徳川慶喜、同人誌に紀行するほどの写真キチであった [無断転載禁止]©2ch.net
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幕末のお殿様で凄い写真好きの人居たよね名前は覚えてないけども 昔のテレビ番組で慶喜の写真をプロ写真家に見せたらボロクソ言われてた記憶がある ドトールコーヒーは悪の結社、創価学会の
一員だ
集団ストーカーを行なってる
ドトールも創価も法的措置を取らないのは
事実だからです
10月5日悪魔の娘 生誕
とうきょうときたくあかばねは
そうかのまち
公明党は悪党
主よ、あなたの道を教えて下さい。
(旧約聖書 『詩編』86編11節から) 慶喜「コスROM始めました」(当日はブースで手売りするゾ) 意外と知られてないが、慶喜は大正時代まで生きている この人は隠れた名君だよね
将軍に固執したら日本は内乱で国が荒れ、欧米諸国に付け込まれるところだったと思う
先祖代々の将軍を止めるのはすごい決断だったね >>22 へーーー。
どんな気持で明治を過ごしていたのかねぇ。 白樺派「キャッキャ」
アララギ派「ウフフ」
慶喜「ぐぬぬ、もう少し若ければ…グギギギ」
みたいな光景があったの? 自家用車も持ってて、蕎麦屋に突っ込んだらその補償金で
その蕎麦屋一家が半年店休んで旅行に行ったとかの話しもなかったっけ? 29歳でドロップアウトして、77歳で没するまで駿府で悠々自適の生活か…
政治に頭を悩ますこともなく、徳川家の財力で金の心配もなく
カメラにハンティングに、趣味に没頭して生を全うする
なんだこれ最高やんけ チャリ乗りだったんだろ
女見とれて看板に突っ込んだり
どじっ子 子供「うわー岡蒸気がきたー!!」
慶喜「邪魔!!どけよ!!殺されてえのかあ!!」 同人誌って同じ趣味の人が作品を持ち寄って一冊の本にまとめるって
ものだからな
本来それを所有できるのは投稿した人だけ、とか買うためには作品を
投稿しないとダメとか条件がある場合が多かった。
今の同人誌って買う側は別に同人でもないし複数の同人が原稿持ち寄って
っていう本も少なくなった。 合同本とか揉める元だからよっぽど人徳ある人が主宰してない限りは一人のほうが楽よ >>23
まあ危うく江戸市民100万人焼きコロすところだったけどな。
自分が鳥羽伏見でチャンと戦って、負けたらハイ首チョンパなら誰にも迷惑かけない話なのに。 将軍辞任してから駿府に隠棲して趣味に没頭した有閑貴族 倒幕派との戦争とかだりーわ。
趣味の写真やってたいから大政奉還するわ。 鳥羽伏見の戦いで幕府軍が大敗したと聞くと軍を残して江戸へ逃亡した徳川慶喜
イギリス参戦と聞くと軍を残してミャンマーから逃亡したA級戦犯木村兵太郎 「若様 三味線はお止めになって もうお休み下さりませ」
「……」
「畏れながら申し上げます 夜に三味線をひくと物の怪が現れると申します お止め下さりませ」
「何を言う 吉原の芸者や遊女は毎晩三味線をひいてるではないか あの者達はどうなるのだ」
「畏れながら申し上げます その者達こそが 物の怪にござりまする」
「たわけた事を申すな! もう寝る!」
岸田今日子とのやりとりは面白かったなあ 松戸の徳川屋敷の下の小川で
弟の徳川昭武が写真を撮る姿を撮影した徳川慶喜ってマニアックな写真が残ってる
隠居してよっぽど暇だったみたいで、静岡の撮影旅行に飽きると、しょっちゅう松戸の田舎町を撮影しに来てた
でも、明治天皇がついでに宮城に寄ってけといくら頼んでも素通りだったてのも 維新の功績なら
西郷、高杉、慶喜、勝が
トップ4だろうな
政治から距離を取るのも見事だと思う 徳川慶喜は21人も子どもがいて(正室とはゼロ)、このことから徳川慶喜家を立てた
徳川慶喜の子孫は問題ばかり
・貴族院議員になった息子は酒酔い運転でひき逃げを起こして逮捕(戦前に起きたので珍しい)
・勝海舟の養子に入った息子は愛人と心中
・ひき逃げしたのとは別の貴族院議員の息子は医者の誤診で急死
・鳥取池田家と蜂須賀家に行った子ども、昭和の代に入り子孫が残せず断絶
・孫が貴族を利用して寸借詐欺
・何故か自称徳川慶喜の子孫が多数出てきて詐欺で逮捕されている 徳川に従った連中はフルボッコされたのに
上のやつだけ悠々自適の老後よ >>57
将軍は白旗を上げたのに徹底抗戦の道を選択したからだろ 百万石残したは良いが徳川家に睨まれた前田家と同じで趣味にしか興味無しの態度にしないと疑われる
徳川再興を疑う連中も多かった
信長の弟も趣味人と云うことで長生きした >>31
会津の松平容保の兄で
高須4兄弟の一人だね >>25
晩年の句に
取り分けて 言うべしふしは あらねども ただ面白く 今日も暮らしつ
(取り立てて何にも無い日が続くから 楽しい毎日を過ごせて嬉しいな)
晩年は江戸の下町巡りして長屋とか子供を題材に写真を撮りまくってたとか
ブラヨシノブしてたんだろうな 大正2年まで生きたんだね。
もう少しで昭和になるとこまで生きてたとは。 最後は静岡で余生を送ったんだっけ
徳川家ってやたら静岡贔屓だよね、
岡崎には全然帰らないのにさ 慶喜は洋画も書いてたんだよね
お宝探偵団に出てきたよ 偽物だったけど 徳川幕府の最後の将軍に頭が良いだけでヘタレな徳川慶喜が就てしまい日本史的には台無し
何幕臣見捨てて大阪から逃げ帰っとるねん なんか白夜書房の写真時代はエロ写真雑誌なのに
すごいライターがいっぱい寄稿してたみたいな話を思い出した >>35
ドロップアウトが慶喜の最大の功績だから半世紀近いニート生活は当然のご褒美だろ >>73
明治天皇が会いたがって会いたがって、山岡鉄舟がいい迷惑被ってた
本人は長州の人間がやだから行かないって駄々け >>35
2ちゃんが当時あったらν速あたりを常駐だったろうな チャリンコも好きだったらしいね、今の時代にマッチしとるや〜ん。🚴 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています