明智光秀が信長を討ったのは室町幕府を再興したかったからと判明 お前ら秀吉にごめんなさいは? [無断転載禁止]©2ch.net
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「本能寺」室町幕府再興のため…光秀の手紙発見
2017年09月12日 08時42分
明智光秀(?〜1582年)が織田信長(1534〜82年)を討った
1582年(天正10年)の本能寺の変は室町幕府の再興を目指した
クーデターだったことを示す光秀の書状の原本が見つかったと、
三重大の藤田達生教授(日本中近世史)を中心とする調査チームが11日発表した。
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20170912/20170912-OYT1I50000-L.jpg
書状については東京大史料編纂所に写しが保管されているが、
今回の発見でクーデター説の内容が裏付けられたとしている。
書状は、岐阜県美濃加茂市の美濃加茂市民ミュージアムが所蔵する
「(天正10年)6月12日付土橋重治宛光秀書状」(縦11・5センチ、横56・7センチ)で、
本能寺の変の10日後、反信長派の土豪・土橋重治に宛てられた。
光秀の花押(サイン)があることから本人の文書と認められ、
筆跡も本人の可能性が高いという。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170912-OYT1T50009.html これって光秀の気持ちじゃなく土橋を説得させる為のものじゃないの? まあ、おじゃる丸たちが信長死んで喜んでたらしいからなぁ。 元々朝廷内に「明智衆」が有って、そこの出が光秀と言う説もある
当時の名古屋弁を理解し、尚且つ朝廷とのやり取りが出来るとか
その辺の野武士風情では無理な話
つまり光秀は朝廷のスパイだったとする説がある 味方集めるためにもっともらしい大義名分並べただけだろ 大義として室町幕府の再興を掲げてたって事で
本心かどうかはわからんわな 秀吉の淫棒だとか明智は秀吉にハメられたとか言われてたな 室町幕府の権威なんてほぼ消滅してて、
一番現実的なのは織田幕府だったのに? こういう動きは守護が婚姻を使い古くからある一族を切り崩したから幕府の力が衰えた。
本来の武士というのは守護に取り込まれなかった者を指す。 >>7
それで合ってる
変の後だから多数派工作する以上は
なりふり構わずこの手の文書が多方面にばら撒かれるしね 当時のボンクラどもだって、室町幕府再興とかないわーwww とは思わなかったんだろうか そりゃそれしかないだろうさ
でも、その旗頭になるべき足利家を奉り上げれてないわ、同じような細川には俺知らんぷいされちゃうわグダグダすぎるんじゃねーの >>9
元々朝廷からの使者だろ?信長が上洛して朝廷からの使者で謁見した際に光秀が室町幕府を蔑ろにする発言してじゃあウチにくりゃいいじゃんってな感じで引き抜いたんだから
スパイ云々の観点ならなら二重スパイって事で高度な調略が当時行われてた事が読み取れるけど
今回重要なのは後ろ盾が家康説もある中で朝廷が黒幕って事が濃厚になった事だろう >>20
思ったから細川すらついてこなかったのでは >>24
足利にくっ付いてずっと甘い汁吸い続けてきたくせにな >>1
タイミング的に
>7でしょ?
味方を増やすための方便。 >>14
頭良さそうだし信長に近いポジションなこともあって、備中攻略終わった後の織田政権のビジョンが明確に見えちゃったんじゃねーの なんかこう具体的なプランもなく場当たり的にやっちゃったのかなと 室町幕府なんて、あー、そういやそんなのもあったっけ…って感じだわ ・アポロ計画の真の目的とケネディ暗殺
・二千円札が関東から消えた訳
・信長の比叡山焼き討ちで、信長が行った行為。一部の歴史学者にしか知られていない事実があるが、決して報道されない。
・恐竜が絶滅した本当の理由
・月の裏側には、岩石が高温で焼け焦げた後があった
・冥王星を太陽系第9惑星から除外しなければならなかった理由
・宇宙探査機ボイジャーが旅を続ける真の理由。30年以上も宇宙空間を飛び続け、届けなくてはいけないものがある。
・百姓から天下人に駆け上った豊臣秀吉の正体。
・今から1万6000年前の旧石器時代、伊勢の洞窟に書かれた壁画。地球が球体で描かれている。
地球の形状が正確に確定したのは西暦1700年代のことである。
・万葉集(7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集)に書かれていた歌で、
絶対に公表されない歌がある。
・ピラミッドの幾何学的正確さは異常。
・イースター島のモアイは宇宙へのメッセージ。
・野口英世が亡くなった本当の理由
・食品会社が原材料の高騰で値上げした商品を、決して値下げしない理由。
・日本は元々、誰も住んでいなかった。いつ、誰が日本にたどり着き、住み着いたのか・・・。
・アポロ計画で月面に設置された地震計・・・・今も揺れデータを地球に送り続けている・・・・
その揺れを解析するとモールス信号になっており、【人類はこれ以上宇宙に進出してはならない。我々はお前達を常に監視している。】
・死刑囚に共通する最後の瞬間
・宜保愛子の正体
・明智光秀が本能寺の変の3日前に茶匠今井宗久に宛てた手紙の内容
●▲■ ●▲■ 大義名分がそうなだけで本音はわからんな
まぁきりがないか >>33
しょっちゅう武力衝突が起きてる
特に関東は最初から最後まで血生臭い >>39
文化的には割と重要なんだけどな
あと室町幕府がなければ応仁の乱もなかったしそれに続く戦国時代もありえなかったろう 大義名分に使っただけでしょ?
看板がないと光秀程度じゃ人は付いてこないしね
家柄もなく出自も怪しいし >>52
それはつまり、明智自身の野望ではないことの証左じゃね? つまり明智光秀はネトウヨだったのね
ネトウヨが日本(幕府)スゴい、オレスゴい
と勘違い ドトールコーヒーは悪の結社、創価学会の
一員だ
集団ストーカーを行なってる
エクセルシオールカフェ赤羽東口店(現在ドトールグループ サンメリー赤羽店)閉店は証拠隠滅
ドトールも創価も法的措置を取らないのは
事実だからです
当時のドトールコーヒー社長 17年4月左遷サンメリー社長へ
とうきょうときたくあかばねは
そうかのまち
わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。
(新約聖書 『ルカによる福音書』22章32節から)
転載可 >>56
?
野望は天下統一だったんでしょ
信長倒せば諸侯はついてくると思ってたみたいだし
でも自分の力でのし上がったわけでもなく、
家柄もない明智の下に付くわけもなく
結局秀吉に大義名分与えるだけになってしまった >>52
まぁどっちにしろ秀吉は無罪だわな
協力関係にあるのなら絶対に書くわ >>21
ワロタwww
>>33
自国の流通貨幣を他国から輸入してた程ずぼらな政府だった
それでも下々の生活には然程問題はなかったらしい >>62
明智自身には諸侯が付いてこないからこそ、それを踏まえて足利に付いてこいよーって言ってるんじゃん
あくまでも足利がトップの足利の野望としての行動じゃないか あの日に信長の前で3コウを出した日海と鹿塩利玄は事前に知ってた 再興はいいけど誰を将軍に立てる気だったの?
義昭だったとしたら事前に連絡して秀吉と和睦なんかしないだろ。 本能寺から天王山までの間に
明智の朝廷工作が凄まじいからな
室町幕府云々は後付けかもしれんが
足利を奉じて官軍になろうとしたのは史実 最近の歴史番組出てる、自称・明智の子孫ほど鬱陶しいものはなかったが
これで明智の私怨と狭い自己権益確保が証明されたわけだな
信長の自演とか秀吉の陰謀とかウソ臭いジジイだったもんな、明智冤罪説は 自分の利益の為には主人でも躊躇いなく殺す利己主義者が明智というゴミ屑 後付というか理由付けだろうなぁ
本心は
「やってらんねーわ、あのクソ上司!!」ってノリで殺しちゃったんだろ >>77
どの説もそれが事実だという明確な証拠がないから、一説に過ぎないんだろ
そういうのって割と言ったもん勝ちだよね この資料は以前から話題になってたが、解釈しだいでどうとでもとれる 光秀って婚約者が皮膚病で見映えが悪いので妹の方にしてもいいよと勧められても拒否したらしいね
で、生まれた姫が美女で有名な
細川ガラシャとなる どのみち無理筋だな
信長のカリスマもあっただろうに謀叛で信長倒したからって標的になるだけなのは明らか
一番上手く行っても戦国時代が元に戻るだけだし >>7
そら大義が無いと秀吉 柴田あたりに
タコ殴りされるし 味方欲しいし 説得するためとか色々あるけど
ハッキリと意思を示した文書が存在するのってすごくね?
こんだけ今まで謎になってたのにポンと出てくるもんだな 手紙を書いたのが本能寺の変の10日後って、
すでにもう、秀吉軍は姫路城を出発している。
完全に明智は出遅れているだろ。 >>11
大河「秀吉」ってフィクション満載なんだけど
うまく噛み合ってて凄く面白いんだよねえ
光秀と秀吉のライバル対比
秀吉と五右衛門との絡みとか 傑作大河だねえ >>92
多分後回しにされてたんだよ
手紙だって書くのに時間かかるし、先に送らなきゃいけない人もいっぱいいるし、手紙届かなかった場合を考えて何度も出したりする必要もあるし >>79
親兄弟でも遠慮なく殺す時代に何を言ってるのか良くわからん 要するに光秀は時代の潮流を読み誤ったということだな 前に明智家出身の画家がテレビに出てたけど、代々長男にだけは血筋の話を伝えてたらしい
イメージ悪いし、名前を変えていたんだな 明智が単独で動くとは思えないんだよな
室町幕府再建なら先に支持を集めるだろ普通
だからこそ秀吉の陰謀って説があるんだろうし 本能寺の変の10日後の手紙なんか動機の裏付けにならないだろ 調べたら光秀が信長に鮒寿司をおみやげに持ってったら
臭い死ねキンカンってボロカスに言われてブチ切れたって説が
食い物の恨みは恐ろしい 長曽我部氏に対して顔がたたないとかいうのは違ったのか
もうさっぱり解らんw 今の本能寺がらみの通説が立脚してるのは
秀吉と江戸期の作り話が主流だからあまり信じないほうがよい
大体今の歴史学者は資料理解できるほど頭よくないし まあ反信長勢力にまんまとそそのかされたんだろう
秀吉黒幕説にはやっぱ無理があるしな 坂本龍馬の新たな手紙も最近見つかったり
こういうものはなんです今頃になってみつかるのか不思議
もっと前に見つかってもよさそうなのに >>109
日本はさ
世界全般に比べても室町以降の文書資料が物凄く多いんだよ
江戸時代なんて識字率も上がっちゃってるからもう大変w
全部洗いざらい見れないだけ って面もあるんだよ >>109
ボロボロの文書をまずは崩れないように慎重に復元、保存作業やってるからだろ >>113
資料は一杯見つかってるけど多すぎて分析に手が追いついてないって話は聞いた事あるね >>113
アメリカの空襲による文化的損失ははかりしれないな
文書だけじゃなく肖像画とかもなくなっただろうし >>117
空襲で貴重な刀剣とかも失われてるんだよなぁ
あとGHQの刀狩や出征に持ち出して戦死とか >>109
本物かどうかの鑑定にも時間取られるんだよ。 >>1
とりま
お前が無知無能ユトリゴキブリなのは分かっちゃった。
ま、反省やな?w >>74
信長の死後、一番利益をあげたから。
中国大返しは事前に準備していないと、とても出来る代物ではないと見られていたから。
などなどから、秀吉黒幕説もあったのよ お前ら的に秀吉説()は
へうげもの のせいじゃないの?w
トンデモの類なのに漫画になると結構普通に流布されるのがおそろり新左衛門 秀吉黒幕説で事前準備していたにしては博打要素が多過ぎて無理がありすぎる >>111
戦国BASARAでは大鎌持ったサディストに描かれてるけどイケメン センゴクでは日本統一後も唐入り(大陸侵攻)で無限の覇道を進もうとする信長を止める為に本能寺を起こした事になってたな >>11
鶴見辰吾も良かったぞ
天地人だったかな? >>33
3代義満が強引に南北朝くっつけてから8代義政の時代に後継争いで応仁の乱が起こった頃ぐらいまでしかまともに機能してなかったな
畿内で争乱が続いて幕府を京都で開かざるを得なかったせいで関東もグチャグチャだったし 兄弟喧嘩から戦国の世にした足利将軍家を担ぐか
一番ダメな説だ やっぱ謀叛だったんだ。
家康と勘違い説とかあったけど >>85
そもそも信長だから従っていたのに同僚だった光秀に従うわけがないからな
だから光秀も何か高貴な者を後ろ盾にしようとしてたんだろうけど
でも信長殺してからのグダグダ具合見ると最初から計画してた感じではないよなあ あんなやり方で信長を討っても無理だよ
正々堂々戦って勝てる実力ないと結局失敗するだけ
明智光秀はアホ >>134
実際家康を討つって下っ端共には言ってたって話もあるんだよな 魔がさしてやったあと、後付けで手紙出しまくっただけだろ まぁ石川数正の出奔とかもワケわからんままだし
タイムマシンでもなきゃこの手の話は何処まで行っても創作の域を出ないわな 天下をとるチャンスがあったから掴もうとしただけでしょ。細川筒井摂津の武将が予定通り味方なら天王山で勝って天下人よ 逆手に取って 「上様は無事」
あの時代に、ディスインフォメーション作戦をナチュラルに出来ちゃう秀吉
天才過ぎw ああ、本能寺直後の手紙ラッシュ時のヤツですか
そりゃある事無い事都合の良い事書きまくりなやつじゃないですか >>73
光秀と義昭がそのつもりだったけど室町幕府再興したところで天下は治らないと判断した小早川隆景がコッソリ妨害したって短編小説があった 最初からそのつもりで信長を討ったなら事前に毛利あたりには根回ししてないとおかしいからな >>144
秀吉の隆景厚遇も納得な、辻褄の合う良い筋書きだね あれは後先考えずに衝動的に万引きしたのと同じだろ
やってから言い訳を並べても無駄 >>145
毛利攻め終わるから来てください呼ばれた信長の行動を先読みして、その前に毛利と連携図るとか不可能だろ >>139
松平元康と徳川家康が別人であれば実はほぼすべてがつながる |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`) また毛利攻めの話してる…
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\ >>148
いや、義昭は毛利のところにいたから義昭担ぐならその流れで毛利とも連携してないとおかしいんじゃないかなと >>141
俺なら「上様の仇を討つぞ忠義の士よきたれ」って馬鹿正直に書いちゃうんだろうな。
ネタを知っていれば何のことは無い子ども騙しでもあの状況なら効くだろうな まぁ信長のままだったらロクなことにはならんかっただろうし
信長→秀吉→家康のリレーが出来たのは日本にとって幸運でしょ 柴田勝家だって賤ヶ岳の前は義昭担ごうとしてたのに
ただの大義名分作りの建前を真相と言われても >>29
小学生の時そういう事ばかり言ってた時期がありました >>160
超時空総裁アベの恐ろしさを知らんのか。
パヨクの証言によるとアベは過去の事件や天変地異まで掌の上なんだぞ。 当時の状況は良く分からんけど、当時すでに足利幕府再興に賛成する武将は皆無だったんじゃ?
それだと大義名分としてもちょっと頭おかしいしなあ、考えられるとすれば
他の武将が頭上がらん超巨大な勢力が暗に明智に謀反を促したとしか・・・ 室町幕府のスポンサーになって幕府再興は
すでに信長が試みて失敗してるんじゃ >>151
だよね
まあ、だから毛利が秀吉を追わなかったって無理やり繋げることは出来そうだけど
そんな大事始める前に光秀の周囲の信頼出来る相手数人ぐらい説得してから始めないかと思うんだが 人生の最後に一花咲かせたいと思ってたら目の前に本能寺あった
これが真相 >>169
義昭は毛利の後ろ楯があって鞆の浦にいたんだから
少なくとも毛利は建前では足利将軍の京都復帰には賛成だろう これが目的じゃなくて色んなとこにやった調略の内の一つじゃないの
きっと動機もこれだって一つに割り切れるようなもんじゃねえよ 本能寺に関しては完全に光秀が我慢の限界超えてて、ちょうどそんな時に信長と息子が警備手薄な場所にいたってだけな気がするわ
衝動的に殺してしまえになっただけじゃね
光秀程の人間が誰の助力も得ずに無計画に突っ走ったとは思えん >>4
禿げでホモの話とか、お前らの大好物やんけwww 思いつく理由がたくさんあるのに無理やり絞る必要は無いんだよ >>178
細川には引退して息子に天下譲るとかいってるしな
まぁ無計画だったという推測のひとつの証明にはなると思う 信長をやったのはいいとして、その後戻って来る遠征組をどうやって返り討ちにするつもりだったのか >>169
謙信が生きていたら賛同した可能性はあるな >>189
大河信長の時の家康はなんと郷ひろみなんだぜ
光秀なんかマイケル富岡だ >>164
実際はもっと激しい感じで
このハゲーっ! ち・が・う・だ・ろーっ!
って言われたんだろうな >>185
滝川のように変の知らせを聞いた連中が裏切って惨敗して帰ってきたり
柴田のようにすぐには引き返せなかったり
信孝丹羽のように遠征軍そのものが脱走で消滅したり
そういうこともあるからね
短期間で兵をまとめて引き返してきた秀吉がすごすぎる 主殺しの裏切りのものに思われたくなかっただけ
自分は足利家のためにやったんだと、大義名分が欲しかっただけだよ
本気で足利家を迎える気なんか無かったとみるのが普通
この時期は重要な情報戦なわけよ、適当な嘘を言って少しでも味方を付けたかった
権謀術数に優れた光秀がそれをしないわけがない
秀吉も信長は生きてるとか嘘を言って、自陣に引きこもうとする手紙を出しまくってる こないだの27時間テレビ見てた嫁に
「信長さんに勝ったらその時点で明智さんが天下人なんじゃないの?」
と非常にシンプルな質問を受けて上手く答えられなかったんだが、どう言うのが正解だったんだろうか >>196
誰も従ってないし
全然困る質問じゃないだろ 今で言うと大日本帝国の復活を願うネトウヨみたいな物だなw >>197
ていうのを用意してなくて説明できなかったんだろうなw
ウジは見てないからよくわからんが
「天下人」の定義から始めないといけないし
じゃあ三好は?大内は?って話にもなってしまう 室町復活より信長生きてるのほうが効果絶大だろうな、なんどもまきかえしてきた信長だもの、そのじてんで苦しいな明智は >>193
>短期間で兵をまとめて引き返してきた秀吉がすごすぎる
中国大返し どう考えちぇも大義名分の一つだろ三重大てアホなのか? 新発見なのかと思ったら写しは常識レベルで既に知られていて
その原本が見つかったってだけらしいじゃん
一気に萎えたわ('A`) >>23
そうなんですか?
引き抜いたのは知りませんでした
これに関連した面白い読み物有ったら教えて頂けませんか? 室町幕府ってそんなに良かったか(´・ω・`)?
大東亜共栄圏みたいなお為ごかしやろ(´・ω・`) >>204
三重はパヨクの拠点だからな
日本史の既成概念を崩したくてたまらんのだろ 光秀はイケメンで優しくてインテリ
現代に生まれていたらまんまんに大人気😍 >>1
名前?書いてあるところ自己主張激し過ぎるw >>196
あの時点で信長は別に天下人じゃないし討ったところで天下獲ったことにはならんわな
織田の家臣や周辺諸国の大名を屈服させて朝廷を納得させなきゃいけないし 光秀の子孫が、調べだした家康に唆された説は、ガセだったってこと? >>193
秀吉ってガチの平民から一国の王にまで成り上がるって言う、
史上類を見ないラノベ主人公ばりの大成功を収めてるのに不人気で
ドラマとかでもイメージ悪いキャラばっかなのはなんで? 幕府復活なら
当時毛利にいた義昭から光秀の謀反の情報を毛利から秀吉に流れていて中国大返しを可能にした 光秀の異常な出世の速さからも信長にかなり気に入られてはずなんだよな
秀吉が軍令違反したこともあって織田家ナンバースリーは確定だったろう
余程の理由がない限り謀反はしなかったはず 千年ぐらい前にサッサと平定して江戸時代みたいにすりゃよかったのに 信長が天下統一したら、
軍団解体させられて、
更迭されるの確実だっただろうし、
そりゃ謀反おこすわw >>210
「彼は、裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、
独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、
戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、
計略と策謀の達人であった。また、友人たちの間にあっては、
彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していた」
だそうだぞ
まあ風呂椅子はキリストに批判的な奴全員にこんな感じだけど >>219
多分、誰かに殺された
あまりにも家臣団に強圧的すぎたよ。 >>215
朝鮮いじめたから悪者にされてる
NHK筆頭に 秀吉は人気あるだろ
自壊が目に見えている豊臣を滅ぼした程度でガタガタ言われる家康の方が不思議 >>107
重野、この光秀をどう謀反させるんだろう >>193
結局、滝川は織田軍方面隊の司令官でしかなかった。信長の権力と権威に依拠した存在
一方、秀吉は秀吉軍を持っていたということだろう。 >>228
やり方やイメージの差だろうな陰湿と言うか方広寺の件なんか流石に擁護出来ないいちゃもんだし
秀吉は晩年アレだけど陽の印象あるからな >>227
ああ、花の慶次でも昔はまともだったのに朝鮮出兵辺りから頭おかしくなったって描いてあったなぁ。 >>215
前政権はたいてい批判される
誰でも「今の世はいいでしょ」って言いたいからね
そういう徳川史観と主にコリア関連とパヨク関連から
朝鮮半島を攻めた極悪人って評価を受けてる >>228
単に明治政府の徳川叩きの影響が残ってるだけじゃ・・・ >>236
徳川が悪く言われるってのも明治政府になってアンチ徳川論を展開したからなんだよな
それでちょっと前は徳川再評価ってのがトレンドだったんだが最近はまた逆に振れてきてると 信長の評価が高すぎるんだよ
言うほど有能じゃない。信長は家臣団を下僕のように扱い、数々の謀反起こされ、そして最後は殺された
三英傑で一番無能なのは織田信長 >>228
関ヶ原でもう決着はついてた
冬の陣時点ではすでに摂河泉75万石?程度のいち大名になってた
秀吉は信長の子らを(歯向かったやつを除いて)徹底的に滅ぼすことはなかったが
家康はそれを許せなかったし秀忠を信用してないから
自分の生きてるうちに処分したかった
家康はその欲望むき出しなところと裏腹に
勝手に転がり込んできたから仕方なくっていう建前の差が激しい >>52
明智家って織田家内でも有数の名族じゃなかったっけ?清和源氏の >>239
強圧的って当たり前じゃん
戦国なんだし生殺与奪の権利を握ってんだし
なんでヘコヘコ頭下げて部下に動いてもらわにゃならんのよ
歴史を現代感覚で見るほど愚かなものはない そら光秀は
・元浅井の家臣で近畿に人脈があって
・足利将軍家にも関係があって
・朝廷にも顔が利いて
・家康の接待係り
そして
信長の前半の軍師沢彦と兄弟に契りをした美濃出身で武田と繋がりがあって天皇とも親しい
快川紹喜の同族といわれた
つまり岐阜を命名して拠点を移した所で死んだ沢彦の後を次いだのが光秀で信長の天下統一のプランは光秀のものだった
ここで注目すべきは、天下布武という言葉と岐阜命名&拠点の移動は軍師沢彦がやったこと
当時の光秀の影響力は信長を凌駕していた可能性がある。 >>243
え? 現代感覚なんて当てはめてないよ
当時としても信長の家臣団への扱いは酷いもんなんだよ
佐久間とか領地没収され信長親子で山分けだぞ >>223
そんな見え見えの腹黒いやつだったら早々に信長に追放されてそうだけどな >>245
それの何が悪いの?
納得行かなきゃ独立して謀反起こせばいいじゃん荒木みたいに
佐久間はそんな器量も度胸もなかったから身一つで追いやられたんだろ 明智のみっちゃんはパワハラ受けてたって聞くんだけど 魚が腐ってると家康の前で森蘭丸に犯された光秀
それを見て家康は男色に目覚めて井伊家の再興に繋がるんだけどそれはまた別のお話し 別に謝らんよ。どうせ秀吉は間者放って光秀の動きは知ってただろうか不作為による信長殺しだから >>249
そうそう、なんでも我慢せずやればいいんだよ
重臣を犬ころのように追い払ったり、女中を殺したり我慢せずやればいいよ。
そんなことばっかりやってるから謀反起こされまくって
あげく殺され、誰も織田家に忠誠せず、政権も秀吉に奪われたんだけどね。
人間、やれる力があるから、やっていい というものではない。 >>253
そのとおりだよ
君の言うとおり「信長の権力と権威に依拠した存在」はそういう扱いを受けたし
能力もあって存在感を示せた柴田や明智、羽柴なんかはちゃんと残ってる
それを現代の感覚で信長が酷いとか家臣が可哀想とかいうのは大きな勘違いで
当時はそういう時代だしそういう選択肢もあったってだけ
そういう選択肢を行使できたのは信長にそれだけ大きな権力があっただけの話
実際に信長に仕えずに三河時代の家康に鞍替えして残った家なんかもある この当時、室町幕府復活してどうすんの?って感じがするな
単なる方便の一つだろ それより、佐久間信盛がオタ界隈で流行りの転生主人公なみの人生な事を語ろうぜ
てか佐久間も義経なみに悲劇の英雄扱いしようぜ [ ::━◎]ノ 惟任日向守謀反!って大声で言いたい. >>245
そーいうのってさ、全部小説とかで脚色された信長像だから
追放も、高野山に隠棲するか、戦場で命がけで手柄たててこい と2択を選ばせてる
でその結果選んだのが隠棲(同時に追放された若い息子も)
前田利家だって一度追放されたけど戦場で手柄たてて帰参を許されてる
その情け無い姿にこの二人に同行した家臣は小身の一人だけ
そして2年後には息子は別に戦場に出たわけではないが、許されて帰参して
信忠の家臣になってる、ちゃんとそこまで知ってるのか、おまえ? >>260
信長って言うほど暴君じゃないどころか、部下とか将軍とか御所とかにえらい気を使ってるよな >>258
いいですとも!
うん? 是非もなし? あれ? >>260
小説だったらカワイイもんだが
最近は歴史書のフリしたトンデモ本がいっぱい出てるし
そういうのにコロッと洗脳された口だろうな その割りに信長討たれた後の足利義昭の動きが鈍い
ホントに明智光秀と繋がりあったんだろうか 史料編纂所で、古代からの古書を解読していて出て来たってことかい? 計画的なクーデターだとしたら信長包囲網のやつらと足並み揃えて殺害後即侵攻じゃないの やはり秀吉と光秀の関係のどこかに何かあったような気がするけど おまえらは信長とかをまるで肉眼で見てきたかのように語るよね >>272
おまえは織田さんのことを下の名前で呼ぶほど親密なのかお? ボンクラ将軍足利義昭のおもりを任せられてた光秀が
室町幕府再興と義昭という人物に一番へきえきしてただろ
ドラえもんのごとく信長を頼って何度も助けて貰うことと
毎回裏切って信長討伐冷を日本中の諸侯宛に出すことが日課
そのせいで無駄な反乱が各地で起きて対応するため酷使され
光秀の本能寺ゲージをMAXにさせた張本人
そんな義昭を諭すだけでずっと許してあげてた信長は
お前はお母さんかというぐらいの優さしさ >>256
悲劇の英雄かどうかは知らんけど
信長の折檻状のみ流布して無能キャラ扱いになってるのはどうかとは思うな
かなり実績はある奴だし タイムマシンが出来るまで永久に解決されないテーマだよなぁ
本能寺
タイムスクープハンターになれたら真っ先にこの時に行きたいわ >>266
義昭と詰めた話までしてたのかな?てかんじよね。
そりゃあ義昭は、信長のこと、略奪者で目の上のタンコブだっただろうから、信長憎し、みたいなことは言ってただろうけど、はっきりとした暗殺命令までは出してなさそう。周りの大名公卿も、みんなそんなかんじだったんじゃないかな?いくら信長憎しでも、信長怖いもんね。
それを、光秀が早合点&私情も入り、かつ、手薄で本能寺に滞在、ていう絶好のチャンスが巡ってきてしまったから、そういう反信長派と思われる諸侯をまとめる前にフライングしてしまったんじゃないかな? >>255
その辺りも不明瞭よね。信長暗殺して、その後の政権をどうしたかったのか?
まあ、それが分からない、ていうことが、本能寺の黒幕が分からない、てことでもあるよね。 武田滅ぼしてから二ヶ月も経ってないんだよな
意外と早い展開 家康の孫は家光、その乳母は明智光秀門下の者。
家康が黒幕で光秀を匿ってた説もあったよな。
秀吉が家康を必要以上に怖れていた理由として秀吉は光秀を家康に匿われて討伐出来てなかったとかな。
で、家康は伊賀越えを強行してでも帰る必要があったとかな。 54歳で丹波召し上げとか、キレてもしゃーない
力もねえ息子にほいほい良知良能あげてるし
まあ中央固めたのは分かるけど 光秀という人は、この手紙の他にも朝廷には「鎌倉以来、政権は武士がとってきたが、この際
政権を朝廷にお返しし・・」という手紙も出しているし、盟友で絶対に自分に味方をしてもらえると
考えていた細川幽斎には「忠興殿の身の立つため(このクーデータを起こした)」という手紙も出している。
色々な勢力に「朝廷の為」「足利幕府再興の為」「○○殿の為」など都合の良いことを出しているだけなんだよね。
要するに光秀という人は、後世で色々推測される崇高な理念や明確な目標があって本能寺の変をおこしたわけじゃなく、
ただの発作的犯行だったわけで、実際にやっちゃってから、バッタンバッタンしているんだろうね 歴史の必然 というか
神様に指名される男 ってのが厳然と存在する
時代を動かすだけの器量のある男は 羽柴秀吉 だったということ >>289
だからこそ成功率したんだろうね
結果、三日天下だけどw >>285
京都の信長にしても、警戒の為、京都の街道筋には哨戒の兵隊ぐらいだしていただろうが
完全武装で数万人の明智軍がその哨戒に引っかからず、本能寺にたどり着けたってのが変なんだよね。
要するに、京都で信長の御前で、馬揃え(信長による閲兵)の予定があったんだろうね。
だから、完全武装の明智軍が本能寺まで来るってのが可能だったのだろう ただの叛逆でも大義が必要ってだけ
一方で細川には忠興に天下を譲るとか言ってる書状がある
いくら対外的に自身の正当性を語る書状があっても、変を起こした根拠にはならない >>291
それは秀吉個人の事しか見てない 蟻の視点
国内と統一し、度量衡を定め貨幣も検地も法律も定めたから
家康以降はそのまま継承することが出来ただけ
秀吉の業績がそのまま江戸幕府へと受け継がれてるんだな 顔は広いけど本当の友達は一人も居ないみたいなタイプなのか なんか信長〜家康までの数年間だけ異様に劇化されてるけど殆ど創作なんでしょ? >>297
明智光秀という人は、美濃の明智氏の出というが実際の出自は不明。しかも信長よりも歳上。
かなり後年になってから織田家に所属。しかも教養があり都会的。田舎者ぞろいで無骨で無教養な
(織田家の将校たちが朝廷から官位をもらった際も、我が官位はなんと読むのだ?と御所で喚き散らして
公家たちの失笑を買ったなんてのが公家の日記にある)織田家の古参幹部たちとは肌合いが
合わなかったろうし、かといって、最下層から昇ってきた秀吉のような陽気なキャラでもなかったようだから
かなり孤立してたんじゃないの? >>297
あれだけの大事だが、根回ししてなかっただけ
しないからこそ、信長討ち取りだけは成功した
斎藤利三、明智秀光
ほんとうの友人はこの辺じゃねえか >>302
全面的な楽市楽座は信長の時代からだけど、部分的な楽市楽座は美濃で斎藤道三がやってるよ >>302
いや、道三でしょう
長槍も道三のパクりだし
パクって進化させるのが信長だけど ,滋賀,すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. >>215
嫌われ出したのは比較的最近
少し前までは大人気だったよ >>296
基本的に徳川政権の政策って織田〜豊臣路線の踏襲が多いよな
宗教対策なんてもろ 変後の書状だし味方ほしさに適当こいてるだけのようにも >>289
そうじゃなきゃ変後の杜撰な対応が説明つかんしなあ
最近周到な準備が黒幕がと言うのテレビとかで流行ってるけど
複合的な理由によるいきなり謀反には良い状況が目の前に転んできた上での突発的な行動
と考えるのが妥当だな 判明って明智光秀が幕府派だったのは前から言われてたよね
確かクソ真面目な奴だったと聞いたが >>215
イヌHKなどの、親朝鮮勢力が、朝鮮征伐を断行した秀吉を否定的に扱っているからだよ 秀吉のせいで成り上がって嘘を言う輩増えたんだよな。信長の最大の罪だし日本はあれから能力あるものの足引っ張りが国技となり某国と変わらなくなった。
謙信がもっと欲のある人物であればな…… >>315
NHKはなぁ
大河の利家で秀吉のお漏らしシーンを執拗に丹念に描いてたシーンは
ほんとキチガイじみてた >>313
悪魔のタイミングだよなあ。織田家の幹部たちが、関東に滝川、北陸に柴田、大坂に丹羽、中国に羽柴
信長自身は京都に最低限の人数で宿泊。で、明智自身は、中国地方に応援に行くため、大人数を
率いていた・・この状況なら「信長を討てんじゃね?」と思わない方が不思議だろうね。
まあ、実行しちゃったのは、発作的というか、精神病の範囲になるのかもしれないが・・ 劉備の漢王朝復興みたいなもんだろ
とりあえずノリで言うとこみたいな >>313
信長と信忠が少数の護衛のみで京に来ていることやその場所を把握していたことからは、
前々から密偵を忍ばせて隙をうかがっていたはずだよ。
ただ、その決行の時期は決めていなかったろうし、根回しもしてなかった。
密偵から情報が入って「2人ともやれる。チャーンス!」と後先考えずに
行動を起こしたんだろうな。 新右衛門さんの末裔がKー1のムサシらしいから
あと一休さんと桔梗屋さんと義満公の末裔を探し出せば略式復興できそう >>316
知ってて泳がせてた
じゃなきゃ本能寺の変発生後に毛利と停戦して鞍返りするまでの迅速過ぎる行動に説明がつかない
そう考えると信長に上告しないあたりがある意味間接的に秀吉も謀反起こしたと言えるよね
信長が光秀に不穏な動きあるの知ってれば光秀が寝床用意したとされる防御弱い本能寺に泊まる事も無いし やれそうだからやったんだろ
あの警戒心の高い信長が手勢も連れずに寺に泊まってる状態が押すなよ、絶対に押すなよ的なものに見えたとかさ >>325
秀吉や官兵衛が勘づいた可能性もある
ん、この状況で丹波領召し上げされた明智軍きたら上様危なくね?
上様に具申するか…まてよ、撤退案の準備だけでも進めておけば… >>325
非常識なまでの即断即決拙速を貴ぶのは秀吉の十八番でしょ余裕で説明がつくと思うが
そもそも秀吉のみが謀反兆し知ってて信長が知らないとかの方が不自然だし ごめんおれ日本史取ってなかったから基本を聞きたいので教えてくれろ
当時室町幕府の血筋っていうのか、足利氏は末裔が生きてたのかい?? 家康が源氏の子孫だから将軍にしろとねじ込んだのと同じような >>124
へうげもの以前からあったトンデモ説だよ >>318
今は息してなくてもきっかけ一つで吹き返す。有象無象が寄ってくる。それが権威ってもんだ。
光秀に味方したくなった有力者がいたとして、まず権威に裏付けられた大義名分で身内を説得する必要があるんだし。 秀吉の中国大返しは物理的に不可能
事前に本能寺の変が起こるのを知っていたとしか思えない >>329
確か、足利幕府最後の将軍の、足利義昭は関ヶ原の数年前まで生きてたはずだよ >>331
トンデモというか、結果として一番得した上に行動が素早過ぎた奴が疑われたってところだろ。
推理小説で名探偵にダメ出しされる典型的なヘッポコ推理ではあるが。 >>334
いや全然可能だよ
ダッシュしてたのって姫路城までだし
ただ姫路まで来てるってことで用意してなかった光秀にとっては充分ショックだった >>325
全部後付けやろ
秀吉が知ってようが知ってまいが、毛利と和平出来る保証も無ければ、寝返らない保証もない
多くの国人衆が味方に付く保証もない
単に知ってるってだけじゃ、感ずくとかそういう奴大勢居ただろう
更に、徳川幕府成立後散々落とされたのにその部分で追及されるとか一切ないって事は
知ってた程度ならみんな知ってたんじゃないの? >>289
ちょっと違うんじゃね?
当時は君主の寝込み襲うなんて内外から批判起きるからタブーになってたと思う
これがまかり通るなら他の大名も部下に寝込み襲われる危険性あっておちおち寝れなくなる
つまり下克上とは言え大義が無きゃ謀反は通らなかった
なので派閥作ったり取り込んだりして君主の不徳を大義にして国外退去がギリギリのライン
光秀はおそらく今回の手紙の件で濃厚になった朝廷を後ろ盾にして謀反起こしたと考えられる
じゃなきゃ細川や村井程度の協力者で四面楚歌になるのが決定的な信長討伐なんか出来ない
誤算は一応表向きは信長は朝廷、室町幕府復興に協力的だったから思いの外、内外からの反発強すぎたんじゃないかな?
ビビって無関係装う細川。続いて朝廷も無視を決めたんじゃないかと推測
もしくは朝廷側がビビって暗に光秀討伐令出して朝敵にして無関係を装ったか
じゃないと他の諸国も領土奪還を大義に混乱する織田家に攻められた筈なのに手を出していないし
あくまでも憶測だけどね
まとめると計画的にやったけど根底が崩れてあっけなく終わったんじゃないかな? >>340
当時は君主の寝込み襲うなんて極ふつうのことだったんだが…
だから江戸初期の城でさえ便所を変なとこに作ってたりする 光秀の謀反を秀吉が事前に察知していたというのは無理がある
秀吉が察知できるくらいなら光秀と仲の良い武将の方が先に知ってるだろ
みんな本能寺の変があってからドタバタやってるじゃん >>334
実際物理的にやってるし
本能寺の前に毛利と講和して機内に進軍したと言うなら
このトンでも説も支持されるだろうけれど >>254
ID:kGN0yghF0は現代の感覚を当てはめてるわけじゃないと言ってる上に可哀想とかも何も言ってないのに、
君の妄想ヤバくない?議論に負けてるのを話反らして逃げようとするのはカッコ悪いぞ >>317
小田原も落とせない人が何が出来るってんだ >>345
何も話題反らしてないがw
皮肉った書き方がカチンと来たの? 秀吉と通じるぐらいの光秀が、親戚の細川も近所の筒井の調略も出来ないとか本末転倒だしなw >>337
当時の日記の日付を元に交通渋滞のシミュやってる大学教授が
コンピューターで計算した番組を見たことがあるが
高松から姫路まで1日半という行程がどうやっても無理だとさ
記録より2日早く出発してやっと辻褄が合うくらいの計算 >>349
詳しい内容は忘れたが
家康ファンのやつが秀吉の大返しなんて全然すごくない
家康も同じくらい(以上だったかな)の進軍速度を出したことがあるって自慢してたぞw
むしろあいつらのほうが詳しいはず
なお当時の東海道と山陽道の整備レベルの違いは無考慮だったと思う あんまり言いたくないけど三重大は左に巻きすぎて頭のおかしい人間しかいない >>340
下克上の時代だから、例えば三好家の松永弾正に至っては、主家の跡継ぎを殺害し、その父である
三好長慶を無気力な廃人にして実権を握ったなんて例はザラにある、主君や跡継ぎの寝込みを
襲うなんてのは日常茶飯事で、それを卑怯とかいうのは後の江戸期の道徳からだよ。
当時は「武家ともあろうものが、寝込みを襲われて死ぬなどなんていう無能、不覚人」っていう時代だぜ。
元禄の赤穂事件際でさえも「赤穂浪士の襲撃を受けて首を取られた吉良上野介や吉良家の者たちは
武家の風上にもおけない」っていう処断が幕府からくだされているからね。
あと、戦国時代に、無力化していた朝廷に明智をそそのかす程度のチカラなんかないよ。
朝廷を尊ぶべしというのが読書階層の間で一般化したのは、江戸中期を過ぎてからだよ。
信長の時代には、朝廷は官位を発行する神主の親玉くらいにしか扱われてないよ。 >>349
そう言うのは本質と少し離れる話なんじゃないかのあの時代色々盛るし
本質は本能寺の変起こした光秀の密使が毛利に辿り着く前に捕えられ
秀吉が変を知り毛利と講和し速攻戻ったと言う時系列で 毛利都の交渉文書と姫路着いてからの発給文書が
大量に残ってんのに不可能もクソもない 明智光秀の中の人は?
1 矢作紗友里
2 釘宮理恵
他にいる? >>351 光秀という人は前半生が謎に包まれている。なにせ個人芸としては鉄砲の達人で、指揮官としても
織田家では新参なのに、メキメキ台頭し5大軍団長の一人にまで出世し、また学問や教養があり、
田舎者揃いの織田家の中でほぼ唯一、殿中での武家・公家の作法や礼儀に通じ、また諸国を流浪して回った経験があり
南は薩摩から北は東北に至るまでの、人文、地理にも通じている。こんな完璧人間みたいな人が
一体どこの生まれで、どういった境涯で生きてきたのかがほとんどわかっていないが、流浪時代に
室町幕府再興の志があったようで、将軍候補だった足利義昭を担いで、あちこちの大名の所を周り
最終的に織田家に落ち着いた。当初光秀の身分は、幕臣であるが、織田家の禄を食むという。
兼帯という形だった。その後、京都に入った信長と義昭の関係が悪化すると、光秀も義昭を見限って
織田家に仕えた ただそう言う曖昧なデータから逆算する方式取ると
石高の低い今川は国力の大きな織田に対して上洛軍を起こせないとか話になるからなぁ
石高や距離を元に再現をしようとするとナンセンスな話になる >>329
足利義昭は織田信長に京都から追放された後、広島の毛利に保護されてた
その後、豊臣秀吉の麾下に収まって朝鮮出兵の際には、
僅かな手勢しかいないが九州にまで馳せ参じた >>7
そうだよな
変から十日後って意外と味方についてくれる人が少なくて焦って書状乱発してた時期って司馬さんが言ってた >>361
秀吉が関白になる前に、義昭を呼んで「俺を養子にしろ、そしたら俺は源氏になるから
幕府が開ける」と迫ったが、義昭がそれを断ったってのは、武家貴族として最後の意地だったんだろうな。
10中8.9殺されるのを覚悟でそれを断ったわけだからね >>363
そうだな
お前らすぐシバさんを馬鹿にするが
あの人いちおう資料は読み漁ってるからな
しかも当時と今じゃ研究成果や伝達できる情報量などがかなり違うし
多少筆が走ってても仕方ない部分もあるじゃないか >>16
普段から使ってないとそんな変換は出ないぞ
いやらしい〜 江戸時代初期に徳川家康に仕えた南光坊天海という坊さんがいる。
江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。
この天海、実は姿を変えて生き残った明智光秀という説がある。
>>354
>元禄の赤穂事件際でさえも「赤穂浪士の襲撃を受けて首を取られた吉良上野介や
>吉良家の者たちは 武家の風上にもおけない」っていう処断が
>幕府からくだされているからね
幕末でもこれは変わらない。桜田門外の変で井伊直弼は首を取られたが、
警護していた井伊家の家臣はその後切腹など厳しい処分を受けた。
彦根藩自体も石高を10万石減らされた。 細川元首相が明智光秀と血がつながっていないのは意外だったわ >>369
それはテレビで見たな、ゴルゴとかが声やってて龍と虎が出て来るやつ・・・・
松方弘樹も声やってたと思う >>370
確か本家筋は途絶えてる筈
俺の記憶では、受け継いでない >>309
あの人の本面白く読めたけどとんでもなのかい? >>370
細川護煕さんは弟の家系、兄の家系は政治評論家、細川隆元、細川隆一郎の方、隆一郎の息子がテレビ朝日の細川隆三、世が世ならテレビ朝日の細川隆三が殿様だった >>369
それもなんだかと思うけど
日光に明智平の地名をつけたのも天海だって逸話もあるしな 司馬さんねー俺も面白く読ませてもらった口だからあまり言えないが
色々調べるとうーんて部分は否めないなあ最たるものは坂の上の雲とか・・
有名すぎて全部真に受けちゃう人が結構いるのが問題なだけで
本人は「小説家」なのだから特に罪は無いんだけどな >>354
いや、君主の仇討ちもしくは他国だと盟国の不穏分子の排除っていう大義名分が成立しちゃうから暗殺は国の統治を目的とするならどうやっても不具合が出ちゃう
三好もそうだけど寝込み襲う例は多くあるけどその後国内がズブズブになって掌握できてないのが結果としてあるから
大義無き暗殺は例外なく派閥がある大名家にとってはお家騒動になるのは当然ちゃ当然だよね
わざわざ号令かけて挙兵して攻め入るのは大義があるからこそやるわけで
光秀以外の大義→殿仇討ちが大義成立
光秀→いや、朝廷からの命で大義成立
って狙いだったんじゃないかなーと推測したって言いたかった 地元愛あふれているけど火をつけたのはダメだったな。 >>253
おまえは織田家になんの恨みがあるんだよ? >>106
信長急死したら秀吉けっこう織田家中で孤立しちゃうし、信忠との仲も悪くなかったから、秀吉が陰謀めぐらして信長倒す理由が無いんだよね。 >>123
上杉景勝「一番利益上げたのは俺じゃね?」 >>378
ソレは当時「朝廷」っていう存在が諸大名や武士、或いは読書階層の商人・大百姓のあいだでどれだけ
認識されていて、どれだけの影響力があったかという点に尽きると思う。
幕末に至って「朝廷」「帝」という存在は、それを奪った方が官軍(正義)になるという程に価値が高騰したが、
それは江戸期教養時代に「王(帝)を尊び、覇を卑しむ」という考えが普及してからの事なんだよね。
戦国期の朝廷には、武士を動かすとか、後ろ盾になるとかそこまでのチカラは無かったと思うよ。
証左として、天下を取ったあとの秀吉は朝廷と結び、自分の権力強化にこそ使ったが、戦国たけなわの頃には
「足利幕府を再興して、自分は鎌倉幕府における北条家のような執権の地位について天下を動かしたい」という
野望は今川義元も信長も、武田信玄ももったが「朝廷を持ち出して・・」というのはほとんどない。
朝廷を味方にするのは、装飾物程度の扱いだったんじゃないかなあ。 >>338
光秀がやらかしそう、とは思ってたんじゃない? >>223
貴様まんまんの夢を…😢
松永久秀の間違いでは? 本能寺の変の10日後、反信長派の土豪・土橋重治に宛てられた。
周りが敵だらけでやばい
何でもいいから見方が欲しいって状況じゃねーの? >>95
古今東西、権力のために敵対した親子親族がどれだけ多いか、よね。。。 >>96
それやね。生き馬の目を抜く戦国時代、世渡りと流れを読むのが上手い奴が生き残れる。 >>198
そう。そしてグレイトアメリカアゲインとか言ってるあの大統領さんも同じ。
もっと言えば古代中国、前漢末期に
「偉大な中華に戻す。過去の美しい国に戻す」
って言って漢王朝乗っ取った王莽って奴と同じ。
そーゆー「昔はこんなに良い世界だったから戻そう」って改革は絶対上手くいかない。 >>383
羽柴時代の頭脳明晰で、側近には参謀格に黒田官兵衛、軍事的算術に長けて軍隊の兵員移送や
兵糧の手配などの事務作業には天才的な才能を発揮する石田三成を擁する秀吉にすれば
「まてよ、滝川が関東にいる。柴田は北陸、丹羽は四国渡海の準備で大坂、明智は京都の手前・・
で俺は中国地方にいる。で、各地方の兵員数がコレコレで・・」
織田家は当時珍しく、各軍団長直属の兵員数は少なく、いざ戦になると、信長が自分の直轄軍を割いて、
与力として各軍団に所属させて出発させた。「ん?信長様の直轄軍を、柴田、羽柴、丹羽、明智、丹羽に
割り振ると、信長様に直接ついている兵員数はコレぐらいで・・で隣に明智?!やべえんじゃねえのコレ!」
位の事は、人間通の秀吉にすれば思いついただろう。でそれに気づいた時点で、京都に入るか駐留する前の
信長・信忠親子に「コレコレこうで、信長様が京都に駐留するのは危のうございます!」と急報しなかった時点で
「多分、光秀は、信長親子を殺すなあ・・これを信長様に注進してあの親子が生き残るより、いっそ
光秀にやられてくれた方がオレにとって都合がいいな」という消極的謀反の考えはあったとおもうよ >>383
秀吉生涯に渡って最大の庇護者って信長だからなぁ
それを殺すってのは寧ろ天下から遠ざかる行為に見えるし
ニートが親殺すみたいなもんかもな >>99
それもそうなんだよね。光秀のフライングとも思えるけど、光秀ほどの人物が確約なくこれほどの大事を起こすはずがないと言われたらそうとも思うし。。。 信長「このハゲー! ちーがーうーだーろー!!」
光秀「(カチーン!)」 この頃の戦って運動会の棒倒しみたいに
お互い全員一斉にワーッと行ったのだろうか?
そういうイメージがあるが
幕末の新撰組の寺田屋事件の時もほとんどが双方睨み合いで
実際に刀を交えたのは数分という話も聞いたことがあるので
戦国時代の戦は本当はどうなんだろうという興味はある >>383
光秀にしても秀吉にしても、信長による天下統一の青写真が見えてくると、「信長様が天下を
おとりになる。でその政権下で俺はどうなるんだろう?」位の事は考えただろうさ。
光秀や秀吉は武人としてだけじゃなく、文官としても能力は高い人材だったから、さすがに
織田家から「働きが悪い」として追放された佐久間や林通勝のような目に合わないにしても、
織田幕府での1番(2番)家老程度がいいところ・・これだけ若年の頃から苦労して、天下は信忠のもの・・
そうはさせるか!ってのはあったんじゃないの?
後年、秀吉薨去後の家康にしても、リスクを犯して戦を起こさずに豊臣家の一番家老で生涯を終え、秀忠以下
徳川家の子孫は、代々豊臣の一番家老務めるって選択肢もあったはずなんだよね。
やっぱり、下克上の時代の人間らしく、機会さえあれば、主君を押しのけ、天下がほしいってのは
あったんじゃないかな >>11
なぜかぎこちない萩原健一や気の弱そうな坂東三津五郎も悲哀を感じさせて
くれていい >>233
北条や真田を傘下に付けられたけどまだ武田攻めから二月しか経ってのに掌握なんて無理だろ
滝川直属の家臣団は裏切ってないよ >>153
ガラシャの母親も有名な美女だった。光秀とは幼い頃から知りあいで、疱瘡にかかってアバタ顏になってしまったのを恥じて瓜二つの妹を嫁がせるんだけど、光秀は見破って、自分が嫁に欲しいのはあなたです、て手紙を持たせて妹を丁重に送り返したんだよね。 天下統一後、光秀が自分の心配するのはわかるんだよな
間違いなく配置換えされるだろうし
ただ秀吉って毛利討伐後、ご褒美が待ってるんだよな
それ蹴ってもし信長の死狙ってたたとしたらヤバい奴だわ >>215
マジレスすると、今みたいに悪く言われる前から、
歴史好き・戦国時代好きの奴が調べれば調べるほど秀吉の評価を下げざるを得なかった。
今ここで「朝鮮人に乗っ取られたNHKが〜」とか言ってる連中が哀れに思えるレベルで、
とにかく命令等に一貫性と公平性を欠いていて、それでいて過去の恨みを忘れない陰湿さもひどい。
戦国板が秀吉に付けたアダ名が『ラスボス』
これが全てを表していると思う。 秀吉の場合、実子がいなくて、信長から子供もらって
秀勝を跡継ぎして、信長の不興を回避していたからな
どんなに出世しても最後には子供の秀勝が引き継ぐという
安心感を信長に与えていたのが大きい 秀吉の謀略だとするとかなり上手くいってたが
秀勝死んだのは相当痛いよな >>233
良い説だと思うから否定はしたくないが、実際は逆だ。
滝川は一族も多く自分の私設軍団を持っていたが、
秀吉の部下は基本的に信長から付けられた与力がメインだ。
だから賤ヶ岳の七本槍とか自分の子飼いの家臣の手柄を、誇大に喧伝しなければならなかった。
オマエの説を丸パクリさせて貰えば、「軍団を持っていた」というより『個』という認識を持っていたと言う事だろう。
滝川一益があくまでも「自分は織田信長家臣団の滝川一益」という認識しか持っていなかったのに対して、
秀吉は「俺はたとえ何処に行っても『秀吉』という1人の独立した人間」という認識があったと言う事だと思う。 >>239
家臣に軍事力と地方自治権を与えすぎだよな。まさに丸投げ。
あれじゃ無事に天下統一できても、信長が死んで信忠の時代になったら、有力家臣達が自分の軍団を率いて上洛してきて権力争いし始めたり、
地方で独立大名状態になったり、あるいは敵対地元大名に滅ぼされたりして、
結局織田政権は早々に倒れる事になっただろう。 >>251
家康「アホウ!もっと以前から目覚めとるわ!」 ぶっちゃけ明智>信長だよな
明智豊臣徳川の順で生き残った
わけだし。 お歯黒様の天下にしたかったのかw
∵ゞ(´ε`●) 室町時代って そんなに良かったか? >>417
家臣に見えるけどほとんど与力だからそうでも無いよ >>117
宇喜多直家なんか肖像画がなくて木像の写真しか残ってないけど、木像の現物は戦災で焼失してるんだよな >>233
秀吉も方面軍司令官でしかないよ
その後天下をとったから、直属の武将が有名になったのと
与力でしかなかった武将も家臣にしただけで >>409
秀吉の刀狩り、太閤検地、は鎌倉から戦乱の原因になった相続争いを解決したんだろ。
それだけで1番評価されるべき。
晩年の所業は魔王にふさわしいが。 >>33
執権北条氏率いる鎌倉幕府に対し、後醍醐天皇や楠木正成が近畿で反旗。一旦鎮圧され、後醍醐天皇は島流し。
後醍醐天皇が流刑地から脱出。再び各地で反乱勃発
鎌倉から鎮圧の為、派遣された足利尊氏が反乱に加わり京都を制圧。
守りが手薄になった鎌倉を、落ちぶれていた新田義貞が電撃攻略。北条一門は自刃し滅亡。
後醍醐天皇が建武の新政を始めるも、足利尊氏が反旗を翻し、別に天皇を立てる。(南北朝)
一旦敗れた尊氏は九州で盛り返し、神戸湊川で楠木正成を撃破。京都を再制圧。
そして足利尊氏が京都に室町幕府を開く ついに歴史の謎の一部が解明されたか。
信長は統一後、もろに朝鮮出兵を目論んでたと聞くから、保守的な光秀は当然
不安がるよね。明智家は?家族や子孫は?と考えると、まだまだ戦乱の世が続く
織田政権は耐え難かったんでしょう。
おまけに、信長から中国地方攻めを理由に所領取り上げられ、家康の接待席で叱責され、
さんざんな扱いを受けた光秀。そりゃ世のため人のため、戦乱を止めるため信長を討つってなると思う。
保守派の光秀と、推進派の信長は完全に真逆の思想。
光秀が、朝廷と通じてたっていう説は以前からあったし、文章出てきて納得。 秀吉黒幕説は無理があり過ぎるけどどっかに黒幕は確実にいるだろうな
織田家筆頭家臣になるほどの光秀にしてはあまりにも信長を殺した後の行動が雑すぎるわ なんとなくわかってた 明智くんは野心家 いわば起業家 自分の能力が高かっただけに自分が舵を撮りたかった
プライドが高いだけに人に動かされるのがすごい嫌だった だから信長に追い込みをかけられると途端にやる気をなくす
その結果城を奪われ殺意がわいた おまけに親まで殺された
現代社会にもこういう奴はゴロゴロいる 実際に能力があるかと言われるとただの頭でっかちで起業をしても失敗するタイプ
おまけに人もついてこない 周りからは堅物だと思われどこかとっつきにくい
結果 見下していた秀吉にまける 光秀にはあって秀吉にあったものはプライドがなくとにかく人のために尽くしてきた 明るく振舞ってきた信長の期待に応えた
事実秀吉が天下をとり傲慢になってから城に悪口を書かれるほど世間に嫌われた 天下統一したら日本は織田家で支配してその他の家臣や大名は大陸に攻め入らせる計画やったって自称明智の子孫さんが言ってたw 俺光秀の生まれ変わりだけど
名目なんてなんでもよかったんよ
信長うざかったからやったんや 明智光秀は、神聖なる足利将軍家御領、三河で牧野氏に仕えていたんだよな
で、その出自は、三河の奉公衆、土岐長山氏の可能性がある
そりゃ、室町幕府側の人間だ 室町幕府 三河人の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 >>364
その説はどこまで本当だったのか分からん
将軍は別に源氏じゃなくてもいいわけだしな
信長も将軍に輔任される話もあったわけだし
本当に将軍になりたかったのなら養子にならなくてもなってただろう
武家で関白になることに比べたらハードルは低そう
ただ清和源氏で当時もっとも名門だった足利氏を継ぐってのは意味がなかったわけではないけど >>265
それはまた別。
当時、いやソレ以前の中国では
「権力とは自分の力だけで勝ち取れるモノではなく、最終的には天(神)から与えられるモノ」って考えが一般的だった。
そして更に「天から与えらた権力を一度手放した者(血統・一族)は、二度と再び権力の座に付く事は出来ない」
「権力を失った一族は天との約束を裏切った一族。天から見放された一族」
と言うのが大原則と言えるレベルの常識だったんだ。
ところが漢王朝は前漢で一度その権力を手放したのに、再び後漢で権力の座に返り咲いた。
だから当時の中国人達は
「漢王朝は、劉一族は特別な一族。彼らこそ天から『永遠に中国を支配する権利』を与えられている特別な存在」
って考えるようになった。
そう考えている連中が荊州の劉表の元に集まり、劉表死後は劉備に付いたってワケ。
案外、諸葛亮もそーゆー連中の1人だったのかも知れん。
なんたって、曹操以前に漢王朝を乗っ取ろうとした王莽も董卓も結局失敗してるし、
何より曹操のやり方が前の2人とソックリだったからね。
「どうせ失敗する」って思って奴が大勢いたから曹操は天下統一できなかった部分が大きい。
その証拠に三国時代を統一した晋がスグ衰退すると、
北方から侵入してきたモンゴル系の劉淵や、
かつての蜀の地で独立したチベット系の李雄なんかも皆
「我は劉氏!そして漢王朝なり!」って名乗ってる。
外国人でも「劉氏」や「漢王朝」を名乗れば、ヒョイヒョイ付いてくる中国人が大勢いたって事さ。 信長に関白、太政大臣、征夷大将軍の中からなりたいものを選ばせようとしてたって話もあるね >>439
日本でも江戸時代に俺は豊臣家だというフカシ野郎がいっぱいいた 劉淵は蛮族でも当時の誰よりも漢の気風持ってた気もする こんなの当たり前。
天皇か足利幕府を大義名分にするしかない。
自分が天下欲しいから、主君を討ちましたでは、誰も付いて来ない。 こんなただの建前を真実と言っちゃうなら
秀吉側の信長は本能寺から脱出して生きのびてるって味方を集めてたのも
本当に生きてたってことになっちゃう 紀州は鈴木が治めてたのは間違いで土橋とか佐武とか物騒な強豪がたくさんある >>421
いえいえ、明智といえばヤキソバンの人が印象深く思ってる人もいますよ
彼はハーフなので(?)日本の歴史に詳しくなく、ドラマのオファーが来てから調べてみて
「カッコイイじゃん!」って思ったそうだ
確かに戦国武将の中で特異なポジションで、なんかカッコいいと思う(二枚目の役者が演じても違和感ない) 行動が大きければ大きいほど単一の理由でイベントは起きません
よってこんな手紙が出てきたところで室町幕府再興が信長を討った目的でしたと決定づける議論自体がナンセンス >>415
金吾みたいに寝返る奴が出て、関ヶ原の再現みたいになってきた >>441
豊臣って家名じゃなくて姓だから
秀吉は豊臣姓濫発したからその子孫が名乗るのは問題ない
江戸時代に普通は名乗らないけどな >>7
そのとおり
この手紙で足利将軍黒幕を言う人は歴史分かってないね >>374
トンデモ
冒頭で自分自身で批難してる資料の読み方を
なんの疑問もなく終始しているダブスタ本 秀吉のマイナスイメージはうんこ漏らしたおじさんがネガキャンしたからじゃないの ないない
それなら真っ先に毛利にいる義昭が毛利勢引き連れ上洛して来るだろ 信長はタイムスリップしてきた娘に暗殺のことを聞いたが、彼女が持っていた京都観光のパンフレットをを見て、自分が生き残って歴史を変えるわけにはいかないと思って自害したんだと思う。 >>453
太閤記は江戸時代の大ヒット作
一時的に絵本太閤記の後半一部が発禁喰らったことがあったが
江戸時代を通じて庶民の間でも広く知られていた
大阪人の太閤贔屓もこれがなきゃ今まで続いていない >>409
だけど外人宣教師の奴隷狩りを止めさせたり兵農分離や百姓から刀を取り上げて戦乱の種を断ったり太平の時代に向かう足掛けにはなっただろう
老年の老害っぷりは弁護できんが 最近室町期が馬鹿に話題になっているのは何故だぜ?今の政治状況と何か関連しているところがあるのかね? >>453
ちなみに日光東照宮には
家康のほか秀吉と頼朝も祀られている
なぜか信長は祀られてない(笑) >>447
ヤキソバンが本能寺の時に言った、これでやっと眠れるがすごい印象に残ってるわ
史実もこんなもんなだろうな 大学で実は信長が病で余命僅かだった為、光秀に自分を討たせ説を聞いた事がある。
そして、光秀も主君を殺した男だからと敢えて秀吉に討たれたと。 ここで言われてるタラレバが現実となって別れたパラレルワールドの世界もあるのかね? 事前に殺害後の計画を組めるほど隙がなかった中での最大のチャンスだったんだろうな
だから事前工作皆無
機会が全てだし、勢い最高潮の信長を殺れるとしたらこういうことでしかなかったろうね
殺した後は信長包囲網の生き残りに賭けるしかないから打てる手を打ったまで。多分最後は殺したことを後悔しただろうね
今回ではっきり解ったのは、秀吉も家康も陰謀を巡らしたわけではなかったことだ。 いやそんなレベルじゃないだろ
イエズス会に操られた信長を殺さないと日本は植民地化されていた >>460
東照宮に秀吉、頼朝が合祀されたのは明治から
家康を祭る霊廟に薩長がねじ込んだ >>460
ちなみに、徳川幕府は、大坂の陣のあと、生前徳川に何の害も与えなかった秀吉の墓所を破壊し
秀吉の遺骨を放り捨てて、江戸時代260年の間、秀吉の霊を祀ることさえ許可しなかった。
明治になってようやく、秀吉の官位が復活し、豊国神社に神として鎮座する事が許された。 信長「光秀はクズ」
信雄「光秀はクズ」
お市「あいつサイテー」
勝家「サイテーだよね」
義昭「マジ使えねー」
毛利「乗せられなくて良かったわ」
秀吉「光秀はクズ」
家康「光秀はクズ」
歌舞伎座「光秀のクズっぷり芝居にしたら大受け」
滋賀作「め、名君だったんやで」
日本人「滋賀作がこう言ってるから光秀はクズ」 >>468
それ、ソースが有れば読んでみたい
ネット?本? >>377
長州が大嫌いなので、乃木希典を愚将に書いたとか。真逆の評価で小説書いてる人もいるけど。 >>460
東照宮に頼朝を祀るのは家康も同格であるとのアピール。
秀吉は下位として祀り家康の方が格上とアピ。 この前テレビでお江の方の位牌が出てたけど、菊の御紋と徳川、豊臣と3家の
家紋入りという前代未聞の位牌だったな
母の実家は織田家だし最強だなw >>471
歴史的事実だよ
その捨てられて立入禁止にされたのが現在の桃山 秀吉のお伽集に話せない顔が火にあぶられた坊主いたじゃん
あれ信長
織田家完全に崩壊させるまで地下牢におしこめて
話せないよう舌抜いてお伽集にくわえて 本能寺前までの恨みを晴らしたってきいた >>475
秀吉の正室と交流してたし、大事にしていたので(例えポーズでも)
そこまでやってたとは知らなかった 大阪の人は日本人と違う日本史を学んでるって本当だったんだなw >>476
何回読んでもよくわからない文章なんだが、俺がアホなだけ? >>475
伏見城焼き討ちしたのは石田三成だろ
元の桃山から木幡山に移させたのは秀吉だし 明智光秀は将軍の後ろ盾があって信長に重用された。ので当たり前。いまさら… 直筆なのか、本人が書いたのだからそうなるな。
本能寺の変が何故起きたのか、これではっきりしたな。 >>468
だけど秀吉は民衆に支持されていたから、隠れてこっそりと秀吉祀ってたらしいけどね。 義昭と繋がってたんなら、中国大返しの時に毛利が追撃しないわけないだろ
単なる方便 おまえら、日本史に詳しいんだなあ
あたしゃ応仁の乱で挫折して、それ以降は空白に近いわ >>482
おう間違えてたわ
豊国廟な
家康の願いにより勅命が出されて廃棄され
江戸時代の間再建されず野ざらしにされたままだったのは事実 一番得したのは誰かってことよ
どう考えても秀吉の策なんだけど竹千代も共犯 >>477
それは淀(茶々)と寧々の対立構造があったから
しかも寧々に説得させていわゆる豊臣恩顧大名を東軍に誘わせてる ホーキング博士が人類は後100年で滅ぶと言っていたから、それまでに原因を突き止めなきゃならんな >>476
そんな話聞いたことがない
小説じゃないの? 情報量糞だからな
めちゃくちゃシンプルだろ理由なんて 信長が死んだおかげで長宗我部は棚からぼた餅が降ってきた 名目としては室町幕府再建なのは、そうだろうけど、そんなものに賛同して信長に反旗を翻す奴はいなかったのか。
可哀想な光秀。
しかしそんなことも予想していて、もし上手くいかなかった時のことも考えてたいたはず。
明智家の血を絶やさないように、上手くいかなかった場合は家康の世話になろうとしたとか。 もう信長の下にいるのは疲れてきたなあ。あれ?今なら信長ぶっ殺せるやん。皆も信長の下で働くのに疲れてきてるだろうし、信長殺れば皆感謝するだろ
で、皆はあいつまじで謀反起こしたのかよ引くわあって感じだったんじゃない? 目的が何にせよ、すぐ死んじゃ駄目じゃん、計画性無さすぎだよ >>113
江戸時代は、吉原の遊女でも学識、識字率が圧倒的だもんなw
万に通じる芸達者じゃないと、遊女も金持ちに近づけないから
芸は身を助けるで必死で勉強したとか >>498
うちは近江衆で佐久間のおっちゃんの与力やらされてた家系だけど
追放した事は正解だったと思うよ 家康「信長が死んだか・・・」
秀吉「とんだツラ汚しだぜ・・・」
光秀「ふふふ、信長は歴代天下人の中でも最弱・・・」 >>508
既に死んでるぞ
信盛の死後に信栄は帰参を許されて信忠の直臣になったのに
信忠も死んだから再び失職したんだけど 今で言うと呑み会で部長がベロンベロンだから財布抜いて支払ったら、次の日ひとりだけえらい怒られたって話だろ
使っちゃえって煽ってる奴は結構いるのにね >>511
面白いけどありえないわ
家康の家臣でも光秀の顔見てた人沢山いるやろ >>505
佐久間に畿内任せておけば謀反は起こされなかったんかなと >>507
光秀は土岐源氏とされているね
土岐は足利の流れの一族だから >>511
天海説はな、光秀みんな知ってるやろって言う最大の矛盾を否定する要素が覆らないんだよな >>1
これマジなら大発見じゃねーの?
みんなハゲハゲと煽られてブチ切れたって思ってたろ? >>516
マジレスすると私怨説は現在ではほぼ否定されてる きっと茶器を没収されたからブチ切れてころしちゃったんだよ >>517
マジで?
その否定された根拠ってこの手紙以外でって事? >>518
俺が足利義輝だったころ、細川藤考に謀反されたわ
茶器ヲタこえええw >>61
一瞬新約聖書がドトールに晴れてんのかと思った 現代の知識を持って戦国時代に戻ったら天下取れる!って自信のある人いる? >>215
晩年に耄碌したからだろうな
やっぱ信長みたいに絶頂期に華々しく散った方が人気出る 義昭は銅閣寺でも建てとけばもっと評価されただろうに >>11
同意。信長が渡哲也で秀吉が竹中直人で麿が玉置浩二だよな〜 >>219
鎖国じゃなくなり、何処かの国の植民地になってた、て説もあるよね。 >>529
よく日本も植民地になってた云々の話があるけど正直あの頃の日本ほど繁栄してた国を
植民化しようと思ったら国を挙げての大戦争になるからぶっちゃけ無理やぞ >>219
鎖国じゃなくなり、何処かの国の植民地になってた、て説もあるよね。 >>530
そうじゃなくて信長政権の遠征軍団長秀吉の最強タッグだと
明の首都まで普通に攻略しちゃって京都かた北京へ首都移転
その後は日本武士も日本の国土も、必ず同化して民族ごと中国文明に取り込まれるという
支那大陸の歴史を辿ることになっちゃうと予想されるw >>530
当時の列強国のヨーロッパから見れば、地の果ての島国だった、ていうのもラッキーだったよね。 当時の植民地化ってのは全土直接支配でなく
現地の対立構造を利用して特定の部族とかを支配階級として利用する間接支配だよ
日本の場合キリシタン大名を利用しようとしてたから禁教令がでる事になった >>532
49歳だろ
実行しても途中で死んで終わりだよ 日本史最大の功績は「キリシタン狩り」だからね
これだけ情報がある現代だからキリスト教国家の侵略の手口は知れ渡ってるけど、当時に見抜いたのは有能
今も中東で同じ手口使って侵略してるからな野蛮なキリシタン共は 信長の忍びがあのノリでラストがどうなるのか想像もつかない >>535
家康は長生きしたし
秀吉もそこそこ
最低でも後10年は時間があるからタイムリミットって事はない
嫡子健在ならその遺業も継げるし 信忠って父よりも保守的だから止めそうだけどね
二代目向きではあるだろうけど 信長親子は無防備同然
毛利と同盟結んで秀吉を牽制させる
上杉とも同盟を結び柴田を牽制
同じく長宗我部に丹羽を・・・
家康は上手くいけば堺で襲撃・・・
その間に畿内を掌握すれば天下は取れる
信長を討つ大義名分は・・・そうだ!室町幕府の再興
秀吉の機敏な動きが無ければ夢は叶った。 >>541
家康討ちもらしてるから、秀吉こなくても家康に討ち取られてたよ >>111
そういや女人化とかあまり聞かないよな貼らなくていいぞ(食いぎみ) >>474
まあ、現在の天皇陛下のご先祖様ですから >>528
渡哲也の信長、迫力すごかった。
カリスマと恐ろしさを兼ね備えた名演技。あれ、他に出来る役者いるかな。 >>111
秀吉なら分かるが、家康に「天然人たらし」的なエピソードなんかあったっけ >>514
違うよ。
明智は摂津源氏から分かれた美濃源氏の土岐氏の流れ。
足利は河内源氏の源義家の5男の義国の流れ。 でも、みんな武将達はメスイキしてたんでしょ?
なんか威厳あること言っててもさ、、、
夜はメスイキしてるとはなんかショボいね >>17
ぶっちゃけ織田は海外との貿易で
武装強化して急成長した
これに危機を感じた旧室町幕府と朝廷が手を組んで日本を救うため信長を退治するため明智を利用した >>545
他の配役はダメ過ぎたけど大河で信長やった緒形直人も良かったよ
普段は寡黙で大人しいのにキレた時の殺気がすごい
背小さいから信長の身長とも重なるし >>551
何でみんなネコなんだよ、タチがいなきゃメスイキなんかできねえだろ
まあ織田信長はネコだったらしいが >>551
お前、しょっちゅうメスイキしてる分際で生意気だな >>554
ネコの方が多そうだろ。
異世界の快感に翻弄されるわけだし。 明智の末裔だとか名乗ってる人に会ったけど
中二病全開の人だったな… 実際に「○○公ご着用のヨロイ」とか展示されているのをみると、当時の人って相当小さいよね。
東照宮だかで家康のヨロイをみたが、今なら小学校高学年ぐらいの身長だよね >>553
大体桶狭間以降しか
印象がない織田だけど
祖父信定とか父信秀がいた時代の
弾正忠家の状況とかも描かれてて
織田家一族の内乱から信長が
勝ち抜いていく様子とかしっかり描かれてて
信長ファンとしては好きな大河ドラマ >>471
ttp://www.uchiyama.info/oriori/shiseki/bochi/kyoto/hideyoshi/
大坂の陣のあと、徳川氏は、朝廷に秀吉の神号(豊国大明神)を取り消させ、家康を死後に
東照大権現(とうしょうだいごんげん)として「神」にした。
秀吉の墓所だった阿弥陀が峰は破壊され、遺骨は放り捨てられ、江戸期を通して、秀吉に弔慰を
示す行事を禁じ弾圧した。結果、先にも書いたが、秀吉は生前徳川とは何度か戦はしたが、まず害を
与えずに大諸侯の位置に据えて丁重に扱ったが、徳川はその恩に報いず、秀吉を奉られぬ鬼にした。
というわけよ >>563
不思議なのは、信長の祖父信定や、父信秀も、尾張斯波家の家老の家老ぐらいの地位から、
経済力を得てのし上がって、とうとう孫の信長の代には、天下統一の手前まで昇る位の人物を
出してきたのに、信長の兄弟や子孫は愚人ぞろいで、天下どころか、まともにやっていけるのが
ほとんど出なかったってのはなんでなんだろうね。
信長の長男は、逃げる算段をすればいいもののさっさと腹を切ってしまうし、次男の信雄は
馬鹿過ぎて使い物にならないし(まあ、馬鹿だから秀吉に殺される事無く、家系を残し、現在の
皇室にまで通じているんだから馬鹿の功名というものか)三男は足軽頭が務まる程度の才覚は
あったようだが、結果その程度だったし・・ >>565
信包や有楽斎まで愚人扱いは違うような
まあ子孫がアレなのは確かだが >>566
信包にしても、豊臣家の「名誉貴族」程度の扱いで満足してしまう程度の人物だったし、
有楽斎に至っては、二条御所が襲われた際に信忠を見捨てた挙句に、自分だけは逃走に成功。
(そう考えると、信忠もさっさと腹を切らずに、逃走を計れば運次第で逃げられたのでは)
はるか後年の大坂の陣で、敗色いちじるしい大坂方の「大将」に祭り上げられそうとなると
これまた逃走。どっちもどっちで、信長やその父・祖父のような「人物」ではないじゃない。 >>567
でも愚人ではないと思うがなぁ生き延びる術を持っていたわけだし
有楽斎は文化人としては、って言っちゃうと今川氏真も佐久間信栄も愚人じゃなくなるから違うのか 文化人としてっなると
足利義政がトップレベルで有能になるからなぁ >>568
武士、特に戦国時代の大名の本分は戦うことであって、文化人としての側面も社交上必要では有るが、
やはり戦から逃走するっていうのは、愚人でしょ。 >>570
武人と文化人としてバランス両方兼ね備えてないと
細川幽斎ぐらい存在感があれば
一廉の人物と言っていいだろうけど 有楽はなあセンス能力は置いておいて行動だけ見ればゲスだわ >>570
氏真や有楽は、武士をほぼ捨てた存在だったし。w
運とタイミングが良かっただけで、
普通に何もしないで戦から逃げる武士は、拾う奴がいなかったら、野垂れ死には確定。
朝倉、齋藤、六角、佐々木・・・・・。 >>571
細川幽斎の時代の先を読む嗅覚は化物だよ。なにせ、足利→織田→豊臣→徳川それぞれの時代を
生き延びて、しかもそれぞれの時代の最高権力者から特別視され重宝されるという「特等席」に座り続けた。
細川家は維新後も華族として生き延びて、挙句に総理大臣すらだした(まあこの人物に至っては
使い物にならなかったが・・)
長年研究した大学の教授が、ついやっちゃった説を唱えていたのが笑えた 有楽有能じゃん
敗色濃厚な大阪方の大将に祭り上げられて巻き添えで戦死とかしたら
それこそ信忠と同レベルの無能だし >>574
比肩するのは
鎌倉〜南北朝の佐々木道誉ぐらいかな 先行き見えずに大阪方に協力してばれて死んだ古田織部のほうが無能だよな ある程度の名を遺した奴で無能はいないんだよ基本
選択ミスは状況からくるしがらみや本人の性格の問題でさ >>577
幽斉の血筋は佐々木源氏からの養子の系統説あるよな >>196
当時の天下というのは、いわゆる近畿地方を指していたらしい
だから、近畿を押さえた光秀が天下人というのは大げさな表現ではない
三日天下というのも間違ってはいないらしい 逃げるのは才能だよ、お城もいざとなったらお殿様の逃走経路もあったし >>548
家康が若年の頃に、領内で一向宗の人気が異常に高まり、家来の中からも「主との縁や恩は一代のもの。
阿弥陀の縁は永劫」として脱走し、一向一揆に加わる者が続出、松平家に反抗し、鎮圧まで
数年がかりの事実上の内乱になった。
鎮圧後に、信長ならば、自家を裏切り脱走した家来たちを厳罰に処しただろうが、家康は、投降してきた
元の自分の家来たちを処罰せずに、殆どの者を元の知行(年収)を保証してやった。というのがあり、
結果として、三河侍たちが「この人(家康)ならば!我らが殿にふさわしい」と団結したという話がある。
自分を殺そうとした人間を許し、元の待遇を与えるなどは、なかなかできる事ではない。 >>582
中国地方の尼子経久が
京極からの分家だね
大河の緒形拳かっこよかった >>585
それ結構美談として描かれるけど
実際のところは許すしかなかったってのが事実だわな
もし夏目を切り捨ててたら三方ヶ原で死んでたのは家康だったかもしれんし
あの脆弱な体制の時代に半数失ったら松平家は終わってたか
残っても一大名がせいぜいだったろう >>575
俺はこれだと思うけどな
取れそうだったから反射的に取っちゃったけどこれからどうしよう?って感じが本能寺後のグダグダっぷりから透けて見えるというか そういう意味でいうと、信長も林や柴田を許してるよな >>585
許すということで言えば信長ほど色々許してきた人もいないと思うんだがな
徳川の美談は神になった家康を祭り上げるために作り上げられた感じがする >>33
小物世襲政治家がグダグダやって
庶民は金だ金だいって争う
平成とよく似た時代 >>591
祀り上げるための美談がかなり多いんだよな
たぶん英雄的な持ち上げ方しなけりゃ面白みもなくてつまらなくなったり
引用してる武功夜話なんかの影響そのまま受けてたりが原因だろうが
歴史関係の本なんかでももうちょい冷静に検証してほしいわ >>593
あの時代はまだ奇形がいっぱいいたな
兎唇なんか今まず見ないだろ?生まれた直後に縫ってしまうからね
多指症なんかも今は1歳位で手術しちゃうから本人すら知らない
でもあの時代はかなりの割合でそういう生まれ持った障碍者がいた 日本形成外科学会のページ
http://www.jsprs.or.jp/member/disease/extremities_malformation/extremities_malformation_02.html
>この指の分離の過程で何らかの問題が生じて、多指症になると考えられています。
>しかしながら、その原因は遺伝的な要因を含めて多くは不明な点が多く、未だ解明されていません。
>多指症の発生する頻度は、手では出生1000人に対して1〜2人、足では出生2000人に対して1〜2人程とされています。
多指症は今でもかなり多い
口唇口蓋裂(兎唇含む)はそれ以上の確率で発生する 三河一向一揆とか家康のドラマとかでもあまり取り上げられないけどけっこうな家臣が一揆側についちゃったガチで存亡の危機だったんだよね
許すも許さないももう一回家臣に組み込まないと国が維持できないような状態だったんじゃないの? >>597
だと思う
一度三河国内の一揆側分布図とか見た気がするが
むしろよく制圧(説得)できたなってレベルだった気がする
あの状態で伊勢長島の信長みたいに根切りしてたら維持できてないね >>562
資料がどこまで本当か知らんけどそんなに小さくはないぞ
180超えの長宗我部信親の鎧の複製見たけど、他の武将と余り大差なかった
部分的につける鎧では全身像は掴みにくいのでは >>563
オカルトと菊池桃子さえいなければいいドラマだよね
自分もあの信長はかなり好き 宗教絡みは扱いにくいんかねやっぱり。教団は今も存在するわけだし
信長VS比叡山でも何で女犯を禁じている僧侶の集まりに女子供が一杯いるのかとか大名と張り合えるような兵力を持っているのかとか扱われないもんな。信長怖えって内容ばかりで >>590
林通勝はその後、さんざん使いまわされたにもかかわらず、結局「働きが悪い」として追放されてるし
本能寺の変が起きずに、信長の「織田幕府」でも成立して、もはや荒武者などいらん。
とされたら、柴田だって危なかったぜ >>602
んなこといっても本多平八郎だって晩年は暇してただろ
それはその時代時代に見合った能力を有しているかどうかだけじゃないの
そういう意味じゃ明智は最後まで生き残った可能性もある >>603
どうだろう、信長は晩年、天下取り後の構想として大名による封建統治じゃなく、中国風の中央集権体制
を考えていたなんてのがあるから、明智にしても危なかったんじゃないかな >>605
キミは延々と信長のせいにしたがってるが
それはその時々に為政者(天下人)が何を望むかに依存してるだけじゃん
徳川体制でも安定するに従って武功者より内政官僚が重んじられていったじゃないか
それともキミは為政者に対して家臣の生活を守るために挑戦も変革もするなっていうの?
どんな公務員気質だよw
それは依存っていうより寄生虫って感じだな >>239
村木砦、桶狭間、刀根坂の戦いを見れば軍略の天才であるのは間違いない
これ現地で自分で判断してるんだぞ 宜保愛子が、光秀の後ろに黒幕がいた
罪を被せられて死んだ無念から高野山の光秀の墓は
何度修復しても袈裟切りに割れると言ってたが 光秀「敵は本能寺にあり」
家臣「おー」
こんな簡単に信長討ちに行けるもんなの?と言う疑問 >>611
古今東西、兵隊というのは、頭脳の部分をトップにあずけているモノだから可能だよ。
実際、現在の日本社会でも逮捕された会社員なんかが「良くない事だとおもったけど、社長の命令だから
やりました」って事件は普通にあるじゃない >>611
それが好条件が重なって
「中国に行く前に信長公の前で馬揃えをする」ってなってたから誰もそこまでは一切疑わない
そこからどうやったかは小説の世界だけど
まあ足軽なんてあの時代情報も何ももらえないから
「今日より天下様になられる。お前らの出世もこの一戦の槍働き次第ぞ!」って聞いて
訳もわからないまま戦ったんかね 光秀の動機よりなんであんなにガバ警備だったのかの方が謎だよな >>598
説得と言うか
一揆「やべえ負けそうだけど和議したら俺たちどうなんのよ・・」
家康「寺は以前のままとする」
一揆「マジで?ホントマジで!?」
家康「寺は以前のままとする」
一揆「やったーじゃあ和睦するわ」
家康「じゃあ以前のままにするね」
寺壊して更地にする
一揆「おいおいおいおい!
家康「以前のままって寺が立つ前の事だから野原にしただけですけど何か?」
って事でしょ
まあ家康らしいちゃらしいけど >>615
いや逆だよ
当時は一揆衆のほうが強かったから
一揆「やべえ負けそうだけど」はない
もう一回書き直しね ルイスフロイスの残した書物によると
信長は相当に気難しい性格で周囲の人間が話しかける時も常にビクビクしていたとか
要するに有能だけど人望がないタイプ
恨みを買いやすく。いつか殺される人間の典型だろ
本能寺の理由が足利幕府再興であろうが無かろうが
部下にこいついつか殺してやるって思わせるようなタイプのトップだったんだろうな >>617
足利幕府を再興するって!だけで、別に義昭をまた将軍に据えるとは限らないじゃない。
足利の血縁者なんかいっぱいいたんだから >>616
は?
馬頭原合戦の勝利で、徳川家康は優位に立って和議と思ったが? 神経質でピリピリしてるタイプの人間だったんだろうなへし切り長谷部の話とかお宮参りに行った下女をなで斬りにした話とか >>612-613
雑兵は先の事とか全く無かったんだね
主君の敵をやっつけるだけって事か 大義名分だろ
信長が秀吉ら諸将を各地への討伐に駆り出していたので
四国討伐前に大軍を率い京に残った明智光秀は信長を倒して信長と敵対した大名と和睦し
秀吉ら各地の諸将をひとつずつ潰せば天下を取れると思い込んだ >>623
米をくれる相手は光秀なんだからむしろ自分の状況は正しく理解してる
光秀のほうがその辺の認識おかしいとしか思えない >>1
こんなこと言い出したら秀吉も上様は生きておられるとかいう勧誘の手紙出してたから
信長は生きてたことになるのかね 荒木村重「わしも室町幕府再興のために逃げたんやで」 そもそもダメだから潰れた幕府を再興する事が日本にとって最善だとは思えないんだよね。
結局明智が速攻で潰されたのはみんながそう思ってたって事でしょ。 足利と通じていて上洛の予定もあったなら当然朝廷側とも通じてると思うんだけど
実際信長を討っても誰も呼応してないと言うかね
周りはダンマリ決め込んでる感じもおかしいよね
それに秀吉も信長が討たれるかもしれないって知ってて
討伐を中止していつでも和議を結べるようにしてたんじゃないか?とか
真相が分らないから楽しいんだろうけど 秀吉は黒田を通じて、大まかに察知してたんじゃないかな。徳川も京都に呼ばれてて
何かあると。それで引き上げる作戦はすでに持っていたと思われる。
あと光秀は朝廷に縁故のある保守派、信長は新時代を切り拓く革新派。相性悪過ぎだよね。
信長の朝鮮出兵の野望は、保守派からしたら脅威でしかなかっただろう。
秀吉がその後、コンプレックスからか朝鮮出兵したけど。 >>628
武家初の関白の頃にも征夷大将軍は健在だったんだが
叛逆を討つ大義と全く別な話しってわからんのかアホ
どんなド腐れノータリンボンクラビッチ売女にが排泄したらこんなド間抜けなイカれ腐れノータリンレスするバカが産まれてくるのか、ボンクラ売女親のツラ拝みてえわ 明智、徳川=保守派(国内の治安維持、幕府擁立、鎖国)
信長、秀吉=革新派(大陸への出兵)
信長公の戦略眼は戦国一だったと思われるが、安定からは遠い人だった為嫌われた。
世の中には、乱そうとする力と安定を図る力が拮抗するものだとつくづく感じる。 >>631
信長は尊皇派で朝廷にガンガン貢物してるぞ >>624
大義がなけりゃ総敵視だろ
天朝様の許しを得てることが大義の国人土豪衆を大義なく潰し潰そうとしたことが反信長団結の狼煙やぞ 怨恨説と野望説やろ
室町再興は味方に取り入れる為の口実やんけ タイムマシンに一度だけ乗って過去に行けるなら、本能寺の変かグリコ森永事件の水防倉庫に行ってみたい 明智の子孫がたどり着いた真相はどうなるんよ?
あれ割と納得だったんだけどな >>417
信忠自身も尾張美濃を中心に織田家の格である精鋭集団を抱えていたから
軍団長全員が結託して織田家に刃向かわない限りはそんな展開にはならないよ >>639
グリコ森永事件は比較的単純だぞ。
ようは被害者側(主にグリコ)に世間にバレたら困るような弱みがあったから警察に非協力的だった事と、
容疑者側のアリバイ工作とオトリ捜査ならぬオトリ容疑者、
そして警察を逆尾行する諜報網を持っていたって事。
実は当時の警察の捜査はそんなに的外れでは無かったって事だ。
ただ日本の警察が相手が自分達よりデカイ組織で、自分達より日本の法律に長じているとは思っていなかったってだけの事。 >>303
そりゃ友人じゃなくて部下だろ
少なくとも部下から見たら命を預けるに値する殿様だったんだろう
地位も教養もあるから一応友人はいそうだが(細川優サイトか)本当の友人はいなそう
石田三成のさらに友人いないバージョンか >>635
そうとも言えない。
単に室町幕府・足利氏の権威を落とす為に天皇アゲしてただけの可能性もある。
つーかソレだろ。 >>349
騎馬武者に金持たせて沿道住人にばらまいて松明大量に炊かせて握り飯用意させて踏破したらしいな
一日ぐらいならなんとか気合いでいけるかもしれん
高松攻めは水攻めだから激戦したわけでもなく兵士の疲労も少ない >>649
織田家は伊勢神宮の宮司の家系とされてるので
信秀の代から朝廷や伊勢神宮への献金やってる
上洛当初は室町幕府の制度の下で統治を行ってたけど
義昭との関係が悪化してから朝廷権威を利用した新たな体制を模索した様だが 「公方よりも偉い者を知っているか?天皇よ!」
父信秀と信長の会話
司馬遼太郎小説の国盗り物語か何かで、そんな描写が有った記憶 >>611
「相手が信長とは知らなかった、家康だと思ってた」って雑兵の記録が残ってる >>653
そりゃ末端には上様を討つなんて言えんがな 結局、光秀が本能寺を襲ったってのは、発作的犯行で「ついカッとしてやっちゃいました」程度なんじゃないのかな。
そうでないと、味方がおもったより集まらないと、朝廷にカネを撒いて「征夷大将軍」の位をださせたり
(秀吉が勝つとすぐに取り消したが、実際に朝廷は源氏の光秀に征夷大将軍の位を宣下した。)
足利幕府を再興するとか、それぞれに都合のいいことを言って味方を集めようとした理由がなくなるからね。
深い考えや、画期的な政権構想はなかったんじゃないの? >>652
信長や秀吉によって皇室権威を復興させたのは事実で
明治以降の皇民化政策の中で功臣第一等とされ正一位が贈られてる
だから古い歴史小説の中では尊皇の心に燃える今とは全く違うイメージの信長が描かれてたりする 明智なんて秀吉と同じように生まれも分からん兵卒から取り立てられて武将の地位を得たんだから
室町幕府なんぞに何の繋がりも思い入れもない
主君殺しは戦国時代には珍しいことじゃない 信長も主君の斎藤道三を殺してるしな
だから明智が皆を惹きつける役者の器なら信長をいかなる形で殺そうが死人に忠誠誓ってもいいことないんだから明智に味方が付く
その辺は戦国ならではのドライさだ
この書状は室町幕府再興を旗印に家康や秀吉が後継者になるのを良しとしない連中をかき集めて明智軍とするための手段だよ 江戸以前の農民の生活が事細かに描かれた作品が見て見たいな。武士や貴族とかじゃなくて >>657
>信長も主君の斎藤道三を殺してる
へ〜福井ではそういう歴史を辿ってるんだ〜
パラレルワールド凄いね! >>653
補則。
厳密には、ルイスフロイスの記録の中に
「明智の兵達は本能寺には家康主従が宿泊していて、ソレを信長の命令で襲撃するのだろうと勘違いしていた」
という記述があり、
実際に本当に明智の兵達がそう勘違いしていたかどうかは不明。
単にフロイスの想像カモ知れないし、フロイスが当時在住していた安土城下の庶民達の噂話なのカモ知れない。
この記述で重要なのは『明智の兵が勘違いしていたかどうか』ではなく、
『織田支配下の身分の低い者達の中では「家康って信長に殺されるよね」って噂が当然のように語られていた』
って事だ。
少なくとも外国人のルイスフロイスには「信長ってそーゆー事するよね」って認識があったって事。 >>618
フロイスの記述は鵜呑みにしすぎない方が良い
キリスト教を庇護してた信長が神の加護なく斃れた理由を
信長自身の性質のせいにしなければならない立場だから 流れ公方・義昭担いでも天下は治まらない
信長討つなんて、明智はいらんことした
天海僧正となって徳川幕府を盤石ならしめ、天下泰平としたなら意味あるが >>660
雑兵と言えども旗印で分るのではないだろうか?
憶測ではありますが >>655
信忠が本能寺にいないの知らなくて慌てて二条城に兵差し向けたり、その二条城包囲が穴だらけで有楽斎とか信忠の介錯人が簡単に脱出してたり
確かに場当たり的にしか思えないんだけど光秀にだって斎藤利三とか家老側近の類はいるわけで、軍として動いてるってことはそいつらも賛同してるはずなんよ
信長倒せばすぐ天下人のなんてあり得ないのにやってることは支離滅裂
だから色々な説がでるんよ >>664
光秀がその側近たちに謀反の企てを打ち明ける以前に、連歌師の某(名前失念)に先に計画を打ち明けた
ってのがあるね。この某は、宮廷や各大名家のサロンの遊泳家だから、この某に謀反の企てを
打ち明けるってのは、全世界に向けて放送しちゃったようなもの。今更うそうそと言っても通らない。
要するに、光秀にすれば、自分をそこまで追い込んでしまわないと、計画を中止しちゃうかもしれない
ぐらいに心が弱り、迷っていたんだと思う。
側近たちにしても、自分達に知らされる前に、もう主君の謀反の計画が「放送」されちゃった以上
やるしかないでしょ。
時は今 雨のしたしる皐月かな
あれは後付じゃないの?
普通そんな秘事を歌に託して披露しないだろうしw >>666
その連歌会をやる前に、話していたというよ。で、その某は、連歌会で「やっぱりやめたら?」
を歌に託したが、光秀の「いや実行する」がその「ときは今・・」ったという >>656
応仁の乱でボロボロになった都の諸々を復興したのが信長なんだっけ? 秀吉は事前に知ってたか、自分側からもアクション起こす予定で
自身も本能寺の近くに居たりしたんじゃないの? 信長がそのまま天下統一したら海外遠征でも一定の成果は上がったんだろうけど、もっと色んな民族が入り交じったカオスな国になってたかもしれないんだよな >>669
滝川一益だったかな
武田の旧領主たちに阻まれるまでは秀吉の大返しよりもっと速い速度で京に向かってたらしいから秀吉が特別だったわけではないっぽい 萩原 健一の光秀 (大河 利家とまつ)
病んでる光秀 あれが一番真相に近いと思うなあw >>636
信長は上洛後に天皇復権で大義名分を得た
それが気に食わなかったのが足利将軍家 >>629
さすがに>>476は無いだろ。
いくら秀吉の御伽衆が200人いたって言っても、
その中には信長の次男・信雄や弟の中では一番可愛がられた有楽斎、はては佐々成政なんかも居たワケで、
直接会う機会は無くても、同じ身分なら仲間内で噂になるだろうし、
そうなりゃ遠目に見ても、顔が焼けてようが背格好や所作、雰囲気で判っちゃうだろ。 >>674
さすがにありえない、顔を焼かれていても筆談はできるし、なんなら指すらなくても、
旧知も人間の前で、筆をくわえて「おれはのぶながだ」ぐらいの事は書けるだろうさ。 >>675
そうだと思う。名前を失念した。要するにこの人物に、謀反の企みを話した時点で、もう光秀は
あとに引けなくなったって事だね。 それだとあんまり賢い選択とはいえないお人になるな
日本国中から命狙われるに値するかな
過ぎ去ったものには過ぎ去る理由があるくらいあの時代でも分かるだろう
頭にきたとか
切れたのほうがまだ
やっちゃう理由としてはありありだけどね >>677
まあ確かに愛宕百韻で里村は選者してるから歌詠んでないしな、あるっちゃありそうな話。
光秀以外の歌詠みも「水上まさる 庭の待つ山」とか「流れの上を堰き止めて」とか物騒な歌詠んで返しちゃってるからな。
個人的には完全な後付け説を採用してるわw 前にグリコでたから言うけど
どちらも動機が見えにくいんだよな
光秀の確固たる動機が見えにくい
グリコもさらう動機が弱いんだ
なぜにあんなに撹乱していったのか
本当にカネ目当てなのか
グリコの宣伝解禁の日になにがあったのか
謎の四人組はどこに飛んだのか いくら下克上の戦国時代といえやっぱり「主殺し」は世間のイメージが悪い。
世間というのは、他人を批評する時に強烈な「道徳家」になるのだ。これがもしも、信長と同格の
大名である家康が不意を襲ったなら、世間は「徳川様は武勇のお人よ!」となるが、家来である
光秀が信長を襲っちゃったんだからやっぱり世間は「あるじ殺しは道徳的にいかがなものか・・」となる
先に書いたようにもし襲ったのが家康なら、そのまま安土城を占領し、信長がためていた金銀財宝を手にして
人気取りの為に朝廷や各大名に撒いたところで、戦のならい故、道理に従った行動になるが
主殺しの光秀が金銀を撒いてもどこか、薄汚なさ残ってしまう。
仮に、光秀の軍が羽柴や柴田に勝ったところで、政権を樹立させて、安定させるってのは難しかったと思うよ >>683
義昭は毛利に頼み込んで安芸の鞆で亡命幕府を開いてたんだし
山城にいた光秀は連絡すらとれなかったんちゃうか
秀吉と毛利がくっついた時点で詰んでたと >>680
多分まだ企画段階だろ
だが嫌な予感しかしない題材だな
間違いなくただの黒人付き人が初の黒人サムライになって大活躍する映画になるぞコレ 義輝の時代ならまだしも義昭を抱こうなんて、肥溜めに手を突っ込んで、ウンコ以外の物を掴もうとするようなもんだろ。 のぶなが「みっちゃん、はたらいてよーちゅうごくいって、もうりやっちゃってよー」
みつひで「いいよー」 >>686
当時の有力大名は足利氏自体に力が無いとは思っていたが
将軍の肩書きにはまだまだ効力が有ったから
なるべく大義名分を得て穏当に将軍職を譲って貰いたいと思っていたはず
ただ信長と秀吉はそれが無理なら将軍より偉く成れば良いとしたタイプ
家康は手練手管を尽くして将軍職を戴いたタイプじゃないかな? >>688
それなら、光秀は将軍職を義昭から譲って欲しかったように思えるけど。
足利室町幕府を再興したいなら、義輝がギリギリ最後だと思うぞ。 >>671
滝川一益は北条氏の大軍との決戦に敗れて上野を失ったので
急いで本領の北伊勢に戻ろうとしていただけのようだけどな 滝川さんは後1年早く武田滅ぼして関東に赴任してればな
運がなかっただけで本能寺前は織田家では実力的には明智羽柴に次ぐ存在だったのに >>691
ついてないと言うか何と言うか
実力は十二分でもなんか裏目に出てしまう人の典型だよなあ
本能寺後も十分な働きしてるのにその時の状況で色々と掴めない 室町幕府なんて再興してどうすんの?
自分はどんなポジションになるつもりだったの? 有能なはずの光秀が前々から計画してこんなお粗末なクーデターやるはずがない
思いつきでやっちゃって、後から必死に取り繕ってる感じありあり 滝川一益は北条氏との決戦で桶狭間の戦いのように北条前軍に自ら先頭に立って突撃して
北条前軍を総崩れにして追い散らしたが、これは北条の罠で後ろに控えていた北条本軍の
総反撃で包囲攻撃されて総崩れになり敗走したそうだ
桶狭間の時のような突然の大雨もなかったし運が悪かったな >>695
思い付きというか、早急に信長を始末しないといけない事情が
出来たんだろうな
どんな事情か知らんが、家康を始末して後顧の憂いを絶っての大陸進出を
信長が企画して、どうしてもそれに納得できないとかかな 事情があれば何か手を打ってからやる男ですよ光秀は
事情もなく突発的かつ発作的にやっちゃったんでしょう
だから後から見境なくあちこちに手紙出しまくってる >>697
天下統一目前だから、普通に仕えていれば世の泰平を叶えたい思いとかは家臣にもあったはずで、信長に恭順していたら謀反の発想は出てこないはずだよな
そうではない心中が光秀にあったということが一番の謎なんだよな
有力家臣は全て粛清するとか、中央集権化の構想が光秀には耐えられない内容だったとかそういうのはあったと思うわ
家康が来た後だったというのも、会談の際に統一後の構想を一緒に聞いたという可能性は大いにあるしね こんな現代の俺から見ても無理があるだろうという言い分で文面書くとは
光秀も人間臭くて逆に好感度上がったw >>694
鎌倉幕府の、執権みたいなポジションでしょ >>702
歴代政所執事世襲してた伊勢氏のひとが
光秀に仕えてるね >>698
信長が生きている間に手を打つのはかなりヤバいんじゃないかな
下手に動けば悟られる可能性が大きくなる
そういうことで手紙など出して合力を求めるのは謀反成功後にならざるを得ない
>>699
光秀は早く戦乱を終わらせたい、その為に信長に仕えていた。しかし、
信長は統一後は大陸進出をしたい。中央集権化、しかも信長独裁で光秀の
意見は通らない。こんな感じで光秀がもう謀反しかないと考えたのかもね
まあ、他にもいろいろ理由は考えられるが 後付けじゃね?
誰も味方してくれないから幕府再興っていったらひょっとして・・・と思ったとか 光秀は心中信長の構想に反対してたとすると、信長さえ殺せば自分が天下人にならずとも後の天下泰平はなんとかなるという計算はあったかもな
その計算を真逆の発送の秀吉が全てひっくり返したというね
おまけに信長の構想を引き継いで朝鮮征伐
何よりすごいと思うのは家康はそんな状況を理解し乗り越えながら最後に天下をとる
今川、武田、織田、秀吉を乗り越え吸収した事実とかも含めて、考えるほどに家康の天命の凄さがあぶり出されるんだよね >>532
中国の征服ほど虚しいものはないな
同化と皆殺しの繰り返しで、血の祖先はさっぱり分からない 信長は、やることやったから引退したと思う
西洋かぶれだったから、
海外にわたったんじゃないの? 既に信長がお上だった以上、幕府再興のお題目なんて通用するとも思えんが
光秀ほど実績ある男が準備不足気味に多数派工作失敗してるのはやっぱり衝動的な謀反だったのかなと思う
そもそも一番チャンスあった義昭挙兵の際には普通に信長についているわけだし
そんな奴が今更幕府再興なんて言ったって信用ならねってなるだろ でも、ノブちゃんと中国遠征直前まで、二人っきりでコソコソ密談重ねたりしてたんじゃないの? ふいに好機にめぐり合わせたことに気づいたんだね
浪人から成り上がったお払い箱寸前のジジイが最後の一花を狙っただけ >書状は本能寺の変の10日後、反信長派の土豪・土橋重治に宛てられたもの
三重・奈良にいた 雑賀衆=鉄砲衆に対しての取り込みやね
漫画「センゴク」見てると分かり易いわ( ´・ω・) >>693
河尻秀隆なんて殺されてるのに生還できただけでも儲けものだろ 本能寺の変の時点で急ぎのことなんて
明智が仲介して織田と同盟してた長曾我部が同盟を破棄されて
信孝と丹羽が率いる四国遠征軍が摂津和泉で準備してたことくらいか
長曾我部元親の正室は明智配下斉藤利三の異父妹
対長曾我部政策でメンツを潰されたって部分はあるけど
謀反起こしてまで長曾我部を助けるほどだったかは分からん あの時代天下とろうと思ったら朝廷か幕府を利用するのは当然だろう。信長だってそうだったじゃん。だからと言って信長が室町幕府を再興しようとしてたわけではない。 室町幕府再興ぐらいしか、説得材料が無かっただけだからな
手当たりしだいだよ
細川には、あなたの息子の為とか書いているし 自分たちでもそうだけど本当に大事なことは文面ではなく、口答で伝えるものだしな
多方面に書状出しても誰一人協力してない
これが何より行き当たりばったりの計画を表してると思うんだよね
光秀がほんとに室町幕府再興考えてたのならもっと密に計画練るのでは 光秀「はいはい、カッとなって殺りましたー反省してまーす」 江戸300年の平和が守られたから、徳川の治安が優れていたということか。
信長、秀吉なら他国と戦争コースだからね。
保守的な家康の鎖国政策が確実に効いてる >>706
秀吉の政権は豪華絢爛だけど、建築をやりすぎて民力を使いすぎたことと、
朝鮮出兵で領土を得られなかったのが失政だったから
次の政権に、世論や各大名が求めるのは、派手さよりも、地味で篤実な安定政権って事になったんだよ。
なにせ、朝鮮征伐に15万の兵を送ったがそのうち3分の1にあたる5万人が戦死・病死・海難事故・行方不明で
かえって来なかった。当時の日本の人口が1000万人程度というから、現在の1億人強の日本でいうと
海外に150万の将兵を送って50万人がかえってこなかったようなもの。
日本人の世論が受けた衝撃はそのぐらい深刻だったんだよね。家康はその空気をつかんで
天下を盗ったわけよ どう考えても明智光秀の謀反は行き当たりばったり
まあ大河ドラマで主人公にするには
室町幕府再興を目指した忠臣的なヒーロー物にしたいんだろうけど まぁ家康が勝者で正解だったと思うよ
大阪の陣で一歩も外に出なかったヘタレ秀頼じゃ
外様連合の五大老の制御なんて絶対無理だし
関ヶ原がない、若しくは西軍勝利なら戦国最大のバカ息子の地位は確実だったろ >>706
家康が天下をとったのは、ちょうどそのころ厭戦気分が蔓延してきてたのも大きかったと思うよ
長い戦乱と朝鮮征伐、大阪の陣で武士も戦に疲れたんだよ
そういう時代も含めて、家康の天運だろうけど 「早く戦乱を終わらせたい」
これ見るたびに腹痛いんだが
最近のスイーツ大河でも連呼してるし
元祖は山岡家康だと思うけど馬鹿らしくて草生える ムカつく上司ぶっ殺してえと思うだろ?
野望だの黒幕だの言われてるが実際はしょーもない理由なんだよ
明智光秀はチンケな野郎として永遠に語り継がれていく >>730
しつこく秀吉黒幕説を言う人がいるのよ
明智の自称子孫なんか本能寺の変は光秀の意思で行われたのは間違いないってい言ったら
秀吉黒幕派から脅迫めいたメール来たらしいからな 家康の経験値が凄すぎた
今川、武田、北条、朝倉、浅井、羽柴と大物と戦いまくって生き残ったんだから
そりゃ三成や秀頼じゃ勝てんわ 秀吉がけしかけたのが今は通例
光秀は信長討った後
秀吉と連携する予定だったのが秀吉の裏切りで四面楚歌に
家康は光秀から秀吉に騙されたと書状もらって
それを大義名分にして
豊臣を滅ぼした >>739
勝手に通例にするなよ
その説は光秀が秀吉の名前を出した書状が発見されてないこと
大坂の陣に勝利した後豊臣家の悪行を宣伝しないといけない徳川幕府が
秀吉の関与について一言も言及してないことについて
説明できない おいしんぼに例えると
明智=料理時の山岡
信長=金払いのいい海原
秀吉=大物感のない大原
家康=多少出来のいい富井 秀吉陰謀説
当時織田家のツートップだった秀吉と光秀には特に親交はなく
出世街道を進みまくってた秀吉が仲も良くない光秀に信長謀反の計画を持ちかける事はほぼないのでこの説は却下
朝廷陰謀説
貧困に喘いでいた朝廷は信長から多額の援助を受け住み処の御所も京都も整備してくれた大恩人
朝廷には一切力がなく悪く言えば信長の傀儡状態であり一家臣の光秀に信長暗殺を命じるメリットは皆無なのでこの説は却下
室町再興説
地方に追放された足利義昭が毛利を頼って再興する望みは抱いていたようだがほぼ誰からも相手をされていない状態
義昭の声に生真面目な光秀も聞く耳は持っていただろうがそれだけの理由で謀反を起こす程の無能ではない
当時味方が皆無の光秀はとにかく味方が欲しい状況だったので義昭の名を出して仲間に率いれようとした可能性が高いのでこの説も却下 >>21
超時空将軍ヒデヨシ「ようアベ!ひさしぶり!」
超時空首相アベ「センパイちーす!」 >>743
俺は光秀が発作的に起こした変だと思ってる
黒幕説を取り上げてる連中は深読みしすぎ >>745 その他にも
家康黒幕説とかもあるね。まあ、それも、本能寺の変の際、当の家康が本国の三河から遠く離れた
堺滞在中で、道中をさんざん苦労しながら(家康と一緒に堺にいた穴山梅雪は家康と別行動をとったが
家康と間違われて土豪に襲撃され惨殺された)命からがら本国までたどり着く有様だったからね。
もし家康が光秀と連携していたのであれば、自分はアリバイ作りの為に堺にいるにしても、
「光秀謀反」の第一報が三河に届いたら、迅速に出陣するように部下に指示していただろうし >>215
普通に一昔前までは太閤さんといえば庶民のヒーローで大人気だよ、当然江戸時代もな
現代になり多少詳しい頭でっかちが高二病になったのとやはり朝鮮絡みでアレなのが現代で落ち込んでる理由
太閤立志伝とかゲームにもなってるんだからな 幕臣細川藤孝の娘と結婚してるしな
事実かは知らんけど信長をツテに幕府再興しようとしてたけど
義明が言うこと聞かなかったのが駄目だった。 光秀の仕官の変遷は自分の成り上がりを目的に動いてる感が多々あるから本音で幕府再興に対する思いがあったかに関しては疑問だなぁ
建前として使っていたのは間違いないけどね
胡散臭さが付きまとう奴がやはりやらかしたってのが先にくるんだよな まあ幕府再興説だけで謀反の理由とするのはちょっと無理筋だね
領民思いのいいお殿さまだったとは思うけど よく領民には良いお殿様だったんですとかって見るけど、ある程度有能な人材が大名になったらそうなるのは当たり前なんだよな 信長が何で死んだかわからない時に
その説出るか?(*゚ー゚)(鯛の天ぷらに当たって死んだ説ありww)
信長が何で死んだかわからない時に
その説出るか?(*゚ー゚)(鯛の天ぷらに当たって死んだ説ありww)
南蛮寺大砲ぶっぱ説って明確に否定出来る材料とかあるの? 信長はああ見えて自分の将兵が、一般人に迷惑をかけることを異常に嫌ったという一面がある。
例えば、足利将軍を擁立し京都に入ったときも、将兵に「民から一銭盗んでも斬殺刑に処す」と布告
実際に、略奪を働いた兵の首をはねてさらしているし、同じく、一般女性に卑猥な悪ふざけをしていた
兵にいたっては、運が悪かったのか、その場をたまたま巡察にきた信長に見つかり、瞬殺されている。
>>756
それはね、源義仲さんが入洛したときの二の舞にならないようにしただけですよ 信長のお陰で将軍に成れたのに、実権ないからと信長に盾突いのが悪い
足利将軍なんて義昭のずっと前から実権なかったのに
公家達からも朝廷に資金出さない義昭は評判悪くて「悪御所」なんて呼ばれてた
信長が京都から義昭追放したのも当然
それを呼び戻そうとしたのなら、明智光秀はどうかしてる >>751
城が明治維新辺りで壊された地域は大名が不評だった所が多い >>759
一般に天領(幕府領)は税率が低く、大名領のほうが税率が高かったみたいだね。
基本的に天領は幕府から代官を派遣し、地元雇の者で治安維持や、徴税、行政を行わせたから
税率は低くて済んだ。これが一個大隊を駐屯させるようだったらとんでもない税率になったろうが、
大名領は基本的に、戦国時代の武装階層をほぼそのままの人数を、そのまま行政の役人にしたから
とんでもない数の人数を雇用することになり、非効率、不採算という、今の役人に通じる悪癖が産まれたみたいだね。 >>1
自分の考えを通す為なら主人、恩師も平気で殺す屑だったんだな >>757
それだけでも大した事だよ。木曽義仲の二の舞いを恐れたという事は、信長に歴史の教養があったという事か
或いは、抱えていた部下や坊主あたりから「京都を武装占領した者で、木曽義仲のように兵の乱暴を黙認すれば
京の朝廷や公家、のみならず庶民からも嫌われます。また京都は日本の噂の中心地ですから
悪評が日本全国に伝わる事になり、天下取りどころか、信長様の人気がなくなります。
どうか将兵による乱暴は厳重に取り締まられますように」とでも諭されたとしても
それを聴く耳を持って「ソレは道理である」と採用し実行したのだから、立派だよ。 その当時の空気としても
足利義昭に取り入って成り上がったくせに、気がつくと信長の足舐めてて
義昭に後ろ足で砂かけるどころか義昭その人を後ろ足で蹴り飛ばしたようなやつが
次の主人を弑逆した挙句「やっぱ義昭様のため、みたいな〜」とかいっても
信用されるものかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています