卑弥呼の時代のすずりが旧奴国跡で出土 あとは文書も出れば邪馬台国論争の決着付くよね?
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古墳時代のすずり出土 「奴国で文字使用、貴重な発見」福岡の比恵遺跡群
2/19(月) 11:28配信
https://amd.c.yimg.jp/amd/20180219-00010004-nishinpc-000-2-view.jpg
福岡市は16日、比恵遺跡群(博多区博多駅南)から3世紀後半の古墳時代と
みられる石製すずりの一部が出土したと発表した。
遺跡群は古代中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する「奴国(なこく)」の中心部にあり、
市は「邪馬台国時代に奴国での文字の使用を示す貴重な発見」としている。
市埋蔵文化財課によると、出土した石製品は、板状で幅4・7センチ、長さ最大5・4センチ、
厚さ0・8センチ。形状や、表面の磨かれ具合などから、すずりとみられるという。
2016年7〜8月の事務所建設に伴う発掘で見つかり、専門家に調査を依頼して判明した。
筆やすずりなどの文具は、弥生時代中期(紀元前1世紀前後)以降に、
朝鮮半島から西日本に広まったとされる。弥生時代のすずりは、
三雲・井原遺跡(福岡県糸島市)や中原遺跡(同県筑前町)など4遺跡で出土しているが、
その後の古墳時代前期(3世紀後半)のすずり出土は国内で初めてという。
比恵遺跡群は、弥生時代に奴国の拠点集落があったとされ、これまでも竪穴住居跡や
小銅鐸(どうたく)などが見つかっている。市の担当者は「奴国が、文字文化もある
重要な場所だったことを示す史料になる」と話した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180219-00010004-nishinpc-soci 日本史上で最重要人物の1人でありながら
各自治体の醜い争いのせいでいまだ大河ドラマになった事がない この近辺ですずりの発掘はちらほら聞くけど外人が使用していた説が濃厚らしいな 弥生時代のすずりが既に出てるならあんまり意味なくね 中国の書物には記載されてるのに
どうして日本の書物にはろくに残ってないんだ? >>13
歴史を記録するって行為が政府レベルで始まるのがもっと後だから
この時代はせいぜい口伝で神話形式にしたものを語り継ぐだけ >>13
残っていないという事は
@焼けた・腐った
A焼いた
B文書を持たない勢力が日本を統一した
Cまだ見つかっていないだけ
だよな 蘇我とか中臣とかは朝鮮由来として
中大兄皇子とかはどうなんだろうね >>13
その頃は文書で保存してなかったんでしょ
木簡とかそんなで 4世紀に日本で何があったかはっきりしない限り論争には決着はつかないと思う
日本書紀や古事記は史書としては信憑性に欠けるし 卑弥呼が皇族と関係あるのかすらわかってないもんな
天皇と繋がる人物なのか敵対勢力なのか >>13
中国の歴史書にのってる他の王様は日本書紀と古事記にもなんかしら記載があるけど
卑弥呼と壱与に関してはなぜか載ってないんだよな
日本書紀と古事記をまとめたやつらも魏志倭人伝知らないわけないだろうし
当時の朝廷的に都合悪かったんだろうな 畿内の大和は政権を強奪簒奪したのだろう
で、レジティマシィ(正統性)を狙ったが為に、記紀神話がおかしな事になった
九州に在った邪馬台国・卑弥呼と後継から権威権力を奪ったのが、大和
共犯は出雲、だから出雲に対してあそこまでの配慮せざるを得なかった 中国の史書と日本の史書と発掘されるものがバラバラやからな >>31
括弧使って書くくらいないなら
最初から正統性でよくね? >>33
ちょっと本を読んでいたもので、引きずられてしまった >>31
大和国と邪馬台国て素人目から見ても同じ国の事を指してる様に見えるけど、たまたま名前似てるだけで違う国なの? 阿蘇の噴火で縄文文化、縄文人が壊滅してたのと大陸が近いので文字や稲作などの
文化が入ってきやすかったってのはあるだろうね 邪馬台国はν速歴史部で畿内で決着ついてたろ
もう諦めろ クリスタル映像時代彼女は和製トレーシーローズと
呼ばれたものだった 邪馬台と書いてヤマトと読んだんだよ
どっかの馬鹿が漢字通りヤマタイと読んでからおかしくなった >>36
同一国説はある
別の国説もある
同一国家内での2勢力説もある
権威ある研究者や研究機関が推せばそれが主流の説になる
いまは別物説が主流 比恵て奴国の中心だったのかよw
住んでたわ、今でもすごい便利な場所だよ
邪馬台国論争て、東大閥と京大閥の戦いでしょ
東大の九州説に対抗して京大が畿内説をだしてきた、今でも論争に決着つかないのは京大が意地になってるからときいたなあ
まあ、官僚育成機関の東大には、京大は負けられないという自負もわかるけどさ >>6
遺跡群は古代中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する「奴国(なこく)」の中心部にあり、
アホは本文も読めないのか いきなり海のない盆地で文化や国が興るとは考えにくからね
大陸から文字や稲作を運んできてそこまで移動するのには
なんらかの理由があったはず
現に今は衰退してるし >>30
卑弥呼は神話化されて天照大神になったと解釈すればok
その後は人代の天皇の系譜になる >>47
卑弥呼は個人名じゃなく役職名説もあるからなぁ
それにたまたま魏志倭人伝に卑弥呼の記載があったからと言って、それが最高神の天照大神になり得るほどの強大な権力を持って広く崇拝されるような人物とも限らないし
卑弥呼=天照大神と断定するには厳しいかなと 高千穂辺りにいた連中が九州北部まで出てきて(倭国大乱)一大勢力として発展したのが邪馬台国。
卑弥呼が統治し、九州(倭国)は平定される。248年卑弥呼死去の年に皆既日食が起こり、卑弥呼の神格化と共に天の岩戸神話になる。
その後、邪馬台国の王(神武)が近畿に攻め込み大和王権に繋がる。
全く歴史に詳しくない俺の空想だけど、何か矛盾とかある? 畿内説を唱えている奴は畿内だったらいいなと思って言ってるだけだからな。
どこ考えても九州だろ。 お世話になった方の卑弥呼は今どうしてるかな60才くらいかな >筆やすずりなどの文具は、弥生時代中期(紀元前1世紀前後)以降に、
>朝鮮半島から西日本に広まったとされる。
やはり、韓国は日本にとって「文化大恩」の「兄の国」であたった。
「師匠の国」であったのだ。
その大恩を踏みにじり、韓国を侵略したのが日本であった。
ゆえに、日本は、永遠に韓国に罪滅ぼしをしていく道理がある。
最大の礼をもって、永遠に韓国と友情を結び、韓国の発展に尽くしていくのである。
そこにこそ、正しき日本の繁栄の道もあると確信している。 >>50
近畿に攻め行って九州はなんで捨てたんやろ?
大陸からも遠く海も無いところを何故に中枢としたんやろ >>15
幻の遣隋使の一回目に国書持って行かなかったから追い返されたもんな。
朝廷は謎しかない。 平等院の宝物殿に朝鮮からの餞別がいっぱい詰まってるらしいし
古墳の調査は宮内庁から禁止されているあたりがお察し まだ邪馬台国なんてなかったって証明終わってなかったのか 邪馬台国は宮崎にあったんだよ。西都原の周辺。学者の間ではもうそれで結論出てるから。 卑弥呼=天照で天岩戸みたいな自然物がある方が邪馬台国だな 邪馬台国で食ってる連中の数を考えたら永遠の謎であった方がいいわw 卑弥呼と天照、邪馬台国と大和国をイコールで結びつけるのは違和感がある 永井一郎
京大文学部
親戚
東大文学部卒フリー編集者
ハーバード卒ハリウッド業界人 >>25
それは3のことだろ?
>>37
青森にあるのはイエス・キリストとその弟の墓。
>>57
そのころ韓国なんてないし、いまの韓国の大部分は当時は日本の支配下。それを朝鮮人が侵略してできたのが朝鮮だよ。 >>1
奴国は邪馬台国(ヤマト国)の出先機関で後の大宰府だろ。
筑紫の勢力と同盟結んで成立してた。
筑紫が岩井の乱で新羅と結んでからは武力制圧して拠点をミマナ日本府に移した。 >>70
は?
わくわくするとしか書かれてないが何が言いたい 邪馬台国は曹操が起こした魏と交流があったけど、海を渡るだけの技術と大国だった魏と交流を持つぐらいだから、やっぱ卑弥呼は中国系かね。 >>73
中国と交流持てたのは、北九州を地盤にした勢力だから 邪馬台国は九州にあったが、大和にも政権があった
卑弥呼が大和政権の代表だと偽って勝手に大陸との関係を結ぼうとしたって説が最近の有力説 朝鮮半島の南も倭国だったから海を渡って南に進み九州の真ん中あたりが邪馬台国だった。 >>73
元々南から稲と一緒に日本に入ってきた大和民族の祖は海洋民族だ。 狗邪韓国から対馬ー志摩半島まで克明に描かれてるよ
魏志倭人伝に >>12
まあそうかも知らんが、跡を継いだ壱与(台与)の名はその後の中国の複数の歴史書に出てくるので、実在はまず間違いないから、
卑弥呼もモデルになった人物がいた可能性がある。
ただ、邪馬台国って名称は魏志倭人伝(三国志魏書東夷伝倭人条)にしか出てこないんじゃなかったかな?
同じく卑弥呼って名称も。
その後の晋書や梁書に出てくる壱与はあくまでも「倭国の女王」って記載だったハズ。
まあ魏志倭人伝には「邪馬台国は狗奴国と戦争中」って書かれてあるから、壱与の時代に統一したのカモ知れんが。
ただ狗奴国もでっち上げの可能性はある。
なったって三国志の時代に
「呉(孫権)の領土の東の海に魏と同盟を結ぶ邪馬台国があり、その南に邪馬台国と敵対する狗奴国がある」
って記載は、どー考えても呉に対する陽動作戦としか思えないモン。 >>73
少なくとも難升米だっけ?中国語喋れる家臣が一人はいたんだよな。 九州の卑弥呼の死後に後継者が近畿に遷都して大和国になったんだよ。俺はその頃卑弥呼の父だったから知ってるよ。 卑弥呼ってタイムスリップした女子高生だったんだろ確か 中国で三国志やってた頃に日本では占いで政治やってたのか( ´・ω・`) >>50
それって霊視かなんか?それに近いことを言ってるムッちゃんという人を知っている 卑弥呼は姫御子、卑弥弓呼は彦御子説が一番しっくりする >>92
俺は卑しい巫女って説が一番しっくりくる
中国からすれば隣の小国なんて軽蔑の対象だっただろ
他国を蛮人扱いするのは昔の歴史では当たり前だったし ふと思ったけど、卑弥呼って昔の中国語でも「ひみこ」って読みなんか?
中国人が書いた書物だから読み方も中国語なんじゃないの? >>94
ならなんで卑しいって感じ使うんだろうなw ああもうこれ決着だな、そもそも福岡から佐賀あたりに決まってんじゃんな。
そうじゃなきゃ、生産も交流もできねぇよ。 >>87
まあ諸葛亮も占いで戦争やったり、呪術で風向き変えたりしてっからイイんじゃ >>97
そりゃ南蛮とか東夷、北狄、西戎なんて名付ける文化があるからな >>100
俺もそういう事なんだと思う
他の国を馬鹿にするって歴史では当たり前だもんな >>96
そうだよ。3世紀の中国人があの漢字をどう読んだか
と言うのが問題で
姫巫女だなんだ言ってるのは、見当違い
確か、諸説あるけどピメカだとかピメコとかだったような
ちなみに倭は、ウェィだから >>102
その視点から研究してる人もいたよ
あの魏志倭人伝はそもそも見聞を口述して記録したものなので、聞き間違いや書き間違いがあるんじゃないかってね >>6
飛鳥昭雄の本
マンガのやつでいいから読むと良いよ >>103
研究も何もw 一般名詞の可能性の方が高いのに
何を研究するんだか 匈奴と同じような意味で倭奴国って意味だろ
倭国はあっても奴国なんてなかったんじゃないか >>88
いや、霊視とかじゃなくてw
自分が知ってる薄っぺらい知識をそれっぽく繋げただけだよw
どうせ何がか真実なんてタイムマシンでもできない限り分からないんだし、
既存の証拠に決定的な矛盾がなく、自分がなんとなく「こうだったんだろうな」と納得さえ出来ればいいんだわw いや実は、邪馬台国で内乱があって卑弥呼勢が劣勢になり、ヒムカの天孫に加勢を頼んだら天孫が卑弥呼を嫁に貰う事で迎合成立
結局、天孫卑弥呼軍が内乱を抑え九州は天孫母に任せてそのまま東征、途中天孫戦死
奈良に大和朝廷を造るも天孫弟神武と権力争い、争いに嫌気がさしたので伊勢の地へ
伊勢の言葉で天照(卑弥呼)となり神社側の神話は伊勢へ来てからの卑弥呼を書いた日本書紀、神武側の朝廷が書いた古事記
伊勢は神武をスサノオとよんだ >>111
アマテラスは伊勢のことばじゃないから長々書いてるそれすべて無駄で残念 国東半島と秦氏と宇佐神宮あたりが熱いな、平安以前に巨石文化持ち込んだ民
あのあたりの異常なまでの繁栄にはそろそろスポットライトが当たってもいいと思う ほら、やっぱり当時から文字があった証拠出てきたな
ヲシテ文字、神代文字、カタカムナ文字など多数あった
始皇帝が行った様な焚書坑儒を行ったんだろうな 卑弥呼も邪馬台国も蔑称だから、正式名称を考えるべき 九州を出先機関と捉えたがるのは現代的な錯覚
筑紫こそが先進地域であり近畿はバックアップだよ
奈良のあの遺跡は掘っ立て柱だろ
技術的後進地域が中央なわけがない >>82
邪馬台国は呉にも朝貢してたよ
魏と呉を天秤に掛けていた >>74
和邇一族な。滋賀に和邇、小野という地名がある。そこに一族の末裔でもいたら...分かるわけないか。 >>93
蔑称なのは間違いないが、当時巫女なんて名称あったのか? >>73
大陸との交易を担っていた海の民が宗像一族だよ
宗像三女神として祀られている
△
△
△
↑の入れ墨をしていた
沖ノ島から銅鏡がワンサカ出てるし、重要な経由地だった 魏の使者からすれば、土人の集落の区別なんかつかんやろ
一番デカイ大和の勢力のトップを取りあえず王とみなすのが普通 >>124
あれ騒いでたの畿内にあって欲しいと願ってる人達のみだったよ。
大多数の人が、んなわけねーだろ。と思って見ていた。 宗像が邪馬台国だったら、まあそうかもね。と納得はいくな。 >>121
熊本の県北には、石棺、石像、石舟が発見された、国指定史跡の江田船山古墳がある
そこから北に行くと、筑紫の磐井の本拠地になった岩戸山古墳がある八女地域になるけど
丁度その間にある三加和町に、謎の和仁氏が蟠踞してて、戦国時代に名前が現れるんよ
その和仁氏の拠点の田中城は国指定史跡になってる
江田船山古墳は石舟など出てくるし、大陸由来の見事な馬具など発見されているから、
大陸との交流が行われていた可能性が高く
筑紫の磐井は、新羅と交流してた事が知られているから、大陸との航海が九州に根付いていたと思うな 邪馬台を「やまと」と読むのが自然だと思うんだけどな。 仁徳天皇陵調べたら色々わかるんでしょ?何で調べないの? >>124
日本がアメリカと戦争することになった時にだし開戦の詔は
「天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇」で始まるんよね
天皇は過去からずっと一つの系統であると言ってるから、
これを裏付けるような学術研究をしなければならないというバイアスが、
社会、学者、学会を支配していた。
中国王朝が、日本という国について初めて記述した卑弥呼という存在は、
天皇家の祖先の大和朝廷に繋がらないといけなかった。
魏志倭人伝では、出てくる地名が、九州北部のローカルな地名しかでてこないのに、
大和説を必死になって、唱える人だらけなのは、天皇家のバイアスのなせる業 大分県の福岡寄りのあたりに耶馬溪って地名があるし、普通にそこじゃねーの
知らんけどw >>73
呉の孫権は、大きな軍船を作り、遼東の公孫淵に使いや軍隊を送ったりしているよ
魏が敵国だったから、沖の航海しているお
秦の始皇帝のときに徐福が出港したというのも、寧波の近くの舟山列島からだし、
呉越地域は航海能力が、古代から高かったと思う マテラ国の女王が卑弥呼という世襲名で呼ばれた人が居た国だと思う
マテラ国は福岡県朝倉市にあり、マテラ神社がある
白村江の戦いの出撃直前、マテラ神社で戦勝祈願しているのは何故か?
天照大神が祀られているから >>132
耶馬溪という地名は江戸時代についたものだから関係ないらしい >>135
えっそうなの?知らんかったw
一つ勉強になったありがとう 邪馬台国=ヤワタ国→八幡かな〜とも思う
好古都→ハカタ国→博多
女王の配下国が北部九州に集中しているのは事実 >>128
和邇一族は全て機内に来たわけではないから、九州にも残っていると見るのが普通ではあるね。
ただ一族が今生き残っていても、当時のことは流石に分からんだろうな。
邪馬台国が機内ではなく九州である可能性は高いが位置が全く分からんね。 >>130
宮内庁が徹底的に拒否する。何度発掘させて欲しいと願い出ても天皇の古墳だけは発掘させない。 魏志倭人伝に出てくる地方は北部九州のローカル地名ばかりで、
対馬、壱岐、唐津、糸島、博多、須恵、比恵、宇美あたりまで、結構細かいが
そっから南に適当に下って邪馬台国があって、その南に狗奴国があるけど、
これは行った人の記録ではなく、伝聞
そういうすると、ローカルの距離の感覚からいうと、筑紫の磐井の地盤となった、八女が邪馬台国で、
南が菊池や江田船山などあそこらへんだろうな 埼玉の古墳でへったくそな漢字をシコシコ鉄剣に刻んでたやつがいるので
奈良や九州でも一部では漢字を使ってた可能性もある 奴の字がやたら使われているけど、何か意味がある筈
例えば「津」は港、みたいに 日本人笑わすよっ
21世紀になっても未だ邪馬台国&日本人のルーツも解明できないでいるのだからw 倭国 VS 邪馬台国の戦いがあり、天皇家の整合性に不具合が生じ
大規模な且つ徹底的な焚書が行われた。
もう、この時代の文書が発見されることは無いだろう 卑弥呼の卑の字は卑しいという漢字
一国の女王にこんな字をあてるだろうか >>149
この中華帝国の傲慢さはもっと広まるべき 少し歴史やってりゃ気づく法則だろ・・・
奴国 卑弥呼 邪馬台国 倭国
全部貶める字が入ってるだろ・・・
奴らは中華思想丸出しで周辺国にクソみたいな名前をつけて喜んでたんだぞ
匈奴とかさ んで、奈良以降に漢字を習得したら、そういう漢字で書かれてることに気が付いて
ムキ―って過去の文書はぜんぶ燃やしちゃったのかもな チャイナの歴史書は信頼できるものと信頼できないものがあり
魏志倭人伝は信頼できないものの実例
あれにとらわれすぎてる考古学者の意見はあまり信じない方がよい >>152
そんな奴に支那と呼ぶのは蔑称だとか言われたくないよな
自分が周辺国に蔑称つけてるから、相手も同じことしてると思ってる
南京大虐殺も同じ
中華ならサツジン略奪放火するから、日本がしなかったわけがないって難癖つけてる 戦って勝ったから梵書ならかならず隠す奴がいるはず
見事になくなってるということは
全員一致で燃やしてしまおうというこうとになったんだろう
まあ変な字で書かれてるからな
考えが一致しても不思議じゃない 金印も変な場所から出てるが
ほんとに捨てたのかもしれん >>50
だいたいそんな気はする。
ただそんなに戦闘は無かったんじゃないかな?
連合政権だったっぽいから、地元の豪族が手を結んでいったんだろう。
朝廷になってからも結構殺し合いしてるんで仲が良かった訳でもなさそうだが。 >>115
文字の統一をはかったのかもな
中国は王朝交代する度に、漢字改変をやってたし 筑紫風土記に出てくる「みか依姫」が、魏志倭人伝に書かれてる卑弥呼と同じような過程で祭祀に祀られていたりして、一番卑弥呼っぽい
それ以外でも神功皇后の縁の逸話、神社多数、糸島の平原遺跡しかり、宇佐神宮しかり、北部九州には女性権力者の痕跡があまりにも多い。 >>137
八幡と小倉の地名はワンセットであちこちにある
そのオリジナルは宇佐だよ 邪馬台国は実はくそデカかったんだよ本州西部は全部抑えてた
それでなんちゃらってFBI霊視のおっさんが
ヒミコは夏は奈良で冬は下関にいたって言ってたのにも説明がつく 金印なんかも中国の船が近畿にあった邪馬台国に贈るつもりが志賀島あたりで暴れまわってた蛮族に襲われ奪われた可能性も無いとは言い切れない
もしくは台風で志賀島あたりに漂着
お世話になったしるしに原住民に金印を授けた 九州とか対馬や隠岐の方とかかなり古い神社が多いと聞くし
中心地であっても不思議ではないな >>157
> 金印も変な場所から出てるが
> ほんとに捨てたのかもしれん
なるほど >>166
どっかの博物館で見たが、日本の石器の大半は九州出土だそうな。
そもそも九州に海を渡って人間が来て住み着き、そこから北へ東へ広まったんだろね。 魏志倭人伝に奴国は外国公使が駐留するところと明記してあるので書記官がいるのは当然。 言語学的には九州で決着ついてるんだよな
邪馬台国の記事を書くような記者は余程の怠慢でなければその事は分かってる
まあ商売だから白黒つけないだけじゃん 邪馬台国は熊本に有ったと思うよ
荒尾とか…トンカラリンとかもあるでち…し トンカラリンからはコーンヘッド頭蓋骨が出てるよね
あそこは興味ある >>112
そうか。
じゃあ、卑弥呼は死んだ事にして名前を天照に変えたにするは >>159
王朝としてそんなことしたのは秦だけ
なんでかっていうと春秋戦国時代に各国各地方ごとにバラバラの新しい字が
できてたからでそこで字形と字体を統一してできたのが篆書体
前漢でできた隷書体は役人がそれをさらに整理簡素化したもので字形には大きな変化はない
この時点で漢字としてはほぼ完成しててだから卜文・金文を現代の漢字に直すのを隷定という
さらにその後できた草書・楷書・行書はもう政治とも行政とも関係ない 青森のキリストの墓が本物だとしたらあっちのほうが2、300年前だからな >>176
アマテラスを皇祖神の名にしたのは7世紀だから時代が開きすぎとるんよ 建設工事中に遺跡出てきたときに
見なかったことにしよう とかないの?
福岡や奈良で既に邪馬台国の遺跡は出土していたりして 考古学的には出土品を見ると3世紀は既に
九州の北半分から近畿北陸東海までは1つの文化的な統一圏だからな?
三河静岡に類似文化の別様式持つ別王国があったっぽい
関東は3世紀時点では異文化で4世紀から機内と同一の文化が普及してる >>183
地主・建築主・施工業者の協議の上だな
普通は見なかった事にするがw >>185
見なかったことに が普通なのかw
これは邪馬台国見つからんな >>184
交易は確かにその範囲に広がってたことは確認できるけど3世紀当時の交易の中心は
あくまで九州北岸〜山陰であることも出土品からわかる
その九州北岸が3世紀末から4世紀にかけて廃れて4世紀後半には
交易の中心が近畿に移っていたってところがミソだな 何千年も人が住んでる土地は古い文化を上書きして壊して行くからね。 >>186
誰が発掘費用払うと思ってんだよ(´・ω・`) >>183
普通に見なかった事にするよ
工事は止まるし発掘費用も地主負担
奈良や吉野ヶ里なんてどこ掘っても何か出てくる
やってられない 遺跡なんて土方が見てもただの石にしか見えんだろうな
土方がこれこれ遺跡の欠片じゃないとか言ったら監督から怒られそう >>190
>>191
地主負担か
それは当然そうなるな
しかし邪馬台国の遺構を重機で粉砕とか
分かってたら震えるね >>137
北部九州の地名が近畿と一致するのもなにかありそう >>197
でも辺境の地なのに宗像大社や香椎宮それに宇佐神宮が古くから北部九州にあるのは不自然なんだよな >>195
だから、どこで発掘されたのか分からない品が、骨董市やオークションに流れてる
ユンボで基礎掘ってたら出てきちゃう所って結構あるんよ >>197
瀬戸内海を通じて奈良との交易はあったろうし
そもそも今の天皇の出発点が九州だし
人もいたし進んだ文化もあったんだろうけど
奈良の方がしっかり国としての地盤というか地位はあったんだろうと思う >>199
それこそ九州地方を統治するための後付けじゃね?
中国により近くデカい都があったなら 向こうの書籍にのってるはずだし ヤマタイ=ヤマト なのわかりきってるのに、
いつまでも駄々こねる九州説主張者… >>203
九州には太宰府政庁もあるし、宇佐神宮にしても関東の鹿島神宮や香取神宮よりも扱い良いし
どうも支店都市というには扱いが大きすぎるとおもうんだ >>1
>筆やすずりなどの文具は、弥生時代中期(紀元前1世紀前後)以降に、
朝鮮半島から西日本に広まったとされる。
なんでいちいち朝鮮由来にしたがるんだ
朝鮮は所詮ストローであって中国由来だろーが >>206
そら九州北部は対大陸の最前線だったわけでそこら辺の施設は
5世紀以降朝鮮半島がきな臭くなってきたあたりから防衛目的で発展してる
大宰府ができたのも7世紀だし
それ以前にも3世紀まで九州北部は大陸交易の最大拠点でむしろ古代での
九州北部の扱いはどんだけ大きくても不思議はない
逆に不思議なのはそれだけの要所でありながら南九州・出雲・紀伊・北陸・信州までが
出てくる記紀の神代記になんで九州北部がほぼ出てこないのかの方やな >>209
九州にあった頃はまだ国としての体をなしてなくて奈良で最初の王朝らしいものができたんだろな
まあ古事記通りといいますか ■継体
歴代天皇の中で、即位に要した時間(行動を起こしてから実際に即位するまでの期間)が、最長の20年という辛酸をなめた人。
大陸にコネクションを持ちながらも政治的にはアウトサイダーのまま生涯を終えるかと思われたが、
数奇な運命により歴史の表舞台に引き出され、大和旧勢力の頑強な抵抗を鎮圧し、遂にシャーマン集団を引き連れて入京。
棚ぼたとも言える王位を手に入れた強運の持ち主。
■天智
歴代天皇の中で、墓の所在が不明な唯一の人。
乙巳の変以降の謀略多き人生を楽しみながら(?)も、対外情勢に翻弄される。
白村江での敗北後にパワーバランスゆえに称制を余儀なくされるが、念願叶って百済王家のレガリア大刀契と
三種の神器を携えて倭王兼百済王に即位。
天武ほどには時流を読めず最後に下手を打ち、殷の紂王に由来する有り難くない漢風諡号を贈られたが、
血脈は保ったので「負けて勝った」収支トントンの王者。
■天武
歴代天皇の中で、生年が不明な唯一の人。
前半生は傍流を歩みつつ雌伏。
白村江の敗戦後の政情不安な時期に台頭し実力者となり、郭務宗(2000人超の使節を率い来日滞在していた唐人)とも交流。
郭と使節団が帰国した翌年に、高句麗・新羅の傭兵をも糾合、決起し勝利を掴んだ稀代の風雲児。 ■称徳
歴代天皇の中で、革命思想を肯定したおそらく唯一の人。
父の聖武が一人っ子で母は非皇族、従って兄弟姉妹も父方の叔父叔母も対等なイトコもいないという特殊な環境の中で成人する。
生真面目で、中国かぶれで則天武后に憧れ、最後は使命感からか或いは厭世的になったがゆえかは定かでないが、
禅譲の境地に至るも夢破れた悲劇の女帝。
■桓武
称徳の死後、60歳を過ぎた父の光仁に皇位が転がり込み、皇位継承権を得たことで権力維持の過程で歴史の闇を見る。
即位後は、好むと好まざるとに関わらず経国のハードソフト両面の仕上げをする役割を担わされ、
歴史の取捨選択=焚書、外征、祭天の儀(枢舞Tの儀)の挙行 等を行った。
ある意味では新生日本国の揺籃期におけるクリーナー(或いは歴史改変者…)かもしれない。 これが地図でしょ
女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國 K齒國復在其東南 船行一年可至
參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里 >>207
これ一番下の近畿に銅鏡が集中してるのは三角縁神獣鏡じゃん?
三角縁神獣鏡に関してはまだ結論が出きってない扱いの難しいもんだし
この時期大陸製土器の出土はまだ北九州に集中してることもある
ただ2世紀末には間違いなく畿内にも大都市はあったわけでその並立をどう考えるかがこの先の問題なんやな >>214
まあでも纒向だって九州産や朝鮮半島産の土器が出土してるんやで >>214
近畿は大権力であって
九州は小権力集団
どっちにも別々の国があって特に九州は地理的に貿易拠点
後に九州の奴らも一部奈良に移った
北九州は朝鮮や中国から攻め込まれやすい場所だし
奈良盆地だと安全だし 大和国を当時の中国人にはヤマタイコクに聞こえて中国人なりに当て字をしただけじゃないの?1500年前の文献なんて今の東スポの100分の1も信憑性ないだろ。 >>219
そうだよヒミコもそう
自らあんな邪悪で野蛮そうな名前名乗るかよ 魏志倭人伝があまり信用ならんのだけど
元史とか明史みたいな後世の盛んにお互い交流してる時代の歴史書でも日本に対しての記述は誤認と脚色ばっかりだし
邪馬台国へ至るルートとか倭国の内情とか実際のものとはかなり違って書かれている気がする >>189
熊本市内の住宅地でも3メートルばかし掘ると室町や鎌倉時代の遺跡出るから
頻繁に工事止まってて、もうあきれる。 魏志倭人伝ってホビット族も出てくるみいだし今で言う小説の類じゃね? そりゃあ九州は中国との交易という面では強いけど
稲作という面では弱いからな
近畿に移動したか物量で負けたかのどっちかだろ 超能力者だったんだろ
やっぱ必殺技とかあったんだろうな
DDTとか 邪馬台国が一周400kmの島だと本州ではないような気がする 567: 日本@名無史さん 2017/03/31(金) 10:55:50.40
現在まで続く大和王権は、元々は倭国と協調関係を保っていた近畿の一地方政権であったが、
九州王朝滅亡後の一種のポツダム政権下の混乱の中で、火事場泥棒的に地方政権から対外的に倭国を代表する中央政権に昇格。
しかし、中国正史に記録されてきた九州王朝からの継承(嵩搦。権簒奪)の経緯を完全に糊塗することは叶わず、
事実を明確に書けないものは讖緯説的表現に留めたり、あるいは空白にしたり(白村江前後)と苦労の跡が窺える。
天智・天武・壬申の乱などの雑談スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1346324070/ このスレ読んでたら常に、畿内論者がーってやたらと攻撃的なやつしかいない
九州論者はーってやつがいないのも見るに、都合が悪いから攻撃的なのか? 倭人も卑弥呼も魏国からの蔑称でしかないような気がしないでもない
皇室が男系になったのもこれが原因かもな ヒミコさん家のお隣に住むライバルはヒミココだし
役職か個人名かわからないけど
テキトーに名付けてるわな >>208
朝鮮半島を経由して
にすべきだよな
朝鮮半島なんてつい100年前まで原始的な生活してたんだから 邪馬台国以前に日本オリジナルの銅たくが近畿を中心に
関東から九州まで広まっていて高度な鋳造技術と文化圏があった
その後の魏志倭人伝でも銅たくの記述は無いし
銅たくを偶然掘り出した大和朝廷が何これ状態
古い銅鏡は蔵に大事取っておいたのに 2000光年先の生命体がいる星で日本観察してるアマチュアが卑弥呼の場所知ってるよ >>238
銅鐸が衰退してから魏志倭人伝まで100年くらい経ってるから
ロストテクノロジー化でもしたのかな
それか「銅鐸作るとハゲる」みたいな噂が出て
銅鐸を歴史から無かった事にしたとか >>223
畑から土器がでる俺の家も熊本市だよ。
近所には古墳もある。 ヒミココって言うくらいだから卑弥呼の子か血縁と捉えるのが自然
>>235
支持する
代々、氏は熊だしな
熊が居ない九州で熊を付けるには意味がある(当時は生存してたかも)
紀元前506年の柏挙の戦い辺りで楚や越から難民が大勢来たと思う 邪馬臺の臺をタイと読んだのは本居の後付けって、ばれてるし
卑弥呼の後継者である臺与はトヨと読んだままにしてたのは本居の片手落ちだな
邪馬臺はヤマトと呼ぶのが正式な読み方なんだよね >>169
琉球弁は古代日本語が鹿児島経由で南下した物だと考えられているが? >>152
その言葉を今も日本人がありがたがって使っているというね >>183
働いてる奴らが土建屋だから、あのクズ共にはその貴重さが分からないから発見があっても叩き壊したりして捨てている。
工期が遅れるからという理由でね。
よほど大規模ではない限り、破壊される。 土建屋のカスに既にぶっ壊された可能性は否定できない。 >>244
そもそも、邪馬壹國(ヤマイチ)で壹與(イヨ)だし。
臺も台(タイ)とは別字で発音は濁るダイだし。 >>30
卑弥呼は日巫女であり天照大神のことだろ。あまりにも当たり前過ぎて書物に書かなかった。 >>160
中華からは「倭」の字をあてられたが、「やまと」と呼んでいた
日本でも「倭」の字は良くないと知ってたから、音が同じ「和」をつかった
さらに「大」をくっつけて「大和」と書いて「やまと」と呼ぶようになった
これ結構早い時期なんだよな
ちょっと笑える >>36
同じ国だろ。中国人が文章にする時に単に音に当てた漢字に過ぎない。外国だからなるべく良くない意味の漢字が使われただけ。それは卑弥呼も同様。所詮、外人が勝手な漢字を使っただけ。 >>212
天智天皇陵古墳って滋賀の御陵(みささぎ) にあるのは違うのか? 日本の正式名称は大日本国
外交文書などに押す日本の印鑑である国璽が実は大日本に今でもなっている。 夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)も前半はヤマトの当て字だし
倭もヤマトと読むし、山門もヤマトと読む
ん〜ヘブライ語のヤウゥマト=ヤハウェーの民説も捨てがたい >>31
頭よさげに見せようとして下手な横文字使って
マヌケを晒すってまさにお前のことかな >>240
銅鐸は衰退したのではなく意図的に破壊された状態の方が多い
完体で出土するのは恐らく隠されたものらしい
銅鐸は日本古代史のカギを握ってると思うわ >>59
田んぼがいっぱいあるから
田んぼ=経済力だからな >>199
宇佐神宮 725年に出来てるな
邪馬台国がそれより400年前か
400年ってけっこうな年月だぞ
しかし >>261
伊勢神宮がそれより30年ぐらい前で出雲大社は多分500年ぐらい前なんだろうかな? 大己貴神社ってのが日本最古の神社の一つでこれが1800年位前らしい >>261
725年とか遷座後ずいぶんの話じゃないの
元あった場所は別とか聞いたぞ >>263
奈良にある大神神社のパチモンやん
本殿があったりツッコミどころ満載 漢字の音読みと訓読みを発明したのは秀逸だったな。日本語の素晴らしいところだな。ひらがな、カタカナの発明も同じく秀逸。いまだに漢字ばかりの中国語やハングルのみの韓国語は非効率。 >>270
そら違うわ
漢字は中国語の性質に沿って発明発展したもんなんだから漢字のみというのはあたりまえ
それとまったく構造の違う日本語でその漢字を使うに際して400年かけて魔改造したのも大きな成果
そして日本語同様に中国経由日本経由の漢字複合語が多いのに漢字を捨てちゃう民族はまあほっとけ >>238
大和朝廷は銅鐸を知らなかったって事は銅鐸を使っていた独特の文化圏の国々があったって証拠だし、それを放棄したのは大和朝廷に吸収合併、併合された可能性あるだろ。出雲や伊勢の神は統一国家な大和の神にする事で独自の銅鐸文化を止めたかも。 >>13
聖徳太子や蘇我馬子が作った天皇紀、国記が大化の改新で焚書され、元になった木簡、竹簡も燃やされたからね 九州中心に多く分布する古代の城塞の跡地の「神籠石」も記紀には出てこないからな
古代のもので歴史から意図的に消されていることが多すぎる >>244
>邪馬臺はヤマトと呼ぶのが正式な読み方なんだよね
当時の邪馬臺の使いが自分の国の名前は◯◯◯だよって言ったのが中国人には「邪馬臺」って聞こえてこの漢字を当てたんだよね
だから邪馬臺を古代中国の発音で読むとヤマトに近い音になるみたい >>15
古墳時代初期の剣にその地域の大王の名前や功績が彫ってあったのがあるので文字は既にあった。漢文だが。竹かんに文字の書いてあったのもあった。
紙とかは残りにくいだろう。 >>277
現代語に合わせた音になるというのもおかしな話だよね
奈良時代ですら日本語の母音は8音あった
パパウエツァマ ディェップディェップンガチョンデウィマツゥィヨ
これが奈良時代の日本語らしいよ 司馬懿仲達の司馬懿という字と邪馬壹国という字の共通性
三国志の著者は蜀漢出身の陳寿である
司馬懿に対する当て付けとも受け取れる 卑弥呼が出てくればもっと簡単に決着つくよ
はろー!って >>280
そうでもない。明治以前の日本語では書き言葉と喋り言葉が違うのが普通だったからな。文語体ってやつ。明治になり外国人の指摘により口語体が作られた。文字の読み書きが同じっては比較的最近の考え方。 普通に九州なんだろうけど、御用学者からしたら畿内じゃないと都合が悪いんだろう。 >>283
言文一致は外国人からの指摘で始まったわけじゃないぞ >>106
俺が読んだやつは、当時の日本列島は東日本と西日本で分離していて、西日本が山口を北に近畿を南にまっすぐになっていて、そう考えると水行何里とかの魏志倭人伝の記述と全く矛盾しない、バーン!どうだー‼︎
って、無茶苦茶なやつだったぞ >>263
福岡の大川にある、風浪宮が192年頃で、無駄に古くて神功皇后とゆかりがあるらしいお
筑後川のあの辺りは、水沼県主の名前が水軍として活躍してると記述があるから、
航海技術を持った人たちが昔から居たんだと思う
久留米の高良大社が、一応420年ごろだけど、これはかなり謎だけど
ここも独自に大陸と交易をしてて、いろんな物が出てくるし、
吉野ケ里遺跡のある神崎の荘は、平氏の領土になってて、日宋貿易ばんばんやってる
これらが全部筑後川やその支流の地域だな
今の常識では航海技術というと、海がある港を連想するけど、
古代中国では水軍というと、真っ先に長江沿いを思い浮かべるように
古代では内水面こそが、航海技術を産み育てる環境だったと思う だいたいが国を名乗っておきながら文字すらないとは
当時の日本が土人過ぎて悲し過ぎる >>59
白村江で大敗して、半島の拠点失っただけじゃなく
中国様まで怒らせちゃったから、ホトボリ冷めるまで
摂津の方に逃げてみたら、以外と居心地良かったんだろ 漢伊都国王の金印の時点で光武帝崩御寸前の元日に朝賀使が出向いている
漢歴、朝賀使の儀礼に精通していて、事前のアポイントの取り方、貢物の目録など
書ける必要があった事から、伊都国王は漢の臣だったのではないだろうか
後の帥升も然り 「ここは奴国です。別名、邪馬台国です」
こう刻まれた石碑が岩盤にでも深く突き刺さってるのが発見されたら確定 魏志倭人伝では対馬壱岐を経て松浦で上陸、福岡市まではほぼ議論の余地が無いくらい正確に記述されてるわけで、
もし畿内だったらそんなところに上陸なんかせずに瀬戸内海まで船で行くだろうと素人的には思う。 文書や資料が残っていないのは、大化の改新や日本書紀を取りまとめたときなどのタイミングで
皇室の権威付け矛盾が出るから焼かれたんだろうか >>294
魏志倭人伝書いた人も又聞きの又聞きで日本に行ったことあるやつにインタビューしながら書いたんだろな
多分半島の人だったんだろ
距離感とかぐちゃぐちゃなのはこのせい
交易で九州までしか行ったことないから九州のことは詳しいけどそれより遠いところはこれまたぼんやりしちゃったんだろな >>286
そこまで無茶苦茶な話ではないよ
一昔前まで、大昔は一個の大陸だったってパンゲアという理論が、トンデモ理論扱いされてたんだから
大陸に移動とか想像を絶するよ >>296
距離感がgdgdなのは又聞きのせいじゃなくて中華の世界観のせい
例えば後漢書には洛陽から帯方郡までの距離を実際より遠い五千里と記してあるけど
これは「本土の端っこまでは五千里」という概念的な決まりがあるから
だから帯方郡から万二千余里というのも本土を出た四海の果てはその距離と決まってるだけのこと
その先に侏儒国や裸国とかわけのわからん国があるってのは山海経の丸写し
魏志倭人伝の記述の半分方は先行する文献からの引用だからアテになる部分と
ならない部分の見極めが重要 という最近の研究の傾向 しょうがないよ
中国にとっては、この世の果てみたいなとこ
から来たよくわからん豪族の遣いだぜ?
日本から先はずーっと海しか無いんだから
最果ての地だわ
多少盛っていても許してやれw
大量に貢ぎ物持ってくる奴らの中で、一番ぁゃしぃやつらなんだからw >>299
唐以降の中国では龍の爪の数に「五爪天子、四爪諸侯、三爪大夫」という規定があって皇帝は5本、諸侯は4本、庶民は3本となっているが
これにあてはめると朝鮮や琉球は4本で日本は概ね3本になっている
大陸から見て日本はそういう扱いなのかねえ
ちなみに李氏朝鮮の世宗は5本にしてクレームついて「これは蟒だから問題ない」と言い張ってたそうだw >>75
それがだいたい大分(宇佐)なんだと思う。
卑弥呼がどこに居たかわ定かではないが
ともかく邪馬台国は新興国なので西九州福岡市周辺奴国にはないよね >>164
それ一つの考えだよな
そもそも邪馬台国のはんずに
奴国、伊都国も入ってるんだから
卑弥呼移動式機関説は十分考えられるベシ >>207
福岡県内でも福岡市から北九州市への繁栄の中心が移動してるんだが
北九州市は当時新興住宅地で渡来人が居た秦氏の拠点の筈 >>304
たしか岡田宮ってあったな
仲哀天皇の穴戸豊浦宮も明日香の豊浦宮と関係あるのかねえ? >>245
どっちかっていうと長崎経由
沖縄と最も縁が深いのは長崎 >>243
九州の熊は全て隈だよ
ちなみに本州も元々は隈だったらしいが
カントウ人が熊が好きで隈を全部隈に変えたらしい
NHKでもやってた >>305
そうだ、だいたい神功皇后の時代は
北九州周辺に首脳が集結しており
そこから南部は全て蛮族、クマソ扱い
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-23-11jinguukumaso.html
熊襲の定義は
だいたい福岡市を含まない南の大和朝廷に対する抵抗勢力 >>57
そもそも戦争してないから侵略できないから。 邪馬台国のたいとかとよとか方言に残ってるから
九州なんじゃね? >>262
伊勢神宮や宇佐神宮でも反日テロリストの薩長に扇動された民衆に廃仏毀釈の時に破壊されるんだから、人間って怖いわ。 >>270
歌人が大活躍してるんだよな。漢字だけだと、詳細に表現することが出来ないからと様々なものを作り出していった。
識字率が高くて長文を書いているうちに字が崩れていって、平仮名になるなど必然的な変わり方のような気がするが中国はこれがなかった。 >>130
天皇の先祖の墓の可能性が高いので祟りがあったら嫌なのでしない。 狗奴国の中心は定説通り菊池市でいいと思う。
ただ狗奴国のはんずも大きくてだいたい筑後宝満川周辺まではあったとおもわれる。
高良大社もおそらく当時は狗奴国の重要な拠点 金印の実物見たことあるけど、ショボいな。あれ本物なのか。
懐疑的な目を向ける人も多いが、俺も正直に言って信じていない。 2世紀くらいから畿内に邪馬台国を祖とするヤマト王権が存在していたが
百済や任那の人間が北部九州→近畿へ勢力を伸ばしヤマト王権をのっとり、
傍系の天国排開広庭尊(欽明天皇)のあたりで簒奪が行われて一度歴史がリセットされ
祖先を卑弥呼を見立てた神功皇后として創作し、祀る施設を作ったとかそんな感じだと歴史の検証のしようがないよな >>148
中国では普通だから。中国人以外は野蛮人だからな。しかも魏志倭人伝は外人に読ませるためには作ってないし。 >>156
朝貢の事実を消したかったかも。天皇家の出自を神代にするために中国との関係を消したかったかもな。金印も含めて。 >>318
まず魏志倭人伝にある邪馬台国の大きさと
邪馬台国と対峙してた地域がどこかは
定説として言う事ができる。
邪馬台国勢力圏=畿内中心から福岡市周辺(伊都国、奴国、大分県北部)
邪馬台国と対峙した地域
↓
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-23-11jinguukumaso.html
これは神功の時代であるがほぼ、旧筑後国から南は全て狗奴国(邪馬台国対峙勢力)であったと客観的に言える。
ちなみに当時、久留米市筑後川水系の度重なる氾濫で今で考える程農業生産力は高くなかった
むしろ菊池市とか八女津媛(磐井の乱の本拠地)のあたりの方が盆地地形で農業生産力た高く豊かであった >>323
>>1
これだけは疑義の無い事実として確認しておくべし >>323
これ確認しとけば
伊都国に卑弥呼の痕跡があった
奴国に卑弥呼の痕跡があったのも当然であり
しかも伊都国、奴国は邪馬台国の重要拠点なのだから
NHKのような馬鹿な失態を招かない >>323>>326
畿内ヤマトは
自然発生的に発生した本州の巨大勢力とも言えるんよ。
広さ的に圧倒的に広くそして本州の各地との交通の要であるから
いくら福岡といえど比較にならないパワーがあり
自然と福岡を圧倒したと考えるのが畿内ヤマト。
ただ政権の血筋が誰であったかはそれは定説はない。
オレは出雲の末裔だと主張し続けてる。
ニギハヤヒ鈴木とかニニギ神武とか
元々、天孫は朝鮮半島の渡来人で降臨地は違えど高句麗に帰属意識が元々あった >>19
あいつのせいで、めちゃくちゃになったな。 決めつけ、思い込みは排除して淡々と事実だけ語れない奴は居ないのかよ >>329
オレが淡々と事実のみ語ってるやろが
目の玉皿にしてちゃんと前レス読めよ >>320
ニギハヤヒがだれかわかんなかったり
崇神も出自がよくわかんない天皇だったりして
どうも天皇が邪馬台国出身の人と政権交替したりしてるんだけど
その都合の悪さを消すために古事記あたりではぐちゃぐちゃになってる
ニギハヤヒも大神神社も三輪山も奈良にあるし
墓だってそこらへんだし俺は邪馬台国は畿内説派 福岡(おそらく九州全土)がニホンの中心だった時
約1世紀、2世紀前後は
帥升時代はほぼ間違いなく神武は九州を統治してなかった。
記紀の内容がほぼ真実としても既に神武は九州の統治を諦め
畿内中心の考えを持っていたと考える。
でもそれからほぼ200年後の崇神時代で
畿内ヤマトは邪馬台国という名前で九州北部を統治する事となる。
天皇のはんずになる 神武圭が九州に愛着がないのは当然だ
元々九州人ではないからだ。
でも母親が九州人だから多少思い入れあったが
畿内に移ってからの子孫はほぼ出雲族と婚姻関係をもっており
九州は全くの蛮族としてしか見なしてない 大化の改新後は藤原が天下を取り子孫繁栄したが 伊藤加藤斎藤佐藤
それまでは蘇我よりも鈴木ニギハヤヒだ出雲tとの姻戚関係が圧倒的に多い 中臣鎌足は朝鮮人だけど藤付き姓は皆その血を受け継いでいる 邪馬台国も佝奴国も元は一つの男王が治める大国の一部だったんやで?
それが内乱起きて分裂して互いに相争う時代が後で来たわけよ 邪馬台国はムー大陸にあったんだよ。うちらの仲間内ではもう結論出てる。 魏史倭人伝ってこんなかんじか?
自国領の半島のタイホウグンから南東に行ったらクヤカンコクって所に着くよ
そっから海渡ってしばらく行ったらヤマタイコクに着く
ここは女王が治めててヒミコと言うらしい
どうもその南には男王のヒミココが治めるクナコクてのもあって、そことは戦争中らしい >>341
そんで一夫多妻制でいっつも生野菜食ってて
長生きで100歳ぐらいまで生きるよ
女は嫉妬深くないよ あと身分の低いものでも妻が二三人いるよ
本当にココは、(戦ばかりしてるから)男が少ないよ >>313
アホ抜かせ行書も草書も日本に漢字が入ってくる前にあったわ
一語一音節で孤立語の中国語になんで補助文字がいるんだよ
カタカナひらがなは膠着語で音節数が少なくかつほとんどが開音節の日本語だからこそ求められたの >>330
冷静になれ。オマエの中で出た結論が事実なワケではない。 北九州の奴国に卑弥呼が居た(高天ヶ原の原形)(邪馬台ヤマト国かもしれない)
↓
日向に移り住んだ(天孫降臨)(邪馬台ヤマト国かもしれない)
↓
何年か掛かりで日本海を伝って奈良に移ってった(神武東征)(邪馬台ヤマト国かもしれない)
一件落着だろ
倭とか奴とか邪とか卑とか侮蔑的な単語使いまくりの魏志倭人伝を一字一句変えずに鵜呑みで考える必要が全く無い 熊本から女性シャーマンらしき変形頭蓋骨が出てきてるんだろ
これが卑弥呼とかんけいありそう >>347
他の人も言っているが当時の中国では普通の事。
もちろん差別的な意味も大いにあるが、当時の中国人は建前上「中国人以外は人間ではない」という立場をとっていた。
侮蔑漢字を当てるのは、実は感覚としては今の日本人が外国語をカタカナで表記するのと同じ程度。
「これは中国文化圏外の話」と言う意味。
ぶっちゃけ邪馬台国の内情はむしろ「太古中国のような理想国家」として書かれている。 >>342
泥棒いないよ、ってか泥棒って概念が無いよ。だから家に鍵をかけないよ。
身分はあるけど奴隷も貴族も平民も同じ服を着て、同じ物食べてるよ。 >>41
その通り
「台」はこの時代「と」と読んでいたのは、卑弥呼の後を継いだ台与が「とよ」と読むことからも整合性がとれる
邪馬台国は、やまとこくと呼ぶのが正しい
台与を壱与、いよと読む説は知らん 奈良県ってあんまり卑弥呼に興味ない感じだわ
箸墓古墳とか巻向、山之辺の道とか歩いて回ったけど
とくに卑弥呼をプッシュしてる感じはしなかった >>41
>>353
ヤマイのイをトと読み替えた時に連動してイヨもトヨにするかという議論になったけど、
トヨにすると宇佐のトヨが連想されて不利なので、
畿内論者にはイヨはイヨのままの人が多かった。 あれは俺が埋めておいた奴だ
あと、ラジウムの小瓶を床下に埋めたアルバイトをしていたのは俺だ 佐賀から熊本がヒ(肥、火)の国で、大分がトヨ(豊)だから、
ちょうど奴国(福岡)の両脇にヒの巫女、トヨの巫女が配置されることになるので、
畿内論者にとってはイヨはイヨのままの方が良かった。 >>345
外来語とか欧米人の名前を表すのにすべてが漢字ではわかりづらいだろ。あと全部漢字だと効率悪い。筆記具のインク使いすぎ。 >>183
博多区板付〜空港らへんはどこ掘っても色々出てくるから届け出さずに埋めまくった 邪馬台国の話題になると高確率でハブられる吉備の悲しみ >>362
学術的にはまだ吉備のほうが可能性あるのに
疑似科学九州土人が滔々と私説披露して
関西人が上から目線で叩きまくって殴り合いになってて全く出る幕無いよな 邪馬台国がヤマトは強引すぎる
ダジャレにもなってない 邪馬台国に関する仮説はすべてDQN理論だよ
魏志倭人伝の文章自体が明らかにおかしいのにそれを論拠に推定するお仕事 中国から船で奈良くんだりまでわざわざ来ねーよどんな遠出だよ >>64
おれ都城市民だけど、都城では小学校でもそう教えてるよ。常識だろ。 >>362
関西の学者でも、出来るだけ自己資金で研究することで自由な研究ができた森浩一や、地域王朝論の門脇禎二などは、
卑弥呼の時代には畿内よりも吉備の方がはるかに強いと主張していた。
門脇は死ぬ直前に九州説に転向して、病床で執筆したけど、前半部分しか間に合わずに死んだ。後半に何を書こうとしてたかは永遠の謎。
瀬戸内の盗掘は節操あるけど、日本海側の盗掘は徹底的に盗んでるとか、全国満遍なく研究してる人たちは、マスコミ操縦に成婚費やす大半の畿内学者に怒っている。 >>358
その説は初めて聞いたな
面白いわ
なんか、はんず、はんずと書いている人いるが、版図のことなのか? 瀬戸内も日宋貿易とかあったけど
弥生時代は考えにくいね >>370
俺もはんずって何かなとググったら東急ハンズとかそんなんだった >>364
現代の日本語読みするからいけないのでは?
当時の発音ありきで大陸人が当て字しただけ かつて半島で取った取られたやってた頃の骨のある奴らは何処行っちゃったの?
それで今居る人間に極めて近い遺伝子を持つ生物は何処から来たの?宇宙から?
隕石に付着してたのか宇宙船が不時着したかで住み着いたの?
今住み着いてる外来生物と当時の人々は言語的にも遺伝子的にも完全に別の生き物で良いんだよね…?
この辺り教科書じゃ教えてくれないしそう考えないと整合性が取れなくて混乱するんだが… 何回も言わせてもらうけど!
発掘してる野郎が自分の好き勝手に埋めて
出ました出ました!ってバカがいるから
掘ってる奴も、学者のクズ野郎も徹底的に身体検査して見張れよ 空港とか、都市高の下は遺跡がいっぱいだったのに、工事の為に闇に葬られた。
もっっっっったいない >>67
邪馬壹をやまとと読まない方が違和感があるわ >>358
卑弥呼は火の国の巫女ってことか? 当時から熊本あたりは火の国と呼ばれてたわけなん? これって文字用ではなく
からだにお絵かきするとき用ってことは無いのかな
倭人伝によると刺青すきだったそうだしさ 中華文化は異民族に悪い漢字を付けるというのうはニワカ知識の俗説。
周代に中国沿岸部の中華文化に組み込まれない部族にたいして使われた
「東夷」の夷は大きな弓を使うという意味で悪い意味はない。
(ちなみに和弓は中国で使われる弓より大きい。偶然か必然か)
更に中国沿岸部の東夷は殷代には「人方」と呼ばれていた。
方は邦と同じく国の意。
卑弥呼の卑の字も甲骨文字の字義からすると特別悪意の字ではなく単なる当て字。
日本人が自分たちで編纂した神話の伊邪那岐・伊邪那美も「邪」の字が入ってるが
これは大和言葉を当て字にしただけのものでもあり、殊更意味の有る事ではない。
近代以降の日本がアメリカを米国、フランスを仏国と呼ぶのも尊称ではなく単なる当て字と一緒。
中国や韓国がアメリカを美国というのも尊称ではなく美利堅(メリケン)からの当て字。 >>387
水稲をもたらした弥生人は刺青をしていたよ >>387
記録で入れ墨は古代中国の呉越地方に風習としてあったし、
楚漢戦争のころには、刑としても入れ墨をする風習があって、
長江沿い出身の黥布が、活躍してるという記録がはっきりあるから
中国の長江流域から沿海地方と、日本の風習は、入れ墨でも似通ってる >>380
一説だが、最初は九州全体が火の国と呼ばれてて、
各地に有力者が台頭して豊の国や筑紫の国らができた。
地元の勢力が強く誰もまとめられなかった熊本周辺がそのまま「火(肥)の国」として名前が残った。
なんて考えもある。
古事記だか日本書紀ではイザナギイザナミの国産みで九州を「筑紫島」と書いてるらしいから、
筑紫地方が大和王朝と関わり強かったのかもね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています