白虎隊ってぶっちゃけただのバカだよね [無断転載禁止]©2ch.net
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会津弔霊義会(芳賀公平理事長)は24日、会津若松市の飯盛山で白虎隊士墓前秋季祭典を行い、戊辰戦争で命を落とした少年武士たちの霊を慰めた。
会津高剣舞委員会の剣舞奉納では、生徒たちがりりしい表情で剣舞を披露した。同校3年の生徒(17)は「剣舞を通して白虎隊を身近に感じるようになった。会津の歴史を受け継いでいきたい」と語った。
芳賀理事長が「白虎隊士は人間として最も大切な倫理観を身に付けていた。白虎隊の事績を顕彰し、会津武士の精神を後世に伝えていく」と祭文を読み上げた。松平保久会津松平家第14代当主らが玉串をささげた。
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20170925-206791.php 弁当持ってくのを甘くみて持ってかなくて
お腹ペコペコで捕虜になるのが嫌で相対死にしてしまったという 武士道が少年にまで行き渡っていた会津藩と比べて仙台藩は… 殿様が古臭い因習に囚われ時代の潮流を読めない
参謀も小僧だけで斥候させる
橋の警護は坊主兵
精鋭はお城の中 山の入口にある歴史館がカビ臭くて直ぐに出た。展示物の展示も大雑把だし。
腹切った辺りが普通の墓地。
観光地なんだからなんとかしろよ。 城じゃなく藩主に仕えてたんだろ。
「城は燃えてるが殿は脱出したかもしれん。合流安否確認を優先し腹を切るのはその後」ってのが普通だろ。 なんだ会津って鹿児島山口だけじゃなく兵庫とも仲悪いのか? >>16
勘違いで切腹したっていうのは今違うらしいぞ
城が無くなったから武士として生きる道以外嫌だからって切腹したって変わったらしい
飯盛山の石碑の内容もそう書き換わったと聞いた 城じゃなくて手前の民家燃えてるの勘違いして自害ってのが後世に残すエピソードどとしては微妙すぎる 君主に全てを捧げた武士道の美徳みたいな見方はされがちだが
正直ただの無駄死だしな
こういうのが美徳扱いされるうちはブラック企業はなくならん気がするわ マンガで最後隊長が腹を十字に切る場面がなぜか印象深い >>26
情報めっちゃ大事早とちりして無駄死にダメ絶対
後世に語り継ぐべき教訓と思うよ 白虎隊とかw
記録が残ってる最古の中二病患者だろう。 >>28
♪おーろーかな〜ものよぉうぉおぅおぅおぅ〜。♪ (※ショーケン風) 邪魔になったから切腹させられたんだろ、逃げた奴も居たみたいだがソイツが一番賢い 近所に出来た店のメニューに「白虎ラーメン」てのがあったんで
元気よく「びゃっこラーメン!」って注文したら
「はい、しろとらラーメンね」って言い直されて悲しかった思い出 介錯人なし切腹できるの?
ほんとは服毒自殺したんでしょう。 >>24
うわぁ。。。
死んでも地獄、生きてても地獄じゃねーか
まさに悲劇の少年部隊だったんだな 勘違いで自刃とか、初めて知った小学生の時に
思わず「オイオイ」と突っ込んでしまった 爺オンリー玄武隊
おにゃのこチーム朱雀隊
青竜隊ってなんだっけ? なんで庶民の間で白虎隊が語り継がれてるのかわからないんだよな
松平容保は領民に重税を課して恨まれてたのに
新政府軍が来た時には大喜びしたはずだ
白虎隊も武家のガキで結成された組織だしな
町おこしに利用してるだけか? 勘違いで死んだなんてやり切れない。生き残った人はビビっただけ? 白虎隊がじゃなくて会津若松藩の大人は人間じゃ無いよね 松平容保はのうのうと生きたくず
とーほぐじんは哀れだな >>46
赤軍の連中で自決した奴いたっけか?
獄中の奴等は血税でのほほんとしているしよど号犯は北朝鮮で貴族生活しているし 地元の藩士が会津戦争の後に書いた手記には白虎隊は逃げ惑ってただけと記されている 白虎隊剣舞見たような記憶があるけど自刃するところでちょっと吹いた >>51
世の中には子供が死ぬと盛り上がる層が居るんだよ ククククク‥ 白虎隊がやられたようだな
奴は四天王の中でも最弱… >>34
厨二病っぷりでは新撰組の方が上じゃね?
江戸の辺境からヒロイズムに酔いしれて京にくるも狼藉酷くて
鳥羽伏見で負けた時瓦版に「新撰死す死す死に尽くす」と書かれ京の人が喜ぶくらい嫌われてたし マヂレスすると会津藩は、
朱雀隊→青年兵(18〜35歳)
青龍隊→壮年兵(36〜49歳)
玄武隊→老年兵(50歳以上)
白虎隊→少年兵(15〜17歳)
となっていて、玄武隊と白虎隊は予備兵なので本来は出撃する予定はなかった
朱雀&青龍隊が敗走したので、白虎隊も出撃することになった
出撃したが敗走
飯盛山に辿り着いたが、眼下に広がる風景を見て
「城に戻って戦う派」「敵陣へ切り込んで死ぬ派」に分かれたらしいが、どちらも敵に捕らわれて
生き恥を晒す可能性が高く、「だったらここで自害して武士の生き様を全うしよう」ということに
なったらしい
自らが武家の人間であることにこだわり、こだわったために早死することになったわけで、
バカと言えばバカだわな
自らの信念のために死ねるっていうのはカッコ良いと思えもする 50歳以上の玄武隊ってギャグじゃなくて本当にあったのね 極論だけど
2次元人は山なりボールなげると消える魔球に見えるようなもんだろ
気付けない現象をしらないからって馬鹿にするのは低脳の意見 >>22
遺体埋葬禁止のデマもいいかげん書き換えるべき。
会津藩士埋葬の史料発見 「戦死屍取仕末金銭入用帳」の写し
9/25(月) 10:37配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170925-00000584-fminpo-l07
戊辰戦争で会津藩が降伏した直後の1868(明治元)年10月、
戦死した藩士らが埋葬されていたとする史料が福島県会津若松市で見つかった。
従来は、西軍(新政府軍)が遺体の埋葬を許さなかったとされてきたが、
埋葬場所、埋葬経費などが詳細に記されている。 >>56
森恒夫が拘置所で首吊り自殺してる。しかも正月元旦。
まあ報を聞いた永田洋子は「森さん、ずるい!」と叫んだそうだし、
潔い自裁の心境とは違って、単なる逃避だったんだと思う。 >>67
あなた、正解!
ということで、糸冬子〜!! 日テレの白虎隊は良かったな
城が燃えるように見えるシーンはしょぼかったけど >>74
これな
会津の言うことは自分たちの美化と薩長の毀損が激しく
とても信用出来ない
白虎隊も実際はどう死んだかわかったもんじゃない
>野口さんは「伝染病の発生など衛生面を考えても半年間、
>遺体が放置されたというのはあり得ない。
>史料から少なくとも500人以上が埋葬されていたと分かる」と話している。 田舎侍の子弟だが良く調教されてたんだな、教える側が頭が悪すぎた >>82
生き残った隊員の証言だと>>67らしいよ >>86
実際はとても言えないことがあったのかもな
煙が見えて切腹というのは不自然だし 愚か者だと笑いますか?
急ぐ命を笑いますか?
不器用者と笑いますか? こういう集団自決を美徳として語り継ぐのはおかしい
そりゃWWUでも末端兵士に玉砕させるわなw
むしろ集団に流されずに逃げのびてしぶとく生き残った隊員をクローズアップしろ どうせ死ぬなら、サツマイモ一人でも多く討って死ねば良かったのに >>91
歌詞のとおり、幕末は時代の流れが早すぎるよな >>95
生き延びた連中が西南戦争で抜刀隊になってそれしてるからまあおあいこで >>97
抜刀隊の半数以上が旧薩摩出身
隊長も旧薩摩出身
君も犬養毅のフェイクニュースに騙されたね 日韓併合を推進した駐韓公使の林権助
その祖父である林権助安定は真っ先に薩摩軍と戦端を開いて戊辰戦争が始まった
あまり注目されないが貧乏神一族 >>98
まじかよ
薩摩が薩摩をなます切りにしただけの戦争だったのか
あれ、農民兵いらなくね? 老人どもの既に時代遅れのオワった人生観に付き合わされて騙されて無駄に死んだだけだ
ISの少年兵と何も変わらん 狂気の自殺美化を刷りこまれた哀れな少年兵
ただただ悲惨なだけ
なにーが白虎隊士は人間として最も大切な倫理観をもっていただ もっと馬鹿(の集り)が日本の隣にあるだろ
何処とは言わんが 隊長が打ち合わせに行った後道に迷って再合流出来なかったんだっけ? 真にバカバカしいのはそんな白虎隊の連中含む武士階級に当時はあんだけ反発して年貢取るための戸籍台帳強奪して焼きすてる一揆まで起こしたのに
そのこと忘れて会津戦争美化したり薩長は許せんとか息巻いてる現代の福島民 今の日本の政治家や官僚は自決する気概すらない老害ばかりだけどな
公約達成できなければ(辞める)とか宣った癖に
生き恥晒して政権ね椅子にしがみついているジューシィな総理大臣が
居るとか居ないとか >>63
他の朱雀とか玄武とかはおっさんたちの兵なんだよな >>90
それは亀だということが分かってていってるのか? >>64
京都人は底意地が悪いから誰が死んでもメシウマって喜んでるだけだよ
あれ、ニュー速と変わらんな… 高校の同級生に子孫の奴がいたな
自害した隊士の兄弟筋だったけど 一番死ななければならないはずの関東軍の上層部
つまり官軍の末裔であり
現在の自民党に多く巣くっている寄生虫ども
コイツらだよ >>113
刺してくれる相手がいない最後の一人だけが生き残ったんだよな >>28
記念館?言ったらその歌が館内で流れていた記憶がある >>102
畑俊六の戦陣訓は
「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」の葉隠を基にしたと言われるが
後ろにこう続いていることはあまり知られていない
「毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、
武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり。」
訳すと「毎朝毎夕のように死ぬことを決心して、常に死んだ身になっていれば、
武士道と自分は一体となり、一生落ち度がなく、職務をまっとうすることができるのだ。」という意味になる
どちらかと言うと日本軍の玉砕精神は会津武士の末裔である畑俊六のアレンジが強い 晩年の容保他兄弟の写真はまさに疫病神って感じだけどな
若かりし頃のイケメンの面影がない 白虎隊の隊士の中にファンキーな母ちゃんが居て出陣する息子に草緑の服を誂えた
こんなのいやだよう、皆んなと同じがいいようってクズる息子に
「バカタレ、この服を着てれば敵に見つからず接近出来るだろう。存分に会津の為に働いて来い」と叱咤して送り出した母ちゃん
目立ってなんぼの時代な迷彩柄の概念を持ってたとか恐らくタイムトラベラー母ちゃんだったんじゃないかと俺は見ている >>130
衛府の七忍って漫画で人違いで斬り殺した薩摩武士のセリフ
なお名前を聞いてから斬りつける方針に変えたが、やっぱり面倒臭いので答える前に斬り殺した @ 戦ってない
A 勘違いで自害
B 完全に名前負けしている
もう白虎隊ってだけで恥ずかしくて長屋に引き篭もるレベル 少年十字軍も結局誘拐されて奴隷として売られちゃったしな 未成年の主張シリーズは未だにお世話になってるって近所の野良猫が言ってた 二本松藩なんて特に隊名をつける訳でもなく普通に最小12歳の子供まで最前線に送り出して多くの少年を殺してるからな
隊名付けてやった会津藩はまだ良心的だよ >>121
徳川がお侍が叛乱しない様に構築した様な物だから
鉄砲・槍・弓より役に立たない刀のお稽古に
戦術や戦略よりも精神論の勉学に精を出す 挙句にチョウシューガー、サツマガーっていまだに行っている。
俺会社はいって自己紹介した時に、別部署の部長だった人に速攻でダメ出しされた
俺は会津だ鹿児島出身は嫌いって
考え方が某国とおんなじ
まぁさすがにその席で謝罪しろとまでは言われなかったが 会津観光史観は商売だって会津人が指摘してんのにね
いくら商売だからって自分らのやったことまで長州になすりつけてるのは見てて引くわ 白虎隊がどーのの前に、彼らの殿様だった松平容保がまったくのアホだったね。事情を知らない人へ
黒船が来て、幕府の権威が低下し、京都には「幕府を倒して帝を中心とした新国家を作ろう」という
大義名分の下、諸国の浮浪が集まった。名分は兎も角、こいつらの多くは諸国の食い詰め者やただの
殺人狂で、京都は無警察状態になった。そこで、将軍後見職の徳川慶喜は、会津の松平容保に
会津藩兵を京都によこして治安を回復するように依頼した(事実上の強要)会津藩の重役連は大反対したが
容保が慶喜から「会津藩初代の遺言で、何があっても幕府を守れとあるじゃないか!」を持ち出され
結局、容保は京都守護職を引き受ける。で当初は容保も浮浪と話し合う姿勢を見せていたが、
「どうか、会津藩の端に加えてください」と申し入れてきた壬生浪士組という小さな団体を軽い気持ちで
「じゃあ、会津藩の御預かりにしといてやるわ」位の待遇にしといたら、コレが新撰組と名を変えて
浮浪を狩るわ狩るわ!とうとう浮浪の中でも主導的立場にいた連中の集会を襲撃し、大物たちを大量に
捕殺、捕縛した。当然、この浮浪達(勤王派)の生き残り達の憎悪は、新撰組そして会津に向く
その後、時勢が変わって、勤王連中が天皇を擁して新政府を立ち上げると、その憎しみは、会津に殺到した。
容保はビビって、領内の女子供まで動員して「自分を守れ!俺は死にたくない!領民は俺の盾になって死ね」
と言葉にこそ出さないが、そのとおりの無謀な玉砕戦を藩士や領民に命じた。白虎隊の悲劇もその産物。
結果会津藩は、凄惨な戦の末、滅亡するが、容保はなおも生き続け、明治の半ばまで生きて病死する。
白虎隊は成人後は藩の指導的立場になるはずだったエリート達が大勢含まれていたから、会津(のちに青森の斗南に移される)
は、人材をすっかり失い、明治後も全く低迷する。その意味でも容保程の愚人はいない。 白虎隊がバカなら玄武隊や青龍隊のおっさん達は... >>94
生き延びるには、汚いこともするようになる。
そんな奴らが増えると軍隊まとまらなくなるだろ?
結局お上が組織を楽にまとめるために下に美談を押し付けてるのさ 大体、ろくな戦闘経験も無い連中だけで、なんで野に放ったのかが良くわかんねぇ
城に残して最終防衛線にすりゃ、一度も戦うこと無くバカみたいに死ぬ事無かったやん?
会津戦争中に・・・ いきなり切腹・・・ 一度も戦闘に参加してない・・・ 立回りの悪いバカな大人たちに騙された憐れなガキ共とも言える。 白虎隊もわからんし忠臣蔵もわからん
あんなもんただの逆ギレ逆恨みだろ
現代では全く評価されんわな >>148
http://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4245
山で待ち伏せして進軍遅らせるも食料持って来てない
隊長とはぐれる逃げたと勘違いして暴走ここからがスゴイ
戦ってみるも兵力も武器も相手にならない城に逃げようと思ったら遅かった >>152
>山で待ち伏せして進軍遅らせようとしたが食料持って来てない
の間違い 途中で裏切った薩摩藩を恨むのはまだわかるけど長州を恨むのは御門違いも良いとこだよな
ずっと敵対してて負かされただけなんだから >>152 インパール作戦みたいなもんだったのか? 会津、薩摩は幕末まで衆道が残った代表的藩。
ホモォはすぐ心中してしまうんやで… 捕虜にされると、薩摩藩の連中にレイプされる恐れもあった訳だ・・・ 明治政府は美談として徹底利用したんだろうな
だから歴史から抹殺せずに美談として残した
若者たちが武士道で殉死したので供養するとなれば大衆の同情も誘い占領地の統治に好都合だからな 会津は戦争をするってのに、新式銃の購入に不熱心で、戦国時代よろしく古式ゆかしく斬り込みが主体とかってねえ・・
実際の戦国時代だって、末期の頃は、銃撃戦・砲撃戦が主体になっていたのなあ。
>>76
長生きすれば幸せな人生かって云えば違うでしょ?
大義の為に家族や近しい人達が死んでいった時に
自分だけおめおめ生き残って何の人生かって。
自分はどう生きたかってのが何より大事な時代でしょ。
白虎隊が伝説となったのは白虎隊の悲劇が
滅び行く幕府に殉じた会津の生きざまの悲劇の象徴だからでしょ?
あんたも分かってて書いたと思うけど。 >>160
わなる!
風間杜夫が松平容保にピッタリだった
そして世良修蔵に泉谷しげるをあてたプロデューサーセンスあり過ぎ >長生きすれば幸せな人生かって云えば違うでしょ?
まさにねらー、特にネトウヨには耳に痛い台詞だわなw 農民から搾取して商人から借金重ねてたウンコの分際で、正義の味方なんか名乗るからキチガイはキチガイなんだよねー 白虎隊は勇敢に戦った。
飯盛山で勘違いして死んだ連中がバカなだけ。
あれは美談じゃなくておっちょこちょいは無駄死ににつながるって教訓だろう。 >>52
意識不明の状態で近所の農家が手当して
一命を取り留めた。
生き残りの証言で勘違いの自刃は否定されている。
弾も少なく怪我人も多く、城までたどり着けないとしての
自刃だったらしいが、余りにも諦めよく
中二病に酔った感はある。 >>29
そんなのとても無理らしいぞ。
そもそも切った腹が痛くて力はいるわけないだろ。
明治政府が考えたインチキだよ。 >>157
一撃して離脱するつもりだったが
戦力差が大きかったのと相手の進撃が
速かったので敵中に孤立した。 養子で会津藩に入った容保は自我を棄てて会津藩主に相応しいと言われるようになりたいと其れだけを考えて行動しちゃったんだよね
もし保科正之公ならどうしただろうか?と其れだけを考えて西郷頼母の注進等をガン無視した
養子で他藩の殿様になるとそういう傾向が強くでるそうだ まあ大元の徳川慶喜は全然違ったけど >>159
レイプ上等の鬼畜ホモは土佐藩。
会津や薩摩は、仲間思いで情に厚い。
長州藩が血も涙もないのは、衆道が廃れていたからだと
言う説もある。 これが美談になって、ドラマ化されてるのが疑問
これほどのヌケサクは居ない
生き抜いて敵討ちして死ね 会津批判のミラーとして長州の残虐行為も机上においてほしい >>89
だから若年兵ばかりだから兵糧を持っていくのに気が回らなくて
空腹で動けなくなって城が燃えてガックリきて捕虜にならないよう最後の力で自刃したんだよ
歴史番組で検証番組やっていた 八重の桜は禁門の変〜会津戦争までは毎回見ていた
禁門での長州の来島又兵衛が山本覚馬に狙撃されるという改変はどうかと思ったが
ドラマだからアリなのかね(史実では薩摩の川路利良に狙撃される) >>189
来島又兵衛に中村半次郎が大将首もらったと斬りかかるも槍のケツで脳天ぶん殴られて昏倒したって話は本当なのかね
確か池波正太郎の人斬り半次郎にそう書いてあったけど 引っ越してきて知ってなにひとつ心動かされなかったな まあなあ
どうせ死ぬなら怨敵を相打ちで一人でも多くと思ってしまうが俺なんか >>194
死体を葬ろうとしたらそのままにしておけと死体を野ざらしにした >>198
別にそこまで間違っちゃいないだろ
理由は色々あるが埋葬が遅々として進んでなかった理由の一つに
賊軍相手故の官軍側の粗略に扱う感情は間違いなくあろうし
まあ会津が薩長に勝ったとしても同様の事は起きたとは思うが >>192
倒した会津の兵士をBBQの肉にして食べたんだよね ゲリラ戦の概念さえ理解していればいくらでも粘り強く戦えたのに 虐殺されただけなのに自刃した事にされたフェイクストーリーなんじゃないのか? ムッソリーニを騙して建てた記念碑ってどこにあるの?ww 死ねって言われたら死ぬのか
じゃあホームラン打てっていったらホームラン打つのか 歴史番組で見たときはバカじゃん、もうちょっとがんばろうぜと思ったけど
このスレ見て小椋佳作詞、堀内孝雄作曲の「愛しき日々」の歌詞付き動画見てきたら
時代に巻き込まれちゃった少年たち感が増してきた
かわいそうに 王政復古がなってから錦旗に楯突いた奴は全員テロリストだよ >>1
赤穂浪士もぶっちゃけただのバカだよね
とかそういう話なのかな ただのバカなんだけど
ただのバカをコンテンツ化して金儲けしてるやつらは賢い そうだよ、でもそれに気づかない馬鹿が多いのが事実!!そら日本終わるわな 戦況確認しないし戦いもしないで
自刃を誉める事が後世に悪い影響
与えてるよなぁ 凄いっちゃ凄いけどな今でなら中一〜中三で切腹とか胆力は異常過ぎ 会津観光で白虎隊ってのも昔の話だな
うちで会津にドライブ行くにしても飯森山は最初からプランに上がらないわ
裏磐梯か猪苗代、ちょっと足を延ばして柳津であわまんじゅう買うぐらいだ 堀内孝雄とかおっさん過ぎて聴きたくないけど愛しき日々は良い
たまにスカパーで再放送されてるの見ると結構ショボいんだけどあのドラマと合わせていい
白虎隊以外のエピソードもそれなりに入ってるんだよね やっぱり半島にちかい長州人は劣等遺伝子に汚染された陋劣人種 >>226
会津だけだとそこまでの名所ないからなあ鶴ヶ城位か
あそこはいかにも城下町な入り組んだ道や街並みで迷って温泉入って辛味噌で馬刺し食べるところ 白河以北一山百文
白河と会津若松ってどっちが北なのかわかりにくい 長州藩の兵隊がジープでやってきて若い娘を根こそぎ掻っ攫っていったんだよね 戦争の悲惨さってより、「陶酔」って麻薬だなぁ、な印象。 歴史は勝者が都合よく作るもの。
会津は当時は日本でも屈指の学問の盛んな藩で、マトモに行けば日本を背負って立っていただろう。
薩長政府の嫌がらせで、最後まで大学すら設置認可がおりなかった。
ガンバレ、会津、福島! 会津さんの怨嗟の心地良さと言ったら
明治政府になって良かっただろ? >>199
死体のチンポ切って咥えさせたと本で読んだ 城が燃えてると勘違いしたのは仕方ないとして、
城が燃えてる=殿様の死 と短絡的なのが駄目。
殿様は脱出してるかもしれないし、死んでたとしても弔い合戦を考えてる家老クラスがいたかもしれない。
上の人に合流する事を考えないと駄目。 まあ確かにもう少し良く確認しろと思うよね
あと例え拠点が落とされてても自決じゃなくて突撃して死ねと。 >>15
まだ入れるんだっけ?
朽ちて倒れそうな感じだったけど レジェンドになって100年以上も語り継がれてる時点で、馬鹿でも犬死にでもない
お前らのように何も残さず平和に老いて介護施設でボケ死ぬのが利口なのか メンバーの中にスクール★ウォーズのイソップがいたよな >>229
東北は征夷大将軍坂上田村麻呂に征伐された反朝廷の蝦夷の子孫だろ Re:WhiteTigers 某たち白虎隊で自刃したら若い女人が薄布しかまとっていない異世界に転生したでござる >>152
俺が小学生だった頃、教室の本棚に置いてあった歴史絵本とどれくらい違うのだろうか。
まだリンク先ページを見てない。 だいたい、本当にマトモなら賊軍なんかにそもそもならないからね
しかも幕府軍って(呆れ) >>250
それな
これが薄髪隊とかだったらこんなに人気にはなってないと思う 当時とは価値観が全く違う
現在の価値観では、はぁそうですかという感じだな
情報と命は大切にな >>228
当時主役にキャスティングされてたやすしの息子がタクシー運転手暴行事件で使えなくなって急遽代役やったのが
坂上忍だった。 あと綾瀬はるかがNHK大河でやった新島八重も出てくるな。 玄関のチャイムにもビビる、オマエラに何も言う権利なしww >>252
什の掟と制裁も見たらいいよ年長者に逆らうのも意見言うのもタブー
兵士を作り出すには最適だけど難局を乗り切る機転は養われない よく戦争の恐ろしさを後世に伝えていきたいとか言うのに
会津戦争の内戦の恐ろしさを後世に伝えていきたいと誰も言わないのはなぜ? >>180
戦国時代だと会津の蘆名盛氏と山口の大内義隆
どちらもホモで有名な有力守護大名だったのにね >>187
北上川を治水し仙台平野を開発したのは山口出身の川村孫兵衛だろ >>264
勝てば官軍とは薩長のこと。
都合の悪い話は、薩長政権が全て消し去った。
会津の悲しみが分かるのは一部の歴史マニアだけだろう。
長州のいいとこ取りの歴史だ。
(薩摩藩士は西南戦争で賊軍となった) >>263
兵士なら百姓に鉄砲持たせた方が速い
前戦では何の役にも立たないお侍さんです >>263
その辺りは時代でしょ薩摩なんかも郷中てのあるし
しかも感覚的な感じで女と目があったら即リンチなんて事もあったらしいし
まだ会津の方が文明的かもしれん 未だに山口に敵対心を抱いてるとか
ふぐすま土人の陰湿さって凄いね。 >>270
史実のハッキリしない戦国時代でもなし。生き残りもいっぱいいたし、昭和の終戦まであからさまに続く長州閥の会津に対する嫌がらせは語り継がれて当然。
なんで東電の原発が関東と関係ない福島と新潟に有るのかだな。
少し歴史をかじれば分かるだろう。 >>271
原発関係ないだろ官軍側だった福井にあるし
宇和島藩だって別に薩長に敵対してた訳じゃない 新撰組は会津でも嫌われてたって鶴ヶ城の中の説明書きに書いてあった。 >>271
賊の分際で高望みし過ぎるからじゃない?
分相応を心掛ければ生きやすいと思うよ
これアドバイス >>271
山口にも上関原発建設推進中
福島に原発を誘致したのは地元福島出身の渡部恒三とその甥の福島県知事じゃないのかね? >>277
長州憎しのあまり現実を見れてない会津脳に何言っても無駄 て言うか鹿児島にも既にあるな原発
会津脳と言うよりただ単に放射脳な気がするなこの人の場合 反薩長史観者と韓国朝鮮人との共通思考
明治維新は間違い
日清日露太平洋戦争は日本の侵略戦争
日本近代史は否定されるべきもの
過去に執着し恨みを現在にまで引きずる
反発されてチョンと言われる前に長州はチョン天皇はチョンと相手をチョン呼ばわりして保守派を沈黙させようと謀る
沖縄の反基地闘争、琉球独立論者の様に過去史を利用して中韓の日本分断に利用される連中にすぎん 長州閥が牛耳る政府の意を受けた東電が会津に原発を作ったとも言いたげなんだよなぁ
放射脳と会津脳の合わせ技は手に負えない
一方的に山口を敵視してくるんだもん、困るよなぁ わかってないね。
長州閥と言われる人は、明治維新のとっくの昔に、論功華族とか官僚軍人となって東京都民になってるよ。
山口に残ってるのはカス。 ただ山口県に生まれ育ったってだけで敵視されるのは本当に迷惑です >>284
ひゃー怖い、会津脳は攻撃的だな
長州閥主導の政府で良かったよな?
恨みで生きる会津脳に任せてたらとんでもないことになってた ウィキペディアや雑学知識を溜め込んで歴史通ぶって焼き味噌だのバカだの笑い者にして思考停止するより
アホちやうのwと思える白虎隊にしろ少年十字軍にしろ足利義教にしろ
当時の制度や世相、置かれた状況から深掘りするのが歴史の学びだと思うけどな まあどっちもどっち的な部分もあるけどな
数年前の和解打診の件でも萩側が
「もう150年も経ったのだからいい加減和解しましょう・・・」云々と打診したらしいでねいの
会津側が一本気で揺るがない悪く言えば頑固で融通効かない気質なのは元から解ってるんだから
こんな言い方したら纏まるもんも纏まらん寧ろ煽ってるのかよと 死に方が馬鹿すぎて会津藩士の墓地に入れてもらえなかったんだっけ アベのオジーちゃんみたいにA級戦犯になっても生き残らないとだめだよ! >>264
長州藩が酷過ぎた
薩摩藩は戦後処理に西郷隆盛が当たり、礼を尽くして会津民を慰撫したので
当地でも人気が高く、西南戦争の時は西郷軍に援軍を出したほど慕われていた リスクも懸念されてはいたが原子力は未来のエネルギーとしての期待も大きかった
鉄腕アトムもドラえもんも動力は原子力設定
だからこそ會津魂(笑)を強調する渡部恒三も当時積極的に動いて福島の為に原発を誘致した
事故が頻発した後になってこれは陰謀だといっても滑稽この上ない ボランティアで福島行った時に初対面のおっさんから開口一番
山口から来たボンクラ
と呼ばれた時にこいつらダメだと悟ったね
嫌いな相手にはどんな無礼も許される会津 >>267
お前が歴史知らないだけじゃないのか?
萩の乱で松下村塾関係者はほとんど死んでるぞ >>288
同じく戦後処理にあたった薩摩と長州で差があり過ぎて
長州藩からは外道の様な扱いだったが薩摩藩は人道に則り、手厚く保護したので
余計に長州藩への怨恨が深い物になった >>291
元会津藩士が戊辰の恨みを晴らさんと警視庁抜刀隊に志願して西郷軍を斬りまくった話なら知ってる >>291
山川学長をひきとった奥平謙輔は長州人だぞ >>295
反抗したうえ負けても優しくしてくれなかったから嫌い!ってか?
アホかよ アホくさい じゃあ大阪府民は大坂夏の陣で落城に際して無辜の民を何万も虐殺 強姦 奴隷化の限りを尽くした徳川とその出身地を今でも憎悪してんのかよ
卑劣な手段で豊臣から権力を簒奪した徳川幕府とその支持者は同じ様にされても文句言うんじゃないよ 徳川は大坂を灰燼にし大虐殺をした
官軍は江戸総攻撃をやらなかった
会津が最後まで抵抗して酷い目にあった
それだけ >>295
直接残って対応したのは薩長じゃないらしいぞ
何処だったか忘れたが小倉とかどこぞの数藩だとか
まあその後の打ち壊しや一揆をほぼ放置させてたのは薩長の意向だろうけれど 白虎隊って少数精鋭で全滅した悲劇の部隊ってイメージが強いけど実態は
町人の次男坊三男坊の寄せ集め後方支援部隊で全体の8割以上が生き残ったってな >>1
本当の馬鹿は天皇皇族とか自民ジジィな。
オマエラの子分の人生、悲しくなりそうだなwwww >>298
そんなの所属してた藩の対応の問題で
負かした相手の領民を酷く扱えば遺恨になる位常識
だから未だに和解は出来んのだろ 松平の殿様とか八重とかはノウノウとしたんだから
死んじゃった子供たちは可哀想だよね >>304
会津だけだが?日本でそんなコトぐちぐち今でも言い続けてんの だから悪目立ちしてる
沖縄でさえ鹿児島県に対して薩摩の琉球支配を事あるごとに言い立てる人いないわ >>304
いや、和解はしなくて良いよ別に
一方的に噛み付いてくるのが変な人たちだなって
だって生まれた藩の問題だからどうしようもないってことでしょ?
こっちだって生まれた県の問題だから仕方ないのに会津がしつこいからさ >>304
領民に関してだけ言えばそこまで恨みとも思ってないんじゃねいかの
それ以前の戦費調達の為の重税で苦しんでたからこその一揆打ち壊しなんだし
松平容保も自刃せずに護送された時領民は多くの冷ややかで関心は低かったとパークスの手記にもあるし
死体野ざらしで酷い事しやがるくらいは思ったかもしれんが
寧ろその後の薩長閥政府からくる地味な長年の不公平が積もって今がある気がするな >>299
400年も過ぎれば当時の家系はほとんどなくなってるだろ。 >>311
戦国はもういいだろでも幕末の虐殺はダメってのは筋が通らんよ
そういやチョンは戦国時代の朝鮮出兵も明治の日韓併合も一緒くたにして日本批判してるな
何処かと心根がそっくりなわけだがw 会津一人旅で行ったけど
鬱になりそうだから飯盛山スルーした 麻生太郎の先祖
織田有楽斎━織田長政━織田長政の娘━稲葉正親━稲葉正益━泉流院━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
中川清秀━チボ━於松━池田長幸の娘━堀直吉━堀直利━堀直英━法明院━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
森可成━森忠政━於松━池田長幸の娘━堀直吉━堀直利━堀直英━法明院━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
堀秀政━堀秀政の娘━堀直寄━堀直時━堀直吉━堀直利━堀直英━法明院━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
池田恒興━池田輝政━茶々姫━京極高広━養仙院━松平定頼の娘━酒井忠隆━酒井忠隆の娘━養信院━立花貫長━立花長煕━ 立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
前田利家の妹━市橋長利の娘━立花種明━立花貫長━立花長煕━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
柴田勝家の姉━佐久間勝之━青樟院━立花種明━立花貫長━立花長煕━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎 佐々成政━佐々成政の娘━青樟院━立花種明━立花貫長━立花長煕━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
真田昌幸━村松殿━小山田茂誠の娘━浄光院━立花種明━立花貫長━立花長煕━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
小山田茂誠━小山田茂誠の娘━浄光院━立花種明━立花貫長━立花長煕━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
高橋紹運━立花直次━立花種次━立花種長━立花種明━立花貫長━立花長煕━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
筑紫広門━加弥姫━立花種次━立花種長━立花種明━立花貫長━立花長煕━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
島津義弘━島津忠恒━島津光久━島津満━島津忠高━島津惟久━養信院━立花貫長━立花長煕━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
伊達政宗━伊達氏菊姫━京極晴雲院━立花貫長━立花長煕━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
片倉景綱━片倉重長━片倉喜佐━片倉景長━片倉まつ━伊達吉村━三保姫━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎
大久保利通━牧野伸顕━牧野雪子━吉田和子━麻生太郎 >>203
ムッソリーニじゃ無くてヒットラーユーゲントでは?
確か飯森山にハーケンクロイツが乗った忠霊塔があった筈 >>304
>負かした相手の領民を酷く
小倉藩や越後各地の長州占領地は年貢半減してもらってるのだが >>245
太田のあじさい寺は現役なんでお参りも出来ておすすめ うん。まあ、それは白虎隊が流行ったガキの頃から思ってた これか
戦雲暗く 陽は落ちて
古城に月の 影悲し
誰が吹く笛か 知らねども
今宵 名残の白虎隊 少年の集団自殺としては 世界にも例のない記録なんだろ
薩摩の稚児好きはその時の遺体でシコったのがいるとか・・ >>320
年貢半減って敗戦領土が満額の年貢納めるとか無理って分かり切ってるから当たり前の措置
長州が会津にやった事は人種差別並みの事だから恨まれても仕方ない面が 白虎隊じゃなくて藩主の松平容保がダメだったんよ
戦闘の指揮や撤退命令もせず自分だけトンズラするひどさ >>331
慶喜が後はやってねのケツ割りだからね
そこで付いて行くのもどうかと思うが ちゃんと読まない奴のいるのでまた貼るぞ
会津観光史学の嘘も段々明らかになってくるね
見つけた野口さんは地元の人かな?
まじめに歴史を研究する人には会津観光史学は邪魔なんだろうね
会津藩士埋葬の史料発見 「戦死屍取仕末金銭入用帳」の写し
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170925-00000584-fminpo-l07
9/25(月) 10:37配信 福島民報
戊辰戦争で会津藩が降伏した直後の1868(明治元)年10月、戦死した藩士らが
埋葬されていたとする史料が福島県会津若松市で見つかった。従来は、西軍(新政府軍)が
遺体の埋葬を許さなかったとされてきたが、埋葬場所、埋葬経費などが詳細に記されている。
見つかった史料は「戦死屍取仕末金銭入用帳」の写し。筆者は不明だが、写しは会津藩の
要職を務めた藤沢内蔵丞(ふじさわ・くらのじょう)の子孫が約40年前に市に寄贈した史料
約170点のうちの1点。会津歴史考房を主宰している野口信一さん(68)が昨年12月、
市史史料目録を整理するため史料を借り受け、内容を確認していた際に発見した。
野口さんは「伝染病の発生など衛生面を考えても半年間、遺体が放置されたというのはあり得ない。
史料から少なくとも500人以上が埋葬されていたと分かる」と話している。 負けて捕まっても斬首だったかも知れないから本人達は勘違いでも自刃を後悔して無いんじゃね? >>168
結局は金の問題なんだよ
わかってても新式銃買えない藩はそこら中にあったと思うよ >>336
戊辰戦争での戦闘が全般的に小規模戦闘の集合体だったのは
新政府側ですら新式銃を大量に揃えるのが難しかったからと言われてるな >>334
ずっと遺体を放って置いたという奴は流石に会津でも少ないんじゃないの?
観光で行った等の会津の某寺でも説明書きに暫く埋葬を許されず放置されたと書いてあるし
当時のエタに多額の金払って放置遺体埋葬依頼したが少し腐敗が進んでて嫌がられてぞんざいに扱われたなんて話もどこかで聞いた >>341
9月22日に降伏して10月には埋葬だからな
まぁ死体からの略奪を防ぐためというのが理由なんだろうな
死体が凍ってカチカチになったというのが大嘘ということ >>342
略奪防ぐために云々は後付け臭いと思うけどな個人的には
そういうハイエナは昔から戦場に出る訳だし
寧ろそういうの防ぐためなら寺の人間とか地元の信頼できる住人がとっとと埋葬した方が防げるし >>339
火垂るの墓に通じるよね
幼い故の愚かさが生んだ悲劇 >>343
埋めてしまえば誰だか分からなくなるでしょ
北海道に逃げた奴もいることだし
味方だけ回収できればいいというものじゃないよ >>346
ん?略奪防ぐため云々じゃなかったのけ?
身元判明云々も腐りかけの死体でどうするんだよって言う
身に着けてる物なんか何とでもなるし主要人物はほぼ判明してて転がってるのは雑兵レベルだし
よしんば官軍側戦死者の身元確認と言う事ならまだ解らんではないけれど
やはりしばらく放置の理由には弱いなそもそも勝利者側なのだから官軍勢の遺体は放置してないだろ 少年兵で組織された白虎隊は注目されるが、
五十歳以上で組織されたオッサン部隊の玄武隊は注目されない まぁ会津というのは可哀想なところでもある
バナナマンのせっかくグルメで会津若松市が出たが
出てくる料理はソースかつ丼とかで他の土地のように名産品を使ったものとか出てこない
?と思い調べてみたが農業はほとんど米だが知られていない
人口も福島県の1/10
とても大学なんか出来そうにもない
会津藩士の子孫とか福島県民の1/100にも届きそうにもない
会津を称えるのはそれで飯を食ってるかその幻想に囚われている人だね
>>347
死体の検分も無しに放置は出来ないというだけだよ
だからすぐ埋葬されているだろう
戦争中なんだからましな処理だね そういえば会津では農民まで駆り出して脱走者が絶えなかったそうだな
家老の西郷頼母も家族全員死んで行方不明だし
そうきれいに後始末できたのかね
混乱の中よく処理したほうだな >>349
すぐではないな
俺も君が言うようにいち歴史好きとして意図の入った嘘が嫌いなんだ冬になってカチカチまで放置が嘘であるように
略奪防止のためだ腐りかけの死体を身元確認の為だと言うのは明らかにあれだと言わざるを得ないだけ >>352
>>350にも答えてね
家老が行方不明で放置というわけにはいくまい オッサン達ならまだしも15,16才の子供達だ必死だったと思ってやろうぜ。 まだ子供だったんだからしょうないよ
馬鹿だったが、あそこで切腹するしか道はなかった
馬鹿とか言うなよ バカだと思う
煙がどこから出てるのか確認ぐらいできるだろうと思う >>353
意味がよく解らんな
答えるも何も腐りかけの死体じゃ西郷判別の確認にならんだろ
どれかの死体がそれだと言うなら確認の意味さえないし >>358
腐ってきたから埋葬したんだろ
死体がすぐ腐るわけじゃないよ
現在の暦に直せば11月だしね >>359
なら確認した順に埋葬許せばいいじゃないか
それとも君はそういう新説を作り出したのかな?
俺が知ってる資料では一定期間埋葬は愚か触れる事も禁ずると言う事なんだが
どうも君はころころ変わるな最初は略奪防止のためだとか言ってたし >>360
なら触らずの令が辱めのためだと言うのかね
最大でも1ヶ月最小1周間で処理しているのに
それと理由は複合して考えられるということだよ
一つ出したら前のは無しなんてことはしないよ
実際戦争が続いていてやらなくてはならないことがあるのに人手は無い 失礼
途中で書き込んじゃった
実際戦争が続いていてやらなくてはならないことがあるのに人手は無い状況でよくやったよ >>361
その可能性が消去法的に一番高いだろうとは思うけどな君が散々反証してきた内容鑑みても
人手が無いと言うのもおかしな話でさ埋葬やりたいと言う人間が出てるのにダメだと言ってるんだし
人手不足が理由なら喜んでやらせるだろ そもそも官軍側は遺体処理してないと思うんだよね
地元の有志と金払ってエタにやらせたと言う記録はあるけど
その後の一揆打ち壊しも明治政府は会津の上に投げっぱなしで我関せずだったし
まあこれは重税化してた会津側の自業自得の面もあるが 原発乞食村の辺りの連中は早々に官軍側に寝返ったんだってね
やはり乞食の血は土地柄なんだね >>366
不勉強で情報収集もしない時流が読めないリーダー
が会津 まー実際は色々あるんだけど 皆山で自害した事にしてあるんだけどな 都合の悪い話はみんな都合良く権力側が話のすり替え。
会津の下北半島島流しだって会津は好き好んで行った事になってるし。
いくら雪国育ちと言え何も好き好んで極寒、不毛の下北半島など行くわけがない。でも行くしかなかった。
戊辰戦争終了後でもずっと続いた会津差別。
特に長州閥の陸軍は露骨な差別が有ったと言う証言も有る様だ。
戦前だから軍部批判など出来るわけないから泣き寝入り。
会津武士は義を通してこれだからな。
みんな勝ち馬に乗るわけだ。 >>369
ずっと悲劇として語られてたじゃん
会津の連中も好き勝手に一方的被害者面してたし
相手が困惑して言い返して来ないのいい事に無関係な今の山口県人に当たり散らしてたし
むしろ今になって冷静に資料とかあたってみれば話が違うじゃねぇかと突っ込まれてんだろ
すり替わってんのオマエのオツムの中じゃねーか 死体放置されたのは、迂闊に埋葬とかすると賊軍扱いされるから怖がって誰もできなかったんじゃないのかな
マリーアントワネットも処刑御しばらく死体放置されてたらしいけどそれも同じ理由かららしいが >>37
互いの頸動脈切ってたはず
何人かは切腹した
1人だけ切腹に失敗 無理やりエスカレーター作ってしかも金取ってるよね
あれは萎えた リアルタイムで前世代の喧嘩を引き継いでるアホの筆頭 >>366
それはあるだろうな。
子は親の背中を見て育つというからね。 >>379
それ言ったら世界を動かしてるとさせるユダヤ民族はどうなんの。
3000年も前の出来事を理由に今も隣国ともめてんだけど。 おっと、はっぱ隊の悪口は俺と一緒に踊ってから言ってもらおうか 前年に京都で大立ち回りしたので
修学旅行はバスで東北行きに
連れて行かれ説明されたが
現地ガイドが悲惨だろ、悲しいだろ、忠義で自害
お前等は恵まれているぞ、その気になったけど
今になるとトップの無能さが腹立たしい >>369 北海道をプロイセンに売ろうとした売国奴が偉そうに(笑) >>141
いつまでもシツコイのは事実だが
いつまでも忘れられない事をしたのも事実
どっちもどっち
遠因はシチギョウオチ >>382
あれは朝鮮人と一緒で言いがかりだから。 >>385
視野が狭かったんだろうなぁ
藩という国意識高くて…
それだけ会津武士は純粋とも言えるけど
頭が硬いというか
よく山本覚馬みたいのが輩出されたわ ある意味ボンボンの武家の子で世間知らずだった
ただ、官軍のザコ兵士たちにはなぶり殺しにされたくなかったので
刺し違えて有終の美を飾ったのかもしれない
白虎隊の彼らはエリート武家の子たち
死に対する認識はわれらとは違っていた時代だ
花と散ったのだ 白虎隊って編成したのは会津藩だろ。
薩長が少年を拉致して無理やり戦わせた訳じゃないよな。
その白虎隊がどんな死にざまでも会津藩内の事なんだから、
他藩を恨む筋合いじゃないよな。 >>399
先祖は島津の家老だけど、親戚や俺の周りはそんな話する事はなかった。 時代背景を無視してバカと言えるあたりこの>>1は脳無しであろう 武士が戦場で死ねたんだから悲劇どころか本懐だろ
むしろ感謝しろや >>397
薩摩には西南戦争で仇返したが、
長州には返す機会なかったんでいまだに長州を恨んでるのがいるらしい 薩長も松平容保が降伏した時点でノーサイドにしておけば良かったのに、その後のやり方が酷かったので、木戸孝允も会津の残党のテロをとても恐れていた様だ。木戸も十分復讐が予想される様な酷いことをしたのは認識してたんだな。
それで会津の残党一万数千人を東京からなるべく遠いところとして、下北半島に島流しにした。本当は北海道に流したかったんだろう。
以来昭和まで会津人は何かと長州閥から差別された。
こんなところから、会津では長州人との結婚は絶対許さないとかの伝統が生まれたんだと思う。
山口ナンバーの車で会津に行くと車を蹴飛ばされるとかの冗談もあった様だが、さすがにそれは冗談だったようだ。 鶴ヶ城に籠城した時、松平容保が官軍に
「自分が切腹するから籠城してる民衆は助けてくれ」
って腹を切れば丸く収まったんじゃね。 会津人が同じ東北仲間の青森を人外魔境の不毛の地みたいに言うのがちょっと理解できないんだよなぁ
まぁ長州さえ叩けりゃ他のことはどうでもいいんだろうけどさ
ぶっちゃけ大して違いねぇだろ >>409
青森とは言ってないだろう。
下北半島の先、恐山より更に奥地のイメージ。
東北は仲間さ。 山口県出身の俺 5万円震災募金入れたがまた許されないのか >>409
元々保科正之が会津に置かれたのは昔は交通の要衝で
東北全体に徳川幕府の目を光らすという意味があった
だから同じ東北と言っても上から目線になる 実は大半の会津民は正直既にどうでもいいと思っていて
未だに長州を恨んでいる周りの連中と(ポーズだけの可能性も有)同調しないと
自分が村八分にされる的なアレじゃないかと想像 飯盛山の切腹場所をさ、有志が買い取って整備しない事からも地元民の本心が見て取れる。
一般人の墓地の中だぜ。道は踏み固められた山墓地の道そのままだし。 二本松藩なんて正規兵が三春に加勢に行ったら既に三春は寝返ってて返り討ちに会い、残ってた退役老人と12歳からなる少年兵しかいない所を蹂躙されたしな >>143
幕府側って下っ端ばかり死んでトップが生き残る例多くて全く再評価する気になれないから困る
上がクズ過ぎて潰れて当然としか思えないもん >>387
お涙頂戴大好き日本や資金の繋がりが深いアメリカはユダヤに同情的だけど
元はユダヤ教信者が後からできたイスラムやキリストを
「あんなものはユダヤ教を勝手にねじ曲げたインチキ宗教に過ぎん!」と
バッサリ切り捨てたのが始まり。 >>406
最初は降伏とは言っても武装恭順だったけどな
第一次長州征伐後の長州も武装恭順したけど、その結果幕府は何をしたんだっけ?w
あと斗南を選んだのは会津藩自身だから
新政府は猪苗代か斗南を選べって言ったけど、領民の報復を恐れた藩庁が斗南を選んだだけ >>406
昭和50年頃までは
出張行って山口出身とわかると宿泊断られたとか、飲み屋から叩き出されたとか
両親に挨拶行ったら娘を長州人にやれるかと断られたとかザラにあったよ
わりと最近でも甲子園で福島代表が山口の代表に勝ったら
これで一勝一敗だとかコメントしてたジジイが居たし
あと萩と会津の青年団同士が過去の遺恨は若者には関係ないんだから
友好的に提携しようとか進めてたら
会津の年寄り連中が猛反対して流れたとか。 >>22
生存者証言で勘違いになったのに今更歴史を書き換えてもね... >>308
むしろ高校野球では、沖縄県民がお隣の県という理由だけで鹿児島県代表も応援してるくらい。
(九州・沖縄という括りは意識してる)
普通は「そんな昔の出来事持ち出して」ってなるけど、沖縄に由緒正しき〇〇家とか武家とかピンと来ないからかな? >>1
田布施村系譜とは、李氏朝鮮の両班を祖とする派閥である
http://blogs.yahoo.co.jp/up5ch6/62610265.html
●山口県熊毛郡田布施町
*田布施の朝鮮人は、大内氏の系譜。本姓は多々良氏。百済の聖明王の第3王子の後裔と称していた。
安倍晋三は朝鮮系なのに支持する人が多いのはなぜ?
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1494752694
山口県の朝鮮人部落だった田布施の出身である安倍を支持する人は彼の一族が朝鮮系だと知らないのでしょうか? 招魂社、しかも靖国の場合は、死者の霊を弔う場所じゃないんだな。
死者の魂をもって国の安寧の礎とする。
つまり死者の魂を生贄にするってことだ。
ちなみに知らないバカが多いけど、
靖国神社は明治以降に建立されたただの長州(朝鮮)カルト神社。
靖国神社は日本古来の神社ではなく、長州藩奇兵隊の招魂社が元となっています。
明治期になり長州藩による政治の中で、長州にある招魂社が東京に移され、東京招魂社とされました。
その東京招魂社が名称変更により靖国神社となり、今に至ります。
ちなみに招魂社の本来の目的である招魂の儀は、日本の考え方ではなく、中国や韓国の考え方に由来するものです。
また死者に対する招魂の考え方は平安時代には禁忌とされていました。 この陳腐なコピペ必死でいつも貼ってる奴のピエロっぷりがw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています