77歳男性「満州から帰国した際に親とはぐれ、5歳でホームレスになった。助けてくれたのは朝鮮人だった
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http://m.huffingtonpost.jp/2017/11/17/masao-takano_a_23279659/
玉姫公園ていうところだったんだけど、その時俺は99.9%死んでたと思う。
「おーい、おーい」って声が聞こえてきて、あの世からお迎えが来たのかと思っていたら、ボロボロのシャツを着た小さなおじいさんが立っていて。
リヤカーに乗せてくれて、公園の隅っこに連れて行ってくれた。
おじいさんはテントを張っていて。ドラム缶に穴を開けて、かまどがわりにしていた。そこに鍋を置いて、煮込みうどんを食わしてくれた。
今から考えると、犬の飯か猫の飯かわからないようなものだったけど、その時の味は今でも忘れられない。
死んだ人間が生き返るってのはこんなもんなんかなぁ、と思って。なんか、頭のてっぺんから足のつま先まで新しい血が、どく、どく、どくって流れるみたいに。
そのおじいさんが、いわゆる「バタ屋」さんと言って、今で言う廃品回収の仕事。
俺も手伝うようになって。俺がリアカーを引いて、おじいさんが後ろから押して。
おじいさんは朝早くから夜遅くまで黙々と働いた。寡黙で、声かけてもほとんど何も言わない。
あるとき、おじいさんが俺のために名前の書き方を教えてくれた。
「タカノマサオ」って音では知ってるけど、書けなかった。少年院とかでも蹴飛ばされて馬鹿にされたこともあった。
おじいさんはごみの中から、いろはかるたを拾ってくれて。
たこの絵で「た」、カニの絵で「か」、のぼりの絵で「の」、鞠の絵で「ま」、猿の絵で「さ」、桶の絵で「お」と並べて、「これがお前の名前だ」って。
ちびた鉛筆で、たった6文字を書くのに何日かかったかわかりゃしない。当時17歳。
生まれて初めて自分の名前が書けた時、心臓がドキンドキンって高鳴り、手が震えた。
そのうち俺は「漢字の名前も教えてくれ」って頼むようになった。そしたらおじいさんが、拾った辞書で「野雅夫」って教えてくれた。
「」という字、古い辞書だったから旧字体の「はしご」の「」を使ってる。
だから普通の「高」の字を書かれると、俺ではないと思う。
「」の字にはおじいさんの歴史と俺の命が込められているから、絶対的にこだわっている。だからはんこも、作った戸籍もみんなこの「」。
一番ショックだったのは、そのおじさんが周りから「あいつ朝鮮人だ。朝鮮人だ」とか言われて差別を受けてきたこと。
当時は全く意味がわからなくて、「朝鮮」という名前の人なのかなぐらいに思っていた。
だけど、この世の中に神様がいるとしたら、このおじいさんこそ俺の神様。俺に字を教えてくれたわけだから。黙々と仕事する後ろ姿が輝いて見えた。
そんなおじいさんが突然、亡くなった。ある朝目が覚めたら、いつもは早起きのおじいさんが寝ていた。「あれっ」と思っておじいさんに「行こ。バタやん行こう」って言ったんだけど、もう体が冷たくなっていた。
みんな「ぽっくり病」って言ってたけど、今で言ったら心臓麻痺だろう。前の晩まで元気だったし、ちゃんと仕事もやっていた。
「おじいさんが死んでる」って俺が騒いだら、近くの交番からおまわりさんがやって来て。区役所の奴らも飛んできた。
「仏様」の体だからさぞ大事に運ぶんだろうなと思っていたら、粗大ごみを運ぶような、ちっちゃなクレーンが付いたトラックが到着して。
おまわりさんも役所の人も、誰もおじいさんを触らない。まるでごみのように釣り上げて、ボーンと荷台に落とした。
「俺の神様に何しやがるんだ」って叫んで暴れたら、おまわりさんに手錠をはめられて羽交い締めにされて。
トラックはどっかに行ってしまった。生まれて初めて涙を流した。それまで野良犬のように、感情もなく生きて来た俺が。
その時、誓ったことがある。俺の「神様」を虫けら以下の、ごみのように扱った奴らに、社会に、この恨みを絶対晴らしてやると。
今から思えば俺にとっての「人間宣言」。そのためには、何としても勉強して、文字と言葉をちゃんと読めるようになって。
ちゃんと書けるようになって。どもらず、ちゃんとしゃべれるようになっておこうと。
そんな人間になって、絶対におじいさんの恨みを晴らすと。その思いは今でも変わらない。そういう思いが、俺のその後の53年間の人生を支えていたと思う。 でこれのどこがニュースなんだよ?
いい加減にしろ糞チョンモメン茨城 10代で闇市のドンと呼ばれるまでになり今では日本と韓国を又にかけるフィクサーとなる 53年もそのためだけに生きてきたのにまだ恨みはらせてないんだ
もう諦めたほうがいいだろ 誤爆した。
満州からってことは、本人も朝鮮人だから助けてもらえたんじゃないの? 玉姫公園ってあれか、山谷のあそこかw
アリの街のマリアやゼノさん、山友会を知ってるか? 小学校で観た「むっちゃんの歌」とかいう映画でも、
むっちゃんを助けてくれたのは朝鮮人のホームレスだったなぁ
たしか町の人に殺されてた気がしますが 東日本大震災のときに世界各国から多額の募金があったのも朝鮮人の人たちのおかげ
あの時の世界各国の反応は「ざまあみろ」「天罰だろ」ってのがほとんど
そんな反応なのに何故多額の募金が集まったかというと朝鮮人の人たちが世界中を回って頭を下げてくれたから
もっと昔の話をすれば太古の昔植物が光合成を始めたときにも植物のほとんどは
「なんで日本人のために酸素を供給してやらなきゃならんのだ?」って意見が植物界に蔓延してたけど
朝鮮人の人たちが植物界の長に「日本人にも空気を吸わせてやってくれ」ってお願いしたから
我々日本人は息を吸える 失礼な言い方かもしれないが面白かった。
あと思ったのは、なんか作り話のよだなあってのと、
こう言う境遇の人は世界でいくらでもいるんだろうなあって。
ぶっちゃけたら、
下の世界見て「俺はまだまだイージーモードwww」ってぐらい。 満州からの帰国者には
ドサクサコリアが多数混じってました お前らハードモードとか言ってるけど、こういう人がほんとのハードモードなんだろうな 満州のロシア軍から逃げてきて親と離れ
朝鮮の近くで兵隊崩れに拾われ
どうにか日本に帰れる港まで連れてきてもらった人を知っている
そうやって日本まで帰ってこれたと言うけど
なんか?なんだよな
雰囲気が ウリも日本語は難しいニダヨ。
ハラボジがある日いきなり駅前に住む日本人になったニダヨ。
アボジはホンタクとキムチが好きな朝鮮語しか話せなかった子供だったらしいニダヨ。 私の親の知人の在日のおばさんの
両親も捨て子を拾って
我が子として育てたよ 中にはいい人もいる 77歳ってうちの父親と一緒だ
うちの親も満州で生まれたって聞いたけど、なんか家族みんな無事に戻ってきたような感じだな >>1
ニュースじゃない
お前とお前の一家皆殺しにしてやる 優しい朝鮮人もいるんだよね。
だが、みんなしんじまった。 その何万倍もの日本人が朝鮮人に殺されたりレイプされたりしてんだが?
二日市保養所や、朝鮮進駐軍でググれば出てくるだろうが その時代の識字率てそんなもんだろ
俺の婆様も字は読めなかったしかけてもカタカナを少しだったぞ >>55
どんな田舎の貧民か知らないが
尋常小学校は義務で、通わせない親は隣組でひどい目にあうぞ まだ南と北に分かれては居なかったけど戦後すぐに北の方にはソ連軍兵士、南の方はアメリカ軍兵士が
駐在していたらしいね、で、南側に居た日本人は比較的すんなり日本に帰国できたけど、北の方に居た
日本人はそりゃもう物凄い苦労されたそうな、なのでソ連兵の目を盗みお金を渡して、夜船に乗せてもらって
アメリカ兵の縄張りのトコまで運んでもらってなんとか帰国してたらしい 中国残留孤児は存在するが朝鮮残留孤児は存在しない
全て殺されたから 過剰な修飾とか極端な人物評価とか限度を超えた恨みとか
朝鮮人やその取り巻きの作る文章てみんな同じやね 最初に出会ったのが日本人だったら
ちゃんと警察に届けて捜索願が出てないかとか
引き上げの状況を聞き取って家族の所在を突き止めたり
それでも見つからなかったら早急に生活基盤を整えるような手続きがなされただろうに
朝鮮人に拾われたがためにていのいい労働力として搾取されて不憫だなぁ そりゃこのころの朝鮮人は日本が教育してた時代だからまともなのがそれなりにいたからな
戦後育ちのチョンがキチガイなだけで戦前育ちの朝鮮人は比較的普通だぞ >>3
うん?
「」?
旧漢字って在日の人は、名前に使えないんじゃないの?
俺の勘違いか? 「これ」という要素を盛り込みすぎて創作臭が消せなくなるパターン 色々盛り込みすぎで後から読んだ本の事とか自分の記憶にしているような感じがする。 朝鮮半島は残留孤児居ないもんなあ。
…今更作るなよ() >>75
残留孤児が居ない理由。
朝鮮人が殺してまわったんだよな。
子どもたちをよくも平然と殺す事が出来るんだな。 >>59
満州国は崩壊したが、朝鮮総督府は崩壊しなかったからだよww 聞きかじったり何かで見た映画が織り交ざってるとしか
帰国船にチケットも証明書もなく乗り込めないよ
それで帰国出来ない残留孤児がいるわけで >>83
親は満州帰りだったが、こんな話があったとか聞いたことないなww
話を盛っているように思うww >>67
広澤
とか結構涼しい顔して使ってますがな >>88
そうなの?旧漢字は無理だと思ってたけど
広沢さんはいても廣澤さんはいないと思ってた >>88
平成24年移行なら使えるようになったたみたい
よくある例が『旧字体』です。例えば『澤(=沢)』『濱(=浜)』『邊(=辺)』などです。
これらは『通称名』では使用できても『帰化後の氏名』に使用できなかった典型例です。
その他、『姜』『崔』などは、韓国籍・朝鮮籍の方々には大変馴染み深い漢字であり、当然ながら漢和辞典にも載っていますが、
『人名用漢字表』・『常用漢字表』には載っておらず、これらの漢字を『帰化後の氏名』には『原則として』使用できませんでした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています