【今年一番の感動話】右足を失いながらもセンターに…“片足のアイドル”が駆け抜けた18年
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東京・浅草の小さな遊園地「浅草花やしき」。ここを拠点とする「花やしき少女歌劇団」にかつて、小児がんで右足を失いながらもセンターで歌う少女がいた。
少女の名は木村唯さん。
私は2014年秋、初めて彼女の存在を知った。東京・築地にある国立がん研究センター中央病院の院内学級の取材で、闘病中だった唯さんの歌声を聞いたのだ。
「ママ、産んでくれてありがとう」。抜群の歌唱力と、歌に込められたメッセージに強く心を揺さぶられた。
いつか唯さんのことを書きたいと思いながら果たせずにいた。15年秋に亡くなったことを知ったのは半年以上たった後。足跡をたどる取材が始まった。
小学3年生で地域アイドルグループの「花やしき少女歌劇団」に入団。歌手で作曲家の故・平尾昌晃さんに歌の才能を見いだされ、3人組ユニットでプロデビューする話も持ち上がった。
その矢先の中学3年の夏、唯さんは右足の痛みに襲われる。診断は小児がんの一種「横紋筋肉腫」。本人にも病名は告知された。このときすでに「ステージ4」であることは、両親だけに伝えられた。
抗がん剤による激しい吐き気と、ごっそり抜ける髪の毛。どんなに苦しくても、唯さんは常に歌劇団のことを考えていた。病室で歌劇団のショーの動画を見て「笑顔が足りない」
「こんなステージをお客さんに見せるの?」。「だめ出し」は歌劇団の少女たちを奮い立たせた。
経過は思わしくなかった。「これ以上続けても治せない確率のほうが高い」──最低限の治療にとどめ、残された時間を有意義に過ごしたほうがよいという主治医の提案に、唇を噛んだ。
両親は一縷の望みをかけ、国立がん研究センター中央病院にセカンドオピニオンを求めた。右足の切断。それが残された道だった。母の雅美さんはネットで義足のファッションモデルの写真を見つけ、
唯さんに見せた。「きれいだね、すごーい。義足に見えないね」。義足をつければステップくらいのダンスはできるかもしれない、と伝える雅美さんの言葉に、
唯さんの心は動いた。「手術しようかな……」 13年7月、唯さんは右足の切断手術に踏み切る。5カ月後、念願だったステージに復帰。「歌劇団の小さなメンバーが、
足がない自分を怖がるかもしれない」「お客さんが不快に思ったらどうしよう」──そんな心配は杞憂だった。少女たちは再び唯さんと同じ舞台に立てることを喜び、
ファンは手作りのうちわを振って迎えた。唯さんが倒れても支えられるように、大柄なメンバーが周囲で踊るフォーメーションを組んだ。
しかし、がんは全身に転移。15年9月、体調が悪化して入院する。抗がん剤はもう効かなくなっていた。月末、雅美さんは唯さんを自宅に連れて帰る。
亡くなるまでの18日間、家族と親戚、交際していた1歳上の彼氏に囲まれ、在宅医療を受けて過ごした。10月14日早朝、静かに旅立っていった。
最期まで生きる望みを失わなかった少女の生涯は、人々の胸に深く刻まれている。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171116-00000071-sasahi-life&p=2
木村さん(写真中央)の最後のステージ
https://amd.c.yimg.jp/amd/20171116-00000071-sasahi-000-8-view.jpg 当時、首都圏ネットワークで見たわ
亡くなってたのか 交際していた1歳上の彼氏に囲まれって彼氏何人いるんだよって思った 数日前に名鉄バスセンターから長野方面の高速バスに乗ってった
メガネマスクのアイドルっぽい子は誰かに気づいてほしそうで超挙動不審だったな 小学校の頃、骨肉種で死んだ少女の闘病記読んだけど、切っても切らなくても結局死ぬ奴は死ぬんだな 単純に可愛くない
障害がないと取り上げもしてもらえないレベル 細胞学的には小児ガンなんてのは発生するようにあは、生物学的にはなっていないのに
どのようなメカニズムで発生するのかな? 15歳のアイドルのくせに彼氏作ってんじゃねーよとは言えないな 小学生の時片足ダチョウのエルフって本読まされて
何の感慨も無いのに感想文書かされてしょーもない筋書きみたいなを書いて提出したことを思い出した >>14
あるよ
たまに山田奈緒子がくだらないマジック披露してるよ これは辛い 子供は作るもんじゃないな
親は死ぬより辛いだろ 光免疫療法の国家予算注ぎ込めよ
アメリカ任せにするなよ >>13
かたあしだちょうのエルフは国産ハードボイルドの傑作だと思う 助けてもらった動物たちにも自分の都合があるから、手負いのダチョウから離れていくのは当然
それを薄情だとは思わないし、人間の世界でも当たり前にあることだと思う
最後に大きな木とオアシスになったけど、それもしばらくしたらそこにあるのが当たり前で、有り難味なんて感じなくなると思う
みたいな趣旨のことを書いたら先生に怒られた記憶がある。かたあしだちょうのエルフ >>29
まだ右手のままなのか
子供が飽きたメダルあるからはよ取りに来いよ >>8
俺の小学生のころ、俺が読んだのは骨肉腫にかかった医者の手記だったとおもうんだが、
足を失う衝撃と、切っても結局移転して死んでしまう衝撃で
なんか癌に2回殺されたような感覚になった、それがトラウマ
骨肉腫が一番怖い病気だと思ってる >>11
細胞が変にやる気出しちゃうんだよ
自分の細胞だから拒絶反応もないし際限なく増えて本人を殺してしまう
若いほど細胞分裂も活発だから予後も悪い >>40
それは肝臓でしょ
そんで今でも有線で、それモチーフに作られた「黄色い風船」って気持ち悪い歌が流れてくる いろいろググってようやく思い出したわ、>>8のは「十五歳の絶唱」ってやつだ
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J7MOY4
6年の時にはあの「1リットルの涙」の原作になった闘病記も読んでたりした
嫌な小学生だったな >>29
手を使う趣味があるならキツイけど
障害者年金や障害枠で楽々生活できるじゃん >>41
さとこの日記は、坦道閉鎖症で
筋ジストロフィーのもあった記憶。
どちらかの感想文で「健康な体に生まれた事は
当たり前だと思っていたけど、本当はありがたい事だと思いました。この健康な体で病気の人を支えられる看護婦さんになりたいです」って書いて県のコンクールで優秀賞もらった記憶。 >1
俺も昔は女たちから3本足って呼ばれてたよ。
事故で右足を失ってからは、人並みの外見になってしまったがな。 >>29
惜しいな左だったらDのスペアになれたのに 前はよくこういうの話題になってたし
スレも立ってたけど
今ほんと話題にならなくなったね 彼氏って…アイドル続ける資格ないじゃん
末期がんで絶望してただろうから異性を求める心情は分かるが
引退して静かに男とすごせばよかったのにと思う 昔は若くして亡くなった人の生きた証を遺す方法が闘病記の書籍しか無かった
今は映像で残るから良いなぁと思う反面、残された遺族はいつまでも映像で元気な姿を観るのも辛いだろうな >>61
彼氏がいないことがアイドルの資格っていつだれが決めたの? >>1
> 交際していた1歳上の彼氏に囲まれ、
足切ってからもセックスしたのかな?
ただでさえグロいマンコの隣がすげーグロくなってんのにチンコ立つなら彼氏は相当な変態よな
片足だとM字開脚じゃなくて∧字開脚www ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています