>>12
まあそうかも知らんが、跡を継いだ壱与(台与)の名はその後の中国の複数の歴史書に出てくるので、実在はまず間違いないから、
卑弥呼もモデルになった人物がいた可能性がある。
ただ、邪馬台国って名称は魏志倭人伝(三国志魏書東夷伝倭人条)にしか出てこないんじゃなかったかな?
同じく卑弥呼って名称も。
その後の晋書や梁書に出てくる壱与はあくまでも「倭国の女王」って記載だったハズ。

まあ魏志倭人伝には「邪馬台国は狗奴国と戦争中」って書かれてあるから、壱与の時代に統一したのカモ知れんが。

ただ狗奴国もでっち上げの可能性はある。
なったって三国志の時代に
「呉(孫権)の領土の東の海に魏と同盟を結ぶ邪馬台国があり、その南に邪馬台国と敵対する狗奴国がある」
って記載は、どー考えても呉に対する陽動作戦としか思えないモン。