何で日本って城塞都市出来なかったんだ? [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
攻城兵器が発達しなかったからガチガチに守る必要がなかったんじゃないかな 最初は作るほど反乱がなかった
いざ起きるようになったらすぐに占領される地形ばかりだった そこまで来たら炎上するか切腹するかしかしてないから 異民族に攻められることがないからな
海という堀で囲まれた日本列島という城塞都市
対唐や対モンゴルで九州に防塁築いてる 城下町ってそのまんまだろが
今残ってるのは天守閣ばっかだが 平和な期間が短い戦闘民族だから守るより逃げるに重点を置いてる
戦争時でも街捨てて直ぐさま逃げられる様になってる 戦闘員以外は殺さないッて言う暗黙の了解があってそれみんな守ってたから
一般市民を城壁に囲う必要がなかったンだよ 一般市民には手を出さない不文律が成立してたから
元寇以来野蛮な他民族による侵略がなかったから 自分の殿様が負けたら新しい殿様に従う。。と
戦では皆殺しにしない。。というかならないのか。 人は石垣人は城、情けは味方仇は敵、あだーわーてきー |゚Д゚)ノ 住民皆武装してるからだろ
|゚Д゚)ノ 守る対象が少ないならでかい器も必要無い そもそも定義は?
あと兵糧攻めで餓死余裕な気もするけど城塞都市の意味あんの? 住民皆殺しとか普通はやらないから全部囲って守る必要があまりない
異民族の襲撃じゃそうはいかないから大陸では必要 そう、異民族による侵略というものがなかったから
列島内でも勿論悲惨な戦や事件は色々あったが
所詮言葉が通じ、似たような価値観の者同士、
物凄い規模で殺し尽くし奪い尽くすということはしなかった
逆に言えば大陸では、どれだけの労力をかけてでも
街を城壁で囲わねばならなかった 西洋の城は鑑賞用で、日本の城は戦闘用と聞いたんだが、そうなのか? 大阪自体城塞都市だっただろ
徳川に騙されて外堀とか埋められたけど
もともとは城下町も含む都市丸ごと城塞化してた 大陸や半島からの移住者は大抵一度は城郭を築くが直ぐ廃れるの繰り返しだった
@ 大きい地震が多い
A 元々起伏が多いのでそのまま利用した方が好都合
B 湿気が多く城郭内は不衛生に為り易い
C そもそも援軍の来ない少人数勢力に依る籠城は詰む
で日本ならではの城ができるまで随分掛かった >>32
軍事基地兼、役所兼、殿様の住居
武士は城外から毎日通勤
民衆は城下町と付近の農村住みだと思った。
西欧の城は町自体を城壁で囲ったけど 天守閣なんてのは関西ならではw
平地が多い所であんなの作ったら「ここが城だよ」と言ってるようなもの ヨーロッパや中韓に比べて石を用いた建築技術が劣っていたからと聞いた
その代わりに山や川などの地形を組み込んだ築城技術は優れていたらしい >>46
海外だと平地しかないから中核にちっさな丘城塞築いて発展していく町も多いからなあ 結局西欧の敵は異民族だから、市民ごと皆殺しなんだよね
日本のばあいは市民は戦争の対象外なので、弁当持って合戦見物とかやってたらしいw
同民族の領地争いかな? 市民というのは城塞都市の内側に住んでる人間という意味なんだってさ
左翼教師が市民ではなく国民という言葉を使いなさいと言ってた。
今は日本国籍じゃない人への配慮で国民じゃなく市民を使えなんだろうが。 日本の戦乱期は民間人が大した財産持ってなかったから囲って守るもんでも無かったんだろ大半農民だし 地震と台風のせいだって分かるやろ
毎年城壁崩れるがな >>39
難民流入させる作戦のモンゴルにフルボッコにされたけど
そこまで徹底的にやらないから… >>51
|゚Д゚)ノ 逆だわ
|゚Д゚)ノ 城下町は普通迷路のようになってた >>43 一見頼もしく見える上物は結局のところは平時の快適装備でしか無く高低差しか実戦では役に立たない
火砲が発達するとこの傾向は加速的に顕著に為り西洋の城は砲弾が撃ち込まれる度に崩れる石組で守備側に死傷者の山を築いた
一方一見パコパコの上物の日本の城は例として会津若松城の規模で永続的に城の造作は保ったが人間が一か月でギブアップ 北条氏の小田原城が、町ごと堀と土塀で囲んで城塞都市ぽい
織田信長に降伏するまでの商業都市・堺も あと聞いた話じゃ当時の日本はヨーロッパや中韓に比べ資本の蓄積が無いに等しい状態だったとか
だから守るべき資本も技術もないから総構えの城塞都市は基本的に存在しなかったとか
それでも本当にごく一部栄えてる所は総構えが存在したレベルとからしい 徳川幕府が壊させたんだろ。
秀吉の時代までは京都も土塁の御土居が町全体を囲む城塞都市だったし いざという時には町の民家をバリケードに使えるように都市整備 >>14
>>69
泥でゲームになってるぞ。
辞書必須だけどな・・・ あと奴隷制度が無かったのもあるかな
築城の労役及び貴人が所有する財産としての奴婢がいないから守らなくてよい 朝廷の権威が効いてたから
戦闘員以外に被害が少なかったんだろう
海外みたいに市民に手をかけてたら
朝敵になりかねない >>66 つまり日本では城なんて代物は肝の小さいお公家さん守護の駆け込むパニックシェルターに過ぎず実力の有る武士にとっては山最強 >>61
逆?城にすぐ攻め込めないように迷路状になってたんでしょ?って
京都なんかで迷いやすいのはそれでしょ >>63
堀もやろ?
地形的に人が何処かに逃げ込める環境も強いんじゃないだろうか
異民族に街ごと皆殺し食らったら立て直しもきかんからなあ >>72
おーい、嘘つき
前方後円墳作るわ、お城作るわ、
技術はあった。
しかし、何千年と皆殺しは
しない文化。 >>77
> あと奴隷制度が無かったのもあるかな
人質にして親類縁者が金を払わなかったら奴隷というのは
結構あったみたいよ。
奴隷にされる前に、村ごとに金を払って、略奪禁止のお札を貰ったり
いろいろしてたらしい。
要するに石垣を作らなくても、お金で済んだということじゃね。 堺ってどうなん?
ま、そもそも日本は石が少ないから
木造だと無理だしな
燃えて終わる;; >>85
ヨーロッパ、中国あたりの
奴隷の概念とまったく違うから、
それ奴隷じゃないよ >>13
これだよねー
同じ民族同士の内戦なんで、最も貴重な財産である民衆を守らなくて良い。
民衆は戦場から離れてればよくて、戦闘が終わったら勝った方に税金を納めれば良いからね >>88
同じ景色だからぐるぐる回っちゃうじゃん
そういうネタってアニメとかでも良く見るけど 秀吉の前の室町時代も京都は上京、下京に分かれてたけど、各々城塞都市だった。
日本に城塞都市が形成されなかったなんて無知の珍説 >>88
迷うよ
俺は日本中どこでも迷うから^^
家から徒歩10分のとこでも曲がるとこ間違えて、迷子になって2時間歩いてたからな! >>89
> それ奴隷じゃないよ
えー、どこが違うの?
ヨーロッパや中国の奴隷は何なのよ? >>83
戦争だらけ故の兌換通貨の影響もあるかと思ったがそれだと中韓とは状況が変わらんしなあ 一般庶民の皆殺しはないが、
一向一揆、比叡山、キリシタンなどの宗教勢力が刃向かえば撫で斬りにされた だいたい皆殺しにしても、
あと農業もほかの産業も、
立て直すの大変だからそんな無駄
しないだろ。 wikiの城塞都市にはちゃんと日本の項目もあるので
なかったというイメージが強いんだろうな
石やレンガ造りの西洋と比べて、残りやすい構造物として作らず
堀などが多かったのでそういうイメージなんでは 平安京が一番城塞都市ぽい
城壁がどの程度あったのかが不明だけど 義で有名な上杉謙信は乱取りが目的で戦争をしてたとも言われる
日本は異民族の侵略がなかったから民衆は被害はないので総構え不必要ってのは違うと思う >>96
そうそう
一向宗のは酷いよ
虐殺だわ
比叡山も有名だな
信長は魔王だからしょうがない^^
ま、実際に堕落仕切っていたから、擁護しにくいという >>94
それは調べた方がいいんじゃないか
奴隷って単語が同じでも実情の違いとか
植民って言ってもいろいろグレードがあるのと同じ >>98
京都も大阪も町全体が城塞だったのに、城塞都市は日本になかったとほざいてるやつは小一時間 一国一城令のせいで色々ぶっ壊したみたいだから
本当はもっと色々あったんだろうな >>106
んなもんいくらでもあるだろw
RTSの王道だ
腐るほどあるだろw >>99
平城京、平安京ってのは中国の真似した城壁都市だよね。
日本にまったくなかったわけではないけど、多くの城は市民は城の外。城下町という名前で残ってるよね >>102
中部が考える奴隷ってどういうイメージなの? >>88
京都は路地が多すぎて迷うだろ
一見さんにはキツイものがある 今現在と違って広い平野以外何処に行くにも山越えだから
掘っ建てでも山城作れば良いだけだしなぁ 大阪や東京は城塞都市
外堀が邪魔だから埋められた
江戸城の最大幅は隅田川から四谷まである
神田川も外堀、虎ノ門は外堀にあった門 姫路城も凄まじくでかい町全体を囲む城塞だぞ。
外堀は今の姫路駅あたりで、城下町全部が入ってる。 >>110
中学で奴隷貿易の話習わなかった世代もあるからねえ
最近はあのずらりと載せた船の絵が教科書にあるよ 岡田英弘の本を読めば誰でも知ってることだが
城塞都市が、外敵から守るために壁があるというのが
間違いであるというのはアジア史の定説なのだが
一生懸命外敵がどうこう言ってるこのスレはバカの
ネトウヨしかいないな。
あれは王権が都市住人を囲い込むためにあるんだよ。 >>94
もっと緩やかだろ。
農業やらせるには、
緩くやらないとだいたい無理だ。
いきなり台風とか地震やら、
災害多いし。どうもヨーロッパと
農民のあり方違うし、
単なる領民でしかないだろ。奴隷みたいな
身分ない >>100
> 義で有名な上杉謙信は乱取りが目的
日本海側で不作だと、兵隊に飯を食べさせるために
関東に攻め込んできて、食料と奴隷をかっぱらって逃げたと聞くけど。
民衆は山に逃げ込んで、難民キャンプを作ってたらしいよ。 >>92
京都は貧民を追い出すための壁ってイメージしかないw >>118
外国の場合はペストとかの防衛もあるよ
患者を入れないで外にいるやつが全員死ぬのを待つ
そうしないと街が本当に全滅していくからな >>101
比叡山はぽっかりと山で、
あそこならうまく軍が囲めるから、
地形の影響でかいと思う 外国では敵に滅ぼされると皆殺しにされるから
城塞都市が発達した論だと、例えば古代の中国でも
多くの人が城塞の外に住んでたことに対する説明がつかないんだよ。
むしろ、国王が戦争が起きた時に自由に使える労働力を調達するために
城塞を作って中に都市住民を囲い込んだと言う理論が今の定説
お前ら少しは本を読めバカども。 >>103
そこまでゲートとかないだろ。
緩やかで広い都市。 >>121
日本の城で見られる総構えが大陸の城壁っぽくないとケチをつけても、京都の御土居は城壁そのもの >>126
ジンギスカン、ブハラの話なんかがちらつくとなかなかねえ >>126
皆殺しに関してはヨーロッパより支那大陸の諸国がましだった
それだけだろ >>119
> 奴隷みたいな 身分ない
戦国時代あたりの小作人は地主の所有物で
ほぼ奴隷だったと聞いたことがあるぞ。 >>128
応仁の乱で荒廃した街を幾つかの区画に分けて貴族区画に壁おっ立てて貧民をその外に追い出した逸話やと思ったが
壁立派とか関係あるんかw 平城京とか平安京とかは城塞都市と言える。元になってる中国の都市が城塞都市の形式なので、市民の住んでる都市の周囲を土塁とか壁とかを巡らす構造になってる。
一応土塁とか壁を挟んで戦闘した記録があるし城塞都市でいいと思う。 大阪城が落城した時は住民皆殺し、女は奴隷で売り飛ばしだったという史実は無視する日本に城塞なかった厨 ホンマやね。
言われてみればやな〜。
石を加工するスキルが低かったから?
戦国後期とかの石垣なんか見ると技術は
ありそうなんやけどな〜。 >>128
京都の古地図で、電車あったんかとか阿保なことぼーっと考えてたが
城塞の壁の印だったわ >>89>>94
日本の奴隷と中国の奴隷が同じ様なもので
欧州の奴隷わ以っと劣悪待遇というか給与なんて出無いし解放もされ無いし物扱い ガッリアの奴隷制
ローマの奴隷制
トルコの奴隷制
インカの奴隷制
身分解放が可能だったり、不可だったり
財産として取引されたり、しなかったり
それぞれに特色がある 海外が最低でも万単位の戦争してたのは
平地がメインだったってのもあるな
日本だと狭すぎていっぺんに通れない(迎撃有利)から
どうせならと快適な住み心地の街&城になった >>127
石作りの立派なゲート、門はないけど、京都は立派な城塞都市だよ
出入り口はきっちりと作られていたし
http://i.imgur.com/bK7lVPm.jpg >>126
昔の都市機能って基本的に行政による財政政策の恩恵で勝手に人集まるやん
税のチカラで集まるもんを壁で労働力の囲い込みとか糞も味噌もないわw 海外の城塞都市だと盗賊都市とか城塞都市カーレーなんかのRPGからのイメージが強いな
中国だと墨攻という漫画(原作は小説)があった >>139
規模が小さかろうが大きかろうが城塞は城塞じゃね >>127
> そこまでゲートとかないだろ。
戦国時代の京都は
平安京風の格子状の町じゃなくなってたらしいよ。
たしか洋泉社の本にそんな本があったような気がする。 |゚Д゚)ノ 京都って迷いやすいんか
|゚Д゚)ノ 知らんかった >>139
規模は城塞都市かどうかにあんまり関係ない。申し訳程度の防御施設でも防壁には違いないし。 >>118
ネトウヨとかいって、さらに
岡田の論だけ支持?
おまえは簡単に洗脳されるな。
武士でもそれ以前の貴族社会でも、
要人役人は内部、次は商業や工業が盛んだと
そっちも支配者のそばに。
農民や下っ端は支配者から離れて
野放し。農業が主だし。ゆるいつくりだろ。 >>142-143
> 欧州の奴隷わ以っと劣悪待遇というか給与なんて出無いし解放もされ無いし物扱い
日本だって、戦争で連れ去られたのに親類縁者が身代金を払わなかった場合は
解放されずに人身売買されて、給料も出ずに農奴でしょ?その子供も当然に農奴。
何が違うの? 江戸は城塞都市ではないけど
どうやって城までたどり着いたら良いか判らん作りにはなってるよね
http://i.imgur.com/HnCJ73q.jpg >>133
それはみんな全員になってしまう。
奴隷は、市民のさらに下なんだよ、
ヨーロッパでギリシャでもその後でも。 ウルティマとかウィザードリィとか西洋が舞台となっているRPGには
かならず都市の周りに壁があった
それにならってブラックオニキスやドラクエでもそうなっていたね >>152
人によるとしか
いくら碁盤路つっても同じ建物があるわけじゃなし、個人的には迷う要素は皆無なんだけどなー >>40
これかな
まー異民族だって後の方になると緩い統治を選ぶようになるんだけど 仙台藩領は10〜20キロ内?で
城を配置してあるような >>157
お前は戦国時代の武士かなんかなのかよ
お前の話自体も全部らしいでしか語れないからな?
他人の意見を受け入れられないお前の方がカスだわ
最初から決めつけて議論する事もしない
いくら文献や土地の性質が残ってようが実際の事なんか誰も分からないのだからそうだったんだろうでしか語れない
少しは頭冷やせ >>162
> 奴隷は、市民のさらに下なんだよ
日本だって地主の下に小作が居て、
小作は市民じゃない「下人」だったわけでしょ? 奥に隠れた掛け金ふたつ
ゴーレム皮の鍵ひとつ
クーガの慈悲とフォーガの誇り
お前に命ずる、北門よ大きく開け >>169
オレが言ってるのは今の史学の定説
お前らが言ってるのは低学歴の脳内妄想。
おわかりかな? 城壁城門で分けることで関所にはなるわな
通行税ウマー >>160
給与出す場合が多かったし欧州でいう農奴みたいなものだよ
人格も自由も全く無い欧州の奴隷と違って >>138
大阪城内はそりゃかなり
殺されたとして、そのまわりも。大量
に人住んでたのに、あれ皆殺しは
無理だろ。あそこら延々平野だから >>157
アメリカ開拓史で暴力や規則で労働力縛ろうとして尽く失敗してる例も知らずに
壁程度で労働力確保出来ると勘違いしてる層もいるんやろうが都市機能ってのは利便性含む銭のチカラがメインなんですわw
欧州でもペスト以降人口の回復しなかった城塞都市ってのは基本的に交易で負けてる地域になるハズやね
いったい壁で何が確保出来るんですかねw 城塞都市っていうのは城の周りにいる農民とかを避難させるためにあるんだろ
諸外国はそういう人を巻き込むけど日本は基本巻き込まないからな >>172
横レスだが、具体的には何て本に書いてあるの?
なんか詳しそうだから教えて。 >>166
京都はかつて山城の国と言われてたんやで >>176
お前が言ってるのは低学歴の脳内妄想だけ。バカは黙ってろよチンカス。 >>172
分からねぇから全部語ってくれよ
お前が知ってる史学ってやつを >>157
そもそも城塞都市の成り立ちなんか場所によって違うだろうに
全部労働者の囲い込みの為とかあほだろw
しかもソースは本に書いてあるトンデモ学説のみw
でネトウヨ? あーそっちの人ねwww >>183
お前が言ってるのはバカ丸出しの相対主義なの。
おまえのクソみたいな意見って、要約すると
「お前は実際に見たわけじゃないんだからお前が言ってることが正しいとは限らない」
という小学生レベルの理論にすぎないだろ。馬鹿すぎて反論するレベルに達してない ヨーロッパは村民全員さらって男子は全部兵士にしちゃう国とかあったからなあ >>178
> 農奴わ小作人の下、奴隷わ農奴の更に下
なんかその説明おかしくね?
日本に、小作人・農奴・奴隷が居たのだったら
そういう風に説明できるだろうけど
日本には小作人しか居なかったんだから、小作人=奴隷でもオカシクナイよね?
>>174
> 人格も自由も全く無い欧州の奴隷と違って
日本の小作人だって、地主の財産なんだから自由はないと思うけど。
日本の小作人は欧州の奴隷と違って、どういう自由があったの? >>172
で、万里の長城も人の囲い込みのために作ったの? >>163
いや、ごめんおまえより、
史料の読み方知ってるよ。 >>184
だから成り立ちは色々あるだろうが、結局莫大な費用がかかる城塞の建設を
続ける王権が勝利して、それをしない王権が滅亡していったのは
要するに戦争が起きた時に労働力として囲い込むほうが有利だったからってこと
オマエ馬鹿すぎて相手にならない。知恵遅れネトウヨなんだよ 現在発生中のチョウセン人
ID:sOLoQI+c0 要塞都市は人材囲い込みの為のもの
ID:8PiHoazn0 日本にも奴隷は居た! >>189
日本史、古代のヨーロッパ史、
本当に勉強した?
朝鮮半島なら、特殊で日本と
まったく違うからな。 >>194
ID変わるまで時間ねぇんだから早く教えろよ
長文でも構わんぞ? >>189
いや、おかしい
小作人と農奴と奴隷じゃ制限や拘束度合いが全く異なる
農民の下に小作人、小作人の下が農奴、農奴の下が奴隷
小作人は基本自由、単に辞めたら食いっ逸れて死ぬってだけ >>190
万里の長城が城塞都市か?
もうバカは黙ってろよ。
ちなみに万里の長城も、お前らバカどもは「物理的な防衛施設として作った」
と思ってるだろうが、今の史学の通説では
北方騎馬民族に対して、入ってくるなという意思表示としての意味のほうが大きくて
防衛施設としての意味は少なかったというのが定説 日本は異民族に皆殺しにされる恐れが無かったからってのは根拠のないデマだぞ
うちの遠江の実家は武田の兵に二度焼かれて家人も殺されてる
山に逃げ込んで隠れたから生き延びてられるだけ
何も無い平野で隠れる場所がなかったら多分皆殺しになってる >>201
他人をバカとかネトウヨとしか言えないの?
早く教えてくれよ 城塞都市って程じゃないけど三内丸山遺跡とか吉野ヶ里遺跡には集落全体を囲う柵状があるね 小田原城
朝倉一乗谷遺跡
摂津有岡城
肥前勝尾城
肥前名護屋城
今まで行った城塞都市はこれぐらいかな
中国だと
鄭州や新鄭、開封、楚の郢とか行ったけど >>133
自由がないなら奴隷だっていうなら奴隷でもいいけどね 対馬に昔の大陸風城塞があるだろ
むっちゃ面積広いやつ >>202
そりゃ一時的には逃げるだろうけどまた戻ってくるだろ?
そしたら皆殺し?しないだろ。
しないのは支配するのが目的だから。 >>133
戦国時代は濫妨狼藉やり放題だったのはほんとだけど何も村の働き手全部が全部そうだったわけでもないし
あと奴隷とは言っても実情は下人であって独立も許されれば跡継ぎにすることすらないではなかった
まあ場所によっても違うから一概にどうとは言えないが「奴隷」の意味を狭く捉えたら世界史も日本史もよくわからんことになる >>205
民族間、部族間の争いの意味ではないだろうね
泥棒、とか山賊対策だろう >>202
武田軍はよく放火したらしいな
神社とかも、容赦なく焼いてるってな >>197
> 小作人は地主の財産じゃない
江戸時代よりも前の小作人だと
名子というのが居て人身売買できたりした。
お前らのイメージの小作人はだいぶ後のじゃね? >>14
奥に隠れた掛け金二つ
ゴーレム皮の鍵一つ >>24
テメー俺のゴレムスDisりやがったな!!
ミルドラース単騎撃破も可能な超有能やぞ? なんだ 定説というだけでなんらエビデンス示さない脳内君沸いてるのか >>208
お前が馬鹿すぎて知らないだけ。
例えば、漢代の長城は、実際には都市から離れすぎてて、北方民族が侵攻してきたときに
実際に防衛線として使える場所に存在してなかった。
つまり、匈奴に対する意思表示だったというのがいまの定説
低学歴は黙ってろチンカスども >>202
何でわかる?
うちも士族だが、武田の
時代に焼き殺されたとか、
そんな史料ねーわ。
戦国武将で徳川時代までのこった
相当位高い家とか? >>219
小作人って単語は水のみ百姓の頃から考えるものだし
支配者をとりあえず守護って説明されても困るだろう >>216
村間での闘争が激しく成った時期だよ
矢傷や鋭利な物に因る傷の残る人骨が増えるし >>215
> あと奴隷とは言っても実情は下人であって
> 独立も許されれば跡継ぎにすることすらないではなかった
そんな事を言ったら、ローマの奴隷だって
解放奴隷として独立が許されたり、後継ぎになったりしてるんじゃね?
下人と奴隷は同じじゃん。 >>211
金田城があるな、白村江のあと作られた朝鮮式山城
のちに帝国陸海軍が巨大な野砲をそこに据えた
いっったことあるけど
あと秀吉が清水山に、かなりでかい山城を作っているけど、
どちらも中で市民が生活する感じではなかったな 階層間の連帯感が薄く、城壁で囲い込んでも中の人間を一致団結して防衛戦に当たらせることが難しかったから
豊臣大阪城はそのわかり易い例で、石山大坂城は珍しい例外だった >>224
早く教えろよ
お前が俺に知らないだけとか抜かしたんだから自信満々の長文期待してるんだが?
早くしろよ >>234
具体的に論点を明確にしないで
教えろ教えろと連呼するその低学歴戦法
バカバカしすぎるんだけど。
一体何を教えろって言ってんだよ。低学歴君ww >>217
武田は「乱獲り」の本場やからなあ
ただ人は労働資産でもあるから皆殺しなんて普通はやらない 城塞都市メルキドか
何で覚えてるかと思ってググったら ドラクエだったか >>224
漢代の長城は一定間隔で砦を置いて見張りの役目
北辺に戎卒を大量に張り付けてる
岡田の珍本読んで知ったかぶりとか愚の骨頂 >>231
ただの農業やる人で同じ言語使う
人間の集団だから、ローマ帝国と
一緒にしちゃいけない。 >>229
> 小作人って単語は水のみ百姓の頃から考えるものだし
なんか分からんが小作という用語は江戸時代以降だと言いたい訳?
じゃあそれでもいいけど
日本にも下人・名子というような奴隷階級が居て
人身売買されていた訳でしょ? >>241
戦国時代知ってれば奴隷を売っていたのは知ってると思うぞ
小作人じゃないね 武田家、上杉家は乱取り(奴隷狩り)を多用した一方
今川家、北条家は乱取りの記録が極めて少ない。
あと、信長の軍団でも、光秀と秀吉が乱取りを多用したと言われてるため
後に秀吉が発布したキリシタン禁止令が「奴隷貿易の停止が主眼だった」
という徳富蘇峰の説は今では間違いであろうというのが定説。
これもバカなネトウヨたちは知らないだろうけどなww 山城に城下町はできない
平地に下りて城下町を擁する頃には、戦備えはほぼ不要な時代になってた
城塞都市の白眉といえば、やはりコンスタンティノープルだろうかね >>236
お前は俺になんにも知らないとか言ってるだけだろ?
だから聞いてるんだけど?
逆にお前は何を知ってるんだよ
お前は岡田の本の話を持ち出して語ってるだけなんだろ?
頭がいいつもりなのか?
バカ呼ばわりするなら論じてみろよ >>231
極々一部な上に老廃に成る迄働いた見返りとかそんな話
日本や中国の奴婢わ基本一生固定される訳じゃ無い >>226
位はまあ高いけど当時は武家では無いよ
文書は天保の頃に先祖が伝聞を書いたのが一番古い
石碑は天正の頃のも実家の敷地内にある >>240
> ローマ帝国と一緒にしちゃいけない。
時代も国も違うんだから、全く一緒だとは言わないけど
日本に奴隷的なもんが居なかったというのは、言いすぎじゃねーかな。
そもそも今だって社畜ブラック企業の本場だというのにwww >>249
戦国時代の奴隷は海外に連れていかれた奴とかもあるし、
ややこしいんだが、
現代の奴隷に関しては結構酷い気しかしてないw >>242
欧州で云う処の農奴程度の制限
オマエの主張だと中世西欧の人口の大多数は奴隷 >>246
岡田の本を出してる時点で少なくとも低学歴のお前よりは知ってるだろ。
で、実際にお前は別に何のエビデンスもなく単に脳内妄想語ってるだけじゃん
お前は話しにならんのだよ低能 >>242
> 小作人じゃないね
でも奴隷を買ったら、一定面積の田畑を請け負わせて耕作させるんでしょ?
それを小作と言わず何と言う?www
俺はちょっと思いつかなかったので、小作と説明した。 日本では濠は作れたけど壁は無理だったとかじゃないのかね 丁稚奉公も吉原も現在の人権感からすれば奴隷かもしれないが
それを当時に押し付けるのはナンセンス
売春婦がウリは強制連行されたニダと主張するのと変わらない。 >>251
西洋だとそもそも農民の移動自体制限があったしねえ
領主様がいて、そこを持って奴隷と言われたらそうだとしか言いようがないが、
奴隷というイメージから出るものとは掛け離れてる説明が着いた時点で
もはやどうでもいい 日本の石積みは技術が低くて高く積めないし、斜めじゃないとダメ
欧州の石積みは技術が高くて高く積めるし、垂直もいける >>2
確かに小田原城は城下町のずっと先の川までが要塞だった
秀吉だったか京都も土塁積んで大きく掘ってる
日本は商人の物流を優先したんじゃねえのかな?
城下町を食料庫にする意味でも >>249
ローマ含めて欧州の奴隷って想像するより酷い扱いだから 現代の奴隷って70歳まで年間240日も働かされるんだろ
なんのために生きてるんだろうな >>251
> オマエの主張だと中世西欧の人口の大多数は奴隷
ま、ぶっちゃけそうなんじゃね。
ギリシャのポリスだって市民様は少数で、他はみんな奴隷だった訳でしょ。
現代の日本だって中小企業が9割じゃん。 >>252
マウンティングに必死ですね
早くしろよ >>227
大野城
基い城
鞠池城
金田城
鬼が城
は行ったことあるな >>248
大学とかに博物館に
寄付しないでいるのか?
しかも、その家は現代に至るまで、
家系維持出来るほど?
なんか寺社ならともかく不思議だが、
大切に知ります石碑だのは守れや >>259
ヨーロッパの奴隷制が日本の奴隷制よりきつかったと言ってしまうのは低学歴ネトウヨらしい意見だな。
ローマ一つ取ったって、酷かったのは共和制ローマ後期であり、初期の奴隷制はゆるゆる。
オマエ馬鹿なんだから黙ってろよ わざわざ分類するために言葉が別れてるのに一括して
全部奴隷扱いは、マジで植民の問題そのものだがな
社畜も奴隷って呼べばええ >>265
前期ローマは、お金もちの奴隷とか出てくるな
主人が身分を開放した解放奴隷とかの話はあるね 日本の土壌は西洋や中国と比べて比較的豊かだったこと
平野が狭く山間部が多かったため広大な耕作地が確保できなかったこと
この2つの理由から、拠点となる城は政治の拠点とはなっても衣食住(とくに食)の拠点とはなり得なかった
この為、日本には小規模な砦や出城は無数にあるが、大規模な城塞都市を作る必要がなかった
もっとも、必要があるところには城塞都市的なものはあったし(大宰府等)、地理的な問題で結果的に城塞都市になった(一乗谷等)ところはある 変なこと言ってる神奈川がいるな。
壁が労働力を囲い込むものとか、いくら本で読んだからってもう少し疑問に思ったほうが良いのでは。
一度でいいから刑務所に行って壁の強さを肌で感じて来いよ。あの上に兵士が槍と弓を持って立っていたら攻撃は自殺行為だと分かるから。
無敵のスパルタ人もアテネ市の壁相手には勝てなかったんだぜ。アテネ海軍が壊滅して海上からの補給が不可能になるまで戦い続けた。 >>194
ただの安全な倉庫の拡張とちゃうのんw
労働力確保の軍事目的のみで建てられたら籠城なんてせずに平地決戦しかしなさそうだが籠城戦が阿呆ほどある上に
全世界城塞都市全盛期にモン帝相手にどこもかしこも籠城かましてフルボッコとかつくった側が目的忘れてたとかあり得る訳ないじゃんw
まあ、平地決戦でも当然フルボッコやが
手段と目的と効用を勝手に履き違えて覚えたり理解したりと勘違いしとるんじゃないだろうかw >>72
なんで韓国入れてんだ?
朝鮮人は自分の体にウンコを塗りたくって外敵を萎えさせるという
自爆テロを編み出した世界で唯一の国やぞ >>266
> わざわざ分類するために言葉が別れてるのに一括して
じゃあ奴隷を奴隷と呼んでよい条件を提示してよ。
下人がその条件に該当するか・しないかを検討すれば
世界的な基準で見て、下人が奴隷なのか・そうでないのかを判断できるんじゃね。 ローマの奴隷は労働者って感じだわなあ
書物を声だして読む奴隷とか相当待遇よかっただろう
まあ奴隷なんだけど >>66
ほーん
そういえば日本の戦国末期以降の平城は鉄砲の運用が主眼に置かれてたけど
設計が輸入モノの五稜郭までは砲が運用される前提にはなってなかったやね、なるほど 応仁の乱後に秀吉がつくった御土居がそれではなかろうか 江戸の橋を車(牛車とか人力車ね)が通れないようにしてあるのは侵攻を遅らせる防御の役目 >>273
韓国の水原の華城は、5キロ四方ぐらい、
石積みで高い塀に囲まれてて、立派なもんだったお あんまり石がなかったからじゃない?
木だと燃やされてお仕舞いだろ 奴隷制はそもそもカネがかかって効率が悪い。
当たり前だが奴隷は労働意欲が最低だから
大規模プランテーションとか、鉱山とか、大規模資本を抱えた
富裕層がでないと、奴隷を大量に抱える社会にはならない
近代のアメリカもそうだ。
古代ローマも大農場主や鉱山主が出てきて初めて奴隷制が
厳しいものになっていった
日本は昔から奴隷制があったし、それが大きくならなかったのは
単に大資本がなかったからに過ぎない。それだけ。
どうしても日本人が人道的ということにしたいバカなネトウヨがたくさんいるようだが たぶんだけど、逃げ道がないように思えたんじゃないの >>269
インカ帝国の石積み壁は
大地震で西洋建築が尽く崩れても
びくともせんかったんやで 日本に城塞都市が(あんまり)できなかった理由は小領主が多かったからで説明できるんじゃね?
戦国大名クラスになると、立派な城塞都市作ってるじゃん。城はでかく広くしたほうが強いに決まってるので、大名が強くなれば城もどんどん大きくなる。 >>274
どうも江戸時代の下人がよくわからんのでなんとも
ただ、それこそ賎民とかは奴隷で差し支えないだろうし
その後の時代においても奴隷であったことは否定しないわな
定義は難しいね 小田原の総構えを連想する人多いけど
堺とか尾山御坊、石山本願寺あたりも城塞都市カテゴリな気がするのよん >>272
「城塞」と「城砦」の区別もつかない、中世史の基礎も知らないバカは黙ってろよ。
中世ヨーロッパ見たって「城砦」のほうが圧倒的に防御力が大きくて
城塞都市の防御力は弱いんだよ。
ちなみに「城砦」ていうのは日本の山城と同じく、軍人だけがこもる純粋防御の城のことな。
おまえの珍説見てる限り、両方あったということも知らないらしいから
話しにならんな馬鹿すぎてww >>282
投石機(カタパルト)みたいなものはあったらしいぜ よ〜ー知らんが、ガンガン異民族が侵入するような地域じゃなかったからじゃね >>291
>城塞都市の防御力は弱いんだよ
ローマ「そうだよ」
ラベンナ、コンスタンチノープル「せやろか?」
そう断言できるものでもないでしょ。 と言うか、城塞都市って必要?
必要な方がおかしいんじゃない? >>295
「城砦」と比べれば城塞都市は圧倒的に弱い。
と言う話をしてるんだが日本語も読めないバカは出てくんな 戦国時代になったら土塁に堀で囲ってたろ
石じゃないのは費用がかかるからに決まってる もし城塞都市が不必要ならこの世に城壁は生まれなかったかもしれない >>288
> 定義は難しいね
たしかに難しいね。俺もさっぱり思いつかん。
ただまあ諸外国と比べると、一応は日本人同士だから
ひらがなを紙に書けば身代金の交渉ができて、
なんとか穏便に解決できたという点は大きんじゃないかな。
そういう点で諸外国よりも、日本の方がマシだったというのなら
それはそうかもしれん。 >>90
敵の女性が良いところで働いてたりするんだよな
珍しいんじゃない?日本 >>300
ヨーロッパの戦争のほうが、捕虜になった時に基本的に金銭解決なんだが。
日本で捕虜になって金銭解決とか圧倒的に少ないでしょ。
だから、「生きて虜囚の辱めを受けず」なんてバカな思想が出てくるんだけど。 >>291
モン帝が攻略してったのは普通に城塞都市なんやが…w
欧州の城塞都市だと中心部の元になった部分ってのは基本的に倉庫、目的なら市民階級へのその拡張で見ればいーんじゃん
少なくとも史実に合ってない目的と効能のごちゃ混ぜで人をバカにするよりはマシやろうw 戦国時代の奴隷は農奴じゃなくて南蛮に売られるんだぜ
硝石1樽を奴隷50人と交換してた >>300
敢えて日本の違いを言うと、諸外国に比べて下々まで賢すぎるのよ
だから、現代人にはなかなか考えつかない理不尽さが、
戦国時代まで戻る程度ではすこしの違和感ですんじゃうんだわな
江戸時代なんかいわゆる農民が読み書きそろばんを学んで、
行政は立て看板に告知文章張り出すとか、意外と普通じゃないからねえ
そんな奴らにそれこそ人非人な行為はなかなかという面はある
だが、アイヌ人相手には(ry 日本の場合、合戦で近所の農民が弁当食いながら観戦して
試合終了後に負けたほうの落ち武者狩りまでしてたっていうし
城塞都市とかいらんだろ >>304
中世ヨーロッパの地中海沿岸だと、イスラームに平民がさらわれて
アフリカに連れてかれたけど、篤志の団体が平民でも金銭で買い戻したりしてるね 乱取りってのがあったんでしょ?人狩りして売るか奴隷にするそうだけど >>306
馬鹿かおまえ。対モンゴルが城塞に対する攻城戦だけで
城砦戦も野戦もなかったと本気で思ってんのかバカ。 >>297
煽りにしたって流石にコンスタンティノープル出されてその比喩はいかんでしょw 奈良県の天理市って、あれもう城塞都市だろ
15年前に仕事で行ったが街の中心が天理教の建物で囲まれてた >>1
なんで便所盗撮サイト乱立してるヌケサクシナチ●ン犯罪者のスレタテが日本の歴史を語ってんだ 小仏峠とか見てみろ。あれ、昔の甲州街道だけどほとんど登山道だぞ。
日本の古来の道路は五街道も含めておおむねあんな感じ。
東海自然歩道みたいなところを旅してた。
あんなところを、寄せ手がバリスタやら破城槌やら青銅砲やら持って運べるのかって話。
そう言うもので攻撃される心配が無い以上、必要なかった。 >>259
ローマ帝国は鉱山奴隷は即死だけど家内奴隷は召使程度
農場奴隷はその中間だったみたい
なお女奴隷を孕ませるのは主人の権利 日本の場合は大名とか領主の上にミカドがいたから
虐殺とか変な事して勝っても討伐されるの >>297
砦が都市に比べて強い、せやろか。
春日山城や月山富田城は大阪城より強いと言えるか。
「砦に比べて弱っちい城塞都市をわざわざ作ったのは、労働力を囲い込むため」という主張だろうが説得力がないな。
コンスタンチノープルっていう無敵の要塞都市を作ったローマ軍が砦を作らなかったわけじゃ無いし。 1571年に神聖ローマ帝国皇帝カール五世の孫の
ポルトガルアビィス朝セバスチャン一世が
これ以上日本から奴隷を買うなという府令を出している >>322
九州あたりから住民が奴隷として売られまくってて秀吉が激怒したんだっけか >>311
信長秀吉の一銭斬り、兵の乱暴狼藉禁止ての考えると
逆説的に乱暴狼藉があったと言える
つってもさらに逆に、禁止が通用する程度しか乱捕りはなかったとも言える コンスタは対トルコの最前線だしどんどんフルアーマー化される
城砦もピンキリで、ベースキャンプみたいなんもあるよね >>324
それはこの府令よりももっと後ね
それより前から日本の戦国大名は敵国の民を奴隷で売りまくってて
東南アジアから欧州までたくさん日本人奴隷が繋がれていた
日本は奴隷輸出大国だった当時は 戦国時代以前→外敵の侵入がないから必要ない
戦国時代→小国分立でコスパ悪いから作らない
戦国時代以降→外敵の侵入がないから必要ない
こういうことじゃね? >>313
ワイが言ってるのは城塞都市の全盛期にお前の言ってる目的とやらに沿って城塞都市群の多くが肝心の運用をされてない事で
野戦が全くないとは書いてないつもりやがw
平野における城塞都市の目的は普通に考えれば概念的な倉庫の拡張と「副次的」な効能であって
単純な労働力の確保についてはその拡張性の低さからむしろペストの人口回復から立ち遅れてるわ中世末期になると交易都市に大きく差をつけられとるわでちょつと矛盾してねと指摘してる訳やがw >>318
渋滞で有名なあの「小仏トンネル」の小仏? 未だに戦国時代に略奪は少なかったとか考えてる奴もいるんだな
付近の農民は関係ないから弁当持って眺めてる?アッハッハ >>325
いや濫妨狼藉は戦国期は一大産業だったよ
特に有名なのが薩摩・上杉・武田
信長秀吉の禁止が効果あったってのはまず信長がある程度他国の制圧を完了しちゃったのと
戦の時の大規模動員が増えてきて小規模略奪とかやってらんなくなったとかそういう事情が大きいんじゃないかな >>320
> 虐殺とか変な事して勝っても討伐されるの
そんな訳ねーだろ。
天皇が動かせる軍隊が居たのって、
せいぜい平安時代までと南北朝の頃だけでしょ。
>>325
> 逆説的に乱暴狼藉があったと言える
乱暴狼藉は普通にあったから、村々は制札ってのを購入して
乱暴狼藉を防いでいたんだよ。
別に逆説で証明しなくても、その位は常識。 京都ってぐるっと囲まれてるって
ぶらタモリで観た記憶が >>291
中世西欧なんてそこそこ有力な領主でも手勢数人とか十数人とか
そんなレベルだからね、城塞なんて守れるだけの人手が無い >>319
その召使いが制限度合いや不自由さからして日本の奴婢や西欧の農奴程度 >>328
時代区分は変だけど一理ある
コンスタンチノープル攻略時のオスマントルコ軍は20万人
秀吉の小田原攻めと同じ規模
そういう戦争を想定するのが城塞都市
戦国時代日本みたいな攻め手が二万人程度なら
山城でも完全包囲無理で間すり抜けて逃げられてしまう >>311
戦国期わ酷いもんだよ
奴隷その物な存在も多数有ったし >>335
塀で囲って武装してたけど、城塞都市とは呼べないんですかね
wikipedia見ると「環濠都市」なんて書かれてますね
防衛設備が違うから呼び方も違う的なもんなんでしょうか >>338
本気の内戦じゃなく兵同士だけの殺し合いだからだよw
お前の故国と違うんだよ >>329
馬鹿かおまえ。中国やヨーロッパの王権だと城塞がなかったら、戦争が起きたら住人に逃げられて
継戦能力もなくなるという話をしてんだけどそれすら理解できてないのか >>336
ヨーロッパ史上の大事件
ワールシュタットの戦いで2万程度とかしょっぱすぎるよな… >>336
中世ヨーロッパは、農村を実行支配してるのは教会なんですよね
封建領主は徴税権があるだけで裁判権すら無い。
だから戦争が起きたら領主のことなど構いもせず農民は逃げるだけ。
で、軍人だけで戦争なんて出来ないから、城塞都市を作って
都市住民を囲い込んでいるわけです。 未収穫の作物荒らして城内からの出兵を促す青田刈りとか戦術として定着してたように思うの
継戦能力の確保の為に食料生産まで防衛しようって発想は当然アリだよね、城内に井戸やら水源を確保するのと同じ発想 >>332
民衆への周知が立て札と口コミの時代に
兵の収奪が文化的な風習になって軍事行動の基盤化してたら
そんなもんで止められるわけもない
戦国時代に焦土戦術が効果的に使われてたってな話も聞かんしね >>330
あの上の山を越えて古い時代の街道が残ってる
他のトンネルもトンネル手前の横道から江戸時代以前の道に入れたりする だから土塁に堀で囲ってたっての
>>346
畑まで囲えるわけないじゃん >>350
畑まで囲ってる城塞都市はなかったわけじゃないよ。
かと言って住民全員の食料が賄えるほど大きな田畑があったわけじゃないけど。 >>333
だから制度的に札を使って防げる程度にしかなかったんでしょ?
他所の国みたいに報酬や行軍の食糧補給のあてにしてたら
お札で済むわけないでしょ。
札が金になるわけでもメシになるわけでもないんだし >>48
殿様は御殿みたいなとこに住んでるんじゃないの?
攻められたときだけ殿様天守に突っ込んで防衛するだけで普段は中身ほぼ空っぽなんじゃ >>352
札貰ってても普通に略奪されてるケースも有るけどね
札わ略奪に来た自軍の兵隊を撃退しても罪に問わ無いってだけだし
まあ日本は数日歩けば戦争始まるし >>354
抑々中世の西欧に都市と呼べる様な存在が殆ど無かったしね
大半は近世以降に形成された町 京都ですら秀吉が土塁で囲ってたってブラタモリで言ってた >>345
フランス人がパリを壁で囲んだのは、住民を逃がさないためじゃなく、壁を防衛線にしてパリを落とされたくないからでしょ。 >>352
織田家ですら、すべての戦争で乱妨禁止してたわけじゃないんだが
というか乱妨はあって当たり前。特定の地域や特定の期間のみ
それをやってはいけないという禁札が出るだけ。
織田家も例外じゃない。おまえ何にも知らないな >>352
あの札は今で言えば「ここは○○組のシマやから手ェ出したら痛い目見るど」っつう宣言で
法令の周知じゃないぞ >>358
壁に防御機能がなかったなんて話はしてない。馬鹿かおまえ。
純粋に敵から防御するだけなら日本のように
軍人だけが「城砦」にこもればよいだけ。
ヨーロッパや中国で大規模な「城塞」が作られたのは
戦争時の労働力確保が主目的であって、市民を守るためでもなんでもないという話をしてる 強姦は頻繁にあったが、それは文化的なものでもあったから特に気にしなかった。
農家や住民は荒らされることがなかった。 >>364
中世西欧の城塞都市なんて各国1つ〜数箇所だけ >>364
いやだから、それだとパリの防衛にならないじゃん。
パリから離れた山奥に砦を作って籠っても、パリ落とされておしまい。 >>355
そら町民まで徒党組んでて丁稚がボコられたからって
総出で出入りになったりしてたとか聞く程だからね
当時は農民が武装してて領主が一揆でぶっ殺される時代やで >>343
指摘された矛盾解決の話もせずに欧州民と中国民は直ぐに移動して生計を建てられる牧畜民かなんかだと思ってる所は指摘してええんか…www
しかも結局それだと防衛設備で正しいんやんけw >>367
馬鹿かおまえ。「パリ落とされておしまい」になるヨーロッパの王権と
「京都落とされても城砦さえ平気なら大丈夫」という日本の統治機構の違いについて言ってるんだが >>363
織田さんとか羽柴さんはちょっとキチってたからなぁ
それでも例えば関ヶ原とかちゃんと戦のために場所作ってやってたし エンクロージャー……は関係ありそうで全く関係ないっすねメェェ >>370
100年戦争でフランス王権はパリ落とされてもおしまいにはならなかったし、京都は壁で囲まれた城塞都市だよ?
パリ自体を守りたいから壁をつくったのでしょ? >>369
おまえ城塞の中で農民が生計立ててたと思ってんの?
中世史の基礎も知らないバカだってよく分かるな >>373
京都が城塞として機能したことなどなどありません。京都が防戦に役立たないから
京都に政権持った権力者は、戦争が起きると、比叡山にこもったり
宇治瀬田に出兵して防衛線を引くんです
知恵遅れはどっかに行け >>14
そそのかされてラブ―リミガメって言ってしまうと加護がなくなって死ぬんだっけ >>375
パリの壁は檻じゃなくて防衛が目的で作ったんでしょ。 京都が城塞都市とか言ってる時点で知恵遅れなんだよなあ。
そりゃ、モデルになってる中国の都市が城塞都市なだけで
実際の京都は防衛力なんて皆無なんだが。
こんなのは日本史の基礎中の基礎だぞ、 >>359
禁止にされたから全然なかったなんて言ってませんが?
一銭でも奪ったら斬っちゃうよ?て通達出しても行軍が成り立ってたって話 >>378
壁で囲むのは住民の逃走を防ぐため、というのが城塞都市じゃなかったのかw >>380
京都には住民の逃走を防ぐだけの壁もないですがなにかwww >>374
自分自身で何か整理できてないみたいやが脳内混線でもしてるのかな?
部分肯定と部分否定が上手く行ってなさそうやが…
結局農民は生活あるから土地から逃げ出せないでFA
定住民に倉庫機能が必要なのもFA
戦時に防衛機能も必要なのもFA
皆目何を否定したいのかサッパリ見えてこんがw
戦時に労働力が確保出来るからあ!とかいう目的でないと否定しなきゃならんお前の思考が皆目解らん
で、その目的のみなら何でモン帝対決の時に城塞都市群は態々難民を都市に収容して籠城で自滅しとるんや?答えてみ? 日本の場合は街を丸ごと塀で囲まないかわりに周囲に山城や小城がたくさんあってそこに守備隊置いてたろ
線で囲むんじゃなくて点で囲んで都市が攻撃されたら後ろを突く構えを見せることで容易に攻めさせないっていう選択
だから大都市を攻める時は小城をちまちま潰してかないといけないんじゃん >>375
最近の研究だと京都は戦国時代は城塞都市だった論があるよ
河内 将芳『信長が見た戦国京都−城塞に囲まれた異貌の都』2010 洋泉社 歴史新書 >>384
おまえが馬鹿だから基本を理解してないだけ
というか、とりあえずやり取りですでに
おまえが岡田英弘を読んでないことがわかるし
読んでいて「あいつの言うことは間違っている」というならともかく
「岡田読んでない」は通用しないレベルの大家であるわけで
おまえが基礎も理解してないバカだということは決定している >>382
寺内町わ大抵城塞都市だぞ
粉河寺とか雑賀寺とか本願寺とか 京の場合は篭って守るとか、戦略的な使い方はなかなか見えてこないね
人の出入りをコントロールするには役に立っただろうが 今までは必要なかったけどこれからは大陸から本州四国北海道への不法侵入を防ぐために
下関辺りに壁を作る必要が出てきたね >>391
だからパリの壁が防衛施設でないなどと一言も言ってないのだがバカですかおまえ。
反論できなくなると主題をすり替えるのは典型的な低学歴戦法だなww >>395
お前によると住民の逃亡を防ぐには十分な平安京くらいの壁では城塞都市に当たらないそうだから、住民の逃亡を防ぐための檻じゃなく、防衛線でしょ? AOE2HDをCPU非常に難しい(ユニット500)でやってるんだが勝てないんだ
強化壁が瞬時に壊される
城塞都市じゃダメなんかなぁ 京都はそもそもが防衛目的じゃなくて、模倣で作った物やし
出発点がそれなもんだから
いざ現実的に使えるモノに改造しようとしても、設計が古すぎてどうにもならなかった可能性が >>396
そもそも住民の出入りすら監視できてないのに牢獄もクソもないだろバーカ >>399
いや、平安京くらいの壁でも兵を配置して監視すれば逃走を防ぐには十分でしょ。
逆にパリくらいの壁でも兵を配置しなければはしごをかけて逃亡され放題。やぱりパリの壁は住民を閉じ込める檻じゃなくて、防衛線なんでしょ。 >>400
言継卿記によれば戦国時代なんかは
皇居ですら平気で乞食が入り込んでいたとされるされるがそんな時代に
京都全体の出入りを監視する機構が成立していたとは斬新な説だなww
京都が世界基準で言う城塞都市になっていて
中国の都市に匹敵するような監視機構があったというなら
別に戦国時代じゃなくてもいいから教えてくれよ。
脳内妄想はうんざり つか日本の場合、武士が農地と農民を奪い合ってたわけでしょ?
侵略側も財産になる農民アホみたいに減らすようなマネはせんから
城塞都市なんて大層なもんおったてる必要かなっただけでしょ >>403
いやだから、それは兵を配置して監視してないからに過ぎないでしょ。 >>405
だから兵をきちんと京都の周りに配置してて、
出入りを監視できていた時代があるのか?
城塞都市っていうのはそういうことだぞ >>407
お前はいったい何を言ってるんだ。逃亡を防ぐには十分な壁があるのだから、戦時になればそうなるんでしょ?
壁の役割は防衛線じゃなく逃亡を防ぐものなのだから。 環濠集落とかならあるけどな
濠そのものは残ってないけど今井町とかは町並みがすごい残ってる 日本の城郭の歴史にあまり詳しくないけどこういうの比較したら面白そう
西洋中世だとローマ時代の駐屯地跡が政治中枢になってそこと修道院の間に道ができてその周りに職人が集まって町になってさらにその周りに商人集住地ができてみたいなのを繰り返していって最終的に囲郭化されて城塞都市化したみたいなのはあったみたいだけど >>409
だからそうなってないだろ。そもそも下京のあたりは出入り自由な完全スラムなんだから
牢獄としても成立してないんだよ
バカは黙ってろチンカス >>412
平安京程度の壁でも住民を閉じ込める檻にすることは可能でしょ。
京都はお前の定義する城塞都市じゃないか、そのような利用がされなかっただけで。
それともやっぱりパリの壁は防衛線なのかな。 人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵ですよみなさん
(敵国の村を焼き討ちして乱取り撫で切りしないとは言ってない) >>126
場所によっては商人主導で囲郭化されてたりするよ 城下町は町割りや用水路も戦時に役立つよう設計されている
城壁の外側でもちゃんと城の一部になっている 吉原みたいな遊び場でも隔離されて逃げられないなら
あながち間違いではないかもな 秀吉が築いた洛中洛外を分かつ「御土居」は正にそうじゃないのか? 異民族がどこから来るかわからない大陸と日本では環境が違うからで終わりだろ >>301
んなこたーない
英仏戦争の最中なんか、とっ捕まった貴族が小説出版して敵国側でベストセラーになったりしてるぞ >>423
まぁ西洋は侵略されると食料を略奪で現地調達されるから
ある程度土地ごと壁で囲っておかないと、防衛できても食い物なくなって詰む
て事じゃないかと >>428
南北朝の戦いのときは東海道を何度も大軍が通過するので
街道沿いの村々は略奪し尽くされてほぼ壊滅したんだぜ ヨーロッパの城塞都市はペストやら疫病から領民を守るためじゃね〜の?
オマイラ、マスターキートン読め >>429
それが定着してりゃ日本にも城塞型の防衛網構築されとるでしょw
何らかが無い理由は、必要が無いから無い、と考えるのは当然
牛車はあったのに馬車がなかった理由なんかと違うんだからw >>432
お上に市民を守るという思想が根本的にないからだよ
今の行政見ててわかんないのかよ😧 意思疎通出来ない異民族と戦うのと、同じ民族のヤクザ同士の戦いじゃ必要な物が色々変わるわな >>433
当時農民が武装してたって事は、そんだけ自治の必要があったって事だからね
つまり農民に自治権があったっては分かるよ? 城下町あるところ全部城塞都市
無かったのは城壁都市 >>402
松坂はそういう構造になってて
お城までたどり着けずに引き返したとか見たな ホワイトランみたいなやつか
獣対策としても安全ちゃ安全やわね
ファルクリースやリバーウッドはオオカミや熊も入り放題 大阪城がそうだったんじゃないの?
塀じゃなくて掘だし、埋められたけど。 三方を堀で囲み鉄砲大砲で初期信長の侵入を拒んだ自由都市堺があったやろ
当時のベネチア ベニスと並び称された大都市 >>449
大坂城の前にあった、石山本願寺が城塞都市で、多くの門徒が中に住んでいたらしいね
ただ、今あるのは徳川によって作られたやつだから、どんな形してたのかよくわからない
徳川の大坂城は鉄砲の時代の縄張りなので、うえから見てすっとントンのあんな感じだけども、
中世の石山本願寺なら、おそらく高い壁と区画を分けて、
ワクワクするような要害にしてたんじゃないかと思うんだが >>450
灯台や協会がありグラスで洋酒を嗜み町民は平等街の自治は10数名の代表の話し合いで決め鉄砲弾薬を一手に握り
貿易船での大航海時代、莫大な富を築き人々は黄金の日々の中暮らしてたと宣教師の記録に残ってる位の要塞都市 >>454
秀吉は本願寺を土台にし堺商人に城の周りへの移転を促し
かなりの安上がりで大阪城を作ったらしいな
そしてスペインなどとも渡り合ってきた商人に強引に海外貿易を規制した
秀吉が支配しなければ世界の最先端を走れてたのにね >>455
レンガがあるだろ。日本にレンガが使われたのは平安京、平城京の頃からで床材として使われたが、そもそもレンガは保水性がいいため室内の湿度が上がりカビができやすくなったので使われなくなった。 >>455
火山岩ばっかりや
豊富な石灰岩があれば石積み建築が発達したかもしれんが
さすが火山列島 後北条氏の居城小田原城は城塞都市
山城は防衛ラインの外に職人やら商人が住んでたので火攻めで焼け野原
織豊時代以降は防衛ラインの内に職人・商人・農民が住んでてある意味城塞都市 日本は天然の要塞だからな。ヨーロッパみたいにだだ広い平原が続くわけではない。
信長も清須周辺の地形は知り尽くしてたそうだがな。 >>411
>西洋中世だとローマ時代の駐屯地跡が政治中枢になってそこと修道院の間に道ができてその周りに職人が集まって町になってさらにその周りに
>商人集住地ができてみたいなのを繰り返していって最終的に囲郭化されて城塞都市化したみたいなのはあったみたいだけど
ヨーロッパの都市の中心は教会だからな
なぜか領主の城だと勘違いしてる人多いけど
城と市壁が一体化しているような都市はヨーロッパでも限られているし
恒常的に略奪にさらされたとか、交通の要地とか理由がある 統治者が変わっても民衆にはあまり関係なかったんだろ 大陸国家じゃないし
だだっ広い平地広がってない、国土は山地ばっかりだし
都市ごと城塞にしてしまう発想が生まれる余地は無いわ 防壁なんか作ったり、強い武器を集めたりすれば、魔物の奴らに目を付けられて攻め滅ぼされるんだぜ >>462
伯や公の居城がある場合は市壁とは別に堀と壁で囲われてるパターン多いしね 欧州の城塞都市に夢を見すぎだ
規模的には日本のいわゆる「城」くらいの面積しかないし、ただの石積が多くて震度4で壊滅
小田原や姫路レベルのものは欧州にもなかなかなくて、ただ町人を中に入れたか外に出してたかの違いしかない >>473
逆にヨーロッパの感覚で日本つか東アジア見ると
人口に対してやたらと多数が都市に住んでると感じるわな
食料生産に余裕があるからこそ成立するわけだが 大阪城のデカさは異常
当時の秀吉の権力が如何に強大だったのか分かる 古代の環濠集落って実質城塞都市じゃない。
戦国時代はなぜ亡くなったんだろう。 応仁の乱なんて、外から攻められたんじゃなくて、都の真ん中で合戦が始まってしまったものな そりゃ農耕民族だもん。しかも水田メイン。広い土地無いと食っていけん。 島国イギリスでは隣国から攻められることが殆どなかったからカントリーハウス(でかい洋館)が発展、
他ヨーロッパだと多かったから防備のため城が発展したらしいな
イギリスと似た感じなんじゃない 戦国時代には城砦が必要な世だったから、秀吉が京都をかなり城塞都市に改造したけどね 信長の本能寺、秀吉の御土居、聚楽第、関白屋敷(京都新城)、家康の二条城、時代の要請があれば城砦を築いた 平安京も名前だけは都城だった
桓武天皇が山背国を山城国に変えさせた >>389
>>418
頭悪いからよう解らんけどつまり倉庫の延長って事で良いのかな?(イケメンスマイル) >>486
ヨーロッパに関してはその説明で割と正解〉倉庫の延長
略奪するに足る物資が集積されてるのが都市だから襲うし
守りたいだけ豊かだから囲う
逆に貧しい農村なんか襲っても豚くらいしか奪うものがない
それでも略奪されて餓死者続出するが >>56
戦国時代なら囲って守られると逆に皆殺しにしたくなったかもよ? 城塞都市は脆い
あれは市民を殺されたりさらわれる前提の異民族や異国民対策 日本は戦が始まると住民は他地域に逃げ出すけど
ヨーロッパは逃げ出す場所がなさそうだから城壁で守ってもらったんじゃねーの 本城と支城の防衛システムになったのはやっぱり一国が狭いのと国土の大半が山だからじゃないかね
馬で一日かかるような距離だったら連携が効かなくてできないけど狼煙も見えて馬で半刻っていう距離感なら連携余裕でしょ 一応、日本にも民衆用の避難場所とか砦はある所もある
ただまあ、日本はあくまで帝や将軍家の元に争ってるスタイルなんで、軍民分割で対応することも多かった
あとは農耕民族なんでそんなに広いスペース城塞に出来んし、民間家屋は木製平屋なんでそんな重要でもない
軍民連携でガチ抵抗する場合もあってその例が真田パパ >>500
城塞都市って農耕民のものなんだが?
壁で囲われた街の周りが農地 >>412
口の悪い奴だな
研究者の端くれなんだろうが人望無さそうだな 今頃核シェルター掘るとかどうでもいいから
全国にAC4のメガリス規模の城塞にイージスアシュアとレールガン配備しろ
後、戦闘機が侵入可能なトンネルと中枢に核動力か核弾頭も忘れるな 面白いテーマだな。
ぼんやりとだけど、西欧の封建制と日本の封建制の違いなのかも。日本は仕える相手を
変えるってのはよほどのことだけど、西欧だとわりとあっさり変える。でも変えるにはそれなりに
守りとか備えないといけないから、という仮説はどうだろう。 中世以前の領土意識は城塞都市を起点とする点と線。
それ以降に面の概念になった。 憲法9条があれば攻めてくる人はいないし
ハーグ陸戦条約25条無防備都市を宣言すれば
戦争は避けられるんですよ大名さん >>8
逆だろ、普通
>>90
一応トコトンまで無茶しないだろうっていう理解が働くんだよな
宗教違ったり人種違ったりすると、際限なく無茶する、される可能性があるから守らにゃならん
それこそ進撃の巨人みたいに喰われるかもしれんしな >>17
城下町はその名の通り、城の下、であって中じゃない
大陸やヨーロッパは町を含めて城の中 >>1
戦争で皆殺しにするような民族がいなかったのだろう 平地が少ないからと天皇の元の臣下という形式から外れた蛮族集団は内地にはほぼ居なかったし
日本全体の人口がそれほど居なかったのと資源と労力の無駄をできるほどの資源的金銭的余裕もなかったからかな 基本戦争で民間人を殺すような連中がいなかったから
武士同士で戦って、大将の首をとれば戦争は終わり
武士だけで戦うなら城だけで十分。
街にいる民間人を殺すような非道な行為をよしとはしなかったからだろうな。 日本だって乱暴取りだっけか
敵国の民間人をさらって奴隷にしたり自国住民に取り込んだりしてたやん >>1
日本は単一民族だから無駄に民を虐殺する事がないからだよ >>516
「全犯罪者の中にボランティア活動したことある人もいる」みたいな話? >>517
戦国時代に「大和民族」みたいな意識はあったんだろうか? 熊襲とかアイヌとか、
それなりに「違う」って思ってたとしても不思議じゃない気がする。 日本は民間人が殺されなかったとか言う奴大丈夫か?
江戸っ子大虐殺があるだろうw >>508
おい無防備マン、生きてたのかw
ハーグのそれは無抵抗で占領を受け入れるって事であり戦争を避けるための項目じゃないんだぜ。
それにハーグ以前も無抵抗で占領を受け入れた街では殺戮はしない、という紳士協定は存在していて、あのモンゴル軍ですらも臨安が無血開城したときは守った。 日本は天皇を頂点とした権力者の権力争いが主な戦だから、
民は全員が基本的に臣民。
城壁で守る必要があるのは、権力者一派。 >>519
あったっぽいよ
見た目変わらないし風習も言葉も通じないレベルじゃないし
ホロコーストがないので城砦都市にする必要がなかったので
もちろん小規模な虐殺はあっても陸続きの海外とは諸事情が違うね 藩=国 って認識も江戸以降の太平の世で産まれた感覚だしね
一般人を巻き込むような京都大火を目論んだりやそう言ったのはあっても
陸続きの海外みたいに多民族を虐殺なんて大それたのはない
ようは巻き込む事はあってもそれを目的とした殺戮は小競り合いくらいしかないんだよ
>>523の言うように日本人は同じ民族で臣民だったんだよ ロマンで戦ってたから戦争にもルールがあって街ごと守る必要なかった
そういうのなかった古代には城塞都市だらけだよ >>520
>江戸っ子大虐殺
江戸っ子狩りだろ。
刀狩りを刀大虐殺とかいうようなものだな。
南京事件を、南京大虐殺と言ってみたり、
支那事変を、日中戦争と言ってみたり、
そんなことをしても、日本人は城塞都市をもたなかったように、
そもそも日本人は、
虐殺をしたり、無辜の民を殺したりする民族じゃないんだよ。 もうすでに国家としてはある程度、確立していて、その中で武士同士が勝手に権力争いしてただけなんだろ。 広大な平原がないから大城塞築かなくても周囲の地形が城塞だった ヨーロッパって他国の侵略以上に疫病の問題があって
それを封じる為に城が進化してったんだろ つか市壁と城壁って基本別物だから
両方が一体化してる都市もヨーロッパには一部あるってだけで 進撃の巨人見て憧れちゃったのかな
白人コンプって建築物からも発症しちゃうよね つまり城のかたちが違うんじゃなくて、
都市のありかたが違う 地形が起伏に富んでるから城塞都市にする必要もないし、金もかかる。 >>321
石山が長年籠城できたのは毛利からの水上補給ありきだし
そういう意味では山城だとそういう補給が難しかった
>>327
明治時代も広島や山口から移民が大量に海外に赴いて外貨を日本に送金しているけど
一部は奴隷同然の扱いで苦労してる >>537
欧州は領主が城壁を作り、安全を保証するから商人・その他住んでね!って感じだからな。 >>530
松山藩だけはガチ
長州征伐で占領地の住民を殺していった >>541
現存する山城は年月がたって樹木が育ってしまい、当時の様子がわからんってのがある。 あと日本の城下町に壁がないんじゃなくてヨーロッパに城下町が基本ない
城主が都市を防衛する必要があるときは
都市に隣接した出城や砦を造る 小田原城や大阪城があるじゃまいか
でも日本人は年単位の籠城に耐える根性がなかった模様
何年も籠城し続けた尼子氏は立派 >>546
茨城の方に山城を再現した施設があったぞ
板塀に櫓の簡素な造りだけどあれなら確かに部品先に作っとけば3日で建てることも可能 >>520
それって江戸をおおう外壁があったら防げたと思うか >>549
歴史的なでかい戦いで1年を越す籠城戦って何があるんだ?
ロードスが近いが1年行くか行かないか、コンスタンティノーブルもウイーンも数ヶ月程度だ。
少なくても冬がキツい地方は無理だろうな。 >>549
小田原城は籠城を経験してるけど、小田原一帯は城塞都市ではない。 >>549
三浦氏も三崎城に三年籠城してるな
後北条氏に攻められて持ちこたえてた >>502
日本式は水耕だったり住居が田畑側にある
なので山の上の避難所へ向かったりする
海外は都市国家的な意味合いもあったしな
同じ国でも町毎破壊に来る
フランスでも王党派が町毎ひどい目にあっていた ネタにこんなにマジレスされるとは思わなかった反省している >>516
その徹底ぶりと奴隷の扱いの差がある
あと、近隣の勢力同士だとそういう協約が締結されてて避難砦にいれば安堵とかもある
危険な地域の場合はそのエリアから別のエリアに逃げておく
この別の地域に行ってしまうというのは海外ではヤバイ 元寇防塁wikipediaより
高さ・幅は平均して2メートルある。
総延長は、西の福岡市西区今津から東の福岡市東区香椎までの約20キロメートルに及ぶというのが定説になっている。
2mだと低いな
もっとそそり立つ壁に囲まれたい >>561
太宰府の防壁の水城は堀塀の高さが全盛期13mあったらしいで 江戸城は本格的だったな
しかし、アレは外様や譜代等を町中で住まわせてたってのもあるから特殊な都市だった >>564
> アレは外様や譜代等を町中で住まわせてたって
大名屋敷ってほぼ要塞だけどな。
国会議事堂のあたりも加藤清正の屋敷だったが
どう見ても小型の城だよ。
いまだってデモ隊で議事堂を攻めるのは大変。 >>546
山に戻っちゃってるんだもんな
日本の植物は強いわ…… >>565
いつも国会の前通る毎に「突っ込んだらドコまで行けるかな」って考えながらあそこ運転してるわ
ちゃんと自動車の特攻止める程度の防備はあるんだろうなぁ >>566
> 山に戻っちゃってるんだもんな
植物は埋め立てたりはしないから、
人間が壊さない限り、地形としては残ってるでしょう。 >>569
今はテロ警戒がすごいから
対戦車ミサイルが飛んで来そう。 >>562
水城は四王寺山や飛行機から見ると今でも人工物なのがわかるよ >>570
発掘したり、観光用の城跡として整備すればいいんでしょうけど、無名の出城は自然に戻っちゃってるでしょうな。
有名どころだけど鳥取城
https://sekigaharamap.com/wp-content/uploads/IMG_5079.jpg 壁は石やら持ってこなくちゃで大変だから、堀にしたとか >>576
人質がかわいそうって感じじゃないよ。
あの立地に大砲とかあれば、江戸城の天守閣をタコ殴りに出来る。 >>575
秋に草刈りをやれば、冬の間は地形を露出できるみたいよ。
北条氏の八王子城とかは歴史マニアのお爺ちゃん達が頑張ってるらしい。 石や煉瓦の城壁なんて大砲が出来た時点でオワコンだよな
壁の上端を地味に壊していけば、崩れ落ちてくる城壁でどんどん内部で負傷者発生するんだから >>101
抵抗し続けりゃ死人も増えるだろ
宗教勢力なら改宗させるか殺さないと火種が残る >>96
一向一揆は攻めると和睦して民衆に戻り、招集されると戦闘員になるの繰り返しだもんで戦国武将全般が手を焼いた。
つまる所、民衆全部が戦闘員、ならば皆殺しが最善策ってのがノブさん。 越後の基地外に対応する必要性があった北条は本格的な城郭都市が必要だったんやな >>252
岡田英弘を信じてはいけないとは言わないけど近代では主流とか言い出したら流石に >>580
中国だと火砲が発達してからも結構籠城戦してるよ
つっても城壁が縦10b厚さ20bとか堅固な都市に限るけど >>14
親切なおじちゃんチに泊めてもらったら、翌朝おじちゃんに食べられてゲームオーバーになったのが今もトラウマ >>587
攻城砲だけ一方的に発達するわけじゃなくて城塞も砲備えた要塞へと進化していくしね あー高校のときの授業のよもやま話で印象的だった
芭蕉の夏草やつわものどもが夢の跡
杜甫の国敗れて山河あり城春にして草木深し
杜甫の「城」ってのは長安つまり城塞都市で
それを下敷きにした芭蕉の夢の跡ってのは日本の城
杜甫のほうは民衆や社会全体を含む感慨に対して
芭蕉のほうは傍観者として歴史をちょっと引いたトコロから見ている
先生は日中で歴史が違うゆえの視点の差って言ってたな >>589
五稜郭がもうちょっと海岸線から離れていれば
船からタコ殴りにされずにいい勝負になったんだが。 日本の要塞が輸入品の五稜郭まで星型にならなかった理由も気になる ゴーレム倒しちゃったら野生の魔物が侵入してきて町人死ぬよね >>592
あんまり大砲がなかったんじゃね。
1808年にイギリス船が長崎を襲撃した時も
大した防備がなくて逃げられた。 >>594
星型はむしろ銃の有効利用の為の形のはずなんだけどなぁ
肝心の銃の方の性能の問題かしら 昔の支配階級は、民あっての国と理解していたからな。
戦争は、あくまで支配階級同士の争いであって、民は対象ではなかった。
今の日本の支配層は、民を食い潰して私腹を肥やすことしか考えていない。 今もちゃんと民の事を考えてるじゃないか
民草は 生きぬように 死なぬように >>595
どっちか言うと大砲だよ
星型要塞はどんだけ壁を低くしながら防御力を保てるかってのを考え極限まで高めた結果だからね
大砲無いなら石垣とか高くても良いわけでそんなに気にせんでもいい
天守閣なんてゴルフで言うならグリーンに旗建ててるようなもんだ >>600
壁の高さが問題になるというのは砲の射角のせいかな
仮に星型要塞が砲の運用向けだと仮定すると
地形上砲が有効活用されないまま、強力な中央政権が誕生してしまった日本で
砲を運用する要塞が無用だった理由としては分かりやすいね >>601
射角だね
後は目標物が視認出来るか 観測が出来るかどうかがとても重要
五稜郭は3階建ての奉行所があったみたいだけど目標として使われたようですぐ壊したらしい 大名もろとも領民も皆殺しとか中国みたいな
バカな事をしないから城塞都市を作る意味が無い 名古屋城が戦国最後で最新の城であり、関西を睨む軍事要塞。
江戸を守るための最強の要塞として名古屋城は国家事業で作られた。
名古屋城が陥落すると江戸幕府も終わる。 名古屋城は今でももしもの時に名古屋人が立て籠もって戦うから現役の軍事要塞だよ >>603
領民は領民で自分等の村近くの要害に砦持ってただけよ
戦が大規模化してからわ領民を城に収容する準備も領主の務めに成ったし >>578
可哀相じゃなくて、丸抱え出来なきゃ問題が起こる
大阪みたいな騒動になるやろ なんか戦国時代の日本がお上品に戦争してたと思ってたやつがいるなぁ大河ドラマのみすぎじゃね?
拉致連行して奴隷として売ってるよ
謙信なんかも冬に関東攻めて何もせずに戻ってるわけじゃなく乱妨取りして戻ってたんだよ
信玄は売らずに鉱山労働者として働かせたみたいだけどね >>609
日本人は痩せてるってデブおるがなマツコとか
みたいな話されても >>609
程度の違いがあると言ってるだろうに
根切りが問題視される自体で日本は特殊なんだよ海外はそっちが普通だから 平時の住居とは別の避難のための城って古代のゲルマン人の文化にもあったとかでそれから発展していったのが領主の館的な防衛施設としての城だった気はする 最新の研究では白村江敗北以降の太宰府が唯一の城塞都市と言われてる 太宰府の場合はほとんどが土塁と山を利用したタイプだが >>611
民族浄化vs民族浄化で今の人種構成だもんな。 資材が基本的に木が多いから燃やされて簡単に突破されちゃうし >>609
今やってる直虎は
戦場に足りない領民の補充を買いにいく話しやってたわ
美濃かちょっと遠いな〜と直虎 >>611
海外では負けた側を皆殺しで対立を一発解消するのが主流だしな
日本ではそれがないからいつまでも対立を引きずっていたりしてる
同じ村の中であいつらは豊臣に付いたの、あいつらは徳川の手下だの
結果を見るに日本式のほうがより良い社会にはなってる感じだな >>616
当時の城はこんなだゾ
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/84/ba1c14bd1b167abf2b57a164081bd1ac.jpg
平地の小山を城として城下町を形成する。(海外には少ない)
樹木を伐採し、山肌を削って整形し、石で補強する。
燃えもしないし、攻城兵器が虚しくなる世界w 穴を掘りまくったベトコンは強かった。
城よりも穴のほうが強い。
ペリリュー島の戦いでも証明されているし。 城の表面は何層も塗料が塗られててすぐには燃えない作りだよ >>619
城下町なんて無いよ、城下町付きの山城なんて極々一握り >>427
読みたいんだけどなんて小説かな?というか日本語訳あるのか… >>609
金堀衆はそんなに大規模じゃ無いし技能集団だから
奴卑が居たとしても少数だよ 御土居は豊臣秀吉によって作られた京都を囲む土塁である。
外側の堀とあわせて御土居堀と呼ぶ場合もある。
築造時の諸文献には「京廻堤」「新堤」「洛中惣構え」などと記される。
聚楽第、寺町、天正の地割とともに秀吉による京都改造事業の一つである。
一部が京都市内に現存し、史跡に指定されている。 >>582
コンスタンティノープル陥落の頃の大砲は連射がきかないから、
逐次樽に土を詰めた一種の土嚢で穴を塞げば問題なかった >>21
本当に空母だったら良かったのに
もっと東へ、ハワイの辺りまで航行したい >>582
コンスタンティノープルの大砲大きすぎませんか?
弥生時代の環濠集落は城塞都市には入らないかw
東北の多賀城なんかも城塞都市だったはずだが
あそこら辺のあのころ朝廷が作った城は全部
言い過ぎか? >>631
対人よりも、魔獣が入らないようにって事なんじゃないかな 一番の原因は物不足と人手不足だと思う
だから日本の城って高低差や攻城側だけ消耗させる作りに全力
すげー簡単に言うと
敵が迷路の中を動いているなら上から攻撃
敵が坂の下にいるなら坂の上から攻撃 >>630
コンスタンティノープル攻城戦なら多分これじゃないか?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ウルバン砲
普通の大砲じゃないな >>597
ある意味それが平和なのかもしれんよ
支配階級からすれば一番困るのは
民が支配階級を本当に無駄と思って行動起こされることだ
これがおかしくない状態になると、配下のクーデターをまず気にしないといけなくなる (今なら自衛隊と警察) >>636
それな
外敵が来たら山に逃げ込むだけでやり過ごせる
リアス式海岸とかは海に船で逃げてもやり過ごせる
時の政府にまつろわぬ山の民や海の民は昭和の初めまで日本中にいた >>638
サンカ?図書館でサンカの研究本とサンカは嘘みたいな反論本が
並んで置いてあってワロタ 城下を大木戸で閉塞してもねずみ小僧ごときに突破されるイメージ 単純に日本の地形・気候の問題だと思う。
自然の地形を生かした山城の方が有効な地域の方が圧倒的に多いってだけじゃないかな。 日本の建築は基本的に木と土で出来てるから土台と盛り土の跡ぐらいしか残ってないんだよな
山城の跡とか行っても地形から大まかな構造を類推するしかない
国破れて山河ありつはものどもが夢の跡 >>509
日本は対国外の戦争の時にも同じ基本理念でやっちまったもんで軍の疲弊に繋がったからな。 >>631
女の子を殺して男だけの村を構成した時代だな。
同一の食料であれば戦闘員の率を上げられるため、襲撃に強く、成人女性をさらう事で次世代を作ることができる。
(女の子を育てるコストがかからない)
環濠集落により攻撃側が不利になると、女性をさらえなくなって衰退する。 >>648
赤ん坊と産婦の死にやすさ考えても
そんな方法で村落作って維持できるわけないだろw
短期的な山賊集団ならともかく、周辺の集落ごと滅亡まったなしやがなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています