■なぜオタクはネット右翼の温床になったか

――この本では宮崎駿、富野由悠季、押井守だけでなく、戦後アニメと社会との結びつきを徹底的に論じています。これはどういう問題設定だったんでしょうか。

これまで「オタク」の問題は、自意識の問題だと思われていたんです。
しかし、僕はオタクというのは自意識の問題ではなくて、実は技術であり、社会であり、思想の問題ではないかと考えています。
だからアニメ作品と政治の結びつきについて論じました。というのも、僕はアニメや特撮が好きな人間として、オタクがネット右翼の温床になっているという現実が、本当に悲しいんですよ。
そこに関しては、僕には明確な反省があります。

――反省というと?

2000年代初頭に「新しい教科書をつくる会」や「2ちゃんねる」など、ネット上で右翼的な言動が目立ちはじめたとき、僕はそういう人たちを鼻で笑っていたんですよね。

「あんなやつら放っておけばいいんだ」と思っていた。そこに関して僕は間違っていたと思います。
だからこそ、オタクというのは思想の問題なんだということを、ちゃんと書かなければいけない。

日本のサブカルチャーのなかで、政治的であろうとしたのはオタク文化だけだった、というのが僕の考えなんですね。
そのことを特に2部と6部で書いています。僕はオタク文化には正しく政治化できる可能性があった、と考えているんです。

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