モロゾフのコップのおまけについてくるプリン美味しいよね
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寝る前に菓子購入はいかが モロゾフ、ネットで夜限定
モロゾフは16日、午後9時から3時間に限って洋菓子をインターネット販売するサイト「みみずく洋菓子店」をオープンし、22日に販売を始めると発表した。
仕事や家事を終えて一息つく時間帯に購入できるようにし、ネットをよく使う20代など若年層の需要を開拓する狙い。
http://www.sankei.com/economy/news/180116/ecn1801160035-n1.html 夜間の間食を控える飢えたデブに「購入しただけ」と云う満足感を与える作戦 >>7
>>9
なんかあったんか?
神戸に出張した時はアンテノールかモロゾフを土産にしとるんやが >>9
いま、チョン系になったのか
家にあるカップ全部叩き割る 同じコップ入りプリンでも、マーロウの方が使い道は多いけどな モロゾフの華麗なる歴史
ロシア革命でモロゾフ一家アメリカ→日本へ亡命
神戸でチョコレート店を始める
神戸商工会議所理事の紹介で日本の会社が設備を買い取り株式会社化
日本側が帳簿を隠すなど、好き勝手にやりはじめて関係悪化、法廷闘争へ
モロゾフ敗れる
"出資した日本人が、日本語の不自由なモロゾフとの契約をうまく利用し、
裁判によりモロゾフ一家を「モロゾフ」から排除したのである。
さらに、「モロゾフ」という商号すら使用できないようにした。
モロゾフにとっては、あまりに一方的な条件であったが、条件を飲まなければ
ロシアへ強制送還するとの脅しに、結局、判決をのまざるを得なかった。 "
「モロゾフ」という名前や、そう読める名前を一切商標に使わせない、似たような事業をしない、
という調停書にサインさせられ追い出される
モロゾフは追い出した白系ロシア人の名前と技術を使い続けて今に至る >>11
モロゾフさん一家が神戸で起業
↓
戦争でロシアに帰らないといけない
↓
チョン「お店は任せるニダ!安心して帰国しろ!」
↓
モロゾフさんロシアに帰る
↓
戦後神戸に帰る
↓
チョン「何しに帰ってきたニダ!私の店ニダ!」
↓
モロゾフさんコスモポリタンを開店するもチョンから執拗な嫌がらせの数々を受け、ロシアに帰る
一方、同じようにドイツに帰国していたユーハイムさんは戦後日本に帰国し
店を守ってくれていた日本人達がユーハイムさんを社長に再び据えていた >>11
今から約90年前、同じ神戸で洋菓子に懸ける亡命ロシア人たちの姿があった。
中国、米国を経て24年に来日した商人のフョードル・モロゾフはその2年後、洋菓子店を開いた。
朝鮮半島経由で神戸に移ったマカール・ゴンチャロフも製菓業を始める。
そして2人は、当時の日本ではまだ一般的ではなかった高級チョコで人気を集めた。
個人事業から更に規模を広げようと考え、それぞれ日本人とパートナーを組んだが
モロゾフ家は日本人側と経営方針などを巡って争いとなり
36年に裁判所の和解勧告で「モロゾフ」の商号を失った。
ゴンチャロフも同じ頃、日本を離れて行方不明となる。
満州事変(31年)など急速な軍国化が在日外国人の立場に影響したとも言われる。 >>19
ゴンチャロフって山口組のフロントだっけ?
だとしたら創業者は行方不明というより、海に沈められたんじゃね? モロゾフのコップをとっておくか捨てるかが貧乏人かそうでないかの分かれ目 マーロウじゃなくて?
あっ。モロゾフしか無い地方の方なのかな? というか、たかがプリンの容器なのになんであんなに頑丈なの?
モロゾフのほうが普通のコップより割れないで残るだろ。 >>30
あの容器に入れて蒸すんだよ
食べるときはひっくり返して皿にあけてから食うのが正しいらしい プリンはモロゾフもコージーコーナーも俺は好きだ、
だがあれだ、だからな・・・ コスモポリタンって名前を変えて銀座に店を出してたよね。
近所に住んでた神戸出身のじいさんが、銀座に行く度にコスモポリタンのチョコを大量買いして少しお裾分けしてくれたなぁ。
コスモポリタンが倒産したときじいさんもスゴくがっかりしてた。 昔のコップのほうが頑丈だった
今のあの段になってるアレはない >>6
卵の他に、水分を含むものを混ぜて蒸して固める料理という点では、プリン(カスタードプリン)も茶碗蒸しもプディングの仲間だよ。 コップにおまけでついてくる…だろ?
あったま悪いなほんとに。 最近デパ地下にプリン屋増えてない?
しかも1個700円ぐらいするやつ
まぁ普通より大きいけどあれはちょっと躊躇う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています