相次ぎ「発見」1カ月で200個 九州・山口
熊本県宇城市の高良八幡宮では、今も砲弾がまつられている=熊本県宇城市不知火町で、野呂賢治撮影
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九州・山口各県で古い砲弾が相次いで「発見」されている。5月24日に大分県内の神社で1発の砲弾が見つかったのをきっかけに、「うちにもある」と広がった。
大分県警への届け出数は今月22日現在で157個にのぼり、他の県でも少なくとも48個が確認されている。大分は多くが日露戦争時に奉納されたものとみられている。古い砲弾が今になって続々と「発見」される背景には、戦争の記憶の風化がありそうだ。
日露戦争時に奉納か 地域の記憶伝わりにくく
「神社に不発弾がある」。先月24日、大分県杵築市の八旗八幡神社近くの住民の通報で警察官が駆けつけると、神社の本殿裏に野ざらしになった砲弾2個(全長45センチ、直径15センチなど)があった。信管の付いた旧日本軍の砲弾と判明し、陸上自衛隊が処分した。
この件が報道されると、「そういうものならうちにもある」「長年放置していた」との通報が神社から相次いだ。県警が先月31日付の文書で県神社庁に砲弾が見つかれば相談するよう呼びかけたところ、さらに通報が増えた。通報は一般住民からもあるが、神社が6割以上を占めている。
神社関係者の多くは「なぜここにあるのか分からない」と口をそろえるが、年配の住民の中には「砲弾は昔から神社にあり、持ち上げて力比べをしていた」などと記憶している人たちがいる。
そもそも「発見」された砲弾はいつのものなのか。日本の大砲研究の第一人者とされる埼玉県飯能市の佐山二郎さん(69)は「日露戦争に勝った当時、政府が戦勝記念として、ロシア軍から接収した砲弾を安全処理した後で全国の神社や仏閣、一部の学校に展示するように配った。それではないか」と推測する。戦前・戦中は、慰霊碑や石碑と同様のものに砲弾を見立てて、戦死した兵士を弔ったともいう。
しかし中には危険な砲弾もある。別府大学の段上達雄教授(民俗学)は「武運長久のお礼として、兵士が個人的に持ち帰った砲弾を神社に奉納したケースがあった」と話す。この場合は安全処理をしていない可能性があり、県警などは注意を呼びかけている。
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