在日朝鮮人の父母のもと、京都市に生まれる。
早稲田大学在学中の1971年、二人の兄が留学中のソウルで国家保安法違反容疑で逮捕される(学園浸透スパイ団事件)。
すぐさま逮捕の不当性を訴えて母や支援者とともに救援活動を展開。
1974年に早稲田大学第一文学部仏文学科を卒業するも、依然兄弟は獄中にあり、自らも進学を諦めて兄の解放と韓国民主化運動のため活動を継続する。この活動中に母を亡くす。

投獄から17年目の1988年に徐俊植が釈放され、1990年には徐勝も釈放。
長期にわたる救援活動の経験は、その後の思索と文筆活動へとつながっていく。
この頃より都内の大学などで「人権」や「マイノリティ」をテーマとした講義を持っている。
2000年、東京経済大学助教授に就任。
2009年に同教授。