明智光秀が信長を討ったのは室町幕府を再興したかったからと判明 お前ら秀吉にごめんなさいは? [無断転載禁止]©2ch.net
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「本能寺」室町幕府再興のため…光秀の手紙発見
2017年09月12日 08時42分
明智光秀(?〜1582年)が織田信長(1534〜82年)を討った
1582年(天正10年)の本能寺の変は室町幕府の再興を目指した
クーデターだったことを示す光秀の書状の原本が見つかったと、
三重大の藤田達生教授(日本中近世史)を中心とする調査チームが11日発表した。
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20170912/20170912-OYT1I50000-L.jpg
書状については東京大史料編纂所に写しが保管されているが、
今回の発見でクーデター説の内容が裏付けられたとしている。
書状は、岐阜県美濃加茂市の美濃加茂市民ミュージアムが所蔵する
「(天正10年)6月12日付土橋重治宛光秀書状」(縦11・5センチ、横56・7センチ)で、
本能寺の変の10日後、反信長派の土豪・土橋重治に宛てられた。
光秀の花押(サイン)があることから本人の文書と認められ、
筆跡も本人の可能性が高いという。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170912-OYT1T50009.html >>611
それが好条件が重なって
「中国に行く前に信長公の前で馬揃えをする」ってなってたから誰もそこまでは一切疑わない
そこからどうやったかは小説の世界だけど
まあ足軽なんてあの時代情報も何ももらえないから
「今日より天下様になられる。お前らの出世もこの一戦の槍働き次第ぞ!」って聞いて
訳もわからないまま戦ったんかね 光秀の動機よりなんであんなにガバ警備だったのかの方が謎だよな >>598
説得と言うか
一揆「やべえ負けそうだけど和議したら俺たちどうなんのよ・・」
家康「寺は以前のままとする」
一揆「マジで?ホントマジで!?」
家康「寺は以前のままとする」
一揆「やったーじゃあ和睦するわ」
家康「じゃあ以前のままにするね」
寺壊して更地にする
一揆「おいおいおいおい!
家康「以前のままって寺が立つ前の事だから野原にしただけですけど何か?」
って事でしょ
まあ家康らしいちゃらしいけど >>615
いや逆だよ
当時は一揆衆のほうが強かったから
一揆「やべえ負けそうだけど」はない
もう一回書き直しね ルイスフロイスの残した書物によると
信長は相当に気難しい性格で周囲の人間が話しかける時も常にビクビクしていたとか
要するに有能だけど人望がないタイプ
恨みを買いやすく。いつか殺される人間の典型だろ
本能寺の理由が足利幕府再興であろうが無かろうが
部下にこいついつか殺してやるって思わせるようなタイプのトップだったんだろうな >>617
足利幕府を再興するって!だけで、別に義昭をまた将軍に据えるとは限らないじゃない。
足利の血縁者なんかいっぱいいたんだから >>616
は?
馬頭原合戦の勝利で、徳川家康は優位に立って和議と思ったが? 神経質でピリピリしてるタイプの人間だったんだろうなへし切り長谷部の話とかお宮参りに行った下女をなで斬りにした話とか >>612-613
雑兵は先の事とか全く無かったんだね
主君の敵をやっつけるだけって事か 大義名分だろ
信長が秀吉ら諸将を各地への討伐に駆り出していたので
四国討伐前に大軍を率い京に残った明智光秀は信長を倒して信長と敵対した大名と和睦し
秀吉ら各地の諸将をひとつずつ潰せば天下を取れると思い込んだ >>623
米をくれる相手は光秀なんだからむしろ自分の状況は正しく理解してる
光秀のほうがその辺の認識おかしいとしか思えない >>1
こんなこと言い出したら秀吉も上様は生きておられるとかいう勧誘の手紙出してたから
信長は生きてたことになるのかね 荒木村重「わしも室町幕府再興のために逃げたんやで」 そもそもダメだから潰れた幕府を再興する事が日本にとって最善だとは思えないんだよね。
結局明智が速攻で潰されたのはみんながそう思ってたって事でしょ。 足利と通じていて上洛の予定もあったなら当然朝廷側とも通じてると思うんだけど
実際信長を討っても誰も呼応してないと言うかね
周りはダンマリ決め込んでる感じもおかしいよね
それに秀吉も信長が討たれるかもしれないって知ってて
討伐を中止していつでも和議を結べるようにしてたんじゃないか?とか
真相が分らないから楽しいんだろうけど 秀吉は黒田を通じて、大まかに察知してたんじゃないかな。徳川も京都に呼ばれてて
何かあると。それで引き上げる作戦はすでに持っていたと思われる。
あと光秀は朝廷に縁故のある保守派、信長は新時代を切り拓く革新派。相性悪過ぎだよね。
信長の朝鮮出兵の野望は、保守派からしたら脅威でしかなかっただろう。
秀吉がその後、コンプレックスからか朝鮮出兵したけど。 >>628
武家初の関白の頃にも征夷大将軍は健在だったんだが
叛逆を討つ大義と全く別な話しってわからんのかアホ
どんなド腐れノータリンボンクラビッチ売女にが排泄したらこんなド間抜けなイカれ腐れノータリンレスするバカが産まれてくるのか、ボンクラ売女親のツラ拝みてえわ 明智、徳川=保守派(国内の治安維持、幕府擁立、鎖国)
信長、秀吉=革新派(大陸への出兵)
信長公の戦略眼は戦国一だったと思われるが、安定からは遠い人だった為嫌われた。
世の中には、乱そうとする力と安定を図る力が拮抗するものだとつくづく感じる。 >>631
信長は尊皇派で朝廷にガンガン貢物してるぞ >>624
大義がなけりゃ総敵視だろ
天朝様の許しを得てることが大義の国人土豪衆を大義なく潰し潰そうとしたことが反信長団結の狼煙やぞ 怨恨説と野望説やろ
室町再興は味方に取り入れる為の口実やんけ タイムマシンに一度だけ乗って過去に行けるなら、本能寺の変かグリコ森永事件の水防倉庫に行ってみたい 明智の子孫がたどり着いた真相はどうなるんよ?
あれ割と納得だったんだけどな >>417
信忠自身も尾張美濃を中心に織田家の格である精鋭集団を抱えていたから
軍団長全員が結託して織田家に刃向かわない限りはそんな展開にはならないよ >>639
グリコ森永事件は比較的単純だぞ。
ようは被害者側(主にグリコ)に世間にバレたら困るような弱みがあったから警察に非協力的だった事と、
容疑者側のアリバイ工作とオトリ捜査ならぬオトリ容疑者、
そして警察を逆尾行する諜報網を持っていたって事。
実は当時の警察の捜査はそんなに的外れでは無かったって事だ。
ただ日本の警察が相手が自分達よりデカイ組織で、自分達より日本の法律に長じているとは思っていなかったってだけの事。 >>303
そりゃ友人じゃなくて部下だろ
少なくとも部下から見たら命を預けるに値する殿様だったんだろう
地位も教養もあるから一応友人はいそうだが(細川優サイトか)本当の友人はいなそう
石田三成のさらに友人いないバージョンか >>635
そうとも言えない。
単に室町幕府・足利氏の権威を落とす為に天皇アゲしてただけの可能性もある。
つーかソレだろ。 >>349
騎馬武者に金持たせて沿道住人にばらまいて松明大量に炊かせて握り飯用意させて踏破したらしいな
一日ぐらいならなんとか気合いでいけるかもしれん
高松攻めは水攻めだから激戦したわけでもなく兵士の疲労も少ない >>649
織田家は伊勢神宮の宮司の家系とされてるので
信秀の代から朝廷や伊勢神宮への献金やってる
上洛当初は室町幕府の制度の下で統治を行ってたけど
義昭との関係が悪化してから朝廷権威を利用した新たな体制を模索した様だが 「公方よりも偉い者を知っているか?天皇よ!」
父信秀と信長の会話
司馬遼太郎小説の国盗り物語か何かで、そんな描写が有った記憶 >>611
「相手が信長とは知らなかった、家康だと思ってた」って雑兵の記録が残ってる >>653
そりゃ末端には上様を討つなんて言えんがな 結局、光秀が本能寺を襲ったってのは、発作的犯行で「ついカッとしてやっちゃいました」程度なんじゃないのかな。
そうでないと、味方がおもったより集まらないと、朝廷にカネを撒いて「征夷大将軍」の位をださせたり
(秀吉が勝つとすぐに取り消したが、実際に朝廷は源氏の光秀に征夷大将軍の位を宣下した。)
足利幕府を再興するとか、それぞれに都合のいいことを言って味方を集めようとした理由がなくなるからね。
深い考えや、画期的な政権構想はなかったんじゃないの? >>652
信長や秀吉によって皇室権威を復興させたのは事実で
明治以降の皇民化政策の中で功臣第一等とされ正一位が贈られてる
だから古い歴史小説の中では尊皇の心に燃える今とは全く違うイメージの信長が描かれてたりする 明智なんて秀吉と同じように生まれも分からん兵卒から取り立てられて武将の地位を得たんだから
室町幕府なんぞに何の繋がりも思い入れもない
主君殺しは戦国時代には珍しいことじゃない 信長も主君の斎藤道三を殺してるしな
だから明智が皆を惹きつける役者の器なら信長をいかなる形で殺そうが死人に忠誠誓ってもいいことないんだから明智に味方が付く
その辺は戦国ならではのドライさだ
この書状は室町幕府再興を旗印に家康や秀吉が後継者になるのを良しとしない連中をかき集めて明智軍とするための手段だよ 江戸以前の農民の生活が事細かに描かれた作品が見て見たいな。武士や貴族とかじゃなくて >>657
>信長も主君の斎藤道三を殺してる
へ〜福井ではそういう歴史を辿ってるんだ〜
パラレルワールド凄いね! >>653
補則。
厳密には、ルイスフロイスの記録の中に
「明智の兵達は本能寺には家康主従が宿泊していて、ソレを信長の命令で襲撃するのだろうと勘違いしていた」
という記述があり、
実際に本当に明智の兵達がそう勘違いしていたかどうかは不明。
単にフロイスの想像カモ知れないし、フロイスが当時在住していた安土城下の庶民達の噂話なのカモ知れない。
この記述で重要なのは『明智の兵が勘違いしていたかどうか』ではなく、
『織田支配下の身分の低い者達の中では「家康って信長に殺されるよね」って噂が当然のように語られていた』
って事だ。
少なくとも外国人のルイスフロイスには「信長ってそーゆー事するよね」って認識があったって事。 >>618
フロイスの記述は鵜呑みにしすぎない方が良い
キリスト教を庇護してた信長が神の加護なく斃れた理由を
信長自身の性質のせいにしなければならない立場だから 流れ公方・義昭担いでも天下は治まらない
信長討つなんて、明智はいらんことした
天海僧正となって徳川幕府を盤石ならしめ、天下泰平としたなら意味あるが >>660
雑兵と言えども旗印で分るのではないだろうか?
憶測ではありますが >>655
信忠が本能寺にいないの知らなくて慌てて二条城に兵差し向けたり、その二条城包囲が穴だらけで有楽斎とか信忠の介錯人が簡単に脱出してたり
確かに場当たり的にしか思えないんだけど光秀にだって斎藤利三とか家老側近の類はいるわけで、軍として動いてるってことはそいつらも賛同してるはずなんよ
信長倒せばすぐ天下人のなんてあり得ないのにやってることは支離滅裂
だから色々な説がでるんよ >>664
光秀がその側近たちに謀反の企てを打ち明ける以前に、連歌師の某(名前失念)に先に計画を打ち明けた
ってのがあるね。この某は、宮廷や各大名家のサロンの遊泳家だから、この某に謀反の企てを
打ち明けるってのは、全世界に向けて放送しちゃったようなもの。今更うそうそと言っても通らない。
要するに、光秀にすれば、自分をそこまで追い込んでしまわないと、計画を中止しちゃうかもしれない
ぐらいに心が弱り、迷っていたんだと思う。
側近たちにしても、自分達に知らされる前に、もう主君の謀反の計画が「放送」されちゃった以上
やるしかないでしょ。
時は今 雨のしたしる皐月かな
あれは後付じゃないの?
普通そんな秘事を歌に託して披露しないだろうしw >>666
その連歌会をやる前に、話していたというよ。で、その某は、連歌会で「やっぱりやめたら?」
を歌に託したが、光秀の「いや実行する」がその「ときは今・・」ったという >>656
応仁の乱でボロボロになった都の諸々を復興したのが信長なんだっけ? 秀吉は事前に知ってたか、自分側からもアクション起こす予定で
自身も本能寺の近くに居たりしたんじゃないの? 信長がそのまま天下統一したら海外遠征でも一定の成果は上がったんだろうけど、もっと色んな民族が入り交じったカオスな国になってたかもしれないんだよな >>669
滝川一益だったかな
武田の旧領主たちに阻まれるまでは秀吉の大返しよりもっと速い速度で京に向かってたらしいから秀吉が特別だったわけではないっぽい 萩原 健一の光秀 (大河 利家とまつ)
病んでる光秀 あれが一番真相に近いと思うなあw >>636
信長は上洛後に天皇復権で大義名分を得た
それが気に食わなかったのが足利将軍家 >>629
さすがに>>476は無いだろ。
いくら秀吉の御伽衆が200人いたって言っても、
その中には信長の次男・信雄や弟の中では一番可愛がられた有楽斎、はては佐々成政なんかも居たワケで、
直接会う機会は無くても、同じ身分なら仲間内で噂になるだろうし、
そうなりゃ遠目に見ても、顔が焼けてようが背格好や所作、雰囲気で判っちゃうだろ。 >>674
さすがにありえない、顔を焼かれていても筆談はできるし、なんなら指すらなくても、
旧知も人間の前で、筆をくわえて「おれはのぶながだ」ぐらいの事は書けるだろうさ。 >>675
そうだと思う。名前を失念した。要するにこの人物に、謀反の企みを話した時点で、もう光秀は
あとに引けなくなったって事だね。 それだとあんまり賢い選択とはいえないお人になるな
日本国中から命狙われるに値するかな
過ぎ去ったものには過ぎ去る理由があるくらいあの時代でも分かるだろう
頭にきたとか
切れたのほうがまだ
やっちゃう理由としてはありありだけどね >>677
まあ確かに愛宕百韻で里村は選者してるから歌詠んでないしな、あるっちゃありそうな話。
光秀以外の歌詠みも「水上まさる 庭の待つ山」とか「流れの上を堰き止めて」とか物騒な歌詠んで返しちゃってるからな。
個人的には完全な後付け説を採用してるわw 前にグリコでたから言うけど
どちらも動機が見えにくいんだよな
光秀の確固たる動機が見えにくい
グリコもさらう動機が弱いんだ
なぜにあんなに撹乱していったのか
本当にカネ目当てなのか
グリコの宣伝解禁の日になにがあったのか
謎の四人組はどこに飛んだのか いくら下克上の戦国時代といえやっぱり「主殺し」は世間のイメージが悪い。
世間というのは、他人を批評する時に強烈な「道徳家」になるのだ。これがもしも、信長と同格の
大名である家康が不意を襲ったなら、世間は「徳川様は武勇のお人よ!」となるが、家来である
光秀が信長を襲っちゃったんだからやっぱり世間は「あるじ殺しは道徳的にいかがなものか・・」となる
先に書いたようにもし襲ったのが家康なら、そのまま安土城を占領し、信長がためていた金銀財宝を手にして
人気取りの為に朝廷や各大名に撒いたところで、戦のならい故、道理に従った行動になるが
主殺しの光秀が金銀を撒いてもどこか、薄汚なさ残ってしまう。
仮に、光秀の軍が羽柴や柴田に勝ったところで、政権を樹立させて、安定させるってのは難しかったと思うよ >>683
義昭は毛利に頼み込んで安芸の鞆で亡命幕府を開いてたんだし
山城にいた光秀は連絡すらとれなかったんちゃうか
秀吉と毛利がくっついた時点で詰んでたと >>680
多分まだ企画段階だろ
だが嫌な予感しかしない題材だな
間違いなくただの黒人付き人が初の黒人サムライになって大活躍する映画になるぞコレ 義輝の時代ならまだしも義昭を抱こうなんて、肥溜めに手を突っ込んで、ウンコ以外の物を掴もうとするようなもんだろ。 のぶなが「みっちゃん、はたらいてよーちゅうごくいって、もうりやっちゃってよー」
みつひで「いいよー」 >>686
当時の有力大名は足利氏自体に力が無いとは思っていたが
将軍の肩書きにはまだまだ効力が有ったから
なるべく大義名分を得て穏当に将軍職を譲って貰いたいと思っていたはず
ただ信長と秀吉はそれが無理なら将軍より偉く成れば良いとしたタイプ
家康は手練手管を尽くして将軍職を戴いたタイプじゃないかな? >>688
それなら、光秀は将軍職を義昭から譲って欲しかったように思えるけど。
足利室町幕府を再興したいなら、義輝がギリギリ最後だと思うぞ。 >>671
滝川一益は北条氏の大軍との決戦に敗れて上野を失ったので
急いで本領の北伊勢に戻ろうとしていただけのようだけどな 滝川さんは後1年早く武田滅ぼして関東に赴任してればな
運がなかっただけで本能寺前は織田家では実力的には明智羽柴に次ぐ存在だったのに >>691
ついてないと言うか何と言うか
実力は十二分でもなんか裏目に出てしまう人の典型だよなあ
本能寺後も十分な働きしてるのにその時の状況で色々と掴めない 室町幕府なんて再興してどうすんの?
自分はどんなポジションになるつもりだったの? 有能なはずの光秀が前々から計画してこんなお粗末なクーデターやるはずがない
思いつきでやっちゃって、後から必死に取り繕ってる感じありあり 滝川一益は北条氏との決戦で桶狭間の戦いのように北条前軍に自ら先頭に立って突撃して
北条前軍を総崩れにして追い散らしたが、これは北条の罠で後ろに控えていた北条本軍の
総反撃で包囲攻撃されて総崩れになり敗走したそうだ
桶狭間の時のような突然の大雨もなかったし運が悪かったな >>695
思い付きというか、早急に信長を始末しないといけない事情が
出来たんだろうな
どんな事情か知らんが、家康を始末して後顧の憂いを絶っての大陸進出を
信長が企画して、どうしてもそれに納得できないとかかな 事情があれば何か手を打ってからやる男ですよ光秀は
事情もなく突発的かつ発作的にやっちゃったんでしょう
だから後から見境なくあちこちに手紙出しまくってる >>697
天下統一目前だから、普通に仕えていれば世の泰平を叶えたい思いとかは家臣にもあったはずで、信長に恭順していたら謀反の発想は出てこないはずだよな
そうではない心中が光秀にあったということが一番の謎なんだよな
有力家臣は全て粛清するとか、中央集権化の構想が光秀には耐えられない内容だったとかそういうのはあったと思うわ
家康が来た後だったというのも、会談の際に統一後の構想を一緒に聞いたという可能性は大いにあるしね こんな現代の俺から見ても無理があるだろうという言い分で文面書くとは
光秀も人間臭くて逆に好感度上がったw >>694
鎌倉幕府の、執権みたいなポジションでしょ >>702
歴代政所執事世襲してた伊勢氏のひとが
光秀に仕えてるね >>698
信長が生きている間に手を打つのはかなりヤバいんじゃないかな
下手に動けば悟られる可能性が大きくなる
そういうことで手紙など出して合力を求めるのは謀反成功後にならざるを得ない
>>699
光秀は早く戦乱を終わらせたい、その為に信長に仕えていた。しかし、
信長は統一後は大陸進出をしたい。中央集権化、しかも信長独裁で光秀の
意見は通らない。こんな感じで光秀がもう謀反しかないと考えたのかもね
まあ、他にもいろいろ理由は考えられるが 後付けじゃね?
誰も味方してくれないから幕府再興っていったらひょっとして・・・と思ったとか 光秀は心中信長の構想に反対してたとすると、信長さえ殺せば自分が天下人にならずとも後の天下泰平はなんとかなるという計算はあったかもな
その計算を真逆の発送の秀吉が全てひっくり返したというね
おまけに信長の構想を引き継いで朝鮮征伐
何よりすごいと思うのは家康はそんな状況を理解し乗り越えながら最後に天下をとる
今川、武田、織田、秀吉を乗り越え吸収した事実とかも含めて、考えるほどに家康の天命の凄さがあぶり出されるんだよね >>532
中国の征服ほど虚しいものはないな
同化と皆殺しの繰り返しで、血の祖先はさっぱり分からない 信長は、やることやったから引退したと思う
西洋かぶれだったから、
海外にわたったんじゃないの? 既に信長がお上だった以上、幕府再興のお題目なんて通用するとも思えんが
光秀ほど実績ある男が準備不足気味に多数派工作失敗してるのはやっぱり衝動的な謀反だったのかなと思う
そもそも一番チャンスあった義昭挙兵の際には普通に信長についているわけだし
そんな奴が今更幕府再興なんて言ったって信用ならねってなるだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています