そして1997年、「日本を守る会」が、宗教者以外も取り込んだ改憲右派団体「日本を守る国民会議」と合流し、「日本会議」が誕生。
日本会議は草の根ネットワークの拡張を目指して各地に支部を発足していくが、その全国支部第1号が江東支部で、
98年に初代支部長に就任したのが当時、富岡八幡宮宮司の茂永容疑者だった。
当時の産経新聞には〈江東支部では今後、(1)教科書の「従軍慰安婦」記述削除(2)夫婦別姓制に代わる旧姓の通称使用を認める法改正の推進
(3)首相の靖国神社公式参拝実現−などに向けて運動を続ける〉(97年7月14日付)と記されている。
また、富岡八幡宮は2月11日の建国記念日に日本会議江東区支部と共催で「建国記念式典」を開催している。

 このように、富岡八幡宮は一般参拝者からの人気とは別に、神社界・右派運動界隈でも一目を置かれる神社だった。
そう考えてみても、親族間トラブルは神社界では有名だったにせよ、神社本庁が長子氏の宮司任命を拒んだのは不可解だろう

富岡茂永容疑者は「日本会議」全国支部第1号の江東支部・初代支部長だった!→富岡八幡宮殺傷、姉弟の祖父は「日本会議」前身団体の中心メンバーだった

富岡茂永容疑者は「日本会議」全国支部第1号の江東支部・初代支部長だった!→富岡八幡宮殺傷、姉弟の祖父は「日本会議」前身団体の中心メンバーだった! 背景に神社本庁の男尊女卑体質か
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