昔のど田舎の電話って隣の人に繋げる為の電話がかかって来て呼びにいくんだぜ。 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
となりまで100メートルもあると電話代がものすごくかかった。 農業電話は町内なら話し放題
夕方には農協の番組が流れる 隣近所を呼びに行くのは都市部だろ
田舎じゃ本家だけとかそんなもんだぞ >>14
それな
ンで一般用の加入権なかなか買えなくて、業務用を高い金出して買ったりしてた 「申ス、申ス、ワレ無事ニ帰国セリ」
本家の電話が最初に受けた内容は爺ちゃんからの一報 >>9
送話と受話を混成するハイブリッド回路にコイルを使ってたので鉄心が重かった。 >>20
形見抱いて北に乗り込め!
勿論燃料は片道分な、 電話番号(現在の下4桁)が2桁のみだった。
その後、桁数が増えたり1桁の市内局番が追加されたり。 回すダイヤルが軽いのと重いのがあったのは何故?
重いのは戻るのも少し時間がかかっていた。 古い商店の看板や電話帳は
市名+町名+番号で書かれたよね
市名町名が今の市外局番と市内局番をあらわしてた。 昔は親戚とか友達の家とか近所のそば屋の電話番号まで全部覚えてたんだけどなあ
あの能力はどこに行ってしまったのか わかるわ
隣のおばさん電話なくてうちに借りにきてた
料金照会の掛け方があって通話後に料金の連絡がくるんだよ
小銭置いて帰っていったな〜 うち貧乏やったから隣の家の呼び出し電話だった
学校の連絡網の時とか惨めだったなぁ(´;ω;`)
今ならライングループでハブラれてるのに近いかな 電話機にプッシュボタンはおろか、ダイヤルすらなかった。
受話器を取ったら交換手が出てきて、番号を告げるとつないでくれた。 >>33
電話番号が4桁の所は市外局番回すと交換手が出て
4桁を言って繋げてもらった >>6
全部繋がってるから加入者に会話がダダ漏れだったな 昭和40年代、東京でも貧乏人の家には電話がなかったぞ そりゃまあ電話は初期費用が今よりかかっただろうしな
権利など 昔の子機は親機に会話が聞かれて嫌だったな
親機の雑音で盗み聞きされてるのに気づく >>46
交換手に「○○町の○○に繋いで候」で電話してた時代
アナログなSiriだね 文明道の歌のカステラ1番電話は2番♪の2番は
最初の電話番号は1桁だけで本当に電話番号が「2」だったから
これマメな >>52
他にも5番ってのがどっかあったな
で、今も末尾は5番のままだった >>32
電話番号の後ろに(呼)xx様方 って付いたんだよな >>55
しかも昔は個人情報が厳しくないから
新学期が始まるとクラス全員にその(呼)の連絡網のプリントが配られるんだよな は?ど田舎限定の話だったのかこれ
都会は隣の家が電話も貸してくれないほど世知辛いのか? (呼)とか懐かしいなw
低学年の頃は割といた気がする テレビも街頭で観たり隣近所に手土産持って『力道山見せてくださいな』とかやってたし
因みに古い電話についてるハンドルはまわして音鳴らして交換手呼ぶためのもの
ダイヤル式黒電話が主流だった頃は時報や天気予報が混線してたらしく交際中の男女が時間申し合わせて時報を聴く(実際には学校とかでできないデートの計画たてたりする)のが流行ったらしい >>52
そのときにうちの電話番号が2桁だったってよくばあちゃんから聞かされた思い出 ド田舎は農集電話があったから(呼)は稀だろ
むしろ都市部に多かった
昭和40年代末期まで市外局番7桁は結構残ってた 親父の実家に有線引かれた電話あったわ
時折何かの放送が流れてきてたが、今となっては
それがどんな放送だったかが思い出せん。
天気予報とかニュースとかだったかな… 各家に電話はあるんだけど、農作業とかで出られないから隣の家に電話して連絡つけてもらうんだよ。
まだ留守電とか無かった時代 ドトールコーヒーは悪の結社、創価学会の
一員だ
集団ストーカーを行なってる
エクセルシオールカフェ赤羽東口店(現在ドトールグループ サンメリー赤羽店)閉店は証拠隠滅
ドトールも創価も法的措置を取らないのは
事実だからです
当時のドトールコーヒー社長 17年4月左遷サンメリー社長へ
とうきょうときたくあかばねは
そうかのまち
わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。
(新約聖書 『ルカによる福音書』22章32節から) お前らいくつだよ60代?
田舎に住んでたことある40代だが呼び出しなんてみたことないぞ ダイヤルアップ接続でインターネットするときはダイヤル回線の場合パルス
設定をしないと繋がらなかった 昭和50年くらいまで電話設備増強が追いつかなかったので電話を引くのに苦労したそうだ。貧乏だから引けなかったとは言い切れない >>75
当時から新聞社員とか放送局員は裏で優先で電話が引けたそうです 様方ってのは高校の卒業名簿で下宿住まいの奴の住所がそんな風に書かれてて初めて知った >>62 >>52
一桁二桁ってのは
電話って金持ちしか引けないくらい高額でその地域で電話引けるような金持ちが10人とか20人(多くても100人以下)で
引いた順に番号が振分けられるから二番とか十三番とか言われてて
実際の番号は0002とか0013なんだよ。
今も固定電話が一桁とか20番以下は昔の名家が多い。でも0000から0005くらいまでは地域の役所や学校が使ってる。
うちは豪商だったから電話番号が000xだよ。 (´・ω・`)
ウチは電話はありましたがその電話にはダイヤルが無く横についてるハンドルをくるくる回して掛けてました、すんまへん。 “のどちんこ”ってのは知ってるけど
“のどいなか”ってのは初だなw なんか電話の横にあるハンドルをグルグル回して通話するんだよな そういえば田舎の親戚の家には
普通の電話と、町内だけにつながるという電話が2台並んであったな
ダイアル式かプッシュ式かは忘れたが昭和の終わりごろ
町内だけの電話って何なのかよくわからないが 親の田舎は電話から有線放送みたいなの流れててびっくりした覚えがある
NTT電話と違う電話二台あったな >>83
そうそう
あれは今でいう田舎LANみたいなもんだろな 母の実家地主だったからトトロの本家のばーちゃんちみたいだったわ
壁掛けの電話あって使う用がある村人が来てたみたいだな >>83-84
町内だけの電話って有線って言われてた
うちの親戚にあった奴はダイヤルなくて
受話器上げて相手先の番号を交換手に言うと
xx番さん、xx番さん〜って呼んで相手が出ると通話出来たが
加入世帯全体に音声垂れ流しだから誰に聞かれてもいい会話しか出来ない >>83-84
普段はある時間になると村の広報みたいな放送が流れてたな
朝5時台からおはようございます〜みたいな放送が流れてた 昔は限られた回線数で事業用が優先され一般家庭は
架設を申し込んでも5年10年待たされいつ開通するか分からなかった
後年になってインフラ整備が進み実家に架設の連絡が来たのは
申し込んだ親父が死んだ後だった
しかも加入権の他に電話債券というのを20万くらい買わされた >>67
農協の定時放送だな
朝、昼、夜の3回放送されててその間は通話不可能だった
放送前に農協に電話してリクエストしたら曲もかけてくれた うちの地域では小柳ルミ子が唄う「農協の共済の歌」とガロの曲がやたらと流れてた記憶 手回しでハンドルで向こうのベルが鳴るダイヤルの無い電話見たけど
交換手に相手の番号言っててワロタ 一般家庭でもカンバン揚げて事務所を装うと事業用って判断で
1年以内に電話が付いた。 昔の山の方だと、まず交換台に電話して
「何番の誰々に繋いで下さい」
って伝えて一度切って、折り返し掛かってくるのを待つスタイルだったな。 >>78
ダイヤル式前の二桁番号はダイヤル式になる時2000プラスされた。
例)30⇒2030
ダイヤル式の00XXはナンバーリクエストによるもの。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています