平家の落人が沖縄の宮古島に? 子孫が先祖伝来の日本刀と謎の古文書を寄託 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
沖縄県宮古島市平良狩俣の伊良部由美子さん(58)が7月13日、宮古島市総合博物館(上地等館長)に日本刀と古文書、かんざしを寄託した。
伊良部さんは地域で「平家落人」の子孫と伝えられており、寄託品は平家ゆかりの品である可能性があるという。
祖先から代々、受け継いできたが、自宅での保管が難しいことから博物館に管理を依頼した。
傷みが大きいことから同館は修復作業を進める方針で、一般公開については未定としている。
◆かんざしには「七曜紋」
寄託された日本刀は長さ約75センチで全体的にさび付いており、いつの年代に作られたかは不明。
古文書は湿気で固まり、今は開封できない状態にある。
だが、宮古島出身で東京で医者をしていた故奥平繁夫氏が1987年に記した著書で、往復書簡の案文か返書であるとの見解を示している。
かんざしには北斗七星を表した「七曜紋」がかたどられている。
伊良部さんは「幼少の頃から、本土の研究者が自宅に来て品を見ていた。歴史的に価値があるものではないか」と推測する。
◆男性の名に「平」が慣例
狩俣地域では、北海岸の「ナービダ(長い浜)」に平家の落人が漂着したと言い伝えられている。
伊良部家は代々、男性の名前の最初に「平」を付けるのが慣例。
地域ではそのことから平家落人の子孫だと伝えられている。
伊良部さんは「父や兄が他界し、保管が難しくなってきた。興味がある方もたくさんいると思うのでぜひ博物館で展示してほしい」と期待。
上地館長は「貴重なものなので多くの人に見てもらえるようにしたい」と話した。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/123036
http://www.okinawatimes.co.jp/mwimgs/4/f/-/img_4fb3ef3a261b3031556efa79443ad628146562.jpg
http://www.okinawatimes.co.jp/mwimgs/9/e/-/img_9e4ffaae17e7e83a1d6d960ee2b2de0d213836.jpg 壇ノ浦から九州北部に流れ着いて必死こいて沖縄まで逃げたんだろうなwおつかれw >>5
ロマンとかねーよw本人は必死こいて九州縦断、鹿児島あたりまで来てもまだ恐ろしくて沖縄まで逃げたんだろ 地方ローカル番組だが、「頑張る君に花束を」って番組で平家の落人の末裔の姉妹が婿取りのためにお見合いしてるんだが、妹の方はどうなったんだ? 古けりゃなんでも貴重ってもんでもないんだよなあ
状態悪すぎるわ >>10
付き合わなかった
ちょっと男の方がデリカシー無さすぎたからな 中島
ダメですね!家宝をこんなになるまで放っておくってどういうことですか!
話しにならんですね! ほらな
沖縄は日本人と始祖を共にしてんだよ
台湾に渡って60年程度の台湾在住の人たちでさえ
もう自分らは中国人ではないと考える
【社会】台湾人の心、中国から離れる?「自分は中国人」激減
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1402093792/
中国に明確なルーツをもつ台湾人でさえ60年でこれなのに
数百年前に交流があっただけで今は別の国の沖縄の人が
「自分は中国人」て考えるわけねえだろバカ 落武者言うてるけど別に平氏じゃないんやろ
平氏側だっただけだろ どのルート通って逃げたのか気になるわ必死こいて南に南に逃げたんだろけど月の輪や狼いただろうし
大分で刀傷治すために温泉入ったりしてんだろうな >>7
まぁそれでも、この現代に子孫が残ってりゃ勝ち組やんけ。
ロマン溢れるとおもうで。 平家の末裔かと思ってたら、ただの密航挑戦人だったでござるの巻 >>15
そうだったのか
まぁ、色々と言われていたみたいだけど… 中東系の渡来人は平姓が与えられて伊勢へ移された
マメな >>17
同じ理屈だと俺たち日本人じゃないことになるけど? 宮古からは一万年クラスの東北由来の
人骨3体もでてるし、本土と交配してるやろ?本島では宮古美人て言うし
本土から船乗って一かバチかで
海流で宮古につくんやない(適当 俺の実家に伝わってた平家の刀はもっと長くて反り返ってた。 >>23
どのルートで逃げて大分で刀傷の湯治したりとかそっから絶望感背負って旅立って熊本やら通って宮崎どういう心境で鹿児島沖縄まで流れ着いたのかとか興味あるな 沖縄出身の上司が言ってたけど宮古だけ明らかに文化が違うらしいな
男系の強い沖縄と女系の強い宮古で結婚しようとすると猛反対されるのが普通とか 俺の見立てだと、この古文書の内容はファティマ第三の予言が記されたもの 鎌倉期までの刀は大きく反り返っているので、
この錆びた刀は室町以降の作刀ですね
沖縄土人のホラですwwwwwwwwwww うちの田舎にも逃げてきた平家の子孫達の集落と言われていた所があったな、小さい半島の奥の方の浜に15軒くらいの集落で 平家落人伝説宮古島編
浅見光彦シリーズで1本できそうだな 源氏軍にも平氏がいっぱい混じっていた。
というか執権北条家をはじめ鎌倉武士が平氏だらけ、どこが源平合戦やねん。 >>40
源氏側に付いた平家もいた
鎌倉幕府執権の北条氏は平家 落人かどうかはともかく平家の末裔なんて自称レベルも含めて沢山いるんじゃないの?
うちの家紋だって丸に揚羽だよ 先祖が源頼朝から褒美で刀を貰ったらしいが
何処へいったのやら・・・ 沖縄まで行かずとも、鹿児島南方の種子島の領主・種子島氏は平氏名乗ってたはず 宮崎の山奥椎葉村には平家の落人と村娘が人目を避けて逢引する
ふるい民謡があるよ。
1000年伝わったのかと思うと感慨深い。 そういや、俺の故郷の島も落人伝説とか安徳天皇の霊を鎮める奇祭とかあったけど
津波にあって、調査中の大学教授以外みんな死んじゃったな 平家の落人シリーズ。
別に荒唐無稽でもなんでもなく
当時の武装勢力が落ち延びて来てもなんも不思議ではない。 農民による落ち武者狩りやらあっただろけど基本日本人は判官贔屓だからな全国に平家の落ち武者伝説あるんだろ結構九州北部や山口に流れ着いてんだろそっから散って逃げてんだろうけど
今みたいにGPSやゼンリンの地図無いから山奥に逃げれば見つからない >>45
源氏側についた平氏、敗戦後許されて地方に移住した平氏、落ち延びた平氏、いろいろおるな。 >>45
琵琶湖にある島も落人子孫って話聞いた事ある。 源氏シリーズの装備はよくあるけど平家シリーズって無いよな >>34
建前はそうだが、宮古は罪人の島流しの島であるのが本当の理由。
妊婦を岩から岩へ翔ばさせる風習もある。 秋田や山形の名家・分家にはかなりのお宝が保存されている >>33
以前確か千葉県あたりでファミレス強盗が誤射でアルバイト殺しちゃって金も取らずに逃げたんだけど
結局枕崎あたりで自殺した事件があったんだよ
どういう心境だったのか興味深いん 平家の落人なんてほとんどが被差別地域の奴らが箔付けにウソコキだしただけだろ >>44
それは平家じゃなくて平氏だな
なんで平家というかというと
実権を握っていたのが伊勢平氏という平氏の一部のファミリーだから 自称ナニガシの末裔+自称ナニガシ由来の小道具で就職できた時代だからな
古代から中世では世界共通の裏ワザ就活だよな 間に薩摩が有るのに無理すぎる
最南端は五島か熊本だろう 清盛は南宋と貿易してただろ?
平家は普通に琉球も中継点にしてたよな >>38
反ってるのは東国武士の刀だろ
俘虜の影響受けてる騎馬武者用
西国の兵は馬乗るのも下手くそなんやで >>21
壇ノ浦に沈んだ平家ガニの怨霊が俺の顔に乗り移っただけや >>29
琉球語は文法語彙どこをとっても完全に日本語の枠内なので
そんなに日本が嫌なら新しい言語を作りなさい 平家か源氏かは別にして10世紀に九州南部から大量の移民が沖縄本島にあったんだよ。沖縄の濃い顔はその名残。ただ先島諸島にまでその移民団は到達しなかったのでその地域にYDNAは九州南部とはまた違う 一ノ谷で水没した後
潜水したまま沖縄へ
平家はんぱない >>74
富士川の戦いで水音に驚いて走って沖縄まで逃げた平家の子孫だと私は推定する 源氏の人が沖縄統一してるとかあったような
平家も来てたのね >>62
節子それ落人ちゃうエチュードや
…確かに売れなさすぎて落人言われてたがなぁ >>66
薩摩の島津荘を開いたのは平季基やぞ?
薩摩国も当時は平家の貿易拠点だった
戦国時代の島津氏は元は惟宗氏で
頼朝の側近で旧平家領だった薩摩大隅に
赴任して平家が作った島津荘を拠点にするようななってから
島津氏を名乗るようになったわけ 宮古島の女で目鼻立ちがはっきりしてかわいいのが居たな 宮古島ってつい最近まで平安時代の京言葉でしゃべる人がいたとこだっけ? 清盛の時代には日本船が年間40艘ぐらいは
南宋の慶元府(寧波)を訪れてたんだぜ
琉球は普通に平家の行動圏内 沖縄は
源氏も平家もコンプリートしたという事
図が高いぞ ナイチャーども >>83
ちなみに屋久島の杉の年輪とかから
当時は今よりも平均気温高かったことがわかってる 落人じゃないけど、東国は平氏系の子孫が沢山いるよ。特に、坂東八平氏の流れがね。
平家っていうのは、平正盛、忠盛、清盛の家系(伊勢平氏)のこと。これも元は東国にいたんだけど。
源平合戦の「平家の落人」とかこの系統の人々のことだよ。 結果としては中世のスペック厨の頂点とする物だが実はただの鍛造鋼だ
マリンコのマシェットにブチ折られる
軍刀としてはスプリング刀の方が遥かに役だったらしいな 島って四方八方から潮風が吹いてるからなぁ。
錆びるのは仕方ないよ。 >>40
平知宗(父は、清盛の息子である知盛)が何気に長生きしている
男系はほぼ壇ノ浦前後で亡くなっているけれども、
清盛の娘の子孫から、天皇の母后になった人がいるよ
例えば後深草・亀山天皇の母后、後醍醐天皇の母后、後伏見天皇の母后など
後深草天皇の末裔の一人が今上陛下なので、今なお清盛の血を引く方がいるという驚き >>47
小話
あまり知られていない九州の琉球朝貢史
琉球側が九州の諸勢力を下位に従える
戦国時代に入ると、それまであった琉球の京都・室町幕府への通行が途絶える。このころから島津は「自己の印判状」を持たない船の来航を禁止するように琉球に「強要」したとは通説。
しかし、この文書、島津忠治は「極めて低姿勢」で「二つの国家としての対等な関係で、琉球を従属させようという姿勢が皆無で」また、もう一通の文書は。
「忠治は、みずからを尚真王の臣下に位置づけている」この時期琉球は島津本宗家までも君臣秩序に編成しようとしていたと。
これは1570年から72年にも確認さらている。
16世紀前半まで島津家は、藩内の財政や一族内の抗争が絶えなかった。
勢いがなく、内部で勢力が均衡していて、琉球は島津氏一本にまとめて付き合う必要がなかった。琉球と種子島氏との関係は、琉球を上位においた君臣関係とされ、琉球は種子島氏に対して1年に1艘の貿易船の来航を許可している。
琉球と相良氏(肥後南部)・伊東氏(日向の国人)もこれにあたる。
やったぜ琉球大王国 全くテレビ見ないのでわからないんだけど、平家みちよって何してんの? 神田明神の参拝方法
まずお茶の水を降りて真っ先にカロリー。
カロリーランチを平らげて天野屋で甘酒とあんずかき氷。
おみやげに甘納豆を買っておく。
参拝の後は外神田行きの階段を降りて三井パンであんパン
を購入した後、雅天丼ランチ。外神田に出たらジャンカレー
で大盛りカツカレーを食ってうさぎやで餡アイスを食って
土産に最中。その後俵屋で担々麺食ってから吉池で寿司食って帰宅。 平家→宮古に到着
源氏→運天港(本部に到着
ロマンなのかデマなのか悩むわ・・
琉球に? 平清盛→源氏3代→執権政治→室町→織豊政権→江戸幕府
源平が交互に政権とってるって日本史の先生に習った >>49
リボンウオの一種が打ち上げられたりするのか。海は繋がってるからな。 ナイチャーども
沖縄は土人なんですか?
源氏か 平家か
混乱するのよ^_^ 義経がモンゴルに渡ってジンギスカーンになったというとんでも伝説があったが
あれと同類だろ 漫画家とハエの止まるボール投げてた投手のどっちが「ゆきのぶ」でどっちが「のぶゆき」か解らなくなるときがある 実際沖縄人なんてこんなの多いよ>>100
俺の同級生もこんな感じ
沖縄は年上の言うことは全部信じるからね
だから最近の若いころからネット環境あるやつらは反面教師になってるからおまえらもっと頑張れ 東北にも平家の落人伝説があるんだよなあ。岩手の重茂半島とか。
南へ逃げたのと、北に逃げたのと色々いたのかな 鎌倉〜室町時代辺りは倭寇が東シナ海を駆けずり回ってた
その中に平家落人の子孫もいたんだろうな >>7
義経も結構逃げてるぞ
ロマンがあるじゃないか 平重盛
∧,,∧
r( ´n 平清宗
./ > ,/ ∧,,∧
関東武士だあーーーーっ > 〜'oー、_) r( n)
.> `/ く_
逃げろーーーーーーっ! .> 〜'し -一┘
.> ∧,,∧
/∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨\ ( ´・ω)
〜、/ っっ
∧,,∧ └ー-、ぅ
r、´・ω・)) 平宗盛
∧ ,,∧ > _/´
n__n (´・ω・`) 〜'し-一┘
∧,, ∧ノ c' っ 平盛嗣
c('・ω・`)っ 〜(_,'ーo'
平維盛 伊藤景清 馬鹿「落ち武者の末裔が朝鮮半島にわたってたとしたら...よし!」 >>108
北海道から樺太を経て満州そして蒙古に渡り
成吉思汗になったんだよ そういや苗字が平なのは沖縄に多かったな
宇都宮にいた時には「たいらや」にはお世話になったがまさか ちゃんと平家の名や血筋を残した人がいれば、歴史の裏に散っていった人達も
報われるよね。
こういう歴史ロマンのある事は良い。 地名に「血」のつくところは平家の落ち武者狩りがあった場所か古戦場 巻物とかも3Dのスキャン技術で読めるとか聞いたような 持ち主さん顔からしてすでに平家っぽいな。娘が清盛顔 「 平 家 」って顔してる。沖縄土人とは佇まいが違うからきっと本物だろうな。 >>122
朝鮮人を嫁にして早死にしたな。
死後遺骨まで無縁仏として棄てられてしまったから伊良部投手に伝わる血統はそこで終わった >>113
静御前
「昔を今になすよしもがな」
「なすよしもがな」=「成吉思汗」 >>48
routesというエロゲの舞台が椎葉村だったな
なつかしい >>134
って言うか
藩主と上士は全国的に平家か源氏ですし >>48
鶴富屋敷の館長さん?は鶴富姫の子孫らしいよ。
京都の長岡京には久貝という地名と苗字があるんだが、
宮古島にもある。
どういう関係なんだろうな。
ちなみに日露戦争の時、バルチック艦隊発見を知らせるため
通信施設のある石垣島までサバニを漕いで行ったのが、
宮古島の久貝(と隣の松原村)の人。 日露戦争時
バルチック艦隊発見の通報に貢献した宮古島の勇士。山原船が宮古沖で同艦隊に一時拘束されたのを機に艦隊通過を確認。
宮古島庁では、5人の決死隊を編成し、電信設備のある八重山までサバニで渡らせ、通報させた。
感謝せい >>58
なんかいろんな島のことがごっちゃになってるな >>72
言語が同じかほぼ近縁でも別な国なんざ世界にたくさんある
韓国と北朝鮮
インドとパキスタン
アラビア語圏
ロシアとベラルーシ
エストニアとフィンランド
マレーシアとインドネシア
ドイツとオーストリア
フランスとベルギー
ベルギーとオランダ
スイスとドイツ、イタリア、フランス
北欧語各国
南米スペイン語圏
カナダとアメリカ
言語は国家を定義しないよ 宮古美人 スピードの上原みたいな
ナイチャー顔してるから
交配してるよ 宮古は(たぶん >>128
最後まで一緒にいた郷御前の扱いの軽さは異常 落人ってどんだけ日本中に拡散してんだよ
うちの近くにも落人伝説あるわ >>8
山間部の貧しい集落の人達がかつて先祖は都で栄華を誇っていたと思い、慰めにするために平家の落人と言い伝えてる地域もある。 >>145
映画でも触れてた気がするけど別の船が送った電報の方が5時間早く届いてたみたい 平家、平家うるさい・・・
美濃源氏、信濃源氏、甲斐源氏、常陸源氏、その他・・・
東側は「源氏」もいっぱーい! >>107 鍔がちょっと気に食わない
薩摩支配期に接収されない様に目立たない当代の拵えに直したのかも知れないが
まあ居ても何の不思議も無いけどな >>107 伸ばし方もちょっと気に食わない
薩摩支配期にオリジナルを接収されちゃって当代の拵えを拝領させられたのかも知れないけどな
まあ居ても何の不思議も無いけどな 沖縄=日本領 だと言うこれ以上無い明白な歴史的証拠だなw 為朝伝説
八丈島から沖縄本島は海流が逆だけど、
列島沿岸沿いに行けば行けないことないよな
琉球王朝の始祖は本当なのかも 逃げるったって、
奄美諸島までたどり着いても
まだ安心出来なかったのか。
台湾まで逃げた人達もいたのかい。 >>137
鶴富姫と恋仲になったのは追っ手の源氏側、那須大八郎だね。そのせいか椎葉村やその近隣には那須姓が大勢いる。 >>164
そうかもな
徳之島にも平家の落人の話があった
墓暴きをしたら日本刀と甲冑が出てきたんだと
実際はどうかわからないけど >>167
徳之島の一つ手前の加計呂麻島には、為朝伝説と平家の落人伝説の両方が残ってる。 頼朝が天野遠景に平家残党を討伐させた鬼界ヶ島って硫黄島説もあるけど
辿り着くのが難しかったという記述といい、やっぱり硫黄島より喜界島の方がありそうに思うんだよな
戦死者も出すくらいの戦闘も起こってるし そもそも沖縄には平良の姓の人がいるからな。平家と関係あるだろ、普通に。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています