来年で戊辰戦争150年。負けた旧幕府軍が逆転できるタイミングはあった? [無断転載禁止]©2ch.net
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<来年・戊辰戦争150周年>「武士道」テーマ 議論熱く 会津若松でシンポ
2018年に150周年を迎える戊辰戦争について考えるシンポジウム「戊辰と明治」が
5日、会津若松市の会津稽古堂であり、研究者らが武士道をテーマに意見を交わした。
明治大文学部教授で明治維新史学会事務局長の落合弘樹氏が
「明治維新と武士〜士道に背きまじきこと」と題して講演。
「戊辰戦争は残忍さと寛容さを併せ持っていた。首の数を争ったり分捕りをするなど、
戦国時代と変わらない要素があった。昔の武士と同じように、戦が終わると和解した」と指摘した。
会津大短期大学部非常勤講師の簗田直幸氏をコーディネーターにした討論では、
河井継之助記念館(新潟県長岡市)の稲川明雄館長が
「武士の本分は勝ち負けではない。私たちは律義な生き方、考え方をした会津の人たちに憧れる」と語った。
シンポジウムは戊辰戦争の真実を後世に伝えようと活動する市民グループ
「会津戊辰戦争百五十周年事業実行委員会」の主催で、昨年に続いて2回目。
会場では戊辰戦争を紹介したミニパネル展もあった。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201709/20170906_63022.html これボシン戦争って読むんやからな
イシン戦争って読んだらあかんぞ 諸外国のどこかが強力に後押しすれば
それを勝利というかはわからんが 軍事力的には幕府軍の方が上だったからな
京都を灰にして長州の息の根を止めてたら、薩摩も孤立した 大坂城から大将が遁走しないで踏みとどまっていればあるいわ ポポポポポポポ・・・ ダルビッシュ CAPTURED 戊辰戦争 慶喜が小栗上野介の策を採用していれば多少結果は違ったかもしれん 将軍が慶喜以外なら普通にかってたろ
慶喜以外というか、朝敵になろうと知ったことかと徳川家の政権維持のために軍事力行使できるやつ 薩長の簒奪は好きになれない。
それ以上に水戸の田舎者が嫌い 長州が小倉を落とした後すぐに海軍を派遣して海峡を封鎖したら長州と薩摩は分断されて各個撃破できた 天皇を味方につけた時点で薩長の勝ち
みんな寝返って勝てなくなったじゃん マジレスすると
西郷の首一つ獲っておけば
幕府軍は勝てたよ 鳥羽伏見で旧幕府軍が、薩長ノーマーくクの竹田街道を進撃していたら、史実のようにボロ負けすることはなかった
らしい まぁ旧幕府軍が勝っていたら(新政府軍が敗けていたら)、日本の近代化が遅れて、いずれ起こったであろう日露戦争で大敗して
よくて領土の半分、最悪日本すべてがロシア領になってた。
もちろん朝鮮半島もロシア領。
ロシア革命に乗じて独立戦争を仕掛けて、独立を勝ち取るとしても国家に体力がないから
大東亜戦争(日中戦争、太平洋戦争)は起きなくて、大量の戦死者や都市爆撃と原爆による死者はいない。
冷戦開始が数年は前倒しされ、中国大陸を舞台に代理戦争か第三次大戦が始まっていただろうな。
大東亜戦争がなければアジアの国はすべて欧米の植民地で、世界の地図は今とまったく違うものだったろう。
そう考えると戊辰戦争って世界史的にもかなり重要。 まだ150年しか経ってないことに驚く。
ちょんまげして刀で戦ってたんだぜ。 >>25
河井継之助による地形をいかした戦略あってのことだな
ガトリング砲は二の次にすぎん >>26
いやいや、流石にもう最低でも火縄銃、最新はライフル銃、
大砲も榴弾だから >>24
そもそも日露戦争は起きないんじゃないかな
緩やかな近代化進めるif日本は大陸進出なんてする気無いだろうから、ロシアは満州も朝鮮も切り取り放題。
正直日本は植民地化する旨味はないけど中国は広大な旨味だらけの市場だからそっち優先することだろう。
でも日清戦争やらないとなると工業化は徹底的に遅れるから、そのために「極東にあるマシな方の文明国、しかし国力は三流」って程度の立場で我慢させられるな。
うまいことロシアイギリスアメリカの勢力争いの合間に入ってほそぼそやるだけと。 >>29
将軍が逃げ腰だったからな。
大将がやる気ないのだから下も積極的になれんだろ。 鹿児島出身の先輩が出張先の会津の居酒屋で酒ぶっかけられた、らしい。 >>24
でも軍艦用の造船ドック作ったのは幕府だしな
軍隊も洋式にしてたし
わからんでー >>19
そもそも第二次長州征伐に薩摩は参戦していない 近代化遅れてたら、南北戦争のカタ付いたアメリカの植民地とロシア領の分割だったと思う >>34
あそこは九州方言出しただけでも睨まれるらしいから… >>37
参戦するわけないよな
参戦してたら、薩長同盟なんてものが成立しなくなる >>34
西南戦争の警視庁抜刀隊に元会津藩士とか多く採用して
抜刀突撃で恨みは晴らしたんじゃあ無かったのか 名目上、動員できる兵力は幕府があったけど
どーせほぼタダ働きだしな
新政府軍の領地奪い放題だと言えば勝機はあったかもしれん 慶喜が四侯会議に出席した藩主を怒らせなきゃ、
徳川中心の新政府への流れは作れたと思う。
ただ、一桑会は雄藩どころか江戸の幕府中枢にも目の敵にされてた面が
多々あったので、会津が無事かどうかは不明。 明治維新以降、大東亜戦争までの近代史を
図が多くて分かりやすく学べる本があったら教えてくれ >>32
ロシア(ソ連)にまともな戦略家がいたら、太平洋への進出に日本の地政学的な価値(逆に言えば鬱陶しさ)がわかるでしょう。今で言うウクライナのような存在。
近代化する前に軍事的な手段で連邦に取り込みたいと考えるはず。
なので日露戦争は不可避かと。(もちろんソフトパワーもハードパワーもない日本が負ける) 司馬遼太郎が取材で、あるおばあさんの話を聞いたとき「あの戦争の時は」と言うから、てっきり太平洋戦争だと思ってたら実は戊辰戦争のことだったなんてエピソードもあるもんな。
まだつい最近のことなんだよな。 EMURATED
E M U R A T E D
E M U R A T E D >>47
京都で 「先の大戦」 と言うと 「応仁の乱」 らしいがw >>44
長州一藩に大敗した段階で終わり
あれで薩長の方針は武力倒幕に変わった >>47
実家の辺りだと1467年に起きた戦の話をし出すな。 この強さの順が判らないと戊辰戦争は語れないぞ?
スナイドル銃>エンフィールド銃>ミニエー銃 >>46
ま、そんときはイギリスとアメリカがどのくらいアジアに影響力持ちたいかで話し変わるだろな
日本は防波堤にも橋頭堡にもなる。ロシアが太平洋アジアへ進出することを許容するなら日本はロシア勢力圏
南下なんかゆるさねーよ、ってなれば、独立維持する程度の支援はえられるやろ。その代わり英米には一生頭上がらない子分にされるな 幕府軍の総指揮を酒井了恒に任せて総隊長に立見尚文を任命、その補佐に河井継之助と佐川官兵衛を宛てれば勝つる!!!
なんと言っても戊辰戦争で一番強かったのは庄内藩だから! >>53
そいつら反則だから嫌い、ブラウン・べスの方がロマンがある >>58
慶喜がやる気ねーんだもん
結局水戸は幕府にとって獅子身中の虫になってしまったな 藤田東湖なんてあれはまさに神が下した天中だ 奥羽越列藩同盟は大義名分が弱い
徳川慶喜と徳川家達が新政府に恭順しているから徳川(旧幕府)に対する不忠
北白川宮(輪王寺宮)を擁立して天皇に逆らっているから天皇に対する不忠 薩摩財力は琉球の
砂糖地獄から吸い上げた たまもの >>54
あれ?今とあまり変わらない??(笑)
仮説を立てるにしても戊辰戦争の終結の仕方も重要やね。
幕府軍があっさり勝てば国力の建て直しも早そう。
旧幕府が勝っていたらどういう内政・外交政策が執られていたのか気になるなぁ。
当然、薩摩長州土佐出身者の新政府や軍部の要職登用はないだろうし。 >>58
士気の違い
勝てば天下取れる(勘違いだったんだが)っていうのと
勝っても恩賞が無い奴隷の違い 薩長の人命軽視、根性論のやり方がずっと続き大日本帝国滅亡の主要因になったんだなと思う
ぶち殺されるべくしてぶち殺され、飢え死にするべくして飢え死にし、負けるべくして負けたわけだ
糞ゴミ国家大日本帝国は滅ぶべくして滅んだ 必然だったな >>54
今と同じだな 戦争しなくて済んだなこりゃ >>65
石原莞爾とか東条英機とか輩出した山形のせいでしょ。 あくまで幕府側が抵抗して内戦が激化してたら、欧米列強の餌食になってただろうな。
それを見越して恭順したんだろ。
やはり徳川幕府は歴史上希に見る人民のことを考えた封建国家だった。 >>65
でも靖国に祀られている軍人の大半は東條が始めた戦争の犠牲者だろ? >>63
薩長の人命軽視やキチガイ精神論が入ってこないだろうから英米の軍隊や政治の仕方をまねてたと思う 幕藩体制ではもう古すぎ、時代の圧力に抗えない、
無理だろ。 中国が日本侵略するときは九州人を念入りに皆殺しにしてほしいと願ってる 徳川慶喜が大坂城で徹底抗戦したら勝機は十分あった。
大阪湾の幕府艦隊が瀬戸内海・山陽道を押さえてるのと
陸地への艦砲射撃で援護できたから。
そのかわり官軍の大坂城総攻撃が史実となってたら間違いなく大坂は焦土化。
江戸と大坂を保全したという意味で徳川慶喜は政治家として名君と言えよう。 そうせい候がまるでやる気なくて良かったよな
島津久光なんて自分が国の舵取りする気満々だったしそうせい候までしゃしゃり出てきたら
えらい混乱になってたよ お前ら天皇陛下のことをインテグラとか馬鹿にするけど、歴史上、天皇陛下の名の下に大勢の人間が死んでるんだからな。
とっても凄いお方なんだぞ。 で、実際のところ、坂本龍馬の影響力ってどんくらいだったんだろね?
今の竜馬像は相当に脚色されてるのは知ってるが、竜馬無しで薩長同盟は出来なかったとかのレベルなんだろか? >>78
中岡慎太郎の大手柄だとはいややはり龍馬もいなくちゃ薩長同盟はならなかったとみた! 西郷も木戸も偏屈だもん 江戸を無血開城しなかったら良かった
一度でも大きな会戦があったら? >>71
バーデンバーデンの密約で薩長閥を潰しただろう。
岡山の宇垣一成が最後の薩長閥と言われている。 江戸っ子徴兵して国民軍作れば陸でも薩長圧倒出来ただろう
ガチのシビル・ウォーになって、そのあとは知らん 近世史の薩摩ほど 荒っぽい日本史があるのか?鹿児島人は反省すべき >>34
今の会津なんて戊辰ネタ引っ張り出しておちょくったりしなければ無関心な連中だけどな >>34
それは信じがたい。
高知ナンバーの車で会津観光した際、地元の方々はとても親切におもてなししてくれた。
会津若松城の駐車場で戻った時、ボンネットに吸い殻てんこ盛りテロされてたくらい。
あれも場内展示で「やっぱ薩長は日本をダメにしたわねー」と感化され新撰組カブレした観光客の仕業と思ってる。
そうした事を含めて、会津藩や地元の方々の尊厳を貶めるような振る舞いに断固物申したい。 河井継之助がブチ切れて、長岡を火の海にしなかったら… 鳥羽伏見の後、慶喜が船で江戸へ逃げなければ幕府軍が勝ってたろ。その後、幕府軍が西国を制圧できず、日本が東西に分裂する可能性はあったけど 当時だったら神聖なる日本国を夷狄から守りための幕府が夷狄に言われるがままに開国して行ってたんだぜ
おれでも維新の志士目指すわ
神聖なる日本国を夷狄の手に渡す幕府は撃つべし
存在意義ないから朝廷に日本国を返すべき
徳川はいち武士としてやり直せとか主張してると思う
ついでに夷狄とちょくちょく内通してる坂本龍馬なるやつはおれが天誅下すとか言ってると思います >>34
まるでチョン並のしつこさですな。
放射線で矯正されればいいですね。 >>62
琉球以上に奄美が有毒植物しか食えないほど扱き使われた >>76
そうせい候が久光みたいな性格だったら
長州藩滅んでるぞ確実に >>71
むしろ山尾庸三のような産業立国を目指す官僚がいないので仏印と同じような歴史を辿っていたかも
中国とアメリカの支援で殺し合ったり、少年兵が国民を大虐殺したり >>92
島津氏は 幕藩体制では九州の弱小 しかも
同藩で小競り合い繰り返してるし
コレが力をつけたのは
キツイ言い方をすれば
琉球王国
「奄美諸島を奴隷支配体制」に置いて
財力を持ち直した。
明治維新は(奴隷支配)で
かましたと言えるやろ?。じゃなきゃ
薩摩が倒幕出来るわけがない 地元が会津だが結果論で言えば新政府側が勝って正解だったと思う
藩幕府体制が続いてたら時代の急激な変化について行けなかっただろう勿論新政府側に全く問題が無かったわけでは無いと思うが 普通は田舎連合が圧倒的戦力の幕府に勝てるわけないわな 織田信長が武田信玄を破ったときから何年も経ってるのに幕府軍は刀で攻めるアホさ 会津藩なんて自分を助けようとしてくれた奥越諸藩が決死の抵抗を試みてる最中に板垣退助に国境を簡単に突破せれて
一応形だけ抵抗してみせるもさっさと白旗挙げたヘタレだろ >>101
つうか
状況だけで見ると四境戦争って
長州藩毛利家 vs 日本他全部 (しかも野戦)
という大阪夏の陣よりヤバい状況から相手滅ぼしてるんだよな…
チートすぎるだろ >>101
鳥羽・伏見で錦旗を踏みつけて進軍する覇気さえあったら。
本音では葵>菊だったろうに覇道を押し通してたらと。 >>105
それだけ大山益次郎が稀代の軍学者であり合理主義者であった証左だね。
薩長が革命を成就したのは「時代の流れ」を汲んでたのはどっちか?って結論。 大和朝廷の熊蘇出兵で九州を併合せず完全に植民地扱いにしてれば勝ててたな >>107
チキンじゃないと思うよ。
恥を忍んで国としてよい方向を選んだ結果。
内戦ぼっ発でそれぞれのバック(英仏)の介入を危惧して、は信じるべき。
チキンとして叩かれるべきは仙台藩だよ。
奥州の大義を掲げて二本松や会津の背中を押したくせにあの結末。
あげくにはネチネチ秋田藩を逆恨みと。 >>105
大阪夏の陣とかは、いい加減これが最後の手柄の立てどきってわかってるから攻める方もやる気満々だけど
長州攻めてる時は、別に手柄立てても褒美も出ないし、大規模遠征なんかやれるほど藩の財政も良くないし、
ヘタしたら長州ぜめしてる内に本国で政変起きて主流派入れ替わってしまうかもしれないという不安要素しかなかったもんな。
やる気のあるやつほとんどいない。はよ帰りたい。 会津藩の重税と身分差別に百姓は辟易していて、官軍の道案内した。 河合がバルカン砲を2丁なんてせこいことせず千丁位輸入していれば。 どうにも解せないのは、軍の洋式化に最も力を入れていたのは
幕府軍なのに、なんでああもあっさり負け続けるんだ 高杉晋作を討ち取っておけば、そもそも長州が立ち上がることすらないよ。もともと蛤御門の変以降は、幕府よりで動いていたんだから。 >>106 徳川の太平下で国学が町人・豪農まで浸透し、錦旗に逆らえる雰囲気じゃなかった。 >>116
大政奉還した後だから幕府側が「我こそは官軍なり」の錦旗レースするとはとても・・・
>>117
近代軍のROE(交戦規則)と同じだね。
自衛隊の危惧と被るが、どんなに優れた正面装備を持ってても発泡許可待ちのままカカシで撃たれるリスクが。
徳川慶喜が畿内での戦火は、、とぐずってたら下は身動き取れないよ。 >>24
どうだろうな幕藩体制主導の近代化もあり得たとは思うが 孝明天皇が長生きしてれば倒幕の勅許が薩長にとはならなかったであろう
だからと言って毒殺した桂と岩倉は大罪人よ 河合の評価高すぎだろ
あの時期の日本で武装中立が成立するわけ無いのに >>119
南紀派vs一橋派の本質に、菊と葵もあるからねえ。
観念論では、帝の御意を無視した井伊直弼!となっても
東日本人の地域ナショナリズムが幕府>朝廷と言わしめるし。 >>1
>「戊辰戦争は残忍さと寛容さを併せ持っていた。首の数を争ったり分捕りをするなど、
>「武士の本分は勝ち負けではない。私たちは律義な生き方、考え方をした会津の人たちに憧れる」と語った。
なんやこの馬鹿? >>125
長岡藩に生まれたのが間違い
幕府要職の家柄で幕閣に入っていれば
購入したガトリング砲を量産させて薩長軍をミンチにしていたよ >>119
「水戸学」の影響や「太平記」が流行ってたし、”天子様”は特別だったろう。
それは日本全国どこでもそうだ。 小栗上野介 ここまで1人とは・・・・w
どっちにしても慶喜が賊軍の汚名を恐れて
白旗を上げたんだから逆転の目は無い しかし武士が天下を取って間も無くの承久の乱では京都を略奪強姦の巷にして天皇も上皇も悉く打ち首にしたのに
それから時代を経て逆に武士が弱くなるなんてな >>135
武士が最初に天下を取ったのは平家(清盛)の時だよ。
鎌倉幕府よりも前の「武家政権」とされている。これが定説。 無血開城しないで江戸が火の海になってたら今の中心は東京じゃなかった? 逆転も何も
戦に勝つことによって徳川の世に戻せると思ってたのは会津藩と桑名藩くらいで
慶喜は大政奉還の時点で、もう戻せないと分かってたでしょ
だから、せめて徳川家を残すためにひたすら恭順しようとしてたのに
会津・桑名の暴走で、戦をせざるを得なくなってしまった
戦いたい連中には戦わせてやって、自分はさっさと逃げてまた恭順
慶喜の行動は一貫してる
なぜ負けたか
そもそも大将である慶喜が勝つことも戦をすることも望んでいなかったから 無理
・幕府は米本位経済をやってて列強から武器を買うカネがなかった
・戦争で兵士になるはずの武士が250年の平和のせいで、モヤシでおまえらみたいになってたから
使い物にならなかった。だから新撰組みたいなチンピラを集めた組織が作られた。 >>108
大村益次郎すら戦後に知って戦慄した幕府の小栗案を将軍が採用してれば
戦局もひっくり返る可能性もあった
てか日本の近代化はほとんど幕臣の小栗上野介が既に推し進めていて
明治政府はその小栗の功績を横取りしたに過ぎない
そして功績を横取りするにあたって小栗の存在が邪魔だったから異例の斬首を行った >>135
承久の乱では上皇も天皇も打ち首にはしていないwどこで歴史を習った。
天皇を殺害した例は蘇我氏あたりまで遡らないと無い。 慶喜も怒ってたんだろ朝廷が薩長に大枚積まれて転んだからw
関ヶ原以来貯め込んだ軍資金の殆どが朝廷工作に費やされたっていうんだから
京都の公家どもの強欲ぶりも凄い罠w 徳川慶喜にまともに戦う気がないから無理
尊皇攘夷の薩長にシンパシー感じてるようなやつがトップについた時点で徳川幕府は終わってる 新政府の軍艦を乗っ取ろうと、旧幕府の船が外国の旗掲げて近ずいて、
土方歳三を筆頭に斬り込みかけたけど大失敗した宮古湾海戦の戦いが好き >>144
島津氏は関ヶ原の 負け戦
敵中突破している 西郷隆盛なんて明治政府の世になっても渋沢に「まだまだ戦が足らん!」とか言ってる戦闘狂
対する将軍慶喜は「戦争なんてしたくないンゴww」と超やる気なし
そりゃ勝てる戦も勝てんわ 島津維新斎の関ヶ原捨てがまりなくして維新回天はならなかたんでごわす 関ケ原の後に黒田官兵衛や加藤清正、立花宗茂に任せて薩摩っぽを皆殺しにしときゃ良かったんだよな
神君ともあろうお人が痛恨のミス
特に黒田官兵衛は豊臣秀長と一度薩長ボコってんだし 幕府が負けたのは大塩平八郎の乱から続く内乱のせいだよ
一揆なんて武断政治時代の幕府なら余裕で鎮圧できただろうけど幕末の幕府には何も出来ず、原因となった腐敗の一掃も改革失敗で頓挫
地方の各藩が幕府への信頼と忠義を無くしたタイミングで黒船来航
幕府を倒す体のいい理由ができたってことだ 軍神・大山巌大元帥自ら陣頭指揮で不逞なる会津のやつばらに国崩しをお見舞い
されたんでごわす 戊辰戦争のときの慶喜と西南戦争のときの西郷は立場が似てる
どちらも戦をする気はなかったのに、血の気の多いやつらの暴走で
戦が始まり、その大将に担ぎ上げられてしまった
大きく違うのは、慶喜は自分と徳川家を生き残らせようとした
西郷は自分を担ぎ上げた士族とともに滅んでいこうとした >>158
徳川家は今も残ってるしな
ある意味慶喜の勝利とも言える >>159
?
家康が薩摩侵攻は先に延ばせと黒田官兵衛に下名した時の面子をテメーで調べろカス
おれはオメーのお母さんじゃねーんだよクソボケ 教えて教えてと甘えてくんな低脳が死ね >>161
なぜ 怒られるのか不思議でしかたないが?
? 鳥羽伏見の戦い
新政府軍5000人 VS 幕府軍15000人(最新装備つき)
なぜ負けたし ネットで顔見えないと思って言葉汚い奴多すぎ
敬語なんかいらんしある程度は問題ないと思うけど命令口調と喧嘩腰ってどうなのよ >>1
薩摩にも長州にも
隣の三春にも喧嘩ふっかける
会津がクズなだけ >>164
日本人は匿名になった途端口汚くなるから
すまんな ののしられても お前ら好きやで。
遠慮せんでくれ。 >>151
んなこたない
島津家は重豪が
外様ながら将軍岳父になるほど
政治工作ができとるからな
流れが違えば徳川ベースで明治向かえてるよ >>1
未だに戊辰戦争とかいってんのかよ。
東日本人の被害者意識は異常。
一億総玉砕って会津武士道とやらなんじゃねえのかよ しかし戊辰戦争で庄内藩が
地味な扱いなのは何でなんだろうな 幕府側が本当にアホだったのは協力あおいだ国がよりによってフランスだったことだな
維新政府側はイギリスだったのに
せめてドイツだったなら・・・ プロイセンに北海道を切り売りしようとしたボンクラがいるらしい あれからまだ150年しか経ってないのに、それからの日本が怒濤の渦過ぎて… >>179
しようとしたんじゃなくて実際に売ったんだよ
明治新政府が大金払って買い戻す羽目になったとな
ただでさえ貧乏で金が無かったのに箱館新政府の奴らなんて正に売国奴だよ
幕府も反幕勢力も清国の惨状をみて絶対に国土を売ってはならないと皆共通意識を持ってたのに んでも、新政府入りしてからの榎本は結構いい仕事してるよ 福沢諭吉「幕府側があっさり降伏したお陰で文明開化し欧米列強の仲間入りが出来た、もし幕府側が勝ってたら中韓みたいに落ちぶれてたかも」 emurated
emurated
emurated 長州猿はいまだにちゃんと謝らない糞
会津に正式に謝罪しろや 開国を決めたのも幕府。西洋化して軍艦作ったり軍の近代化したのも幕府。実は明治維新でも開国、西洋化したのと大差無い。単に権利者が代わっただけ。幕府がそのままだったら優秀な人たちは死なないで新政府の役にたってたかもな。 ない
南紀派の井伊直弼が殺された時点で終わった
一橋派は薩摩と一緒にやるつもりだったのに
戊辰戦争の時点では無理だろう 戊辰じゃなくて鳥羽伏見じゃないの?慶喜がいなかったらもうちょっと幕府が保って、薩摩が幕府にミャクアリと判断すれば以後の歴史は全然違うで まあ無いね。
幕末、異次元のチート能力(軍備)持ってた佐賀の鍋島藩が維新政府側についた時点で武力による勝敗は決してたよ(´・ω・`) 五稜郭が完全完成していて、そこで籠城して耐えてたらどうだろう 図書館に地元での戦闘全容が記録された本があった
意外と戦死者が少なかった 厭戦気分が敗因 明治維新もWW2も今の北朝鮮も厭戦気分が事態を悪化させた 大体慶喜が悪い
頭は良いんだろうが平時なら有能な人の典型 廃藩置県や四民平等なんて、やっぱ皇国臣民というストーリーがないと成就しない。
公武合体では藩も領主も解体が難しく、諸国連合として日本のまとまりは叶わなかったろう。
一気に中央集権の国つくりに戊辰戦争は避けて通れない道だったと思う。
徳川が皇軍の交戦団体として、国賊の汚名を被ったのはモアベターだった。 箱根を閉めて幕府艦隊を遊撃隊として西上、西軍の背後を荒らし回る
ってのが一番効くけど、慶喜にも勝にも小栗にも積極性皆無
榎本武揚は軍人ではなく、大鳥圭介は無能、土方歳三は何処まで勝つ気があったか微妙
長岡にしても会津にしても戦術的には勝てる要素はあったけどね 幕府側にマトモな軍師が居ないのが悪い、毛唐を雇えば良かった 「八重の桜」で大分汚名を挽回したな
東北にしても長岡?にしても長州側の交渉人がアホすぎた 西南戦争で戊辰の仇と西郷軍に切り込んだ新撰旅団の元斗南藩士が居たとか
新聞記者だった犬養毅が書いたけどさ
犬養はずっと宮崎市内に居て
戦地見てない記事なんだよな
つまりはデッチアゲ記事
そんな嘘つき新聞記者が後に政治家になるんだが
鳩山一郎と組んで統帥権干犯問題を帝国議会に持ち込んで、軍部独裁を招くんだよな
犬養を憲政の神様とかマスゴミ、ホザイテるけどさ
憲政ぶっ壊した張本人なんだよ、明らかに
まあ嘘つきデッチアゲ新聞記者を政治家にしてはいけないって話 大阪城に退去せずそのまま二条城から出撃して
御所を占拠しときゃ良かった
あと大政奉還もまずかったな 大阪から京都を攻める。
豊臣が出来なかった作戦を徳川がやろうとするんだから面白い。 長岡の中学修学旅行が会津だったけど歴史的な説明があったのかなかったのか覚えてないや
白虎隊の木刀買って喜んでた >「戊辰戦争は残忍さと寛容さを併せ持っていた。首の数を争ったり分捕りをするなど、
なんだイスラム国か 薩英戦争で学んだ側と、
平和ボケしていた側では、
逆転はあり得ないでしょう!
むやみやたらに人材が減るだけ。
今の日本が危ぶまれる。 >>195
言うてもあそこでガチンコして内戦状態に突入してもアフリカみたいにブリカスにつけ込まれて植民地街道まっしぐらだから日本全体の国益を見れば慶喜の無血開城の判断は正しいだろ
(結果論かも知らんが) >>196
大政奉還してるんだから天皇中心の政府を作るで意見は一致してるはず。それでも必用に幕府を攻撃し叩き潰したのは単なる恨みだろ。 公武合体が落とし所だったのに幕府保守派は尾張公擁立して徳川国家維持または独立を企んだ勢力と新政府に割り込みたい薩長
割り食った会津は尾張公の代わりに持ち上げられ家来が被害者
慶喜は「神君家康公は……」と言う譜代や旗本を改心させるのも諦め、過激派と化した地元水戸天狗党も粛清し幕藩体制に幕を閉じた
応仁の乱も大坂落城も避けた、ナポレオンにも詳しい慶喜、勝っても最後は刑務所だ、フランス国王は首チョン
知り過ぎた男 >>29
年月経ちすぎて
忠誠心なんざ
すでに形骸化してるだけだからな >>105
しかも、負けたけど欧米四カ国艦隊と戦争もしてる >>192
函館にある要塞なんてガン無視されるだけ。 >>32
日本側の政情関係なく日露戦争が起こる可能性が大きいのは「ウラジオストク」って意味を知れば分かる。 敵が箱根に来たら後続の部隊を艦砲射撃で足止めして孤立した部隊を潰す 後半とか誰が敵で誰が味方か
わからなくなったんやろ。 実質、
薩長土肥vs会津・桑名・奥州越
まあ日本の中央部は
平和なもんよ。桑名藩くらいか >>34
鹿児島ナンバーの車で乗り付けても何も言われないし何もされないのが実情
被害者意識を引きずってるのはどっちの方なのかね >>179 この件になると、会津土人と庄内土人は「あー、あー、聞こえないニダ!」だけどなwwww >>186
戦国末期には豊臣を裏切って徳川に尻尾を振り、幕末には徳川を裏切って薩長についた
津藩藤堂家がいた三重県が言うと、説得力あるなwwwww 一橋家の徳川なんかに忠誠を示す気にならんわ
御三卿をつくったあいつが癌 当時の
天皇=徳川家
の力関係てどーなってるんや? 江戸時代で戦がなくなって200年以上経ってたのによく生首の取り合いとかできたな >>34
事あるごとに薩長との和解イベントやってんじゃん
明治大正生まれも減ってるし恨みなんてないだろ 西郷隆盛なんて明治政府の世になっても渋沢に「まだまだ戦が足らん!」とか言ってる戦闘狂
対する将軍慶喜は「戦争なんてしたくないンゴww」と超やる気なし
そりゃ勝てる戦も勝てんわ >>225
天皇家→明治天皇替え玉説がある程、長州がやりたい放題
徳川家→水戸学の慶喜は天皇家に逆らうとか無理 >>230
でもそれ以降の歴史を見ると
西郷どんが正解だった気がするわw
あまりにも安易に明治近代化を急ぎすぎた 幕府軍って平和ボケしてて戦争始まってから慌てて武具の調達始めたくらいだからな
戦力になるはずの旗本がまったく使えないゴミ揃いだった。 >>233
いや間違ってる
あのまま内戦が続いたら確実に武器を売ってくるブリカスの影響力が増える
そうしたら当時の時代情勢的に日本も植民地コースだぞ
もっといい方法があったと言うならそうかも知れないが、内戦の激化コースだけは確実に間違ってる >>234
実戦では役に立たない刀のお稽古ですから >>235
言いたいことは解るが自分でも言っている通り結果論 >>25
地元じゃ評判悪いらしいけどそうでもないん? 幕府の勝海舟は倒幕される前に米国に行ってるし近代化の必要性はわかっていた。ペリー来航時の交渉も現代の外務省よりもしっかり交渉やっていた。幕府の海外の情報もしっかり集められておりインドや中国の英国との戦争や植民地化も知っていた。 >>200
鳩山はポッポのおかげで有名だが、犬養も統帥権干犯問題持ち出したアホだったのか。
このおかげで日本陸海軍が消滅するその日まで、日本政府は軍部の同意なしには何もできなくなった。 >>238
横からだが彦島掠め取ろうとしたこととか知らんのかボンクラ
幕府仏式陸軍が本気で対抗したら間違いなく勝ってるがな
きっちりフリゲートも運用できてたわけだしな
士気や内戦回避が大きすぎた
そもそも戊辰で何人戦死者出てるか知らないボンクラがレスしていいスレではない >>234
さすがクサイタマ
どう考えても急場しのぎで運用できる装備じゃねぇし何でオランダとだけ通商してたのか一ミリでも知ってるならそんな言葉は吐けんわ
最近の小学6年生でも知ってるけどな >>242
そもそも南北戦争の経過もほぼリアルタイムで知ってる、且つどの国も己の国の船で交渉してるくらいビビってるんだけどね
住人の質が落ちすぎてそろそろウンコ速報に名前変えるべきだここは 三菱財閥の源流が戊辰で大儲け
この時から科学の発展はあるだろうが特権階級は変わってない
国策政策もあるが、ついに三菱が石油を独占しだしたし 幕府が勝ったら欧米列強に外国軍隊駐留権・北海道租借権・鉄道敷設権などが与えられたままだっただろうな。
それらは新政府が交渉して取り消させた。
幕府が結んだ不平等条約も、新政府が日清・日露戦争に勝つことで文明国として認められ、撤廃することが出来た。 幕府が勝ったらどう考えても共和制だろ
本質は分封建国の原義と何も変わらん 話は逸れるけど近年の明治維新否定論は、気持ち悪い。
それが日本の在り方を真剣に考察した結果なら良いが、多くは東日本発の地域ナショナリズムに起因してるから。
皇国史観という単語とセットならば、ほぼそう。
朝廷・皇室というものはあくまでも関西ローカル文化に過ぎず、天皇は京都の一田舎大名に過ぎない。
それを日本全体の象徴と規定した薩長の歴史観は、人工的であり歪曲されていると。
江戸しくさに見られる江戸時代再評価も相まって、源平や関ケ原のように
東日本=善 西日本=悪の文脈で日本史を編纂したい勢力が、明治維新叩きの正体。
日本の首都・東京は関東東北のローカル都市と思わずにいられない。
彼らのメンタルで日本全体のスタンスが左右されてる。 >>250
共和の意味がわからない馬鹿発見
もしかしてチョン? いーとーしーきーひーびーのー
はかなーさーはー
きーえーのーこーるーゆーめー
せいーしゅんーのかげー 朝鮮半島にはある一族の独裁世襲政府が人民を支配しているのに
民主主義であり共和国でもあると自称してる国があるらしい >>252
基本的な「本質」は何も変わらねーよカス
分封建国の本義を知る前に人生やり直した方が早いぞカス
どんなボンクラ親が排泄したらお前みたいなチンカスボンクラが産まれるんだよ
さっさと死ね うーん、やっぱり身分制度が複雑すぎて無理だったんじゃないかなー。
幕府も朝廷も酷いから。 総大将の慶喜が錦旗見て戦意喪失したんで勝ち目ナシ
関ケ原での毛利みたいに総大将がヤル気ないと、士気は上がらない 幕末の時点で幕府の組織がどうしようもないくらい腐っていたからな。新政府軍が勝ったというより古い組織が自壊しただけ。きっかけが黒船。 >>261
新田「やな」
楠木「錦の御旗には勝てません」 >>261
江戸幕府なんて天皇を完全に舐めきってたろ。
紫衣事件とか。そもそも天皇を敬う気があるなら江戸に囲って京都なんかに居らせないだろう。 天皇や公家を舐めきった徳川
の天皇や公家に支援してたのが薩長 幕府が勝ってたら、今の上級国民どころじゃないぞ。
2chで公務員やパチンコップを批判したら公然と殺されるわ。
安倍批判なんてしたら打ち首獄門だ。
お前らも俺も全員死刑になると思う。 江戸幕府は崩壊寸前だったんだろ。汚職で。300年もも1つの時代が続く、と世襲の武士が既得権益で楽する事ばかり考えて
油断がひどかったんだろ 今や鹿○島権民とかチンピラファッション頸管利用して街の喧嘩屋先導して嫌がらせしてくるからな。 >>263
徳川が朝廷を舐めきってたとか、それは多分明治政府の歪曲。
徳川は政治に口出しするのは許さなかったが、むしろ朝廷の権威をせっせと高めたんやで。
朝廷も自分で政権を担当する能力なんてないから徳川さんに全部丸投げ。
部下や大名たちに官位を与えて手なずける権力の根源なのに、自ら毀損するようなことはしないよ。 >>138 会津藩主松平容保は元々京都守護職などの重責は固辞してたが軍事総裁の越前藩主松平春獄が会津藩の家訓10カ条を強く押されて受諾するしかなかった
。幕府の犠牲になって、恭順しても許してもらえなかった、最後まで戦うしか選択肢はなかった。御三家の尾張藩などのより忠義をつくしたのが御家紋の会津藩だよ! >>269
忠義と言えば格好は良いけど
古臭いお家訓に振り回されて時流を読めないトップ >>269
会津藩主保科正之は、江戸時代を代表する名君だと思う
しかし保科の家訓は200年も前の物で
時代と共に良い面は残す、時代が変化したので悪しき面になったのは捨てる
この当たり前の変化をせず、ただ家訓を丸暗記した松平容保と会津藩主は
見習ってはいけない反面教師にしかならない
特に醜いのは落城して完全敗者になったのに
敵の薩長を恨み、上司の慶喜らのせいにして
己を反省しなかった点 戊辰戦争時の佐賀藩の会津藩への攻撃は空砲ばかりだったらしい
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/1041603080.html
>元会津若松市長で白虎隊記念館長の早川広中さんが30日、佐賀市の佐賀城本丸歴史館で講演し、
>戊辰戦争で佐賀藩が会津藩を攻撃する際に使ったアームストロング砲の砲弾に空砲が多く含まれていたとする説を披露した。
>早川さんは「空砲には佐賀藩の意思がうかがえる。おかげで会津の街は延焼を免れた。佐賀と会津の友好の歴史を知って
>ほしい」と述べた。
>約260人の市民らが講演会に参加した。
維新側でも、佐賀は武士道の実践者だな。
俺がこの時代に存在してたら色々と歴史を塗り替えていただろうな。 かなりまじめなはなし
徳川慶喜が本気で戦う気になってたらかってた
犯人はヤス的に
大局になったらベターな選択なのはまちがいなかったけど
犠牲になった幕府側の人間はうかばれないわな
悪者扱いいしてる日本人はある意味ガイジ この回天を見るに最も重要な人物は、松平容保の兄であり、御三家筆頭の尾張徳川家当主 会津がいまだに根に持つから韓国と同類に見られるんだ >>279
尾張徳川は越前松平と同じく、親藩なんだけど薩摩にも近く
王政復古にも参加したが決して徳川を裏切った訳でもなく、中立といっていい立場だった
慶喜が大阪城へ退去してからは京に留まり、慶喜弁明の立場をとり
小御所会議の決定を骨抜きにして、再び慶喜を上京させる道筋ができた
しかし越前松平春嶽が使者として大阪城へ出向いた時、会津桑名は越前尾張を裏切り者と罵り
松平春嶽は殺されるんじゃないかと逃げるように京へ戻った
会津桑名の暴走により、中立派の越前尾張を敵に回す結果となった
大阪の陣において越前尾張に近い立場は片桐且元であったと思う
福島正則とかは徳川に完全に抑え付けられ、豊臣の弁明まではできんかったと思うが
片桐且元は豊臣と徳川の戦いを避けるよう弁明したのだが
好戦派の大野などに裏切り者と罵られ、片桐且元は逃げるように徳川に付く事となった
滅亡する団体って他にも同じような例が多々見受けれる 鳥羽伏見の戦い後、尾張藩主は藩内の佐幕派を処罰し完全な官軍表明をした
その事により東海道の譜代親藩全て官軍に投じ
京を出発した官軍は戦わず江戸へ進軍
関ヶ原の時は、尾張清須城主福島正則が小山会議で徳川に付く事を表明
この事により東海道にいた豊臣譜代全て徳川に付く事となり
東軍は戦わず岐阜まで進軍
戦局に大いに影響与えた尾張の支配者は、戦後優遇される事はなかったのも共通 >>280
自爆としか思えない
実戦経験も戦術も知らない小僧を斥候に出して自害
要所の橋の防御は坊さん兵
天候頼みだけど、敵も雪降る前に片付けたい >>160
?
西郷も自分の本懐遂げたんだからいいんじゃないの? >>251
否定というか外国の手のひらの上で内戦しただけじゃね? でも幕藩体制のままだったら途中で諸外国にやられた可能性あったからなあ
戊辰戦争で勝ちつつも中央集権制に切り替えるとか至難の業だったろうな >>176
名前が出るだけ良いうちの藩はそれなりの戦いで城を落とされたのにその後の会津や二本松が悲惨だったから
全然出て来ないw 秋田が同盟離反しなければ、幕末最強庄内藩の援軍が白河に到着して、明治軍無双してたわ。 >>271 誰に責任を転嫁なんかしてない、現在でも長州を許せないと言う老人達は戦死した会津藩士の遺体を埋葬してはいけないと城内、城外にふれ回した現実。
でも城外では敵、味方関係なく町民が埋葬したといわれた、それだけ会津人は情け深いんだよ。 幕府軍の総司令官が勝つ気無かったんだから無理だろ。 会津観光史観ってウリナラファンタジーみたいなもんなんだってな >>47
>>49
そのエピソードは京都の話で鳥羽伏見の戦いじゃなかったっけ 什の掟
虚言をいふ事はなりませぬ
卑怯な振舞をしてはなりませぬ
嘘ばっか 長州ヲタカスが朝から必死だな
長州の悪行三昧はスルーかよ? 武士道が徳川によって変えられてるんだよな。
戦国時代までは、殿様が自害するから部下を助けてくれ、
が武士道だったのに、徳川が天下を取って平和になると、
殿様が助かれば部下は全滅してもいいって変わった。
だから、鶴ヶ城の戦いで籠城戦になった時、
松平容保が自害して部下を助けてくれ、
とはならず、殿様の為に全滅してもいいんだとなってしまった。
今でもそれが武士道だと思ってるエリートが多いだろ。 >>296
因みに細川さんとこに、誰だか忘れたけど、とある作家さんが取材に行った時、こないだの戦争で貧乏になったって話が出て
「こないだの戦争」は太平洋戦争ではなく応仁の乱だったって話を読んだ事がある 火力的に無理だろ
大砲ドッカンにチェスト〜〜〜で勝てるか! >>302
それは京都だろ。古都なので重要文化財のお寺が多いので米国は空襲しなかったからな。 >>304
原爆の投下候補の一都市だったから、空爆対象から外されてた。 >>291
ガチ源氏なのに常陸から秋田へ飛ばされた佐竹氏が、偽源氏の徳川なんぞに味方する義理はない。
庄内藩は軍資金稼ぎのため北海道をプロイセンに売ろうとした売国奴のクズだしな。 小栗さんの例の作戦が実行されてたら勝ててた可能性は高い >>305
最終的には、京都は文化遺産があり、学歴高い知識層が多いから外されてる。 会津は、行きがかりとはいえ京都の警備を請け負ったりしたせいで、薩長の恨みを買った上に、地元に重税を課し続けたせいで地元民からも恨みを買ってるからね。
そうなることは分かりきっていたから断ったが、行きがかりで断りきれずに押し付けられたと。
まあ、歴史は多分に行きがかりで左右されるものではある。 >>312
戊辰戦争時の百姓は松平家を慕うどころか、薩長軍の道案内をした者もいたくらいなのに
その会津百姓の子孫が明治以後の旧士族による宣伝に洗脳されて、薩長を恨む滑稽さ。 幕末の長州なんか孝明帝毒殺疑惑払拭できてないし、
その長州閥は天皇を神に祭り上げて国民を天皇の意を借りて総奴隷化して太平洋戦争にまで国民総玉砕を掲げて断行したし。 半島に擦り寄ったのは、明治の長州閥だという事実。
世論で大陸半島とは関わるべからずという情勢を無視し、
半島に、(同祖論)を掲げて征韓論を振り撒いて強硬接触していったのが長州閥
奴等のお陰で太平洋戦争にまで行き着いていく。
真の悪行は長州閥だという事実
幕末にも孝明帝毒殺疑惑や御所に向かって発泡し、賊とされたのも長州だろ。
いいか、幕末に御所に向かって発泡した団体も、
その結果、天皇の怒りをかい、賊の汚名を着せられ、朝廷から全国の大名に長州征伐の大号令を下された事実
仕返しにした孝明帝毒殺疑惑も、
京都の不逞浪士集めて京都に火を放ち、天皇を拐おうとして新撰組に処罰されたのも、
全て明治以降の支配者の長州閥な 国際連盟から脱退してきた屑も、
半島併合を同祖論なんておおうそたれながして併合の意義を解いてたのも、
ナチスと同盟結んできたのも、
誰ですか?
はい、長州人 >>315
孝明天皇は家茂や容保と調子が合ったりしてたから都合が悪かったんだよね。
家茂が健康なら歴史は変わってたろうけど、小さい頃から甘い物をたくさんもらった関係もあって虫歯が酷くて、食い物がまともに食えなかったのは痛い。 >>317
実質長州閥に等しい陸軍の軍人がドイツに色仕掛けで籠絡されてたのも大きい。 靖国に誰の糞銅像たってる?
皇居に南朝の武将の銅像作った馬鹿は誰だ?
江戸時代までの北朝の天皇家を全否定して南朝こそ天皇の御正道とうたいはじめた明治帝をたぶらかしたのも、この銅像群作り上げた長州閥だぞ
華族から北朝唯一の直系末裔の超名門足利将軍家のリアルな唯一の直径たる平島公方足利家を追い落として平民にさせたのも長州閥 当時世界最強で日本の誇る戦艦二隻に、長州と奥州の名を与えた海軍の心遣いも無駄だったのか 幕府が薩摩に対して懐柔策を施し味方にしとけば或いは 長門の薄汚い名前を持つ戦艦は、最後まで卑怯にも使い道なく、内地で爆撃され、
内地にずっとなんのやくにもたたず内泊し続け、
最後はアメリカの水爆実験の道具になったな。
唯一敵とも戦わず、アメリカ様の水爆実験の道具になった糞根性の戦艦も、
幕末に攘夷なんて寝言こきながら、
やったことは馬関戦争で一時間でフルボッコにされたことと、
世界で類を見ない、大使館を放火して大使を斬り倒すだとよwwww
放火と暗殺がお得意ってよwwww そんで攘夷とあれだけほざいた、
木違い集団は、
維新後は脱亞入欧、欧米万歳しながら、
神仏棄却冷や
廃城令などを次々出して、
士農工商などありもしない事実を植え込んで江戸暗黒史観を植え付け、日本文化を否定しまくった事実。
それがいまの国民性に色濃く残った そんで、
当時の内閣府の幕府に暗殺予告を大量に送り込むも、幕府から温情で放免になるも、
再度暗殺予告を送り付け、
長州藩から刑務所にぶちこまれた木違い中二病野郎が神に祭り上げている地
狂ってんがな そういや、高過ぎとか言うやつは、自分の意見と食い違うやつは、上司だろうと皆殺しにしちまったな(笑)
しかし、これだけ共謀な性格しときながら、
東北全土にせめこんできたら、連戦連敗
主力は土佐と薩摩
長州は全敗のくせにwwww
そういや小倉戦も夜陰に紛れて防火勝利だったなwwww
放火が得意って、あれ、どっかで聞かないか?wwww >>6
武器の性能差で勝てないんだよなぁ
ライフリングの発明は火縄銃の発明に並ぶチート 訂正
小倉城も夜陰に紛れて放火により勝利
長州征伐の際も卑怯な戦法でしか対応せず、
奇形隊という市民まで巻き込んだにも関わらず、
維新後隊士を大量処刑したという同胞処分
限りなく近い存在いませんか?wwww 観光で五稜郭を散策してがっかりした思い出。
あれは形を眺めるものだな。 薩長の錦の御旗の偽装と容保が肌身離さなかった孝明天皇からのご辰翰でどっちが正しいか?
因みに新政府では容保死後の歴代会津松平藩主に現在で10億程の金でご辰翰を売らないかと何度も迫ったという話があった。
この事実は会津藩、容保が賊軍ではない厳然たる証拠!薩長は幕府、慶喜に代わる悪者を作りたかったそれが会津藩、容保。 >>103
太平洋戦争の本土決戦は上陸したアメリカ兵を竹槍で倒す訓練していたんだぞ! >>330
ご辰翰を渡した時、
「誰にも言うなよ」ってこっそり渡しておいて、
会津藩士も誰も知らなくて、容保の死後、
発見されて「何だこれ?」って騒ぎになった。
孝明天皇が裏表がある人物だと思うわ。 慶喜も「長州は最初から反幕府だったが薩摩は…」で薩摩藩の変節を維新後も嫌って島津家も同じ華族に列せられても嫌ってた。
西郷も幕府の権威失墜を見せつけるためにチンピラやくざを雇って江戸の庶民相手に乱暴狼藉、強盗強姦テロ行為を行った基地外。 東北の藩で西洋式軍事教練の匍匐やらせようとしたら
武士に地べたに這いつくばれと言うのかと怒って拒否されたとか 会津藩がプロイセン王国に蝦夷地を99年間割譲してたら、どうなってたかな 京都守護代だから巨額の出費に悩まされた会津は領民にべらぼうな重税を掛けたため薩長に協力する商人を中心とした町人や農民が後を絶たず
戦後はこの領民たちが酷い目に遭わされないために藩士は全員青森津軽や北海道に追放されたんだよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています