やかな印象で終われたからね。
エポの「ダウンタウン」は良い曲だったけど妙に寂しくなったなあ。
楽しい時間ももう終わりか〜っていう感じで。 今でもコントをやっている志村けんは、やっぱ凄いわ。
たけしが、『コントを究極の域にまで持っていったのが志村さん』 って言うだけはある。
しかも経歴がすごくて、本当に努力の人。
志村 けん(しむら けん、1950年2月20日 - )は、日本のお笑い界の最重要人物の一人。
旧芸名および台湾、中国、韓国、米国、ドイツでの表記は志村健。ザ・ドリフターズ(以下、ドリフと表記)の一員。
中卒、しかも東村山町という田舎町からお笑い界の頂点へ駆け上がった人生は、ビートたけしと並んで芸能界一の出世頭と言われる。
当時高校生であった1968年の2月に、いかりやの家へ直接押しかけ、雪の降る中を夜中にいかりや本人が帰って来るまで10時間ほど待ち続けた。
付き人時代は貧乏で、食べるにも事欠く生活だった。他のメンバーが楽屋でラーメンを食べている時でも、付き人の志村はラーメンを注文する金も
なかったので、一番安いライスだけを注文し、それを他のメンバーが残したスープに入れて食べていた。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ >>109
被ってた。ひょうきん族を仕留めた加トケンがウンナンに再度やられた。
そのウンナンも出演者事故死で打ち切られて、土曜8時のバラエティ戦争はようやく終結したらしい。
その頃になると、もう俺もテレビあんま見てないからようわからんが。 奇抜な格好のコントって大方つまんないんだよな
タケちゃんマンがその代表例 何かと何かが争ってる時代って楽しい時代だよ
ドリフvsひょうきん族
スーファミvsその他のハード
とかね 全員集合は泥臭い70年代、ひょうきん族は軽薄な80年代、加トケンはさらに軽薄で狂騒的なバブルを象徴してる感じ おたふく風邪にならなければ
高田純次が天下を取ってたかもしれないのになぁ TabiLaboは意識高いつもりなんだろうけど、記事の内容は気取ってるだけで本当に薄っぺらい
この記事は、その上書き味がうざったい >>123
やるやら思ったより短い
1990年10月13日 - 1993年6月26日
もう子供向けは卒業してたんで、こっちみてたは
夢であえたら短いな
ネットが始まる95年ごろまで何してたのか思いだせない
ねるとん
1987年10月3日 - 1994年12月24日
夢であえたら
1988年10月15日 - 1989年3月25日 >>129
いつのまにかおっさん向けになってたルーミーよりましw やるやらのだんだんつまんなくなって日テレのマジカル頭脳パワー見て覚えがあるんだが
それは時間帯が違うような気がして曖昧 うちの小学校はドリフ派とひょうきん派だと、明らかにドリフ派のほうがアホが多く成績も悪かったよ
しかしひょうきん族は今見るとクソつまらんけどな >>133
>マジカル頭脳パワー
あれが今の糞番組乱立の諸悪の根源だろ! ひょうきん族は、アダモちゃんが浪曲を歌ったり、家族が全員上田正樹だったり、パーデンネンが森進一の真
似でアホーと言ってみたり、分かるような分からないようなネタが多かったな 一回だけ生でドリフ見に行ったな。
母親が売り子からアイスモナカ買ってくれたの覚えてる。 全員集合は今もなお輝きを放ち続ける
ひょうきん族は今もなおつまらない(´・ω・`) >>137
アダモちゃんはいま全国の営業で走り回ってるらしいぞ
あの格好でゲームとかして会場を沸かせるらしい
どのくらいの年代までアダモちゃんを認識してるのかな >>140
今アダモちゃん地上波だしたらめっちゃ叩かれるんだろうなw >>142
浜田の黒塗りの時にあいまいな感じでブログ更新してたわ
アダモちゃん叩かれると仕事なくなるからな 欽ドンに食われて剽軽族にトドメ差された気分だったが?
全員集合も後期のコントは酷いのがあったし(NASAのとか) >>144
お前はどこの国に住んでたんや
土曜8時やで しらたきとネギとお豆腐白菜
肉は入ってないわ私の人生 >>146
お前NASA音頭って一番おもろいドリフのコントやんけ
何言ってるねん ひょうきん族で佐野量子だったかな?にナマコもたせたギャグとかあったよな お金だけが生き甲斐なの
忘れられない
ビンボービンボー涙の貧乏 >>70
素人の扱いとイジリがうまかった、まぁ欽ちゃんの笑いは企画の笑いだったな。 懺悔コーナーのアレは宇宙刑事ギャバンの蒸着シーンのBGM。 全員集合
↓
ひょうきん族
↓
元気が出るテレビ
↓
ごっつええ感じ
の流れで視聴率が変わっていったよな^_^
懐かしいや >>66
あの野郎、ボクサーに擦り寄ったり、芸術家気取ったりしはじめやがってな。
「アフゥアフゥ!」やってたくせに ドリフだった
番組終了したら、ひょうきん族をみだした >>61
ゴレンジャー→ストロンガー→全員集合→Gメン75
昭和51年のパターン 全員集合のライバルって
キカイダーやデビルマンやキューティーハニーだろ
昭和47年頃の全員集合最盛期 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ 探偵物語#191
https://www.youtube.com/watch?v=T3JQdbBl9Xw
開始6分間の短アニメ
俺は良く覚えてたけど6分間にしてこの出来のよさ
金掛けたんだろうな 当時山形はTBS系が無かったから、ひょうきん一択だった ドリフの主力コントに捨て企画のひょうきんベストテンを当てて
歌の時にこっちの主力タケちゃんマンをぶつける
というなりふり構わぬ当て馬戦法で全員集合を潰したフジ
今好調の日テレがこの当て馬をやってるのに
低迷してるフジにこういう必死さがなくなっている
なくなってるから低迷してるのかもしれん >>173
イモトになにぶつけるよ?
なるほどざわーるど?
途中からはスタジオの芸人遊びに時間さいてさあ >>170
加トケンごきげんTVは金かかってるよね
バブルの絶頂期だったしね >>172
だよね。
歌番組も、ベストテンじゃなくて、トップテンの方しか見たことなかったし。 小5からひょうきん族派が増えて行って、俺も見出したな ひょうきんベストテンは全然面白くなかったな
タケちゃんマンはたけしとさんまのアドリブトークが面白かった、というか新鮮だった
ドリフは計算して練習し尽くした笑いだったから鮮度の点で差が出たな
のちにひょうきんがカトケンに王座を譲る時が来るわけだが、これも加藤と志村のトークが面白かった ひょうきん族が勝てたのは漫才ブームに乗ったからで
出演者やスタッフが優秀だったわけではない >>79
第4勢力の視聴禁止派ですのよ
お下品で低俗な番組なんか見ていられませんことよ オホホホホホ ひょうきんがカトケンに負けたというか、ひょうきん的な裏方巻き込んだ笑いをとんねるずのみなさんのおかげが持ってっちまったんだよね
あれで一気にひょうきんは古臭くなった
大当たりしてた仮面ノリダーの向こうを張って「かまへんライダー」をやっても薄ら寒いだけ
あれで俺たちは見切りをつけてカトケンに回帰した >>135
やはりそうなのか
当時の視聴率調査でもドリフよりひょうきん族の視聴世帯の方が生活程度(収入・資産)が高い世帯が多いとされていた ひょうきん族で鶴太郎がパンいちで目の上にクッキー置かれた画は覚えてる >>184
クレイジーキャッツは古すぎるだろ。
クレイジーキャッツの後にドリフじゃなくて、その間に三波伸介とか大橋巨泉とか欽ちゃんの時代も重なってるからなあ。 小学生低学年はドリフ
小学生高学年になったらひょうきんって感じだったな ひょうきんがカトケンに抜かれたのは87年
つまり86年末にたけしがフライデー事件を起こし謹慎となり出演しなくなったのをキッカケに傾き始めた
メイン出演者の長期不在は当然ながら視聴習慣にヒビを入れる
たけしが事件を起こさなかったらテレビ史はまた違ったものになっていたのだろう >>42
お前のせいで頭の中でラブユー貧乏がループしている
しらーたき ねぎとー おとーうふ はくさいー
肉が入ってないのー 私の人生ー
今は下手すりゃ野菜の方が高いんだよな >>182
ひょうきん族のスタッフとザマンザイのスタッフは一緒なんだが
両方横澤班物件 ひょうきん族が出来て、ハプニングやその場のノリを重視するライブ的な笑いが一般化すると
ドリフや新喜劇のような、台本のある笑いは時代遅れのように感じだ時代だから
あの時代においては間違いなくひょうきん族だった。
その後もとんねるずやダウンタウンのようなノリやフリートークがメインの時代が続き今に至るわけだが
どちらが優れているなんてものはない
時代に乗った新しいものを産み出そうとする力にいつも古いものは押されて消えていく
今ひょうきん族を見てもほとんどの人間は面白いと思わないだろう
あれは小野時代にだけ損差た空気とライブ感込での笑いなんだから あれは小野時代にだけ損差た×
あれはあの時代だけの存在した○ もっと言うと、日本人は落語や新喜劇、ドリフのような決まりきったことをやる安定の笑いは好きなんだよ
まるで水戸黄門の印籠のような、ここで落ちが来るという安心できる笑い 新喜劇は、平成に入ってリストラと改革を敢行するまでは殆ど脚本が存在しない
ベテラン芸人のルーチンワークでなりゆきまかせの舞台だったそうだよ。
んで人気なくて打ち切り寸前。改革してドリフのようなしっかりした脚本と入念なリハーサルやる
カチッとしたコントにしたら人気復活で今に至る…だそうだ。(関西人じゃないのでよく知らん) 修羅場だョ!ドブス嫁も地元テニサーで知り合った中学校の女性教師の愛人も全員集合 vs.
ゴキたち田舎零細の中卒エテ公社長族 8時だよ、アマプラに来てくれねーかなぁ
あれ今見てもおもしろいんだよなw
志村ー、うしろー!! 全員集合の停電回は最初の数分くらい何か起きそうでワクワクするけど、すぐ冒頭のコントが見られなくなるという絶望感に変わる。 年代がステップアップして行くに従って観る番組も変わっていくだけ。
黄金期の全員集合を観た小学生はそのまま中学ではひょうきん族に移行した。
その黄金期をたっぷり味わった世代が一番美味しいところを吸収し大学生になり大人になっていった。 >>213
大橋巨泉は、あの時代にいろいろな番組を作り、いわば今のテレビ界におけるたけしの原型と言っていい ドリフ全員集合見て育ったが最近ひょうきん族を知った
別にどっち派とか無いがビデオ無い時代だから両方見れない >>38
全員集合は高度成長でモーレツ社員の印象だったんだよな
ひょうきんは本当に気楽にふざけてる感じがよかった
今のやつらには伝わらないんだろうけど… >>170
カトケンのスイカ人間はトラウマ
昔のバカ殿はオッパイ出て気まずかった >>128
天下とってたら芸能界やめてたと思う
根が真面目な人だし >>220
今は持ち直してる感じだけど、志村もあんなだししゃあない >>197
弟がいると微妙にズレたりもするところも同じ 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ だいじょうぶだぁ教
https://www.youtube.com/watch?v=tnsQlWP7TJM
外人にだいじょうぶだぁ!と教え込む場面が面白い
たぶん、さらっと流して終わる予定が
ここまでやったのは志村のアドリブなんだろうな
外人の困惑顔してるのが面白い
ひょうきんぞくは見てなかったわ
カトケン大好きだった 全員集合を見たことないっていうママ友がいて衝撃を受けた。
その人の地元で放送されてなかったらしい ドリフかひょうきん族かで弟とケンカになると(私はドリフ派だった)、母親の「今日は暴れん坊将軍見るから」で全てが終了した。 全員集合って生放送だったっけ?今思えば結構金かけた番組だったよね うちは親父がドリフ派だったからドリフだったな
ちょうど飯時の時間帯だから他の部屋に行くわけにもいかんかったし >>229
生放送だったなぁ
停電するとかトラブルもあった(笑) 全員集合もひょうきん族も禁止だった我が家は
土曜8時といえば暴れん坊将軍 ひょうきん族は渡辺の人間打楽器だよな!ピタピタ音させてモザイク映像でな。
でも、俺は今だにドリフの方が全てにおいて優勝だと思う。 >>21
テレ朝は暴れん坊将軍やってたのは覚えてるが日テレは記憶がないな。
そういや、金八先生、太陽にほえろ、ワールドプロレスリングをやってた当時の金曜8時でフジで何を放送してたかも記憶がない。 >>76
よう、西日本コンプのキチガイグンマーくん コメディはカックラキンとかみごろたべごろ笑いごろの方が面白かった >>75
欽ちゃんが視聴率100%男って呼ばれてたのこの頃だっけ。 >>133
その頃は、『平成教育委員会』『マジカル』『ふしぎ発見』『タモリの音楽は世界だ』の流れで見てたな。 >>143
勝手に殺すなwww
>>141
今は新喜劇に出てるよ。 >>209
ジュリーと由紀さおりは笑いでドリフと互角に渡り合える貴重な存在 >>244
昭和の笑いって今と違って自由にやってる感じだよな、
歌以外でもこういう意外な一面が見れるのも楽しかった気がする マンネリ全員集合の裏でフルハム三浦vsジャーナル中江
そら負けるわ ドリフのコントは確かに計算された
お笑いなのだが、生放送故のハプニングや
日頃の恨みをここぞとばかり晴らそうと
いかりやにキツい反撃をするカトケン。
ここも含めて面白かったよ。 >>239
お前はたぶんここの連中より上の世代だw >>223
よくこんな危ないネタやったよね。
コメディドラマとはいえ、実際にある新興宗教のパロディみたいなもんだし。
元ネタは天理教って聞いたことあるけどホントなのかな? ひょうきん族って関東と関西のお笑いが半々くらいのバランスだと思うけど
その辺の対抗意識もあったと思う。
東京のボスがたけしで関西の切り込み隊長がさんまって感じで。
関東のほうがスマートで関西のほうがアクが強いイメージもあったかな。
のりおとかうるさかったしw >>246
それは確かに言えるかもね。欽ちゃんの番組でも前川清とか中原理恵がコントではっちゃけてたもんなあ。 >>244
由紀さおりの年齢聞くやつは鉄板
そのあとの志村のアドリブセリフも
命の母とかw ひょうきんはオトナの笑いみたいで憧れもあり小学生の高学年はみんな靡いてたな
当時は斬新なお笑い番組だったし 全員集合の方が面白かった
ひょうきん族は内輪ネタが多くてつまらん 全員集合はコント設定の使いまわしが酷くてさすがの子供でも飽きたぞ
長屋、学校、戦場やらのひたすら繰り返しだったろ >>256
そういや、最近のバカ殿ではこういう役回りの腰元がいないのが寂しいな。
ゲスト呼ぶより腰元役で由紀さん呼んでほしいわ 小全員集合の方が上なんだけどマンネリになってしまったのがね 学校コントのラストで『いかりやを叩いて殺せ』とゲストも唱和してたのは未だに覚えてるわ。 >>220
魔界転生の
天草四郎の妖艶さは見る影もなく
( ;∀;) >>223
>>252
おもろいわ
武の教祖誕生の映画の元ネタっぽい感じがする
天理教は面白いぞ踊りながら歌うんや
友達が天理教の娘で歌って踊れるって言ってた
その子は天理教じゃないけど高校が天理教で歌って踊れないと高校やめさせられるから覚えたって言ってたな なんでオッサン達はこんなに元気なんだろう
若年性加齢臭って言われてる今の若者 カーリング娘がドリフに思えるのは俺だけか?
本橋麻里→いかりや長介
藤澤五月→志村けん
吉田ちなみ→加藤茶
鈴木夕湖→仲本工事
吉田夕?→高木ブー
どお? 全員集合はメジャーな歌手が出てたんでこつちかな?
でもひょうきん族はテレビに出ない人がこぞって出てたイメージ。
今見たら全員集合の方が断然面白い
ひょうきん族は雰囲気と内輪ネタが多く見てられない 今両方のDVDを見たら圧倒的にドリフの方が面白いんだが、当時はドリフはマンネリ化してネタが尽きてる感じだったからひょうきん族にやられちゃったんだろうな。
ひょうきん族のネタは今は笑えない。 80年代は七色の黄昏が降りてきて風はなんだか涼しげな土曜日の夜だった >>6
マンネリを楽しむのがドリフだろ。
先の展開丸わかりでも笑えるのが技なんだわ。
爆発の黒焦げなんか何回も見てるのに笑っちゃうから不思議。 >>272
今はダウンタウンに繰り出しても
シナ人しか居ないでごさる >>252
志村のもちギャグ「だいじょうぶだぁ」の語源は、
志村が地方ロケに行ったときにおじさんが東北弁で
「だいじょぶだぁ!↑だいじょぶだぁ↑だいじょぶだって。」と言っていたのが
面白くて自分のギャグにしたらしいけどね
この教祖コント自体のネタは知らないけど
後々の吉や柄本の霊媒師コントの元にもなってるんじゃね?
霊媒師吉「あああああなんかうんかちんかまんか〜!」
霊媒師吉「・・・復唱してください・・・」
志村「あああああなんかうんかちんかまんか〜!」
吉「あああああなんかうんこちんこまんこ〜!(ピー音)」
志村「wwwwwなんだって??www」
って奴 懺悔の神様はグレート義太夫だと思ってた奴ってなんなの? オレたちひょうきん族は子供ターゲットにしてないからな
とんねるずのおならじゃないのよがそれに続いた >>279
変なおじさんも、沖縄?のハイサイおじさんだしね。
色んな地方でヒントを仕入れて、上手くネタにしてたんだな タケちゃんマンとか全然おもしろくないよあんなものw たけしが面白いのはいつも手紙や表彰状の朗読。
笑っていいとも最終回 下ネタが多かったから親が嫌がったな
ドリフは
でも面白かったし今見ても面白い
ひょうきん族はなんかねー ウチの方なら
土曜日の4時間授業終わって
帰宅
昼飯食って
午後1時からひょうきん族
夜から全員集合
どっちも見る事が出来た
むしろ被ったのは
ドリフ大爆笑
最悪、UHFチャンネルを
他県の放送に合わせて
午後4時から
映りの悪いひょうきん族を
観るしかなかったけど
地方局の方が
キー局より融通が利く たけし さんま 紳助 以外でひょうきん族以降もTVに出ているのいるか? >>267
どういうこと?
ひょうきん族とかドリフを見てた世代って今そんなに元気なくね? >>289
高田純次がブラックデビルをやっていたら、また色が変わっていたかもしれないw エンディングの山下達郎「土曜日の恋人」を聴いてる時が至福のひと時 >>292
バブル世代から下
下はどこまでか分からん >>296
全然元気ねーよ
バブルより上だろ元気あるのは どちらの番組も人気コーナーは音楽の要素が大きかったと思う。
ヒゲダンスなんか音楽ありきだし。
今でもリズムネタとか定番でPPAPだっけ、ああいうのも同じ流れだと思うし。
ドリフはミュージシャンだし、ひょうきん族のほうも作家が音楽を意識してたんだろうね。
桑田が作ったアミダばばあの唄はコミックソングだけどかなり渋かったなあ。 ひょうきん族は身内でゲラゲラ笑ってるだけでおもしろくない ドリフ大爆笑作っているフジだからひょうきん族を作れたともいえる >>304
そうなんだよな、あとカトちゃんケンちゃんも足してなかったっけw >>249
志村の加入によって、やり過ぎるアドリブが大人気になり
特に若い年齢層に志村は絶大な人気を得た。
思えば萩本も台本があっても、突然のフリやハプニングで笑いを生み番組作りに移行していたから
志村や萩本も80年代の笑いの流れを作りその流れの中にいいて繋がってるんだと思う
あがらえない時代の流れの中で、生れたのがひょうきん族といっていい あまりにも笑い過ぎて息止まってしまいカーテンにしがみついて悶え苦しんでマジ死ぬかと思ったのは後にも先にもドリフのこの番組だけだった
ひょうきん族もめちゃ面白かったけど 西郷どんのOP見てたら
すわしんじ という名前があってズッコケタ >>48
タケちゃんマンでは、エイズ!をこけおろしてたからな。 あの頃もうドリフは古いものと感じてたからなあ。(ドリフつーか全員集合かな)
ひょうきん族は面白かったよ。
後期(パーでんねんくらいかな)は流石に飽きたけど、かといってカトケンに行くってのもなかったなあ。別になにも見てなかったかな。
でも後に 志村けんの大丈夫だあ はメチャクチャ楽しみに見てたけど。 ドリフの方だけ見てた
周りはひょうきん族見てるのが多くて話が合わなかった
俺が後にテレビを見なくなることになるのは必然だったのかな 昔からドリフ派だったけど、平野耕太のおかげでドリフの魅力を再確認したわ。
デウス・エクス・マキナとか使ってバカ兄弟を感動的な評論したりするの、世界で彼だけだろ。 >>185
どうしても話題がドリフ対ひょうきんになるが
ひょうきんはとんねるずにとどめを刺されたのね、言われてみれば そうかい?
とんねるずの笑いは近畿中四国九州では受け入れられなかったよ
和を持って尊しとなす文化圏では
ただのイジメ
受け入れられたのはモジモジくんくらいだろ 当時まだ大ブレイクする前のファミコンのCMは
ひょうきん族の枠でよくオンエアされてたね。
任天堂の判断ではこれから子供に影響力があるのは全員集合ではなく
ひょうきん族のほうだったっていうことなんだろうね。
しかもそれがバッチリ当たったと。 ブラックデビル
↓
なんですかマン
↓
妖怪人間シットルケ
↓
宇宙怪獣パーデンネン
↓
サラリーマンライダー?
どんどん無茶苦茶になっていくのが好きw なんか時間が経ってドリフが美化されてると思う
小学生の記憶をしっかり思い出すと、
そういえばはっきり覚えてるのは
晩年のドリフはワンパターンでネタも古く
会場も誰も笑ってなかった
小学生だった自分も退屈な気分で視聴習慣でただ観てたな >>33
ほとんどの歌手を芸人がモノマネしてたけど、たまに本物が登場した時は得した気分になったな。
中森明菜役をやってた可愛かずみが好きだった。
現在テレ朝のサンデーステーションのメインキャスターの長野智子が新人の時司会で出てたな。 大爆笑とか毎日見ても大笑いするぞ
同じネタの使いまわしなのに
83年くらいまでだが 当時、テレビ一台だったから、8時は全員集合のOPコント、それが終わったら、ひょうきん族のタケちゃんマン、それが終わったら、吉宗評判記暴れん坊将軍のラスタチという、せわしない我が家だった。
あの時代が、我が家の一家団欒の最期だったな。 >>97
全員集合を今更評価する奴って
「絶対作り込まれた笑い」って言いたがるんだよな
アドリブなんてほとんどない台本通りの
笑点みたいな昭和の東京の笑い
毎週毎週おんなじことやってんだから
そら作り込まれるが見てる方はいい加減苦痛だった
ナマモノなので今見てもちっとも面白くないひょうきん族の成功で
アドリブのフリートークが関西から本格的に導入され
フリートークのバラエティーが急増するが
ドリフメンバーはしばらくそのスキルが全くないことがバレる >>326
会場に行く奴は好きな奴らなんだから笑わない訳ねーだろw
おいっすーにもちゃんと反応してるしさ 全員集合のネタはいかりやが考えてた
だからカトケン以降のネタは志村じゃなく作家 >>334
凄い才能ある人だったよね
俳優としても良かったし
たけしより才能あると思う ど根性ガエル
→巨泉お笑い頭の体操
→8時だョ!全員集合
→キイハンター
→ウィークエンダー
(´・ω・`) >>294
明日は日曜日!
土曜日の夜は始まったばかり〜♪ BSフジでドリフ大爆笑やってるけど初期の10話ぐらいを延々とリピートしてるのは何なの 弟がDVDBOX買って来たがつまらんね、やっぱりあのライブ感と一体感と明日は休みだ感が半端ない。 >>338
面白かったのは最初の5〜6年だから正しい判断だろ
マジで何度見ても面白い 中学終わり頃始まったひょうきん族はちらっと見たけど騒々しいだけで何がおもしろいかわからず以降全然見てない。
THE MANZAIとかってやり出すまで演芸番組大好きだったけど以降のお笑いはうるさいだけで嫌い。
全員集合は自宅では写らないので近所の親戚まで見に行くほど好きだった。 ドリフ派。
ひょうきん族は新日ファンから見たアッポゥ馬場全日本みたいなもんで全く受け付けなかった 今でこそ志村はお笑いの大御所だけど、
ドリフのメンバーに抜擢されて全員集合に出演しても、
最初は全くウケなかった。
生放送だからウケないのがモロ分かりで、
志村は放送が終わったら飲み屋でべろべろになるまで酔っぱらって、
「何でウケないんだ」って愚痴ばかり言ってた。
それが、東村山音頭で突然ウケてそれからはドリフの中心メンバーになった。 >>335
いかりやは別に俳優としては
どうということもなかったろ ひょうきん族だな。いろんな意味で新鮮だった。ドリフはマンネリ化してたイメージ。でも、結局はドリフの方が長持ちしたけどな。毎週ネタを作っていたとはすごいけどね。 >>325
サラリーマンはシットルケの前か後。前だったかな…
なんかここ、過剰にドリフを持ち上げるヤツが一人いるな。
大爆笑はたまに見てたが、全員集合は殆ど見てなかった。
大丈夫だあで志村けんが上がってくまで、ドリフとは距離があったなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています