今年も8月6日がやってきた。広島に原爆が投下され、72年目の夏。広島市中区の平和記念公園では、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念する毎年恒例の平和記念式典が行われた。
広島の人たちにとって、いや全国民が忘れてはならない日。同時に連覇に向けセ・リーグの首位を独走するカープにとっても特別な日でもある。
2008年に発足した「カープかたりべの会」代表の大下達也さんに久しぶりに電話をしてみると「原爆投下がなかったらチームはなかったと私は思っています」と言った。
焼け野原となった広島の復興のシンボルとして球団ができたのは原爆投下から5年後の1950年。親会社を持たない市民球団は、
資金不足で球団消滅の危機もあった。それをファンがたる募金で救い、地元企業が支えてきた。
それでも経営は安定することなく、選手の給料遅配が続いた。そんなおり、松田元オーナーの祖父で初代オーナーでもある松田恒次氏が球団社長に就任。
球団創設期のメンバーで広島カープOB会の長谷部稔名誉会長は
「金は出しても口は出さんという人だった。あれから給料の遅配はなかった」と振り返った。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170806-00000048-dal-base